源おじ

登録日:2024/06/30(水) 15:18:40
更新日:2024/12/30 Mon 19:07:09
所要時間:約 10 分で読めます





「源おじ」とは、明治期の小説家・国木田独歩(1871-1908)による処女作ともいうべき小説作品である。
舟子*1の『源おじ』に次々に降りかかった不幸について文語体で淡々と描写がなされている。

登場人物

  • 若い教師
  • 源おじ(池田源三郎)
  • 源おじの妻(池田ゆり)
  • 源おじの息子(池田幸助)
  • 紀州

あらすじ

都(東京)から若い教師が大分県の『佐伯(さいき)』という町に赴任し、1年間教鞭をとっていた。
その間、若い教師は夫婦の邸宅に寄宿していたが、若い教師はそこで舟子の「源おじ」についての話を聞かされた。
その夫婦は「『源おじ』のことを他人が質問するのは珍しい」と言って若者に『源おじ』の話を聞かせた。話は以下の通りであった。



『源おじ』は本名を「池田源三郎」と言い、舟子という仕事に従事していた。彼はもともと口数が多い男ではなかったが、舟をこいでいるときはとてもいい声で歌を歌うので、これが乗客の間で人気を博し、源おじは町一番の人気者になっていた。町娘のゆりはこの『源おじ』の歌に惹かれ、ついに『源おじ』と結婚した。
そうして、『源おじ』は美しい妻・ゆりと目に入れても痛くないほどかわいがっている一人息子・幸助の親子3人で楽しく平和に暮らしていた。
しかし、幸助が7歳になったころ、この「淡く夢のような」ささやかな幸福は突然終わりを告げる。
ゆりが2人目の子供を出産する際、産が重くて2人目の子供とともにそのまま亡くなってしまったのである。そうして、悲しみに沈んだ源おじは今まで以上に口数が少なくなってしまった。
その5年後、今度は最愛の一人息子がわずか12歳で水難事故でこの世を去ってしまう。しかも、一人息子の死は幸助の友人という目撃者がいたにもかかわらず、幸助の友人がそのことを隠匿したため、翌日までその知らせが『源おじ』に伝達されることはなかった。
こうして、『源おじ』は歌うことはなくなり、知り合いとも口を利かなくなってしまった。それは、源おじが漕ぐ船に乗った人が、ふとした瞬間に『源おじ』がその場にいることを忘れてしまうくらいであった。


若い教師は1年の任期を終えて都に帰る中、話は聞いたが会ったことはない孤独な老人・『源おじ』のことを考えていた。
しかし、この若い教師は、『源おじ』がもうこの世の人ではないことを知る由もなかった。


若い教師が都に帰ってから、『源おじ』は路上で生活していた『紀州』という貧しい少年を拾った。
『紀州』は幸助が生きていれば、幸助よりは2つか3つ年下であった。彼本人は自身の名を名乗らず、紀州(和歌山県)の出身ということしか語らなかったので人々からは『紀州』と呼ばれ、本人もその名で呼ばれることに何も感じていなかった。
『紀州』は幼いころ母親を亡くし、母を恋い慕って号泣していたが、いつの間にか一切の感情を表に出さなくなった。
初めのうちこそ、道行く人々は母のいない『紀州』を可哀想に思って食べ物を与えたが、何らの感情をも表さない『紀州』をしだいに疎ましく、また不気味に思い、結果として『紀州』は放置され、骨と皮ばかりになるまでやせ細っていた。
『源おじ』はある年の雪の夜に、佐伯の町の大通りでたまたま紀州と出会い、鉢合わせて彼を引き取ろうと決めた。
この時、『紀州』は道端の石を見るかのような顔で『源おじ』を見つめていた。
雪の夜から七日後、『源おじ』は客たちを乗せて櫓をこいでいた。
久しぶりに『源おじ』が歌を披露したので乗客は喝采を浴びせた。そうして、『紀州』の存在を知っていた乗客の一人が『源おじ』に『紀州』についてのうわさを尋ねたところ、彼は顔を赤らめて「『紀州』は俺の子供だよ」と答えた。


仕事を終えて、「今度は『紀州』に櫓の漕ぎ方を教えてやろう」と思いながら帰宅したところ、家に『紀州』はいなかった。急いで街を歩き回って探したところ、『紀州』は道をぶらぶらと歩いていた。
「一人でどこに行ってたんだ?」と怒りや悲しみ、喜びや失望感がないまぜになった感情で『紀州』に問いかけたが、相変わらず『紀州』は無表情であった。
『源おじ』は優しい言葉をかけ、『紀州』を家に連れ帰り、自身の分の夕食まで『紀州』に食べさせた。


翌日、『源おじ』は気苦労がたたったのか、風邪をひいてしまっていた。彼は『紀州』を寝床に呼び寄せ、
「風邪はじきに治るさ。物語を聞かせてやろう」と親子の時間を過ごした。話をしながら、『源おじ』は『紀州』に翌日いっしょに芝居を見に行く約束を取り付けた。
その日の晩、『源おじ』は自身の子が再びいなくなっており、探し回っているといつの間に幼いころの姿に変わり、母親の膝の上でお菓子を食べながら芝居を見ているという奇妙な夢を見た。
翌朝、枕元を見るとまたも『紀州』の姿は見えなくなっていた。『源おじ』は体調不良をおして探そうとしたが、めまいで立ち眩みし、その日は布団から出ることができなかった。


翌日、源おじの漕いでいた小舟が岩の上に打ち上げられて、壊れて砕けていた。
それを見つけた人々のうち、ひとりの若者が『源おじ』の家に知らせに行ったところ、道の途中の松の枝に、怪しい人型のものがぶら下がっているのを見つけた。

それは、首を吊って事切れていた『源おじ』であった。

『源おじ』は生業に欠かせない道具も、一度失い、取り戻したかに見えた「息子」という生きがいも失い、この世を去ることを選んだのだった。


山のふところの小さな墓地に、『源おじ』と妻・ゆり、一人息子・幸助の親子三人の墓が建てられた。
『紀州』は『源おじ』に拾われる前と同じように物乞いをして生計を立てていた。ある人から『源おじ』の死の知らせを聞かされたが、その時『紀州』は知らせを伝えた人の顔を、ただじっと見ているだけであった。




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最終更新:2024年12月30日 19:07

*1 現在で言うところの水上タクシーの運転士のような職業