「シアトルスルー(競走馬)」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る
シアトルスルー(競走馬) - (2025/10/10 (金) 22:27:18) のソース
&font(#6495ED){登録日}:2021/11/07 Sun 10:34:33
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 9 分で読めます
----
&link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧
&tags()
----
&bold(){&font(i){&ruby(シアトルスルー){Seattle Slew}}}とは、[[アメリカ>アメリカ合衆国]]の競走馬、種牡馬。
ドラマ性、実力、実績、種牡馬としての影響力のどれをとっても&bold(){アメリカ史上最強クラスの名馬}である。
**血統背景
父&bold(){ボールドリーズニング}はシアトルスルーが初年度産駒…だったのだが、この馬、祖父に大種牡馬ボールドルーラー、母父に[[サンデーサイレンス]]の祖父ヘイルトゥリーズンを持ってこそいたが、種付け料は日本円換算で&bold(){たった14万円}と全く期待されていなかった。ちなみに3年間繁用されたのち、&bold(){種付け中に牝馬に蹴られる}というちょっとアレな事故で亡くなっている。
母の&bold(){マイチャーマー}は重賞勝ちこそあれど、血統的にはかなり地味であり、総じて普通の繁殖牝馬という認識に落ち着いていた。
……が、この雑草血統、ただのマイナー血統だったわけではない。
ボールドリーズニングは事故でわずかな産駒しか残せなかったが、本馬の他にもG1ホースを輩出し、かなり高い重賞勝利率を誇っていた。
マイチャーマーの4代母であるマートルウッドは競走馬として活躍しただけでなく、牝系から[[ミスタープロスペクター>ミスタープロスペクター(競走馬)]]やチーフベアハートなどの名馬を輩出している。さらにその父、つまり母父の[[ポーカー]]は名馬バックパサーに勝利した経験があり、のちに母父として二冠馬シルバーチャームを輩出している。
このように現代の目線で見れば成功するのもわかる血統ではある……が、&bold(){当時の人々はそんなことを知る由はなかった}。
**「醜いアヒルの子」
1974年、ケンタッキー州の小規模牧場、ホワイトホースエーカーズファームで生まれる。
前述の血統背景によって期待度が高いわけではなかったが、見栄えもはっきり言ってよろしくなかった。
あろうことか&bold(){右後ろ脚は外側に曲がっており、体と顔は大きく、おまけにポニーみたいな短い尻尾まで持ち合わせる}。のちに牧場でつけられたあだ名は&bold(){「醜いアヒルの子」}である。ひどい。
地味血統と足の曲がり方をはじめとする見栄えの悪さから、キーンランドの選抜セリ市への出品は許可されず、一般セリでの販売という結果となった。
ここで獣医師のヒル夫妻、材木商のテイラー夫妻の2組の夫婦が本馬を購入。材木商のほうの夫人であるカレン・テイラー氏名義で共同所有することになった。
テイラー夫妻の出身地シアトルと、ヒル夫妻の出身地であるフロリダの湿地帯「スルー」から&bold(){「シアトルスルー」}と名付けられた。
**飛翔開始
期待薄なシアトルスルーだったが、調教が始まると評価は一変した。&bold(){馬なりでダート6ハロン(1200m)を1分10秒}という快速で駆け抜け、調教師もびっくりの評判馬となったのである。
1976年9月、フランスのJ・クリュゲ騎手を鞍上にデビュー戦を完勝すると、続く条件戦も圧勝。
当時、フォーザモーメントという良血馬が無敗G1を勝つなど評判になっていたのだが、クリュゲ騎手はそれを差し置いて&bold(){「シアトルスルーという馬のほうがもっとすごい」}と吹聴して回っていたという。
その後の2歳チャンピオン戦であるシャンペンステークスでは鮮やかな逃げ切りで前述のフォーザモーメントを&bold(){10馬身ぶっちぎって2歳レコードともに圧勝}した。
この活躍から、最優秀2歳牡馬に選定された。
**アメリカンドリーム
フロリダで休養したのち、3月の一般競争をレコード勝ちして復帰。続いてG1を2連勝し、無敗6連勝でアメリカクラシック3冠の一冠目、そして最大の名誉である&bold(){ケンタッキーダービー}に駒を進める。
しかし、大観衆を前に緊張したのか、スタート時ゲートに頭をぶつけてしまうというアクシデントに見舞われる。が、ここで出遅れながらもうまくハナを奪い、そこから見事な逃げ切り勝ちを収めた。
続くクラシック2戦目&bold(){プリークネスステークス}は2番手からの好位進出で勝利。いよいよ3冠目にして最後の難関、&bold(){ベルモントステークス}に駒を進めた。
アメリカのクラシック3冠はほぼ&bold(){1か月以内}という&bold(){超過密スケジュール}で行われるうえ、最終戦ではダートレースとしては長い部類である2400mを走らなくてはならない。ある馬は距離に泣き、ある馬は疲労で勝てず……この最終戦が、&bold(){2冠を獲得した馬を叩き落とす最後の関門}となっていたのである。
[[ノーザンダンサー>ノーザンダンサー(競走馬)]]や[[サンデーサイレンス]]といった名馬も、前2冠を獲得しながらも、このレースを勝つことは叶わなかったのだ。
さて、結果は……競りかけてきた他馬をあっさり競り落とし、&bold(){見事な逃げ切り勝ち}。
ここに[[セクレタリアト>>セクレタリアト(競走馬)]]以来&bold(){4年ぶり10頭目、かつ&font(#ff0000){史上初の無敗の3冠馬}}が誕生したのであった。
さらに、一般セリ市出身の[[三冠馬]]は&bold(){2021年現在でもシアトルスルーただ1頭}。
ここに「醜いアヒルの子」シアトルスルーは、&bold(){アメリカンドリームを掴んだヒーロー}になったのだ。
**不運を超えて見せた強さ
三冠を達成したシアトルスルーだが、過密ローテ故疲労がかなり溜まっており、調教師は休養を提案。しかし馬主サイドは西海岸への遠征を強行し、迎えたG1スワップスステークスで4着に負け、無敗記録はストップしてしまった。
この敗北がきっかけで生じた馬主と調教師の対立によって、シアトルスルーは転厩することに。
しかもこの直後に謎の高熱を発し、&bold(){一時は生命の危機}に。幸い回復したものの、結局この年はスワップスステークスが最後の出走になった。
また、当然と言えば当然だが、この年の功績を評価されて、最優秀3歳以上牡馬、年度代表馬を獲得している。
翌78年1月には病気から立ち直り、5月と8月に一般競争を勝利。しかし続くG2で2着に敗れてしまい、クリュゲ騎手から乗り代わりになった。
その後のマールボロHCにて、1歳下の&bold(){三冠馬アファームド}との対決が実現。アメリカでは3冠馬対決は史上初ということで大いに盛り上がった。シアトルスルーは斤量差もあって2番人気だった。
しかしレース本番では、同じ逃げ馬のアファームドとともに前につけて逃げ、終盤でさらに加速するという完璧なレースでアファームドを完封、&bold(){3馬身差つけて快勝した}。
続くウッドフォードステークスでは、フランスで活躍後にアメリカに移籍して、確実に勝ちを積み重ねていた強敵&bold(){エクセラー}と対決するも、ここは軽くひねって4馬身差勝ち。古馬になっても相変わらずの怪物ぶりを見せつけた。
当時はブリーダーズカップが創設されていなかったため、古馬にとって最大のレースはジョッキークラブゴールドカップである。アファームドとエクセラーも出走してきたが、前2走の結果からすれば格の違いは明らか。1番人気に推された。なお、&bold(){レース開始直前にゲートから飛び出す}というアクシデントがあったり。
レースではハナを奪って逃げるが、アファームドとペースメーカーがこれに食らいつく。シアトルスルーも競り落とさんと&bold(){猛烈な}ハイペースで逃げ、レースはアファームドとのマッチレースの様相を呈する。
やがてアファームドが限界に近づき、いったんペースを落としたシアトルスルー。しかし、後方で控えていたエクセラーが&bold(){20馬身差以上を一気に突進}し、鞍がずれて後退していくアファームドを横目に、シアトルスルーに並びかける。
余力を残していたエクセラーがそのまま勝利……かと思われたが、さすがに史上初の無敗の三冠馬、ただでは負けない。
&sizex(4){&bold(){&font(#ff0000){抜き去っていったエクセラーに対し、凄まじい差し返しで再び肉薄}}}。
2枚腰どころか&bold(){3枚腰}を見せつけて場内は騒然となったが、エクセラーはどうにかハナ差を残し、シアトルスルーは2着に敗れた。なおこの時、3着との差は実に&bold(){}14馬身差}だったという。なお、アファームドは事故もあったにせよ、6頭立て5着、19馬身差の惨敗であった。
結果的に、このレースはシアトルスルーの怪物ぶりをさらに際立てることになった。
3冠レースや前2走では強い走り方だったが、一方で[[同じく無敗3冠の某皇帝>>シンボリルドルフ(競走馬)]]のように&bold(){「強すぎてつまらない」}という意見も多かった。そのため、ここですさまじいパフォーマンスを見せつけたことで、敗れこそすれど人気はさらに向上することになる。
その後「130ポンド以上背負わずに勝たないとチャンピオンじゃない」という古参競馬ファンの声に応え、G3のスタイヴサントハンデキャップに出走、もちろん勝利。このレースをもって現役を引退した。
アファームドがいたので年度代表馬には選ばれなかったが、最優秀古馬のタイトルを獲得している。
**種牡馬時代
&bold(){1200万ドル}というとんでもない高額シンジゲートから種牡馬入りしたシアトルスルー。
初年度早々にジョッキークラブゴールドカップ連覇などの戦績を上げ、のちに殿堂入りした&bold(){スルーオゴールド}を輩出。
その後もコンスタントに活躍馬を出し続け、1984年にはリーディングサイアーを獲得。以後2000年代初頭まで長らく種牡馬として活動していた。
セクレタリアトやスぺクタキュラービッドといった他のボールドルーラー系種牡馬がなかなか後継を残せなかった中、この馬は牡馬でもしっかり活躍馬を出し、&bold(){系統そのものの救世主}となった。
シアトルスルーは競走馬としてだけではなく、&bold(){種牡馬としても実力を見せつけたのである}。
産駒の中で最も重要なのが、92年生まれの&bold(){エーピーインディ}。
BCクラシックを勝利した優秀な競走馬だったが、引退後は種牡馬として大活躍。
2度のリーディングサイアーに輝き、アメリカにて&bold(){ノーザンダンサー、ミスタープロスペクターの2大系統に次ぐ第3勢力}として確かな地位を確保している。
他のシアトルスルー系統は零細化しているので、ボールドルーラー系=シアトルスルー系=エーピーインディ系と言えるだろう。
相性問題だろうか、産駒は[[日本>日本国]]ではそこまで活躍したわけではなかったが、それでもタイキブリザード、ダンツシアトルの2頭のG1ホースの他、マチカネキンノホシやヒシナタリーといった重賞馬をしっかり輩出した。
母父としても、賞金王シガーや直線番長アグネスワールドなどを出している。
1999年にアメリカの競馬雑誌が選んだ『20世紀のアメリカ名馬100選』では9位にランクインしている。
2002年まで種牡馬として活動したが、シーズン中に病気のため種付けを中止、療養中に亡くなった。28歳の大往生であった。
彼は&bold(){存命中の最後の3冠馬}であり、2015年の&bold(){アメリカンファラオ}の登場まで、アメリカに3冠馬はいなかった。
//なお、彼の偉業から41年後、&bold(){ジャスティファイ}によって、&s(){薬物疑惑あるけど}&bold(){再び無敗の3冠}が達成されている。
//正式に前哨戦が失格になったので無敗ではなくなりました…
**余談
同期には[[日本>日本国]]に渡り、8戦8勝と圧倒的な実力を見せつけていた「スーパーカー」&bold(){[[マルゼンスキー>マルゼンスキー(競走馬)]]}がいる。
もしマルゼンスキーが日本に渡らずにアメリカにとどまっていたら、シアトルスルーの3冠は難しくなっていたかもしれない……という話が流布したことがあるらしい。
結局両馬が交わることはなかったが、逆に言えば、それだけシアトルスルーの勝ち方が圧倒的だった、という証拠であろうか。
本馬の他、無敗の三冠馬として知られる[[シンボリルドルフ>シンボリルドルフ(競走馬)]]、[[ディープインパクト>ディープインパクト(競走馬)]]、コントレイル、および英国のニジンスキーは&bold(){全て三冠目の次のレースで敗北}という妙な共通点がある。
シアトルスルー相手だと突き放されるわ、鞍ずれるわで散々だった上、産駒成績も同期のアリダーと比べて振るわず……と、ともすれば過小評価されてしまうこともあるアファームドだが、彼の名誉のため補足しておこう。
&bold(){彼は紛れもない歴史的名馬の1頭、アメリカ競馬史に残る怪物である}。
アファームドは4歳シーズン最初の2戦こそ敗退したものの、騎手乗り代わり後にエクセラーに勝利してからは勢いづき、&bold(){怒涛の4連勝}を飾った。
引退レースでは、&bold(){レコード更新8回}、&bold(){怪我さえなければ3冠は確実}だったと言われ、&bold(){引退レースではあまりの強さに他馬が出走せず単走}になったアメリカ競馬黄金の70年代最後の怪物、&bold(){スぺクタキュラービッド}と対決。途中までアファームドをマークし、終盤で猛烈な末脚を見せるスぺクタキュラービッドだったが、アファームドは&bold(){最後の1馬身を全く詰めさせることなく勝利した}。
これにより2年連続の年度代表馬を獲得。G1勝利数は驚異の14勝、ケルソの持っていた世界賞金額1位の座を手に入れた。
そして何より、アメリカ3冠馬はアファームドを最後に、アメリカンファラオまで&bold(){実に37年間登場していなかった}のである。この事実がアファームドの強さを証明していると言えよう。
追記・修正は3冠を獲得し、種牡馬として活躍してからお願いします。
#include(テンプレ2)
#right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/
#vote3(time=600,1)
}
#include(テンプレ3)
#openclose(show=▷ コメント欄){
#areaedit()
- アメリカのチート馬だな -- 名無しさん (2021-11-07 11:06:22)
- サンデーサイレンスの先輩ってイメージ -- 名無しさん (2021-11-28 12:07:02)
- 日本でも近年シニミニ産駒の活躍目覚しいし、ダート路線の拡充と整備によって一層エーピーインディの系譜は力を持つはず。そのうちフライトライン直系も流れてくるだろうから、日本でのシアトルスルー系の未来はそこそこ明るそう -- 名無しさん (2024-06-16 23:15:29)
#comment(striction)
#areaedit(end)
}