アンネ・フランク

登録日:2020/08/09 Fri 05:10:20
更新日:2025/03/02 Sun 15:57:52
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アンネ・フランク(Annelies frank、1929年6/12~1945年3月頃)とは、ナチスドイツ時代のドイツの一般人女性にして女流作家。


概要

作家志望で、文章を書くのが趣味で日記の他にもオリジナルの短編小説などを書いていた。*1
誰にでも明るく、人を笑顔にする子だったそう…だが、一方で日記には母親や姉、友人の悪口なども書かれており、この辺は流石に“普通の女の子”と言って差し支えない性格だったと思われる。本を読むのも好きで、文学や伝記の本を好んで読んでいたという。

恋愛などにも興味があり、複数の少年と子供のラブロマンスを楽しんでいた。ペーターとは一度だけキスをしたことがあるらしい。
パパっ子かつおばあちゃん子でもあったようで、反面思春期の反抗期になると母や姉と喧嘩することもあったが、隠匿生活中に姉とは仲直りしている。

2年間の隠遁生活中に日記をつけており、この日記が収容所生活を生き延びた父親の尽力によって『アンネの日記』*2と題して出版されたことから全ては始まった。

当時の世相や本人の心境を生々しく描いたその日記は、各国で訳され、やがて数千万部のベストセラーとなった。
アンネはあまりにも短い生涯を閉じたが、女流作家としてその名は世界中で長く知られるようになったのだ。


生涯

ユダヤ系ドイツ人のオットー・フランクとエーディット・フランク夫妻の次女として生を受ける。姉にはマルゴットがいた。幼い頃は裕福な家庭で、四人家族で平和に過ごしていた。
…だが、アドルフ・ヒトラー率いるナチスドイツがドイツの権力を握り、ナチスによってユダヤ人迫害政策が取られ始めたことで、その平穏は破られてしまった。

費用問題などでドイツ脱出が遅れた一家は迫害を逃れる為、オランダにあるオットーの勤務先の事務所に隠れ住むことになった。
この隠れ家は事務所を改造したもので、今見るとすぐにバレそうに思えるが、ここでフランク一家や同じくここに匿われたユダヤ人たちは、
オットーの勤務先の一部スタッフたちの協力もあって2年間、ナチスの追跡を逃れることが出来た。

さて、オランダを象徴するものの一つが運河である。当時アムステルダムの商人たちは、貨物をスムーズに受け取るために運河沿いに家や倉庫を建てていた。
だが運河沿いの土地は価格が非常に高かったため、それらの建物は運河側に必要最低限の間口を備えた細長いものとなっていた。
そんな家がひしめいていては室内に日光が届かないことから、家を二つに分け、「表の家」と「裏の家」を階段で繋ぐ構造が採用されていたのだ。
オットーはこの独特の構造にナチスの秘密警察が疎いことに目を付け、事務所の「裏の家」の3、4階を隠れ家に改造すると共に、
「裏の家」への入り口を本棚で隠すことで追跡の矛先を「表の家」だけに向けさせたのだった。

ただ、隠れ家生活は酷く、腐ったジャガイモキャベツスープが基本の一食が普通。
勤務時間内は隠れ家の下の1、2階で職員が働いていることからアンネたちは息を殺して過ごすことを余儀なくされ、この時間はトイレにも行けなかった。

さらに同居人もいたが、ヘルマンの一家は夫婦喧嘩が多いうえに煙草を強請り、掃除機は使う、まで飼育するというわがままっぷり。
フリッツ歯科医も食べ物を独占するなど、フランク一家を苦しめていた他、アンネも思春期にもかかわらず中年男性の歯科医フリッツと相部屋にされる始末であった。
とはいえ、ヘルマンは煙草があれば陽気なオジサンであり、彼の冗談などは隠遁生活を送るアンネらの心の支えになっていた他、ヘルマン一家の息子であるペーターとアンネは親密な関係を築き、ロマンスを楽しんでもいた。

しかし、2年間の隠遁生活は1944年8月に終わりを告げた。
密告*3を受けた秘密警察によって隠れ家が暴かれ、アンネも含む全員が逮捕される。
強制収容所に送られたアンネはマルゴットと共にチフスに罹患し病死。15年の短い生涯を閉じた。

アンネと親密な関係にあったペーターを含む隠れ家の同居人たちもほとんどが強制収容所で亡くなり、最終的に、隠れ家に住んでいた人々の中で生き残ったのはアンネの父親のオットーだけであった…。

アンネの日記

アンネは隠遁生活の中で希望を忘れないために日記をつけており、文は「キティ」という相手に宛てて書いているかのような体を取っている。
元々作家志望であったアンネは、行く行くはこの日記を本として出版することも想定していたようで、オリジナルとなる日記の他に、自ら推敲した改訂版が並行して存在しており、現在知られる『アンネの日記』は、オットーがそれら二つを自分なりに再編集して纏め上げたものである。平和教育の題材とされることも多いようだ。

ただ、元々は普通の少女のプライベートな日記ということもあり、オリジナル版には性の目覚めや折り合いが悪くなった母親への辛辣な批判など、良くも悪くもダイレクトな心情が反映された文章も存在しており、当初出版された『アンネの日記』では、これらの大半は編集でカットされていた。

が、2010年頃にはカットされていた箇所の殆どがサルベージされ、“完全版”とでも呼ぶべきバージョンが新たに刊行されている。
そのため、世代によって『アンネの日記』に対して抱くイメージが違ったり、後になって新版を読んだため同書のイメージが激変してしまった、という人もいるかもしれない。

なお、戦争が終わったらラジオ局に投函するために二冊目の日記を書き上げてしまったせいで、この本は偽書ではないかと疑われる事態となってしまった。
二冊目の日記を書き上げた動機もお金目当てなどではなく、狭くて退屈な隠れ家での生活で他にやることがなかったからとされている。
しかし彼女が生きている間に戦争は終わることはなく、「ラジオ局に投函する」という彼女の目的は果たされなかった。

この著作を原作にした映像作品もあり、1959年にはアメリカで実写映画、2009年にはBBC製作でテレビドラマ版が公開された。
日本においても1979年に日本アニメーション製作のアニメ特番、1995年にマッドハウス製作のアニメ映画が世に出ており、好評を博している。

その後

生還したオットーは親族やかつての支援者の協力もあって社会復帰し、二人の娘の行方を捜した*4が、結局二人とも亡くなったことを知らされる。
悲しみに暮れるオットーに、戦中同様に自分を支援してくれるミープ・ヒース氏から「アンネの形見」として、本当は彼女本人に返すつもりだったという日記が渡された。
これを読んだオットーは親戚などにもこれを読んでほしいと考え、娘の個人的な記述などは除いた上で、オリジナルと改訂版を相互補完する形で編集してタイプし直して手渡し、
そして渡された一人の友人に出版を持ちかけられたことをきっかけに、生前アンネ本人が出版を夢見ていたことも汲み、出版することを決めたのだった。
オットーはアンネの日記出版後もこの日記が多くの人の目に留まるように尽力し、これが縁でエルフリーデ未亡人と再婚した後、1980年に死去した。

アンネらが隠れていた家は戦後しばらくオットーの勤務先が引き続き使った後、1957年からは「アンネ・フランク財団」が管理する「アンネ・フランクの家」博物館となっている。

アンネの夢は、その死後に自分を愛した父親によって叶えられた。
しかし、それは間違いなく、生前アンネが望んだ形ではなかっただろう。
この悲劇はナチスドイツだけが責められる問題ではなく戦争の悲劇として受け継いでいくべきである。


余談

創作作品におけるアンネ・フランク

漫画

魁!!男塾』の外伝的漫画作品。
若き頃の江田島平八が『アンネの日記』の原著をナチス当局から守り抜くエピソードが存在する。
なお、アンネ本人は登場しない。

小説

  • 『刻謎宮』
高橋克彦作の歴史ファンタジー
アンネが甦らせられ、頭脳役として活躍する。 





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最終更新:2025年03月02日 15:57

*1 短編は日本の私立中学校の国語の試験問題文として出題されたこともある。

*2 原題はオランダ語で『後ろの家』という。

*3 この密告者が誰なのかは今も尚不明のまま。このため別の事件の捜査で偶然見つかった可能性をアンネ・フランク財団は指摘している。

*4 妻が亡くなったことは解放直後に知った。