アントニオ・カッサーノ

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アントニオ・カッサーノ - (2014/03/07 (金) 14:05:59) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2012/07/30(月) 11:42:29
更新日:2023/03/23 Thu 09:45:25
所要時間:約 6 分で読めます




アントニオ・カッサーノ(Antonio Cassano、笠野安東尼奥、1982年7月12日生まれ)はイタリアのサッカー選手。ASバーリ→ASローマレアル・マドリードCF→UCサンプドリア→ACミランを経て、現在はインテルに所属している。背番号99(代表では10)。愛称は「バーリの悪童」「カサ坊」など。


【概要】



ポジションはFW。小柄でテクニックのあるセカンドアタッカー。
巧みなボール捌き・高いシュート力・創造的なパスセンスなどを駆使したプレースタイルが特徴。


会見中に鼻くそをほじっちゃうカッサーノ

サッカーの能力だけでなく人格面でも際立った個性を放っており、しばしば監督・運営・選手・審判・サポーターなどとのいざこざを起こしていた事から、「悪童」「問題児」として扱われていた。

09年11月に出版された2作目の著書『Le mattine nonservono a niente』で、自身について以下のように語っている。

  • 他の選手はスクデットの為にプレーするけど、俺は幸せになるためにプレーする
  • サッカーの世界じゃ誰も本当の事を言わない。正直なのは俺ぐらい
  • 短気は良くない。だから俺は1秒待ってから爆発するようにしている
  • 俺は世界で唯一、読んだ本より書いた本の数の方が多い男だ

そんなカッサーノであったが、結婚を機に丸くなり、現在は公私共に精彩を放ちまくり。クラブと代表のエースとして活躍している。


【経歴】

◆少年時代
イタリア南部・バーリのスラム街に生まれ育つ。警察も嫌がるとびっきりの無法地帯で、色々と筋金入りの親御さんと生活していた為、自動的にワル化。貧乏だった彼は、ご近所のワルたちとサッカーの賭けカルチョをして稼いでいた。

◆バーリ時代
地元のサッカークラブ・ASバーリの下部組織を経て、17歳でトップ入り、セリエAデビュー。プロ2試合目となる珍テル戦で華麗なドリブルを披露しプロ初得点。これによりカッサーノは一躍有名になり、イタリアでは「フランチェスコ・トッティ以来の超新星だ」と絶賛された。と同時に、カッサナータ(カッサーノの悪童的行為を指す造語)も有名になり、「その辺もトッティ以来だ」と改めて絶賛された。

◆ローマ時代


新旧悪童が共演

01-02シーズンから、上述のトッティがいるASローマに所属。プレーは非常にキレキレであったが、監督や運営陣などとの不和から度々移籍が囁かれた。

◆マドリー時代
05-06シーズン冬の移籍市場でレアル・マドリードCFに引き取られる。調整不足、監督への暴言などが原因で十分なパフォーマンスを見せる事はできなかった。

◆サンプ時代
07年8月、UCサンプドリアへレンタル移籍。本来の切れ味を取り戻し好成績を残す。
08年5月、5年契約でサンプドリアへ完全移籍する事が決定。プレーも私生活も監督への態度もわりと良い感じだったが、今度はクラブの会長との口論により解雇処分。そしてそれが引き金となり、チームは8シーズンぶりにセリエBへ降格

◆ミラン時代


スウェーデンの悪童とイタリアの悪童が共演

10-11シーズン冬の移籍市場でACミランに引き取られる。DQNのすくつという(カッサーノ的には)優れた職場環境で優れた仕事ぶりを発揮し、チーム7年振りのスクデットに貢献。また、優れた嫁と結婚した事により、ワルいDQNから良いDQNへ変貌し、今までのようにクラブのお偉いさんとの問題を起こす事はなくなった。


11年4月ミラノダービーでの一幕。全身黒ずくめの不審者ルックでながともきんに君の尻をお触り

今度こそ順風満帆かと思いきや、11年10月、心臓病で入院・長期離脱する事に。Oh...

◆インテル時代
主力選手の相次ぐ退団に難色を示し、自身も12年8月にインテルのパッツィーニとトレード。
スナイデルや長友らと息ピッタリで順調な模様。


【代表歴】

03年11月のポーランド戦でA代表デビューを果たし、初ゴールも決めた。しかし、翌年から監督に就任したマルチェロ・リッピとはソリが合わず、06年のドイツW杯は代表落ち。
監督交代後のEURO2008では再び代表に招集されるが、同じく代表のジョルジョ・キエッリーニとの諍いが発生、戦績も準々決勝敗退と不服な出来。

その後リッピが代表監督に復帰し、10年の南アW杯でまたしても代表落ち。
この際カッサーノは「子供の頃の夢はただ1つ。お金やスポーツカーや女や名誉やバロンドールを手にする事ではない。アズーリ(イタリア代表)のユニフォームを着て勝利する事だ。その夢は今でも変わらない」
「俺と代表の関係がどうなろうと、死ぬまでアズーリを応援する」と熱くコメントしている。


新旧悪童が共演

そしてW杯後、リッピに代わってチェーザレ・プランデッリが監督に就任し、再々代表入り。心臓病により物理的にも心理的にもハートを一新したおかげで、10番を背負う事となり、11年8月の故郷バーリ戦ではキャプテンを務めた。EURO2012では本戦全てに出場し、真のマリオと真のアントニオの強烈な2トップで相手を脅かした。


【恋愛歴】



08年10月出版の自伝『Dico tutto』で、「真剣な恋愛は11年間で4回…少ないよ。でもこれまで600〜700人の女性と関係を持った」と豪語し、真剣な恋愛もお手軽な恋愛もお察し下さい回の男たちから大きな反響を受けた。

09年、当時JKだった水球選手のカロリーナ・マルチャリスとのうらやまけしから婚を発表、翌年挙式。

12年6月、同性愛者への差別的発言がいい男たちの反感を買い、罰金約150万円の処分を下された。


【運転歴】

10歳で既にスクーターを乗り回す。

案の定、無免許運転でタイーホ。

今度はメルセデスの無免許超高速運転で検挙。

あまりの交通モラルのなさに車をボッシュート。

チームメイトから借りた車で駐車違反。人の車すら没収される。

原付でノーヘル&一通逆走。性懲りもなく捕まる。Oh...


【その他のカッサナータ】

  • ローマ時代、チームメイトのガブリエル・バティストゥータを老害呼ばわりしドンパチ。
  • バティストゥータが大好きなエスプレッソコーヒーを飲んでいた際、嫌がらせで甘くしてやろうとこっそり砂糖を大量投入し、仕上げに指でまぜまぜ。
  • バティストゥータが家庭菜園で育てたプチトマトを勝手に完食。
  • ファン目掛けてビルの2階から聖水をお見舞い。なんつーファンサービス。
  • かなりの脱ぎたがり。しょっちゅう脱ぐ。
  • パンツは一貫して白ブリーフ派。真の漢たちからも一目置かれている。
注)本当は参考資料をたっぷり貼りたい所だが、あにロダの惨事エロ規制に引っかかるようないやらしい画像ばかりなので自重しておく。気になった殿方はぜひググってほしい。大抵上位に白ブリが食い込んでいるはず。





カッサーノ「俺は起きながら夢を見ていたい」




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