嘘つきのパラドックス

登録日:2011/02/18 (金) 00:20:59
更新日:2021/05/19 Wed 13:07:06
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もしかして→うそつきパラドクス


嘘つきのパラドックスとは、論理学に詳しくなくとも一度は聞いたことのある

 「私はつきです」

という発言が自己矛盾している、というものである。
その他に有名なパターンは

 クレタ人の学者エピメニデスが「全てのクレタ人は嘘つきだ」と発言した

というものがある。
自身を含めての言及に矛盾があるというタイプのパラドックスで、別名「自己言及のパラドックス」。

ただし、上の例は実はパラドックスになっていない
最初の一文で考えると、
「嘘つき」を「嘘をつくこともある」と解釈した場合、この人物は嘘つきだが真実を語っているとすれば矛盾は無い。
「嘘つき」を「必ず嘘しか言わない」と解釈した場合、「『私は嘘つきです』が嘘」=「私の言うこと全てが嘘とは限らない(嘘をつかないとは言っていない)」ということになり、この人物は嘘つきではないが嘘をついているとすれば矛盾は無い。
またそもそも、よくあるクイズ「正直者は常に本当のことを言う、嘘つきは常に嘘をつく」この二種類の人間しか存在しないという前提を無条件に適用してしまっている。この二種類の人間しか存在しないという設定なら正しいが、時々嘘をつく人間などの設定がない。
二つ目のクレタ人についても、島の人間が常に正直者、常に嘘つきしか存在しない状態、しかも全島民の気質が同じだという状態で考えてしまうとパラドックスになってしまう。



ちなみにこのパラドックスの祖とされるエピメニデスだが、著作そのものは一切残ってないためいまいち確認の術はない。
パウロの後にクレタ人への布教者となったテトスに対する新約聖書の「テトスへの手紙」では1章にて
 クレタ人の預言者曰く「クレタ人は嘘つきで、邪悪な野獣で、怠け者の大食い野郎だ」
 この言説は正しい。よって厳しく戒めよ、そうあればこそ信仰も健全たるべし
と散々な言われ方をしている。

より正確に嘘つきのパラドックスを表現するものとしては
 「この文は偽である」
 「私は嘘をついています」
などがある。後者の方はメガラ派のエウブリデスの時点で考案済み。

「私は嘘をついています」のどこが矛盾しているかというと(まぁみんな知っているだろうが一応説明する)、

この発言が嘘とすると嘘をついているのが嘘ということになりこの発言は真実ということになるのだがそうすると嘘をついているというのは真実ということになりこの発言が嘘ということになるのだがそうすると嘘をついているのが嘘ということになりこの発言は真実ということになるのだがそうすると嘘をついているというのは真実ということになりこの発言が嘘ということになるのだがそうすると嘘をついているのが嘘ということになりこの発言は真実ということになるのだがそうすると嘘をついているというのは真実ということになりこの発言が嘘ということになるのだがそうすると……

まぁこんな感じで結局「嘘とも真実とも確定できない」という結論になる。


自己矛盾さえしていれば短文でもいいので自分でも作れそうだが、
最初の例のように実はパラドックスになっていない場合もあり、意外と制約が大きい。
正しいパラドックス(?)を作るためにも、論理的なチェックはしっかりやっておこう。


バートランド・ラッセルの解決
タイプ(階層)理論においては、全ての文は階層を持ち、その真偽を示すことはより上の階層の文によって示されねばならず、また最低の階層では自己言及は起こらないとする
「この文は嘘をついている」という文(階層0)に対して
「この「この文は嘘をついている」文は嘘をついている」(階層1)
「この「この「この文は嘘をついている」文は嘘をついている」文は嘘をついている」(階層2)
と階層は続くが「この文は嘘をついている」という文は最低の階層であるのに「この文」という前提を要するので最低の階層でない。
つまり矛盾しておりそんなものになる文(自己言及文)を階層0においてはいけない。
胡散臭いことこの上ないがこれから公理的集合論や不完全性定理につながっていったりして重要なのである。


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最終更新:2021年05月19日 13:07