SAS(英国陸軍特殊空挺部隊)

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&font(#6495ED){登録日}:2011/10/05(水) 14:56:19 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 7 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- SASとは英国の軍隊である。 *【概要】 &bold(){S}pecial &bold(){A}ir &bold(){S}ervice の略称であり、[[日本語]]に訳せば&bold(){特殊空挺部隊}といったところだろう。 Airという単語が入っているため、空軍の所属と思われがちだが&bold(){陸軍の所属}である。 なお&bold(){正式部隊名は第22SAS連隊}である。同部隊の他に第21SAS連隊と第23SAS連隊が存在するが、元SAS隊員と国防義勇軍からなるため特殊部隊とは言えず、あくまでSASの名を冠するだけの部隊である。 世界初ということもあり、長い歴史と高い実績を持つため、他国で特殊部隊を創設する際には同部隊を参考にしたり、自国の軍人を派遣して直接ノウハウを学んだり、隊員を教官として招聘したりなど、各国の特殊部隊に強い影響を与えている。 有名な例として1961年、アメリカ陸軍軍人として始めてSASの選抜訓練に合格したチャールズ・ベックウィズ大尉(当時)は、交換将校として在隊。 そして、1977年に同部隊で得たノウハウと編成を参考にアメリカ版SASともいえる対テロ特殊部隊「アメリカ陸軍第一特殊作戦部隊分遣隊デルタ」(通称[[デルタフォース]])を創設した。 この他にドイツの特殊部隊[[GSG-9]]、[[KSK]]、アメリカ警察特殊部隊SWAT、香港海洋警察特殊部隊SDU、スペイン海軍海兵隊特殊作戦班UOE等に訓練を施し、強い影響を与えたといわれている。 部隊の規模は資料によってまちまちで、300人前後とも600人前後とも言われている。 隊員の平均年齢は27歳ほど。 部隊のモットーは&bold(){&font(#ff0000){Who dares wins(危険を冒す者が勝利する)}} *【選抜訓練】 SASの隊員は志願者を訓練を兼ねた試験によって選抜している。 入隊の条件資格は ①軍紀違反をしたことがなく陸軍に最低3年は所属している者。 ②過去にSAS/SBS統合選抜訓練に2度落ちていないこと。 ③身体・精神面に重大な疾患がないこと。等々である。 上記の条件を満たした者が年に二回、夏と冬に行われる半年以上にも及ぶ選抜試験を兼ねた訓練に参加し、乗り切った者だけが晴れてSASに入隊することが許される。 選抜試験は&bold(){世界一&font(#ff0000){苛酷}}と言われ、筆舌に尽くし難い苛酷なものである。 例えば150人近くいた志願者が最終試験の時には2、3人ほどになるのは当たり前。 時には試験の教官及び監督役の現役SAS隊員であっても選抜試験中に死亡することがあるという。 しかし、厳しい試験をくぐり抜けた隊員で構成されるため、隊員個々人の技能(戦闘力)は非常に恐ろしく高い。 まさに&font(#ff0000){精鋭中の精鋭}である。 また高い身体能力と精神力だけでなく、隊員には潜入先の現地人とコミュニケーションをとるために高い語学力や、簡単な外科手術などの医療行為を行うだけの高い知能も求められる。 つまり脳筋では生きることが難しいといえる。 *【略歴】 **1941年 英国軍人デビット・スターリング少佐の発案により、SAS旅団L分遣隊の名称で創設。 創設当初のSASは、進行してくるドイツ軍後方の航空基地や補給路、支援部隊等に弾薬を満載したジープで殴り込みをかけるゲリラ・コマンド作戦を主任務としていた。 この時のSASは現在のSASと異なり、選りすぐりの精鋭部隊ではなく、&font(#ff0000){戦時急造の寄せ集め部隊}であった。 しかし、上記のような危険極まりないゲリラ・コマンド作戦を多く遂行していく内に、基本的に有能な兵だけが生き残っていった。 **1945年 第二次世界大戦終結に伴い解隊。 **1947年 国防義勇軍内に第21SAS連隊が創立。 **1952年 前年に創立したマラヤ斥候隊が&font(#ff0000){第22SAS連隊}と改称。 **1965年~1966年 インドネシア・ボルネオ紛争に投入。 **1969年~ IRAのテロ活動の対策として北アイルランド治安維持任務に投入。 以降SASとIRAの戦いは、&font(#ff0000){血で血を洗う仁義なき報復合戦}と化していく。 このIRAとの抗争によりSASは、&font(#ff0000){対テロ作戦に必要とされるあらゆるノウハウを実地で習得}していくこととなる。 **1977年 ルフトハンザ航空ハイジャック事件を解決したGSG-9に閃光手榴弾の提供等の側面支援。 **1980年 駐英イラン大使館占拠事件を解決(詳しくは後述)。 **1982年 フォークランド紛争に参加。[[SBS>SBS(英国王室海軍海兵隊特殊舟艇部隊)]]と共に斥候や情報収集、破壊工作等の特殊任務に従事。 **1991年 湾岸戦争、SBSやデルタフォース等の多国籍軍特殊部隊と共に、イラン軍スカッド狩り作戦に参加。 **1997年 ペルー日本大使公邸人質救出作戦にアドバイザーとして参加。 **2001年~ 米国のアフガニスタン侵攻に伴い、アフガニスタンに派遣。 **2003年~ イラク戦争に派遣。 **2006年 バクダット市内で、武装勢力に拉致された平和活動家を1発の銃弾を発砲することなく解放。 **2011年~ リビア動乱の際、英国大使館員の護衛や現地情報の収集に投入。 *【部隊編成】 第22SAS連隊はイングランド西部ウェールズRAF基地グレデンヒルに本拠地を置き、 部隊はA、B、D、G、Rの五個戦闘中隊、CRW中隊(対革命戦群)、作戦調査班(ORU)、第264SAS通信中隊から編成される。 なおR戦闘中隊は現役部隊ではなく、予備役である。 SASの1個中隊は4個小隊から成り、1個小隊は16名から成る。 SASの小隊は航空、機動、舟艇、山岳の4種類が存在し、航空小隊は空挺作戦全般、機動小隊は車輌等の運用、舟艇小隊は船舶操作や水中浸透等の海洋系の特殊作戦全般、 山岳小隊は山岳戦や極寒地等の極地戦全般をそれぞれ担当している。 因みにSASの最少行動人数は4名である。 *【駐英イラン大使館占拠事件】 SASが解決したテロ事件で、&font(#ff0000){SASが最も脚光を浴び、世界最強の評価を不動にした事件でもある。} 1980年4月30日午前11:30。ロンドンの駐英イラン大使館が、反ホメイニ派のイラン人6名により占拠。 当初事件はスコットランドヤード(ロンドン警視庁)が担当し、テロリストと交渉を行っていた。 しかし、事件発生6日後の5月5日18:50。一向に進まない交渉に痺れを切らしたテロリストは人質1名を射殺した。 人質殺害により、事態を重く見たスコットランドヤードはSASに事件解決を要請した。 そして同日19:20。[[H&K MP5]]を装備し紺色のアサルトスーツとガスマスクに身を包んだSAS隊員によって、「ニムロッド作戦」と名付けられた人質救出作戦を決行された。 4名の犠牲者を出したもののSASは大使館を占拠したテロリスト6名中5名を射殺。1名を逮捕した。 そしてこの突入の一部始終はBBCによって放送された。 (この事件が起きる直前に、イランのアメリカ大使館が占拠される事件が発生。  アメリカは国の威信を賭けて創設間もないデルタフォースを中心に陸海空海兵の4軍全てを投入した救出作戦イーグルクローを立案、実行する。  しかし4軍同士の縄張り争いや指揮系統の乱れ、現場環境に不適切なシースタリオン輸送ヘリコプターの運用により、事故やトラブル等により混乱が発生。  更に先のトラブルの結果救出する前の段階で救出部隊に死人が出て、作戦決行前に中止。  秘匿されるべき特殊部隊デルタフォースの存在が明るみに出るといった最悪の結果を残したばかりであった…。) *【ドラマ化】 2003年、S.A.S.英国特殊部隊という邦題でドラマ化。 基本的に英国を舞台にしているため、主人公達は恐らくCRW戦闘中隊の任務を請け負っていると思われる。 脚本に元SAS隊員が助言をしているため、戦闘面でこそリアリティよりも娯楽性を重視した派手なドンパチをしているが、建物への突入や隊員のプライベート、選抜訓練の描写が丹念に描かれている。 *【漫画作品】 漫画『MASTERキートン』の主人公である[[平賀=キートン・太一]]が「元SAS」と言う設定である。 オックスフォード大学出身で一般入隊からサバイバル教官に迄なった俊英であり、上記の「駐英イラン大使館占拠事件」や「フォークランド紛争」等にも参加 上層部の受けもよく士官補扱いされる程に評価され受勲もされていたが、軍人としての人生に実感がわかず士官への道を選ばないままに曹長で名誉除隊した。 ただ除隊後も英国政府とのラインは完全に切れている訳でも無く、折につけ秘匿任務を依頼されたりすることもある。 連載期間が「80年代末期~90年代前半」な事もあり、東側国家で仕事中にスペツナズと衝突したり 現役時代の悪縁でIRAとの暗闘に巻き込まれたりと、当時の国際情勢が反映された作品となっている。 尚、平賀=キートン・太一の本職は「考古学者」だが研究テーマの問題から予算が付かず、ロイズ保険組合の調査員で糊口を凌ぐ生活をしている。 *【余談】 英連邦に属するオーストラリア、ニュージーランドにもSASの名を冠する特殊部隊が存在する。 本家SASと合同訓練を頻繁に行うためその実力は本家SASと互角とされる。 実際ベトナム戦争に参加したオーストラリア版SASことSASRはジャングルの亡霊と呼ばれ米軍特殊部隊より恐れられた((当時のベトナム兵とSEALsのキルレシオが1:200に対しSASRは1:500以上と言われている。))。 かつてアフリカに存在した白人国家、ローデシアにおいてもSASという名前の特殊部隊が存在した。 ローデシア軍兵士だけでなく、ベトナム戦争帰りのアメリカ軍兵士や南アフリカ軍兵士など外国人傭兵も多く所属していたと言われ、 アフリカ人ゲリラとのキルレシオは1:85と本国SASと全く引けをとらない実力だったが、破壊工作や誘拐・暗殺などダーティーな任務に携わっていた((暗殺には化学兵器を使っていたなんていう推測もされている))。 NASAにSASという名前の小型天文衛星があるが、これは &bold(){S}mall &bold(){A}stronomical &bold(){S}atellite の略であり、本家SASとは無関係である。 日本にSASという名前の学術研究団体があるが、これは欧文名が &bold(){S}ociety of &bold(){A}dvanced &bold(){S}cience だからであり、本家SASとは無関係である。ちなみに科学技術の発展を支える学生の育成などを行っている模様。 睡眠障害の一つである睡眠時無呼吸症候群をSASと呼ぶことがあるが、これは英語で &bold(){S}leep &bold(){A}pnea &bold(){S}yndrome というからである。 危険を冒すwiki篭りが追記・修正する。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,13) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() #comment #areaedit(end) }
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SASの隊員は志願者を訓練を兼ねた試験によって選抜している。 入隊の条件資格は ①軍紀違反をしたことがなく陸軍に最低3年は所属している者。 ②過去にSAS/SBS統合選抜訓練に2度落ちていないこと。 ③身体・精神面に重大な疾患がないこと。等々である。 上記の条件を満たした者が年に二回、夏と冬に行われる半年以上にも及ぶ選抜試験を兼ねた訓練に参加し、乗り切った者だけが晴れてSASに入隊することが許される。 選抜試験は&bold(){世界一&font(#ff0000){苛酷}}と言われ、筆舌に尽くし難い苛酷なものである。 例えば150人近くいた志願者が最終試験の時には2、3人ほどになるのは当たり前。 時には試験の教官及び監督役の現役SAS隊員であっても選抜試験中に死亡することがあるという。 しかし、厳しい試験をくぐり抜けた隊員で構成されるため、隊員個々人の技能(戦闘力)は非常に恐ろしく高い。 まさに&font(#ff0000){精鋭中の精鋭}である。 また高い身体能力と精神力だけでなく、隊員には潜入先の現地人とコミュニケーションをとるために高い語学力や、簡単な外科手術などの医療行為を行うだけの高い知能も求められる。 つまり脳筋では生きることが難しいといえる。 *【略歴】 **1941年 英国軍人デビット・スターリング少佐の発案により、SAS旅団L分遣隊の名称で創設。 創設当初のSASは、進行してくるドイツ軍後方の航空基地や補給路、支援部隊等に弾薬を満載したジープで殴り込みをかけるゲリラ・コマンド作戦を主任務としていた。 この時のSASは現在のSASと異なり、選りすぐりの精鋭部隊ではなく、&font(#ff0000){戦時急造の寄せ集め部隊}であった。 しかし、上記のような危険極まりないゲリラ・コマンド作戦を多く遂行していく内に、基本的に有能な兵だけが生き残っていった。 **1945年 第二次世界大戦終結に伴い解隊。 **1947年 国防義勇軍内に第21SAS連隊が創立。 **1952年 前年に創立したマラヤ斥候隊が&font(#ff0000){第22SAS連隊}と改称。 **1965年~1966年 インドネシア・ボルネオ紛争に投入。 **1969年~ IRAのテロ活動の対策として北アイルランド治安維持任務に投入。 以降SASとIRAの戦いは、&font(#ff0000){血で血を洗う仁義なき報復合戦}と化していく。 このIRAとの抗争によりSASは、&font(#ff0000){対テロ作戦に必要とされるあらゆるノウハウを実地で習得}していくこととなる。 **1977年 ルフトハンザ航空ハイジャック事件を解決したGSG-9に閃光[[手榴弾]]の提供等の側面支援。 **1980年 駐英イラン大使館占拠事件を解決(詳しくは後述)。 **1982年 フォークランド紛争に参加。[[SBS>SBS(英国王室海軍海兵隊特殊舟艇部隊)]]と共に斥候や情報収集、破壊工作等の特殊任務に従事。 **1991年 [[湾岸戦争]]、SBSやデルタフォース等の多国籍軍特殊部隊と共に、イラン軍スカッド狩り作戦に参加。 **1997年 ペルー日本大使公邸人質救出作戦にアドバイザーとして参加。 **2001年~ 米国のアフガニスタン侵攻に伴い、アフガニスタンに派遣。 **2003年~ イラク戦争に派遣。 **2006年 バクダット市内で、武装勢力に拉致された平和活動家を1発の銃弾を発砲することなく解放。 **2011年~ リビア動乱の際、英国大使館員の護衛や現地情報の収集に投入。 *【部隊編成】 第22SAS連隊はイングランド西部ウェールズRAF基地グレデンヒルに本拠地を置き、 部隊はA、B、D、G、Rの五個戦闘中隊、CRW中隊(対革命戦群)、作戦調査班(ORU)、第264SAS通信中隊から編成される。 なおR戦闘中隊は現役部隊ではなく、予備役である。 SASの1個中隊は4個小隊から成り、1個小隊は16名から成る。 SASの小隊は航空、機動、舟艇、山岳の4種類が存在し、航空小隊は空挺作戦全般、機動小隊は車輌等の運用、舟艇小隊は船舶操作や水中浸透等の海洋系の特殊作戦全般、 山岳小隊は山岳戦や極寒地等の極地戦全般をそれぞれ担当している。 因みにSASの最少行動人数は4名である。 *【駐英イラン大使館占拠事件】 SASが解決したテロ事件で、&font(#ff0000){SASが最も脚光を浴び、世界最強の評価を不動にした事件でもある。} 1980年4月30日午前11:30。ロンドンの駐英イラン大使館が、反ホメイニ派のイラン人6名により占拠。 当初事件はスコットランドヤード(ロンドン警視庁)が担当し、テロリストと交渉を行っていた。 しかし、事件発生6日後の5月5日18:50。一向に進まない交渉に痺れを切らしたテロリストは人質1名を射殺した。 人質殺害により、事態を重く見たスコットランドヤードはSASに事件解決を要請した。 そして同日19:20。[[H&K MP5]]を装備し紺色のアサルトスーツとガスマスクに身を包んだSAS隊員によって、「ニムロッド作戦」と名付けられた人質救出作戦を決行された。 4名の犠牲者を出したもののSASは大使館を占拠したテロリスト6名中5名を射殺。1名を逮捕した。 そしてこの突入の一部始終はBBCによって放送された。 (この事件が起きる直前に、イランのアメリカ大使館が占拠される事件が発生。  アメリカは国の威信を賭けて創設間もないデルタフォースを中心に陸海空海兵の4軍全てを投入した救出作戦イーグルクローを立案、実行する。  しかし4軍同士の縄張り争いや指揮系統の乱れ、現場環境に不適切なシースタリオン輸送ヘリコプターの運用により、事故やトラブル等により混乱が発生。  更に先のトラブルの結果救出する前の段階で救出部隊に死人が出て、作戦決行前に中止。  秘匿されるべき特殊部隊デルタフォースの存在が明るみに出るといった最悪の結果を残したばかりであった…。) *【ドラマ化】 2003年、S.A.S.英国特殊部隊という邦題でドラマ化。 基本的に英国を舞台にしているため、主人公達は恐らくCRW戦闘中隊の任務を請け負っていると思われる。 脚本に元SAS隊員が助言をしているため、戦闘面でこそリアリティよりも娯楽性を重視した派手なドンパチをしているが、建物への突入や隊員のプライベート、選抜訓練の描写が丹念に描かれている。 *【漫画作品】 漫画『MASTERキートン』の主人公である[[平賀=キートン・太一]]が「元SAS」と言う設定である。 オックスフォード大学出身で一般入隊からサバイバル教官に迄なった俊英であり、上記の「駐英イラン大使館占拠事件」や「フォークランド紛争」等にも参加 上層部の受けもよく士官補扱いされる程に評価され受勲もされていたが、軍人としての人生に実感がわかず士官への道を選ばないままに曹長で名誉除隊した。 ただ除隊後も英国政府とのラインは完全に切れている訳でも無く、折につけ秘匿任務を依頼されたりすることもある。 連載期間が「80年代末期~90年代前半」な事もあり、東側国家で仕事中にスペツナズと衝突したり 現役時代の悪縁でIRAとの暗闘に巻き込まれたりと、当時の国際情勢が反映された作品となっている。 尚、平賀=キートン・太一の本職は「考古学者」だが研究テーマの問題から予算が付かず、ロイズ保険組合の調査員で糊口を凌ぐ生活をしている。 *【余談】 英連邦に属するオーストラリア、ニュージーランドにもSASの名を冠する特殊部隊が存在する。 本家SASと合同訓練を頻繁に行うためその実力は本家SASと互角とされる。 実際[[ベトナム戦争]]に参加したオーストラリア版SASことSASRはジャングルの亡霊と呼ばれ米軍特殊部隊より恐れられた((当時のベトナム兵とSEALsのキルレシオが1:200に対しSASRは1:500以上と言われている。))。 かつてアフリカに存在した白人国家、ローデシアにおいてもSASという名前の特殊部隊が存在した。 ローデシア軍兵士だけでなく、ベトナム戦争帰りのアメリカ軍兵士や南アフリカ軍兵士など外国人傭兵も多く所属していたと言われ、 アフリカ人ゲリラとのキルレシオは1:85と本国SASと全く引けをとらない実力だったが、破壊工作や誘拐・暗殺などダーティーな任務に携わっていた((暗殺には化学兵器を使っていたなんていう推測もされている))。 NASAにSASという名前の小型天文衛星があるが、これは &bold(){S}mall &bold(){A}stronomical &bold(){S}atellite の略であり、本家SASとは無関係である。 日本にSASという名前の学術研究団体があるが、これは欧文名が &bold(){S}ociety of &bold(){A}dvanced &bold(){S}cience だからであり、本家SASとは無関係である。ちなみに科学技術の発展を支える学生の育成などを行っている模様。 睡眠障害の一つである睡眠時無呼吸症候群をSASと呼ぶことがあるが、これは英語で &bold(){S}leep &bold(){A}pnea &bold(){S}yndrome というからである。 危険を冒すwiki篭りが追記・修正する。 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