アンネ・フランク

「アンネ・フランク」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

アンネ・フランク - (2020/08/10 (月) 00:37:00) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2020/08/9 Fri 05:10:20
更新日:2022/09/20 Tue 15:16:45
所要時間:約 2 分で読めます




アンネ・フランク(Annelies frank、1929年6/12~1945年3月頃)はナチスドイツ時代のドイツの女流作家(?)。享年15歳。
2年間の隠遁生活を生々しく描く彼女の日記は、収容所生活を生き延びた父親の尽力によって「アンネの日記」*1と題して出版され、
各国で訳されて出版されたこの本は、やがて数千万部というベストセラーとなり、同時にアンネ自身の名前も知られることになった。


概要

・生涯

ユダヤ系ドイツ人のオットー・フランクとエーディット・フランク夫妻の娘として生を受ける。姉にはマルゴットがいた。
幼い頃は裕福な家庭であり、四人家族で平和に過ごしていたが、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツがドイツの権力を握り、
ナチスによってユダヤ人迫害政策が取られ始めたことで、その平穏は破られた。

費用問題などでドイツ脱出が遅れた一家は迫害を逃れる為、オットーの勤務先の事務所に隠れ住むことになった。
この隠れ家は事務所を改造したもので、今見るとすぐにバレそうに思えるが、ここでフランク一家や同じくここに匿われたユダヤ人たちは、
オットーの勤務先の一部スタッフたちの協力もあって2年間、ナチスの追跡を逃れることが出来た。

当時のオランダ・アムステルダムの商人たちは、貨物をスムーズに受け取るために運河沿いに家や倉庫を建てた。
運河沿いの土地価格は非常に高かったため、それらの建物は運河側に必要最低限の間口を備えた細長いものとなったが
細長い家がひしめいていては室内に日光が届かないことから、家を二つに分け、『表の家』と『裏の家』を階段で繋ぐ構造が採用された。
オットーはこの独特の構造にナチスの秘密警察が疎いことに目を付け、事務所の『裏の家』の3、4階を隠れ家に改造すると共に、
『裏の家』への入り口を本棚で隠すことで追跡の矛先を『表の家』だけに向けさせたのである。

ただ、隠れ家生活は酷く、腐ったジャガイモとキャベツのスープが基本の一食が普通。
勤務時間内は隠れ家の下の1、2階で職員が働いていることからアンネたちは息を殺して過ごすことを余儀なくされ、この時間はトイレにも行けなかった。

さらに同居人も、ヘルマンの一家は夫婦喧嘩が多いうえに煙草を強請り、掃除機は使う、まで飼育するというわがままっぷりで、
フリッツ歯科医も食べ物を独占するなど、フランク一家を苦しめていた他、アンネも思春期にも関わらず中年男性の歯科医フリッツと相部屋にされる始末であった。
そこ、オットーとフリッツ閣下一緒じゃ駄目なんかい?と言わない。
とはいえ、ヘルマンは煙草があれば陽気なオジサンであり、彼の冗談などは隠遁生活を送るアンネらの心の支えになっていた他、
ヘルマン一家の息子であるペーターとアンネは親密な関係を築き、ロマンスを楽しんでもいた。

しかし、2年間の隠遁生活は1944年8月に終わりを告げ、密告を受けた秘密警察によって隠れ家が暴かれ、アンネも含む全員が逮捕される。
強制収容所に送られたアンネはマルゴットと共にチフスに罹患して病死。15年の短い生涯を閉じた。

アンネと親密な関係にあったペーターを含む隠れ家の同居人たちもほとんどが強制収容所で亡くなり、
隠れ家に住んでいた人々の中で生き残ったのは、アンネの父親のオットーだけであった。


・アンネの日記

アンネは隠遁生活の中で希望を忘れないために日記をつけていた。
作家志望であったアンネはこの日記を出版することを考えていたようで、オリジナルと自ら推敲した改訂版が存在しており、
彼女の没後、一家で唯一生き残ったオットーがそれら二つをまとめ、編集したうえで『アンネの日記』として出版した。

とはいえ元々は普通の少女の日記であったため、オリジナルには性の目覚めや折り合いが悪くなった母親への辛辣な批判などの過激な部分も存在しており、
当初出版された『アンネの日記』ではこれらは編集でカットされていたが、2010年頃にはカットされた箇所のほとんどが増補され、原本に近い形で刊行されている。
そのため、それらがカットされていた時の『アンネの日記』でアンネを知った人の中には、原本に近い今の『アンネの日記』を読んで彼女のイメージが変わってしまう人もいるかもしれない。
因みに本作は1995年にマッドハウス制作でアニメ映画化され、好評を博している。


・性格


見た目は美少女だが病弱でもあったアンネだがその性格は少女特有のトゲと優しさを秘めた性格で誰にでも明るい少女であった。人を笑顔にすることができる子であり、文章を書くのが趣味だったという。

また恋多き乙女であり、複数の少年と子供のラブロマンスを楽しんでいた。ペーターとは一度だけキスをしたことがあるらしい。

祖母大好きっ子であり、反面思春期の反抗期になると母や姉と喧嘩することもあったとか。


・その後

生還したオットーは悲しみに耐えきれずに再婚。みんなの意志を背負い新しい家族を持って全員分の幸せを得て亡くなった。
この悲劇はナチスドイツだけが責められる問題ではなく戦争の悲劇として受け継いでいくべきである。


・創作作品におけるアンネ・フランク

漫画

  • 天下無双 江田島平八伝
魁!!男塾』の外伝的漫画作品。
若き頃の江田島平八が『アンネの日記』の原著をナチス当局から守り抜くエピソードが存在する。


追記・修正は日記に書いてください。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/