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不殺主義

登録日:2012/09/16 Sun 02:57:59
更新日:2026/07/30 Thu 17:09:01
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この刀ですんなり人を斬れるでござるか?

るろうに剣心』より


【不殺主義】とは、フィクションの戦闘において「生命だけは意地でも奪わない」という思想・行動を指す造語である。
主にキャラクターの行動原理を解説するためのフィクション用語なので、厳密にはリアルの主義やイデオロギーとして使われる事はない。




概要


示す内容は読んで字の如く


殺さない主義

である。……うん、まんまやね。


まず、人を殺さない主義、という考え方自体は珍しいものではない。
古くから宗教や倫理観の中で説かれてきた、ごく基本的な価値観である。
例えばキリスト教の聖書には「汝、殺すなかれ」と書かれているし、仏教では不殺生の戒めが定められている。
要は「殺さない方がいいよね」というのは、人類共通レベルで共有されてきた話なのである。

……なのだが。
戦場や戦闘と呼ばれる特殊な環境・状況では、自分又はそれに連なる他者の命、財産を護る為に命のやり取りを強いられる。
そういう特殊な環境で護身の為に一番手っ取り早い方法はズバリ、「相手を無力化する事」にほかならない。

戦闘である以上、相手はこちらの都合など考えるわけもなく、抗える状況ならためらいなく引き金を引いてくる。
手榴弾を持っていれば、たとえ一歩も動けない状態であっても指一本動けばそれだけでズドンということ。
必然的に、戦闘時における最も効率的な護身とは、「相手をぶっ殺す事」となる。
というのも、非致死性的な干渉は難しいが、致死性的な干渉は気遣う必要がなく簡単だからだ。
また、一対一など小規模ならば配慮しやすい場面も多いが、多対多となる戦場においては下手に敵を生き残らせることは危険を招くことになる。
  • 「身を護るためには撃て」
  • 「仲間を護るためには撃て」
  • 「家族を護るためには撃て」
こういうのは創作物でも結構描かれているのでなんとなくわかると思う。

そこで人類は長い歴史の中で、「誰を殺してよいか」「どのような場合なら殺害が許されるか」というルールを作ってきた。
例えば現代でも、警察官は無制限に人を殺してよいわけではないし、軍隊も民間人や捕虜への攻撃を禁じられている。
一方で、正当防衛や緊急避難、戦場における敵兵への攻撃など、一定の条件下では殺害が許容される場合もある。

つまり多くの社会制度は「誰も殺すな」ではなく、「殺してはいけない相手と、やむを得ず殺してよい相手を区別する」という考え方で成り立っている。

そうした社会的・法的な区分とは別に、自らの信念として殺害を拒否するのが「不殺主義」である。
特にフィクションにおいて「不殺主義者」と言った場合、多くはスーパーヒーローなどの自らを戦闘の場に置きながら敵の無力化はしても殺害はしないキャラを指す。


不殺主義の定義

おそらく絶対的な条件となり得るのは「"敵"の殺害が客観的に認められるであろう環境下*1で、敵を殺害するに足る選択を明確に拒否する」だろう。
そもそも相手に殺害するに足る理由が無い状況で殺さないというのは当然であるし、致死性の高い攻撃を死なない確率にかけて実行する、崩れそうなビルなど死ぬ危険性の高い場所にあえて放置する、といった行動を不殺判定するのが常識的におかしいのは言うまでもない。
ただし逆説的に、「実行者当人の認識としては十分殺さない為の配慮をしたが、それでも結果的に死に至らしめてしまった」場合は不殺主義者と見なされる可能性がある。
主義は主義であって、当人の知識・能力や実際の結果は定義上必須ではない。

なお、この定義はあくまで「殺害という選択」に着目したものであり、戦闘行為そのものの可否を問題とするものではない。
そのため、そもそも戦闘や暴力行為自体を行わない非戦主義・非暴力主義とは区別される(後述)。
非戦主義・非暴力主義が「戦うか否か」を問題とするのに対し、不殺主義は「戦う場合に殺すか否か」という別段階に関わるものなのである。
殺生に関する主義や倫理はたくさんあり、「戦うが殺しはしないキャラ」ばかりを不殺主義と呼ぶのは正直ややこしいのだが、この項目ではこの定義ということでお願いします。

なお、殺害が認められるような異常な環境でも「できるだけ殺さない」「戦いはするが殺したくない」という態度は、健康な人間にとって当たり前であり、別におかしなことではない。
戦場における攻撃行動の大多数は明確な殺意ではなく「敵が死んでも構わない」というスタンスで行われるという考察もある。
殺したくないだけであれば不殺主義と呼ばれる事はまずない。

狭義の不殺主義はこうした欲求をさらに過激に解釈した「いかなる状況に於いても一貫して殺害を拒否」といった行動に対して用いられる。
更に突き詰めるなら、「相手の生命を重んじる」「殺人という行為そのものへの強い忌避」という動機の元、それそのものを自らの信念として掲げ実行する事を指す。


生かして情報を得たい、戦略的に見過ごすなどの場合もあるので、戦場においても必ずしも殺害が正解というわけではないが、それは別に不殺ではなく別の目的を持つ作戦・戦略であって不殺主義とは関係ない。
したがって、「殺しはしないが、明らかに死ぬより辛い拷問を与える」だとか、捕虜を取るための作戦といった一過性の思惑によるものによりそうした場合には一般的に不殺主義とは言わない。

広義になると程度によって色々で、「人は絶対に殺さない」「民間人は殺さないが、戦闘員は殺す」「女は殺さない」「人は絶対殺さないがモンスターなら赤ん坊でも殺す」などに分かれていく。
そんななので、どこまでを不殺主義とするかは人によって解釈が大きく分かれる。

というか、この辺突き詰めると、「少女以外は殺さない菜食主義の殺人鬼」零崎曲識とか、「人は絶対に殺さないが、異教徒は人間じゃないので殺してOK。むしろブチ殺せ」アンデルセン神父とか、『生きていれば食料となる謎を産むかもしれない』という打算で相手を極力殺さないようにしているだけでうっかりしてたり止むを得ないときは普通に殺す*2脳噛ネウロ*3や、依頼のターゲットや自分のルールを破った者は情け容赦なく徹底的に殺すが、それ以外では動物すら極力殺さないゴルゴ13すらも「不殺主義」という変な話になるので、本人が「不殺」と主張していない限りはあまりあれもこれも不殺主義認定はしない方がいいかもしれない。



不殺主義ではない例

  • 警察など治安機関による、犯罪者の逮捕
警察などの治安機関が犯罪者を逮捕するのは、不殺主義ではない。
なぜなら彼らは個人的な「主義」によって動いているわけではない

警察など治安維持を目的とする公的機関の対処法は、基本的には逮捕が正当である。法的根拠が無い限り、殺害は職務執行法違反になる。
なぜなら警察は犯罪を明らかにするための「ヒトやモノ」を 残さず確保すること が仕事で、それらを判断して本当に犯罪だったのかを判断するのは 後で他の人間が行う仕事 であるため。すなわち容疑者でしかない人間を現場で殺してしまったら意味がない*4
つまり至極当然の行為なので不殺主義かどうかとは関係が無い。

創作物かつ「警察」の名前を使用していないケースだと、特撮ヒーロードラマ『ウルトラマンコスモス』のTEAM EYESは(悪意がないケースに限定している、とはしつつも)*5怪獣災害を抑止する公的機関として「殺すことなく対処」「怪獣が怪獣のまま生活できる特別区画施設に移送、研究施設たる動物園としてサファリパーク形式で保護*6」という対応を職務としての大前提としているし、
『リリカルなのはシリーズ』時空管理局はプレシア*7、スカリエッティといった凶悪犯でもその場での射殺指示は出されていないため「殺さずに身柄を確保して、裁判のもとに刑罰を決定する」ことが求められていると思われる(そしてスカリエッティのケースを見る限り、死刑が廃止されている可能性がある)*8
ロボットとして復活したので厳密にはそもそも人間ではないマクスウェルですら(ほぼ全損に近いところまで攻撃を加えたが)作中のセリフのみならず公式な時系列・事件の経過説明でも「逮捕」となっているため、本作において職務上殺害してはいけないと判断されるケースはかなり広いようだ*9
このケースは逆にどこからが「管理局員としての事件取り扱い上、被疑者ではなく害獣として対処するが認められるのか」のほうが曖昧で、『EXCEEDSガンブレ』第1話では知性を持たない怪物(いわゆる怪獣)に対してなのはが攻撃魔法を使っているが、この際も衝撃で昏倒させただけなのか「公的魔導師の義務として生け捕りが求められる範囲にない相手なので殺害している」のかは曖昧なまま2話へ続いている*10
一応『StS』~『Vivid』~『Force』で現実で言うパークレンジャー*11に相当する部署が登場しているので、野生動物に関する業務を主に行う局員は存在しているはずだが…。

+ より詳細な殺人に関する法律
※あくまで参考。実際の刑罰に関しては弁護士や検察官など専門の人間の判断に委ねられます。

どのような国でも殺人は重罪と見做される。それは生存権を筆頭とした他者のあらゆる人権の侵害行為だからだ。命は一度奪われたら取り戻す事が不可能であり、失ったが最後、被害者はそこに連なるあらゆる財産や権利を喪失してしまう、故に余程のことがなければ重罪と見做されるのだ。

ではその余程の事態とはどういうことか。日本の法律において「殺人罪」とは「人間を殺そうとする意志(殺意)」と「人が死ぬという危険性」を認識した上で実行したかどうかがその罪の重さに関わり、特に殺意の有無は裁判において重要な争点となり、失敗しても「殺人未遂罪」、計画段階だとしても「殺人準備罪」となる可能性がある。
もっと言えば自分自身が殺害行為をしなくても「他人に殺人を指示する(犯行教唆)」ということを行えば殺人の実行犯と同等に罰せられる(犯行に銃の引き金を引く事で放たれた鉛玉と指示された相手、いずれにしても「被害者の肉体を損壊させ殺害する」という結果を導き出す事に変わりはないため)。

殺意がない、死ぬという想定がない中で誤って殺害した場合は「過失致死罪」というもっと軽い罪となり、酩酊状態や脳の異常等で殺人という行為もリスクを正常に判断できないなら「心神喪失」と見做され減刑・不起訴の可能性もある。
また子供はリスクを正常に判断できるだけの教育がされず、また人生の残り時間も長いため一定年齢以下までは「少年法」で保護される。
また、「自身、または他者の命が侵害されそうで、相手を殺す以外で防ぐ手段がなかった」という状況ならば「正当防衛」が適用される。ただしそこまでの経緯で適切な行動が取れなかったり殺人までいかなくてもなんとかなったとされたなら「過剰防衛」と見做され正当防衛ほどの情状酌量の余地は与えられない。

また「Aさんを殺そうとして真っ暗闇で殺したら全く別人のBさんだった」という、特定の個人への殺意があった上で起きた事故の場合は法解釈が分かれ「殺人罪は『人に対する殺意と殺人行為』が対象なので誰に対しては問わないので殺人罪が適用される」とするか「Aさんに対する殺人未遂と、Bさんに対する過失致死罪が同時に発生する」とするかが争点となり、これはどのような状況かでどちらが適用されるかが変化する。

いずれにしろ、法的に殺人とは余程のことがなければ重い罪と見做され、仮に無罪になったとしてもその後は監視下に置かれる事になる。「冤罪を起こさない」事を重要視してるため被告人を保護する法令が豊富な日本ですらこのような扱いなので、海外ではさらに重い扱いとなる可能性は上がる。

ただし、手加減をしていたら自分や自分の身近な人間が殺されかねない、住居を放火されて近所諸共に家を失いかねない状況、更に言えば死刑相当案件の重罰対象の加害から自衛する為の殺害なら正当防衛として免責、反撃は妥当でも殺害はやり過ぎと見做されれば過剰防衛として減刑となる。

人の命に危険が迫っている状況では、相手を射殺しても「正当防衛」や「緊急避難」として認められる場合もある。しかし「命の危険があった」と主張すれば無条件に許されるわけではなく、その判断が本当に正しかったかは厳しく検証される。
また最初から殺害する意図があった・抵抗できなくなったことが分かってから止めを刺すなどすれば、罪に問われることが多い。
特別の例:ヒーローならパニッシャー、警察ならダーティハリーなど

  • 軍隊などが行う、戦術・戦略的効果に基づいた行動
これらも主義ではなく戦果や効率を求めた意図であり、人命を尊んで行動しているかは関係がない。

例えば、負傷兵を増やす目的で攻撃する事などが挙げられる。
これは殺害よりも負傷兵の運搬や治療に人材と時間を要して場所も取られ、負傷兵が増えていくだけで士気の低下も狙えるから、という理由で行われる方策である。これらを狙った兵器として対人地雷がある。
これらは「あえて即死させないことでより多くの敵戦力を減らす」事を目的としているので、最終的に攻撃対象が死んでも目的は達成されるため、不殺主義ではない。
例に挙げた対人地雷も大抵は足が無くなる程度の威力はあり、即死し辛いだけで即座に治療されなければ間違いなく死亡するくらいの負傷となる。
なんなら即死してしまっても敵戦力が減ることには変わりないので、目的からすれば「効果が薄くなった」程度の意味合いでしかない。
一応は不殺主義者が戦略も兼ねてやってもおかしくはないのだが、何らかの設定等の都合で「絶対に死なない負傷」が保証されない限りは早々当てはまらない。

もう一つは戦後を見据えた不殺。
例としては敵国を併合する事によって人的資源の増強を図る場合が挙げられる。
戦力、生産力、税収もろもろの面から見て、敵を無闇に殺すな、不必要に恨みを買う様な真似をするな、という意図の下に不殺を行う。
が、これは逆に言えば「利用価値が無い」「デメリットを無視できる」「それどころではない程追い詰められた」状況ならば殺しても構わない、となってしまう。

「民間人や子供、無実の人間など、殺していけない相手を巻き込むから」で戦いを反対するパターンも、殺していい相手だけを100%判別する手段があるなら殺していいという事になるので不殺主義ではない。
少なくとも、「攻撃対象以外への被害は極力ゼロに近づけるべき」という方針が見られる*12ごく近年のアメリカ軍を不殺のもとに戦っているとは扱わないであろう。

  • 非暴力主義
不殺主義を内包してはいるが、これらは戦闘や暴力の行使自体を拒否する。
暴力そのものは許容することもある不殺主義より厳しい条件となる。

わんだふるぷりきゅあ!』の登場プリキュア達もこれであるが、彼女たちの場合相手がそもそも敵であるガルガルが基は無害な動物だったのに無理矢理暴れさせられている存在であるため、仮に暴力を振るった場合動物虐待となってしまうため致し方ないだろう。
勿論彼女たちは(プリキュアに変身していることもあり)身体能力が高く、全員がバリア持ちであるため暴力を振るうことなく相手を鎮圧可能であるというのもあるのだが*13
ちなみにキュアニャミーだけは変身者が猫であることやそもそもガルガルの正体を知らなかったこともあり例外的にガルガルを攻撃していた、のだが正式に仲間入りする際態度を改めたのであった。

この思想を持つ現実に存在する人物で、特に奇妙な経緯をたどった人物としては第二次世界大戦で沖縄戦にも参加した米国軍人のデズモンド・T・ドス氏(最終階級伍長)が挙げられる。
彼は大戦の最中に軍に志願したものの、宗教的思想から戦闘どころか銃を持つことすら拒否した。
当然「お前なんで軍に入ったんだ」と反発を受けたものの、紆余曲折の末に衛生兵となって*14戦争に赴き、自身を顧みず多くの人を救った功績で最高位の栄誉である名誉勲章を受章している。
彼のエピソードに関しては2017年に『ハクソー・リッジ』のタイトルで映画が公開されている。

  • まだ殺す覚悟が決まっていない
例えばそれまで殺し合いと無縁の生活を送っていたのに、殺し合いに巻き込まれた途端に相手の命を躊躇なく奪う一般人がいたら、それはそれで問題があるだろう*15
本来は「殺すか殺さないかを自分の意志で選べる状況で、たとえ後々不利になろうとあえて殺さない方を選ぶ」からこその「主義」であり、そもそもその選択肢を選ぶ準備が整っていない状態での突発的な行為は「主義」とは言えない。
ダイの大冒険で、ヒュンケルの事情を察して不殺の戦法を取ったアバンが『あえて危険な手段を選んだのか』と関心していたように、意図的に選ぶからこその主義である。

  • 自由意志を持っていない
上記と同様、自らの意思による結果ではないことが理由。
自ら意思決定する事ができない場合、不殺に基づいて行動することはできても、「主義」を持っているわけではない
命令によってそのように動かされていたケース等が代表的。
プログラミングによる不殺を徹底した機械などは本人ではなく、設計者が不殺主義の可能性があるというだけである。それも明確に言及がなければ断定はできない。
チェイス/仮面ライダーチェイサーターミネーター2におけるT-800のように自由意志を持っていてもプロテクトや他者の命令に縛られて人を殺せない機械もこちらに分類される。
特にチェイスの場合当人はそれを自分の主義であると思っていたが、たとえ殺傷したいと思っても人を死に追いやるような危害を加えることはできないだけである。そのため、彼自身は軽いパニックになっていた*16
そこまで極端でなくてもロックマンのように自己判断自体は可能でもロボット三原則に縛られて居るならそれを主義とはいえない。
例え機械でもDetroit: Become Humanに出て来た『変異体』のように、自己判断が可能かつロボット三原則に縛られる存在でもないのであればこれには当てはまらない。

  • 運良く殺害に至らなかった・殺すより戦闘能力を奪う方が確実だった
やはり自らの意思による結果ではないことが理由。
身も蓋も無く言えば『結果的に相手が死ななかっただけ』『未必の故意による殺人未遂』である。後述するジンベエを除き麦わらの一味はもろに前者である。
(もっとも船長であるモンキー・D・ルフィは現実世界で付くであろう職業に人命を助ける職業である消防士が挙げられており、人が死ぬことは望んでいない節がある。ただ彼は手加減をしないので不殺主義者とはいえないが*17
実はジャンプではこのタイプの歴史が古く、同誌バトル漫画の金字塔『DRAGON BALL』の悟空がそもそもこのタイプ(やむなく殺すことは肯定するが、毎回殺すつもりで戦っているわけではない)のはフリーザへの1回目のトドメ(一度は改心を信じて許している)やブウ編のラスト(生まれ変わって善きライバルになることを望む)、果ては勝つつもりすらある意味では薄かった『神と神』(自分が瞬間的にでも破壊神ビルスに比肩できたことこそが目的の達成)*18。このへんは鳥山先生のインタビューでも何度か言及されている。
この意味では麦わらの一味…というかジャンプ作品にこのタイプの者が定期的に見られるのは、「誌の個性」としてある意味当然なのかもしれない。

ただし、不殺主義者でも同じような行動に出ることはあるので、状況と人物次第とも言える。
また、味方からなじられた不殺主義者が味方への言い訳に使うケースもある。

  • 自身の目的のためにあえて止めを刺さない・精神的にダメージを与えたうえで見逃す(あるいはどうでも良かった)
基本フィクションにおけるもの。こちらも結果的に殺さなかっただけである。
結果だけ見れば不殺でもその事自体に主眼を置いた動機によるものではない。それどころか、お眼鏡にかなわない相手は容赦なく殺す、というキャラクターの方が多い。

  • 死以上の苦痛を与えたい目的で殺さない
多くの場合はやはり結果的に殺さなかったパターン。復讐の一パターンや偏執狂の一種と考えた方がいいだろう。
たまたま相手に死を与える以上の手段を持ち合わせていたため選択したに過ぎない。
満足した時点で殺害が選択肢に入ってしまうし、興味を失ったなら相手の命にも頓着がなくなる。実際、そうした目的で相手を生かしているキャラクターの大半は倫理?何それおいしいの?な人間性だったり、目的を果たすなりすると「もうお前はいらない。バイバーイ」とあっさり相手を殺しにかかる。

似て非なる例としては、キャラクターが相手の更生を目的としているパターンがある。
こちらは罪の意識といった苦痛を与える一方、あくまで対象を正常な世界へ戻す目的で行われるため不殺主義と近い。
…はっきり断定できないのは過激な洗脳等の人道的と言い難いものがごくまれにあるため。

  • 殺す気はあるが殺せない
ファンタジー色の強い作品でみられるパターンで、契約や呪いといったルールに縛られており相手を殺すことができない。
殺害を試みても実行できなかったり、殺すこと自体は可能だがそれによるペナルティがあまりにも大きい(自分も死ぬ)など。
当然ながら自由意志を奪われているに等しいため本人の「主義」ではない。
殺意自体はあるので、ルールの盲点を突くことで殺害を試みたり、他人が目的の人物を殺すように仕向けるといった展開がお約束になっている。
先述の『仮面ライダードライブ』チェイスのケースなども、本人は(やったことがないだけで)殺人行為も可能だと信じ込んでいた、という点ではこれの要素もあるか。

  • 相手は人間ではないから人殺しではない
90年代から2010年代の創作に多かった、盲目的な宗教または人種差別的なパターン。
堂々と人をぶっ殺している人間が、平和主義・博愛主義を謳い不殺を騙っているというもの。
この場合、主な被害者は(不殺主義者にとって)異教徒であったり、エルフや獣人など亜人種であったりする。
人種差別及びその反対運動が激しかった時期に書かれた作品では、白人が黒人を…なんてケースもあったりする。
とはいえ、
    • 国の統治者やコミュニティのリーダーが、自分の組織の秩序を守ろうとするのは当然のことだし、ましてや封建主義社会で、民主主義・社会主義など統治するのに弊害となる余計な思想を振り撒かれたら排除に動くのは当然のこと
      ???「地動説を、打ち殺す」
    • 平然と人の血肉を食う種族であれば敵対するのは当然のことだし、命を奪われないとはいえ、人間の血や精気を主食とする種族であれば、嫌悪感を抱くのは仕方ない
      ???「人も鬼もみんな仲良くすればいいのに 冨岡さんもそう思いません?」
    • 差別対象がご先祖様の功績や法律を盾にしているだけで、口だけは大きい無能のタダ飯喰らいであれば、老人はともかく若者や立ち寄った旅人が反感を抱くのは当然のこと
      ???「守られていると言うことは、”力がある”ということではないのですよ」
そういった存在を認めないためにも、「こいつらは人間ではない」と普及させるのは仕方ない一面が描かれたりする。


なぜ不殺主義のようなものが生まれるのか

人間とは社会的動物であり、社会的立場を考えると単純な暴力行為は基本的にデメリットが大きい。
特に倫理観を養ってる真っ最中のティーンエイジには「他者を殺傷することは悪い事」という考えを持たせておかなけば将来的に自分の望みを叶えるために他者への暴力を躊躇わない、最悪の場合強盗や殺人などの犯罪行為に走る理由に繋がりかねない。よって最低でも「必要でなければやってはいけない」という心理的ストッパーが根付く前の人間に対して殺人を肯定する思想に触れる事は忌避されている。そのため創作物やメディアは殺傷行為の描写について非常にデリケートなものとして扱い、特に海外ではテレビで殺傷行為どころか凶器になり得る銃火器を映す事自体を禁じている場合すらある。

更に戦場など命のやりとりを経験する・しないなど環境によっても大きく変わるし、そういった体験を経たからこそ不殺主義に拘る人も居る。
殴って殴り返されると痛くて嫌だから…の様な動機の延長でも分かりやすい。
また前述しているが、状況と程度によるが不殺主義とは別におかしな考えではない。

一方で、状況に左右される面が大きいことに加え(戦争・正当防衛)、育ちによって暴力行為への抵抗感が少ない・特に考えない人も居れば、心身症や心身障害などにもよって左右されたりする。
ストレスによって暴力的になることもある。

そもそも治安の悪い国や地域では「何もしないと自分が害を被るので対抗せざるを得ない」として不殺などという「縛りプレイ」をやってる場合じゃない、という事もある。そんな場所の住人に不殺主義を説いたところで「じゃあお前は私の命や財産を守ってくれるのか」と問われることになる。

不殺主義とその程度・健常者・異常者の線引きを厳密に考えるのは難しい問題だと言える。




具体例を取りあげると、例えば健常者でも戦争を割り切れる人も居れば、割り切れない人も居る。
そして兵士の場合、立場的に戦争は回避しようと思って出来るものではない。殺したくないという理由で逃亡すれば厳罰である。

割り切れて、尚且つ無事に生き残ることさえ出来れば、その後冷静に不殺主義になってもならなくても大きな問題はないが、割り切れない人は当然割り切れる人よりも精神に大きな負荷がかかり、身体にも不調が表れ始める(つまり心身症になる)。戦争からの帰還兵が社会復帰に支障をきたす例もしばしば報告されている。
しかも戦場や戦闘など命が軽い環境では、普通は相手の事情など考えてはいられないし、下手に考えると自分どころか仲間の命までもが危ない。
そして周囲の環境と自分の欲求との間における矛盾を解消するために不殺主義に至る。

この例においては不殺主義は適応機制(adjustment mechanism)の一種とも言えるだろう。
(厳密には、適応機制の中の「昇華」 ―― 社会(環境)が認めない自分の欲求を、社会的に認められる形へと置き換えること ―― に当てはまるかもしれない。)
これは実際に兵士が患う「戦闘ストレス反応」(Combat Stress Reaction; CSR)として軍事心理学や軍事医学で研究されており、別段おかしくはない。



もっともこれは一例である。
こういった経験以外から不殺主義になることも、おかしいことではない。


不殺の利点

第一には、殺されなかった相手に与えられる未来だろう。
余程の奇人*19では無い限り、命が助かれば相手にとっては嬉しい事だろう。
また、場合によっては恩を感じたり、殺さない代わりに条件を付けることで、助けとなってくれる可能性もある。
現代ではあまり期待する様な話ではないが、戦国時代以前ならば、たとえ自分たちの軍に大きな損害を与えた敵の家臣が相手でも、今後は自分に仕えて能力を発揮するならば罪に問わないことは当たり前であった。
復讐心に燃えるなどして降伏を許さず殺していては、軍は優れた人材を吸収できず強くならないし、現地の占領統治をするにあたっても現地に詳しい敵の協力がないとうまくいかない。
(もっともこの例も、生かして味方にした相手が内心では敵意を抱き続けていたと思われる例が多々あるため、やはりそう単純にはいかないのが厄介なところである)

それどころか、敵は「殺されないなら抵抗せず降伏するが、殺されるなら死に物狂いで最後の決戦を挑む」となり、自分たちの軍に大きな損害を与えてくることだって考えられる。
殺せたとしてもその親族が復讐を誓うかもしれないし、無関係な人間すらも攻撃的になるかもしれない。
人を殺さないというのは報復や危険視のリスクを減らし、政治的・社会的正当性を維持する行為なのだ。
適切な不殺は、巡り巡って自分たちの命を守ることもある。

また不殺の利点は殺人の欠点と表裏一体である。
殺してから実は敵じゃなかった、わざわざ殺さなくてもよかったと気付いても、殺してしまっては絶対に取り返しがつかない。
無用に人を殺したとなれば他人に被害が出るだけでなく、殺人者も政治的、社会的に危機に陥る可能性は高い。
だから「殺さない」という判断基準を念頭に置いて行動すれば、そうした自己と他者への無用なリスクを減らすことができる。

本人の自己満足や精神安定以外にも、多数の利点があるのが不殺なのである。



不殺主義の条件

基本的には「相手より圧倒的に有利であること」である。
その中身としては「相手より圧倒的に実力がある」「相手のほうが実力があるが自分に勝機がある」等が考えられるが、いずれにせよ相手に対する自分の優位はほぼ必須である。
仮に不利な戦場で不殺主義を貫いた所で、大半は自身や仲間の死に繋がることになるだろう。
相手も不殺主義で、しかも都合良く殺されずに済みましたなんて事はそうそう無い。(別の都合で捕虜になるなどもあるにはあるが)

相手を生け捕りにすることを考えてみよう。相手は刃物を持って錯乱した恋人でも、牙や爪のある野生の希少動物でもいい。
例えば刀どころか模造刀一本だけでも、頭部や首などへの攻撃は命に関わるし、一生まともに生活できない後遺症を与えてもおかしくなく、突きにいたっては素材と形状から普通に刺し貫けてしまう。
現実においても、不殺のための武器であるテーザー銃やゴム弾などを用いても、死んでしまうという事故は後を絶たない。
また、これらは比較的防御しやすかったり、射程などの使用条件がなかなかクリア出来なかったりするため、まだまだ課題が多い。

自分も相手も護りたければ相応の実力や装備が必要になるのである。
強さが足りずやむを得ず殺した者に対して、『不殺への重みや説得力がない』などと批判するのもかえって説得力のない話になる。


また、不殺主義をする以上は、殺さないならどうするのかという生かしたあとのアフターケアも考えておく必要がある。
例えば殺さなかった敵が逃げ出して反省もせず悪事をしたり厄災になった場合、被害者からはお前は身勝手な独善者だと非難されるかもしれない。

ただ、ここで話がややこしくなるのは、ほとんどの不殺主義者キャラはヒーローなどのボランティアであることである。*20
彼らには本来、戦う責任がない。つまり殺す責任はないし、贖罪や賠償をする必要もない。

そもそも害悪なのは被害をもたらす敵であり、不殺によって被害を出しているわけではない。
アフターケアの拙さがあったとしても、命がけで戦ってくれたヒーローに、「敵を殺せば解決」とその不殺主義にいきなり矛先を向けるのは、安直な結論に飛躍している感覚は否めない。

とはいえ、被害を受けて感情的になった者に、必ずしも理屈が通じるとは限らない。
助けたはずの相手から、歪んだ憎しみをぶつけられても仕方ないと、不殺主義で行くなら覚悟しておくべきだろう。
なにせ不殺主義者はどんなに身勝手に攻撃しても、絶対に殺意をまとった反撃をしてこない、叩きやすい相手なのだから。



不殺主義の是非

肯定論も否定論もそれぞれ論拠はあるが、それ故に一般的には賛否両論と言える。

戦闘において意図的に相手を殺さず無力化する……「不殺」というのは非常に難しい。
生物は出血だけであっさり死に至る以上、無力化には高度な技術か専用の道具を用いて拘束する・気絶させる程度に限られるが、戦闘においてそれらを常備できている状況は限られる。それを以てしても当たり所や加減を誤ればあっさり殺してしまいかねない。
近代兵器をもってしても状況が限定されて難しいのだから、充分な近代化が済んでいない時代や地域では、なおさらである。

で、あるならば、「不殺主義は命のやり取りをする戦場において基本的に不合理である」という論調が当然出てくる。

とはいえ、不殺主義の主張そのものはおかしくなく、真っ当と言える。
むしろ人間を殺すという行為を易々と出来るとそれはそれで問題とされる。
いつでもどんな状況でも殺しに拘るような人間は危険人物だろう。


では不殺の否定がされるケースとは何か。

それは至極簡単な話で、不殺によって本来被るはずではなかった被害を生んだ場合・もしくは生みそうになった場合である。

不殺主義の程度にもよるが、テーマとして命のやり取りを扱うならばそんなことを言ってられない状況が多いことも事実であり、更にその様な状況で完全に不殺主義を貫くことは、仲間を長く危険に晒す行為になりがちで、迷惑をかけることにまず繋がる。
敵も敵で命懸けなのでそんなこと関係無しに攻撃するわけで、更に不殺を貫けても敵が生き延びてまた危害を加えることにも繋がりやすい。
特にここらが批判の的となりやすい部分……というよりほぼこの一点に集約されるといっても過言ではない。

また、殺さないという事はそのリスクを負う事であるが、そもそも殺したくないのはたいてい誰でも同じである。
そして「自分はこんなに苦労して悩んで敵を倒したのに、なぜお前はそんな呑気なことを…!」や「味方がどうなってもいいのか!?」と非難する人が出るのは当然である。


前述の通り、自分や仲間に取り返しのつかない事態を引き起こしかねない、それこそが不殺主義のデメリットである。
繰り返すが、悪人に対して不殺やトドメを刺さなかった結果、自分や仲間だけじゃなく、無関係の人達さえ巻き込むことがあり得る。そうなったら最悪である。
何度もやって反省のない悪人に対して自分の手で殺さず、法で裁いてもらおうとした結果、逃げられてさらなる悪事やとんでもない厄災になるといった展開もある。そうなったら殺さなかった方が悪いという事もあり得る。
また、そうなった場合、本人の精神が逆に蝕まれる可能性もある。

この手の問題はTRPGでは古来から「ゴブリン(ないし人間に害を与えるクリーチャー)を無闇に殺すべきではないか?」という意見が議題として挙がる。
+ TRPGにおける例
ゴブリンはオーソドックスな中世風ファンタジーモノでは基本的に駆け出しプレイヤーが農作物や人間へ害を与える害獣駆除同然の仕事として討伐しにいく存在として扱われることが多い。しかし人型である程度文明を持つ存在のため「異種族・亜人」の括りで捉える人間からすれば殺害の是非を考慮しなければならない、というものである。この辺りも扱いは作品によってまちまちであり「世界観的に敵対する侵略種族なので生かすべきではない」などの不殺主義が適切ではない理由づけをするものもあれば、本当にプレイアブルな種族と同様に扱えるようにして「何故」をプレイヤーに委ねるケースもある。
ライトノベルゴブリンスレイヤーはTRPG関連の小ネタが豊富だが、劇中では主人公であるゴブリンスレイヤーはゴブリンに家族ごと故郷を滅ぼされているため復讐どうこう以上に「ゴブリンは一匹たりとも生かしてはいけない」「いいゴブリンがいたとしたらそれは目の前に現れないゴブリンだ」として例外無く皆殺しにする一方、別の冒険者がゴブリンの子供を憐れんで見逃したらそのゴブリンの子供は冒険者を後ろから撲殺し装備を奪い、最終的に現在のゴブリンスレイヤーの住む村を滅ぼしかねない軍団を作り上げるボスエネミーにまで成長してしまった、という事例もある。
そこまで極端でもないPBW『ロストアーカディア』は敵対存在である天使が元人間も含まれる(先天的な天使が居ない訳ではない)ことからPCが殺害を躊躇ったりするケースも否定されない。これはロストアーカディアは高い自由度が売りのPBWなのと、『元人間を殺害するのに抵抗があるのは当然といえば当然だろう』というのはあるものの、「世界そのものが天使により詰み寸前」という理由付けから「人類が生き残るためには生かすべきではない」という扱いを受けていた。
ただしロストアーカディアはその自由度の高さ故『戦争していた世界の出身だから人殺しに対する抵抗感が元から薄い』等の背景を持つキャラも作成可能だったりしており、戦意を喪失した天使に端を発した対立を経て『共存の余地がある天使も居る』という見解が公式に発表されたことでそうした風潮は変わりつつある。
視点は変わるが敵前逃亡と言うのは軍事組織にとって重罰規定である。
無論、『敵の戦力を探り出して上層部に知らせるのが使命』『護衛対象を送り届ける指示を受けている』『攪乱が主任務』『戦力の温存を厳命されていた』等、状況によっては軍事組織に所属している人物が逃げる事も有り得るが、予め逃走の判断を任されているか、軍法会議で逃げずに立ち向かった場合にどれだけ不要な損害が生じたかを弁明したかの何れかである場合が多い。
敵前逃亡と見做されれば、自分が敵を殺さなくとも敵上層部に処罰されるし、逆に許されたとなると敵の上層部が敵前逃亡の失点よりも情報を持ち帰った功績を評価した、即ち敵側に真っ向勝負に持ち込めば十分に勝ち目が有る駒が居る可能性が高い、と言う事である。

他にも不殺主義者に倒された相手が「戦場で死ぬことを許容する戦士としてのプライドや誇り」を持っていた場合、逆に敗北して「殺せ!」と叫んだとしても、殺されずに見逃されてしまい逆にプライドや矜持を砕かれて、ただ死ぬよりも辛い屈辱や恥辱を味わう場合もまたあるが…
敗北で屈辱を味わうのは本人が弱いのが悪いのであって、不殺主義者に責任転嫁するのはお門違いであろう(↑のリンク先のキャラは実際そこもしっかり糾弾されている)。
おいは恥ずかしか!生きておられんごっ!

話は少し変わるが、かつて『ZOIDSバトルストーリー』という作品において、戦時中に「開発された最新の義手義足を敵国にも配る」という行為がなされた事がある。

配った側の兵士が、
「これで帝国(相手国)の連中もまた子供を抱けたり恋人と手を繋いで歩いたり出来るもんだ!」
と嬉しそうに話すシーンがある。
そのすぐ後、別の兵士が不安げに
「でも……もしかしたらその腕でまた引き金を引くかも……」
と呟く。
それを聞き、配っていた兵士達は言葉を失ってしまう。

不殺主義とは異なるが、結果は同じく相手に未来を与えることであり、不殺主義と似ている。
不殺の理由が「余計なストレスや責任を負いたくない」でも「相手に情けをかける」でも、結果としては、敵の行動の許容である。
相手にまた引き金を引く可能性を与える以上、また味方や仲間を危険に晒す可能性がある。

殺害主義の是非

不殺にデメリットがあるならじゃあ殺せばいいのか?というともちろんそうではない。
まず敵を殺すという行為は、それだけで全てが解決するとは限らない。
むしろ仲間や組織による報復を招き、脅威を排除したつもりが、別の形で火種を増やす可能性もある。

また、殺すという選択は取り返しがつかない。
誤認があった場合でも後から修正することはできず、結果としてリカバリー不能の損失を生む可能性がある。
更に、安易に殺害を選択する姿勢は周囲からの評価にも影響を与える。
過剰な対応と見なされれば味方や協力者の支持を失い、場合によっては新たな対立を生む原因にもなる。

加えて「危険だから殺す」という判断を繰り返すことは、その基準を曖昧にしやすい。
どこまでが排除すべき対象なのかという線引きは次第に緩み、結果として過剰な先制行動や誤った判断に繋がる危険もある。

そして何より、その判断を個人の裁量に委ねるという構図自体が危うい。
強者が「危険」と見なせば排除してよいという理屈は、自分が弱者の立場に回った場合にも同様に適用されることになる。

このように「殺す」という選択にもまた無視できないリスクと代償が存在する。
上述した「不殺のデメリット」…被害を生むこと、仲間を危険にさらすこと、取り返しのつかない事態を引き起こすことは、殺害主義者にもまるごとひっくり返ってくるのである。
だから不殺主義者は、いつも殺すか殺さないべきか葛藤しており、その人間的な悩みが読者や視聴者に共感を生むのだろう。



実際の作品における不殺主義

「相手が悪人であっても命までは奪わない」というスタンスの人物が主人公の作品は多い。
特に現代風の作品で容赦なく人を殺すキャラが主人公サイドでは読者や視聴者に受け入れられにくいという面は否めない。
特に少年誌では読者の情操・倫理観の教育観点から出版社側としても「それを掲載した事で読者が殺人に肯定的になるor肯定する理由に作品中の描写を挙げられる」ことの社会的リスクを防ぐ必要がある。
例を挙げると「」という漫画では元々の設定では学生の主人公が日本刀を武器にして戦う予定だったのだが、「真剣で学生同士が戦うのはNG」という編集部の意向で切れない刀を使う形に修正されたというエピソードがある。

舞台が戦国時代や中世、西部劇、宇宙や異世界だとそこまで配慮されないことが多いが、それでも「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」において
「子どもが視聴する時間帯のアニメ番組で、主人公の少年が無抵抗の捕虜や敵兵を射殺するシーンがあった。タイトルを見て、子ども向け番組だと思って視聴した子どもも多いと思う。どうしても放送したいなら年齢制限を設けてほしい。」
という意見がBPOに届いた例もある。

かつて1990年代までは「少年誌のバトル漫画の主人公は不殺主義が当然」「俺達のヒーローが人殺しじゃ話にならない」という風潮があったが、「多少の汚れ仕事は必要」「必要な場面で敵を殺して何が悪い」という風潮から、2000年代以降は合理性を欠いた硬直的な不殺主義が一般論として批判される時代となった。
それだけ現実世界の閉塞感が増し、敵側の絶対悪・異質描写が増え、読者層の高年齢化とダークファンタジーの一般化が進んだことの表れであろう。

なお、なぜ不殺批判が2000年代から増えたかというと、一言で言うとガンダムSEED(2002-2005)の主人公キラ・ヤマトのせい
昔からるろうに剣心(1994-1999)バットマン/パニッシャー(1995)など不殺をテーマにした作品はあったが、それらの不殺主義はあくまで個人の信念として扱われていた。
だがガンダムSEEDがシリーズ屈指の人気作(注目作)になると、ネットが広まった時期と重なったこともあり、様々な議論や影響を受けた創作が発生。
特に戦闘スタイルに批判的な者たちからは、不殺主義そのものが悪であるとされ、「殺す覚悟」など当時の小説投稿サイトで流行ってた言葉に代表される「アンチ不殺」的な言説が整理され普及していった。
現代における「不殺批判論」はもともとキラ一人を批判するために組み上げられたと言っても過言ではない。
ちなみにキラ=不殺主義者というのは、当時の雑誌やファンが勝手にそう評していただけで、厳密にはキラは不殺主義者ではない(後述)。

ガンダムシリーズにおける不殺主義

『平和な暮らしをしていた民間人の少年(少女)が、やむを得ず入った戦争の世界に巻き込まれる』という王道の展開が多い中で、それでも敵パイロットを殺さないことを誓うキャラがいる。
『戦争しているのだから人が死ぬのは当たり前』『殺さなければ仲間どころか自分さえ守れない』という考えは作品内でも取り上げられることもあるが、それでも人としての尊厳を大事にする意志が独自性のあるストーリーを作り上げると言えるだろう。

★不殺主義を掲げるキャラクターの一例

『ガンダム』シリーズにおいて、立場・経験から殺人を嫌い、コクピット以外を破壊して戦闘能力を奪うことを第一に戦うキャラクター達。
…実は二次被害も在ったりする。
広義の意味ではキンケドゥ・ナウトビア・アロナクスロラン・セアック達も不殺が不可能な状況ならば殺すに至るものの、出来る限りは不殺主義的な行動を貫いている。

キオに至っては、不殺主義を掲げてからはアニメ化作品では殺害0を唯一成し遂げている。
ベルリもかなりの不殺主義ではあるが、圧倒的な破壊力を誇る敵MAに対してはやむを得ずパイロットごと機体を撃破したことがある。

キラ・ヤマトについて

よく不殺キャラの代表格として挙げられるキラだが、そもそも不殺主義者ではない。
『SEED』後半からは止むを得ない場合以外は戦闘能力のみ破壊する戦法を取っているが、非常に綿密な過程と描写が描かれている弊害(あと当時の予定では『DESTINY』完結後すぐに『劇場版』をやる予定だったのが無しになったことによるフォローの少なさ)による分かりにくさも生まれている。

まず本人は不殺の主張も他者への強要も全くしておらず、「これを生かしておいたら(不殺に拘っていたら)死人が大勢増える」という状況では迷わず命を取りに行っている*22
詳しい背景等は後述する通りだが、結論だけ言えばキラは「殺したくなんかない」だけであり、可能であれば「殺しは避ける」が、「殺す覚悟が無い」訳ではない
本人も精神を病むほど殺人の重さを序盤から幾度も噛み締めており、そんな彼が「自分は不殺主義者だ!」みたいな主張をしても現実逃避扱いにしかならず、そんなことを自分に許す精神性でもないので思ってすらいない。

特に『DESTINY』では当時の一部視聴者や他作品客演時の他キャラから「相手を虚仮にしている」「殺す覚悟も無いのに戦場に出るな」などと非難が集中した*23が、その理由は前作で描写されている上に遺恨なく戦闘を終了させるために戦場に割り込む・戦場から逃げるという当時の行動と立場上、覚悟以前に「相手をなるべく殺してはならない明確な理由と縛り」も生じていた*24
あと、単純にクロスオーバー作品としても問題ありだったのか*25、『スパロボ』でも以降の作品ではそのあたりは「とりあえずキラは尊重する」流れをとるようにシフトしている。*26

コミックボンボン版においてはキラの行為のせいで機体を盾にせざるを得ない状況にハイネが追い込まれ、結果として死亡する二次災害が生じるかなりの差異があるが、描写が明確に違うので原作とは分けて考える必要があるだろう。*27
なお原作とボンボン版共にキラに対するハイネに関して程度の差はあれ遺恨があったのは同様だが、直接の死因だったステラに対してはシンとレイのステラへの個人的感情によりスルー気味だったので*28分かりやすくした結果とも言える*29

『FREEDOM』ではキラが迷わず命を取る場面も増えたが、それは相手が数々の非道行為;社会全般に対しても、キラ個人に対しても*30"完全アウト"だった事に加えて相手が純粋に強かったため、殺害回避する余裕もなければ理由もなかったことが原因である*31

キラ以外も不殺主義的行動をしているからと言って不殺主義を表明しているとは限らない。やむを得ないことがあることを承知しているからだろう。
非常に賛否両論で作中でも批判されるキャラもいるが、彼らのスタンスが事態の解決へ繋がることもある。

ガンダムWにおいて

『EW』でのデュオカトルトロワゼクスノインなど。
本編中ではそこまでは拘っていなかったが、『EW』においては敵兵の境遇と自分達を重ね、またここでの戦いは首謀者デキム一人の野望の意味合いが強かったため、無駄死にさせないようにと考え、不殺に至る(本気で不殺前提だったかは不明確だが、ヒイロも近い理由で建前上の首魁たるマリーメイアには加害しないようにするシーンが存在する)。
カトルら3人が合流したが敵の猛攻の開始や増援もあり不利な状況下になったがそれでも不殺に拘った。

ただし中盤までのコロニー内の白兵戦ではヒイロやデュオが加減している様子は無かったり、ゼクスは降下シャトルの撃墜やメガキャノンの攻撃で明らかに死者を出しているなど、オペレーション・メテオの事前阻止が可能な間は不殺よりそちらを優先していた模様(予想される犠牲者の数を考えると当然だが)。

ちなみに不殺でなければ余裕で残りの250機全てを撃破可能。事実、カトルら3人が来るまでの間、ゼクスとノイン二人で250機近くを不殺で機体のみを戦闘不能にしている。
準ワンオフ機のゼクスはともかく、一般量産機のカスタム機に過ぎないノインの活躍はよくネタにされる。

同じく『ガンダムW』から。戦士としての印象が強いが、「俺は弱い者と女は殺さない」と言っていたように、狭義の意味では不殺主義者。
ただし、女であるノインやレディは見逃しているものの、MSなどを持っている場合は当然ながら弱者とはみなさないので、男の兵士には基本問答無用。
というかこの発言をした時点で男の軍人ではあるが 宿舎で寝ているところを狙って建物ごと吹き飛ばしている ので正々堂々と戦うことにこだわっているわけでもない*32
しかも軍人ではあるが彼らはパイロット候補生でまだ戦場には出ていない者たちだった。
五飛の心情は慣れないとわかりにくいので知りたい場合は彼の項目や他の解説も参照。

殺傷を許さない世界観の作品

「女の子が華麗に戦う姿を描きたい。でも可愛い女の子のズタボロな汚れ姿は見たくない…」という作者と読者のワガママより、創造主たる作者が作中世界での殺し合いを許容しないという作品も多数存在する。
  • DOG DAYSでは命を奪わない特殊な「戦争」を行っている*33
  • 東方Projectでは、作品内においては「弾幕ごっこ」なる特殊なルールでの『決闘』を行っており、「食べる」「退治する」などもあくまで口上の脅してあり本当に殺すことはない*34
  • ルーンファクトリーシリーズではあらゆる武器に「タミタヤ」という魔法が組み込まれており、モンスターを倒しても「はじまりの森」に送り返すだけで命は奪っていないという設定である*35
  • 創作群である魔物娘図鑑では、「(アンデットによる魔物化以外で)死人を出してはいけない」という原作者からの創作ルールが存在し、これを無視した創作をすることが出来ない。*36
  • 魔物娘と不思議な冒険〜力の宝珠と帰還の塔〜と、その続編である「魔物娘と不思議な冒険2~2人の王と紡がれし約束~」では、闘技場で怪我人が出たら営業停止になるというゆるふわ世界である。
    手に入れる武器も先端が丸くなっており、武器の名前も「ドラゴンキラー」とどこかふざけたものが多い。
    ダンジョンで出会う魔物娘たちも「追い返すに足るだけの攻撃はするし、(者によっては)ある程度本気の力比べを求めることもある*37が、殺すどころか大怪我させるつもりも『一切ない』」ことは明言される*38
  • トリッカル・もちもちほっぺ大作戦では世界樹の加護により死という概念が無い(次に紹介するブルアカ/キヴォトス同様、エーリアスの項目も参照)。作中での描写を見るに、「命に関わるレベルの攻撃は世界樹の加護によってダメージが最小化されるorそもそも発動しない」。逆に命に関わらない軽い攻撃はダメージがそのまま通る模様。異世界から来たエルフ族のリーダー・エレナはこれを「死を許さない世界」と表現し、どんな大罪人でも極刑にできないから食費がかかる無期懲役にするしかないと嘆いている。
  • ブルーアーカイブ高校生が銃や戦車などで撃ち合う世界だが、生徒以外の住民含め、その程度では痛がる程度。ただし、無敵ではなく、メインストーリーでは弾道ミサイルの空爆で重症・重体になったキャラがいる他、ある生徒が過去に脱水症状で死亡している。
  • ガールズアンドパンツァーでは「学生スポーツである」という基礎設定との兼ね合いもあり、電子判定や特殊な追加装甲により少なくとも砲撃の直撃そのものでは死傷することはないと明言されている*39。選手のキャラクター達もダーティな手段を躊躇わない者含めて「そういう手段を取ってはならない」のは共通認識となっている*40
    • 『ガルパン』の公式外伝作品『リボンの武者』では、(ルール面の差異があることを読者に提示する、という脚本的な都合もあって)初期のエピソードですでに観戦客に戦車が突っ込む描写があるが、このときも「危険を承知で観戦しているから巻き込まれるのはある程度やむを得ない」*41としつつも、故意に観客を死傷のニュアンスで巻き添えにするような戦術を選択するのはタブーであることは否定されていない*42

上記作品らに限らず「競技・スポーツ」である設定を持った作品では、たとえ銃器や毒ガス、戦車や大砲、自爆特攻兵などを使用していたとしても遠回しに「そもそも人が死なないシステムなので全員不殺です」と明示していることは多い。

この手の作品ではシステムの穴を突いて強引に人を殺すという展開が描かれないわけでもないが、ぼのぼのとした世界観の作品・創作群にて、いきなりキャラの死亡や暴力表現などが描かれたら、誰だって不快になるものである。*43
上記の魔物娘と不思議な冒険においてそれをやった魔物が超越者によって異世界に追放された*44ことが示唆されている。


それ作品以外でも、かなり無理やりではあるが「ギャグ漫画なのでこの程度では死なない。なのである意味では不殺」を暗黙の了解としている作品は多い。
  • 概ね本作で描かれる程度の『致命傷』ならば十分蘇生可能な医療スタッフがついている説明がほぼ毎回あり、それでも困難な場合でも『男』としての能力を皆で発揮することで救えた、など脚本的なフォローがなされていた男塾シリーズ*45
  • ゲーム冒頭で明かされる設定からしてご都合主義全開、爆弾を抱えて突っ込んでくる自爆特攻兵が「頭チリチリになっていた」程度の描写で済んでいるモンスター娘TD
などの例がある。

その他不殺キャラ

麦わらの一味に加わった新たな船員にして明確な不殺主義者。
一時期はゾロが女子供相手には峰打ちで済ませるため不殺主義者として扱われていたが、彼自身は「女だろうと容赦なく斬る」と断言しており、「手加減できない範囲の女性とたまたま戦ってない」だけという側面が強いため、不殺主義者とは言えない。

ジンベエはフィッシャー・タイガーの遺した思いを受け、彼の人間との共存と不殺の意志を受け継いだ。
麦わら一味はルフィが前述した通り人が死ぬことは望んでいない節が見受けられたり、ゾロが女子供は「なるべく斬りたくない」というスタンスであること、またサンジが女を蹴れなかったりと様々な事情を抱えており、ジンベエも他のクルーのスタンスに干渉することはしないため彼のスタンスは概ね受け入れられている。
食い患いという精神疾患を抱え、厄災レベルの力を持つビッグ・マムはそんな彼でも例外扱いせざるを得なかったようだが。結局は未遂で終わっている。

『活人拳』という題目通り相手との殺し合いであっても絶対に相手の命を奪わない達人の方々。
………だが弟子の修行は下手をしなくても死に瀕するものばかりなのだが、師匠たち曰く「死なないギリギリのラインは見極めている」「仮に死んでも『蘇生』させる」と中々に非人道的。
アパチャイの「なぜムエタイ以外のほとんどの格闘技では肘・膝による打撃をルールで制限しているのか?」に対する「下手にクリーンヒットさせちゃうと相手が死ぬから*46」→その次の「じゃあなんで競技ムエタイでは認めているんですか?」に対する「上手くクリーンヒットさせると殺せるから*47」など、あくまで不殺で戦っているだけで武道としての歴史上殺人技であるを前提にしていたのは普通に認めちゃうなど、不殺なのは事実だが本当に人道的見地によっている戦士なのかは少々疑問のある珍しいパターン。
後半では殺人拳を振りかざす敵側の方が粱山泊の修行内容にドン引きしたり、一部は主人公を助けてくれたりとコッチの方が粱山泊より博愛なのではと評判。

職業暗殺者「リコリス」でありながら命大事にをモットーに、相手を殺さないよう高価なゴム弾を使って戦う異端のリコリス。
過去に病気で死にかけ、そこから生還した経験から「殺す」=「他人の時間を奪う」行為を何より嫌っており、相手の傷の度合いによっては手当てを施す程徹底している。

日本初のTV特撮ヒーロー。
作者である川内康範先生の思想的なものと、「月光菩薩」がモチーフということもあり、「憎むな、殺すな、許しましょう」のスローガンを掲げて戦った。
月光仮面は「正義 の味方 」を自称しているが、「正義」とは悪を裁いて 適切な罰を与える 存在であり
自分は正義ではないが正義の味方だ、という直接悪を成敗するわけではないことを明確にしている。
月光仮面のヒットで後発のヒーローにも「正義の味方」を自称しつつ悪人を自ら裁く者もいたりする
後に森進一との一件後は流石に川内先生も「許しましょう」とはならなかったらしく、「憎むな、殺すな、糺(ただ)せよ」に変更されている。

初代ウルトラマンの脚本家の金城哲夫氏は「ウルトラマンは怪獣の殺し屋ではない。怪獣を諭しているが、それでも暴れるから懲らしめているだけ」とコメントしており、実際に高原竜ヒドラをはじめ、スペシウム光線を撃たなかった怪獣も存在する。
現在では、金城の死後、この解釈に円谷なりにアンサーを出したのが後述する『コスモス』であり『X』であるとも言えるだろう。

慈愛の戦士。怪獣も一つの命として扱い、全ての命を護る為に戦う。怪獣でない際(=侵略者と呼べるような異星人)は結構な数を・・・。*48
コスモス自身は、かつては命を奪うことにそれほど躊躇することはなかったのだが、
ムサシの信念に動かされ、全生命の共存という理想に向かって共に歩き続けることとなる。

実際には一般市民としての感覚でも「害が無ければ殺す必要もない」という意見はそれなり以上に広まっており*49、巨大な怪獣が存在する世界観の割には、ムサシやTEAM EYESの不必要な殺生まで肯定されるのは怪獣相手だとしてもやっぱりおかしいのでは?という思想はむしろ人々たちからも肯定されている。
…されているのだが、これが逆に「珍獣が俺たちの村に来てくれたから歓迎しよう」といった発想につながった結果怪獣を刺激する*50など、必ずしもポジティブなものとばかり描写されたわけではない。
「守る必要ゆえに殺すことの必要性」も先述した佐原司令とのシーンやコロナモードの設定の存在として何度も描写されているなど、作品総合としては「殺す」ことについても丁寧に必要性が描かれていると言える。
その最たるものが、ムサシがいなかったら、ラスボスたるカオスヘッダーを殺しての解決を図っていた可能性が極めて高いコスモスやEYES/ムサシの観察と決断により、カオスヘッダーの保護に踏み切り、そして成功したコスモスとEYES…ここまでの共闘の中で「力」をキチンと理解したからこそ、「やさしさの勝利」に終わる本編という最終回だろう。


  • 大空大地&ウルトラマンエックス
ある意味、ムサシとコスモスの後継者であるウルトラマン*51
大地の「たとえ今はスパークドールズと言う形じゃないと無理であっても、いつかは何らかの方法で怪獣とだって共存できるはずだ」という考えにエックスも共感。
一部の例外はあったが*52、基本的にはダイナミック麻酔銃ザナディウム光線で一時的に鎮静化・スパークドールズ化させるにとどめ、共存の道を探すのに協力することとなる。
このため作品タイトルになっているウルトラヒーローでは珍しいことに、エックスはいわゆる基本形態*53では「スペシウム光線に当たる技」はこの非殺傷の技しか持っていない(怪獣を殺害できる必殺光線を持っていない)。

逆刃刀を持つ流浪人。
過去に人斬りとして数多の命を奪ってきたことへの後悔から、不殺主義を貫くようになった。
しかし剣の道一本で生きて来たため、「刀は所詮人殺しの道具にすぎないのか」という問いは、彼が心の奥底で常に抱え続ける疑問であり、『るろうに剣心』という作品自体のテーマでもある。
説得で戦闘を避ける、命に関わらない部位を狙う、敵の体が頑丈なのでそれを見越して攻撃?(ないしは手加減する余裕がない)などで不殺を実現している。
冷静に見ると明らかに後遺症や致命傷になりそうなものも多いが*54、それは剣心の剣術の技量あってのものだろう…という点は北海道編で明確に「逆刃刀が不殺の武器になりえるのは剣心が人斬り時代に培った技量によるもの」と明言されている。殺しに慣れているからこそ不殺が得意とはある意味皮肉な話である。
逆に剣心が不殺の後継者と見込んで逆刃刀を譲り渡した弥彦は竹刀剣術を極めてきたため、竹刀の扱いが流用出来ない逆刃刀との相性は最悪*55という皮肉な事になっている。
なお、一部の仲間が「敵の殺害もやむなし」という信念を抱えている事は「あまり殺し過ぎるなよ」と釘を刺しつつも否定は一切していない。
また、自分の目の前で仲間が戦闘能力を失った敵を殺そうとした際は止めに入った事がある一方で、「仲間がその場で敵を殺さないと他の仲間が危なかった」という緊急事態の際は一切咎めていなかったり、自分が戦えば味方を救える状況で故意に戦わずに死なせた場合は 自分が能動的に殺したのと同じ と考えているにもかかわらず、それでも仲間の心意気を汲み戦いを預けるなどのある程度は自分の不殺の信念と他者の信念を両立させている。

詳しくは彼の歌を聞け! 
軽く説明しておくとやむを得ない時はミサイルやピンポイントバリアパンチを使っており、ちゃんと(武力でも)戦っている。
もっとも、本人は(武力で)戦うこと自体あまり好まないのだが。

バサラの思想と考えれば非常に簡潔で(理想論ではあるが)そこまで突飛なものではないのだが、マクロス7を取り巻く情勢や彼の周囲の人々(もっと言えば軍人として、バルキリー乗りとして真面目であろうとし続けている初期のガムリンや、非常時は実弾発砲もやむなしと解釈しているレイ*56など、バサラとは明確に意見を異にしている人物)の価値観上、アニメ作品としてはかなり複雑…というか「バサラは何を言いたいのか?そして何を考えているのか?」が序盤における作中の謎として扱われている。
なんならメインヒロインのミレーヌですらバサラの行動理念を掴み切れず、「アンタ一体何を考えてるのよ!?」とはっきり述べたことがあるほど。
父親がマックス、母親がミリアと「全員墜としてやるモードで発艦した時点で敵さんはゲームセット(大意)」*57とスタッフに明言されるレベルのエースパイロットの家で育ったので、バルキリーで戦うことへの忌避感がバサラよりは薄い*58だろうのも一因ではあるが。

またあくまでも「殺傷兵器を使用して、事情をわかろうとしないままに相手を死傷させる戦い方・対応」を忌避しているという意味での不殺主義であり、バサラにとってバルキリーやそのミサイル、一部の回で登場した対艦攻撃用ガンポッドなどはむしろ大切な(ゲリラ)ライブの道具であるのは何度も明示されている(ただ、先述の事情から弾頭は単なるスピーカー)*59
また、アンコール短編集最終話「最強女の艦隊」での描写を見る限りでは、バサラの意図通りに使用されたのであれば普通の攻撃兵装でもむしろ肯定的である*60など、あくまでも殺傷能力ではなく殺意・害意のみを忌避しているというスタンス。

人体錬成の失敗他多くの経験から、命の重さを知り「殺さない覚悟」を持つ。

実際のところは最初から不殺主義者だった訳でなく、追い求めていた「賢者の石」の原料が人命であることを知った事と、当時エドに協力してくれたヒューズ中佐が亡くなった事を知ったことが一番の原因という意見もある。
列車のハイジャック犯をわざわざ生かして制圧していたことがあったことから物語の最初から不殺主義者だったとしても筋は通るが、賢者の石を悪用していたド三流に死んでもおかしくない鉄拳制裁をしたり、弟アルに制止されなければショウ・タッカーを殴り殺すところだったりと不殺主義者としては違和感のある行動も物語の初期には見受けられたりするため、物語の最初から不殺主義者だったのかどうかは議論の余地がある。
いずれにしろ、エドワードが劇中では誰も殺すことが無かったのは事実だが。
特筆するべきは、「人間を素材とした合成獣」「鎧に宿った人間の魂」はもちろんとして、「人体錬成で生み出した何者でもない命」「賢者の石の素材とされ、縛り付けられた魂」までに及ぶ所であり、ピナコから「『人間』の定義が広過ぎる」と言われ、エンヴィーからは、「感情じゃなく理屈で人間を定義しろよ」と嘲笑されている。(後者については、「嫉妬」の根幹にあるのが人間の強さへの羨望という側面もある。)
一方で、どのような形であれポリシーを持つ人間に敬意を払うゾルフ・J・キンブリーはその徹底したスタンスに感銘を覚えており、追い詰められて「殺される」恐怖に駆られたプライドに対してすかさず「あなたはエドワード・エルリックを分かっていない」と指摘。
事実、力の源である賢者の石だけを破壊して「核」には傷一つ付けずに無力化に成功。見届けたキンブリーは満足げに手を振りながら消滅した。

誰よりも強く、誰よりも優しい最強のガンマン。
嘲笑され罵倒され踏みにじられ傷つけられ裏切られ大切なモノを奪われようとも彼は人を救うために今日も銃を構える。
幼少期の壮絶な経験、生い立ちにより不殺の道を進むことになったが、その徹底した生き方は既に狂人の域を軽く踏み越えている。
令和版二部作後編にあたる『STARGAZE』では不殺主義と「あるもの」を天秤に掛けられてしまい……

  • 蘇芳・パブリチェンコ
命を奪うことへの嫌悪から遂に誰も撃たなかった。

映画でもお馴染み、アメコミ史上最も冷酷な男にして鉄の不殺主義者。
両親が悪人に銃殺されたために、悪人と同時に「銃」「殺害」を強く憎み、自身は決して銃を使わず、殺人も犯すまいと戒めている。ただし、「悪人に恐怖心を仕込み悪の心を挫く」ことを目的としているだけあって、悪人に死ぬより辛い制裁を加えることはある。
彼に限らずアメコミヒーローは不殺のスタンスを掲げていることは珍しくなく、『誰も死なせない』をモットーにしたスパイダーマンはその代表例といえる。
東映版は敵を容赦なく殺害してるけどあれは別人なので気にしたら負け。
アメコミヒーロー物を少年漫画に落とし込んだ僕のヒーローアカデミアもその影響から、ジャンプ漫画としては珍しく不殺のスタンスを取っている*61

  • ミヤモトムサシ
命を奪うことへの嫌悪から麻酔弾等で相手を無力化するスタイルをとっている。
実弾じゃなくても頭に当たれば危険だとか、そもそも麻酔そのものもかなり危険だとか言わないで

  • 香瑩
読みは「シャンイン」。『シティーハンター』のパラレル続編『エンジェル・ハート』の主人公にて冴羽獠の義理の娘。
元々「正道会」という裏組織の実行部隊朱雀の伝説のエースの殺し屋「グラス・ハート」だったが、殺しに心身を蝕まれ身投げ、死亡したが槇村香の心臓を移植され第二の人生を歩むことになり、殺しが出来ない体質になった。
また、香瑩の無意識にいる香の意思もストッパーになっている。
余談だが『エンジェル・ハート』は銃撃戦がかなり多いものの、メインキャラ達が極力殺しを避けているためか病死や老衰以外で死者がほとんど出ない作風である。

双子の傭兵三条姉弟の姉。弟の方は不殺主義者ではない。
「初めて殺すのは好きな男」と決めているから殺さないという、不殺主義者とは?
ちなみに、現実でも初めて殺人をする事を実際に「童貞を捨てる」ようなたとえをする事もある
ただし女同士はノーカンらしく、相手が明確に女と分かっている場合は本気で殺しにかかる。
しかし6巻でその「初めて」を捧げたのは___

  • 相良宗介(『フルメタル・パニック!Family』)
「…え?」と思ったそこのあなた、本編に関してならその疑問は正しい。
しかしかなめと結ばれ子持ちになったことで、「子供の教育に悪い」というお父さんらしい理由で、非致死性の罠や電気スタン弾*62を使用するなど殺しを避けるようにしている。
ただし嫁とのイチャラブを邪魔され状況によっては殺害をいとわないなど、完全な不殺主義ではない。
本編…のギャグ的な展開と比べると、「軍人でも民間人でもある」のを考慮してTPOを弁えられるようになった、ともいえるか。

フリーランスの召喚師の主人公。召喚師としての腕前はトップクラス……どころか「召喚師」はおろか「人間」と言う枠組みで作中で彼を超えるのは片手で数えるほど。
どのような激戦でも敵を殺すことなく倒し、悲劇に巻き込まれたヒロインを救う姿勢をどんなときでも必ず崩さないことから召喚師としての通り名は『不殺王(アリス(ウィズ)ラビット)』と呼ばれている。
しかしスタンスとしては死なせなければいいだけなので、悪辣すぎる相手や生かしておくと際限なく自分にリベンジをかましてくる相手は容赦なく半殺しにしたり、戦いが出来なくなる再起不能の怪我を負わせるなど、の行為は厭わない。

2巻のエピローグ、病室での会話で不殺のスタンスが明かされている、「邪魔者は殺して万事解決という輩が許せないから命懸けの戦いに飛び込んだのに、そんな自分が殺人での事件解決を肯定したら罪悪感に耐えられなくなる(意訳)」という理由で不殺を実行している。

  • 市村鉄之助(『PEACE MAKER鐵』)
両親の仇を討つため新選組に入隊した少年。
しかしいざ人が斬り殺される場面を見てから思い悩み始め、最終的に「強くなりたかったのは仇を討つためではなく弱い自分を殺すため」だったと気づく。
以来、自分は殺さないと物語のヒロイン沙夜に誓い、戦闘では腕や足などを斬るだけに止めていた。
しかし後の会津での激戦から生還した彼は、死んだ目で生かした敵の両の手の指を切り落として戦力を奪うという行為を行うようになっていた。

20世紀からGGの舞台に飛ばされてきたタイムスリッパ―。
普段はいい加減な楽天家だが、相手がどんな悪党だろうと決して死による制裁を下すことはない。
本編開始前には、街に平和を取り戻すため自らギャングの世界に身を投じ、持ち前の高い身体能力を駆使してわずか半年でギャングの抗争を敵味方共に誰一人の死者を出すことなく平定した。
不殺を貫くきっかけは、イギリスのスラム街で生まれ、絶えることのないギャングの抗争で毎日のように誰かが命を落とすという環境の中で育ち、「死」の存在を激しく嫌うようになったため。

  • バルサ(『守り人』シリーズ)
ある事情で幼くして王族から刺客を差し向けられた彼女を、地位も名誉も捨てて守り育ててくれた今は亡き養父に恩を返すため、バルサは養父の殺した追手と同じだけの7人の人間を助けるという誓いを立てている。
そして「誰かを守るために他の誰かを殺してちゃしょうがない」という理由で、護衛対象を殺しに来た者であっても手にかけようとはしない。
それどころか、護衛中に傷付けてしまった相手も助ける人数のノルマに加算し続けているため、もはや今の護衛相手が何人目なのかも分からなくなっており、本人も「今日一日を生きてるだけさ」と自嘲する程。
またアニメ版では負かした相手が屈辱を感じで復讐しに来るなど、負の側面も背負っている。

「空を飛ぶ」事をパイロットとしての一番の目的としている主人公で、戦闘機バルキリーに乗ったのはヒロインとの縁で守った際に搭乗。
その操縦性に惹かれたという面が大きく、パイロットとして訓練は受けたものの、殺害を行う事については拒否を明言している。
もっともこれ自体は他のパイロットも概ね目標にしたり実行しており、その理由も「大部分は敵の策によって強制的に操られている者」を止めるためというもので、作中の環境においておかしい主張というわけではない。
僚機が危機に陥った時にはやむを得ず撃破したものの、その後は技量や経験の向上もあってコクピット以外の破壊を狙って成立させている場面がみられる。

エイジの単独項目にもそのまま書いてある。不殺なのは性格もあるが侵略国=メイン敵であるグラドスの血が流れているというのもあろう。
米兵が米軍の主義主張を嫌ったからといって、米軍人すべてを喜々として射殺するか?というような話である。
1話でパイロットを殺したくない、と部位破壊を狙う直前に会話しているのもグラドスでの先輩キャラ。
第2部でスタンスを幾分か改めたものの引き続き有人機の撃墜は控えており、結果的に劇中明確に手にかけたのは死鬼隊のボーンぐらい。
ただしあくまでエイジは不殺の方針を取っているだけであり、第1部の「逡巡しているうちにレイズナーが勝手に動いて敵機コクピットを撃ち抜いた*63」についてはかなり動揺していてもそれが原因でSPTから降りることはしていない*64
もっともこの時に撃たれた相手も生存してはいたが。

  • 桃太郎(『桃太郎伝説』シリーズ)
鬼ヶ島へ鬼退治へ旅立つが、鬼達をこらしめて愛と勇気を伝えることを目的としている。
新桃太郎伝説でも冒頭の負けイベントを経て天の仙人から鬼達が憎いだろうと問われるが、それでも愛と勇気を伝えることを選ぶ。というか憎いと答えると人気を下げられた上に無限ループになるため結局は選ばされるわけだが
このためなのか、今や『伝説』よりよっぽど有名である『電鉄』でも、他プレイヤーを妨害するカードの表現は暴力的な描写を避けたのかギャグ色の強いものが一般的*65
今もなお、「世界は愛と勇気でまわってる」という桃太郎の心意気は変わっていないのかも。

同作の主人公である少女娼婦。全身を炎に焼かれ死にかけたところを委任事件担当捜査官ドクター・イースターと意思を持つネズミ型万能兵器ウフコック・ペンティーノに救出され、自分を消そうとした犯人を立証するために、禁じられた科学技術で作られた金属繊維の皮膚を移植されて命を取り留める。
その際に金属繊維とウフコックに由来する超人的な力を手に入れ、敵の刺客を撃退する際、今まで虐げられてきた境遇の反動で暴力に溺れ、刺客たちを弄ぶように殺してしまう。
しかし、その後は様々な人物と出会う中で「力に伴う責任」「暴力に依らない心の強さ・勇気」などを学び、最終的に、自分と同じ禁断の科学技術で武装した敵を前に「殺さない、殺されない、殺させない」という信条を掲げるに至った。
このバロットのポリシーは、次回作「アノニマス」の登場人物にも影響を与えている。

キン肉マンことスグルから深い影響を受けた正義超人の一派。戦いの目的は相手を倒すのではなく分かり合うためのものであるという理念を持ち、それは負けたら自害する掟を持つ完璧超人相手であっても例外ではない。そういった理念を強く体現した技が相手に自害すら不可能なほどのダメージを与えつつも決して命は奪わず、尚且つその完成度故に食らった相手も感服してしまうというキン肉族奥義の一つ「マッスルスパーク」である。もちろん全ての正義超人が不殺主義者という訳ではなく、残虐超人のように相手の殺害を厭わない正義超人や「おそらく殺めてしまうことになるだろう」として正義超人からの足抜けを宣言した悪魔超人経験者も存在する*66
「主張を語りあうための手段として互いの肉体をぶつけ合い戦うこと自体は肯定している」「相手の無用な殺生を止めるために戦うことには躊躇しない」「正義超人に関していえば、不殺を目指してでノックアウトに持ち込む戦い方の方が強くなる*67」という点ではこの項目の他のキャラクターと一線を画している。

人を撃てないスナイパーでワールドトリガーのヒロイン。
本作の模擬戦やランク戦の仕様として、「戦闘体は痛覚ほぼ無し(あるいは全く無し)」「致死ダメージを受けても死なずに控室に送られる」といった仕様なので仲間同士で殺し合いを行うのがこの作品での主な訓練方法なのだが、それでも人を撃つのを恐れている。
正確には攻撃でダメージを与えるのを恐れており、意図的に撃った時や誤爆で倒した時などは顔を青ざめていた。
しかし相手にダメージを与えない、体に重石を発生させる鉛弾(レッドバレット)は普通に撃つことができる。
この鉛弾による拘束や、作中最高の火力を活かした狙撃銃による砲撃での地形の破壊などでチームの勝利に貢献している。
しかし、一部の仲間から「人が撃てないのではなく撃ちたくない(人が撃てないとは言ってない)のでは?」と言われている。

人が撃てないスナイパーその2。
狙撃の腕前は作中トップクラスなのだが人が撃てないため相手の武器を狙撃で破壊していた。
しかし、一度だけ人に当ててしまった時は、ゲロを吐いて寝込むなど猛烈な拒否反応を起こしていた。
鉛弾による狙撃は鳩原が考案したのだが、彼女のトリオン*68量では、実用に至らなかった。

  • ティンフィスト(『Kenshi』)
奴隷解放の大義を掲げる組織、反奴隷主義者のリーダー。
1000年以上前に滅んだ旧文明の生き残りで、剣の世界であえて武術での戦いを選び、100年以上も不殺を貫き通している。
……という設定なのだが、本作における武術とは、最初は頼りないが極めるほどに強みを増すという立ち位置で、本作最強クラスのキャラクターである彼が武術を振るえば、その拳の威力はメイトウをも凌駕する。
設定に反してまったく手加減してくれないので、食らった相手の手足は容易く千切れ飛び、当たり所が悪ければ即死する。大切に育ててきたキャラクターを彼に殴り殺されたプレイヤーは数知れず。
お前のような不殺主義者がいるか、といいたいところだがこれはゲームシステムが悪い。
なお、本作の奴隷商や奴隷狩りは倒した敵を奴隷化として捕獲するという特徴があるが、その際に治療もしてくれるため、倒されても命だけは助かることが多い。そうして捉えた奴隷が脱走しても、檻にぶち込んでからやっぱり治療してくれるため、敗北しても死んでしまうことは稀である。
あくまでゲーム的にではあるが、ティンフィストが目の仇にしている奴隷組織の方が不殺を実践してしまっている。

斬りつけた相手を気絶させるだけで殺すことはない「いざないの剣」を振るう勇者。元は平和の神から与えられた剣。
毎話冒頭で人間の盗賊との戦闘になるのがお約束で、その際にこの特性は最大限に生かされることになる。自滅して死亡した盗賊もいるが。

同作主人公の偽勇者。魔王討伐という目的を持ちながら、人と魔物の共存を望んでいるために魔物を殺害することを望まないために本気で剣を振るえないというジレンマを抱えた姿を見かねたアリスから相手を殺さず封印できる「堕剣エンジェルハイロウ」を贈られ、以降彼の愛剣となった。封印効果は魔物のみならず天使、はたまた人間にすら有効。
ちなみに次回作であるもんぱらにおいても同様の点が指摘されるが、諸事情からエンジェルハイロウを受け取ることは叶わず、魔物は頑丈なのでよほどのことがなければ本気で斬ってもまず致命傷にはならないというあんまりにも雑な理由で強引に解決した。
このため『ぱら』でも意図としては不殺であるのは変化していない。
…が、『くえ』『ぱら』ともにあくまでルカが不殺主義であるだけなので、18禁シーンでは「搾り殺される」と「慰み者にされた末に捕食される」はむしろ割と多め
『くえ』で一番早くゲームオーバーになれるルートからしてまずアリスフィーズに搾り殺される結末だし。

革命によって断頭台送りにされた後、何故か過去に戻ったティムーン帝国の皇女。
「自分という前例がある以上、相手も死に戻りしないとは限らない」という理由から、他者の殺害のみならず、最終的に死に戻りに繋がりかねない「誰かの破滅に繋がる行動」は極力避ける方針を貫いている。

  • テリー・リッチモンド(『レベル・リッジ』)
元アメリカ海兵隊マーシャルアーツプログラム(MCMAP)教官。いとこが逮捕されたため保釈金を払いに出向いたところ、悪徳警官により"合法的に"金をとられてしまうが……。
といったように本作は所謂「舐めてた相手が実は」系の作品なのだが、テリーの場合は法に沿った手段を十分に模索し、違法な手段は合法的な解決が不可能と判明した場合のみ、必要最低限の範囲で実行するという点が徹底されている。
そしていざ暴力を行使する段階に至っても、格闘術や非致死性武器を使って相手の無力化に努め、殺しは極限まで避けている。
悪徳警官たちの表面的には適法性を謳いながら裏では違法な暴力を振るい、時には殺人も辞さない姿勢とは対照的であり、そんな悪人共の銃を奪い取り弾薬を抜きとって武装解除するテリーは彼らに対する強烈なアンチテーゼとなっている。

「いつか悪い呪術師と戦ったりするよね、その時はどうするの?」
「……それでも殺したくはないな」
「何で?悪い奴だよ?」
「なんつーか一度人を殺したら、『殺す』って選択肢が俺の生活に入り込むと思うんだ」
「命の価値が曖昧になって、大切な人の価値まで分からなくなるのが俺は怖い」
吉野順平に明かした虎杖のスタンス。
この真摯な言葉は、吉野の気持ちを動かし凶行を一度は止める切っ掛けになったのだが……

  • マリア(VAMPIRE MASTER ダーククリムゾン)
不殺主義の難しさを考えさせられるキャラクター。
主人公・シオンの母親で、人間でありながら魔族の王・ベルゼブルの王妃となり王太子シオンを産んだ。
しかし、魔族の中には人間と穏便な共存を主張する者も居るが、多数派は『自分達に感情を操作される人間は家畜』扱いしており、その人間を王妃として崇めさせられる事に堪忍袋の緒が切れた魔族達は物語開始の19年前にベルゼブルの甥・ルキフェル王子を担ぎ出してクーデターを決行する。
しかし、ベルゼブルが自分の死を魔界と人間界の主要通路のロックの引き金となる様に細工していた為に、魔族の人間界への大規模侵攻は防がれたものの、ロック直前に人間界に逃がされたマリアは魔界の様子を知る術が無くなり、ルキフェル一派もロックの対象から慌てて隔離した比較的小規模な通路を通して尖兵の投入や偵察を手探りで行う羽目になってしまう。
マリアは追撃して来た、若しくは逃避行中で遭遇した魔族達と『自分達母子の前から去るなら命は奪わない』と言う不殺主義のスタンスを一貫して夫・ベルゼブルから託された力*69を武器に戦って来たのだが……

マリア視点で不殺主義を行った場合のメリットを挙げると
  1. ベルゼブルの構想では『シオンに魔界と人間界を統治させる』ので、統治の手駒となる魔族の減少は困る
  2. 先述の通り人間との穏便な共存に賛同する魔族も居るので、穏健派の恨み迄買うのは好ましくない
  3. 連絡を絶たれたまま動向を知り得ないベルゼブルやリリス王女等の穏健派重鎮の動向を知る好機となる
逆にデメリットを挙げると
  1. クーデターを起こした魔族達はマリアより強いベルゼブル本体にも勝てると確信して決起した、即ち敵側に自分より強い戦力が居る可能性が極めて高い
  2. ルキフェル一派は自派の正当性を強化する為に前政権の王太子であるシオンの抹殺を考えている筈であり、逃げ帰った魔族からの情報は非常に有益である
  3. 生還したルキフェル一派の魔族が名誉挽回の名目で人間の加害に回される危険性が有る*70
マリアの不殺主義は『穏健派魔族の生き残りでベルゼブルとリリスの遺児でもあるアルテミスを味方に付ける*71』と言うプラス面と『自分より強い戦力に捕捉されて嬲り殺しにされる』と言うマイナス面の双方の結果を残す事になり、母の惨死に衝撃を受けた息子・シオンの『魔族は根絶やし』と言う逆ブレも生む事になる。

デジモンをデリート(殺害)しないという掟を掲げている。
こはリーダーである沢城キョウの矜持によるもので、「誰にでもやり直せるチャンスはある」という思想、「デジモンと人間が共に暮らせる未来を作る」という夢を掲げている事に依るもの。
デリートされなかったデジモンは幼年期Ⅰまで退化し、生きるのに必要なe-パルスこそ与えられど再進化する気配は見られない。
また人格も子ども同然の無邪気なものになっており、退化前にどれだけ凶悪な思想を持ったデジモンでも大人しくなっている*72
しかしながらこれにより退化した幼年期をすべてニチリンソウという施設に保護・協力者である吉村の技術で構築された欺瞞装置によるニチリンソウの隠蔽・保護した幼年期すべての食料であるe-パルス(感情エネルギー)の供給をこなさねばならず、
通常、賞金をかけられたデジモン退治を生業とするクリーナー業としては政府がデリートないしデジモンの引き渡しを条件に掲げているため賞金が半減させられてしまい向かい風となる要素は非常に多い。


  • 主人公含む仲間組織(ラストバレット)
主人公が属する事になる日本の国家組織V.S.は人の命を奪う事を良しとしない組織。更に主人公自身も敵とは言え、傷つけたり殺したりを嫌がる女子大生である。という事で相手がテロリストと言えども傷つけるとゲームオーバーになる。

ゲームプレイヤーによる「不殺」

近年、「相手を殺すことが出来るが、見逃すことも出来る」ということをプレイヤーに選ばせるゲームが多数発売された。
製作、開発陣も意図的にノーキル向けのルートや手段が設けられており
  • 絞め技といった体術、麻酔弾や睡眠薬など不殺道具による気絶や無力化
  • 迷彩や変装などでバレないように通過する
  • 音や光による陽動、罠やセンサーの誤作動で敵を誘導させたり、特定の場所に閉じ込めて戦いを回避
  • 通行証となるアイテムや和解イベントなどの条件満たすと敵対関係から中立や友好関係になる
  • 戦う展開にこそなるものの、相手を見逃したり、屈服させるなど、殺害以外の選択肢がある
  • 第三者へのターゲット始末依頼、事故や災害などの対象の始末*73、不正や犯罪行為の露見による社会的地位失墜と警察による逮捕などの第三者の介入
  • レベルアップやアイテム習得用にあくまで不殺対象は人間で亡霊や機械などはカウントされないからそいつらは倒しても良い

基本的に、相手との和解や屈服のためにひと手間かけるよりも、相手を殺した方が早いしお金経験値も手に入ってお得という意味で楽ではある。
しかし、その手のゲームには敵を誰一人として殺さないことでのみ展開されるストーリーがあったり、特別な称号、実績が手に入ったりする。どちらかというと、「プレイヤーへの挑戦状」といった立ち位置だろうか。
逆に安易に殺す方がデメリットが大きいというゲームも多く、それの影響で難易度上昇やアイテム習得不可がある。
勿論、真逆も然りであり…


「不殺」が可能なゲーム

  • メタルギアシリーズ(特に「MGS2」以降)
    …元々が「敵兵の挙動管理の関係で『なるべく戦わずに進む』」という開発経緯がある、この手のゲームの先達的存在。この意味では「彼はかくれんぼが得意だろう」「いや…得意なだけで心情としては嫌いなはずだが?」と語られた『メサルギアソリッド』は不殺がどうこうとかよりもハード性能をまず考えなければならなかった、当時の大人の事情を反映したセリフと言える。*74
    現在では殺さない程度の気絶や麻酔弾で眠らせてその場をやり過ごし、ボス戦では体力の代わりにスタミナを削って倒すことで殺害数にカウントされずにクリア出来るようになっている*75
    ただボス敵は大体倒された後に自決するため、殺していないかと言われると…
  • LIVE A LIVEの幕末編
    …人間キャラを1人も殺さない「0人斬り」プレイが可能*76
  • UNDERTALE
    …制作者のToby Fox氏は、上の「LIVE A LIVE」幕末編0人斬りからも影響を受けたと語っている。
  • モンスターハンターシリーズ
    …全編通じての完全な不殺は無理だが、大半の大型モンスターは討伐せずに生け捕りにする「捕獲」のシステムで不殺で狩猟することができる。
    討伐よりも準備にコストがかかるので「不殺縛り」をすると難易度は高くなる。
    ただし完全な縛りプレイの領域というわけではなく、基本的には相手の体力を削り切るよりも早く狩猟を完了できることから、あえて「捕獲」を好むハンターも多い。
  • SHRIFT
    …R18ゲームにつき注意。
  • Dishonored
    …代わりに「悪徳政治家のスキャンダル追及」などの社会的抹殺手段が用意されている。
  • スプリンターセルシリーズ
    …殺さなかった相手には、然るべき法の裁きを与えることが出来る。
  • 師父-Sifu-
    相手を殺さず心を折ることが、武術の真髄であり、徳である
  • HITMAN
    …暗殺をテーマにしたゲームである以上ターゲットは殺さなければならないのだが、エージェント47が直接手にかけない不幸な事故を装った暗殺パターンが豊富にある*77
  • CyberPunk2077…武器に付けられる改造パーツ「パックス」を付けることで、ナイフや拳銃、ショットガンをも非致死性にできる。非致死性武器でHPを0にすれば気絶させることができる。
    また、野球バット等の殴打系武器はデフォルトで非致死性になっている。ゲーム内の仕事で「ターゲットを無力化する」という依頼において、殺さずに気絶させた後にターゲット依頼主が手配した車まで運べば、
    殺した場合より報酬が多い。メインシナリオは気絶させた場合でも違いはない。

「殺せない」ゲーム

自由度のあるゲームだからこそ、原作設定や倫理観との兼ね合いで「殺せない」ようになっていることがある。

多数の作品が参戦する都合上、殺人をしない一部作品への配慮として「全機体に脱出装置が搭載されており、倒した敵は死んでいない」ことが明言されることがある*78

不殺のヒーロー・スパイダーマンを主人公にしたゲーム。
高所で戦うこともあるが、敵を突き落としてもウェブ(スパイダーマンが出すクモの糸)で引っかかり絶対に墜落死しない。

同様に不殺のヒーローを主人公にしたゲーム。
高所から落とす技はワイヤーで引っかかるようになっており墜落死しない。
またバットモービル(車)で生身の敵を轢殺しても「電気ショックでぶっ飛ばす」という演出で直接触れないようになっている。

ヤクザゲーの代名詞だが、歴代主人公で殺人経験者はほぼいない(それどころか主人公がカタギであることが多い)*79。例えどんなに痛そうなヒートアクションを喰らわせても。
ただし、他のキャラが殺す、相手が自殺する、殺そうとしたが第三者に止められる、間接的に相手を死なせるなどパターンは様々。
また、1作目の時点ではシリーズ化の予定はなかったためか、後の作品よりもセリフが物騒。
主人公によっては、物語開始時点で人を殺したことが語られるが、作中でそうではなかったことになる。
俺は誓って殺しはやってませんも参考。本来は不殺どうこうの意味合いではそもそもないのだが、先述のようにとてもそうは見えない演出やストーリー展開が非常に多い*80ことから、シリーズファンからも「殺しているようにしか見えないシーンやヒートアクションは結構あった」とネタにされているのもまた事実である。
現在は主要スタッフから「この件は別としても、桐生ちゃんは(おそらくは『OTE』のような明らかに正史ではない作品を除き)誰も殺したことがないまま最新作まで来ている」と設定が語られている。
…シリーズファンからも「ヒートアクションの数々を考えると不殺設定はだいぶ苦しいでSEGAちゃん」とネタにされているのもまた事実ではあるのだが。


最後に

繰り返しになるが、不殺主義は賛否両論である。特に完全不殺主義は「絶対に殺した方がいい場面で殺さないことで迷惑をかける」というシーンでヘイトを集めがち。
だが何度も繰り返し書いてるように人を殺さないなんてのは、主義と呼ぶ以前に人として当たり前である。

批判の理由には、以下のような論点の混同や因果の単純化が見られる。
  • 不殺主義と非暴力主義の混同
戦うこと自体を否定する立場への反論が、そのまま「殺さないが戦う」不殺主義者にも向けられてしまい、「守るためには殺せ、殺さないなら戦うな」という極端な二択にすり替わっているパターン。
実際には殺すだけが戦いではない。
  • 個人的な不殺主義と不殺の強制の混同
「必要な場面で敵を殺して何が悪い」などと批判されるパターン。
実際は「自分は殺さない」という立場と、「他人にも殺させない」という立場は別物である。
個人的に殺害を避けているだけの者が、他者によるやむを得ない殺害まで一律に否定しているとは限らない。
  • 問題の原因の単純化
「生かした相手が被害を出す」というケースを、拘束・監視・制度の不備などを無視して「殺さなかったせい」とだけ捉えてしまう。
個人を生かしたことで利益が発生するかもしれなかったメリットおよび、原則生かすという判断基準で動くことによるメリットを無視し、結果論で「殺すか/殺さないか」の単純な二択に問題を押し込めている。
  • 責任の過剰集中、強者前提の倫理
後に被害が発生した場合、その因果の一部でしかない「見逃した判断」に責任を集約し、他の要因や関係者の責任を切り捨てている。
一言で言うと、トロッコ問題のレバーを握ってるだけの個人に責任を負わせすぎ。
また「危険なら殺すべき」という発想は、強者による生殺与奪の権利を前提にしているにも関わらず、その前提自体が検討されないまま正当化されている。
仮にキラ・ヤマトスーパーマンのような殺しをできるだけ避ける超人たちが「積極的に殺す」キャラだった場合、他者を好き勝手に処刑し、誰も裁けない最強の独裁者になると思うが*81、本当にそれは「不殺批判者」が望む姿なのだろうか?
  • 読者目線と倫理の混同
生かした相手が被害を出す展開は読者にとってストレスになりやすく、その不満が「殺しておくべきだった」という評価に転化されがち。
しかしそれはあくまで物語上の快・不快の問題であり、殺害の倫理的正当性とは別
実際には殺さなかったことが後に仲間化や協力関係に繋がるなど、メリットになる作品も多く存在する。
「殺すところが見たい」という読者・視聴者としての感想と、「殺すのが正しい」という倫理観の混同は、復讐論でも起きているものである。

賛成・反対の双方で議論が荒れる場合があるが、お互い冷静に尊重して作品や場を荒らさない様に注意しよう。





追記・修正は誰も殺さない方にお願いします。









前述した『ZOIDSバトルストーリー』の義手義足の話だが、兵士が不安を述べた後、その場にいた看護婦の女性は引き金を引く未来を強く否定しこう述べている。
「だって私達……人間ですもの……!」
それを聞いた兵士達は安堵し、全ての義手義足を配り終えた。


相手も同じ人間で、同じ命なのだからと、人に未来を与える道を選択している。


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最終更新:2026年07月30日 17:09

*1 端的に言えば社会的に認められるであろう状況の事。例えば緊急避難や正当防衛、警察など専門組織による職務執行、戦場における国際人道法に違反しない範疇での殺傷行為など。

*2 何ならシックスには『自分の縄張りを荒らす害悪』と見なして明確な殺意を向けたことすらある。ただしシックスもシックスで『人間を越えた新種』を名乗って居たのでそもそもネウロがそんなシックスを『人間』と見なしていない節があり、作中でもシックスは『人間』扱いされていないのだが。

*3 とはいえ劇中でネウロによる明確な殺害描写があったのは『人間を越えた新種』と自他ともに認められていたシックスのみであり、『極力殺さない』という姿勢は徹底して守っている。彼が「不殺主義」といえないのはその行為が打算ありきであること、「うっかり」で殺してしまった可能性に関しては無頓着であることが理由である。

*4 実際にテロの経験から日本よりも「その場での射殺やむなし」の決断に許容的な一部欧州圏の警察に対して「銃社会か否かなどの差異があるとはいえ、警察ではなく公営の虐殺部隊と受け取れうる」、該当国である場合は「これを認めているのなら死刑を廃止した意味がない」といった批判がSNSなどで散見される

*5 このためいわゆる「宇宙人」に対しては防衛軍と連携して殺害による排除を選択しているエピソードの方が圧倒的に多く、ここで触れている職務的な理由による不殺が選択されたのは元々そういった意図がなく、いうなれば「宇宙の迷子」として対応するべきであるケース(例としてムゲラなど)に限定される。

*6 一部の回で一般公開が問題ない描写がある。そもそも人間サイド主人公のムサシも厳密には鏑矢諸島正スタッフだった時期はTVシリーズで描かれた時系列では一度もなく(別部署のパイロット候補生→EYESメンバーとしての職務出張)、継続的な怪獣保護を主任務としているのは『映画3作目』『サーガ』などのアフターストーリーからである

*7 ただし最終的にはその場で(確認されていないとはいえ明らかに)死亡しており、かつ技術的な限界から見捨てざるを得なくなった

*8 ドクター本人、ナンバーズの1・3・4・7全員が無期の収監(おそらくは日本の無期懲役ではなく、終身刑相当)

*9 のちに『EXCEEDS ネットコミック版』でも(先に一般市民と出会ったケースだったとはいえ)ロボットでも一定以上の「人格」を備えていれば局員としてヒトと扱うべきと判断されると推測できるエピソードが登場している

*10 『EXCEEDS漫画版』での取り扱いを考えると、特撮ヒーロードラマ『機界戦隊ゼンカイジャー』のキカイトピアのような、「住民自体がメカ」の次元世界が確認・管理局管理下世界として加盟がなされている可能性もある。

*11 簡単に言えば「公立自然公園の管理人さん」。地域によっては密猟者の摘発・現地阻止も業務であるため、なのはシリーズで言えば「エリオとキャロのコンビではなく六課まるごとが行っている」だとか「アースラが『場合によってはリンディ艦長の現場判断のみでアルカンシェルぶっぱなしてOK』の明言のもと派遣」レベルの戦闘力を認めている公園もある

*12 例えばごく新しい誘導爆弾は「非常に高い命中精度を持たせる」ことで爆弾としてのサイズを縮小しており、爆破半径そのものを小さくすることで攻撃目標以外を加害しないことが試みられている。これに当てはまるGBU-39やGBU-53/Bはより古く・撃ちっぱなし対応なのは同じ誘導爆弾となるJDAMシリーズやGBU-15よりはるかに小型(これについては単純に「搭載数が増えるので1機のヒコーキが何回爆弾を落とせるかが増える」もあるが)。

*13 いくら相手が無理矢理暴れさせられている無害な動物とはいえ、だからといってそれを放置していては被害が出るのは現実における獣害を考えれば理解出来るだろう。実際そうした動物を保護するのは極めて困難であり、麻酔銃で制圧できればまだ良い方である。そうした動物に暴力を振るわず制圧できるのは、それを可能にする能力があるからこそともいえる。

*14 衛生兵は積極的な戦闘への参加こそ禁止されているものの、武器の携帯や自衛戦闘は認められている。彼はそれすら良しとせず、戦場でも武器を携帯しなかったのだとか。

*15 第1話早々にザク2機を撃破した上に、1機はコクピットを串刺しにしたアムロ・レイの場合は『自分が戦わなければ自分だけでなく避難民に被害が及ぶ』という状況、またモビルスーツの爆発による被害を見たことにより『モビルスーツを爆発させずに撃破すること』を優先させざるを得なかったため殺害を躊躇する余裕すらなかった。元々父親がモビルスーツの開発に関与していたため戦争と全く無縁だったわけでもないことも影響していそうだが、ククルス・ドアンの島(劇場版)においては生身の人間を踏み潰すことに関して躊躇する描写もある。

*16 こう書くとチェイスの産みの親……クリム博士が非道に思えるが、『人類を守る』ロボットにセーフティを設けておくのは科学者としてみれば正しい態度である。実際にクリム博士自体は善良な科学者(とはいえ研究一筋過ぎたため妻子は居なかった)という描写がしっかりされているし、そもそもチェイスが「本来」与えられた任務では人に手をあげることが必要になること自体が想定されていなかった可能性が高い。結果としてチェイスをパニックに陥らせてしまったが、クリム博士としてもチェイスが敵になってしまうことは研究倫理としても、一種の親心としても、そして仮面ライダーに対するおやっさんに相当する人物としての価値観としても、チェイスを「人を殺めることはしてはいけないよ」という考えや教えの元に作った時点では完全に想定外であっただろう。

*17 久しぶりに再会した敵に対して「なんだ死んでなかったのか」というような反応を示す場面はままある。

*18 実際にフリーザは『復活のF』における逆襲を経つつも『超』でお互いに格闘・武道に生きる者として競い合うライバルに移行、ブウ純粋悪はウーブとして悟空の望みが叶う結末になる、ビルスは「悟空の短期目標は達成された」こともあって弟子入りを許可されると、単なる「倒すべき悪」ではなくなるエンディングとなっている。ただしビルスについては最初から悪ではないことは説明されていたし、悟空も割と最初から「そんなに強いなら自分の力を試してみたいので手合わせをお願いする」といったスタンスではあったため、この時は本項目で話題としている積極的な不殺でもあったとは思われる

*19 死にたがりや極度の全体主義者

*20 前述のように、プロの警察や軍人が敵を殺さないのは個人的な「主義」によるものではないので、不殺主義者には含まない

*21 討論の場では強く制止・否定はしているが、キオが一緒に出撃している場合はコクピットを狙っていないカットが多くみられる。もっともフリットは最終回でキオに諭されるまでヴェイガンへの憎しみは捨てきれていなかったので、キオに同調したというよりは『孫が自分に否定されても不殺を選んだことを尊重し、その邪魔をしない』という意思が主である物と思われる。

*22 もちろんなるべく殺害を避けたいという思いもあるが、何よりも憎しみの連鎖から脱却しようとする意図が強い(この辺はそもそも『SEED三部作』自体、人種差別やそれに基づくジェノサイドを肯定している層を土台とした世界観設定であることも絡む)。フリーダム系列が単対多を可能とする機体だから数で押されてる状況であっても、不殺する余裕があったからという側面もあるにはある。それは何の罪もない少女エルや避難民をいたずらに殺害したデュエルガンダムに対しては殺害を逆にギリギリで思い留まったりトラウマと戦乱を煽りまくるクルーゼへの感情だったりと、キラは自身でも主張していたようにあくまでも一人の人間でしかないので憎しみを超越したわけでも絶対に殺したくないわけでもない。

*23 当時はシンに対する判官贔屓でキラを下げてシンを上げる風潮があり、シンはコクピットを何の躊躇いもなく攻撃するが好んで人殺しをするタイプではなかったことも手伝い、相対的にキラの不殺も批判の対象になっていたというのは大きい。実際のところシンは『コクピット狙いの一撃必殺』が得意戦法であり、例え人殺しを好んでいなくとも自分や仲間が生き残るのに最適な戦法、つまり自分の得意な戦法を実践していただけだったというのが本当のところである。なのでFREEDOMではキラの影響もあり不殺戦法を行ったが、結局自分の得手とする戦法とは正反対だったことや、キラ同様そもそも不殺する余裕も理由もなくなったため、クライマックスの戦闘シーンでは再び「コクピットに致命的な攻撃を叩き込むことを狙う」スタイルに戻している。

*24 「その割にミネルバの艦首砲を破壊しクルーに死者を複数名出していた」と再反論されることもあり実際作中でも疑問を呈されているが、「その照準は外国の手先として戦わされている自軍兵士であり、戦闘介入の理由自体がそれを守るためである」「既に発射直前」「発射された後の被害の差は比較にならなかった状況(※だからといって善行ではないが)」という複合状況であり、「シンに追い詰められた際はコクピットを狙って攻撃していた」という指摘もあるがデュエル戦のバンクであり後でコクピットはそもそも狙っていなかったことが語られており、仮にコクピット狙いの攻撃だったとしても「自分が(シンに)殺されれば仲間の命にも危険が及ぶ」状況であったため仕方ないともいえる

*25 実際に「『種DES』は詳しくないけどこれはさすがにやりすぎ」という意見も多かった

*26 不殺でないと「そういったものが肯定される背景のない世界観の作品なのに、少年兵に見える」という倫理的な問題が出る『魔神英雄伝ワタルシリーズ』や『エルドラン三部作』などの都合も出ているため、近年の作品では「少なくとも同じ地球人を積極的に殺すのは否定的なやつもウチの部隊には普通にいる」「キオやウッソのように「戦争だからしょうがない」を自分なりに受け止めている子もいれば、ワタルのようにそういうことを考えさせるの自体を避けるべきであろう子もいる」くらいの共通認識のことが増えている。

*27 ちなみにステラのデストロイ撃破に関しても原作とコミックボンボン版では描写が異なり、原作ではステラの遺体に傷はないため配慮があったようにも捉えられるが、コミックボンボン版では遺体すら残らない最期となっており明確にステラを殺害している。ただしこれに関しては『シンがステラの暴走に対応出来なかった上、放置していたら被害が拡大していたしシンも死んでいた』側面もあるので、シン視点が多いコミックボンボン版においても『ステラを殺したキラが悪い』という描かれ方はされていない。

*28 とはいえ原作でもミネルバクルーからはステラは敵でしかなく、シンとの温度差はしっかり描写されていた。更に後に捕虜として適切に扱ったり衰弱に対する処置無し描写やシン達の行動に対する反応や言及もあり、両名が個人的感情を優先していたことは明確に分かる様になっている。なおシンが反発してばかりのアスランはむしろかなりの理解者だったのでここでは温和且つ適切な説教をしていた…ほとんど響いていなかったが。

*29 これはシン視点の多い都合でキラが相対的に憎まれ役として描かれていることの影響と、原作とのバランスを取るためか、キラがシンと共にジブリールのシャトルを狙撃する(原作ではルナマリアのみ間に合った。コミックボンボン版においても原作同様狙撃は失敗しているが、裏を返せば『シャトルの狙撃はキラとシンが共に行ったとしても難しい』というルナマリアに対するフォローとなっているともいえる)描写変更もあるのでキラが全否定されている訳でもないことに留意が必要。

*30 既に間借りしてた自国でのジェノサイド・自国への核ミサイル誘導・レクイエム発射・プラントでのテロ共謀などいろいろありすぎた上で「ラクスに手を出した」ため、敵陣営にとってはキラが対クルーゼ戦レベルで本気を出す決定打になってしまった

*31 実際に尺の短い映画序盤~中盤でも民間人の救援と可能なら戦争調停を目標としていたので不殺を優先していたり、不殺に拘る理由がほとんどなく急ぐ必要もある場合は素早くコックピット狙いもしている

*32 他4名も正々堂々にはこだわっていないが、こんなことは不殺主義者ではないカトルはまずやらない辺りも難解。他3名はこの時点だと作戦次第でやってもおかしくはなかったが。

*33 正確には、メインとなるフロニャルド世界の住人はフロニャ力の加護ゆえダメージを受けても一時的に『けものだま』という形態に変わるだけ済んでいる。それが働かない状況と普通に怪我や死ぬ危険があるし、異世界から来た主人公たちにはそもそも適用されず、そんな状況下での文字通りの『死闘』も僅かながら描かれている。

*34 ただし、度の過ぎた侵略行為や主人公である霊夢にとって看過しがたい場合(人間から妖怪(人妖)になるなど)は『決闘』ではなく純然と『排除(≒殺害)』しにかかる。また外界から迷い込む、或いは妖怪の餌として送り込まれた人間には適用されず、食人を行うキャラに『獲物』として狙われた場合はどうにかして切り抜けないと本当に喰い殺される。

*35 シリーズの世界では標準装備であるらしく、投げ技や投擲、武器ですらない農具などでモンスターを倒した場合も発動している。人間相手には効果が無いが殺害までに至った例はない。

*36 ルールを無視した創作は通報により削除される。サークル運営のこぢんまりとした創作サークルなので原作者の負担を強いるようなことはあってはならない。

*37 その場で始まるミニゲームのクリアで仲間にできる魔物娘が該当。

*38 『1』の主人公は魔王の加護を持った「訳あり」、『2』の主人公は特別な血筋を持っている上に子供であるため、魔物娘側も特別な配慮を要するという理由もあるが

*39 戦車が横転する描写はある(≒なんらかの事情で車外にいた場合に潰されるリスクは排除されていない)し、崖の下に転落した僚車を助けに行くシーンは挟まれているので、スポーツ障害そのものと無縁なのかは判断が分かれる。後者については一応『劇場版第一作』で類似の状態になっても問題ない描写自体はあるが、高校スポーツや武道としての考証なども考察するうえで絡みうるため判断が難しい。

*40 これに加えて、作中では言及されていないが、「そもそも『人』に対しては主砲発砲トリガーを引けないようになんらかの電子装備を追加する加工をしているのではないか」などの考察も存在する。

*41 そもそも本作で主に採用されるルールであるタンカスロンは厳密には連盟非公式ルール、という背景もある。このためそもそも連盟公式戦に存在するであろう群衆整理や安全区域の設定が全く行われない。観戦側も「公式戦向けの整備を流用しているエクストリームスポーツ」を求めているのがこのシーンで言及されている

*42 わざと観客を「フィールド上の障害物」になるように仕向けた際に軽く引かれる描写があった。これを考えれば観客が死傷することが前提となるチョイスがどう解釈されるかは想像に難くないと思われる

*43 二次創作で何度も警告を受けても作風を改めなかった二次創作作者が、原作者から直々に三行半を突きつけられた例も存在するし、『魔物娘図鑑』ではこの条文以外含めて提示ルール違反にはかなり厳しい部類である。

*44 プレイヤーによっては主人公も断罪対象になるが、冒険失敗で済ませてくれる

*45 厳密にはバトル漫画に移行してからも「作風の面で『死ぬわけない』のが読者との共通理解になっている」を維持した形。単純に耐えているだけの油風呂などはこういった設定が登場する前に描写されているし、直進行軍など一部の回では「トチったら死ぬだろこれ」というあまりにももっともすぎる反論のセリフが確認できるが、当然、当時の『魁!!』は軍国主義や不良文化をネタにした学園ギャグ漫画なので油風呂に入った冨樫や行軍に参加した面々が死ぬことはない(油風呂については全身火傷で死ぬことがない(のが漫画描写として許される)だけで、熱いの自体は普通に熱いで毎シーズン一貫してはいる)。

*46 実際に成立そのものがごく最近の総合格闘技競技や、「そもそも格闘技ではなくショービジネス」のプロレスなどを除けば、多くのパンチ・キックが教本に記載されていたり、競技形式のときのルール上は問題ない格闘技において「(故意の)肘打ち・膝蹴りは不可、競技の場ならメインレフェリーの即断によるペナルティも認められる」としていることは多々ある。かなり成立が新しいものでも、(キック不可の方の)ボクシングにおいて本当にグローブ部分での打撃しか認められていない(厳密には掌部分での打撃もダメだが)のはこういう安全面が大きい。

*47 ≒競技としてのムエタイとしては許されない結果ではあるが、伝統武術としてのムエタイを競技ムエタイと一蓮托生である存在として守るためには肯定しないといけない「ムエタイの発明」である(その代わり頭部への肘打ちの危険性を減らすため、トップ級選手同士の公式戦でもヘッドギアを使用する)。史実でも古式ムエタイは戦争における組み打ちが由来とされるので「由来だけならガチガチの殺人技である」こと自体は事実

*48 もっともムサシ本人もこれを理解していないわけではなく、より「外敵は殺さざるを得ないケースもある」という理念が明確なもとに勤務している防衛軍・佐原司令とも何度も議論や意見交換を行っている(ムサシも佐原を全面的に否定しているわけではないし、意外と逆も然りと思われるセリフや行動も見られる)。佐原のほうもムサシ、ひいてはEYESの方針そのものは必須なのを理解してはいるゆえの関係性であろう

*49 さすがに怪獣災害遺族とかになると別ではある描写もあった。

*50 第12話・イフェメラのケースなど。歓迎祭として上げた花火で怪獣を刺激した結果、(人的被害こそ出なかったものの)イフェメラが暴れ出してしまい、保護活動に大きく支障が出た。

*51 制作陣が「ムサシやコスモスを客演させちゃうと大地が(鏑矢諸島や惑星ジュランという形で)「探している答え」をすんなり知って物語が成り立たなくなる。そのためコスモスの単独客演回はやらず、ギンガが客演した時に「コスモスから聞いた話」を語らせる形にとどめた」と発言したあたり、気を遣っていた模様。

*52 この時も事前に解析を行ったうえで「捕食と殺害以外に思考も感情も持っておらず、害獣対処として出動するべき」と大地が結論づけるシーンが挟まっており、スパークドールズ化すれば将来的に共存できるケースまで殺害する必要はないと見なしているのは一貫している。実際に他の放映回では「熔鉄が怪獣の形を取って生物活動をしている」「山サイズでデカいため、そもそもいるだけで住民生活に影響しかねない」「劇毒を攻撃手段として使用するうえ飛行可能、視聴者視点では過去にウルトラヒーローを1vs1で撃破しているほど戦闘能力が高く獰猛」など、一見『コスモス』のメンバーよりも危険性が高そうな怪獣に対して、一般的な生物らしい感情を備えているとして保護が提案ないし選択されている。

*53 強化形態であるエクシードエックスは殺傷能力のある必殺技も使える。ただしこちらのエクシードエクスラッシュも「ザナディウム光線を使いたいので、致命的にはならないようなダメージで怯ませる」使い方をすることも多かった

*54 そもそも鋼鉄製の棒なので、本来なら刃がついていなくてもかなりのダメージになる。これも雰囲気とジャンルが違うだけで、『男塾』同様、「このジャンルだと作劇上そういうおやくそくだから」を背景とするものにも数えられるかもしれない

*55 弥彦曰く「一生をかければ極められるだろうが、その頃には爺さんになっている」

*56 バサラはこういった正当防衛的な発砲・加害ですら強く忌避している。一応そのレイも別の事情から忌避感自体はかなり強く持っており、「バサラが誰かを見殺しにしてしまった罪悪感を持ってしまわないように」というフォローとしても含んでいると思われる

*57 「シリーズ最強は陣営関係なくマックスです。これは断言できます」のスタッフ発言が著名。

*58 もっと言えば「FIRE BOMBERの常識人枠がミレーヌ」という扱いと思われる描写も散見される

*59 着弾による装甲のヒビからの空気抜けを防ぐためと思われるシーリングの注入機能も見られる

*60 統合軍本部からマクロスキャノンの使用命令が出る→ミリアの付き添い兼現状説明要員として説得に乗り込んだマックスの代理で艦長となったエキセドルが「敵艦隊との配置関係に対して『真上』に撃つ」ことで停戦要求の狼煙に留める、バサラのパフォーマンスに熱狂したゼントラーディの抗戦派残党(だった面々)がコンサートライトの代わりにミサイルを(ロックオンせずに)乱射する、など。特に後者はバサラもそれを見たうえでノリノリで歌い続けており、彼にとってスピーカー入りではないミサイルは本来こうやって使う「小道具」であるのかもしれない

*61 鬼滅の刃が『日本一慈しい鬼退治』をキャッチコピーとしていながら、それを体現している主人公の竈門炭治郎は鬼を殺すことには割と積極的であることを考えると対照的に感じられる

*62 通常弾の20倍の値段がかかる感電式の弾丸

*63 V-MAXが発動していたのかについては判断が分かれるが、仮に肯定した場合、エイジはこれをSPTパイロットとして受け止めたうえで使用していることになる

*64 状況的に「他に選択肢がなく、エイジが戦闘要員を務めないといけなかった」のは考慮するべきだが

*65 おならで吹き飛ばす、巨大なうんちを通路上に落として通行できなくする等の下ネタなど

*66 ただしこのバッファローマンについては非常に長い期間にわたって「実質的にはアイドル超人軍と悪魔将軍直属の悪魔超人の二重所属」の状態が続いており、かつ双方に義理を通していたことは以前にもあった様子も見られるため、両陣営ともにある程度そのへんの考慮をしていたという背景もある

*67 オメガ編の六鎗客でスグルと対戦したパイレートマン曰く相手の苦境を理解しそれを助けるために示したクソ力の第三段階は仲間の無念を晴らすために使っていた第二段階までとは異なり別次元の強さだったとのこと

*68 作中の生体エネルギー

*69 王家直系の上位魔族とも渡り合えるが、ベルゼブル本体や絶頂期のベルゼブル級の実力を持つルキフェルにはとても敵わない

*70 ただし、ルキフェル一派の目的は人間の殲滅ではなく支配なので、自分達の邪魔をした訳でも無い人間を無闇矢鱈に殺すとは思い難い様な反応をマリア自身が作中で見せている

*71 ルキフェル一派に洗脳されて、無理矢理マリアと交戦させられた

*72 記憶については不明。少なくともゲッコーモンは敵に退化させられた際は記憶を維持しており、人格も元のままだった

*73 あくまでプレイヤーが直接やるのはカウントされるケース

*74 一応ピポ・スネークに渡される拳銃はバナナ型麻酔銃ということなので、MGSファンが一般的に不殺による潜入作戦完遂も可能なゲームデザインだと判断するであろうラインそのものは守ってはいるともいえる。

*75 作品によって不殺判定がガバガバなことも多く、MGS3では「毒蛇を投げつけて相手がかまれて死んだ場合は不殺」「乗り物の運転者に麻酔銃を撃って相手を事故死させた場合は不殺」「同じく麻酔銃を撃って相手が転落死や溺死した場合は不殺」という仕様だった。

*76 なお、不殺対象は人間限定で妖怪などはいくら倒そうがセーフ。また味方になるカラクリ丸がイベントで壊れた際に巻き込まれて死ぬ人達はおぼろ丸が命じて殺したわけではなく、そもそも不可抗力による事故のような物であるためセーフ。

*77 ターゲットを誘導して現地の別の暗殺者に始末させる、ターゲットが煙草を吸う場所の近くにあるガスランプをガス漏れさせておくなど

*78 特に魔神英雄伝ワタルが参戦したスーパーロボット大戦Xにおいてはそれが顕著に現れており、ワタル勢に殺人をさせないよう配慮されている。当該作品においては元が生身の人間という設定のモンスターが参戦しているが、倒しても撃破演出ではなく撤退演出で消えるようになっていた。まああんまりにも外道過ぎるので例外扱いされた奴も居るんだけど。

*79 ゾンビものである『OTE』のみ特殊で、主人公の1人である龍司は『2』で千石を殺害している他、現役ヤクザである真島も主人公の1人。

*80 この発言のあった作品でも、当該シーンまでに戦闘のチュートリアルとして「酔っ払いが絡んできたので痛い目にあわせる」展開が挟まっているし、ムービーシーンを含めれば「一般人を複数発殴打する」「ヤクザをビルから突き落とす」行動をとっている。

*81 実際に『劇場版』では、キラ(とラクス)は政界への影響力があるのを避ける意味もあって、ファウンデーション王国反乱の鎮圧のMVPであるのは疑いようがないにもかかわらず隠遁している。またラクスについてはこの種フリの内容から「アコードとしての精神汚染能力を無意識に使ってしまい、かつそれに気づいて自己嫌悪に陥ったことがあるのではないか」という考察が出てきており、事実ならこういった存在になりえる行動を忌避する理由は元からあったとも考えられる。