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*概要
不殺主義とはフィクションにおいて殺害行為を拒否する思想・行動を指す造語である。
主にキャラクターの行動原理を解説するためのフィクション用語なので、厳密にはリアルの主義やイデオロギーとして使われる事はない。
示す内容は読んで字の如く
#center(){「&font(blue){殺さない主義}」}
である。……うん、まんまやね。
戦場や戦闘と呼ばれる特殊な環境・状況では、自分又はそれに連なる他者の命、財産を護る為に命のやり取りを強いられる。
そういう特殊な環境で護身の為に一番手っ取り早い方法はズバリ、「&font(blue){相手を無力化する事}」にほかならない。
戦闘である以上、相手はこちらの都合など考えるわけもなく、抗える状況ならためらいなく引き金を引いてくる。
銃や[[手榴弾]]を持っていれば、たとえ一歩も動けない状態であっても指一本動けばそれだけでズドンということ。
必然的に、戦闘時における最も効率的な護身とは、「&font(red){相手をぶっ殺す事}」となる。
というのも、非致死性的な干渉は難しいが、致死性的な干渉は気遣う必要がなく簡単だからだ。
また、一対一など小規模ならば配慮しやすい場面も多いが、多対多となる戦場においては下手に敵を生き残らせることは危険を招くことになる。
・「身を護るためには撃て」
・「仲間を護るためには撃て」
・「家族を護るためには撃て」
こういうのは創作物でも結構描かれているので[[なんとなく]]わかると思う。
こういったセオリーに対して、自身が危険な場面でも相手を殺さないのが「不殺主義」である。
しかし、上記の通り戦闘において意図的に相手を殺さず無力化する……「不殺」というのは非常に難しい事が分かるはず。
生物は出血だけであっさり死に至る以上、無力化には高度な技術か専用の道具を用いて拘束する・気絶させる程度に限られるが、
戦闘においてそれらを常備できている状況は限られる。それを以てしても当たり所や加減を誤ればあっさり殺してしまいかねない。
近代兵器をもってしても状況が限定されて難しいのだから、充分な近代化が済んでいない時代や地域では、なおさらである。
フィクションにおいても[[敵側の事情>ヒュンケル(ダイの大冒険)]]を察してあえて不殺の戦法を取った[[味方側のキャラクター>アバン=デ=ジニュアール3世]]に対し[[それを知った敵>旧魔王軍(ダイの大冒険)]]が『あえて危険な手段を選んだのか』と関心する描写があるほど(皮肉でないのは、敵側も当該人物の精神性に感服したから)には困難である。
ちなみに出来れば生かして情報を得たい、戦略的に見過ごすなどの場合もあるので、戦場においても必ずしも殺害が正解[[というわけ]]ではないが、それは別に不殺ではなく別の目的を持つ作戦・戦略であって不殺主義とは関係ない((明確に『捕虜を取るための生け捕り』であったり、『無理に殺そうとした結果敵が死兵になることを防ぐため』であったり、『死体なら後からでも回収できるが生きた人間はすぐ回収しないといけないという心理が働き、結果として殺害よりも敵に負担を掛けられる』だったり、『戦争だからといって殺し過ぎると国内外から批判されるから』だったりと敢えて殺害しない理由はいくつも存在する。そもそも戦争において優先されるのはあくまでも『作戦目的の成功』であり、極端な話『敵を多く殺せても作戦失敗したら意味が無く、敵をあまり殺せなくても作戦成功すれば大きな意味を持つ』のである。敵の撤退が作戦失敗を意味するのであれば敵の殺害は優先事項になるが、それもあくまで『戦略の一端』でしかない。))。
で、あるならば、「不殺主義は命のやり取りをする戦場において基本的に不合理である」という論調が当然出てくる。
ただし、それはそれとしていつでもどんな状況でも殺しに拘ることは、フィクションであろうとも危険人物として扱われやすい。
*不殺主義の定義
「できるだけ殺さない」「戦いはするが殺したくない」という態度は、健康な人間にとって当たり前であり、別におかしなことではない。
それだけであれば不殺主義と呼ばれる事はまずない。
狭義の不殺主義はこうした欲求をさらに過激に解釈した&color(red){「いかなる状況でも殺害を拒否」}といった行動に対して用いられる。
更に突き詰めるなら、&color(red){「相手の生命を重んじる」「殺人という行為そのものへの強い忌避」という動機の元、それそのものを自らの信念として掲げ実行する事}を指す。
したがって、&bold(){&font(red,black){「殺しはしないが、明らかに死ぬより辛い拷問を与える」}}だとか、上述したように捕虜を取るための作戦といった場合には一般的に不殺主義とは言わない。
広義になると程度によって色々で、&bold(){「人は絶対に殺さない」「民間人は殺さないが、戦闘員は殺す」「女は殺さない」「人は絶対殺さないがモンスターなら赤ん坊でも殺す」}などに分かれていく。
そんななので、どこまでを不殺主義とするかは人によって解釈が大きく分かれる。
というか、この辺突き詰めると、&bold(){「少女以外は殺さない菜食主義の殺人鬼」}[[零崎曲識]]とか、&bold(){「人は絶対に殺さないが、異教徒は人間じゃないので殺してOK。むしろブチ殺せ」}の[[アンデルセン神父>アレクサンド・アンデルセン]]とか、&bold(){『生きていれば食料となる謎を産むかもしれない』という打算で相手を極力殺さないようにしているだけでうっかりしてたり止むを得ないときは普通に殺す}((何ならシックスには『自分の縄張りを荒らす害悪』と見なして明確な殺意を向けたことすらある。ただしシックスもシックスで『人間を越えた新種』を名乗って居たのでそもそもネウロがそんなシックスを『人間』と見なしていない節があるのだが。))[[脳噛ネウロ]]((とはいえ劇中でネウロによる明確な殺害描写があったのはシックスのみであり、『極力殺さない』という姿勢は徹底して守っている。彼が「不殺主義」といえないのはその行為が打算ありきであること、「うっかり」で殺してしまった可能性に関しては無頓着であることが理由である。))&bold(){依頼のターゲットや自分のルールを破った者は情け容赦なく徹底的に殺すが、それ以外では動物すら極力殺さない}[[ゴルゴ13>デューク東郷/ゴルゴ13]]すらも「不殺主義」という変な話になるので、本人が「不殺」と主張していない限りはあまりあれもこれも不殺主義認定はしない方がいいかもしれない。
*実際の法律・法解釈から考える不殺・殺人の是非
※あくまで参考。実際の刑罰に関しては弁護士や検察官など専門の人間の判断に委ねられます。
どのような国でも殺人は重罪と見做される。それは生存権を筆頭とした他者のあらゆる人権の侵害行為だからだ。命は一度奪われたら取り戻す事が不可能であり、失ったが最後、被害者はそこに連なるあらゆる財産や権利を喪失してしまう、故に余程のことがなければ重罪と見做されるのだ。
ではその余程の事態とはどういうことか。日本の法律において「殺人罪」とは「人間を殺そうとする意志(殺意)」と「人が死ぬという危険性」を認識した上で実行したかどうかがその罪の重さに関わり、特に殺意の有無は裁判において重要な争点となり、失敗しても「殺人未遂罪」、計画段階だとしても「殺人準備罪」となる可能性がある。
もっと言えば自分自身が殺害行為をしなくても「他人に殺人を指示する(犯行教唆)」ということを行えば殺人の実行犯と同等に罰せられる(犯行に銃の引き金を引く事で放たれた鉛玉と指示された相手、いずれにしても「被害者の肉体を損壊させ殺害する」という結果を導き出す事に変わりはないため)。
殺意がない、死ぬという想定がない中で誤って殺害した場合は「過失致死罪」というもっと軽い罪となり、
酩酊状態や脳の異常等で殺人という行為もリスクを正常に判断できないなら「心神喪失」と見做され減刑・不起訴の可能性もある。
また子供はリスクを正常に判断できるだけの教育がされず、また人生の残り時間も長いため一定年齢以下までは「少年法」で保護される。
また、「自身、または他者の命が侵害されそうで、相手を殺す以外で防ぐ手段がなかった」という状況ならば「正当防衛」が適用される。ただしそこまでの経緯で適切な行動が取れなかったり殺人までいかなくてもなんとかなったとされたなら「過剰防衛」と見做され正当防衛ほどの情状酌量の余地は与えられない。
また「Aさんを殺そうとして真っ暗闇で殺したら全く別人のBさんだった」という、特定の個人への殺意があった上で起きた事故の場合は法解釈が分かれ「殺人罪は『人に対する殺意と殺人行為』が対象なので誰に対しては問わないので殺人罪が適用される」とするか「Aさんに対する殺人未遂と、Bさんに対する過失致死罪が同時に発生する」とするかが争点となり、これはどのような状況かでどちらが適用されるかが変化する。
いずれにしろ、法的に殺人とは余程のことがなければ重い罪と見做され、仮に無罪になったとしてもその後は監視下に置かれる事になる。「冤罪を起こさない」事を重要視してるため被告人を保護する法令が豊富な日本ですらこのような扱いなので、海外ではさらに重い扱いとなる可能性は上がる。
**不殺主義ではない例
-警察等の治安機関が犯罪者を逮捕した
「職務執行」または「拘束」であって、&bold(){警察は個人的な「主義」によって動いているわけではない}。
戦場と違って命のやり取りをしているわけではなく、それが職務であるという点が大きい。
リアルな話をすると、治安維持を目的とする公的機関の対処法は、基本的には逮捕が正当である。法的根拠が無い限り、殺害は職務執行法違反になる。
なぜなら警察は犯罪を明らかにするための「ヒトやモノ」を''残さず確保すること''が仕事で、それらを判断して本当に犯罪だったのかを判断するのは''後で他の人間が行う仕事''であるため。すなわち容疑者でしかない人間を現場で殺してしまったら意味がない。
つまり至極当然の行為なので不殺主義かどうかとは関係が無い。
これらに関連して相手が銃を持ち続けるなど、命にかかわる(正当防衛となる)状況においての単純な射殺などは罪に問われることは少ない(※最初から殺害する意図があった・抵抗できなくなったことが分かってから止めを刺すなどすれば、罪に問われることが多い)。
特別の例:ヒーローなら[[パニッシャー>The Punisher]]、警察ならダーティハリーなど)
-良心的兵役拒否
不殺ではあるが、これらは戦闘や暴力の行使自体を拒否する。
不殺主義を内包してはいるが、非暴力主義(非暴力的抵抗)・平和主義の方がより正しい。
[[わんだふるぷりきゅあ!]]の登場プリキュア達もこれであるが、彼女たちの場合相手がそもそも敵であるガルガルが&bold(){基は無害な動物だったのに無理矢理暴れさせられている存在}であるため、仮に暴力を振るった場合&bold(){動物虐待}となってしまうため致し方ないだろう。
勿論彼女たちは(プリキュアに変身していることもあり)身体能力が高く、全員がバリア持ちであるため暴力を振るうことなく相手を鎮圧可能であるというのもあるのだが((いくら相手が無理矢理暴れさせられている無害な動物とはいえ、だからといってそれを放置していては被害が出るのは現実における獣害を考えれば理解出来るだろう。実際そうした動物を保護するのは極めて困難であり、麻酔銃で制圧できればまだ良い方である。そうした動物に暴力を振るわず制圧できるのは、それを可能にする能力があるからこそともいえる。))。
ちなみにキュアニャミーだけは変身者が猫であることやそもそもガルガルの正体を知らなかったこともあり例外的にガルガルを攻撃していた、のだが正式に仲間入りする際態度を改めたのであった。
-まだ殺す覚悟が決まっていない
例えばそれまで殺し合いと無縁の生活を送っていたのに、殺し合いに巻き込まれた途端に相手の命を躊躇なく奪う一般人がいたら、それはそれで問題があるだろう((第1話早々にザク2機を撃破した上に、1機はコクピットを串刺しにしたアムロ・レイの場合は『自分が戦わなければ自分だけでなく避難民に被害が及ぶ』という状況、またモビルスーツの爆発による被害を見たことにより『モビルスーツを爆発させずに撃破すること』を優先させざるを得なかったため殺害を躊躇する余裕すらなかった。元々父親がモビルスーツの開発に関与していたため戦争と全く無縁だったわけでもないことも影響していそうだが、ククルス・ドアンの島(劇場版)においては生身の人間を踏み潰すことに関して躊躇する描写もある。))。
本来は「殺すか殺さないかを&bold(){自分の意志で選べる状況で}、たとえ後々不利になろうとあえて殺さない方を選ぶ」からこその「主義」であり、そもそもその選択肢を選ぶ準備が整っていない状態での突発的な行為は「主義」とは言えない。
-運良く殺害に至らなかった・殺すより戦闘能力を奪う方が確実だった
同じ不殺でも、自らの意思による結果ではないことが理由。
身も蓋も無く言えば『結果的に殺さなかっただけ』である。後述するジンベエを除き[[麦わらの一味]]はもろに前者である。
(もっとも船長である[[モンキー・D・ルフィ]]は現実世界で付くであろう職業に&bold(){人命を助ける}職業である消防士が挙げられており、人が死ぬことは望んでいない節がある。ただ彼は手加減をしないので不殺主義者とはいえないが)
ただし、不殺主義者でも同じような行動に出ることはあるので、状況と人物次第とも言える。
また、味方からなじられた不殺主義者が味方への言い訳に使うケースもある。
-負傷兵を増やす目的で攻撃する
殺害よりも負傷兵の運搬や治療に人材と時間を要して場所も取られるから、という戦術・戦略における意図であり、人命を尊んで行動しているかどうかは関係がない。
なぜなら戦況の違いや効果が望める場合は普通に殺してもOKという事になるため。
リアルでも同じ効果を狙った兵器として[[対人地雷>地雷]]がある。
一応は不殺主義者が戦略も兼ねてやってもおかしくはないのだが、何らかの設定等の都合で「絶対に死なない負傷」が保証されない限りは早々当てはまらない。
-自身の目的のためにあえて止めを刺さない・精神的にダメージを与えたうえで見逃す(あるいはどうでも良かった)
基本フィクションにおけるもの。こちらも結果的に殺さなかっただけである。
結果だけ見れば不殺でもその事自体に主眼を置いた動機によるものではない。それどころか、お眼鏡にかなわない相手は容赦なく殺す、というキャラクターの方が多い。
-死以上の苦痛を与えたい目的で殺さない
多くの場合はやはり結果的に殺さなかったパターン。[[復讐]]の一パターンや偏執狂の一種と考えた方がいいだろう。
たまたま相手に死を与える以上の手段を持ち合わせていたため選択したに過ぎない。
満足した時点で殺害が選択肢に入ってしまうし、興味を失ったなら相手の命にも頓着がなくなる。
似て非なる例としては、キャラクターが相手の更生を目的としているパターンがある。
こちらは罪の意識といった苦痛を与える一方、あくまで対象を正常な世界へ戻す目的で行われるため不殺主義と近い。
&s(){…はっきり断定できないのは過激な洗脳等の人道的と言い難いものがごくまれにあるため。}
-殺す気はあるが殺せない
ファンタジー色の強い作品でみられるパターンで、契約や呪いといったルールに縛られており相手を殺すことができない。
殺害を試みても実行できなかったり、殺すこと自体は可能だがそれによるペナルティがあまりにも大きい(自分も死ぬ)など。
殺意自体はあるので、ルールの盲点を突くことで殺害を試みたり、他人が目的の人物を殺すように仕向けるといった展開がお約束になっている。
-不殺の誓いが他人からの刷り込みである
上記の亜種。
人間と敵対するロイミュードでありながら「人間は絶対に殺さない」という不殺主義を掲げていた[[チェイス/仮面ライダーチェイサー]]は
「結果論として死なせること」まで含めた不殺主義であり、死にそうになると身を挺して救出しに行くこともあったといわれていた。
……のだが実際は元が人類を守る側のロボットだった関係上、「人を殺せないようプログラムが組まれている」という理由で実は開発者側のプロテクトにより殺せないというケースである。
このケースの場合はたとえ殺傷したいと思っても人を死に追いやるような危害を加えることはできず、事実を知らされた当人はそれを自分の主義であると思っていたため軽いパニックになっていた((こう書くとチェイスの産みの親……クリム博士が非道に思えるが、『人類を守る』ロボットにセーフティを設けておくのは科学者としてみれば正しい態度である。結果としてチェイスをパニックに陥らせてしまったが、クリム博士としてもチェイスが敵になってしまうことは想定外であっただろう。))。
*なぜ不殺主義のようなものが生まれるのか
人間とは社会的動物であり、社会的立場を考えると単純な暴力行為は基本的にデメリットが大きい。
特に倫理観を養ってる真っ最中のティーンエイジには「他者を殺傷することは悪い事」という考えを持たせておなけば将来的に自分の望みを叶えるために他者への暴力を躊躇わない、最悪の場合強盗や殺人などの犯罪行為に走る理由に繋がりかねない。よって最低でも「必要でなければやってはいけない」という心理的ストッパーが根付く前の人間に対して殺人を肯定する思想に触れる事は忌避されている。そのため創作物やメディアは殺傷行為の描写について非常にデリケートなものとして扱い、特に海外ではテレビで殺傷行為どころか凶器になり得る銃火器を映す事自体を禁じている場合すらある。
更に戦場など命のやりとりを経験する・しないなど環境によっても大きく変わるし、そういった体験を経たからこそ不殺主義に拘る人も居る。
殴って殴り返されると痛くて嫌だから…の様な動機の延長でも分かりやすい。
また前述しているが、状況と程度によるが不殺主義とは別におかしな考えではない。
一方で、状況に左右される面が大きいことに加え(戦争・[[正当防衛]])、
育ちによって暴力行為への抵抗感が少ない・特に考えない人も居れば、心身症や心身障害などにもよって左右されたりする。
ストレスによって暴力的になることもある。
そもそも治安の悪い国や地域では「何もしないと自分が害を被るので対抗せざるを得ない」として不殺などという「縛りプレイ」をやってる場合じゃない、という事もある。そんな場所の住人に不殺主義を説いたところで「じゃあお前は私の命や財産を守ってくれるのか」と問われることになる。
不殺主義とその程度・健常者・異常者の線引きを厳密に考えるのは難しい問題だと言える。
具体例を取りあげると、
例えば健常者でも戦争を割り切れる人も居れば、割り切れない人も居る。
そして兵士の場合、立場的に戦争は回避しようと思って出来るものではない。殺したくないという理由で逃亡すれば厳罰である。
割り切れて、尚且つ無事に生き残ることさえ出来れば、その後冷静に不殺主義になってもならなくても大きな問題はないが、
割り切れない人は当然割り切れる人よりも精神に大きな負荷がかかり、身体にも不調が表れ始める(つまり心身症になる)。戦争からの帰還兵が社会復帰に支障をきたす例もしばしば報告されている。
しかも戦場や戦闘など命が軽い環境では、普通は相手の事情など考えてはいられないし、下手に考えると自分どころか仲間の命までもが危ない。
そして周囲の環境と自分の欲求との間における矛盾を解消するために不殺主義に至る。
この例においては不殺主義は適応機制(adjustment mechanism)の一種とも言えるだろう。
(厳密には、適応機制の中の「昇華」 ―― 社会(環境)が認めない自分の欲求を、社会的に認められる形へと置き換えること ―― に当てはまるかもしれない。)
これは実際に兵士が患う「&u(){戦闘ストレス反応}」(Combat Stress Reaction; &u(){CSR})として軍事心理学や軍事医学で研究されており、別段おかしくはない。
もっともこれは一例である。
こういった経験以外から不殺主義になることも、おかしいことではない。
**世界が殺傷を許さない
「戦争を描きたい、国家間の戦争を描きたい、銃や戦車に乗る女の子を描きたい、でも作中&bold(){可愛い女の子のズタボロな汚れ姿は見たくない…}」という&bold(){作者と読者のワガママ}より、創造主たる作者が作中世界での殺し合いを許容しないという作品も多数存在する。
例えば、[[DOG DAYS]]という作品では、命を奪わない、特殊な「戦争」を行っており((正確には、メインとなるフロニャルド世界の住人はフロニャ力の加護ゆえダメージを受けても一時的に『けものだま』という形態に変わるだけ済んでいる。それが働かない状況と普通に怪我や死ぬ危険があるし、異世界から来た主人公たちにはそもそも適用されず、そんな状況下での文字通りの『死闘』も僅かながら描かれている。))、
[[東方Project]]では、[[弾幕ごっこ>スペルカード(東方Project)]]なる特殊なルールでの決闘を行っており、「食べる」「退治する」などもあくまで口上の脅してあり本当に殺すことはない((ただし、度の過ぎた侵略行為や主人公である霊夢にとって看過しがたい場合(人間から妖怪(人妖)になるなど)は『決闘』ではなく純然と『排除(≒殺害)』しにかかる。また外界から迷い込む、或いは妖怪の餌として送り込まれた人間には適用されず問答無用でそこいらを闊歩するモブ妖怪などに喰い殺される。登場人物の大半も他人の命を尊重するとは言えない人物ばかりで、世界観自体は寧ろ殺伐としている方だったりする。))。
創作群である「[[魔物娘図鑑]]」では、&bold(){「(アンデットによる魔物化以外で)死人を出してはいけない」という原作者からの創作ルール}が存在し、これを無視した創作をすることが出来ない。((ルールを無視した創作は通報により削除される。サークル運営のこぢんまりとした創作サークルなので原作者の負担を強いるようなことはあってはならない。))
「[[魔物娘と不思議な冒険〜力の宝珠と帰還の塔〜]]」では、&bold(){闘技場で怪我人が出たら営業停止になる}というゆるふわ世界であり、武器の名前も「ドラゴンキラー&bold(){ィ}」とどこかふざけたものが多い。
この手の作品ではシステムの穴を突いて強引に人を殺すという展開が描かれないわけでもないが、
&bold(){ぼのぼのとした世界観の作品・創作群にて、いきなりキャラの死亡や暴力表現などが描かれたら、誰だって不快になるものである。}((二次創作で何度も警告を受けても作風を改めなかった二次創作作者が、原作者から直々に三行半を突きつけられた例も存在する))
上記の魔物娘と不思議な冒険において&bold(){それをやった魔物が超越者によって異世界に追放された}ことが示唆されていたが、続編の「[[魔物娘と不思議な冒険2~2人の王と紡がれし約束~]]」にて救済された。
*不殺主義の是非
肯定論も否定論もそれぞれ論拠はあるが、それ故に一般的には[[賛否両論]]と言える。
繰り返すが不殺主義の主張そのものはおかしくなく、真っ当と言える。
むしろ人間を殺すという行為を易々と出来るとそれはそれで問題とされる。
では不殺の否定がされるケースとは何か。
それは至極簡単な話で、&font(red,b){不殺によって本来被るはずではなかった被害を生んだ場合・もしくは生みそうになった場合}である。
不殺主義の程度にもよるが、テーマとして命のやり取りを扱うならばそんなことを言ってられない状況が多いことも事実であり、
更にその様な状況で完全に不殺主義を貫くことは、仲間を長く危険に晒す行為になりがちで、迷惑をかけることにまず繋がる。
敵も敵で命懸けなのでそんなこと関係無しに攻撃するわけで、更に不殺を貫けても敵が生き延びてまた危害を加えることにも繋がりやすい。
特にここらが批判の的となりやすい部分……というよりほぼこの一点に集約されるといっても過言ではない。
また、殺さないという事はそのリスクを負う事であるが、そもそも殺したくないのはたいてい誰でも同じである。
そして「自分はこんなに苦労して悩んで敵を倒したのに、なぜお前はそんな呑気なことを・・・!」や「味方がどうなってもいいのか!?」と非難する人が出るのは当然である。
前述の通り、自分や仲間に取り返しのつかない事態を引き起こしかねない、それこそが不殺主義のデメリットである。
繰り返すが、悪人に対して不殺やトドメを刺さなかった結果、自分や仲間だけじゃなく、無関係の人達さえ巻き込むことがあり得る。そうなったら最悪である。
何度もやって反省のない悪人に対して自分の手で殺さず、法でさばいてもらおうとした結果、逃げられてさらなる悪事やとんでもない厄災になるといった展開もある。そうなったら殺さなかった方が悪いという事もあり得る。
また、そうなった場合、本人の精神が逆に蝕まれる可能性もある。
この手の問題はTRPGでは古来から「ゴブリン(人間に害を与えるクリーチャー)を無闇に殺すべきではないか?」という意見が議題として挙がる。ゴブリンはオーソドックスな中世風ファンタジーモノでは基本的に駆け出しプレイヤーが農作物や人間へ害を与える害獣駆除同然の仕事として討伐しにいく存在として扱われることが多い。しかし人型である程度文明を持つ存在のため「異種族・亜人」の括りで捉える人間からすれば殺害の是非を考慮しなければならない、というものである。この辺りも扱いは作品によってまちまちであり「世界観的に敵対する侵略種族なので生かすべきではない」などの不殺主義が適切ではない理由づけをするものもあれば、本当にプレイアブルな種族と同様に扱えるようにして「何故」をプレイヤーに委ねるケースもある。
ライトノベル[[ゴブリンスレイヤー]]はTRPG関連の小ネタが豊富だが、劇中では主人公であるゴブリンスレイヤーはゴブリンに家族ごと故郷を滅ぼされているため復讐どうこう以上に「ゴブリンは一匹たりとも生かしてはいけない」「いいゴブリンがいたとしたらそれは目の前に現れないゴブリンだ」として例外無く皆殺しにする一方、別の冒険者がゴブリンの子供を憐れんで見逃したらそのゴブリンの子供は冒険者を後ろから撲殺し装備を奪い、最終的に現在のゴブリンスレイヤーの住む村を滅ぼしかねない軍団を作り上げるボスエネミーにまで成長してしまった、という事例もある。
この辺りの発想はリアルに置き換えるなら農作物を荒らす猪や鹿、2023年に話題になった人食い熊Oso18などの害獣へ対応する農家やハンターに対し、それに反対する動物愛護団体にも通じるものがあるだろう。皆殺しにすればいいわけでは無いが、実害が出ている以上は対策せねば当事者はたまったものではないのだ。
そこまで極端でもないPBW『ロストアーカディア』は敵対存在である天使が元人間も含まれる(先天的な天使が居ない訳ではない)ことからPCが殺害を躊躇ったりするケースも否定されない((ロストアーカディアは高い自由度が売りのPBWなのと、『元人間を殺害するのに抵抗があるのは当然といえば当然だろう』というのはある))ものの、「世界そのものが天使により詰み寸前」という理由付けから「人類が生き残るためには生かすべきではない」という扱いを受けている。
話は少し変わるが、かつて『[[ZOIDSバトルストーリー>ZOIDS VS.]]』という作品において、戦時中に「開発された最新の義手義足を敵国にも配る」という行為がなされた事がある。
配った側の兵士が、
「これで帝国(相手国)の連中もまた子供を抱けたり恋人と手を繋いで歩いたり出来るもんだ!」
と嬉しそうに話すシーンがある。
そのすぐ後、別の兵士が不安げに
「でも……もしかしたらその腕でまた引き金を引くかも……」
と呟く。
それを聞き、配っていた兵士達は言葉を失ってしまう。
不殺主義とは異なるが、結果は同じく&font(red){相手に未来を与えること}であり、不殺主義と似ている。
不殺の理由が「余計なストレスや責任を負いたくない」でも「相手に情けをかける」でも、結果としては、敵の行動の許容である。
相手にまた引き金を引く可能性を与える以上、また味方や仲間を危険に晒す可能性がある。
**不殺の利点
不殺にはもちろん欠点だけでなく利点もある。当然「本人の自己満足や精神安定」以外で。
それは、&bold(){&color(blue){殺されなかった相手に与えられる未来}}である。
余程の奇人((死にたがりや極度の全体主義者))では無い限り、命が助かれば相手にとっては嬉しい事だろう。
また、場合によっては恩を感じたり、殺さない代わりに条件を付けることで、助けとなってくれる可能性もある。
現代ではあまり期待する様な話ではないが、戦国時代以前ならば、たとえ自分たちの軍に大きな損害を与えた敵の家臣が相手でも、今後は自分に仕えて能力を発揮するならば罪に問わないことは当たり前であった。
復讐心に燃えるなどして降伏を許さず殺していては、軍は優れた人材を吸収できず強くならないし、現地の占領統治をするにあたっても現地に詳しい敵の協力がないとうまくいかない。
それどころか、敵は「殺されないなら抵抗せず降伏するが、殺されるなら死に物狂いで最後の決戦を挑む」となり、自分たちの軍に大きな損害を与えてくることだって考えられる。
適切な不殺は、巡り巡って自分たちの命を守ることもある。
もっともこの例も内心では敵意を抱き続けていたと思われる例が多々あるため、やはりそう単純にはいかないのが厄介なところである。
他にも倒された相手が「戦場で死ぬことを許容する戦士としてのプライドや誇り」を持っていた場合、逆に&bold(){敗北して「殺せ!」と叫んだとしても、殺されずに見逃されてしまい逆にプライドや矜持を砕かれて、ただ死ぬよりも辛い屈辱や恥辱を味わう}場合もまたある。
*不殺主義の条件
基本的には「&font(blue){相手より圧倒的に有利であること}」である。
その中身としては「相手より圧倒的に実力がある」「相手のほうが実力があるが自分に勝機がある」等が考えられるが、
いずれにせよ相手に対する自分の優位はほぼ必須である。
仮に不利な状況で不殺主義を貫いた所で、大半は自身や仲間の死に繋がることになるだろう。
相手を生け捕りにすることを考えてみよう。相手は刃物を持って錯乱した恋人でも、牙や爪のある野生の希少動物でもいい。
殺したくなければ相応の実力や装備が必要になるのである。
#center(){&font(red){相手も不殺主義で、しかも都合良く殺されずに済みましたなんて事はそうそう無い。(別の都合で捕虜になるなどもあるにはあるが)}}
自分も相手も護りたければ、尚更強さも必要となる。
これらのことから極力殺そうとはしないがやむを得ず殺した者に対して、『不殺への重みや説得力がない』などと批判するのもかえって説得力のない話になる。
また、仮に殺さなかった後、反省もせず悪事をしたり、厄災になった時に責任取って対処(または今度こそ殺害)し、被害者に贖罪と賠償を行う覚悟も必要。&bold(){自身の不殺によって周囲に被害を出しておきながら、その後を対処できない者は偽善ですらない&color(#F54738){ただの身勝手な独善者}であり、周りからしたら害悪でしかないのである。}
実際問題完全に不殺に拘ろうとすると、かなり難しい。
例えば刀どころか模造刀一本だけでも、頭部や首などへの攻撃は命に関わるし、一生まともに生活できない後遺症を与えてもおかしくなく、突きにいたっては素材と形状から普通に刺し貫けてしまう。
現実においても、不殺のための武器であるテーザー銃やゴム弾などを用いても、死んでしまうという事故は後を絶たない。
また、これらは比較的防御しやすかったり、射程などの使用条件がなかなかクリア出来なかったりするため、まだまだ課題が多い。
*フィクションの不殺主義
「相手が悪人であっても命までは奪わない」というスタンスの人物が主人公の作品は多い。
特に現代風の作品で容赦なく人を殺すキャラが主人公サイドでは読者や視聴者に受け入れられにくいという面は否めない。
特に少年誌では読者の情操・倫理観の教育観点から出版社側としても「それを掲載した事で読者が殺人に肯定的になるor肯定する理由に作品中の描写を挙げられる」ことの社会的リスクを防ぐ必要がある。
例を挙げると「[[斬]]」という漫画では元々の設定では学生の主人公が[[日本刀]]を武器にして戦う予定だったのだが、「真剣で学生同士が戦うのはNG」という編集部の意向で切れない刀を使う形に修正されたというエピソードがある。
舞台が戦国時代や中世、西部劇、宇宙や異世界だとそこまで配慮されないことが多いが、それでも「[[機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ]]」において
「子どもが視聴する時間帯のアニメ番組で、主人公の少年が無抵抗の捕虜や敵兵を射殺するシーンがあった。タイトルを見て、子ども向け番組だと思って視聴した子どもも多いと思う。どうしても放送したいなら年齢制限を設けてほしい。」
という意見がBPOに届いた例もある。
初代ウルトラマンの脚本家の金城哲夫氏は「ウルトラマンは怪獣の殺し屋ではない。怪獣を諭しているが、それでも暴れるから懲らしめているだけ」とコメントしており、実際に[[高原竜ヒドラ]]をはじめ、[[スペシウム光線]]を撃たなかった怪獣も存在する。
・[[マット・ヒーリィ(漫画版)>機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles(漫画版)]]
・ジャン・キャリー
・[[キオ・アスノ]]([[フリット(3~4章)>フリット・アスノ]]も事実上同調)((討論の場では強く制止・否定はしているが、キオが一緒に出撃している場合はコクピットを狙っていないカットが多くみられる。もっともフリットは最終回でキオに諭されるまでヴェイガンへの憎しみは捨てきれていなかったので、どちらかというと『孫が自分に否定されても不殺を選んだことを尊重し、その邪魔をしない』という意思が主である物と思われる))
・[[バナージ・リンクス]](アニメ版)
・[[ベルリ・ゼナム]]
『ガンダム』シリーズから。立場・経験から殺人を嫌い、コクピット以外だけを破壊する。
&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){…実は二次被害も在ったりする。}}}
広義の意味では[[キンケドゥ・ナウ>シーブック・アノー]]、[[トビア・アロナクス]]、[[ロラン・セアック]]達も不殺が不可能な状況ならば殺すに至るものの、出来る限りは不殺主義的な行動を貫いている。
[[キラ・ヤマト]]も『SEED』後半からは止むを得ない場合以外は戦闘能力のみ破壊する戦法を取っているが、非常に綿密な過程と描写が描かれている弊害による分かりにくさも生まれている。まず本人は不殺の主張も強要も全くしておらず、「これを生かしておいたら(不殺に拘っていたら)死人が大勢増える」という状況では迷わず命を取りに行っている((もちろんなるべく殺害を避けたいという思いもあるが何よりも憎しみの連鎖から脱却しようとする意図が強い。フリーダムが単対多を可能とする機体だから数で押されてる状況であっても不殺する余裕があったからという側面もあるにはある。それは何の罪もない少女エルや避難民をいたずらに殺害したデュエルガンダムに対しては殺害を逆にギリギリで思い留まったりトラウマと戦乱を煽りまくるクルーゼへの感情だったりと、キラは自身でも主張していたようにあくまでも一人の人間でしかないので憎しみを超越したわけでも絶対に殺したくないわけでもない。))。
時に『DESTINY』では当時の一部視聴者や他作品客演時の他キャラから「相手を虚仮にしている」「殺す覚悟も無いのに戦場に出るな」などと非難が集中した((当時はシンに対する判官贔屓でキラを下げてシンを上げる風潮があり、シンはコクピットを何の躊躇いもなく攻撃するが好んで人殺しをするタイプではなかったことも手伝い、相対的にキラの不殺も批判の対象になっていたというのは大きい。実際のところシンは『コクピット狙いの一撃必殺』が得意戦法であり、例え人殺しを好んでいなくとも自分や仲間が生き残るのに最適な戦法、つまり自分の得意な戦法を実践していただけだったというのが本当のところである。なのでFREEDOMではキラの影響もあり不殺戦法を行ったが、結局自分の得手とする戦法とは正反対だったことやキラ同様そもそも不殺する余裕も理由もなかったため行わなくなった。))が、その理由は前作で描写されている上に遺恨なく戦闘を終了させるために戦場に割り込む・戦場から逃げるという当時の行動と立場上、覚悟以前に「相手をなるべく殺してはならない明確な理由と縛り」も生じていた((「その割にミネルバの艦首砲を破壊しクルーに死者を複数名出していた」と再反論されることもあり実際作中でも疑問を呈されているが、「そもそもその照準は外国の手先として戦わされている自軍兵士」「既に発射直前」という状況であり、「シンに追い詰められた際はコクピットを狙って攻撃していた」という指摘もあるがデュエル戦のバンクでありコクピットはそもそも狙っていなかったということが語られており、仮にコクピット狙いの攻撃だったとしても「自分が(シンに)殺されれば仲間の命にも危険が及ぶ」状況であったため仕方ないともいえる))
[[コミックボンボン版>機動戦士ガンダムSEED DESTINY(漫画版)]]においてはキラの行為のせいで機体を盾にせざるを得ない状況にハイネが追い込まれ、結果として死亡する二次災害が生じるかなりの差異があるが、描写が明確に違うので原作とは分けて考える必要があるだろう。((ちなみにステラのデストロイ撃破に関しても原作とコミックボンボン版では描写が異なり、原作ではステラの遺体に傷はないため配慮があったようにも捉えられるが、コミックボンボン版では遺体すら残らない最期となっており明確にステラを殺害している。ただしこれに関しては『シンがステラの暴走に対応出来なかった上、放置していたら被害が拡大していた』側面もあるので、シン視点が多いコミックボンボン版においても『ステラを殺したキラが悪い』という描かれ方はされていない。))なお原作とボンボン版共にキラに対するハイネに関して程度の差はあれ遺恨があったのは同様だが直接の死因だったステラに対してはシンとレイのステラへの個人的感情によりスルー気味だったので((とはいえ原作でもミネルバクルーからはステラは敵でしかなく、シンとの温度差はしっかり描写されていた。更に後に捕虜として適切に扱ったり衰弱に対する処置無し描写やシン達の行動に対する反応や言及もあり、両名が個人的感情を優先していたことは明確に分かる様になっている。なおシンが反発してばかりのアスランはむしろかなりの理解者だったのでここでは温和且つ適切な説教をしていた…ほとんど響いていなかったが。))分かりやすくした結果とも言える((これはシン視点の多い都合でキラが相対的に憎まれ役として描かれていることの影響と、原作とのバランスを取るためか、キラがシンと共にジブリールのシャトルを狙撃する(原作ではルナマリアのみ間に合った。コミックボンボン版においても原作同様狙撃は失敗しているが、裏を返せば『シャトルの狙撃はキラとシンが共に行ったとしても難しい』というルナマリアに対するフォローとなっているともいえる)描写変更もあるのでキラが全否定されている訳でもないことに留意が必要。))。
『FREEDOM』ではキラが迷わず命を取る場面も増えたがそれは相手が数々の非道行為に加えて純粋に強かったため、殺害回避する余裕もなければ理由もなかったことが原因である((実際に尺の短い映画序盤~中盤でも民間人の救援と可能なら戦争調停を目標としていたので不殺優先していたり、不殺に拘る理由がほとんどなく急ぐ必要もある場合は素早くコックピット狙いもしている))((敵対勢力が「キラを本気で怒らせる・生理的な不快感を抱かせる」対応や作戦ばかり行っていたので個人的な嫌悪感も相当強かったのだが、一方で元々深刻に疲弊していたところを敵が精神的に攻撃してきて一時は逆に自分の行動に対する迷いが深まっていた。そして悩みを殴られ…もとい喧嘩と共に仲間に打ち明け最終的にラクスと共に乗り越えたという流れのため、個人的嫌悪感の影響が無いとは言えないが単にキレて殺害したとか、不殺主義からの脱却が映画のテーマというのは間違っている(そもそも上記の通り状況に応じて殺害もしているためキラは自分の行動を覆い隠す主張は一切していない)。他にも応じなかったとはいえイザークもジャガンナートに粘り強く投降を促しており、これも不殺主義の無力さではなく戦争の愚かさを知っているからこその行動となっている。))。
キラ以外も不殺主義的行動をしているからと言って不殺主義を表明しているとは限らない。やむを得ないことがあることを承知しているからだろう。
非常に賛否両論で作中でも批判されるキャラもいるが、彼らのスタンスが事態の解決へ繋がることもある。
・『EW』での[[デュオ>デュオ・マックスウェル]]、[[カトル>カトル・ラバーバ・ウィナー]]、[[トロワ>トロワ・バートン]]、[[ゼクス>ゼクス・マーキス]]、[[ノイン>ルクレツィア・ノイン]]など
同じく『ガンダム』作品。
本編中ではそこまでは拘っていなかったが、『EW』においては敵兵の境遇と自分達を重ね、
またここでの戦いは首謀者デキム一人の野望の意味合いが強かったため、無駄死にさせないようにと考え、不殺に至る(本気で不殺前提だったかは不明確だが、ヒイロも近い理由で建前上の首魁たるマリーメイアには加害しないようにするシーンが存在する)。
カトルら3人が合流したが敵の猛攻の開始や増援もあり不利な状況下になったがそれでも不殺に拘った。
ただし中盤までのコロニー内の白兵戦でヒイロやデュオが加減している様子が無かったり、ゼクスは降下シャトルの撃墜やメガキャノンの攻撃で明らかに死者を出しているなど、オペレーション・メテオの事前阻止が可能な間は不殺よりそちらを優先していた模様(予想される犠牲者の数を考えると当然だが)。
ちなみに不殺でなければ余裕で残りの250機全てを撃破可能。事実、カトルら3人が来るまでの間、ゼクスとノイン二人で250機近くを不殺で機体のみを戦闘不能にしている。
・[[張五飛]]
同じく『ガンダムW』から。戦士としての印象が強いが、「俺は弱い者と女は殺さない」と言っていたように、狭義の意味では不殺主義者。
ただし、女であるノインやレディは見逃しているものの、MSなどを持っている場合は当然ながら弱者とはみなさないので、男の兵士には基本問答無用。
というかこの発言をした時点で男の軍人ではあるが''宿舎で寝ているところを狙って建物ごと吹き飛ばしている''ので正々堂々と戦うことにこだわっているわけでもない((他4名も正々堂々にはこだわっていないが、こんなことは不殺主義者ではないカトルはまずやらない辺りも難解。他3名はこの時点だと作戦次第でやってもおかしくはなかったが。))。
しかも軍人ではあるが彼らはパイロット候補生でまだ戦場には出ていない者たちだった。
五飛の心情は慣れないとわかりにくいので知りたい場合は彼の項目や他の解説も参照。
・[[ジンベエ>ジンベエ(ONE PIECE)]]
[[麦わらの一味]]に加わった新たな船員にして明確な不殺主義者。
(一時期は[[ゾロ>ロロノア・ゾロ]]が女子供相手には峰打ちで済ませるため不殺主義者として扱われていたが彼は「女だろうと容赦なく斬る」と断言しており、「手加減できない範囲の女性とたまたま戦ってない」だけという側面が強いため不殺主義者ではない)
彼はフィッシャー・タイガーの遺した思いを受け、彼の人間との共存と不殺の意志を受け継いだ。
麦わら一味はルフィが前述した通り人が死ぬことを望んでいない節が見受けられたり、ゾロが女子供は「なるべく斬りたくない」というスタンスであること。
また[[サンジ]]が女を蹴れなかったりと様々な事情を抱えており、ジンベエも他のクルーのスタンスに干渉することはしないため彼のスタンスは概ね受け入れられている。
&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){食い患いという精神疾患を抱え、厄災レベルの力を持つビッグ・マムはそんな彼でも例外扱いせざるを得なかったようだが結局は未遂で終わっている。}}}
・[[錦木千束>リコリス・リコイル]]
職業暗殺者「リコリス」でありながら&bold(){命大事に}をモットーに、相手を殺さないよう高価なゴム弾を使って戦う異端のリコリス。
過去に病気で死にかけ、そこから生還した経験から「殺す」=「他人の時間を奪う」行為を何より嫌っており、相手の傷の度合いによっては&bold(){手当てを施す}程徹底している。
・[[月光仮面]]
日本初のTV特撮ヒーロー。
作者である川内康範先生の思想的なものと、「月光菩薩」がモチーフということもあり、「憎むな、殺すな、許しましょう」のスローガンを掲げて戦った。
月光仮面は「正義''の味方''」を自称しているが、「正義」とは悪を裁いて''適切な罰を与える''存在であり
自分は正義ではないが正義の味方だ、という直接悪を成敗するわけではないことを明確にしている。
%%月光仮面のヒットで後発のヒーローにも「正義の味方」を自称しつつ悪人を自ら裁く者もいたりする%%
後に森進一との一件後は流石に川内先生も「許しましょう」とはならなかったらしく、「憎むな、殺すな、糺(ただ)せよ」に変更されている。
・[[春野ムサシ>春野ムサシ(ウルトラマンコスモス)]]&[[ウルトラマンコスモス]]
慈愛の戦士。怪獣も一つの命として扱い、全ての命を護る為に戦う。&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){怪獣でない際(=侵略者と呼べるような異星人)は結構な数を・・・。}}}((もっともムサシ本人もこれを理解していないわけではなく、より「外敵は殺さざるを得ないケースもある」という理念が明確なもとに勤務している防衛軍・佐原司令とも何度も議論や意見交換を行っている。佐原のほうもムサシ、ひいてはEYESの方針そのものは必須なのを理解してはいるゆえの関係性であろう))
コスモス自身は、かつては命を奪うことにそれほど躊躇することはなかったのだが、
ムサシの信念に動かされ、全生命の共存という理想に向かって共に歩き続けることとなる。
・大空大地&ウルトラマンエックス
ある意味、ムサシとコスモスの後継者である[[ウルトラマン]]((制作陣が「ムサシやコスモスを客演させちゃうと大地が(鏑矢諸島や惑星ジュランという形で)「探している答え」をすんなり知って物語が成り立たなくなる。そのためコスモスの単独客演回はやらず、ギンガが客演した時に「コスモスから聞いた話」を語らせる形にとどめた」と発言したあたり、気を遣っていた模様。))。
大地の「たとえ今は[[スパークドールズ]]と言う形じゃないと無理であっても、いつかは何らかの方法で怪獣とだって共存できるはずだ」という考えにエックスも共感。
[[一部の例外はあったが>スペースビースト]]、基本的には&s(){ダイナミック麻酔銃}ザナディウム光線で一時的に鎮静化・スパークドールズ化させるにとどめ、共存の道を探すのに協力することとなる。
・[[緋村剣心]]
逆刃刀を持つ流浪人。
過去に人斬りとして数多の命を奪ってきたことへの後悔から、不殺主義を貫くようになった。
しかし剣の道一本で生きて来たため、「刀は所詮人殺しの道具にすぎないのか」という問いは、彼が心の奥底で常に抱え続ける疑問であり、『るろうに剣心』という作品自体のテーマでもある。
説得で戦闘を避ける、命に関わらない部位を狙う、敵の体が頑丈なのでそれを見越して攻撃?(ないしは手加減する余裕がない)などで不殺を実現している。
冷静に見ると明らかに後遺症や致命傷になりそうなものも多いが、それは剣心の剣術の技量あってのものだろう…という点は[[北海道]]編で明確に「逆刃刀が不殺の武器になりえるのは剣心が人斬り時代に培った技量によるもの」と明言されている。殺しに慣れているからこそ不殺が得意とはある意味皮肉な話である。
逆に剣心が不殺の後継者と見込んで逆刃刀を譲り渡した[[弥彦>明神弥彦]]は竹刀剣術を極めてきたため、&bold(){竹刀の扱いが流用出来ない逆刃刀との相性は最悪}((弥彦曰く「一生をかければ極められるだろうが、その頃には爺さんになっている」))という皮肉な事になっている。
なお、[[一部の>斎藤一(るろうに剣心)]][[仲間>四乃森蒼紫]]が「敵の殺害もやむなし」という信念を抱えている事は「あまり殺し過ぎるなよ」と釘を刺しつつも否定は一切していない。
また、自分の目の前で仲間が戦闘能力を失った敵を殺そうとした際は止めに入った事がある一方で、「仲間がその場で敵を殺さないと他の仲間が危なかった」という緊急事態の際は一切咎めていなかったり、自分が戦えば味方を救える状況で故意に戦わずに死なせた場合は''自分が能動的に殺したのと同じ''と考えているにもかかわらず、それでも仲間の心意気を汲み戦いを預けるなどのある程度は自分の不殺の信念と他者の信念を両立させている。
・[[熱気バサラ]]
詳しくは&font(red){彼の歌を聞け!}
軽く説明しておくとやむを得ない時は[[ミサイル]]やピンポイントバリアパンチを使っており、ちゃんと(武力でも)戦っている。
もっとも、本人は(武力で)戦うこと自体あまり好まないのだが。
・[[エドワード・エルリック]]
人体錬成の失敗他多くの経験から、命の重さを知り「殺さない覚悟」を持つ。
特筆するべきは、「[[人間を素材とした合成獣>合成獣人間(鋼の錬金術師)]]」「[[鎧に宿った人間の魂>アルフォンス・エルリック]]」はもちろんとして、「人体錬成で生み出した何者でもない命」「[[賢者の石]]の素材とされ、縛り付けられた魂」までに及ぶ所であり、
ピナコから「『人間』の定義が広過ぎる」言われ、[[エンヴィー>エンヴィー(鋼の錬金術師)]]からは、「感情じゃなく理屈で人間を定義しろよ」と嘲笑されている。(後者については、「嫉妬」の根幹にあるのが人間の強さへの羨望という側面もある。)
一方で、どのような形であれポリシーを持つ人間に敬意を払う[[ゾルフ・J・キンブリー]]はその徹底したスタンスに感銘を覚えており、追い詰められて「殺される」恐怖に駆られた[[プライド>セリム・ブラッドレイ]]に対してすかさず「あなたはエドワード・エルリックを分かっていない」と指摘。
事実、力の源である賢者の石だけを破壊して「核」には傷一つ付けずに無力化に成功。見届けたキンブリーは満足げに手を振りながら消滅した。
・[[ヴァッシュ・ザ・スタンピード]]
誰よりも強く、誰よりも優しい最強のガンマン。
嘲笑され罵倒され踏みにじられ傷つけられ裏切られ大切なモノを奪われようとも彼は人を救うために今日も銃を構える。
幼少期の壮絶な経験、生い立ちにより不殺の道を進むことになったが、その徹底した生き方は既に狂人の域を軽く踏み越えている。
・蘇芳・パブリチェンコ
命を奪うことへの嫌悪から遂に誰も撃たなかった。
・[[バットマン>>バットマン(人物)]]
映画でもお馴染み、アメコミ史上最も冷酷な男にして鉄の不殺主義者。
両親が悪人に銃殺されたために、悪人と同時に「銃」「殺害」を強く憎み、自身は決して銃を使わず、殺人も犯すまいと戒めている。ただし、「悪人に恐怖心を仕込み悪の心を挫く」ことを目的としているだけあって、悪人に死ぬより辛い制裁を加えることはある。
この誓いが狂人と言われつつも精神の安定を保つ働きをしており、バットマンと[[ジョーカー>>ジョーカー(バットマン)]]との唯一にして絶対の違いである。
・ミヤモトムサシ
命を奪うことへの嫌悪から麻酔弾等で相手を無力化するスタイルをとっている。
&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){実弾じゃなくても頭に当たれば危険だとか、そもそも麻酔そのものもかなり危険だとか言わないで}}}
・香瑩
読みは「シャンイン」。『シティーハンター』のパラレル続編『[[エンジェル・ハート]]』の主人公にて冴羽 獠の義理の娘。
元々「正道会」という裏組織の実行部隊朱雀の伝説のエースの殺し屋「グラス・[[ハート]]」だったが、
殺しに心身を蝕まれ身投げ、死亡したが[[槇村香]]の心臓を移植され第二の人生を歩むことになり、殺しが出来ない体質になった。
また、香瑩の無意識にいる香の意思もストッパーになっている。
余談だが『エンジェル・ハート』は銃撃戦がかなり多いものの、メインキャラ達が極力殺しを避けているためか病死や老衰以外で死者がほとんど出ない作風である。
・三条菊乃(『[[フルメタル・パニック!アナザー]]』)
双子の傭兵三条姉弟の姉。弟の方は不殺主義者ではない。
「初めて殺すのは好きな男」と決めているから殺さないという、不殺主義者…?
ちなみに、現実でも初めて殺人をする事を実際に「童貞を捨てる」ようなたとえをする事もある。
ただし女同士はノーカンらしく、相手が明確に女と分かっている場合は本気で殺しにかかる。
・城山恭介(『[[未踏召喚://ブラッドサイン]]』)
フリーランスの召喚師の主人公。召喚師としての腕前はトップクラス...どころか「召喚師」はおろか「人間」と言う枠組みで作中で彼を超えるのは片手で数えるほど。
どのような激戦でも敵を殺すことなく倒し、悲劇に巻き込まれたヒロインを救う姿勢をどんなときでも必ず崩さないことから召喚師としての通り名は『&ruby(アリス(ウィズ)ラビット){不殺王}』と呼ばれている。
しかしスタンスとしては死なせなければいいだけなので、悪辣すぎる相手や生かしておくと際限なく自分にリベンジをかましてくる相手は容赦なく半殺しにしたり、戦いが出来なくなる再起不能の怪我を負わせるなど、の行為は厭わない。
・[[上条当麻]](『[[とある魔術の禁書目録]]』)
2巻のエピローグ、病室での会話で不殺のスタンスが明かされている、
「邪魔者は殺して万事解決という輩が許せないから命懸けの戦いに飛び込んだのに、そんな自分が殺人での事件解決を肯定したら罪悪感に耐えられなくなる(意訳)」
という理由で不殺を実行している。
・市村鉄之助(『PEACE MAKER鐵』)
両親の仇を討つため[[新選組]]に入隊した少年。
しかしいざ人が斬り殺される場面を見てから思い悩み始め、最終的に「強くなりたかったのは仇を討つためではなく弱い自分を殺すため」だったと気づく。
以来、自分は殺さないと物語のヒロイン沙夜に誓い、戦闘では腕や足などを斬るだけに止めていた。
しかし後の会津での激戦から生還した彼は、死んだ目で生かした敵の両の手の指を切り落として戦力を奪うという行為を行うようになっていた。
//似て非なる…とかはちょっと悪意が感じられるので削除します
//個々の記述をもっと中立的にするには仕方ないと思います。
・[[アクセル]]=ロウ(『[[GUILTY GEAR(ギルティギア)]]』シリーズ)
20世紀からGGの舞台に飛ばされてきたタイムスリッパ―。
普段はいい加減な楽天家だが、相手がどんな悪党だろうと決して死による制裁を下すことはない。
本編開始前には、街に平和を取り戻すため自らギャングの世界に身を投じ、持ち前の高い身体能力を駆使してわずか半年でギャングの抗争を&bold(){敵味方共に誰一人の死者を出すことなく}平定した。
不殺を貫くきっかけは、[[イギリス]]のスラム街で生まれ、絶えることのないギャングの抗争で毎日のように誰かが命を落とすという環境の中で育ち、「死」の存在を激しく嫌うようになったため。
・バルサ(『守り人』シリーズ)
ある事情で幼くして王族から刺客を差し向けられた彼女を、地位も名誉も捨てて守り育ててくれた今は亡き養父に恩を返すため、バルサは養父の殺した追手と同じだけの7人の人間を助けるという誓いを立てている。
そして「誰かを守るために他の誰かを殺してちゃしょうがない」という理由で、護衛対象を殺しに来た者であっても手にかけようとはしない。
それどころか、護衛中に傷付けてしまった相手も助ける人数のノルマに加算し続けているため、もはや今の護衛相手が何人目なのかも分からなくなっており、本人も「今日一日を生きてるだけさ」と自嘲する程。
またアニメ版では負かした相手が屈辱を感じで復讐しに来るなど、負の側面も背負っている。
・[[ハヤテ・インメルマン]](『[[マクロスΔ]]』)
「空を飛ぶ」事をパイロットとしての一番の目的としている主人公で、戦闘機バルキリーに乗ったのはヒロインとの縁で守った際に搭乗。
その操縦性に惹かれたという面が大きく、パイロットとして訓練は受けたものの、殺害を行う事については拒否を明言している。
もっともこれ自体は他のパイロットも概ね目標にしたり実行しており、その理由も「大部分は敵の策によって強制的に操られている者」を止めるためというもので、作中の環境においておかしい主張というわけではない。
僚機が危機に陥った時にはやむを得ず撃破したものの、その後は技量や経験の向上もあってコクピット以外の破壊を狙って成立させている場面がみられる。
・[[エイジ>アルバトロ・ナル・エイジ・アスカ(蒼き流星SPTレイズナー)]]([[蒼き流星SPTレイズナー]])
エイジの単独項目にもそのまま書いてある。不殺なのは性格もあるが侵略国=メイン敵であるグラドスの血が流れているというのもあろう。
米兵が米軍の主義主張を嫌ったからといって、米軍人すべてを喜々として射殺するか?というような話である。
1話でパイロットを殺したくない、と部位破壊を狙う直前に会話しているのもグラドスでの先輩キャラ。
第2部でスタンスを幾分か改めたものの引き続き有人機の撃墜は控えており、結果的に死鬼隊ですら直接手にかけることはなかった。
・[[桃太郎]](『桃太郎伝説』シリーズ)
鬼ヶ島へ鬼退治へ旅立つが、鬼達をこらしめて愛と勇気を伝えることを目的としている。
[[新桃太郎伝説]]でも冒頭の[[負けイベント]]を経て天の仙人から鬼達が憎いだろうと問われるが、それでも愛と勇気を伝えることを選ぶ。&s(){というか憎いと答えると人気を下げられた上に[[無限ループ]]になるため結局は選ばされるわけだが}
・ルーン・バロット(『[[マルドゥック・スクランブル]]』)
同作の主人公である少女娼婦。全身を炎に焼かれ死にかけたところを委任事件担当捜査官ドクター・イースターと意思を持つ[[ネズミ]]型万能兵器ウフコック・ペンティーノに救出され、
自分を消そうとした犯人を立証するために、禁じられた科学技術で作られた金属繊維の皮膚を移植されて命を取り留める。
その際に金属繊維とウフコックに由来する超人的な力を手に入れ、敵の刺客を撃退する際、今まで虐げられてきた境遇の反動で暴力に溺れ、刺客たちを弄ぶように殺してしまう。
しかし、その後は様々な人物と出会う中で「[[力に伴う責任>スパイダーマン(アメコミ版)]]」「暴力に依らない心の強さ・勇気」などを学び、
最終的に、自分と同じ禁断の科学技術で武装した敵を前に「殺さない、殺されない、殺させない」という信条を掲げるに至った。
このバロットのポリシーは、次回作「アノニマス」の登場人物にも影響を与えている。
・[[ルーンファクトリーシリーズ>ルーンファクトリー(シリーズ)]]の主人公
あらゆる武器に「タミタヤ」という魔法が組み込まれており、モンスターを倒しても「はじまりの森」に送り返すだけで命は奪っていないという設定。
シリーズの世界では標準装備であるらしく、投げ技や投擲、武器ですらない農具などでモンスターを倒した場合も発動している。
人間相手には効果が無いが殺害までに至った例はなく、シリーズ通じて不殺を継続している。
獣型モンスターが毛皮、魚型モンスターが古代魚の骨をドロップするなど、明らかに致命傷を与えていそうな場合もあるのはご愛敬。
・[[キン肉スグル>キン肉マン/キン肉スグル]]他アイドル超人の面々(『[[キン肉マン>キン肉マン(漫画)]]』)
キン肉マンことスグルから深い影響を受けた[[正義超人]]の一派。戦いの目的は相手を倒すのではなく分かり合うためのものであるという理念を持ち、それは負けたら自害する掟を持つ[[完璧超人]]相手であっても例外ではない。そういった理念を強く体現した技が相手に自害すら不可能なほどのダメージを与えつつも決して命は奪わず、尚且つその完成度故に食らった相手も感服してしまうというキン肉族奥義の一つ「マッスルスパーク」である。もちろん全ての正義超人が不殺主義者という訳ではなく、残虐超人のように相手の殺害を厭わない正義超人や「おそらく殺めてしまうことになるだろう」として正義超人からの足抜けを宣言した悪魔超人経験者も存在する。
・[[雨取千佳>雨取千佳(ワールドトリガー)]](『[[ワールドトリガー]]』)
人を撃てないスナイパーでワールドトリガーのヒロイン。
本作の模擬戦やランク戦の仕様として、「戦闘体は痛覚ほぼ無し(あるいは全く無し)」「致死ダメージを受けても死なずに控室に送られる」といった仕様なので仲間同士で殺し合いを行うのがこの作品での主な訓練方法なのだが、それでも人を撃つのを恐れている。
正確には攻撃でダメージを与えるのを恐れており、意図的に撃った時や誤爆で倒した時などは顔を青ざめていた。
しかし相手にダメージを与えない、体に重石を発生させる鉛弾(レッドバレット)は普通に撃つことができる。
この鉛弾による拘束や、作中最高の火力を活かした&bold(){狙撃銃による砲撃}での地形の破壊などでチームの勝利に貢献している。
しかし、一部の仲間から「人が撃てないのではなく撃ちたくない(人が撃てないとは言ってない)のでは?」と言われている。
・鳩原未来(『[[ワールドトリガー]]』)
人が撃てないスナイパーその2
狙撃の腕前は作中トップクラスなのだが人が撃てないため相手の武器を狙撃で破壊していた。
しかし、一度だけ人に当ててしまった時は、ゲロを吐いて寝込むなど猛烈な拒否反応を起こしていた。
鉛弾による狙撃は鳩原が考案したのだが、彼女のトリオン(作中の生体エネルギー)量では、実用に至らなかった。
・ティンフィスト(『[[Kenshi>Kenshi(ゲーム)]]』)
奴隷解放の大義を掲げる組織、反奴隷主義者のリーダー。
1000年以上前に滅んだ旧文明の生き残りで、剣の世界であえて武術での戦いを選び、100年以上も不殺を貫き通している。
……という設定なのだが、本作における武術とは、最初は頼りないが極めるほどに強みを増すという立ち位置で、本作最強クラスのキャラクターである彼が武術を振るえば、その拳の威力はメイトウをも凌駕する。
設定に反してまったく手加減してくれないので、食らった相手の手足は容易く千切れ飛び、当たり所が悪ければ即死する。大切に育ててきたキャラクターを彼に殴り殺されたプレイヤーは数知れず。
お前のような不殺主義者がいるか、といいたいところだがこれはゲームシステムが悪い。
・ヨシヒコ(『[[勇者ヨシヒ>勇者ヨシヒコと魔王の城]][[コシリーズ>勇者ヨシヒコと悪霊の鍵]]』)
斬りつけた相手を気絶させるだけで殺すことはない「いざないの剣」を振るう勇者。元は平和の神から与えられた剣。
毎話冒頭で人間の盗賊との戦闘になるのがお約束で、その際にこの特性は最大限に生かされることになる。&s(){自滅して死亡した盗賊もいるが。}
・[[ルカ>ルカ(もんむす・くえすと!)]](『[[もんむす・くえすと!]]』)※R-18ゲーム
同作主人公の偽勇者。魔王討伐という目的を持ちながら、人と魔物の共存を望んでいるために魔物を殺害することを望まないために本気で剣を振るえないというジレンマを抱えた姿を見かねた[[アリス>アリスフィーズ(もんむす・くえすと!)]]から相手を殺さず封印できる「堕剣エンジェルハイロウ」を贈られ、以降彼の愛剣となった。封印効果は魔物のみならず天使、はたまた&bold(){人間}にすら有効。
ちなみに次回作である[[もんぱら>もんむす・くえすと!ぱらどっくすRPG]]においても同様の点が指摘されるが諸事情からエンジェルハイロウを受け取ることは叶わず、&bold(){魔物は頑丈なのでよほどのことがなければ本気で斬ってもまず致命傷にはならない}というあんまりにも雑な理由で強引に解決した。
・ミーア・ルーナ・ティアムーン(『[[ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー]]』)
革命によって断頭台送りにされた後、何故か過去に戻ったティムーン帝国の皇女。
「自分という前例がある以上、&bold(){相手も死に戻りしないとは限らない}」という理由から、他者の殺害のみならず、最終的に死に戻りに繋がりかねない「誰かの破滅に繋がる行動」は極力避ける方針を貫いている。
・テリー・リッチモンド(『レベル・リッジ』)
元アメリカ海兵隊マーシャルアーツプログラム(MCMAP)教官。いとこが逮捕されたため保釈金を払いに出向いたところ、悪徳警官により"合法的に"金をとられてしまうが…。
といったように本作は所謂「舐めてた相手が実は」系の作品なのだが、テリーの場合は&b(){法に沿った手段を十分に模索し、違法な手段は合法的な解決が不可能と判明した場合のみ、必要最低限の範囲で実行する}という点が徹底されている。
そしていざ暴力を行使する段階に至っても、格闘術や非致死性武器を使って相手の無力化に努め、殺しは極限まで避けている。
悪徳警官たちの表面的には適法性を謳いながら裏では違法な暴力を振るい、時には殺人も辞さない姿勢とは対照的であり、そんな悪人共の銃を奪い取り&b(){弾薬を抜きとって}武装解除するテリーは彼らに対する強烈なアンチテーゼとなっている。
・[[虎杖悠仁>虎杖悠仁(呪術廻戦)]]
&font(red){「いつか悪い呪術師と戦ったりするよね、その時はどうするの?」}
&bold(){「……それでも殺したくはないな」}
&font(red){「何で?悪い奴だよ?」}
&bold(){「なんつーか一度人を殺したら、『殺す』って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ」}
&bold(){「命の価値が曖昧になって、大切な人の価値まで分からなくなるのが俺は怖い」}
[[吉野順平>吉野順平(呪術廻戦)]]に明かした虎杖のスタンス。
この真摯な言葉は、吉野の気持ちを動かし凶行を一度は止める切っ掛けに[[なったのだが……>真人(呪術廻戦)]]
*ゲームプレイヤーによる「不殺」
近年、「相手を殺すことが出来るが、見逃すことも出来る」ということを[[プレイヤーに選ばせる>自由度(ゲーム)]]ゲームが多数発売された。
製作、開発陣も意図的にノーキル向けのルートや手段が設けられており
・絞め技といった体術、麻酔弾や睡眠薬など不殺道具による気絶や無力化
・迷彩や変装などでバレないように通過する
・音や光による陽動、罠やセンサーの誤作動で敵を誘導させたり、特定の場所に閉じ込めて戦いを回避
・通行証となるアイテムや和解イベントなどの条件満たすと敵対関係から中立や友好関係になる
・戦う展開にこそなるものの、相手を見逃したり、屈服させるなど、殺害以外の選択肢がある
・第三者へのターゲット始末依頼、事故や災害などの対象の始末((あくまでプレイヤーが直接やるのはカウントされるケース))
・レベルアップやアイテム習得用にあくまで不殺対象は人間で亡霊や機械などはカウントされないからそいつらは倒しても良い
基本的に、相手との和解や屈服のためにひと手間かけるよりも、相手を殺した方が早いしお金や[[経験値]]も手に入ってお得という意味で楽ではある。
しかし、その手のゲームには敵を誰一人として殺さないことでのみ展開されるストーリーがあったり、特別な称号、実績が手に入ったりする。どちらかというと、&bold(){「プレイヤーへの挑戦状」}といった立ち位置だろうか。
逆に安易に殺す方がデメリットが大きいというゲームも多く、それの影響で難易度上昇やアイテム習得不可がある。
勿論、[[真逆も然りであり…>皆殺しルート(ゲーム)]]
**「不殺」が可能なゲーム
・[[LIVE A LIVE]]の幕末編(人間キャラを1人も殺さない「0人斬り」プレイが可能((なお、不殺対象は人間限定で妖怪などはいくら倒そうがセーフ、また味方になるカラクリ丸がイベントで壊れた際に巻き込まれて死ぬ人達はおぼろ丸が命じて殺したわけではないのでセーフ。)))
・[[UNDERTALE]](制作者のToby Fox氏は、上の「LIVE A LIVE」幕末編0人斬りからも影響を受けたと語っている)
・[[SHRIFT>SHRIFT(ゲーム)]](R18ゲームにつき注意)
・[[Dishonored]] (「悪徳政治家のスキャンダル追及」などの社会的抹殺手段が用意されている)
・メタルギアシリーズ(体力の代わりにスタミナを削って倒すことで殺害数にカウントされない((作品によって不殺判定がガバガバなことも多く、MGS3では「毒蛇を投げつけて相手がかまれて死んだ場合は不殺」「乗り物の運転者に麻酔銃を撃って相手を事故死させた場合は不殺」「同じく麻酔銃を撃って相手が転落死や溺死した場合は不殺」という仕様だった。))。ただボス敵は倒された後自殺するため、殺していないかと言われると…)
・スプリンターセルシリーズ(殺さなかった相手には、&bold(){然るべき法の裁きを与える}ことが出来る)
・師父-Sifu-(&bold(){相手を殺さず心を折ることが、武術の真髄であり、徳である})
*逆に主人公・味方役が殺人を躊躇しない設定がある場合
不殺主義の主人公・味方役を嫌う人は不殺主義の防止の発想で殺人を躊躇しない設定にすればいいのでは?と考えるかもしれないが、その考えも必ずしも良い結果を生むとは限らない。
もし主人公・味方役をそんな設定にしてしまった場合、それはそれで説得力のあるしっかりした理由づけが求められる。
当たり前の事だが人を殺す事は悪である。
実際は「殺してもいい存在と殺してはいけない存在の境界線」などなく、「殺す必要性があるかないかの境界線」な上に後者の境界線も基本的には曖昧である。
**殺人の説得力関連
「相手が敵・悪い奴・自身を殺そうとした・殺人をしたから」などの描写があってもその過程がおざなりだったなら説得力に欠けることとなり、
下手をすれば読者・視聴者から説得力のない正当化をしてると悪い印象を抱かれる事もある。
更に「主人公・味方役が敵より圧倒的に強くて手加減が容易」「敵が根は悪人じゃない・改心する可能性・悪事にやむを得ない事情があった・そもそも悪人ではない」など
主人公の戦闘力や敵側の描写などを掘り下げるほど、場合によっては相手を殺す事に説得力を持たせる事が困難になる。
作風によっては「主人公・味方役が人を殺した事による罪悪感・苦悩・責任を背負う、恨まれたり責められる、殺人の報いを受ける」などの描写も必要になるかもしれない。
それ以外にも後悔したところで短時間で忘れるようなファッショントラウマ((着脱可能な衣服の様にトラウマ設定が安易に付与されたり消える様子からの命名。そんな程度のものなら一般的にはトラウマや後悔とは呼ばないだろう。))やら、同じことを繰り返す学習能力の欠如だったり、
周辺描写を掘り下げた結果、読者・視聴者から主人公・味方がただのやばい奴という評価(作者は気づかずに作中では善人扱いのまま)になる作品もそれなりに有る。
これらは不殺主義者でも当てはまりうるのだが((分かりやすい例として、侵略者にして大量虐殺者で恩人も殺害している少女に対して優しく接しながら「君は正当防衛しただけ」などと主人公がのたまう作品がある。後者の場面だけ見れば「善人」だが前者を忘れていない読者からすれば「サイコパス」にしかならない。これほど劇的ではなくとも場面に応じて設定が大きく変わる作品は結構ある。))、ブレーキが効かない殺人を躊躇しない(しかし善人設定)の主人公・味方の方が短絡的だったりサイコパスになりやすい傾向にある。
**もし殺さずにすんだ敵を殺したら?
物語の展開的に「殺さずにすんだ敵を殺してしまう事」も普通に発生しうるが、
一方で読者・視聴者から見て「本当に殺す必要があったのか?」と思わせる殺人を起こしてしまう事もある。
そうなれば主人公・味方役がよほどの悪人か[[サイコパス]]キャラクターでもなければ、いくら不殺主義ではなくとも葛藤など何かしらのフォロー描写をいれなければならない。
**非不殺主義者なら嫌われないのか?
不殺主義・なるべく殺さないキャラの中で特に嫌われがちなキラ・ヤマトが主人公の『ガンダムSEED』もなんだかんだでアナザーガンダムの中で屈指の人気作で日本アニメ業界全体でも立派な名作であるし、他のガンダム主人公の中にもキラ・ヤマトに負けず劣らず嫌われている主人公もいる。
**悪役主人公・悪役味方役関連
中にはあえて擁護しきれない殺人を行う事で人気を得る主人公・味方役もいるが、
もちろんそれは飽くまでも悪役や否定的に描かれる役といったアンチヒーローとして人気を得ているのであって決して王道の主人公のような扱いではない。
**殺人の説得力を疎かにしてその殺人をした主人公・味方役を悪役として描かなかったら?
この様にやり方を間違えれば「主人公・味方役の悪役化・サイコパス化」が起きたり、
主人公・味方役を洗脳じみた絶対正義・絶対善として扱いすぎる作風になってしまったり、
「ただ登場人物の命を軽視するだけの作風」になってしまったりして作品そのものが嫌われてしまう事になる。
**非不殺主義の主人公・味方役の結論
不殺主義のキャラやなるべく殺さないキャラにする設定は、ブレーキをかける機能やキャラクター性の掘り下げの面もある。
ここまでの例から、非不殺主義者だが殺人を躊躇しない(言い換えると安易に殺人する)善人なんてキャラはむしろ下手なサイコパスよりもサイコパスしていることが分かるだろう。
とはいえこれも絶対的に『殺人を躊躇しない善人』が全てサイコパスという訳ではなく例えばアムロ・レイなんかは『戦争だから』というのもあるが躊躇無く人を殺しまくっている((まあアムロの場合は逆シャアの時は『躊躇してたら無辜の人間が大勢死んでしまう』というのも複合されているのだが。そんな彼もZガンダムの時は『ランドセル』と呼ばれる部位のみ破壊し無効化するだけに留めたこともあり、無闇矢鱈と相手を殺すのは避けようとする意思も持っているようだ。))ものの基本は(シャアの行為を真っ向から否定する程度に)善人でありサイコパスでもない。
また『相手が自分と互角または格上だからそもそも殺人を躊躇してる暇はない』『自分は相手より格上だが仲間が相手と互角かまたは格下なので守らなければならないので殺人を躊躇する暇はない』善人も居ない訳ではないので、結局のところは作者の匙加減といったところだろう((ドラゴンボールの孫悟空は基本的にこれである。しかし彼も相手の『殺害』にはこだわっていないためピッコロやベジータは殺さず、リクームもトドメを刺したのはベジータであった。『殺害』にこだわらないためカエルと入れ替わったギニューを見逃すよう進言したこともあり、この際は『カエルになったら何も出来ないだろう』とまだ悪人であったフリーザ編のベジータですら見逃した程である。フリーザを見逃したのは星の爆発が近かったためにトドメを刺しに行けなかった、という側面もあるので能動的に見逃したかどうかに関しては意見が分かれるポイントである。フリーザ自身は『悟空は甘いから悪人である自分も殺さなかった(意訳)』といってのけているが。))。
*最後に
繰り返しになるが、不殺主義は賛否両論である(完全不殺主義だけは絶対に殺した方がいい時がある以上、否定意見が多めであるが)。
そのため、賛成・反対の双方で議論が荒れる場合があるが、お互い冷静に尊重して作品や場を荒らさない様に注意しよう。
追記・修正は誰も殺さない方にお願いします
前述した『ZOIDSバトルストーリー』の義手義足の話だが、兵士が不安を述べた後、その場にいた看護婦の女性は引き金を引く未来を強く否定しこう述べている。
「だって私達……人間ですもの……!」
それを聞いた兵士達は安堵し、全ての義手義足を配り終えた。
相手も同じ人間で、同じ命なのだからと、人に未来を与える道を選択している。
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*概要
不殺主義とは、フィクションの戦闘において「生命だけは意地でも奪わない」という思想・行動を指す造語である。
主にキャラクターの行動原理を解説するためのフィクション用語なので、厳密にはリアルの主義やイデオロギーとして使われる事はない。
示す内容は読んで字の如く
#center(){「&font(blue){殺さない主義}」}
である。……うん、まんまやね。
戦場や戦闘と呼ばれる特殊な環境・状況では、自分又はそれに連なる他者の命、財産を護る為に命のやり取りを強いられる。
そういう特殊な環境で護身の為に一番手っ取り早い方法はズバリ、「&font(blue){相手を無力化する事}」にほかならない。
戦闘である以上、相手はこちらの都合など考えるわけもなく、抗える状況ならためらいなく引き金を引いてくる。
銃や[[手榴弾]]を持っていれば、たとえ一歩も動けない状態であっても指一本動けばそれだけでズドンということ。
必然的に、戦闘時における最も効率的な護身とは、「&font(red){相手をぶっ殺す事}」となる。
というのも、非致死性的な干渉は難しいが、致死性的な干渉は気遣う必要がなく簡単だからだ。
また、一対一など小規模ならば配慮しやすい場面も多いが、多対多となる戦場においては下手に敵を生き残らせることは危険を招くことになる。
・「身を護るためには撃て」
・「仲間を護るためには撃て」
・「家族を護るためには撃て」
こういうのは創作物でも結構描かれているので[[なんとなく]]わかると思う。
こういったセオリーに対して、自身が危険な場面でも相手を殺さないのが「不殺主義」である。
しかし、上記の通り戦闘において意図的に相手を殺さず無力化する……「不殺」というのは非常に難しい事が分かるはず。
生物は出血だけであっさり死に至る以上、無力化には高度な技術か専用の道具を用いて拘束する・気絶させる程度に限られるが、
戦闘においてそれらを常備できている状況は限られる。それを以てしても当たり所や加減を誤ればあっさり殺してしまいかねない。
近代兵器をもってしても状況が限定されて難しいのだから、充分な近代化が済んでいない時代や地域では、なおさらである。
フィクションにおいても[[敵側の事情>ヒュンケル(ダイの大冒険)]]を察してあえて不殺の戦法を取った[[味方側のキャラクター>アバン=デ=ジニュアール3世]]に対し[[それを知った敵>旧魔王軍(ダイの大冒険)]]が『あえて危険な手段を選んだのか』と関心する描写があるほど(皮肉でないのは、敵側も当該人物の精神性に感服したから)には困難である。
ちなみに出来れば生かして情報を得たい、戦略的に見過ごすなどの場合もあるので、戦場においても必ずしも殺害が正解[[というわけ]]ではないが、それは別に不殺ではなく別の目的を持つ作戦・戦略であって不殺主義とは関係ない((明確に『捕虜を取るための生け捕り』であったり、『無理に殺そうとした結果敵が死兵になることを防ぐため』であったり、『死体なら後からでも回収できるが生きた人間はすぐ回収しないといけないという心理が働き、結果として殺害よりも敵に負担を掛けられる』だったり、『戦争だからといって殺し過ぎると国内外から批判されるから』だったりと敢えて殺害しない理由はいくつも存在する。そもそも戦争において優先されるのはあくまでも『作戦目的の成功』であり、極端な話『敵を多く殺せても作戦失敗したら意味が無く、敵をあまり殺せなくても作戦成功すれば大きな意味を持つ』のである。敵の撤退が作戦失敗を意味するのであれば敵の殺害は優先事項になるが、それもあくまで『戦略の一端』でしかない。))。
で、あるならば、「不殺主義は命のやり取りをする戦場において基本的に不合理である」という論調が当然出てくる。
ただし、それはそれとしていつでもどんな状況でも殺しに拘ることは、フィクションであろうとも危険人物として扱われやすい。
*不殺主義の定義
「できるだけ殺さない」「戦いはするが殺したくない」という態度は、健康な人間にとって当たり前であり、別におかしなことではない。
それだけであれば不殺主義と呼ばれる事はまずない。
狭義の不殺主義はこうした欲求をさらに過激に解釈した&color(red){「いかなる状況でも殺害を拒否」}といった行動に対して用いられる。
更に突き詰めるなら、&color(red){「相手の生命を重んじる」「殺人という行為そのものへの強い忌避」という動機の元、それそのものを自らの信念として掲げ実行する事}を指す。
したがって、&bold(){&font(red,black){「殺しはしないが、明らかに死ぬより辛い拷問を与える」}}だとか、上述したように捕虜を取るための作戦といった場合には一般的に不殺主義とは言わない。
広義になると程度によって色々で、&bold(){「人は絶対に殺さない」「民間人は殺さないが、戦闘員は殺す」「女は殺さない」「人は絶対殺さないがモンスターなら赤ん坊でも殺す」}などに分かれていく。
そんななので、どこまでを不殺主義とするかは人によって解釈が大きく分かれる。
というか、この辺突き詰めると、&bold(){「少女以外は殺さない菜食主義の殺人鬼」}[[零崎曲識]]とか、&bold(){「人は絶対に殺さないが、異教徒は人間じゃないので殺してOK。むしろブチ殺せ」}の[[アンデルセン神父>アレクサンド・アンデルセン]]とか、&bold(){『生きていれば食料となる謎を産むかもしれない』という打算で相手を極力殺さないようにしているだけでうっかりしてたり止むを得ないときは普通に殺す}((何ならシックスには『自分の縄張りを荒らす害悪』と見なして明確な殺意を向けたことすらある。ただしシックスもシックスで『人間を越えた新種』を名乗って居たのでそもそもネウロがそんなシックスを『人間』と見なしていない節があるのだが。))[[脳噛ネウロ]]((とはいえ劇中でネウロによる明確な殺害描写があったのはシックスのみであり、『極力殺さない』という姿勢は徹底して守っている。彼が「不殺主義」といえないのはその行為が打算ありきであること、「うっかり」で殺してしまった可能性に関しては無頓着であることが理由である。))&bold(){依頼のターゲットや自分のルールを破った者は情け容赦なく徹底的に殺すが、それ以外では動物すら極力殺さない}[[ゴルゴ13>デューク東郷/ゴルゴ13]]すらも「不殺主義」という変な話になるので、本人が「不殺」と主張していない限りはあまりあれもこれも不殺主義認定はしない方がいいかもしれない。
*実際の法律・法解釈から考える不殺・殺人の是非
※あくまで参考。実際の刑罰に関しては弁護士や検察官など専門の人間の判断に委ねられます。
どのような国でも殺人は重罪と見做される。それは生存権を筆頭とした他者のあらゆる人権の侵害行為だからだ。命は一度奪われたら取り戻す事が不可能であり、失ったが最後、被害者はそこに連なるあらゆる財産や権利を喪失してしまう、故に余程のことがなければ重罪と見做されるのだ。
ではその余程の事態とはどういうことか。日本の法律において「殺人罪」とは「人間を殺そうとする意志(殺意)」と「人が死ぬという危険性」を認識した上で実行したかどうかがその罪の重さに関わり、特に殺意の有無は裁判において重要な争点となり、失敗しても「殺人未遂罪」、計画段階だとしても「殺人準備罪」となる可能性がある。
もっと言えば自分自身が殺害行為をしなくても「他人に殺人を指示する(犯行教唆)」ということを行えば殺人の実行犯と同等に罰せられる(犯行に銃の引き金を引く事で放たれた鉛玉と指示された相手、いずれにしても「被害者の肉体を損壊させ殺害する」という結果を導き出す事に変わりはないため)。
殺意がない、死ぬという想定がない中で誤って殺害した場合は「過失致死罪」というもっと軽い罪となり、
酩酊状態や脳の異常等で殺人という行為もリスクを正常に判断できないなら「心神喪失」と見做され減刑・不起訴の可能性もある。
また子供はリスクを正常に判断できるだけの教育がされず、また人生の残り時間も長いため一定年齢以下までは「少年法」で保護される。
また、「自身、または他者の命が侵害されそうで、相手を殺す以外で防ぐ手段がなかった」という状況ならば「正当防衛」が適用される。ただしそこまでの経緯で適切な行動が取れなかったり殺人までいかなくてもなんとかなったとされたなら「過剰防衛」と見做され正当防衛ほどの情状酌量の余地は与えられない。
また「Aさんを殺そうとして真っ暗闇で殺したら全く別人のBさんだった」という、特定の個人への殺意があった上で起きた事故の場合は法解釈が分かれ「殺人罪は『人に対する殺意と殺人行為』が対象なので誰に対しては問わないので殺人罪が適用される」とするか「Aさんに対する殺人未遂と、Bさんに対する過失致死罪が同時に発生する」とするかが争点となり、これはどのような状況かでどちらが適用されるかが変化する。
いずれにしろ、法的に殺人とは余程のことがなければ重い罪と見做され、仮に無罪になったとしてもその後は監視下に置かれる事になる。「冤罪を起こさない」事を重要視してるため被告人を保護する法令が豊富な日本ですらこのような扱いなので、海外ではさらに重い扱いとなる可能性は上がる。
**不殺主義ではない例
-警察等の治安機関が犯罪者を逮捕した
「職務執行」または「拘束」であって、&bold(){警察は個人的な「主義」によって動いているわけではない}。
戦場と違って命のやり取りをしているわけではなく、それが職務であるという点が大きい。
リアルな話をすると、治安維持を目的とする公的機関の対処法は、基本的には逮捕が正当である。法的根拠が無い限り、殺害は職務執行法違反になる。
なぜなら警察は犯罪を明らかにするための「ヒトやモノ」を''残さず確保すること''が仕事で、それらを判断して本当に犯罪だったのかを判断するのは''後で他の人間が行う仕事''であるため。すなわち容疑者でしかない人間を現場で殺してしまったら意味がない。
つまり至極当然の行為なので不殺主義かどうかとは関係が無い。
これらに関連して相手が銃を持ち続けるなど、命にかかわる(正当防衛となる)状況においての単純な射殺などは罪に問われることは少ない(※最初から殺害する意図があった・抵抗できなくなったことが分かってから止めを刺すなどすれば、罪に問われることが多い)。
特別の例:ヒーローなら[[パニッシャー>The Punisher]]、警察ならダーティハリーなど)
-良心的兵役拒否
不殺ではあるが、これらは戦闘や暴力の行使自体を拒否する。
不殺主義を内包してはいるが、非暴力主義(非暴力的抵抗)・平和主義の方がより正しい。
[[わんだふるぷりきゅあ!]]の登場プリキュア達もこれであるが、彼女たちの場合相手がそもそも敵であるガルガルが&bold(){基は無害な動物だったのに無理矢理暴れさせられている存在}であるため、仮に暴力を振るった場合&bold(){動物虐待}となってしまうため致し方ないだろう。
勿論彼女たちは(プリキュアに変身していることもあり)身体能力が高く、全員がバリア持ちであるため暴力を振るうことなく相手を鎮圧可能であるというのもあるのだが((いくら相手が無理矢理暴れさせられている無害な動物とはいえ、だからといってそれを放置していては被害が出るのは現実における獣害を考えれば理解出来るだろう。実際そうした動物を保護するのは極めて困難であり、麻酔銃で制圧できればまだ良い方である。そうした動物に暴力を振るわず制圧できるのは、それを可能にする能力があるからこそともいえる。))。
ちなみにキュアニャミーだけは変身者が猫であることやそもそもガルガルの正体を知らなかったこともあり例外的にガルガルを攻撃していた、のだが正式に仲間入りする際態度を改めたのであった。
-まだ殺す覚悟が決まっていない
例えばそれまで殺し合いと無縁の生活を送っていたのに、殺し合いに巻き込まれた途端に相手の命を躊躇なく奪う一般人がいたら、それはそれで問題があるだろう((第1話早々にザク2機を撃破した上に、1機はコクピットを串刺しにしたアムロ・レイの場合は『自分が戦わなければ自分だけでなく避難民に被害が及ぶ』という状況、またモビルスーツの爆発による被害を見たことにより『モビルスーツを爆発させずに撃破すること』を優先させざるを得なかったため殺害を躊躇する余裕すらなかった。元々父親がモビルスーツの開発に関与していたため戦争と全く無縁だったわけでもないことも影響していそうだが、ククルス・ドアンの島(劇場版)においては生身の人間を踏み潰すことに関して躊躇する描写もある。))。
本来は「殺すか殺さないかを&bold(){自分の意志で選べる状況で}、たとえ後々不利になろうとあえて殺さない方を選ぶ」からこその「主義」であり、そもそもその選択肢を選ぶ準備が整っていない状態での突発的な行為は「主義」とは言えない。
-運良く殺害に至らなかった・殺すより戦闘能力を奪う方が確実だった
同じ不殺でも、自らの意思による結果ではないことが理由。
身も蓋も無く言えば『結果的に殺さなかっただけ』である。後述するジンベエを除き[[麦わらの一味]]はもろに前者である。
(もっとも船長である[[モンキー・D・ルフィ]]は現実世界で付くであろう職業に&bold(){人命を助ける}職業である消防士が挙げられており、人が死ぬことは望んでいない節がある。ただ彼は手加減をしないので不殺主義者とはいえないが)
ただし、不殺主義者でも同じような行動に出ることはあるので、状況と人物次第とも言える。
また、味方からなじられた不殺主義者が味方への言い訳に使うケースもある。
-負傷兵を増やす目的で攻撃する
殺害よりも負傷兵の運搬や治療に人材と時間を要して場所も取られるから、という戦術・戦略における意図であり、人命を尊んで行動しているかどうかは関係がない。
なぜなら戦況の違いや効果が望める場合は普通に殺してもOKという事になるため。
リアルでも同じ効果を狙った兵器として[[対人地雷>地雷]]がある。
一応は不殺主義者が戦略も兼ねてやってもおかしくはないのだが、何らかの設定等の都合で「絶対に死なない負傷」が保証されない限りは早々当てはまらない。
-自身の目的のためにあえて止めを刺さない・精神的にダメージを与えたうえで見逃す(あるいはどうでも良かった)
基本フィクションにおけるもの。こちらも結果的に殺さなかっただけである。
結果だけ見れば不殺でもその事自体に主眼を置いた動機によるものではない。それどころか、お眼鏡にかなわない相手は容赦なく殺す、というキャラクターの方が多い。
-死以上の苦痛を与えたい目的で殺さない
多くの場合はやはり結果的に殺さなかったパターン。[[復讐]]の一パターンや偏執狂の一種と考えた方がいいだろう。
たまたま相手に死を与える以上の手段を持ち合わせていたため選択したに過ぎない。
満足した時点で殺害が選択肢に入ってしまうし、興味を失ったなら相手の命にも頓着がなくなる。
似て非なる例としては、キャラクターが相手の更生を目的としているパターンがある。
こちらは罪の意識といった苦痛を与える一方、あくまで対象を正常な世界へ戻す目的で行われるため不殺主義と近い。
&s(){…はっきり断定できないのは過激な洗脳等の人道的と言い難いものがごくまれにあるため。}
-殺す気はあるが殺せない
ファンタジー色の強い作品でみられるパターンで、契約や呪いといったルールに縛られており相手を殺すことができない。
殺害を試みても実行できなかったり、殺すこと自体は可能だがそれによるペナルティがあまりにも大きい(自分も死ぬ)など。
殺意自体はあるので、ルールの盲点を突くことで殺害を試みたり、他人が目的の人物を殺すように仕向けるといった展開がお約束になっている。
-不殺の誓いが他人からの刷り込みである
上記の亜種。
人間と敵対するロイミュードでありながら「人間は絶対に殺さない」という不殺主義を掲げていた[[チェイス/仮面ライダーチェイサー]]は
「結果論として死なせること」まで含めた不殺主義であり、死にそうになると身を挺して救出しに行くこともあったといわれていた。
……のだが実際は元が人類を守る側のロボットだった関係上、「人を殺せないようプログラムが組まれている」という理由で実は開発者側のプロテクトにより殺せないというケースである。
このケースの場合はたとえ殺傷したいと思っても人を死に追いやるような危害を加えることはできず、事実を知らされた当人はそれを自分の主義であると思っていたため軽いパニックになっていた((こう書くとチェイスの産みの親……クリム博士が非道に思えるが、『人類を守る』ロボットにセーフティを設けておくのは科学者としてみれば正しい態度である。結果としてチェイスをパニックに陥らせてしまったが、クリム博士としてもチェイスが敵になってしまうことは想定外であっただろう。))。
*なぜ不殺主義のようなものが生まれるのか
人間とは社会的動物であり、社会的立場を考えると単純な暴力行為は基本的にデメリットが大きい。
特に倫理観を養ってる真っ最中のティーンエイジには「他者を殺傷することは悪い事」という考えを持たせておなけば将来的に自分の望みを叶えるために他者への暴力を躊躇わない、最悪の場合強盗や殺人などの犯罪行為に走る理由に繋がりかねない。よって最低でも「必要でなければやってはいけない」という心理的ストッパーが根付く前の人間に対して殺人を肯定する思想に触れる事は忌避されている。そのため創作物やメディアは殺傷行為の描写について非常にデリケートなものとして扱い、特に海外ではテレビで殺傷行為どころか凶器になり得る銃火器を映す事自体を禁じている場合すらある。
更に戦場など命のやりとりを経験する・しないなど環境によっても大きく変わるし、そういった体験を経たからこそ不殺主義に拘る人も居る。
殴って殴り返されると痛くて嫌だから…の様な動機の延長でも分かりやすい。
また前述しているが、状況と程度によるが不殺主義とは別におかしな考えではない。
一方で、状況に左右される面が大きいことに加え(戦争・[[正当防衛]])、
育ちによって暴力行為への抵抗感が少ない・特に考えない人も居れば、心身症や心身障害などにもよって左右されたりする。
ストレスによって暴力的になることもある。
そもそも治安の悪い国や地域では「何もしないと自分が害を被るので対抗せざるを得ない」として不殺などという「縛りプレイ」をやってる場合じゃない、という事もある。そんな場所の住人に不殺主義を説いたところで「じゃあお前は私の命や財産を守ってくれるのか」と問われることになる。
不殺主義とその程度・健常者・異常者の線引きを厳密に考えるのは難しい問題だと言える。
具体例を取りあげると、
例えば健常者でも戦争を割り切れる人も居れば、割り切れない人も居る。
そして兵士の場合、立場的に戦争は回避しようと思って出来るものではない。殺したくないという理由で逃亡すれば厳罰である。
割り切れて、尚且つ無事に生き残ることさえ出来れば、その後冷静に不殺主義になってもならなくても大きな問題はないが、
割り切れない人は当然割り切れる人よりも精神に大きな負荷がかかり、身体にも不調が表れ始める(つまり心身症になる)。戦争からの帰還兵が社会復帰に支障をきたす例もしばしば報告されている。
しかも戦場や戦闘など命が軽い環境では、普通は相手の事情など考えてはいられないし、下手に考えると自分どころか仲間の命までもが危ない。
そして周囲の環境と自分の欲求との間における矛盾を解消するために不殺主義に至る。
この例においては不殺主義は適応機制(adjustment mechanism)の一種とも言えるだろう。
(厳密には、適応機制の中の「昇華」 ―― 社会(環境)が認めない自分の欲求を、社会的に認められる形へと置き換えること ―― に当てはまるかもしれない。)
これは実際に兵士が患う「&u(){戦闘ストレス反応}」(Combat Stress Reaction; &u(){CSR})として軍事心理学や軍事医学で研究されており、別段おかしくはない。
もっともこれは一例である。
こういった経験以外から不殺主義になることも、おかしいことではない。
**世界が殺傷を許さない
「戦争を描きたい、国家間の戦争を描きたい、銃や戦車に乗る女の子を描きたい、でも作中&bold(){可愛い女の子のズタボロな汚れ姿は見たくない…}」という&bold(){作者と読者のワガママ}より、創造主たる作者が作中世界での殺し合いを許容しないという作品も多数存在する。
例えば、[[DOG DAYS]]という作品では、命を奪わない、特殊な「戦争」を行っており((正確には、メインとなるフロニャルド世界の住人はフロニャ力の加護ゆえダメージを受けても一時的に『けものだま』という形態に変わるだけ済んでいる。それが働かない状況と普通に怪我や死ぬ危険があるし、異世界から来た主人公たちにはそもそも適用されず、そんな状況下での文字通りの『死闘』も僅かながら描かれている。))、
[[東方Project]]では、[[弾幕ごっこ>スペルカード(東方Project)]]なる特殊なルールでの決闘を行っており、「食べる」「退治する」などもあくまで口上の脅してあり本当に殺すことはない((ただし、度の過ぎた侵略行為や主人公である霊夢にとって看過しがたい場合(人間から妖怪(人妖)になるなど)は『決闘』ではなく純然と『排除(≒殺害)』しにかかる。また外界から迷い込む、或いは妖怪の餌として送り込まれた人間には適用されず問答無用でそこいらを闊歩するモブ妖怪などに喰い殺される。登場人物の大半も他人の命を尊重するとは言えない人物ばかりで、世界観自体は寧ろ殺伐としている方だったりする。))。
創作群である「[[魔物娘図鑑]]」では、&bold(){「(アンデットによる魔物化以外で)死人を出してはいけない」という原作者からの創作ルール}が存在し、これを無視した創作をすることが出来ない。((ルールを無視した創作は通報により削除される。サークル運営のこぢんまりとした創作サークルなので原作者の負担を強いるようなことはあってはならない。))
「[[魔物娘と不思議な冒険〜力の宝珠と帰還の塔〜]]」では、&bold(){闘技場で怪我人が出たら営業停止になる}というゆるふわ世界であり、武器の名前も「ドラゴンキラー&bold(){ィ}」とどこかふざけたものが多い。
この手の作品ではシステムの穴を突いて強引に人を殺すという展開が描かれないわけでもないが、
&bold(){ぼのぼのとした世界観の作品・創作群にて、いきなりキャラの死亡や暴力表現などが描かれたら、誰だって不快になるものである。}((二次創作で何度も警告を受けても作風を改めなかった二次創作作者が、原作者から直々に三行半を突きつけられた例も存在する))
上記の魔物娘と不思議な冒険において&bold(){それをやった魔物が超越者によって異世界に追放された}ことが示唆されていたが、続編の「[[魔物娘と不思議な冒険2~2人の王と紡がれし約束~]]」にて救済された。
*不殺主義の是非
肯定論も否定論もそれぞれ論拠はあるが、それ故に一般的には[[賛否両論]]と言える。
繰り返すが不殺主義の主張そのものはおかしくなく、真っ当と言える。
むしろ人間を殺すという行為を易々と出来るとそれはそれで問題とされる。
では不殺の否定がされるケースとは何か。
それは至極簡単な話で、&font(red,b){不殺によって本来被るはずではなかった被害を生んだ場合・もしくは生みそうになった場合}である。
不殺主義の程度にもよるが、テーマとして命のやり取りを扱うならばそんなことを言ってられない状況が多いことも事実であり、
更にその様な状況で完全に不殺主義を貫くことは、仲間を長く危険に晒す行為になりがちで、迷惑をかけることにまず繋がる。
敵も敵で命懸けなのでそんなこと関係無しに攻撃するわけで、更に不殺を貫けても敵が生き延びてまた危害を加えることにも繋がりやすい。
特にここらが批判の的となりやすい部分……というよりほぼこの一点に集約されるといっても過言ではない。
また、殺さないという事はそのリスクを負う事であるが、そもそも殺したくないのはたいてい誰でも同じである。
そして「自分はこんなに苦労して悩んで敵を倒したのに、なぜお前はそんな呑気なことを・・・!」や「味方がどうなってもいいのか!?」と非難する人が出るのは当然である。
前述の通り、自分や仲間に取り返しのつかない事態を引き起こしかねない、それこそが不殺主義のデメリットである。
繰り返すが、悪人に対して不殺やトドメを刺さなかった結果、自分や仲間だけじゃなく、無関係の人達さえ巻き込むことがあり得る。そうなったら最悪である。
何度もやって反省のない悪人に対して自分の手で殺さず、法でさばいてもらおうとした結果、逃げられてさらなる悪事やとんでもない厄災になるといった展開もある。そうなったら殺さなかった方が悪いという事もあり得る。
また、そうなった場合、本人の精神が逆に蝕まれる可能性もある。
この手の問題はTRPGでは古来から「ゴブリン(人間に害を与えるクリーチャー)を無闇に殺すべきではないか?」という意見が議題として挙がる。ゴブリンはオーソドックスな中世風ファンタジーモノでは基本的に駆け出しプレイヤーが農作物や人間へ害を与える害獣駆除同然の仕事として討伐しにいく存在として扱われることが多い。しかし人型である程度文明を持つ存在のため「異種族・亜人」の括りで捉える人間からすれば殺害の是非を考慮しなければならない、というものである。この辺りも扱いは作品によってまちまちであり「世界観的に敵対する侵略種族なので生かすべきではない」などの不殺主義が適切ではない理由づけをするものもあれば、本当にプレイアブルな種族と同様に扱えるようにして「何故」をプレイヤーに委ねるケースもある。
ライトノベル[[ゴブリンスレイヤー]]はTRPG関連の小ネタが豊富だが、劇中では主人公であるゴブリンスレイヤーはゴブリンに家族ごと故郷を滅ぼされているため復讐どうこう以上に「ゴブリンは一匹たりとも生かしてはいけない」「いいゴブリンがいたとしたらそれは目の前に現れないゴブリンだ」として例外無く皆殺しにする一方、別の冒険者がゴブリンの子供を憐れんで見逃したらそのゴブリンの子供は冒険者を後ろから撲殺し装備を奪い、最終的に現在のゴブリンスレイヤーの住む村を滅ぼしかねない軍団を作り上げるボスエネミーにまで成長してしまった、という事例もある。
この辺りの発想はリアルに置き換えるなら農作物を荒らす猪や鹿、2023年に話題になった人食い熊Oso18などの害獣へ対応する農家やハンターに対し、それに反対する動物愛護団体にも通じるものがあるだろう。皆殺しにすればいいわけでは無いが、実害が出ている以上は対策せねば当事者はたまったものではないのだ。
そこまで極端でもないPBW『ロストアーカディア』は敵対存在である天使が元人間も含まれる(先天的な天使が居ない訳ではない)ことからPCが殺害を躊躇ったりするケースも否定されない((ロストアーカディアは高い自由度が売りのPBWなのと、『元人間を殺害するのに抵抗があるのは当然といえば当然だろう』というのはある))ものの、「世界そのものが天使により詰み寸前」という理由付けから「人類が生き残るためには生かすべきではない」という扱いを受けている。
話は少し変わるが、かつて『[[ZOIDSバトルストーリー>ZOIDS VS.]]』という作品において、戦時中に「開発された最新の義手義足を敵国にも配る」という行為がなされた事がある。
配った側の兵士が、
「これで帝国(相手国)の連中もまた子供を抱けたり恋人と手を繋いで歩いたり出来るもんだ!」
と嬉しそうに話すシーンがある。
そのすぐ後、別の兵士が不安げに
「でも……もしかしたらその腕でまた引き金を引くかも……」
と呟く。
それを聞き、配っていた兵士達は言葉を失ってしまう。
不殺主義とは異なるが、結果は同じく&font(red){相手に未来を与えること}であり、不殺主義と似ている。
不殺の理由が「余計なストレスや責任を負いたくない」でも「相手に情けをかける」でも、結果としては、敵の行動の許容である。
相手にまた引き金を引く可能性を与える以上、また味方や仲間を危険に晒す可能性がある。
**不殺の利点
不殺にはもちろん欠点だけでなく利点もある。当然「本人の自己満足や精神安定」以外で。
それは、&bold(){&color(blue){殺されなかった相手に与えられる未来}}である。
余程の奇人((死にたがりや極度の全体主義者))では無い限り、命が助かれば相手にとっては嬉しい事だろう。
また、場合によっては恩を感じたり、殺さない代わりに条件を付けることで、助けとなってくれる可能性もある。
現代ではあまり期待する様な話ではないが、戦国時代以前ならば、たとえ自分たちの軍に大きな損害を与えた敵の家臣が相手でも、今後は自分に仕えて能力を発揮するならば罪に問わないことは当たり前であった。
復讐心に燃えるなどして降伏を許さず殺していては、軍は優れた人材を吸収できず強くならないし、現地の占領統治をするにあたっても現地に詳しい敵の協力がないとうまくいかない。
それどころか、敵は「殺されないなら抵抗せず降伏するが、殺されるなら死に物狂いで最後の決戦を挑む」となり、自分たちの軍に大きな損害を与えてくることだって考えられる。
適切な不殺は、巡り巡って自分たちの命を守ることもある。
もっともこの例も内心では敵意を抱き続けていたと思われる例が多々あるため、やはりそう単純にはいかないのが厄介なところである。
他にも倒された相手が「戦場で死ぬことを許容する戦士としてのプライドや誇り」を持っていた場合、逆に&bold(){敗北して「殺せ!」と叫んだとしても、殺されずに見逃されてしまい逆にプライドや矜持を砕かれて、ただ死ぬよりも辛い屈辱や恥辱を味わう}場合もまたある。
*不殺主義の条件
基本的には「&font(blue){相手より圧倒的に有利であること}」である。
その中身としては「相手より圧倒的に実力がある」「相手のほうが実力があるが自分に勝機がある」等が考えられるが、
いずれにせよ相手に対する自分の優位はほぼ必須である。
仮に不利な状況で不殺主義を貫いた所で、大半は自身や仲間の死に繋がることになるだろう。
相手を生け捕りにすることを考えてみよう。相手は刃物を持って錯乱した恋人でも、牙や爪のある野生の希少動物でもいい。
殺したくなければ相応の実力や装備が必要になるのである。
#center(){&font(red){相手も不殺主義で、しかも都合良く殺されずに済みましたなんて事はそうそう無い。(別の都合で捕虜になるなどもあるにはあるが)}}
自分も相手も護りたければ、尚更強さも必要となる。
これらのことから極力殺そうとはしないがやむを得ず殺した者に対して、『不殺への重みや説得力がない』などと批判するのもかえって説得力のない話になる。
また、仮に殺さなかった後、反省もせず悪事をしたり、厄災になった時に責任取って対処(または今度こそ殺害)し、被害者に贖罪と賠償を行う覚悟も必要。&bold(){自身の不殺によって周囲に被害を出しておきながら、その後を対処できない者は偽善ですらない&color(#F54738){ただの身勝手な独善者}であり、周りからしたら害悪でしかないのである。}
実際問題完全に不殺に拘ろうとすると、かなり難しい。
例えば刀どころか模造刀一本だけでも、頭部や首などへの攻撃は命に関わるし、一生まともに生活できない後遺症を与えてもおかしくなく、突きにいたっては素材と形状から普通に刺し貫けてしまう。
現実においても、不殺のための武器であるテーザー銃やゴム弾などを用いても、死んでしまうという事故は後を絶たない。
また、これらは比較的防御しやすかったり、射程などの使用条件がなかなかクリア出来なかったりするため、まだまだ課題が多い。
*フィクションの不殺主義
「相手が悪人であっても命までは奪わない」というスタンスの人物が主人公の作品は多い。
特に現代風の作品で容赦なく人を殺すキャラが主人公サイドでは読者や視聴者に受け入れられにくいという面は否めない。
特に少年誌では読者の情操・倫理観の教育観点から出版社側としても「それを掲載した事で読者が殺人に肯定的になるor肯定する理由に作品中の描写を挙げられる」ことの社会的リスクを防ぐ必要がある。
例を挙げると「[[斬]]」という漫画では元々の設定では学生の主人公が[[日本刀]]を武器にして戦う予定だったのだが、「真剣で学生同士が戦うのはNG」という編集部の意向で切れない刀を使う形に修正されたというエピソードがある。
舞台が戦国時代や中世、西部劇、宇宙や異世界だとそこまで配慮されないことが多いが、それでも「[[機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ]]」において
「子どもが視聴する時間帯のアニメ番組で、主人公の少年が無抵抗の捕虜や敵兵を射殺するシーンがあった。タイトルを見て、子ども向け番組だと思って視聴した子どもも多いと思う。どうしても放送したいなら年齢制限を設けてほしい。」
という意見がBPOに届いた例もある。
初代ウルトラマンの脚本家の金城哲夫氏は「ウルトラマンは怪獣の殺し屋ではない。怪獣を諭しているが、それでも暴れるから懲らしめているだけ」とコメントしており、実際に[[高原竜ヒドラ]]をはじめ、[[スペシウム光線]]を撃たなかった怪獣も存在する。
・[[マット・ヒーリィ(漫画版)>機動戦士ガンダム戦記 Lost War Chronicles(漫画版)]]
・ジャン・キャリー
・[[キオ・アスノ]]([[フリット(3~4章)>フリット・アスノ]]も事実上同調)((討論の場では強く制止・否定はしているが、キオが一緒に出撃している場合はコクピットを狙っていないカットが多くみられる。もっともフリットは最終回でキオに諭されるまでヴェイガンへの憎しみは捨てきれていなかったので、どちらかというと『孫が自分に否定されても不殺を選んだことを尊重し、その邪魔をしない』という意思が主である物と思われる))
・[[バナージ・リンクス]](アニメ版)
・[[ベルリ・ゼナム]]
『ガンダム』シリーズから。立場・経験から殺人を嫌い、コクピット以外だけを破壊する。
&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){…実は二次被害も在ったりする。}}}
広義の意味では[[キンケドゥ・ナウ>シーブック・アノー]]、[[トビア・アロナクス]]、[[ロラン・セアック]]達も不殺が不可能な状況ならば殺すに至るものの、出来る限りは不殺主義的な行動を貫いている。
[[キラ・ヤマト]]も『SEED』後半からは止むを得ない場合以外は戦闘能力のみ破壊する戦法を取っているが、非常に綿密な過程と描写が描かれている弊害による分かりにくさも生まれている。まず本人は不殺の主張も強要も全くしておらず、「これを生かしておいたら(不殺に拘っていたら)死人が大勢増える」という状況では迷わず命を取りに行っている((もちろんなるべく殺害を避けたいという思いもあるが何よりも憎しみの連鎖から脱却しようとする意図が強い。フリーダムが単対多を可能とする機体だから数で押されてる状況であっても不殺する余裕があったからという側面もあるにはある。それは何の罪もない少女エルや避難民をいたずらに殺害したデュエルガンダムに対しては殺害を逆にギリギリで思い留まったりトラウマと戦乱を煽りまくるクルーゼへの感情だったりと、キラは自身でも主張していたようにあくまでも一人の人間でしかないので憎しみを超越したわけでも絶対に殺したくないわけでもない。))。
時に『DESTINY』では当時の一部視聴者や他作品客演時の他キャラから「相手を虚仮にしている」「殺す覚悟も無いのに戦場に出るな」などと非難が集中した((当時はシンに対する判官贔屓でキラを下げてシンを上げる風潮があり、シンはコクピットを何の躊躇いもなく攻撃するが好んで人殺しをするタイプではなかったことも手伝い、相対的にキラの不殺も批判の対象になっていたというのは大きい。実際のところシンは『コクピット狙いの一撃必殺』が得意戦法であり、例え人殺しを好んでいなくとも自分や仲間が生き残るのに最適な戦法、つまり自分の得意な戦法を実践していただけだったというのが本当のところである。なのでFREEDOMではキラの影響もあり不殺戦法を行ったが、結局自分の得手とする戦法とは正反対だったことやキラ同様そもそも不殺する余裕も理由もなかったため行わなくなった。))が、その理由は前作で描写されている上に遺恨なく戦闘を終了させるために戦場に割り込む・戦場から逃げるという当時の行動と立場上、覚悟以前に「相手をなるべく殺してはならない明確な理由と縛り」も生じていた((「その割にミネルバの艦首砲を破壊しクルーに死者を複数名出していた」と再反論されることもあり実際作中でも疑問を呈されているが、「そもそもその照準は外国の手先として戦わされている自軍兵士」「既に発射直前」という状況であり、「シンに追い詰められた際はコクピットを狙って攻撃していた」という指摘もあるがデュエル戦のバンクでありコクピットはそもそも狙っていなかったということが語られており、仮にコクピット狙いの攻撃だったとしても「自分が(シンに)殺されれば仲間の命にも危険が及ぶ」状況であったため仕方ないともいえる))
[[コミックボンボン版>機動戦士ガンダムSEED DESTINY(漫画版)]]においてはキラの行為のせいで機体を盾にせざるを得ない状況にハイネが追い込まれ、結果として死亡する二次災害が生じるかなりの差異があるが、描写が明確に違うので原作とは分けて考える必要があるだろう。((ちなみにステラのデストロイ撃破に関しても原作とコミックボンボン版では描写が異なり、原作ではステラの遺体に傷はないため配慮があったようにも捉えられるが、コミックボンボン版では遺体すら残らない最期となっており明確にステラを殺害している。ただしこれに関しては『シンがステラの暴走に対応出来なかった上、放置していたら被害が拡大していた』側面もあるので、シン視点が多いコミックボンボン版においても『ステラを殺したキラが悪い』という描かれ方はされていない。))なお原作とボンボン版共にキラに対するハイネに関して程度の差はあれ遺恨があったのは同様だが直接の死因だったステラに対してはシンとレイのステラへの個人的感情によりスルー気味だったので((とはいえ原作でもミネルバクルーからはステラは敵でしかなく、シンとの温度差はしっかり描写されていた。更に後に捕虜として適切に扱ったり衰弱に対する処置無し描写やシン達の行動に対する反応や言及もあり、両名が個人的感情を優先していたことは明確に分かる様になっている。なおシンが反発してばかりのアスランはむしろかなりの理解者だったのでここでは温和且つ適切な説教をしていた…ほとんど響いていなかったが。))分かりやすくした結果とも言える((これはシン視点の多い都合でキラが相対的に憎まれ役として描かれていることの影響と、原作とのバランスを取るためか、キラがシンと共にジブリールのシャトルを狙撃する(原作ではルナマリアのみ間に合った。コミックボンボン版においても原作同様狙撃は失敗しているが、裏を返せば『シャトルの狙撃はキラとシンが共に行ったとしても難しい』というルナマリアに対するフォローとなっているともいえる)描写変更もあるのでキラが全否定されている訳でもないことに留意が必要。))。
『FREEDOM』ではキラが迷わず命を取る場面も増えたがそれは相手が数々の非道行為に加えて純粋に強かったため、殺害回避する余裕もなければ理由もなかったことが原因である((実際に尺の短い映画序盤~中盤でも民間人の救援と可能なら戦争調停を目標としていたので不殺優先していたり、不殺に拘る理由がほとんどなく急ぐ必要もある場合は素早くコックピット狙いもしている))((敵対勢力が「キラを本気で怒らせる・生理的な不快感を抱かせる」対応や作戦ばかり行っていたので個人的な嫌悪感も相当強かったのだが、一方で元々深刻に疲弊していたところを敵が精神的に攻撃してきて一時は逆に自分の行動に対する迷いが深まっていた。そして悩みを殴られ…もとい喧嘩と共に仲間に打ち明け最終的にラクスと共に乗り越えたという流れのため、個人的嫌悪感の影響が無いとは言えないが単にキレて殺害したとか、不殺主義からの脱却が映画のテーマというのは間違っている(そもそも上記の通り状況に応じて殺害もしているためキラは自分の行動を覆い隠す主張は一切していない)。他にも応じなかったとはいえイザークもジャガンナートに粘り強く投降を促しており、これも不殺主義の無力さではなく戦争の愚かさを知っているからこその行動となっている。))。
キラ以外も不殺主義的行動をしているからと言って不殺主義を表明しているとは限らない。やむを得ないことがあることを承知しているからだろう。
非常に賛否両論で作中でも批判されるキャラもいるが、彼らのスタンスが事態の解決へ繋がることもある。
・『EW』での[[デュオ>デュオ・マックスウェル]]、[[カトル>カトル・ラバーバ・ウィナー]]、[[トロワ>トロワ・バートン]]、[[ゼクス>ゼクス・マーキス]]、[[ノイン>ルクレツィア・ノイン]]など
同じく『ガンダム』作品。
本編中ではそこまでは拘っていなかったが、『EW』においては敵兵の境遇と自分達を重ね、
またここでの戦いは首謀者デキム一人の野望の意味合いが強かったため、無駄死にさせないようにと考え、不殺に至る(本気で不殺前提だったかは不明確だが、ヒイロも近い理由で建前上の首魁たるマリーメイアには加害しないようにするシーンが存在する)。
カトルら3人が合流したが敵の猛攻の開始や増援もあり不利な状況下になったがそれでも不殺に拘った。
ただし中盤までのコロニー内の白兵戦でヒイロやデュオが加減している様子が無かったり、ゼクスは降下シャトルの撃墜やメガキャノンの攻撃で明らかに死者を出しているなど、オペレーション・メテオの事前阻止が可能な間は不殺よりそちらを優先していた模様(予想される犠牲者の数を考えると当然だが)。
ちなみに不殺でなければ余裕で残りの250機全てを撃破可能。事実、カトルら3人が来るまでの間、ゼクスとノイン二人で250機近くを不殺で機体のみを戦闘不能にしている。
・[[張五飛]]
同じく『ガンダムW』から。戦士としての印象が強いが、「俺は弱い者と女は殺さない」と言っていたように、狭義の意味では不殺主義者。
ただし、女であるノインやレディは見逃しているものの、MSなどを持っている場合は当然ながら弱者とはみなさないので、男の兵士には基本問答無用。
というかこの発言をした時点で男の軍人ではあるが''宿舎で寝ているところを狙って建物ごと吹き飛ばしている''ので正々堂々と戦うことにこだわっているわけでもない((他4名も正々堂々にはこだわっていないが、こんなことは不殺主義者ではないカトルはまずやらない辺りも難解。他3名はこの時点だと作戦次第でやってもおかしくはなかったが。))。
しかも軍人ではあるが彼らはパイロット候補生でまだ戦場には出ていない者たちだった。
五飛の心情は慣れないとわかりにくいので知りたい場合は彼の項目や他の解説も参照。
・[[ジンベエ>ジンベエ(ONE PIECE)]]
[[麦わらの一味]]に加わった新たな船員にして明確な不殺主義者。
(一時期は[[ゾロ>ロロノア・ゾロ]]が女子供相手には峰打ちで済ませるため不殺主義者として扱われていたが彼は「女だろうと容赦なく斬る」と断言しており、「手加減できない範囲の女性とたまたま戦ってない」だけという側面が強いため不殺主義者ではない)
彼はフィッシャー・タイガーの遺した思いを受け、彼の人間との共存と不殺の意志を受け継いだ。
麦わら一味はルフィが前述した通り人が死ぬことを望んでいない節が見受けられたり、ゾロが女子供は「なるべく斬りたくない」というスタンスであること。
また[[サンジ]]が女を蹴れなかったりと様々な事情を抱えており、ジンベエも他のクルーのスタンスに干渉することはしないため彼のスタンスは概ね受け入れられている。
&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){食い患いという精神疾患を抱え、厄災レベルの力を持つビッグ・マムはそんな彼でも例外扱いせざるを得なかったようだが結局は未遂で終わっている。}}}
・[[錦木千束>リコリス・リコイル]]
職業暗殺者「リコリス」でありながら&bold(){命大事に}をモットーに、相手を殺さないよう高価なゴム弾を使って戦う異端のリコリス。
過去に病気で死にかけ、そこから生還した経験から「殺す」=「他人の時間を奪う」行為を何より嫌っており、相手の傷の度合いによっては&bold(){手当てを施す}程徹底している。
・[[月光仮面]]
日本初のTV特撮ヒーロー。
作者である川内康範先生の思想的なものと、「月光菩薩」がモチーフということもあり、「憎むな、殺すな、許しましょう」のスローガンを掲げて戦った。
月光仮面は「正義''の味方''」を自称しているが、「正義」とは悪を裁いて''適切な罰を与える''存在であり
自分は正義ではないが正義の味方だ、という直接悪を成敗するわけではないことを明確にしている。
%%月光仮面のヒットで後発のヒーローにも「正義の味方」を自称しつつ悪人を自ら裁く者もいたりする%%
後に森進一との一件後は流石に川内先生も「許しましょう」とはならなかったらしく、「憎むな、殺すな、糺(ただ)せよ」に変更されている。
・[[春野ムサシ>春野ムサシ(ウルトラマンコスモス)]]&[[ウルトラマンコスモス]]
慈愛の戦士。怪獣も一つの命として扱い、全ての命を護る為に戦う。&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){怪獣でない際(=侵略者と呼べるような異星人)は結構な数を・・・。}}}((もっともムサシ本人もこれを理解していないわけではなく、より「外敵は殺さざるを得ないケースもある」という理念が明確なもとに勤務している防衛軍・佐原司令とも何度も議論や意見交換を行っている。佐原のほうもムサシ、ひいてはEYESの方針そのものは必須なのを理解してはいるゆえの関係性であろう))
コスモス自身は、かつては命を奪うことにそれほど躊躇することはなかったのだが、
ムサシの信念に動かされ、全生命の共存という理想に向かって共に歩き続けることとなる。
・大空大地&ウルトラマンエックス
ある意味、ムサシとコスモスの後継者である[[ウルトラマン]]((制作陣が「ムサシやコスモスを客演させちゃうと大地が(鏑矢諸島や惑星ジュランという形で)「探している答え」をすんなり知って物語が成り立たなくなる。そのためコスモスの単独客演回はやらず、ギンガが客演した時に「コスモスから聞いた話」を語らせる形にとどめた」と発言したあたり、気を遣っていた模様。))。
大地の「たとえ今は[[スパークドールズ]]と言う形じゃないと無理であっても、いつかは何らかの方法で怪獣とだって共存できるはずだ」という考えにエックスも共感。
[[一部の例外はあったが>スペースビースト]]、基本的には&s(){ダイナミック麻酔銃}ザナディウム光線で一時的に鎮静化・スパークドールズ化させるにとどめ、共存の道を探すのに協力することとなる。
・[[緋村剣心]]
逆刃刀を持つ流浪人。
過去に人斬りとして数多の命を奪ってきたことへの後悔から、不殺主義を貫くようになった。
しかし剣の道一本で生きて来たため、「刀は所詮人殺しの道具にすぎないのか」という問いは、彼が心の奥底で常に抱え続ける疑問であり、『るろうに剣心』という作品自体のテーマでもある。
説得で戦闘を避ける、命に関わらない部位を狙う、敵の体が頑丈なのでそれを見越して攻撃?(ないしは手加減する余裕がない)などで不殺を実現している。
冷静に見ると明らかに後遺症や致命傷になりそうなものも多いが、それは剣心の剣術の技量あってのものだろう…という点は[[北海道]]編で明確に「逆刃刀が不殺の武器になりえるのは剣心が人斬り時代に培った技量によるもの」と明言されている。殺しに慣れているからこそ不殺が得意とはある意味皮肉な話である。
逆に剣心が不殺の後継者と見込んで逆刃刀を譲り渡した[[弥彦>明神弥彦]]は竹刀剣術を極めてきたため、&bold(){竹刀の扱いが流用出来ない逆刃刀との相性は最悪}((弥彦曰く「一生をかければ極められるだろうが、その頃には爺さんになっている」))という皮肉な事になっている。
なお、[[一部の>斎藤一(るろうに剣心)]][[仲間>四乃森蒼紫]]が「敵の殺害もやむなし」という信念を抱えている事は「あまり殺し過ぎるなよ」と釘を刺しつつも否定は一切していない。
また、自分の目の前で仲間が戦闘能力を失った敵を殺そうとした際は止めに入った事がある一方で、「仲間がその場で敵を殺さないと他の仲間が危なかった」という緊急事態の際は一切咎めていなかったり、自分が戦えば味方を救える状況で故意に戦わずに死なせた場合は''自分が能動的に殺したのと同じ''と考えているにもかかわらず、それでも仲間の心意気を汲み戦いを預けるなどのある程度は自分の不殺の信念と他者の信念を両立させている。
・[[熱気バサラ]]
詳しくは&font(red){彼の歌を聞け!}
軽く説明しておくとやむを得ない時は[[ミサイル]]やピンポイントバリアパンチを使っており、ちゃんと(武力でも)戦っている。
もっとも、本人は(武力で)戦うこと自体あまり好まないのだが。
・[[エドワード・エルリック]]
人体錬成の失敗他多くの経験から、命の重さを知り「殺さない覚悟」を持つ。
特筆するべきは、「[[人間を素材とした合成獣>合成獣人間(鋼の錬金術師)]]」「[[鎧に宿った人間の魂>アルフォンス・エルリック]]」はもちろんとして、「人体錬成で生み出した何者でもない命」「[[賢者の石]]の素材とされ、縛り付けられた魂」までに及ぶ所であり、
ピナコから「『人間』の定義が広過ぎる」言われ、[[エンヴィー>エンヴィー(鋼の錬金術師)]]からは、「感情じゃなく理屈で人間を定義しろよ」と嘲笑されている。(後者については、「嫉妬」の根幹にあるのが人間の強さへの羨望という側面もある。)
一方で、どのような形であれポリシーを持つ人間に敬意を払う[[ゾルフ・J・キンブリー]]はその徹底したスタンスに感銘を覚えており、追い詰められて「殺される」恐怖に駆られた[[プライド>セリム・ブラッドレイ]]に対してすかさず「あなたはエドワード・エルリックを分かっていない」と指摘。
事実、力の源である賢者の石だけを破壊して「核」には傷一つ付けずに無力化に成功。見届けたキンブリーは満足げに手を振りながら消滅した。
・[[ヴァッシュ・ザ・スタンピード]]
誰よりも強く、誰よりも優しい最強のガンマン。
嘲笑され罵倒され踏みにじられ傷つけられ裏切られ大切なモノを奪われようとも彼は人を救うために今日も銃を構える。
幼少期の壮絶な経験、生い立ちにより不殺の道を進むことになったが、その徹底した生き方は既に狂人の域を軽く踏み越えている。
・蘇芳・パブリチェンコ
命を奪うことへの嫌悪から遂に誰も撃たなかった。
・[[バットマン>>バットマン(人物)]]
映画でもお馴染み、アメコミ史上最も冷酷な男にして鉄の不殺主義者。
両親が悪人に銃殺されたために、悪人と同時に「銃」「殺害」を強く憎み、自身は決して銃を使わず、殺人も犯すまいと戒めている。ただし、「悪人に恐怖心を仕込み悪の心を挫く」ことを目的としているだけあって、悪人に死ぬより辛い制裁を加えることはある。
この誓いが狂人と言われつつも精神の安定を保つ働きをしており、バットマンと[[ジョーカー>>ジョーカー(バットマン)]]との唯一にして絶対の違いである。
・ミヤモトムサシ
命を奪うことへの嫌悪から麻酔弾等で相手を無力化するスタイルをとっている。
&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){実弾じゃなくても頭に当たれば危険だとか、そもそも麻酔そのものもかなり危険だとか言わないで}}}
・香瑩
読みは「シャンイン」。『シティーハンター』のパラレル続編『[[エンジェル・ハート]]』の主人公にて冴羽 獠の義理の娘。
元々「正道会」という裏組織の実行部隊朱雀の伝説のエースの殺し屋「グラス・[[ハート]]」だったが、
殺しに心身を蝕まれ身投げ、死亡したが[[槇村香]]の心臓を移植され第二の人生を歩むことになり、殺しが出来ない体質になった。
また、香瑩の無意識にいる香の意思もストッパーになっている。
余談だが『エンジェル・ハート』は銃撃戦がかなり多いものの、メインキャラ達が極力殺しを避けているためか病死や老衰以外で死者がほとんど出ない作風である。
・三条菊乃(『[[フルメタル・パニック!アナザー]]』)
双子の傭兵三条姉弟の姉。弟の方は不殺主義者ではない。
「初めて殺すのは好きな男」と決めているから殺さないという、不殺主義者…?
ちなみに、現実でも初めて殺人をする事を実際に「童貞を捨てる」ようなたとえをする事もある。
ただし女同士はノーカンらしく、相手が明確に女と分かっている場合は本気で殺しにかかる。
・城山恭介(『[[未踏召喚://ブラッドサイン]]』)
フリーランスの召喚師の主人公。召喚師としての腕前はトップクラス...どころか「召喚師」はおろか「人間」と言う枠組みで作中で彼を超えるのは片手で数えるほど。
どのような激戦でも敵を殺すことなく倒し、悲劇に巻き込まれたヒロインを救う姿勢をどんなときでも必ず崩さないことから召喚師としての通り名は『&ruby(アリス(ウィズ)ラビット){不殺王}』と呼ばれている。
しかしスタンスとしては死なせなければいいだけなので、悪辣すぎる相手や生かしておくと際限なく自分にリベンジをかましてくる相手は容赦なく半殺しにしたり、戦いが出来なくなる再起不能の怪我を負わせるなど、の行為は厭わない。
・[[上条当麻]](『[[とある魔術の禁書目録]]』)
2巻のエピローグ、病室での会話で不殺のスタンスが明かされている、
「邪魔者は殺して万事解決という輩が許せないから命懸けの戦いに飛び込んだのに、そんな自分が殺人での事件解決を肯定したら罪悪感に耐えられなくなる(意訳)」
という理由で不殺を実行している。
・市村鉄之助(『PEACE MAKER鐵』)
両親の仇を討つため[[新選組]]に入隊した少年。
しかしいざ人が斬り殺される場面を見てから思い悩み始め、最終的に「強くなりたかったのは仇を討つためではなく弱い自分を殺すため」だったと気づく。
以来、自分は殺さないと物語のヒロイン沙夜に誓い、戦闘では腕や足などを斬るだけに止めていた。
しかし後の会津での激戦から生還した彼は、死んだ目で生かした敵の両の手の指を切り落として戦力を奪うという行為を行うようになっていた。
//似て非なる…とかはちょっと悪意が感じられるので削除します
//個々の記述をもっと中立的にするには仕方ないと思います。
・[[アクセル]]=ロウ(『[[GUILTY GEAR(ギルティギア)]]』シリーズ)
20世紀からGGの舞台に飛ばされてきたタイムスリッパ―。
普段はいい加減な楽天家だが、相手がどんな悪党だろうと決して死による制裁を下すことはない。
本編開始前には、街に平和を取り戻すため自らギャングの世界に身を投じ、持ち前の高い身体能力を駆使してわずか半年でギャングの抗争を&bold(){敵味方共に誰一人の死者を出すことなく}平定した。
不殺を貫くきっかけは、[[イギリス]]のスラム街で生まれ、絶えることのないギャングの抗争で毎日のように誰かが命を落とすという環境の中で育ち、「死」の存在を激しく嫌うようになったため。
・バルサ(『守り人』シリーズ)
ある事情で幼くして王族から刺客を差し向けられた彼女を、地位も名誉も捨てて守り育ててくれた今は亡き養父に恩を返すため、バルサは養父の殺した追手と同じだけの7人の人間を助けるという誓いを立てている。
そして「誰かを守るために他の誰かを殺してちゃしょうがない」という理由で、護衛対象を殺しに来た者であっても手にかけようとはしない。
それどころか、護衛中に傷付けてしまった相手も助ける人数のノルマに加算し続けているため、もはや今の護衛相手が何人目なのかも分からなくなっており、本人も「今日一日を生きてるだけさ」と自嘲する程。
またアニメ版では負かした相手が屈辱を感じで復讐しに来るなど、負の側面も背負っている。
・[[ハヤテ・インメルマン]](『[[マクロスΔ]]』)
「空を飛ぶ」事をパイロットとしての一番の目的としている主人公で、戦闘機バルキリーに乗ったのはヒロインとの縁で守った際に搭乗。
その操縦性に惹かれたという面が大きく、パイロットとして訓練は受けたものの、殺害を行う事については拒否を明言している。
もっともこれ自体は他のパイロットも概ね目標にしたり実行しており、その理由も「大部分は敵の策によって強制的に操られている者」を止めるためというもので、作中の環境においておかしい主張というわけではない。
僚機が危機に陥った時にはやむを得ず撃破したものの、その後は技量や経験の向上もあってコクピット以外の破壊を狙って成立させている場面がみられる。
・[[エイジ>アルバトロ・ナル・エイジ・アスカ(蒼き流星SPTレイズナー)]]([[蒼き流星SPTレイズナー]])
エイジの単独項目にもそのまま書いてある。不殺なのは性格もあるが侵略国=メイン敵であるグラドスの血が流れているというのもあろう。
米兵が米軍の主義主張を嫌ったからといって、米軍人すべてを喜々として射殺するか?というような話である。
1話でパイロットを殺したくない、と部位破壊を狙う直前に会話しているのもグラドスでの先輩キャラ。
第2部でスタンスを幾分か改めたものの引き続き有人機の撃墜は控えており、結果的に死鬼隊ですら直接手にかけることはなかった。
・[[桃太郎]](『桃太郎伝説』シリーズ)
鬼ヶ島へ鬼退治へ旅立つが、鬼達をこらしめて愛と勇気を伝えることを目的としている。
[[新桃太郎伝説]]でも冒頭の[[負けイベント]]を経て天の仙人から鬼達が憎いだろうと問われるが、それでも愛と勇気を伝えることを選ぶ。&s(){というか憎いと答えると人気を下げられた上に[[無限ループ]]になるため結局は選ばされるわけだが}
・ルーン・バロット(『[[マルドゥック・スクランブル]]』)
同作の主人公である少女娼婦。全身を炎に焼かれ死にかけたところを委任事件担当捜査官ドクター・イースターと意思を持つ[[ネズミ]]型万能兵器ウフコック・ペンティーノに救出され、
自分を消そうとした犯人を立証するために、禁じられた科学技術で作られた金属繊維の皮膚を移植されて命を取り留める。
その際に金属繊維とウフコックに由来する超人的な力を手に入れ、敵の刺客を撃退する際、今まで虐げられてきた境遇の反動で暴力に溺れ、刺客たちを弄ぶように殺してしまう。
しかし、その後は様々な人物と出会う中で「[[力に伴う責任>スパイダーマン(アメコミ版)]]」「暴力に依らない心の強さ・勇気」などを学び、
最終的に、自分と同じ禁断の科学技術で武装した敵を前に「殺さない、殺されない、殺させない」という信条を掲げるに至った。
このバロットのポリシーは、次回作「アノニマス」の登場人物にも影響を与えている。
・[[ルーンファクトリーシリーズ>ルーンファクトリー(シリーズ)]]の主人公
あらゆる武器に「タミタヤ」という魔法が組み込まれており、モンスターを倒しても「はじまりの森」に送り返すだけで命は奪っていないという設定。
シリーズの世界では標準装備であるらしく、投げ技や投擲、武器ですらない農具などでモンスターを倒した場合も発動している。
人間相手には効果が無いが殺害までに至った例はなく、シリーズ通じて不殺を継続している。
獣型モンスターが毛皮、魚型モンスターが古代魚の骨をドロップするなど、明らかに致命傷を与えていそうな場合もあるのはご愛敬。
・[[キン肉スグル>キン肉マン/キン肉スグル]]他アイドル超人の面々(『[[キン肉マン>キン肉マン(漫画)]]』)
キン肉マンことスグルから深い影響を受けた[[正義超人]]の一派。戦いの目的は相手を倒すのではなく分かり合うためのものであるという理念を持ち、それは負けたら自害する掟を持つ[[完璧超人]]相手であっても例外ではない。そういった理念を強く体現した技が相手に自害すら不可能なほどのダメージを与えつつも決して命は奪わず、尚且つその完成度故に食らった相手も感服してしまうというキン肉族奥義の一つ「マッスルスパーク」である。もちろん全ての正義超人が不殺主義者という訳ではなく、残虐超人のように相手の殺害を厭わない正義超人や「おそらく殺めてしまうことになるだろう」として正義超人からの足抜けを宣言した悪魔超人経験者も存在する。
・[[雨取千佳>雨取千佳(ワールドトリガー)]](『[[ワールドトリガー]]』)
人を撃てないスナイパーでワールドトリガーのヒロイン。
本作の模擬戦やランク戦の仕様として、「戦闘体は痛覚ほぼ無し(あるいは全く無し)」「致死ダメージを受けても死なずに控室に送られる」といった仕様なので仲間同士で殺し合いを行うのがこの作品での主な訓練方法なのだが、それでも人を撃つのを恐れている。
正確には攻撃でダメージを与えるのを恐れており、意図的に撃った時や誤爆で倒した時などは顔を青ざめていた。
しかし相手にダメージを与えない、体に重石を発生させる鉛弾(レッドバレット)は普通に撃つことができる。
この鉛弾による拘束や、作中最高の火力を活かした&bold(){狙撃銃による砲撃}での地形の破壊などでチームの勝利に貢献している。
しかし、一部の仲間から「人が撃てないのではなく撃ちたくない(人が撃てないとは言ってない)のでは?」と言われている。
・鳩原未来(『[[ワールドトリガー]]』)
人が撃てないスナイパーその2
狙撃の腕前は作中トップクラスなのだが人が撃てないため相手の武器を狙撃で破壊していた。
しかし、一度だけ人に当ててしまった時は、ゲロを吐いて寝込むなど猛烈な拒否反応を起こしていた。
鉛弾による狙撃は鳩原が考案したのだが、彼女のトリオン(作中の生体エネルギー)量では、実用に至らなかった。
・ティンフィスト(『[[Kenshi>Kenshi(ゲーム)]]』)
奴隷解放の大義を掲げる組織、反奴隷主義者のリーダー。
1000年以上前に滅んだ旧文明の生き残りで、剣の世界であえて武術での戦いを選び、100年以上も不殺を貫き通している。
……という設定なのだが、本作における武術とは、最初は頼りないが極めるほどに強みを増すという立ち位置で、本作最強クラスのキャラクターである彼が武術を振るえば、その拳の威力はメイトウをも凌駕する。
設定に反してまったく手加減してくれないので、食らった相手の手足は容易く千切れ飛び、当たり所が悪ければ即死する。大切に育ててきたキャラクターを彼に殴り殺されたプレイヤーは数知れず。
お前のような不殺主義者がいるか、といいたいところだがこれはゲームシステムが悪い。
・ヨシヒコ(『[[勇者ヨシヒ>勇者ヨシヒコと魔王の城]][[コシリーズ>勇者ヨシヒコと悪霊の鍵]]』)
斬りつけた相手を気絶させるだけで殺すことはない「いざないの剣」を振るう勇者。元は平和の神から与えられた剣。
毎話冒頭で人間の盗賊との戦闘になるのがお約束で、その際にこの特性は最大限に生かされることになる。&s(){自滅して死亡した盗賊もいるが。}
・[[ルカ>ルカ(もんむす・くえすと!)]](『[[もんむす・くえすと!]]』)※R-18ゲーム
同作主人公の偽勇者。魔王討伐という目的を持ちながら、人と魔物の共存を望んでいるために魔物を殺害することを望まないために本気で剣を振るえないというジレンマを抱えた姿を見かねた[[アリス>アリスフィーズ(もんむす・くえすと!)]]から相手を殺さず封印できる「堕剣エンジェルハイロウ」を贈られ、以降彼の愛剣となった。封印効果は魔物のみならず天使、はたまた&bold(){人間}にすら有効。
ちなみに次回作である[[もんぱら>もんむす・くえすと!ぱらどっくすRPG]]においても同様の点が指摘されるが諸事情からエンジェルハイロウを受け取ることは叶わず、&bold(){魔物は頑丈なのでよほどのことがなければ本気で斬ってもまず致命傷にはならない}というあんまりにも雑な理由で強引に解決した。
・ミーア・ルーナ・ティアムーン(『[[ティアムーン帝国物語~断頭台から始まる、姫の転生逆転ストーリー]]』)
革命によって断頭台送りにされた後、何故か過去に戻ったティムーン帝国の皇女。
「自分という前例がある以上、&bold(){相手も死に戻りしないとは限らない}」という理由から、他者の殺害のみならず、最終的に死に戻りに繋がりかねない「誰かの破滅に繋がる行動」は極力避ける方針を貫いている。
・テリー・リッチモンド(『レベル・リッジ』)
元アメリカ海兵隊マーシャルアーツプログラム(MCMAP)教官。いとこが逮捕されたため保釈金を払いに出向いたところ、悪徳警官により"合法的に"金をとられてしまうが…。
といったように本作は所謂「舐めてた相手が実は」系の作品なのだが、テリーの場合は&b(){法に沿った手段を十分に模索し、違法な手段は合法的な解決が不可能と判明した場合のみ、必要最低限の範囲で実行する}という点が徹底されている。
そしていざ暴力を行使する段階に至っても、格闘術や非致死性武器を使って相手の無力化に努め、殺しは極限まで避けている。
悪徳警官たちの表面的には適法性を謳いながら裏では違法な暴力を振るい、時には殺人も辞さない姿勢とは対照的であり、そんな悪人共の銃を奪い取り&b(){弾薬を抜きとって}武装解除するテリーは彼らに対する強烈なアンチテーゼとなっている。
・[[虎杖悠仁>虎杖悠仁(呪術廻戦)]]
&font(red){「いつか悪い呪術師と戦ったりするよね、その時はどうするの?」}
&bold(){「……それでも殺したくはないな」}
&font(red){「何で?悪い奴だよ?」}
&bold(){「なんつーか一度人を殺したら、『殺す』って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ」}
&bold(){「命の価値が曖昧になって、大切な人の価値まで分からなくなるのが俺は怖い」}
[[吉野順平>吉野順平(呪術廻戦)]]に明かした虎杖のスタンス。
この真摯な言葉は、吉野の気持ちを動かし凶行を一度は止める切っ掛けに[[なったのだが……>真人(呪術廻戦)]]
*ゲームプレイヤーによる「不殺」
近年、「相手を殺すことが出来るが、見逃すことも出来る」ということを[[プレイヤーに選ばせる>自由度(ゲーム)]]ゲームが多数発売された。
製作、開発陣も意図的にノーキル向けのルートや手段が設けられており
・絞め技といった体術、麻酔弾や睡眠薬など不殺道具による気絶や無力化
・迷彩や変装などでバレないように通過する
・音や光による陽動、罠やセンサーの誤作動で敵を誘導させたり、特定の場所に閉じ込めて戦いを回避
・通行証となるアイテムや和解イベントなどの条件満たすと敵対関係から中立や友好関係になる
・戦う展開にこそなるものの、相手を見逃したり、屈服させるなど、殺害以外の選択肢がある
・第三者へのターゲット始末依頼、事故や災害などの対象の始末((あくまでプレイヤーが直接やるのはカウントされるケース))
・レベルアップやアイテム習得用にあくまで不殺対象は人間で亡霊や機械などはカウントされないからそいつらは倒しても良い
基本的に、相手との和解や屈服のためにひと手間かけるよりも、相手を殺した方が早いしお金や[[経験値]]も手に入ってお得という意味で楽ではある。
しかし、その手のゲームには敵を誰一人として殺さないことでのみ展開されるストーリーがあったり、特別な称号、実績が手に入ったりする。どちらかというと、&bold(){「プレイヤーへの挑戦状」}といった立ち位置だろうか。
逆に安易に殺す方がデメリットが大きいというゲームも多く、それの影響で難易度上昇やアイテム習得不可がある。
勿論、[[真逆も然りであり…>皆殺しルート(ゲーム)]]
**「不殺」が可能なゲーム
・[[LIVE A LIVE]]の幕末編(人間キャラを1人も殺さない「0人斬り」プレイが可能((なお、不殺対象は人間限定で妖怪などはいくら倒そうがセーフ、また味方になるカラクリ丸がイベントで壊れた際に巻き込まれて死ぬ人達はおぼろ丸が命じて殺したわけではないのでセーフ。)))
・[[UNDERTALE]](制作者のToby Fox氏は、上の「LIVE A LIVE」幕末編0人斬りからも影響を受けたと語っている)
・[[SHRIFT>SHRIFT(ゲーム)]](R18ゲームにつき注意)
・[[Dishonored]] (「悪徳政治家のスキャンダル追及」などの社会的抹殺手段が用意されている)
・メタルギアシリーズ(体力の代わりにスタミナを削って倒すことで殺害数にカウントされない((作品によって不殺判定がガバガバなことも多く、MGS3では「毒蛇を投げつけて相手がかまれて死んだ場合は不殺」「乗り物の運転者に麻酔銃を撃って相手を事故死させた場合は不殺」「同じく麻酔銃を撃って相手が転落死や溺死した場合は不殺」という仕様だった。))。ただボス敵は倒された後自殺するため、殺していないかと言われると…)
・スプリンターセルシリーズ(殺さなかった相手には、&bold(){然るべき法の裁きを与える}ことが出来る)
・師父-Sifu-(&bold(){相手を殺さず心を折ることが、武術の真髄であり、徳である})
*逆に主人公・味方役が殺人を躊躇しない設定がある場合
不殺主義の主人公・味方役を嫌う人は不殺主義の防止の発想で殺人を躊躇しない設定にすればいいのでは?と考えるかもしれないが、その考えも必ずしも良い結果を生むとは限らない。
もし主人公・味方役をそんな設定にしてしまった場合、それはそれで説得力のあるしっかりした理由づけが求められる。
当たり前の事だが人を殺す事は悪である。
実際は「殺してもいい存在と殺してはいけない存在の境界線」などなく、「殺す必要性があるかないかの境界線」な上に後者の境界線も基本的には曖昧である。
**殺人の説得力関連
「相手が敵・悪い奴・自身を殺そうとした・殺人をしたから」などの描写があってもその過程がおざなりだったなら説得力に欠けることとなり、
下手をすれば読者・視聴者から説得力のない正当化をしてると悪い印象を抱かれる事もある。
更に「主人公・味方役が敵より圧倒的に強くて手加減が容易」「敵が根は悪人じゃない・改心する可能性・悪事にやむを得ない事情があった・そもそも悪人ではない」など
主人公の戦闘力や敵側の描写などを掘り下げるほど、場合によっては相手を殺す事に説得力を持たせる事が困難になる。
作風によっては「主人公・味方役が人を殺した事による罪悪感・苦悩・責任を背負う、恨まれたり責められる、殺人の報いを受ける」などの描写も必要になるかもしれない。
それ以外にも後悔したところで短時間で忘れるようなファッショントラウマ((着脱可能な衣服の様にトラウマ設定が安易に付与されたり消える様子からの命名。そんな程度のものなら一般的にはトラウマや後悔とは呼ばないだろう。))やら、同じことを繰り返す学習能力の欠如だったり、
周辺描写を掘り下げた結果、読者・視聴者から主人公・味方がただのやばい奴という評価(作者は気づかずに作中では善人扱いのまま)になる作品もそれなりに有る。
これらは不殺主義者でも当てはまりうるのだが((分かりやすい例として、侵略者にして大量虐殺者で恩人も殺害している少女に対して優しく接しながら「君は正当防衛しただけ」などと主人公がのたまう作品がある。後者の場面だけ見れば「善人」だが前者を忘れていない読者からすれば「サイコパス」にしかならない。これほど劇的ではなくとも場面に応じて設定が大きく変わる作品は結構ある。))、ブレーキが効かない殺人を躊躇しない(しかし善人設定)の主人公・味方の方が短絡的だったりサイコパスになりやすい傾向にある。
**もし殺さずにすんだ敵を殺したら?
物語の展開的に「殺さずにすんだ敵を殺してしまう事」も普通に発生しうるが、
一方で読者・視聴者から見て「本当に殺す必要があったのか?」と思わせる殺人を起こしてしまう事もある。
そうなれば主人公・味方役がよほどの悪人か[[サイコパス]]キャラクターでもなければ、いくら不殺主義ではなくとも葛藤など何かしらのフォロー描写をいれなければならない。
**非不殺主義者なら嫌われないのか?
不殺主義・なるべく殺さないキャラの中で特に嫌われがちなキラ・ヤマトが主人公の『ガンダムSEED』もなんだかんだでアナザーガンダムの中で屈指の人気作で日本アニメ業界全体でも立派な名作であるし、他のガンダム主人公の中にもキラ・ヤマトに負けず劣らず嫌われている主人公もいる。
**悪役主人公・悪役味方役関連
中にはあえて擁護しきれない殺人を行う事で人気を得る主人公・味方役もいるが、
もちろんそれは飽くまでも悪役や否定的に描かれる役といったアンチヒーローとして人気を得ているのであって決して王道の主人公のような扱いではない。
**殺人の説得力を疎かにしてその殺人をした主人公・味方役を悪役として描かなかったら?
この様にやり方を間違えれば「主人公・味方役の悪役化・サイコパス化」が起きたり、
主人公・味方役を洗脳じみた絶対正義・絶対善として扱いすぎる作風になってしまったり、
「ただ登場人物の命を軽視するだけの作風」になってしまったりして作品そのものが嫌われてしまう事になる。
**非不殺主義の主人公・味方役の結論
不殺主義のキャラやなるべく殺さないキャラにする設定は、ブレーキをかける機能やキャラクター性の掘り下げの面もある。
ここまでの例から、非不殺主義者だが殺人を躊躇しない(言い換えると安易に殺人する)善人なんてキャラはむしろ下手なサイコパスよりもサイコパスしていることが分かるだろう。
とはいえこれも絶対的に『殺人を躊躇しない善人』が全てサイコパスという訳ではなく例えばアムロ・レイなんかは『戦争だから』というのもあるが躊躇無く人を殺しまくっている((まあアムロの場合は逆シャアの時は『躊躇してたら無辜の人間が大勢死んでしまう』というのも複合されているのだが。そんな彼もZガンダムの時は『ランドセル』と呼ばれる部位のみ破壊し無効化するだけに留めたこともあり、無闇矢鱈と相手を殺すのは避けようとする意思も持っているようだ。))ものの基本は(シャアの行為を真っ向から否定する程度に)善人でありサイコパスでもない。
また『相手が自分と互角または格上だからそもそも殺人を躊躇してる暇はない』『自分は相手より格上だが仲間が相手と互角かまたは格下なので守らなければならないので殺人を躊躇する暇はない』善人も居ない訳ではないので、結局のところは作者の匙加減といったところだろう((ドラゴンボールの孫悟空は基本的にこれである。しかし彼も相手の『殺害』にはこだわっていないためピッコロやベジータは殺さず、リクームもトドメを刺したのはベジータであった。『殺害』にこだわらないためカエルと入れ替わったギニューを見逃すよう進言したこともあり、この際は『カエルになったら何も出来ないだろう』とまだ悪人であったフリーザ編のベジータですら見逃した程である。フリーザを見逃したのは星の爆発が近かったためにトドメを刺しに行けなかった、という側面もあるので能動的に見逃したかどうかに関しては意見が分かれるポイントである。フリーザ自身は『悟空は甘いから悪人である自分も殺さなかった(意訳)』といってのけているが。))。
*最後に
繰り返しになるが、不殺主義は賛否両論である(完全不殺主義だけは絶対に殺した方がいい時がある以上、否定意見が多めであるが)。
そのため、賛成・反対の双方で議論が荒れる場合があるが、お互い冷静に尊重して作品や場を荒らさない様に注意しよう。
追記・修正は誰も殺さない方にお願いします
前述した『ZOIDSバトルストーリー』の義手義足の話だが、兵士が不安を述べた後、その場にいた看護婦の女性は引き金を引く未来を強く否定しこう述べている。
「だって私達……人間ですもの……!」
それを聞いた兵士達は安堵し、全ての義手義足を配り終えた。
相手も同じ人間で、同じ命なのだからと、人に未来を与える道を選択している。
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