アポロ計画

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アポロ計画 - (2016/01/04 (月) 00:41:34) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2009/06/07(日) 20:12:30
更新日:2024/04/27 Sat 18:32:04
所要時間:約 8 分で読めます




えぇっー! 僕らの生まれてくるずっと前にはもう、アポロ11号は月に行ったって言うのかい?(MASUO・SAN)



アポロ計画

1960年代にアメリカが国家の威信をかけて、月に人類を送り込もうとした計画の事である。



当時のアメリカの宇宙開発は、ソビエト連邦にかなり遅れをとっていた。
何しろ、人工衛星も有人宇宙飛行も、女性宇宙飛行士も『初めて』は皆ソビエトに持っていかれてしまい、
「アメリカの宇宙開発はソビエト連邦のパクり」だとか「宇宙に人類を送り込めたのは、ソビエト社会主義のおかげ」だとか、
「ジェミニ計画は、ボストークのパクり」だとか、散々に言われていたのである。


ソビエトロシアでは宇宙が人類を送り込む!

フルボッコである。


当時の冷戦構造の中、国家の技術の粋を集めて為される宇宙開発にて"敵対国"のソビエトに遅れをとっていること。
これはアメリカにとって看過して良いことではなかった。

と、いうか、
「宇宙開発技術=ロケット開発=核ミサイル技術」
である。

自由主義の守護者として国家威信的にもだったが、それ以上に安全保障上でも大変な問題だったのだ。


そこでアメリカはこの事態を打破しようと、ソビエト連邦がまだ手を付けていない「月」に着目した。
つまり、これまでの宇宙開発は地球軌道の周りについてのものだけであったが、
月という地球以外の天体に『人類』つまり「アメリカ人」が初めて上陸すれば、ソビエトに一矢報いる事ができると考えたのである。
だが、ぐずぐずしていると、また先を越されてしまうのも事実。

そのため、ケネディ大統領は「1960年代の終わりまでに人類を月に送り込む」と、計画がまだ始まってもいないのに先に発表した。
従来ソビエトは計画が成功した後に宇宙開発を発表していたことを考えると、
この発表は「月面上陸はもう成功したようなものだ」というメッセージともとれる。

こうして、彼のアポロ計画が始動した。

「ソビエトより先に」という時間制限の中、人類を月に送り込むという空前絶後の所業を行うのだから、計画は慎重かつスピーディーに進められ、
実機体を用いた訓練も盛んに行われた。


だがここで悲劇が起きた。
4番目の計画である「アポロサターン204」で使用されるはずだったアポロ着陸船の訓練中に火災事故が起き、
グリソム船長以下三名の宇宙飛行士が焼死してしまったのである。

この尊い犠牲を無駄にしないため、焼失した着陸船に「アポロ1号」と名前を付けたのに合わせて「アポロサターン204」も同名に改名し、2、3号を欠番にした。
なお、1号に改名された204以前のアポロサターンの内、203と202が非公式に「アポロ2号」「アポロ3号」と呼ばれていることも付記しておく。

そして4~6号を無人で、7~10号を有人で試験飛行をさせた後、
遂に1969年7月20日、アポロ11号を載せたサターン5型ロケットは月を目指して打ち上げられた。
そして月面に着陸した月着陸船からアームストロング船長の左足が月面に『小さな一歩』を踏み出したとき、人類史上の『大きな一歩』が成し遂げられたのである。
その様子は地球に生中継され、多くの人々を感動させたのだった。

この生中継の舞台裏として、着陸時にちょうど月がアメリカの裏側になってしまい、オーストラリアの小さな田舎町パークスにある天文台に中継の成否を託さなければならなくなったという話がある。
これは「月のひつじ」という映画にもなり、知る人ぞ知るエピソードとなっている。

またある新聞社は、
「1920年の本誌でゴダートのロケット理論で月に行くのは実現不可能って書いてしまいましたが、ここに御詫び申し上げます。」という謝罪記事を載せた。


だが一方で月にはかぐや姫どころかうさぎ一羽居なかった事がアポロ11号により証明され竹取物語が古典文学からSFに格下げされた挙げ句、
世界中で月見の風習が1969年以降年々廃れていき団子屋と月餅屋が悲鳴をあげた。

そして月はチーズでできていない事を証明し、世界中のウォレスは絶望した。


一方日本のお菓子メーカーから、アポロの帰還カプセルをかたどった、が発売されて、大人気となった。

1970年の大阪万博では、アメリカ館に月の石が展示され、毎日長蛇の列ができた。

しかし、1号の悲劇以外でも計画にはトラブルの影が付きまとった。
12号は計画自体は大成功に終わったものの、大気圏突破時に落雷が直撃、一時的に船内が停電するアクシデントが発生。
1970年4月11日に打ち上げが実行された13号に至っては宇宙空間で大事故に見舞われ、乗船メンバーは全員無事だったが計画は結果的に失敗に終わっている。
特に13号が遭った事故は宇宙開発史において語り草となっており、13号の船長が共著という形でこの時の体験を描いたノンフィクション「ロストムーン」を発表。
後年、この著書を原作とした大ヒット映画「アポロ13」も公開され、
更に製作総指揮兼主演のトム・ハンクスはアポロ計画そのものを題材としたドキュメンタリーも制作している。
当然13号のことにも触れられているが、映画と内容が被るのを避けるため、
映画では触れられなかった「13号の事故を中継するニュースキャスターの苦労譚」となっていた。


よく、「アポロ11号の月面着陸は捏造である。」という噂があるが、いくらソビエトに牽制する為と言え、
捏造するメリットは全くない。
「捏造し、世界を欺き続けられるだけの予算があれば、月に行くぐらい安いものである」などという話もある。
それに、日本の月探査船「かぐや」がアポロ計画の痕跡を発見している。





よく根拠に出される例の番組はエイプリルフール用の番組である。
それ以前にも捏造説を主張する者はおり、組織的に主張を行ったのはキリスト教原理主義団体「Flat Earth Society」が初と言われている。
米国外にも捏造説が広まった現在では、捏造説は宗教や反米イデオロギー、科学への懐疑等、様々な要素が絡み合った存在となっている。
そのため、かぐやの成果も「日本は親米であり、アメリカに不利な発表をするとは考えにくい」と無視・疑問視する声が生じている。

また、2002年には捏造説支持者のバート・シブレルがアポロ11号クルーの一人であったバズ・オリドリンに殴られるという事件が発生している。
シブレルが聖書を突きつけ、「聖書に手を置いて『私は月に行った』と誓ってみろ」と詰め寄ったところ、オルドリンは彼を一発殴って逃げたのだという。
捜査を行ったLA市警は、「事件を捉えたカメラの映像を見る限り、シブレルは執拗に度を超えた挑発を行っており、オルドリンに非は一切ない」と判断している。
しかし、本当に月に行ったのであれば、逃げる必要はどこにもなかったはずだが…?(逃げたのはおそらく暴行でしょっ引かれる危険性に気付いたからだと思われる)





この噂が有名になる以前は、「アポロのクルー達は、宇宙人との遭遇等、発表されたもの以上に重要な発見をしている」という噂もあり、
日本の陰謀論業界ではむしろこちらが主流であった。
当然ながら捏造説とは相いれない存在であるため、この説の支持者は捏造説批判に回っている。
先のオルドリンも本人役で出演している『トランスフォーマー ダークサイド・ムーン』等、宇宙人を題材にした作品の下敷きにされることも多い。
東方儚月抄』でも、「アポロ計画の真意は別のところにあった」という形でこの説に軽く触れている。


ちなみに、アポロ11号に搭載されていた、コンピューターの性能は現代のデジタル時計程度しかなく、ファミコン以下だった。

家庭用ゲーム機以下のお粗末なコンピューターで月に行ったなんて事を考えると、捏造説が生まれても仕方ない気がする。

ファミコンすげー。

後、実は18,19,20号も計画されていたのだが、残念ながら予算の問題で没に終わっている。



追記・修正は月にロマンを求める方お願いします。

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