一塁手(ファースト)

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&font(#6495ED){登録日}:2024/08/14 Wed 00:00:00 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- &bold(){一塁手(ファースト)}とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。 *【概要】 &br() 野球やソフトボールにおいて、一塁を守るポジションである。 守備位置番号は「3」番。[[英語]]表記は「First-baseman」で略称は「1B」。&s(){なお掛布雅之は「フォアスト」と呼ぶ} 投手や他の内野手が処理した球を一塁で捕球し、打者走者をアウトにする事を主な仕事とする。 *【主な役割】 ・一塁手は守備につく際はグローブではなく&bold(){「ファーストミット」}という特殊なミットを用いる。&br()他の内野手が捌いたゴロの送球や投手が牽制球を試みる際、そのどちらも捕球することが一番多いポジションなので確実に捕球する技術が必要不可欠である。&bold(){野球におけるアウトの多くは一塁手が捕球しないことには取れない}。 ・・その為、少年野球や草野球といった競技レベルの低い環境ではチームの中で比較的守備が上手い人がつくことが多い。そうでないと試合が成り立たない恐れがあるからである。 ・一方、最低限の捕球技術はあって当然のプロレベルになると、逆に&bold(){守備が比較的下手な選手のポジション}として運用されることが多い。&br()もっぱら捕球する側なのでプレー内で送球を行う機会は限られ、端なので守備範囲も小さく、数少ない送球場面も判断に迷う場面は少なめ、飛んでくる送球もアマに比べれば正確に飛んでくる割合が高いので&bold(){極端に言えば「『来た球を捕る』ことさえしてくれれば良い」}ためである。 *【ポジションとしての特徴】 ・左手側がファウルグラウンド・右手側がフェアグラウンドになるため、内野手の中で唯一左投が不利にならずむしろ有利とされるポジションでもある。そのため過去に活躍したプロのOBでは左投の選手も多い((例として王貞治・松中信彦・福浦和也等。))。&br()また[[三塁手>三塁手(サード)]]は一塁も守れる選手が多いが、逆に一塁手が三塁を守れるケースは前出の利き腕の問題もあり半々といった所。&br()しかし高校野球レベルの強豪校でも時折左投げの三塁手がレギュラーを務めている事があり絶対不可能という程ではなく、一応プロレベルでも左投げの選手が三塁手を務めた例はある。 ・「逸れた送球を塁から離れずに捕りやすい」「送球する野手が見やすい」という利点があることから、どちらかと言うと高身長(かつ手脚が長い)の選手に適性があるポジションでもある。&br()また、逸れた送球を捕球する際は全力疾走してくるランナーと衝突する恐れもある事から、可能ならば大柄で頑丈な選手であるとなお望ましい。&br()こういった事情もあり、大抵大柄な体格であるスラッガータイプの選手を配置するのは色々と理にかなっている。 ・守備範囲に劣る選手が配置されがちなので、このポジションに俊足の選手がつくことはほぼない(そもそも俊足が活きるポジションではない)。&br()よって[[捕手>捕手(キャッチャー)]]と同じく『&bold(){一塁手=鈍足}』というイメージは全く間違いというわけでもない。&br()ただ、守備機会はピッチャー・キャッチャーを除くと最も多くなりやすく、「捕球のために一塁へ入る」動きを試合中結構な頻度で要求されるため、体力的な負担は三塁手より大きいともされる。 ・守備に劣る選手のポジションということは、ほとんどの場合&bold(){打撃に優れる選手のポジション}となる。強打者と言えば一塁手や三塁手、というイメージは強い。 ・・「格下げ」としてのコンバート先では最も重宝され、元々は他のポジションでレギュラー選手として活躍していた((元捕手・元三塁手・元外野手が多い))が、加齢による身体能力の低下や怪我により旧ポジションを守るのが厳しくなってきたものの、打力はまだ十分活躍できる見込みがあるベテラン選手を一塁手に回すことは多々ある((阿部慎之助・田淵幸一・[[落合博満]]・高橋由伸等。))。 ・・そうした&bold(){「守れなくなった選手」や「元々守れない選手」が次々と集まってくる}ため、ある意味で最も競争の激しいポジションとなる。もちろんプロ一軍レベルの能力があるのは大前提、という枕詞はいるが、「他のポジションが守れるならほぼ誰でもできる、に近いほう」と見なされているのもまた事実である。 ・・左翼手にも言える事ではあるが、「遠投の機会が少ない」「そもそも求められる守備範囲が広くない」ポジションである事から一塁手が高い守備能力を持っていてもあまり活かせない・無駄になってしまう、という実情もある。 ・・とは言えこのポジションに守備力がある選手がついていると他の内野手の精神的疲労を軽減でき、内野全体の守備力も当然向上するので、一塁手の守備力は不要という訳では断じてない。&br()また、(数の違いから)三塁程の頻度ではないが左打者の引っ張った痛烈な打球が襲って来るポジションでもあるため、高い捕球能力・反射神経を併せ持つに越した事はない。 ・・前述の通り内野守備と捕球回数の多さから、単純なエラーは自己責任だとしても送球エラーやイレギュラー(バウンド)の対応も比較的多くなるため、重ね重ねになるが相対的に軽視されるだけでやはり守備力も重要である。 ・・稀なケースだが、この「良いに越したことはないが、多少守備難でも他のメンバーや作戦でフォローすることで許容できる」を利用して&bold(){守備の時に限り投手兼一塁手}という起用がなされるケースがある。多くは登板・降板を複数回行いたい事情があるようなリリーフ投手(例としていわゆる左相手のワンポイント起用がされる投手)で、左打者(特に巨人戦における[[松井秀喜]]と高橋由伸相手)担当の遠山奬志・右打者担当の葛西稔が交互に投手と一塁手を入れ替わる90年代後半の阪神タイガースの事例などが著名。 ・・・最も現在はMLBを中心に「ワンポイントピッチャー自体をルール段階で禁止する((「ケガした」など特殊な事情が無ければ、一定数の打席を消化しないと交代できないように変更。))」動きがあり、こういった目的の一塁手起用もそもそもルール上できなくなる可能性も出ている。ただし「投手兼野手」に関してはむしろルール上の整備がなされているため(言うまでもなく[[大谷翔平]]の影響)、将来的にどっちもこなせる投手が活躍する可能性はある。 ・打撃重視の傾向に加え、三塁手と同じく二遊間のような他の内野手との連携プレーがあまりないため言葉が不自由な助っ人外人がつくことも多いポジションである。&br()従ってこのポジションしか守れない日本人選手は外国人選手とのレギュラー争いを余儀なくされることが多く、チームの主軸と呼べるぐらい打力に秀でていなければ俗に言う&bold(){『[[二軍の帝王>二軍の帝王(プロ野球)]]』}になりやすい。&br()選手層の厚い球団の場合、他のチームなら十分レギュラーになれる実力のある選手が代打要員に甘んじることもしばしば。 --攻撃力を重視してどうしても複数の選手を使いたい場合、一塁手に次いで守備の負担が少ないとされる左翼手へのコンバートが行われることもあるが、前述の通り足や肩がそこまで秀でてない選手が多いため、攻撃重視というより守備軽視の布陣になってしまいがち。 ・以上の理由もあって[[MLB>メジャーリーグのチーム一覧]]では一塁のレギュラー争いは非常に熾烈で、日本人野手がこのポジションでレギュラーを獲得した事例は現時点では無い。総合力に優れる選手なら他のポジションに回せて便利なので猶更。&br()逆にMLBでポジション争いに敗れた一塁しか守れない選手がNPBに働き場を求めて来日するケースは多い。 *【主な実在選手】 (五十音順で表記) **《現役選手》 ・&bold(){大山悠輔} [[阪神タイガース]]所属。 阪神の主力選手の一人で、三塁手として結果を残した後ポジションの兼ね合いで一塁に回った。入団当初の評価はあまり高くなかった((ドラフト指名時に1位指名にも関わらず阪神ファンから悲鳴が起きてしまう程。))が、入団後は結果で周囲を黙らせ、阪神の主軸に成長し2023年の38年ぶりの日本一に貢献し、2024年オフにFA宣言するも残留を表明した。 ・&bold(){タイラー・オースティン} [[横浜DeNAベイスターズ]]所属の[[アメリカ]]人内野手。本職が一塁手だが、当初はポジションの兼ね合いで右翼での出場が基本だった。 能力は非常に高く出場すれば活躍は期待できるが、全力プレーの代償か怪我が多いのがDeNA首脳陣&ファンの悩みの種。 ・&bold(){ホセ・オスナ} [[東京ヤクルトスワローズ]]所属のベネズエラ人内野手。 同僚のドミンゴ・サンタナとのコンビは現在のNPBでは『&bold(){最強助っ人コンビ}』と言える。 ・&bold(){鈴木大地} 某金メダリストと[[同姓同名]]の野球選手で、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]所属。2019年オフにロッテからFA移籍。 元々は二遊間や左翼を守るユーティリティープレイヤーであったが、ベテランになった現在では一塁や三塁を守ることが多い。 ・&bold(){ネフタリ・ソト} [[千葉ロッテマリーンズ]]所属。 プエルトリコ出身のスラッガーで、『打点製造機』と言っていい程打点を稼ぐ技術に長けている。 元々は横浜DeNAで助っ人らしい活躍を見せ、2023年オフに自由契約となっていた所ロッテが拾った。 右翼手での大きいミスの印象で守備難と見られがちだが、実は一塁手としての守備指標は優秀で、本人がゴールデングラブ賞獲得へのアピールを行っていたほど。 ・&bold(){頓宮裕真} [[オリックス・バファローズ]]所属。 本来の登録ポジションは捕手だが、一塁手としての出場が圧倒的に多いためこちらで紹介。 大学日本代表の捕手として活躍し、2018年にオリックス入団。 チームの捕手が若月健矢、森友哉、石川亮と四番手捕手の扱いとなった為、出場機会を求めて一塁手、指名打者として試合に出場。 2023年シーズンの終了後にはパ・リーグで打率.307で首位打者と一塁手部門でベストナインを初めて受賞。 メジャーに移籍した山本由伸とは実家がお隣さんで、由伸在籍時は球団がバラエティーで漫才コンビを結成、「おとなりさん」という名前で活動していた。 ・&bold(){中田翔} [[中日ドラゴンズ]]所属。 元々は[[日ハム>北海道日本ハムファイターズ]]の主軸として活躍していたが、紆余曲折を経て現在は中日ドラゴンズに所属。若い頃は外野(左翼)を守っていたが、&s(){札幌ドームの人工芝のせいで}故障が増え転向。 打点王に3度輝いた打撃も勿論のこと守備でも評価が高く、一塁手として史上初めてセ・パ両リーグでゴールデングラブ賞を獲得している。 ・&bold(){中村晃} [[福岡ソフトバンクホークス]]所属。なお入団後しばらくは外野手としての出場が多く、現在も外野手として登録されている。 スラッガータイプの一塁手ではないが、選球眼や打席での粘り強さがウリのいぶし銀。 守備については2013年に69試合の出場にも関わらず同年の一塁手における最多失策を記録するなど上手いとは言い難いレベルにあったが、みるみる上達し2020年から2023年にかけてゴールデングラブ賞を4年連続受賞((小笠原道大に並ぶパ・リーグタイ記録))。現役選手の中では一塁守備の上手さは中田と並んで一、二を争う。 ・&bold(){山川穂高} [[福岡ソフトバンクホークス]]所属。 元々は[[西武>埼玉西武ライオンズ]]の二代目おかわりと呼ばれ若手の頃から打力には定評があったものの、一塁しか守れなかったため同時期のチーム打低を支えた助っ人本塁打王エルネスト・メヒアとの競争でなかなか一軍に定着できなかった。 その後見事レギュラーを勝ち取りしばらくの間山賊打線の主軸を務めていたが、紆余曲折を経て2023年オフにFAでSBに移籍。『&bold(){どすこい}』の人。 **《OB選手(NPB経験者)》 ・&bold(){[[新井貴浩>新井貴浩(野球選手)]]} [[広島>広島東洋カープ]]と阪神で活躍、FA宣言時の会見での口下手から一時はファンから強くヘイトを集めたりもしたが、最終的に皆から愛される存在となった名打者。 守備位置別出場試合数はファーストとサードが半々程度(若干サード多め)で、ファーストとしてはゴールデングラブ賞を獲得した2008年やMVPを獲得した2016年が印象的。 失策の多かったサード守備と違い、ファースト守備はガタイのデカさもあって優秀な方だった。 詳細は[[当該項目>新井貴浩(野球選手)]]参照。 ・&bold(){五十嵐章人} ロッテ、オリックス、近鉄のパ3球団を渡り歩いたユーティリティープレイヤー。 内外野どこでも守れたが、通算では一塁手としての出場が最も多かった。 1995年に急造捕手を、2000年に敗戦処理としての登板を経験し、史上2人目となる全ポジション出場を達成することに。 通算26本塁打ながら、全打順本塁打という珍記録も達成している。 ・&bold(){石井浩郎} 近鉄~巨人~ロッテ~横浜と渡り歩き、現在は参議院議員を務める(自民党所属)。 巨人時代は野球に対する真摯な姿勢と侍のような佇まい、古風な角刈り頭で話題を集め、 日本テレビの情報番組『THEサンデー』において「拝啓 石井浩郎です」という特設コーナーができた。 ・&bold(){李承燁(イ・スンヨプ)} 韓国人最強打者として当初はMLB志望だったものの、一塁しか守れないことでMLB球団とは契約で折り合えず、千葉ロッテに入団。05年の日本一にも貢献したが、監督のボビー・バレンタインの起用法に不満を抱き巨人へと移籍。巨人一年目の06年は打率3割40本100打点をクリアする主砲らしい活躍をするがその後は右肩下がりで成績は落ちていった。 NPB晩年はオリックスにも在籍したが、李本人が「このひどい成績でチームに置いてもらう方がとんでもないこと」として退団を要望し、結果的に李の希望通り複数年契約の破棄が認められ、韓国プロ野球へ復帰。成績は悪いがそれを素直に認められる人格者として今なお評判が高い((概ね同時期かつ同じくKBO出身の金泰均が日韓双方の野球ファンから人格面を批判されていたという事情もある。))。 現在はKBOの斗山ベアーズ監督として活躍。 ・&bold(){タイロン・ウッズ} 00年代中盤の中日黄金期で活躍したアメリカ人スラッガー。 実はMLB経験がなく、韓国球界を経由してNPB(横浜・中日)で大成したという経歴の持ち主。 本拠地がナゴドの中日でも本塁打王を獲得する程の打撃力を持っていた反面、かなりの守備難で一塁での捕球ミスもしばしばあった。&s(){その割を食ったのが送球エラーと判断されたアライバコンビである。} 李承燁とは韓国時代からのライバル関係であった。 ・&bold(){榎本喜八} 元祖『&bold(){安打製造機}』。現役時代は毎日(のちロッテ)オリオンズの中心選手だった。 NPB史上最年少の2000本安打達成者であり(31歳7か月)、その打撃フォームは張本勲に「左打者の理想」と言わしめている。 野村克也や稲尾和久といった同時期の選手たちが口を揃えて「最も恐ろしい打者」と評する等、その打棒に関する逸話には事欠かない。 &s(){あまりにも求道者的な気質と神経質かつ繊細な性格だった事からネガティブな逸話もそれなりに残している面もあり、ある意味プロの場で壊れてしまった悲運の選手とも言える。「名球会在籍経験者で唯一、&bold(){引退後に一切野球に携わらなかった男}」((なんならその名球会すら一度も会合に参加せず、「事実上、榎本側の希望で退会」として除名になっている。一方で当時を知るファンからのファンレターやサイン要望には亡くなるまでずっと非常に積極的で、氏の長男は「届いたものはかならず読んでいたし、サインをください!と記されていれば絶対に快く書いて送り返してあげていた」と述べている))など} 早くからトレーニングに武道を取り入れており、これが高校の後輩でもある王貞治の一本足打法完成の一端を担うことにもなる。 守備は入団時には下手の烙印を押されていたが、のちの猛特訓で通算守備記録2147試合、20859守備機会、19625刺殺、1137捕殺、1489併殺とすべてがパ・リーグ記録を樹立するほどの名手になった。 ・&bold(){王貞治} ご存じ『&bold(){世界のホームラン王}』。高校時代は投手であったが、プロ入り後は一貫して一塁手に。 『一本足打法』『フラミンゴ』とも称えられた片足を上げながらの特徴的なフォームが代名詞で、 当時の野球少年はこぞって動きを真似た他、ピンクレディーの歌謡曲『サウスポー』でも高らかに歌われている。 現役時代は三塁を守る長嶋茂雄と共にプロ野球を象徴するスーパースターであり、 二枚看板の『ON砲』として長きに渡ってチームを牽引。 通算868本の世界記録の本塁打を放ち、引退後は巨人やホークスで監督を務めた。 いかんせん打撃成績がすごすぎてそちらばかりに焦点があたり、守備に関する取材を受けることは稀有だが、長く守った経験とプライドから御本人は「一塁手の守備をなめてもらっちゃ困る」と重みのあるコメントを残している。 実際のところ、相手打者が送りバントをしようものなら猛然とダッシュして2塁送球ホースアウトを狙う積極守備が信条であった。 ちなみに初代国民栄誉賞受賞者かつ2024年現在唯一の外国籍受賞者(父親が中国大陸からの移住者)だが、この賞自体元々王貞治の868号を顕彰するためにできたもの。 ・&bold(){大杉勝男} 東映フライヤーズ(現在の日ハム)、ヤクルトで活躍したホームランと打点の記録がともにNPB歴代9位の選手。 1967年に、当時のコーチ飯島滋弥に「月に向かって打て」と言われて開眼((「デーゲームの時はどこへ打てばいいんですか」と後年、この言葉で指導を受けた某選手が突っ込んだ))。 バットに深いこだわりを持ち、普段は850gの軽量バットを利用していたが、体調に応じて重さをこまめに変えていた。 また普段から手入れを欠かさず、牛骨を使って木目を締めていた。 引退の際の会見で「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」という句を詠んでいる。 1992年に死去、名球会会員最初の物故者となった。 ・&bold(){小笠原道大} 『ガッツ』『北の侍』。 元々は捕手だったが打力を活かすためにプロ3年目に一塁手にコンバートされ、日ハムの『&bold(){バントをしない二番打者}』としてブレーク。その後は日ハム・巨人の両チームで主軸として活躍しシーズンMVPを受賞するなどクリーンアップを打つ打者へと変わっていった。現役晩年は中日で過ごす。 三塁でベストナイン獲得経験もあるなど、『三塁も守れる一塁手』のタイプ。 ・&bold(){[[落合博満]]} 『&bold(){オレ流}』。現役時代は史上唯一三冠王を3回獲得するなど球史に残る大打者で、若い頃は二塁や三塁も守っていた。引退後は中日の監督に就任し黄金期を築き上げた。 この人も打撃や監督時代のことがフィーチャーされがちだが、守備に関しては「一塁が内野守備の中で一番難しい(守備に関わることが一番多いため)」という考えの持ち主。 詳細は[[当該項目>落合博満]]参照。 ・&bold(){トーマス・オマリー} 主に阪神、ヤクルトで活躍した一塁手。 当時は顔が俳優のロバート・レッドフォードないし、アメリカ大統領のビル・クリントンに似ているとネタにされた。 阪神ではパチョレックとの絡みで三塁手を守る事もあったが、基本的に一塁手。 日本での在籍期間6年間で、全て規定打席に到達し、通算打率も.315、出塁率.422、OPS.941と成績は良かったが、阪神ファンやフロントがバースの再来を求めており、本塁打と打点が足りない事、守備はサボりがちな事((守備中にバントシフトをとらないなど怠慢な姿勢も見られた。))を理由に在籍4年で自由契約。 &s(){退団前にリリースした「オマリーの六甲おろし」は破滅的な歌唱力を堪能できる迷曲として一部に有名}((しかもオマリーの母語であるはずの英語部分の方がヒドいというおまけつき)) ヤクルトがジャック・ハウエル、広澤克実を巨人に引き抜かれて、その穴埋めにオマリーとロッテからヘンスリー・ミューレンを獲得。 オマリーは規定打席に到達、打率.302、打点87、本塁打31、出塁率.429、OPS.999を記録、日本プロ野球史上外国人選手としては初の、ペナントレース・日本シリーズ・オールスターゲームの3つでMVPを獲得した選手となった。 翌年も規定打席に到達、打率.315、打点97、本塁打18、出塁率.407、OPS.888を記録。 しかし、ヤクルトとは編成上の理由で退団。 現役引退後は、阪神の特命コーチやスカウトとして活躍。スカウトとしてはハズレばっかりだったものの、現在の阪神の外国人獲得の方針である「&bold(){まず、人格面に問題がないこと}」は実はオマリーが駐米班主任だった時に作ったルール((顕著なのは「成績はクソやけど2軍コーチとムード盛り上げ将軍としては100点満点」という証言がメチャクチャ多いケビン・メンチなど))。現代でもこの方針から比較的日本に定着する選手を多く輩出している。 ・&bold(){加藤秀司(英司)} 阪急黄金期を支えた選手。社会人時代から福本豊とはチームメイトであり、同期入団となる。 主に3番を打つことが多く、この当時の阪急は「1番福本が出塁~盗塁 2番大熊が福本を進塁させる 3番加藤が福本を生還させる」という黄金パターンを形成。打点王を3度獲得する。1982年オフに広島へ移籍。その後、近鉄~巨人~南海と渡り歩いて87年に引退。プロ入団当初の落合博満が参考にした打者の1人に加藤の名を挙げている。 ・&bold(){アレックス・カブレラ} 00年代のパリーグを代表するスラッガー。タフィ・ローズとならびパリーグのシーズン本塁打記録保持者。 規格外のパワーを武器に主に西武・オリックスで活躍。特徴的な打撃ファームを真似した当時の野球少年も多い。 ・&bold(){川上哲治} ご存じ『&bold(){打撃の神様}』。NPB史上初の2000本安打達成者であり、読売巨人軍栄光のV9時代の監督でもある。高校時代は投手であったが、プロ入り後は投手兼任一塁手を経て一塁手専門に。 打撃の評価に対して守備の評価は基本ボロクソで、「捕れない送球は取りに行かない」というスタンスのせいでチームメイトからも不評だったとか。 ちなみに「高校野球で試合に敗れた際に、甲子園の土を持ち帰った最初の人物」であるともされている。 ・&bold(){清原和博} 『&bold(){球界の番長}』『&bold(){KKコンビ}』『&bold(){無冠の帝王}』。 名門PL学園で通算13本塁打という未だ破られぬ記録を達成。 無論巨人入りを熱望していたが、直前に巨人が桑田指名に切り替えたため涙を見せて西武入り。 西武入団後、高卒一年目で規定打席到達かつ3割30本、そしてパリーグの高卒新人王という大記録でデビューし、以降の西武黄金時代を支えた。その人気たるや[[野球要素がどんどんなくなっていったギャグマンガの主役>かっとばせ!キヨハラくん]]((ただしキヨハラ期は一応野球漫画の色はまだ濃く、本格的にドタバタ・不条理なうえにプロ野球要素無しになるのは[[『マツイくん』>ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん]]の頃のが強い))になるほど。 また、オールスターでは入団1年目でMVP獲得後、通算打点とMVP獲得数で最多記録を達成。通常の試合でもサヨナラホームランの日本記録を達成し『&bold(){お祭り男}』とも呼ばれた。 打撃と被死球(通算196で日本記録保持者)&s(){とキンタ●マついとんのかゴルァ!}のイメージが強すぎるかもしれないが、長身を活かしたファースト守備に定評があった。 96年オフに憧れだった巨人に移籍したが、その時期になると無理な[[肉体改造]]に伴うイージーミスも目立った。 現役末期はオリックスに移籍し、オフにあの[[吉本新喜劇]]にも出演したことがある。 引退後は‥‥。だが、元々の人柄もあり人望が厚かったこともあり、野球解説者・評論家としての仕事を再開できている。 ・&bold(){銀次(赤見内銀次)} 2006年楽天入団時は「宇部銀次」だったが、家庭の事情により赤見内に改姓。すると、当時の監督野村克也から「呼びにくい」と言われて登録名が銀次になった。 当初は捕手だったがほどなく内野手に転向し、メインの一塁だけでなく二塁、三塁の守備もこなした。 内角球をわざと詰まらせてレフト前に落とすなど高度な打撃技術をもち、左打者ながら左投手を苦にしない。 2019年の試合では控え捕手がいなくなったため一軍公式戦で初めてマスクを被り、4イニングを無失点に抑えて盗塁も刺すなど急造捕手としては異例の活躍を見せた。(ちなみにこの年初めて盗塁を刺したのはこの試合の銀次。) 2023年に引退し、球団のアンバサダーに就任。 ・&bold(){小早川毅彦} PL学園が野球名門校に変貌していく際の中心人物で、法大を経て広島に入団。 「赤ヘルの若大将」と呼ばれ、山本浩二、衣笠祥雄の後継者として打線の中軸を担う。 1987年9月に、当時の巨人のエース江川卓からサヨナラホームランを打ち、江川に引退を決意させたといわれている。また1997年にはヤクルトに移籍し、巨人の当時のエースで3年連続開幕戦完封勝利をおさめていた斎藤雅樹から開幕戦でホームランを3発放ち、巨人ファンからは『&bold(){エース殺し}』と恐れられていた。&s(){なお、広島時代のニックネームは「バゴーン」。} ・&bold(){駒田徳広} プロ初打席で満塁本塁打を打つなど満塁時の無類の強さが特徴で、通算本塁打数におけるグランドスラム率の高さが群を抜いている『&bold(){満塁男}』として有名。 巨人→横浜で活躍し、2024年現在まで巨人生え抜きで国内他球団にFA移籍した唯一の選手である。 横浜時代の1998年は「[[マシンガン打線]]」の5番打者として優勝にも貢献した。 一塁手としてのゴールデングラブ受賞10回はNPB歴代最多で、守備技術は歴代トップクラス。&s(){ただしフライ処理には大いに難あり。} ・&bold(){Tー岡田} [[オリックス・バファローズ]]一筋で活躍したスラッガー。本名は『&bold(){岡田貴弘}』。 高校時代は『浪速の四天王』として注目され、2010年は本塁打王を獲得するなど、10年代のオリックスを長らく支えてきた。 チーム事情で主に左翼を守るが、一塁守備力も評価が高い。 2022年以降は成績不振に苦しみ、2024年シーズン限りでの現役引退。 ・&bold(){オレステス・デストラーデ} 西武黄金時代を支えた両打ちの名打者。西武時代は主に指名打者として活躍していたが、本職は一塁手である。 眼鏡姿の黒人選手という独特の見た目と、本塁打時の「Boom!」というガッツポーズが印象に残っている人も多いだろう。 NPBでも5人しか達成していない&bold(){3年連続本塁打王を獲得}した強打者。この記録を達成した92年のオフに退団したが、95年に復帰。しかし往年の打棒は見る影もなく、大差がついた負け試合の終盤に投手起用されたこと以外は記憶にないという人も多い。 その後、2024年シーズン途中に西武アドバイザーに就任。 ・&bold(){中畑清} 『&bold(){絶好調男}』『[[ヤッターマン]]』『バックスクリーン男』の愛称があり、80年代の巨人の主力選手。現役時代はゴールデングラブ7回と守備も一流だった。 &s(){でも当時の監督に「ふたりの性格を考えると中畑がサード、原がファーストのがもっと良かったかもしれませんね」と言われてしまったらしいが。} 後に初代[[横浜DeNA>横浜DeNAベイスターズ]]監督を務め、当時弱小チームだった黎明期のDeNAの現在に至るまでの土台を築き上げたことから、現在でもファンのみならず当時のナインから慕われている模様。 「いやー日本一になってよかったですねぇ!&bold(){まあ僕はできなくてDeNAの監督辞めさせられた}んですけど」の発言に涙した横浜ファンは数知れず。 ・&bold(){ランディ・バース} 1985年の阪神日本一に貢献したNPB史上1、2位を争う助っ人。 阪神ファンにとっては神と呼ばれることもあり、引退から35年以上経過した今でも知名度は高い。 本名はバスであるが、登録名はバースとなった。これはスポーツ新聞で「バス大爆発」「バス急ブレーキ」と書かれるとバス会社を保有する親会社的に縁起が悪いと判断されたため。 1985年と1986年には2年連続で三冠王を獲得。特に1986年に記録した&b(){シーズン打率.389}はあの[[イチロー]]をも上回り、&b(){2024年現在でもNPB史上最高記録}。 1988年シーズン途中に球団とのトラブルから退団してしまい、この退団が暗黒時代を招いたとも言われている。 その後はオクラホマ州ロートン市の市会議員として活躍。 現在はある程度阪神やNPBとの関係も修復されており、OB企画に登場することも多い。オカダ(岡田彰布)やヒラタ(平田勝男)はいまでも盟友。 阪神に新外国人が入団すると在阪マスコミは彼のような活躍に期待して『&bold(){バースの再来}』『&s(){&bold(){バースの再来の再来}}』と呼ぶことも多い。 ・&bold(){ダヤン・ビシエド} 中日ドラゴンズで長らく活躍したキューバ人助っ人、かつて筏に乗って亡命した経歴があるという壮絶な過去の持ち主。長らく中日で活躍したために国内FA権を取得したため、外国人選手で日本人扱い((国内FA権を取得したことで外国人枠が適用されないため。))を受けることが可能な稀有な選手。 若い頃はMLBでレギュラー選手として活躍したシーズンもあるなどバリバリのメジャーリーガーだった。 2024年限りで中日退団し、現在去就は未定。 ・&bold(){セシル・フィルダー} トロント・ブルージェイズ在籍時、出番に恵まれず出場機会を求めて阪神に移籍する。 阪神はバースが退団した直後で4番打者をを探していた。そこにフィルダーがハマった。 春季キャンプでチームメイト御子柴進のサイドスローが全く打てず、コーチと特訓して開眼する。対大洋戦だけで16本ホームランを打ち、大洋ファンは震え上がった。 NPB在籍は1989年の1シーズンのみで、すぐにデトロイト・タイガースに移籍した。 世にも珍しい「タイガースからタイガースに移籍した選手」となったフィルダーは、日本での経験を活かして2年連続で本塁打王、打点王の2冠を獲得。 同じくNPBからの出戻りビル・ガリクソンとともにチームに大いに貢献し、地元紙に「デトロイトが受け入れた唯一の日本製品」と称された((当時のデトロイトは、主要産業の自動車産業が日本からの輸入車により苦戦しており、日本に対する反感が強かった))。 ファミスタシリーズのMチームで「おひるだ」のモデル。 ・&bold(){ブーマー・ウェルズ} セ・リーグでバースが無双していたころ、パ・リーグにはブーマーがいた。 [[身長]]200㎝、体重100㎏の巨体で阪急ブレーブスの4番を務め、1984年には史上初のNPB外国人3冠王にもなっている。守備においてもゴールデングラブ賞を2度獲得しており、守備が上手くなる秘訣は「自分が偉大な一塁手だ」と思ってフィールドに立つことだとコメントしている。 なお、本名はグレゴリー・ウェルズであり、「ブーマー」は「ブームを呼ぶ男」という意味を込めて命名した登録名である。 オリックス・バファローズに変化した現在でも「&bold(){阪急・オリックス球団史上で最強の助っ人}」に名前が挙がるなど、今もなお語り継がれている。 ・&bold(){福浦和也} 現役時代は[[千葉ロッテ>千葉ロッテマリーンズ]]一筋で活躍した『&bold(){幕張の安打製造機}』。元々は投手だったが一塁手に転向し00年代~10年代のロッテを支えた。駒田と同じく一塁守備はかなり上手い。自身の引退試合を締め括ったファーストライナーのダイビングキャッチは必見。 [[2000本安打>2000本安打(プロ野球)]]を達成し、2018年に名球会入り。試合後の会見では翌年の現役続行を宣言したが、2019年に選手兼任で二軍打撃コーチに就任、球団から「コーチ職に重きを置いて」と言われ、結果的に2000本ちょうどで引退している。 &s(){千葉マリンスタジアムの元名物ウグイス嬢・谷保恵美は「ふくうら」のコールを苦手としていた。} ・&bold(){フリオ・フランコ} 1995年と1998年に千葉ロッテマリーンズに在籍した一塁手(二塁手)。 その前はテキサス・レンジャーズ時代の1991年に打率.341で首位打者を獲得する等バリバリのメジャーリーガーだった。 1995年、MLB史上最長のストライキによる影響とテキサス・レンジャーズ在籍時の監督で同年から千葉ロッテマリーンズの監督に就任したボビー・バレンタインの誘いを受けたことによりロッテに入団。 日常生活や練習態度まで野球に真摯に向き合う姿勢に多くのマリーンズナインが感銘を受けるようになった。 シーズン途中から4番を任され、リーグ3位の打率.306、10本塁打、58打点の成績を残し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。 10年ぶりのAクラスとなる2位に躍進する原動力となった。 バレンタイン監督がフロントと対立して退団、一緒に退団した。 1998年に選手会の強い要望でロッテに復帰。 近藤昭仁監督から主将に任命されてチームを牽引した。 打率.290、18本塁打、77打点の成績を残してベストナインにも選ばれたが、チームはプロ野球記録の18連敗を喫するなど最下位となったことで「貢献度が低い」という評価を下され、2度目の来日も1年で退団した。 それから時は流れ、2015年に日本の独立リーグBCLの石川ミリオンスターズに&bold(){選手兼任監督として入団}。入団時点で57歳という高齢もあってファンから大いに驚かれたが、この1年限りで退団している。 ・&bold(){ロベルト・ペタジーニ} 90年代後半~00年代前半に活躍したベネズエラ人スラッガーで巨人時代の松井秀喜の[[ライバル]]。 主にヤクルト、巨人で活躍し、25歳年上の『&bold(){オルガ夫人}』は当時有名だった。現役晩年にはソフトバンクにも在籍。 三年連続でゴールデングラブを獲得するなど守備力も悪くなかった。 巨人時代にはチーム事情から外野を守ったこともあるが、この時の守備は……。 ・&bold(){[[松中信彦]]} 90年代後半~00年代のホークスで主軸として活躍した、&bold(){平成では唯一の三冠王}。 詳細は[[項目>松中信彦]]参照。 ・&bold(){松原誠} 捕手として大洋ホエールズに入団したが、4年目に一塁手のレギュラーの座を獲得。以降、19年にわたり大洋の中心選手として君臨。 また、日本プロ野球選手会を社団法人化させ、選手の地位向上にも奔走した。 2000本安打も達成し名球会入りしたが、リーグ優勝経験のない2000本安打達成者は当時、土井正博と松原だけであった。 その後、現役最晩年に巨人に移籍し、優勝と日本一を経験して引退。 ・&bold(){谷沢健一} 現役時代は中日一筋17年。左の巧打者として首位打者を2回獲得しているが、1回目の1976年(.35483)は2位の張本勲(打率.35477)と僅か.00006(6糸)という現在でも最も僅差の争いを制しての獲得だった。 1歳上の[[星野仙一]]が監督就任するにあたり、大学時代からの因縁((星野は明治、谷沢は早稲田出身だったため。))から引退を決意したとされている。 通算2062安打で名球会入りしていたが、現在は退会扱いになっている。 ・&bold(){山崎武司} 元々は中日に捕手としてプロ入りするも、その後外野手にコンバートされ、さらにその後再びコンバートで一塁手となる。 本塁打王を獲得するなど活躍したが、オリックスへの移籍後は力を発揮できず戦力外となる。 そのまま引退か……と思われたが、創設間もない楽天で野村克也監督の下まさかの大復活を果たし、40近い年齢で本塁打王&打点王を獲得するなど黎明期の球団を支える。最後は古巣中日に戻って勇退した。 観客の野次に怒鳴り返す、ガルベス投手との乱闘、火災現場に居合わせ人命救助で表彰されるなど、ネタエピソードもてんこ盛り。 あだ名は風貌と性格、それに「たけし」という名前から『[[ジャイアン>ジャイアン(剛田武)]]』。&s(){またはジャーマン、邪魔崎。}((「邪魔崎」は第一期中日末期に低迷し邪魔者扱いされたことから。後にこれが変化して「ジャーマン」となり、こちらは軽蔑の意図はない純粋なニックネームとして用いられることも多い。)) &s(){あと「ラジコン界で最もどっちが本業かわからん男」山本昌と戦友になれるくらいラジコンが上手い。} ・&bold(){ホセ・ロペス} MLBのマリナーズ時代にはシーズン25本塁打・96打点を記録した事もあるスラッガー。メジャーデビュー時は遊撃手、後に二塁手・三塁手として活躍していたため、NPBでも他の選手が一塁手として出場する際は二塁・三塁を守ることもあった。 2013年オフに巨人が獲得し日本でも活躍を見せたが、生え抜きスラッガーである阿部慎之助の本格的なファースト転向などのチーム事情から放出される。 2015年からは横浜でほぼ不動のレギュラー一塁手として大活躍。[[筒香嘉智]]、宮崎敏郎と共に強力クリーンアップトリオを形成し、2017年シーズンには3割・30本塁打・100打点を達成した。 一塁手としては送球・ショートバウンド捕球どれを取っても超優秀。チームとして特に内野守備力が未熟であったベイスターズ内野陣の悪送球を一身に捕り続け、チームの守備力向上に大きく貢献。ファンからは「ウチの守備の要はロペス」と評された。2018年にはシーズン守備率10割、同年を含む2017年から2019年にかけて連続無失策のNPB記録を樹立している。 ・&bold(){渡邉博幸} 現役時代は中日一筋でプレー。守備に定評があり、落合監督に重用され00年代中盤の黄金期を支えた。 2004年には規定打席未到達ながらゴールデングラブ賞を受賞。これは一塁手部門としては初の事例であり、このポジションがいかに打撃重視であるかを示すものとも言える。 ウッズ加入後はスタメンから外れることも多かったものの、終盤の守備固め要員として存在感を示した。 引退後も引き続き中日でコーチ(引退直後など、一時期球団職員だったこともある)を務めている。 *【主な架空の選手】 **漫画・ゲーム ・&bold(){&ruby(あずまゆうへい){東雄平}} 漫画『クロスゲーム』の主要人物。 左投げ左打ちの一塁手。 星秀学園高等部野球部の「野球留学生」。 高校生としてはトップクラスの実力で、弱点がなく、その長打率は8割を超える。 送りバントをダブルプレーにするなど守備も上手く、足も速い。 バッターとしてのスタイルは、実況アナウンサーによれば 「鎧ごと叩き斬る剛剣の迫力」 との事。 複雑な家庭環境や人間関係を抱え、[[自己中心的]]で攻撃的な性格をしていたが、主人公たちと接していくとともに穏やかになる。 アニメ版でのCVは[[櫻井孝宏]]。 ・&bold(){&ruby(あぼりきや){安保力矢}} 漫画『&ruby(ぶりき){錻力}のアーチスト』の登場人物。 主人公•&bold()&ruby(きよさくゆう){清作雄}が所属する神奈川県立桐湘高校野球部員。 二学年上の3年生で右投げ右打ちの五番•一塁。 高校入学と同時に入部直後に行われた1年対2・3年の紅白戦で活躍し、当時の先輩を押し退けて4番入りした。 しかし、1年後の紅白戦で&ruby(にしきさとし){弐織敏}が3本のホームランを打ち4番の座を奪われた。 全国にはバケモノがゴロゴロいると知って腐ってしまう。 以降練習をサボるようになり、減量を命じられてもお菓子や清涼飲料水を隠れて飲み食いし、 &color(#F54738){「ブタ野郎」} &color(#F54738){「コレステロール先輩」} とあだ名を付けられてしまう。 主人公と出会い、ど突き漫才みたいなやり取りをしている内に、かつての情熱が戻って来るが、不摂生によるブランクから思う様に身体が動かない事もしばしば。 それでも、力や駆け引きなどを駆使して、自分の今のベストを尽して時々、活躍している。 ・&bold(){&ruby(いっしききよし){一色清}} 漫画『4P田中くん』に登場するライバル校の一塁手。 中学時代は東京を代表する速球派の左腕で強打者だったが、&ruby(さんぽうじこうこう){三宝寺高校}に進学してから野手一本に絞る。 主人公・&ruby(たなかきゅうじ){田中球児}を才能が無いチビと見下し、直接対決で2打席連続本塁打を放つなど、序盤は圧倒したが、第三打席で三振を奪われた。 第四打席では精彩を欠いた田中から代わった東山と対戦、三振を喫する。 1年後の夏の選手権大会•北東京大会決勝で再戦。 当時の負けた原因を田中の学習能力の高さに求め、田中を他のチームメイトを違う攻め方で分断し、学習能力を封じ込めた。 意図は良かったが、チーム全体に徹底されなかった為、学習能力が機能し、先制するも逆転負けを喫する。 対戦した田中も「美しい鬼」と敬意を表している。 ・&bold(){&ruby(かみしもさゆうた){上下左右太}} 『[[ドカベン]]』において、明訓高校・山田太郎世代の2年後輩にあたる。 左投げ左打ち、長身細身で守備の評価はなかなか高く「球際に強い」「ボールに対する執着心がすごい」と山田太郎に評され、実際に3塁岩鬼からの悪送球も難なくさばく傾向にある。 しかし打撃に関しては、水島先生から冷遇されていたのかほとんど描かれず、おもにバント要員。 まぁそもそも明訓は山田、岩鬼、殿馬、里中、微笑以外は壊滅的に打てないが…。 ・&bold(){[[清本和重>清本和重(パワプロ)]]} 『[[実況パワフルプロ野球>歴代サクセスモードの主な登場人物一覧(パワプロ)]]』シリーズの登場人物。 初登場作品『[[パワプロ11>サクセスモード(パワプロ11)]]』では三塁手だったが近年は一塁手を務めることが多い。パワーAは勿論''強打者三点セット''((パワーヒッター・チャンス5・広角打法の略。ただし、上記の55本塁打記録保持者だった王・カブレラや三冠王を獲得した落合・バース・松中とは違い威圧感は持っていない))を持った『パワプロシリーズ』歴代最強クラスの打者で、当時は異様に手厳しい打撃ルーチンと合わさり((具体的に言えばアウトロー本当にすれすれに投げ込まないとボール球は見送り・ストライクは真芯。さすがに問題視されたのか、以降の作品で清本と対戦しないといけない場合は他の似たような対戦機会になるチームと同程度の思考ルーチンになっている))投手育成中の数々のプレイヤーに[[トラウマ]]を植え付けた。 詳細は[[項目>清本和重(パワプロ)]]参照。 &s(){経緯上、モデルがノリさん説と清原説あってよくわからない。2人のミックスか。} ・&bold(){滝本太郎} 同じく『パワプロ』シリーズの登場人物。ずば抜けた打撃能力と及第点の守備能力も兼ねた選手で、清本が出る前は最強ファーストの代表者であった。 &s(){[[冥球島]]にも出て同じく強打者扱いだが、こちらは次の試合が固定され、しかもそこの在籍選手が今一つな奴らばかりな為人気無かったが。} 現在は清本と共に西強大学に所属する事が多く、二大スラッガーの名を欲しいままにしている。 ・&bold(){ガジェット落合(落合正)} 同じく『パワプロ』以下同文。冥球島編の[[アンドロメダ学園]]所属。この時期はまだ「落合」という名の半モブ選手。脅威のパワー200+パワーヒッター+一塁手としては申し分ない守備能力(BBC)と、冥球島全体でも最強クラスの一塁手((ただし、所属しているアンドロメダ学園ではモブの能力次第では控えになる事がたまにある。))。更に滝本と違いこちらのルートでは鋼毅や野球マスクなど多くの強キャラが加入出来る為、人気のある選手だった。 ……その後はまったく音沙汰無いものの、 ''初登場から約20年後''のアプリ版にて突如本名と外見(スキンヘッド+巨漢+スカウターみたいなゴーグル……%%すなわちナッパ%%)が発覚され再登場……という数奇な経緯を持ったキャラ。 パワフェスでもあの強豪チームアンドロメダ学園のスタメンにいるだけあり、近年また存在感を上げたキャラ。 &s(){結果アンドロメダは「正直誰を借りても良いからかえって悩む」というオイシイ立ち位置に。} ・&bold(){&ruby(こばやしこてつ){小林虎鉄}} 漫画『最強!都立あおい坂高校野球部』に登場する一塁手。 大きな体格でべらんめえ口調で話す。円陣でチームを纏める事の多い兄貴肌。 右投げ右打ちのパワーヒッターで攻撃の中核を担う。 [[三塁手>三塁手(サード)]]も守れる。 仲間からは「鈍足」と呼ばれることもあるが、ベースランニングの技術が悪くて遅いだけで、打球反応が良く、鋭い当たりを度々好捕しているなど、守備は上手いので、敏捷性や反応速度は速い。 チームでは四番を打つ。 ・&bold(){団長} [[FLOWER KNIGHT GIRL]]に登場する主人公でプレイヤーの分身。 野球…もとい&bold(){ベイサボール}をするというイベントで、9番ファーストを務めた。 …要するに打力も守備力も期待されていないのだが、その理由が他のメンバーが通常の人間の数倍の身体能力を持つ「花騎士」で構成され、&bold(){団長は数合わせ}だからである。 とはいえ一応騎士団の団長ということで最低限の身体能力はあり「キャッチできれば務まる」ファーストの守備は無難にこなしていた。&s(){流石に打撃の方は自動アウト装置であったが。} ・&bold(){&ruby(さいとうりんだい){斉藤輪大}} 漫画『名門!第三野球部』に登場する一塁手。 背が高く、手も足も長い、タコ唇の坊主頭、左投左打。 実家が寺なので剃っている。 普段は温厚なのだが、怒りスイッチが入ると途端に強打者に変貌し、「恐怖の9番打者」という二つ名が付く。 と言っても、&s(){[[妄想や思い込みで怒るのではなく>逃げ上手の若君]]}、 「間の抜けた顔」 と自身が呼ばれたり、相手が死球を与えても謝らなかったり、相手の味方に対するラフプレーなどで怒っており、意外と激しい気質の持ち主である。 また、どんなに激怒してもラフプレーはせず、 「グラウンドの借りはグラウンドで(正々堂々と)返す」 のが信条。 アニメ版のCVは[[二又一成]] ・&bold(){花形満} 有名野球漫画『[[巨人の星]]』の主要人物。 財閥の御曹司で主人公、星飛雄馬の[[ライバル]]で[[阪神タイガース]]所属。 リメイク版作品『新・巨人の星』では主人公を務めその際はヤクルトに所属。 所属チーム上、甲子園球場関係の企画だと飛雄馬を差し置いて『巨人の星』からの参戦メンバーに選ばれることがある((阪神電車の甲子園100年トレインにおける野球漫画キャララッピングなど。それ以外の作品も「甲子園本戦に行った」or「タイガースに所属した」メンバーに限定されている))。 ・&bold(){結城哲也} 『[[ダイヤのA]]』の主要人物。主人公沢村栄純が[[青道野球部>青道高校(ダイヤのA)]]入部時の主将。 他校からも一目置かれるスラッガーで青道野球部不動の四番打者。 卒業後は恩師・片岡鉄心の母校である明神大学へと進学した。 追記・修正は一塁手に詳しい人に補足して貰えると助かります。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,12) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - テイラーではなく「タイラー」オースティンです……怪我に関しては本当に困ってます…… -- 名無しさん (2024-08-14 00:03:27) - 何のための前進守備だ、みたいな珍プレーも見どころ -- 名無しさん (2024-08-14 00:36:14) - これから他のポジションの項目もどんどん作られてきそうだ -- 名無しさん (2024-08-14 01:12:52) - ベースに足を置いて捕球することが多いので柔軟性も結構いる -- 名無しさん (2024-08-14 09:43:17) - 打撃専で守備下手な恵体が入るイメージある。五番ファースト -- 名無しさん (2024-08-14 10:00:54) - 山川は一応サードも行けた気がする -- 名無しさん (2024-08-14 10:09:21) - 最近は俊足内野手のサブポジになってることも多い気がする(特にDeNAやロッテで) -- 名無しさん (2024-08-14 13:10:50) - プロでも慣れていないと左打者の場合は打球が恐ろしくてたまらないらしい -- 名無しさん (2024-08-14 20:18:42) - 守備に関しては追放モノ主人公並に評価されないポジション -- 名無しさん (2024-08-15 06:48:04) - センターラインと比べたら負担が少ないくらいの差なのに何故か軽視されがちなポジション。守備機会多いんだぞ! -- 名無しさん (2024-08-15 08:24:58) - 「ほかと比べると」って部分が大きい、一塁も大事だけど二遊間と比べると・・・ -- 名無しさん (2024-08-15 09:13:50) - このポジションについている野球漫画の主人公がイマイチ思い浮かばないくらい地味なポジション。ピッチャーキャラが疲労回復や怪我による一時離脱によってつくポジションというイメージがつよい。 -- 名無しさん (2024-08-15 09:18:02) - 当然ながら身体能力の高い若い選手の方が守備貢献高いし特に他のポジションも守れる選手ほどそうなりやすい。ただスタメン9人を考える時に守備難やベテランの打てる選手置いた方がトータルでバランス良いだけの話。 -- 名無しさん (2024-08-15 14:39:56) - 野球漫画でファーストポジションで主人公or一時的な主人公ポジのキャラって、キヨハラくんと本田茂治以外いたっけなあ? -- 名無しさん (2024-08-15 16:55:17) - ↑ミスフルの猿野天国はファーストだったの序盤の2試合だけだったからな・・・ -- 名無しさん (2024-08-15 19:50:42) - ↑細野 不二彦の「愛しのバットマン」。主人公のプロ野球選手•香山雄太郎が一塁手。 -- 名無しさん (2024-08-15 19:54:05) - 見てる側としては矢のような鋭いショーバン送球をしっかり捕球するってだけでも信頼度がダンチ。野手側も難しい体勢から不安定な送球しても取ってくれるなら思い切ってプレーできると思うし -- 名無しさん (2024-08-16 12:14:25) - プロの著名な選手もファーストの重要性についてコメントしてるしな。そりゃ守備の花形と比べればそっちに軍配が上がるが、決して楽な仕事ではない -- 名無しさん (2024-08-16 12:22:38) - 今は打球速度も上がって、無茶な体勢からお願い捕ってくれでぶん投げなきゃならん場面も増えてるからな。相対的に重要度が上がってるのは間違いない。 -- 名無しさん (2024-08-18 21:07:06) - ドカベンの土井垣ってファーストやってるイメージ。山田が来る前はキャッチャーだったみたいだけど。 -- 名無しさん (2024-08-20 18:18:43) - ロペスうまかったな…彼じゃなかったらただでさえ守備難なチームが崩壊してた 送球逸れた時ランナーにタッチする動きが鮮やかだった -- 名無しさん (2025-03-28 13:06:07) #comment() #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2024/08/14 Wed 00:00:00 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 10 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- &bold(){一塁手(ファースト)}とは、野球もしくはソフトボールのポジションの一つである。 *【概要】 &br() 野球やソフトボールにおいて、一塁を守るポジションである。 守備位置番号は「3」番。[[英語]]表記は「First-baseman」で略称は「1B」。&s(){なお掛布雅之は「フォアスト」と呼ぶ} 投手や他の内野手が処理した球を一塁で捕球し、打者走者をアウトにする事を主な仕事とする。 *【主な役割】 ・一塁手は守備につく際はグローブではなく&bold(){「ファーストミット」}という特殊なミットを用いる。&br()他の内野手が捌いたゴロの送球や投手が牽制球を試みる際、そのどちらも捕球することが一番多いポジションなので確実に捕球する技術が必要不可欠である。&bold(){野球におけるアウトの多くは一塁手が捕球しないことには取れない}。 ・・その為、少年野球や草野球といった競技レベルの低い環境ではチームの中で比較的守備が上手い人がつくことが多い。そうでないと試合が成り立たない恐れがあるからである。 ・一方、最低限の捕球技術はあって当然のプロレベルになると、逆に&bold(){守備が比較的下手な選手のポジション}として運用されることが多い。&br()もっぱら捕球する側なのでプレー内で送球を行う機会は限られ、端なので守備範囲も小さく、数少ない送球場面も判断に迷う場面は少なめ、飛んでくる送球もアマに比べれば正確に飛んでくる割合が高いので&bold(){極端に言えば「『来た球を捕る』ことさえしてくれれば良い」}ためである。 *【ポジションとしての特徴】 ・左手側がファウルグラウンド・右手側がフェアグラウンドになるため、内野手の中で唯一左投が不利にならずむしろ有利とされるポジションでもある。そのため過去に活躍したプロのOBでは左投の選手も多い((例として王貞治・松中信彦・福浦和也等。))。&br()また[[三塁手>三塁手(サード)]]は一塁も守れる選手が多いが、逆に一塁手が三塁を守れるケースは前出の利き腕の問題もあり半々といった所。&br()しかし高校野球レベルの強豪校でも時折左投げの三塁手がレギュラーを務めている事があり絶対不可能という程ではなく、一応プロレベルでも左投げの選手が三塁手を務めた例はある。 ・「逸れた送球を塁から離れずに捕りやすい」「送球する野手が見やすい」という利点があることから、どちらかと言うと高身長(かつ手脚が長い)の選手に適性があるポジションでもある。&br()また、逸れた送球を捕球する際は全力疾走してくるランナーと衝突する恐れもある事から、可能ならば大柄で頑丈な選手であるとなお望ましい。&br()こういった事情もあり、大抵大柄な体格であるスラッガータイプの選手を配置するのは色々と理にかなっている。 ・守備範囲に劣る選手が配置されがちなので、このポジションに俊足の選手がつくことはほぼない(そもそも俊足が活きるポジションではない)。&br()よって[[捕手>捕手(キャッチャー)]]と同じく『&bold(){一塁手=鈍足}』というイメージは全く間違いというわけでもない。&br()ただ、守備機会はピッチャー・キャッチャーを除くと最も多くなりやすく、「捕球のために一塁へ入る」動きを試合中結構な頻度で要求されるため、体力的な負担は三塁手より大きいともされる。 ・守備に劣る選手のポジションということは、ほとんどの場合&bold(){打撃に優れる選手のポジション}となる。強打者と言えば一塁手や三塁手、というイメージは強い。 ・・「格下げ」としてのコンバート先では最も重宝され、元々は他のポジションでレギュラー選手として活躍していた((元捕手・元三塁手・元外野手が多い))が、加齢による身体能力の低下や怪我により旧ポジションを守るのが厳しくなってきたものの、打力はまだ十分活躍できる見込みがあるベテラン選手を一塁手に回すことは多々ある((阿部慎之助・田淵幸一・[[落合博満]]・高橋由伸等。))。 ・・そうした&bold(){「守れなくなった選手」や「元々守れない選手」が次々と集まってくる}ため、ある意味で最も競争の激しいポジションとなる。もちろんプロ一軍レベルの能力があるのは大前提、という枕詞はいるが、「他のポジションが守れるならほぼ誰でもできる、に近いほう」と見なされているのもまた事実である。 ・・左翼手にも言える事ではあるが、「遠投の機会が少ない」「そもそも求められる守備範囲が広くない」ポジションである事から一塁手が高い守備能力を持っていてもあまり活かせない・無駄になってしまう、という実情もある。 ・・とは言えこのポジションに守備力がある選手がついていると他の内野手の精神的疲労を軽減でき、内野全体の守備力も当然向上するので、一塁手の守備力は不要という訳では断じてない。&br()また、(数の違いから)三塁程の頻度ではないが左打者の引っ張った痛烈な打球が襲って来るポジションでもあるため、高い捕球能力・反射神経を併せ持つに越した事はない。 ・・前述の通り内野守備と捕球回数の多さから、単純なエラーは自己責任だとしても送球エラーやイレギュラー(バウンド)の対応も比較的多くなるため、重ね重ねになるが相対的に軽視されるだけでやはり守備力も重要である。 ・・稀なケースだが、この「良いに越したことはないが、多少守備難でも他のメンバーや作戦でフォローすることで許容できる」を利用して&bold(){守備の時に限り投手兼一塁手}という起用がなされるケースがある。多くは登板・降板を複数回行いたい事情があるようなリリーフ投手(例としていわゆる左相手のワンポイント起用がされる投手)で、左打者(特に巨人戦における[[松井秀喜]]と高橋由伸相手)担当の遠山奬志・右打者担当の葛西稔が交互に投手と一塁手を入れ替わる90年代後半の阪神タイガースの事例などが著名。 ・・・最も現在はMLBを中心に「ワンポイントピッチャー自体をルール段階で禁止する((「ケガした」など特殊な事情が無ければ、一定数の打席を消化しないと交代できないように変更。))」動きがあり、こういった目的の一塁手起用もそもそもルール上できなくなる可能性も出ている。ただし「投手兼野手」に関してはむしろルール上の整備がなされているため(言うまでもなく[[大谷翔平]]の影響)、将来的にどっちもこなせる投手が活躍する可能性はある。 ・打撃重視の傾向に加え、三塁手と同じく二遊間のような他の内野手との連携プレーがあまりないため言葉が不自由な助っ人外人がつくことも多いポジションである。&br()従ってこのポジションしか守れない日本人選手は外国人選手とのレギュラー争いを余儀なくされることが多く、チームの主軸と呼べるぐらい打力に秀でていなければ俗に言う&bold(){『[[二軍の帝王>二軍の帝王(プロ野球)]]』}になりやすい。&br()選手層の厚い球団の場合、他のチームなら十分レギュラーになれる実力のある選手が代打要員に甘んじることもしばしば。 --攻撃力を重視してどうしても複数の選手を使いたい場合、一塁手に次いで守備の負担が少ないとされる左翼手へのコンバートが行われることもあるが、前述の通り足や肩がそこまで秀でてない選手が多いため、攻撃重視というより守備軽視の布陣になってしまいがち。 ・以上の理由もあって[[MLB>メジャーリーグのチーム一覧]]では一塁のレギュラー争いは非常に熾烈で、日本人野手がこのポジションでレギュラーを獲得した事例は現時点では無い。総合力に優れる選手なら他のポジションに回せて便利なので猶更。&br()逆にMLBでポジション争いに敗れた一塁しか守れない選手がNPBに働き場を求めて来日するケースは多い。 *【主な実在選手】 (五十音順で表記) **《現役選手》 ・&bold(){大山悠輔} [[阪神タイガース]]所属。 阪神の主力選手の一人で、三塁手として結果を残した後ポジションの兼ね合いで一塁に回った。入団当初の評価はあまり高くなかった((ドラフト指名時に1位指名にも関わらず阪神ファンから悲鳴が起きてしまう程。))が、入団後は結果で周囲を黙らせ、阪神の主軸に成長し2023年の38年ぶりの日本一に貢献し、2024年オフにFA宣言するも残留を表明した。 ・&bold(){タイラー・オースティン} [[横浜DeNAベイスターズ]]所属の[[アメリカ]]人内野手。本職が一塁手だが、当初はポジションの兼ね合いで右翼での出場が基本だった。 能力は非常に高く出場すれば活躍は期待できるが、全力プレーの代償か怪我が多いのがDeNA首脳陣&ファンの悩みの種。 ・&bold(){ホセ・オスナ} [[東京ヤクルトスワローズ]]所属のベネズエラ人内野手。 同僚のドミンゴ・サンタナとのコンビは現在のNPBでは『&bold(){最強助っ人コンビ}』と言える。 ・&bold(){鈴木大地} 某金メダリストと[[同姓同名]]の野球選手で、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]所属。2019年オフにロッテからFA移籍。 元々は二遊間や左翼を守るユーティリティープレイヤーであったが、ベテランになった現在では一塁や三塁を守ることが多い。 ・&bold(){ネフタリ・ソト} [[千葉ロッテマリーンズ]]所属。 プエルトリコ出身のスラッガーで、『打点製造機』と言っていい程打点を稼ぐ技術に長けている。 元々は横浜DeNAで助っ人らしい活躍を見せ、2023年オフに自由契約となっていた所ロッテが拾った。 右翼手での大きいミスの印象で守備難と見られがちだが、実は一塁手としての守備指標は優秀で、本人がゴールデングラブ賞獲得へのアピールを行っていたほど。 ・&bold(){頓宮裕真} [[オリックス・バファローズ]]所属。 本来の登録ポジションは捕手だが、一塁手としての出場が圧倒的に多いためこちらで紹介。 大学日本代表の捕手として活躍し、2018年にオリックス入団。 チームの捕手が若月健矢、森友哉、石川亮と四番手捕手の扱いとなった為、出場機会を求めて一塁手、指名打者として試合に出場。 2023年シーズンの終了後にはパ・リーグで打率.307で首位打者と一塁手部門でベストナインを初めて受賞。 メジャーに移籍した山本由伸とは実家がお隣さんで、由伸在籍時は球団がバラエティーで漫才コンビを結成、「おとなりさん」という名前で活動していた。 ・&bold(){中田翔} [[中日ドラゴンズ]]所属。 元々は[[日ハム>北海道日本ハムファイターズ]]の主軸として活躍していたが、紆余曲折を経て現在は中日ドラゴンズに所属。若い頃は外野(左翼)を守っていたが、&s(){札幌ドームの人工芝のせいで}故障が増え転向。 打点王に3度輝いた打撃も勿論のこと守備でも評価が高く、一塁手として史上初めてセ・パ両リーグでゴールデングラブ賞を獲得している。 ・&bold(){中村晃} [[福岡ソフトバンクホークス]]所属。なお入団後しばらくは外野手としての出場が多く、現在も外野手として登録されている。 スラッガータイプの一塁手ではないが、選球眼や打席での粘り強さがウリのいぶし銀。 守備については2013年に69試合の出場にも関わらず同年の一塁手における最多失策を記録するなど上手いとは言い難いレベルにあったが、みるみる上達し2020年から2023年にかけてゴールデングラブ賞を4年連続受賞((小笠原道大に並ぶパ・リーグタイ記録))。現役選手の中では一塁守備の上手さは中田と並んで一、二を争う。 ・&bold(){山川穂高} [[福岡ソフトバンクホークス]]所属。 元々は[[西武>埼玉西武ライオンズ]]の二代目おかわりと呼ばれ若手の頃から打力には定評があったものの、一塁しか守れなかったため同時期のチーム打低を支えた助っ人本塁打王エルネスト・メヒアとの競争でなかなか一軍に定着できなかった。 その後見事レギュラーを勝ち取りしばらくの間山賊打線の主軸を務めていたが、紆余曲折を経て2023年オフにFAでSBに移籍。『&bold(){どすこい}』の人。 **《OB選手(NPB経験者)》 ・&bold(){[[新井貴浩>新井貴浩(野球選手)]]} [[広島>広島東洋カープ]]と阪神で活躍、FA宣言時の会見での口下手から一時はファンから強くヘイトを集めたりもしたが、最終的に皆から愛される存在となった名打者。 守備位置別出場試合数はファーストとサードが半々程度(若干サード多め)で、ファーストとしてはゴールデングラブ賞を獲得した2008年やMVPを獲得した2016年が印象的。 失策の多かったサード守備と違い、ファースト守備はガタイのデカさもあって優秀な方だった。 詳細は[[当該項目>新井貴浩(野球選手)]]参照。 ・&bold(){五十嵐章人} ロッテ、オリックス、近鉄のパ3球団を渡り歩いたユーティリティープレイヤー。 内外野どこでも守れたが、通算では一塁手としての出場が最も多かった。 1995年に急造捕手を、2000年に敗戦処理としての登板を経験し、史上2人目となる全ポジション出場を達成することに。 通算26本塁打ながら、全打順本塁打という珍記録も達成している。 ・&bold(){石井浩郎} 近鉄~巨人~ロッテ~横浜と渡り歩き、現在は参議院議員を務める(自民党所属)。 巨人時代は野球に対する真摯な姿勢と侍のような佇まい、古風な角刈り頭で話題を集め、 日本テレビの情報番組『THEサンデー』において「拝啓 石井浩郎です」という特設コーナーができた。 ・&bold(){李承燁(イ・スンヨプ)} 韓国人最強打者として当初はMLB志望だったものの、一塁しか守れないことでMLB球団とは契約で折り合えず、千葉ロッテに入団。05年の日本一にも貢献したが、監督のボビー・バレンタインの起用法に不満を抱き巨人へと移籍。巨人一年目の06年は打率3割40本100打点をクリアする主砲らしい活躍をするがその後は右肩下がりで成績は落ちていった。 NPB晩年はオリックスにも在籍したが、李本人が「このひどい成績でチームに置いてもらう方がとんでもないこと」として退団を要望し、結果的に李の希望通り複数年契約の破棄が認められ、韓国プロ野球へ復帰。成績は悪いがそれを素直に認められる人格者として今なお評判が高い((概ね同時期かつ同じくKBO出身の金泰均が日韓双方の野球ファンから人格面を批判されていたという事情もある。))。 現在はKBOの斗山ベアーズ監督として活躍。 ・&bold(){タイロン・ウッズ} 00年代中盤の中日黄金期で活躍したアメリカ人スラッガー。 実はMLB経験がなく、韓国球界を経由してNPB(横浜・中日)で大成したという経歴の持ち主。 本拠地がナゴドの中日でも本塁打王を獲得する程の打撃力を持っていた反面、かなりの守備難で一塁での捕球ミスもしばしばあった。&s(){その割を食ったのが送球エラーと判断されたアライバコンビである。} 李承燁とは韓国時代からのライバル関係であった。 ・&bold(){榎本喜八} 元祖『&bold(){安打製造機}』。現役時代は毎日(のちロッテ)オリオンズの中心選手だった。 NPB史上最年少の2000本安打達成者であり(31歳7か月)、その打撃フォームは張本勲に「左打者の理想」と言わしめている。 野村克也や稲尾和久といった同時期の選手たちが口を揃えて「最も恐ろしい打者」と評する等、その打棒に関する逸話には事欠かない。 &s(){あまりにも求道者的な気質と神経質かつ繊細な性格だった事からネガティブな逸話もそれなりに残している面もあり、ある意味プロの場で壊れてしまった悲運の選手とも言える。「名球会在籍経験者で唯一、&bold(){引退後に一切野球に携わらなかった男}」((なんならその名球会すら一度も会合に参加せず、「事実上、榎本側の希望で退会」として除名になっている。一方で当時を知るファンからのファンレターやサイン要望には亡くなるまでずっと非常に積極的で、氏の長男は「届いたものはかならず読んでいたし、サインをください!と記されていれば絶対に快く書いて送り返してあげていた」と述べている))など} 早くからトレーニングに武道を取り入れており、これが高校の後輩でもある王貞治の一本足打法完成の一端を担うことにもなる。 守備は入団時には下手の烙印を押されていたが、のちの猛特訓で通算守備記録2147試合、20859守備機会、19625刺殺、1137捕殺、1489併殺とすべてがパ・リーグ記録を樹立するほどの名手になった。 ・&bold(){王貞治} ご存じ『&bold(){世界のホームラン王}』。高校時代は投手であったが、プロ入り後は一貫して一塁手に。 『一本足打法』『フラミンゴ』とも称えられた片足を上げながらの特徴的なフォームが代名詞で、 当時の野球少年はこぞって動きを真似た他、ピンクレディーの歌謡曲『サウスポー』でも高らかに歌われている。 現役時代は三塁を守る長嶋茂雄と共にプロ野球を象徴するスーパースターであり、 二枚看板の『ON砲』として長きに渡ってチームを牽引。 通算868本の世界記録の本塁打を放ち、引退後は巨人やホークスで監督を務めた。 いかんせん打撃成績がすごすぎてそちらばかりに焦点があたり、守備に関する取材を受けることは稀有だが、長く守った経験とプライドから御本人は「一塁手の守備をなめてもらっちゃ困る」と重みのあるコメントを残している。 実際のところ、相手打者が送りバントをしようものなら猛然とダッシュして2塁送球ホースアウトを狙う積極守備が信条であった。 ちなみに初代国民栄誉賞受賞者かつ2024年現在唯一の外国籍受賞者(父親が中国大陸からの移住者)だが、この賞自体元々王貞治の868号を顕彰するためにできたもの。 ・&bold(){大杉勝男} 東映フライヤーズ(現在の日ハム)、ヤクルトで活躍したホームランと打点の記録がともにNPB歴代9位の選手。 1967年に、当時のコーチ飯島滋弥に「月に向かって打て」と言われて開眼((「デーゲームの時はどこへ打てばいいんですか」と後年、この言葉で指導を受けた某選手が突っ込んだ))。 バットに深いこだわりを持ち、普段は850gの軽量バットを利用していたが、体調に応じて重さをこまめに変えていた。 また普段から手入れを欠かさず、牛骨を使って木目を締めていた。 引退の際の会見で「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」という句を詠んでいる。 1992年に死去、名球会会員最初の物故者となった。 ・&bold(){小笠原道大} 『ガッツ』『北の侍』。 元々は捕手だったが打力を活かすためにプロ3年目に一塁手にコンバートされ、日ハムの『&bold(){バントをしない二番打者}』としてブレーク。その後は日ハム・巨人の両チームで主軸として活躍しシーズンMVPを受賞するなどクリーンアップを打つ打者へと変わっていった。現役晩年は中日で過ごす。 三塁でベストナイン獲得経験もあるなど、『三塁も守れる一塁手』のタイプ。 ・&bold(){[[落合博満]]} 『&bold(){オレ流}』。現役時代は史上唯一三冠王を3回獲得するなど球史に残る大打者で、若い頃は二塁や三塁も守っていた。引退後は中日の監督に就任し黄金期を築き上げた。 この人も打撃や監督時代のことがフィーチャーされがちだが、守備に関しては「一塁が内野守備の中で一番難しい(守備に関わることが一番多いため)」という考えの持ち主。 詳細は[[当該項目>落合博満]]参照。 ・&bold(){トーマス・オマリー} 主に阪神、ヤクルトで活躍した一塁手。 当時は顔が俳優のロバート・レッドフォードないし、アメリカ大統領のビル・クリントンに似ているとネタにされた。 阪神ではパチョレックとの絡みで三塁手を守る事もあったが、基本的に一塁手。 日本での在籍期間6年間で、全て規定打席に到達し、通算打率も.315、出塁率.422、OPS.941と成績は良かったが、阪神ファンやフロントがバースの再来を求めており、本塁打と打点が足りない事、守備はサボりがちな事((守備中にバントシフトをとらないなど怠慢な姿勢も見られた。))を理由に在籍4年で自由契約。 &s(){退団前にリリースした「オマリーの六甲おろし」は破滅的な歌唱力を堪能できる迷曲として一部に有名}((しかもオマリーの母語であるはずの英語部分の方がヒドいというおまけつき)) ヤクルトがジャック・ハウエル、広澤克実を巨人に引き抜かれて、その穴埋めにオマリーとロッテからヘンスリー・ミューレンを獲得。 オマリーは規定打席に到達、打率.302、打点87、本塁打31、出塁率.429、OPS.999を記録、日本プロ野球史上外国人選手としては初の、ペナントレース・日本シリーズ・オールスターゲームの3つでMVPを獲得した選手となった。 翌年も規定打席に到達、打率.315、打点97、本塁打18、出塁率.407、OPS.888を記録。 しかし、ヤクルトとは編成上の理由で退団。 現役引退後は、阪神の特命コーチやスカウトとして活躍。スカウトとしてはハズレばっかりだったものの、現在の阪神の外国人獲得の方針である「&bold(){まず、人格面に問題がないこと}」は実はオマリーが駐米班主任だった時に作ったルール((顕著なのは「成績はクソやけど2軍コーチとムード盛り上げ将軍としては100点満点」という証言がメチャクチャ多いケビン・メンチなど))。現代でもこの方針から比較的日本に定着する選手を多く輩出している。 ・&bold(){加藤秀司(英司)} 阪急黄金期を支えた選手。社会人時代から福本豊とはチームメイトであり、同期入団となる。 主に3番を打つことが多く、この当時の阪急は「1番福本が出塁~盗塁 2番大熊が福本を進塁させる 3番加藤が福本を生還させる」という黄金パターンを形成。打点王を3度獲得する。1982年オフに広島へ移籍。その後、近鉄~巨人~南海と渡り歩いて87年に引退。プロ入団当初の落合博満が参考にした打者の1人に加藤の名を挙げている。 ・&bold(){アレックス・カブレラ} 00年代のパリーグを代表するスラッガー。タフィ・ローズとならびパリーグのシーズン本塁打記録保持者。 規格外のパワーを武器に主に西武・オリックスで活躍。特徴的な打撃ファームを真似した当時の野球少年も多い。 ・&bold(){川上哲治} ご存じ『&bold(){打撃の神様}』。NPB史上初の2000本安打達成者であり、読売巨人軍栄光のV9時代の監督でもある。高校時代は投手であったが、プロ入り後は投手兼任一塁手を経て一塁手専門に。 打撃の評価に対して守備の評価は基本ボロクソで、「捕れない送球は取りに行かない」というスタンスのせいでチームメイトからも不評だったとか。 ちなみに「高校野球で試合に敗れた際に、甲子園の土を持ち帰った最初の人物」であるともされている。 ・&bold(){清原和博} 『&bold(){球界の番長}』『&bold(){KKコンビ}』『&bold(){無冠の帝王}』。 名門PL学園で通算13本塁打という未だ破られぬ記録を達成。 無論巨人入りを熱望していたが、直前に巨人が桑田指名に切り替えたため涙を見せて西武入り。 西武入団後、高卒一年目で規定打席到達かつ3割30本、そしてパリーグの高卒新人王という大記録でデビューし、以降の西武黄金時代を支えた。その人気たるや[[野球要素がどんどんなくなっていったギャグマンガの主役>かっとばせ!キヨハラくん]]((ただしキヨハラ期は一応野球漫画の色はまだ濃く、本格的にドタバタ・不条理なうえにプロ野球要素無しになるのは[[『マツイくん』>ゴーゴー!ゴジラッ!!マツイくん]]の頃のが強い))になるほど。 また、オールスターでは入団1年目でMVP獲得後、通算打点とMVP獲得数で最多記録を達成。通常の試合でもサヨナラホームランの日本記録を達成し『&bold(){お祭り男}』とも呼ばれた。 打撃と被死球(通算196で日本記録保持者)&s(){とキンタ●マついとんのかゴルァ!}のイメージが強すぎるかもしれないが、長身を活かしたファースト守備に定評があった。 96年オフに憧れだった巨人に移籍したが、その時期になると無理な[[肉体改造]]に伴うイージーミスも目立った。 現役末期はオリックスに移籍し、オフにあの[[吉本新喜劇]]にも出演したことがある。 引退後は‥‥。だが、元々の人柄もあり人望が厚かったこともあり、野球解説者・評論家としての仕事を再開できている。 ・&bold(){銀次(赤見内銀次)} 2006年楽天入団時は「宇部銀次」だったが、家庭の事情により赤見内に改姓。すると、当時の監督野村克也から「呼びにくい」と言われて登録名が銀次になった。 当初は捕手だったがほどなく内野手に転向し、メインの一塁だけでなく二塁、三塁の守備もこなした。 内角球をわざと詰まらせてレフト前に落とすなど高度な打撃技術をもち、左打者ながら左投手を苦にしない。 2019年の試合では控え捕手がいなくなったため一軍公式戦で初めてマスクを被り、4イニングを無失点に抑えて盗塁も刺すなど急造捕手としては異例の活躍を見せた。(ちなみにこの年初めて盗塁を刺したのはこの試合の銀次。) 2023年に引退し、球団のアンバサダーに就任。 ・&bold(){小早川毅彦} PL学園が野球名門校に変貌していく際の中心人物で、法大を経て広島に入団。 「赤ヘルの若大将」と呼ばれ、山本浩二、衣笠祥雄の後継者として打線の中軸を担う。 1987年9月に、当時の巨人のエース江川卓からサヨナラホームランを打ち、江川に引退を決意させたといわれている。また1997年にはヤクルトに移籍し、巨人の当時のエースで3年連続開幕戦完封勝利をおさめていた斎藤雅樹から開幕戦でホームランを3発放ち、巨人ファンからは『&bold(){エース殺し}』と恐れられていた。&s(){なお、広島時代のニックネームは「バゴーン」。} ・&bold(){駒田徳広} プロ初打席で満塁本塁打を打つなど満塁時の無類の強さが特徴で、通算本塁打数におけるグランドスラム率の高さが群を抜いている『&bold(){満塁男}』として有名。 巨人→横浜で活躍し、2024年現在まで巨人生え抜きで国内他球団にFA移籍した唯一の選手である。 横浜時代の1998年は「[[マシンガン打線]]」の5番打者として優勝にも貢献した。 一塁手としてのゴールデングラブ受賞10回はNPB歴代最多で、守備技術は歴代トップクラス。&s(){ただしフライ処理には大いに難あり。} ・&bold(){Tー岡田} [[オリックス・バファローズ]]一筋で活躍したスラッガー。本名は『&bold(){岡田貴弘}』。 高校時代は『浪速の四天王』として注目され、2010年は本塁打王を獲得するなど、10年代のオリックスを長らく支えてきた。 チーム事情で主に左翼を守るが、一塁守備力も評価が高い。 2022年以降は成績不振に苦しみ、2024年シーズン限りでの現役引退。 ・&bold(){オレステス・デストラーデ} 西武黄金時代を支えた両打ちの名打者。西武時代は主に指名打者として活躍していたが、本職は一塁手である。 眼鏡姿の黒人選手という独特の見た目と、本塁打時の「Boom!」というガッツポーズが印象に残っている人も多いだろう。 NPBでも5人しか達成していない&bold(){3年連続本塁打王を獲得}した強打者。この記録を達成した92年のオフに退団したが、95年に復帰。しかし往年の打棒は見る影もなく、大差がついた負け試合の終盤に投手起用されたこと以外は記憶にないという人も多い。 その後、2024年シーズン途中に西武アドバイザーに就任。 ・&bold(){中畑清} 『&bold(){絶好調男}』『[[ヤッターマン]]』『バックスクリーン男』の愛称があり、80年代の巨人の主力選手。現役時代はゴールデングラブ7回と守備も一流だった。 &s(){でも当時の監督に「ふたりの性格を考えると中畑がサード、原がファーストのがもっと良かったかもしれませんね」と言われてしまったらしいが。} 後に初代[[横浜DeNA>横浜DeNAベイスターズ]]監督を務め、当時弱小チームだった黎明期のDeNAの現在に至るまでの土台を築き上げたことから、現在でもファンのみならず当時のナインから慕われている模様。 「いやー日本一になってよかったですねぇ!&bold(){まあ僕はできなくてDeNAの監督辞めさせられた}んですけど」の発言に涙した横浜ファンは数知れず。 ・&bold(){ランディ・バース} 1985年の阪神日本一に貢献したNPB史上1、2位を争う助っ人。 阪神ファンにとっては神と呼ばれることもあり、引退から35年以上経過した今でも知名度は高い。 本名はバスであるが、登録名はバースとなった。これはスポーツ新聞で「バス大爆発」「バス急ブレーキ」と書かれるとバス会社を保有する親会社的に縁起が悪いと判断されたため。 1985年と1986年には2年連続で三冠王を獲得。特に1986年に記録した&b(){シーズン打率.389}はあの[[イチロー]]をも上回り、&b(){2024年現在でもNPB史上最高記録}。 1988年シーズン途中に球団とのトラブルから退団してしまい、この退団が暗黒時代を招いたとも言われている。 その後はオクラホマ州ロートン市の市会議員として活躍。 現在はある程度阪神やNPBとの関係も修復されており、OB企画に登場することも多い。オカダ(岡田彰布)やヒラタ(平田勝男)はいまでも盟友。 阪神に新外国人が入団すると在阪マスコミは彼のような活躍に期待して『&bold(){バースの再来}』『&s(){&bold(){バースの再来の再来}}』と呼ぶことも多い。 ・&bold(){ダヤン・ビシエド} 中日ドラゴンズで長らく活躍したキューバ人助っ人、かつて筏に乗って亡命した経歴があるという壮絶な過去の持ち主。長らく中日で活躍したために国内FA権を取得したため、外国人選手で日本人扱い((国内FA権を取得したことで外国人枠が適用されないため。))を受けることが可能な稀有な選手。 若い頃はMLBでレギュラー選手として活躍したシーズンもあるなどバリバリのメジャーリーガーだった。 2024年限りで中日退団し、現在去就は未定。 ・&bold(){セシル・フィルダー} トロント・ブルージェイズ在籍時、出番に恵まれず出場機会を求めて阪神に移籍する。 阪神はバースが退団した直後で4番打者をを探していた。そこにフィルダーがハマった。 春季キャンプでチームメイト御子柴進のサイドスローが全く打てず、コーチと特訓して開眼する。対大洋戦だけで16本ホームランを打ち、大洋ファンは震え上がった。 NPB在籍は1989年の1シーズンのみで、すぐにデトロイト・タイガースに移籍した。 世にも珍しい「タイガースからタイガースに移籍した選手」となったフィルダーは、日本での経験を活かして2年連続で本塁打王、打点王の2冠を獲得。 同じくNPBからの出戻りビル・ガリクソンとともにチームに大いに貢献し、地元紙に「デトロイトが受け入れた唯一の日本製品」と称された((当時のデトロイトは、主要産業の自動車産業が日本からの輸入車により苦戦しており、日本に対する反感が強かった))。 ファミスタシリーズのMチームで「おひるだ」のモデル。 ・&bold(){ブーマー・ウェルズ} セ・リーグでバースが無双していたころ、パ・リーグにはブーマーがいた。 [[身長]]200㎝、体重100㎏の巨体で阪急ブレーブスの4番を務め、1984年には史上初のNPB外国人3冠王にもなっている。守備においてもゴールデングラブ賞を2度獲得しており、守備が上手くなる秘訣は「自分が偉大な一塁手だ」と思ってフィールドに立つことだとコメントしている。 なお、本名はグレゴリー・ウェルズであり、「ブーマー」は「ブームを呼ぶ男」という意味を込めて命名した登録名である。 オリックス・バファローズに変化した現在でも「&bold(){阪急・オリックス球団史上で最強の助っ人}」に名前が挙がるなど、今もなお語り継がれている。 ・&bold(){福浦和也} 現役時代は[[千葉ロッテ>千葉ロッテマリーンズ]]一筋で活躍した『&bold(){幕張の安打製造機}』。元々は投手だったが一塁手に転向し00年代~10年代のロッテを支えた。駒田と同じく一塁守備はかなり上手い。自身の引退試合を締め括ったファーストライナーのダイビングキャッチは必見。 [[2000本安打>2000本安打(プロ野球)]]を達成し、2018年に名球会入り。試合後の会見では翌年の現役続行を宣言したが、2019年に選手兼任で二軍打撃コーチに就任、球団から「コーチ職に重きを置いて」と言われ、結果的に2000本ちょうどで引退している。 &s(){千葉マリンスタジアムの元名物ウグイス嬢・谷保恵美は「ふくうら」のコールを苦手としていた。} ・&bold(){フリオ・フランコ} 1995年と1998年に千葉ロッテマリーンズに在籍した一塁手(二塁手)。 その前はテキサス・レンジャーズ時代の1991年に打率.341で首位打者を獲得する等バリバリのメジャーリーガーだった。 1995年、MLB史上最長のストライキによる影響とテキサス・レンジャーズ在籍時の監督で同年から千葉ロッテマリーンズの監督に就任したボビー・バレンタインの誘いを受けたことによりロッテに入団。 日常生活や練習態度まで野球に真摯に向き合う姿勢に多くのマリーンズナインが感銘を受けるようになった。 シーズン途中から4番を任され、リーグ3位の打率.306、10本塁打、58打点の成績を残し、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞。 10年ぶりのAクラスとなる2位に躍進する原動力となった。 バレンタイン監督がフロントと対立して退団、一緒に退団した。 1998年に選手会の強い要望でロッテに復帰。 近藤昭仁監督から主将に任命されてチームを牽引した。 打率.290、18本塁打、77打点の成績を残してベストナインにも選ばれたが、チームはプロ野球記録の18連敗を喫するなど最下位となったことで「貢献度が低い」という評価を下され、2度目の来日も1年で退団した。 それから時は流れ、2015年に日本の独立リーグBCLの石川ミリオンスターズに&bold(){選手兼任監督として入団}。入団時点で57歳という高齢もあってファンから大いに驚かれたが、この1年限りで退団している。 ・&bold(){ロベルト・ペタジーニ} 90年代後半~00年代前半に活躍したベネズエラ人スラッガーで巨人時代の松井秀喜の[[ライバル]]。 主にヤクルト、巨人で活躍し、25歳年上の『&bold(){オルガ夫人}』は当時有名だった。現役晩年にはソフトバンクにも在籍。 三年連続でゴールデングラブを獲得するなど守備力も悪くなかった。 巨人時代にはチーム事情から外野を守ったこともあるが、この時の守備は……。 ・&bold(){[[松中信彦]]} 90年代後半~00年代のホークスで主軸として活躍した、&bold(){平成では唯一の三冠王}。 詳細は[[項目>松中信彦]]参照。 ・&bold(){松原誠} 捕手として大洋ホエールズに入団したが、4年目に一塁手のレギュラーの座を獲得。以降、19年にわたり大洋の中心選手として君臨。 また、日本プロ野球選手会を社団法人化させ、選手の地位向上にも奔走した。 2000本安打も達成し名球会入りしたが、リーグ優勝経験のない2000本安打達成者は当時、土井正博と松原だけであった。 その後、現役最晩年に巨人に移籍し、優勝と日本一を経験して引退。 ・&bold(){谷沢健一} 現役時代は中日一筋17年。左の巧打者として首位打者を2回獲得しているが、1回目の1976年(.35483)は2位の張本勲(打率.35477)と僅か.00006(6糸)という現在でも最も僅差の争いを制しての獲得だった。 1歳上の[[星野仙一]]が監督就任するにあたり、大学時代からの因縁((星野は明治、谷沢は早稲田出身だったため。))から引退を決意したとされている。 通算2062安打で名球会入りしていたが、現在は退会扱いになっている。 ・&bold(){山崎武司} 元々は中日に捕手としてプロ入りするも、その後外野手にコンバートされ、さらにその後再びコンバートで一塁手となる。 本塁打王を獲得するなど活躍したが、オリックスへの移籍後は力を発揮できず戦力外となる。 そのまま引退か……と思われたが、創設間もない楽天で野村克也監督の下まさかの大復活を果たし、40近い年齢で本塁打王&打点王を獲得するなど黎明期の球団を支える。最後は古巣中日に戻って勇退した。 観客の野次に怒鳴り返す、ガルベス投手との乱闘、火災現場に居合わせ人命救助で表彰されるなど、ネタエピソードもてんこ盛り。 あだ名は風貌と性格、それに「たけし」という名前から『[[ジャイアン>ジャイアン(剛田武)]]』。&s(){またはジャーマン、邪魔崎。}((「邪魔崎」は第一期中日末期に低迷し邪魔者扱いされたことから。後にこれが変化して「ジャーマン」となり、こちらは軽蔑の意図はない純粋なニックネームとして用いられることも多い。)) &s(){あと「ラジコン界で最もどっちが本業かわからん男」山本昌と戦友になれるくらいラジコンが上手い。} ・&bold(){ホセ・ロペス} MLBのマリナーズ時代にはシーズン25本塁打・96打点を記録した事もあるスラッガー。メジャーデビュー時は遊撃手、後に二塁手・三塁手として活躍していたため、NPBでも他の選手が一塁手として出場する際は二塁・三塁を守ることもあった。 2013年オフに巨人が獲得し日本でも活躍を見せたが、生え抜きスラッガーである阿部慎之助の本格的なファースト転向などのチーム事情から放出される。 2015年からは横浜でほぼ不動のレギュラー一塁手として大活躍。[[筒香嘉智]]、宮崎敏郎と共に強力クリーンアップトリオを形成し、2017年シーズンには3割・30本塁打・100打点を達成した。 一塁手としては送球・ショートバウンド捕球どれを取っても超優秀。チームとして特に内野守備力が未熟であったベイスターズ内野陣の悪送球を一身に捕り続け、チームの守備力向上に大きく貢献。ファンからは「ウチの守備の要はロペス」と評された。2018年にはシーズン守備率10割、同年を含む2017年から2019年にかけて連続無失策のNPB記録を樹立している。 ・&bold(){渡邉博幸} 現役時代は中日一筋でプレー。守備に定評があり、落合監督に重用され00年代中盤の黄金期を支えた。 2004年には規定打席未到達ながらゴールデングラブ賞を受賞。これは一塁手部門としては初の事例であり、このポジションがいかに打撃重視であるかを示すものとも言える。 ウッズ加入後はスタメンから外れることも多かったものの、終盤の守備固め要員として存在感を示した。 引退後も引き続き中日でコーチ(引退直後など、一時期球団職員だったこともある)を務めている。 *【主な架空の選手】 **漫画・ゲーム ・&bold(){&ruby(あずまゆうへい){東雄平}} 漫画『クロスゲーム』の主要人物。 左投げ左打ちの一塁手。 星秀学園高等部野球部の「野球留学生」。 高校生としてはトップクラスの実力で、弱点がなく、その長打率は8割を超える。 送りバントをダブルプレーにするなど守備も上手く、足も速い。 バッターとしてのスタイルは、実況アナウンサーによれば 「鎧ごと叩き斬る剛剣の迫力」 との事。 複雑な家庭環境や人間関係を抱え、[[自己中心的]]で攻撃的な性格をしていたが、主人公たちと接していくとともに穏やかになる。 アニメ版でのCVは[[櫻井孝宏]]。 ・&bold(){&ruby(あぼりきや){安保力矢}} 漫画『&ruby(ぶりき){錻力}のアーチスト』の登場人物。 主人公•&bold()&ruby(きよさくゆう){清作雄}が所属する神奈川県立桐湘高校野球部員。 二学年上の3年生で右投げ右打ちの五番•一塁。 高校入学と同時に入部直後に行われた1年対2・3年の紅白戦で活躍し、当時の先輩を押し退けて4番入りした。 しかし、1年後の紅白戦で&ruby(にしきさとし){弐織敏}が3本のホームランを打ち4番の座を奪われた。 全国にはバケモノがゴロゴロいると知って腐ってしまう。 以降練習をサボるようになり、減量を命じられてもお菓子や清涼飲料水を隠れて飲み食いし、 &color(#F54738){「ブタ野郎」} &color(#F54738){「コレステロール先輩」} とあだ名を付けられてしまう。 主人公と出会い、ど突き漫才みたいなやり取りをしている内に、かつての情熱が戻って来るが、不摂生によるブランクから思う様に身体が動かない事もしばしば。 それでも、力や駆け引きなどを駆使して、自分の今のベストを尽して時々、活躍している。 ・&bold(){&ruby(いっしききよし){一色清}} 漫画『4P田中くん』に登場するライバル校の一塁手。 中学時代は東京を代表する速球派の左腕で強打者だったが、&ruby(さんぽうじこうこう){三宝寺高校}に進学してから野手一本に絞る。 主人公・&ruby(たなかきゅうじ){田中球児}を才能が無いチビと見下し、直接対決で2打席連続本塁打を放つなど、序盤は圧倒したが、第三打席で三振を奪われた。 第四打席では精彩を欠いた田中から代わった東山と対戦、三振を喫する。 1年後の夏の選手権大会•北東京大会決勝で再戦。 当時の負けた原因を田中の学習能力の高さに求め、田中を他のチームメイトを違う攻め方で分断し、学習能力を封じ込めた。 意図は良かったが、チーム全体に徹底されなかった為、学習能力が機能し、先制するも逆転負けを喫する。 対戦した田中も「美しい鬼」と敬意を表している。 ・&bold(){&ruby(かみしもさゆうた){上下左右太}} 『[[ドカベン]]』において、明訓高校・山田太郎世代の2年後輩にあたる。 左投げ左打ち、長身細身で守備の評価はなかなか高く「球際に強い」「ボールに対する執着心がすごい」と山田太郎に評され、実際に3塁岩鬼からの悪送球も難なくさばく傾向にある。 しかし打撃に関しては、水島先生から冷遇されていたのかほとんど描かれず、おもにバント要員。 まぁそもそも明訓は山田、岩鬼、殿馬、里中、微笑以外は壊滅的に打てないが…。 ・&bold(){[[清本和重>清本和重(パワプロ)]]} 『[[実況パワフルプロ野球>歴代サクセスモードの主な登場人物一覧(パワプロ)]]』シリーズの登場人物。 初登場作品『[[パワプロ11>サクセスモード(パワプロ11)]]』では三塁手だったが近年は一塁手を務めることが多い。パワーAは勿論''強打者三点セット''((パワーヒッター・チャンス5・広角打法の略。ただし、上記の55本塁打記録保持者だった王・カブレラや三冠王を獲得した落合・バース・松中とは違い威圧感は持っていない))を持った『パワプロシリーズ』歴代最強クラスの打者で、当時は異様に手厳しい打撃ルーチンと合わさり((具体的に言えばアウトロー本当にすれすれに投げ込まないとボール球は見送り・ストライクは真芯。さすがに問題視されたのか、以降の作品で清本と対戦しないといけない場合は他の似たような対戦機会になるチームと同程度の思考ルーチンになっている))投手育成中の数々のプレイヤーに[[トラウマ]]を植え付けた。 詳細は[[項目>清本和重(パワプロ)]]参照。 &s(){経緯上、モデルがノリさん説と清原説あってよくわからない。2人のミックスか。} ・&bold(){滝本太郎} 同じく『パワプロ』シリーズの登場人物。ずば抜けた打撃能力と及第点の守備能力も兼ねた選手で、清本が出る前は最強ファーストの代表者であった。 &s(){[[冥球島]]にも出て同じく強打者扱いだが、こちらは次の試合が固定され、しかもそこの在籍選手が今一つな奴らばかりな為人気無かったが。} 現在は清本と共に西強大学に所属する事が多く、二大スラッガーの名を欲しいままにしている。 ・&bold(){ガジェット落合(落合正)} 同じく『パワプロ』以下同文。冥球島編の[[アンドロメダ学園]]所属。この時期はまだ「落合」という名の半モブ選手。脅威のパワー200+パワーヒッター+一塁手としては申し分ない守備能力(BBC)と、冥球島全体でも最強クラスの一塁手((ただし、所属しているアンドロメダ学園ではモブの能力次第では控えになる事がたまにある。))。更に滝本と違いこちらのルートでは鋼毅や野球マスクなど多くの強キャラが加入出来る為、人気のある選手だった。 ……その後はまったく音沙汰無いものの、 ''初登場から約20年後''のアプリ版にて突如本名と外見(スキンヘッド+巨漢+スカウターみたいなゴーグル……%%すなわちナッパ%%)が発覚され再登場……という数奇な経緯を持ったキャラ。 パワフェスでもあの強豪チームアンドロメダ学園のスタメンにいるだけあり、近年また存在感を上げたキャラ。 &s(){結果アンドロメダは「正直誰を借りても良いからかえって悩む」というオイシイ立ち位置に。} ・&bold(){&ruby(こばやしこてつ){小林虎鉄}} 漫画『最強!都立あおい坂高校野球部』に登場する一塁手。 大きな体格でべらんめえ口調で話す。円陣でチームを纏める事の多い兄貴肌。 右投げ右打ちのパワーヒッターで攻撃の中核を担う。 [[三塁手>三塁手(サード)]]も守れる。 仲間からは「鈍足」と呼ばれることもあるが、ベースランニングの技術が悪くて遅いだけで、打球反応が良く、鋭い当たりを度々好捕しているなど、守備は上手いので、敏捷性や反応速度は速い。 チームでは四番を打つ。 ・&bold(){団長} [[FLOWER KNIGHT GIRL]]に登場する主人公でプレイヤーの分身。 野球…もとい&bold(){ベイサボール}をするというイベントで、9番ファーストを務めた。 …要するに打力も守備力も期待されていないのだが、その理由が他のメンバーが通常の人間の数倍の身体能力を持つ「花騎士」で構成され、&bold(){団長は数合わせ}だからである。 とはいえ一応騎士団の団長ということで最低限の身体能力はあり「キャッチできれば務まる」ファーストの守備は無難にこなしていた。&s(){流石に打撃の方は自動アウト装置であったが。} ・&bold(){&ruby(さいとうりんだい){斉藤輪大}} 漫画『名門!第三野球部』に登場する一塁手。 背が高く、手も足も長い、タコ唇の坊主頭、左投左打。 実家が寺なので剃っている。 普段は温厚なのだが、怒りスイッチが入ると途端に強打者に変貌し、「恐怖の9番打者」という二つ名が付く。 と言っても、&s(){[[妄想や思い込みで怒るのではなく>逃げ上手の若君]]}、 「間の抜けた顔」 と自身が呼ばれたり、相手が死球を与えても謝らなかったり、相手の味方に対するラフプレーなどで怒っており、意外と激しい気質の持ち主である。 また、どんなに激怒してもラフプレーはせず、 「グラウンドの借りはグラウンドで(正々堂々と)返す」 のが信条。 アニメ版のCVは[[二又一成]] ・&bold(){花形満} 有名野球漫画『[[巨人の星]]』の主要人物。 財閥の御曹司で主人公、星飛雄馬の[[ライバル]]で[[阪神タイガース]]所属。 リメイク版作品『新・巨人の星』では主人公を務めその際はヤクルトに所属。 所属チーム上、甲子園球場関係の企画だと飛雄馬を差し置いて『巨人の星』からの参戦メンバーに選ばれることがある((阪神電車の甲子園100年トレインにおける野球漫画キャララッピングなど。それ以外の作品も「甲子園本戦に行った」or「タイガースに所属した」メンバーに限定されている))。 ・&bold(){結城哲也} 『[[ダイヤのA]]』の主要人物。主人公沢村栄純が[[青道野球部>青道高校(ダイヤのA)]]入部時の主将。 他校からも一目置かれるスラッガーで青道野球部不動の四番打者。 卒業後は恩師・片岡鉄心の母校である明神大学へと進学した。 追記・修正は一塁手に詳しい人に補足して貰えると助かります。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,13) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - テイラーではなく「タイラー」オースティンです……怪我に関しては本当に困ってます…… -- 名無しさん (2024-08-14 00:03:27) - 何のための前進守備だ、みたいな珍プレーも見どころ -- 名無しさん (2024-08-14 00:36:14) - これから他のポジションの項目もどんどん作られてきそうだ -- 名無しさん (2024-08-14 01:12:52) - ベースに足を置いて捕球することが多いので柔軟性も結構いる -- 名無しさん (2024-08-14 09:43:17) - 打撃専で守備下手な恵体が入るイメージある。五番ファースト -- 名無しさん (2024-08-14 10:00:54) - 山川は一応サードも行けた気がする -- 名無しさん (2024-08-14 10:09:21) - 最近は俊足内野手のサブポジになってることも多い気がする(特にDeNAやロッテで) -- 名無しさん (2024-08-14 13:10:50) - プロでも慣れていないと左打者の場合は打球が恐ろしくてたまらないらしい -- 名無しさん (2024-08-14 20:18:42) - 守備に関しては追放モノ主人公並に評価されないポジション -- 名無しさん (2024-08-15 06:48:04) - センターラインと比べたら負担が少ないくらいの差なのに何故か軽視されがちなポジション。守備機会多いんだぞ! -- 名無しさん (2024-08-15 08:24:58) - 「ほかと比べると」って部分が大きい、一塁も大事だけど二遊間と比べると・・・ -- 名無しさん (2024-08-15 09:13:50) - このポジションについている野球漫画の主人公がイマイチ思い浮かばないくらい地味なポジション。ピッチャーキャラが疲労回復や怪我による一時離脱によってつくポジションというイメージがつよい。 -- 名無しさん (2024-08-15 09:18:02) - 当然ながら身体能力の高い若い選手の方が守備貢献高いし特に他のポジションも守れる選手ほどそうなりやすい。ただスタメン9人を考える時に守備難やベテランの打てる選手置いた方がトータルでバランス良いだけの話。 -- 名無しさん (2024-08-15 14:39:56) - 野球漫画でファーストポジションで主人公or一時的な主人公ポジのキャラって、キヨハラくんと本田茂治以外いたっけなあ? -- 名無しさん (2024-08-15 16:55:17) - ↑ミスフルの猿野天国はファーストだったの序盤の2試合だけだったからな・・・ -- 名無しさん (2024-08-15 19:50:42) - ↑細野 不二彦の「愛しのバットマン」。主人公のプロ野球選手•香山雄太郎が一塁手。 -- 名無しさん (2024-08-15 19:54:05) - 見てる側としては矢のような鋭いショーバン送球をしっかり捕球するってだけでも信頼度がダンチ。野手側も難しい体勢から不安定な送球しても取ってくれるなら思い切ってプレーできると思うし -- 名無しさん (2024-08-16 12:14:25) - プロの著名な選手もファーストの重要性についてコメントしてるしな。そりゃ守備の花形と比べればそっちに軍配が上がるが、決して楽な仕事ではない -- 名無しさん (2024-08-16 12:22:38) - 今は打球速度も上がって、無茶な体勢からお願い捕ってくれでぶん投げなきゃならん場面も増えてるからな。相対的に重要度が上がってるのは間違いない。 -- 名無しさん (2024-08-18 21:07:06) - ドカベンの土井垣ってファーストやってるイメージ。山田が来る前はキャッチャーだったみたいだけど。 -- 名無しさん (2024-08-20 18:18:43) - ロペスうまかったな…彼じゃなかったらただでさえ守備難なチームが崩壊してた 送球逸れた時ランナーにタッチする動きが鮮やかだった -- 名無しさん (2025-03-28 13:06:07) #comment() #areaedit(end) }

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