宮崎正裕

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宮崎正裕 - (2023/08/31 (木) 18:27:39) のソース

&font(#6495ED){登録日}:2010/10/24(日) 02:43:02
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90年代に一時代を築き上げた[[剣道>剣道(武道)]]家。
1963年[[神奈川県]][[横浜市]]生まれ 現在教士八段

全日本剣道選手権に初出場で初優勝。翌年今まで誰ひとりとして成し得無かった連覇を達成。「全日本剣道選手権は連覇できない」というジンクスを破った。
その後も優勝を続け、優勝6回、準優勝2回、5回連続決勝進出と絶対的な王者が生まれにくいと言われる剣道界では異例の戦歴を誇った。
また世界選手権にも4回出場しており団体戦では日本の危機を救った(詳しくは後述)

ちなみに[[BAMBOO BLADE]]の宮崎都の名前の由来はこの方



「剣風」
宮崎の持ち味はなんといっても「面」であろう。
「表から押さえて面」
これは剣道において基本中の基本の技であるがこの面で宮崎は幾多の強豪たちを破ってきた。
打突そのものが速いのではなく攻めから打ちへの繋ぎが凄まじく速いのである。
ただ著書でも語るように胴打ちを苦手としている(全日本で一度だけ決めているが)


主な名勝負

第39回全日本選手権決勝 vs栄花英幸
史上初の二連覇をかけた一戦。一本目は相手のコテを抜き気味に面。
二本目は鍔迫り合いからの別れ際、栄花が強引に間合いを詰めた瞬間を面。わずか一分半足らずで優勝を決めた

第41回全日本選手権 vs宮崎史裕
三度目の優勝をかけた決勝の相手は実の弟。得意の表から相手の竹刀を払いつつの面で優勝を決めた。
ちなみに45回大会でまたも兄弟決勝戦を演じ、その際は延長の末に敗れた。この年はベスト4の顔ぶれが宮崎正裕vs英花英幸 宮崎史裕vs栄花直輝というまさに宮崎兄弟vs栄花兄弟な構図となった。

第48回全日本選手権 vs栄花直輝
46、47回に二年連続同カード決勝となった江藤義久戦を制し二度目の連覇を成し遂げた宮崎。三連覇をかけ強豪栄花との一戦。お互い譲らず延長にもつれるなか宮崎が得意の面に跳ぶ。
これを見切った栄花がコテに切り宮崎をついに破った。宮崎時代の終焉であった。



第10世界剣道選手権
三年に一度行われる世界大会において日本は個人団体ともに連覇を続けていた。本大会でも個人戦を宮崎兄弟が決勝を争い兄正裕が勝利。日本の矜持を守ったが…

団体戦決勝で韓国に苦戦。先鋒、次鋒が引き分けの後、中堅を務める前回大会個人覇者、全日本選手権でも活躍していた京都の高橋英明がまさかの二本負け。
会場が騒然とするなか副将宮崎がかつてないほどの鬼気迫る攻めをみせ二本勝ち。大将石田利也も二本勝ちし日本が優勝。日本の危機を救ったといえよう。


その他各種大会でも優秀な成績を収め、今年初出場となった寛仁親王杯剣道八段選抜大会でも全試合時間内に勝負を決めるという圧倒的な勝負強さを見せた。


今でこそその名を馳せる宮崎だが中学生時は初段に4回連続で落ち、大会でも県大会へすら出場を逃すなど強豪とはかけ離れた存在だった(史裕は初段に一発で合格している)
頭角を表したのは高校一年の夏以降とのこと




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- 凄いな こんなものまであるのか  -- 名無しさん  (2014-04-18 01:30:02)
- 宮崎さんの剣道の本は良著。正直なおじさんでありがたい  -- 名無しさん  (2016-12-06 12:41:24)
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