アットウィキロゴ

グロリア・スコット号(小説)

登録日:2026/03/06 Fri 22:38:31
更新日:2026/08/16 Sun 00:24:16
所要時間:約 20 分で読めます




But we won't talk of it. Of all ghosts the ghosts of our old lovers are the worst.
その話はもうやめよう。あらゆる怨霊の中で、かつて敬愛した者の怨霊ほどタチの悪いものはない。
Come into the billiard-room and have a quiet cigar.
撞球室に逃げ込んで葉巻でもやるに限る。

グロリア・スコット号(the Gloria Scott)』とは、世界的に有名な探偵小説シャーロック・ホームズシリーズの中の一篇である。
1893年にイギリスの『ストランドマガジン』等に掲載され、短編集では『シャーロック・ホームズの回想』に載ることが多い。

人気が出てシリーズを重ねた作品にはお約束の エピソードゼロ の話で、主人公ホームズが探偵として開業するきっかけとなった最初の事件を描いている。なお、実際に報酬を得る探偵として開業をしたのはこれより後で、開業から3番目の事件が『マスグレーブ家の儀式』となる。

また、ホームズシリーズはワトソンの一人称で展開する事が基本だが、本エピソードと『マスグレーブ家の儀式』は途中からホームズの一人称に移る形となっており、シリーズの中でも4作しかない珍しいホームズ一人称のエピソードでもある。*1


はじめに

ホームズが犯罪捜査に興味を持ったのは何がきっかけだったのか?
ワトソンはことあるごとに問いただしたがホームズの口は重かった。

しかしある冬の夜のこと、ホームズがとある紙を見せてきたのだった。

狩猟対象の供給(ロンドン向けの)が着実に向上している
"The supply of game for London is going steadily up,"
狩猟場長ハドソンは受け取っていると我々は信じている、蝿取り紙とあなたの雌雉の命の全ての注文を。
"Head-keeper Hudson, we believe, has been now told to receive all orders for fly-paper and for preservation of your hen-pheasant's life."
ワトソンはこの紙片を見ても首をかしげるだけだったが、ホームズによれば
ノーフォークで治安判事をしているトレバー氏がこれを読んで 失神してそのまま昏倒 をしたらしい。
それがホームズの最初の事件を語る口火であった。


シャーロック・ホームズくんのキャンパスライフ

ホームズの学生時代は社交的とはいえず学寮に引きこもって学識を高めていたタイプで、今もそうだが。
運動はフェンシングとボクシングのみ、研究内容も他の学生とは違うものを選んだために他者との接点はなく孤独に過ごしていた。*2
その2年間の大学生活でたった一人だけ親友と呼べる男と知り合いになったが、それがビクター・トレバーである。

きっかけはビクターの飼っていたがホームズの足に思いっきり噛みついて怪我をさせたことだった。
怪我に加えて熱を出したホームズは10日ほど寝込んだのだが、ビクターはその間こまめに見舞いに訪れ、
最初は世間話のみだったが、気が合ったために長話をするようになって怪我が快癒する頃にはすっかり打ち解けていた。
トレバーは血気盛んで活力と熱意に溢れる好男子で陰キャのホームズとは対照的だったが、それが逆にうまくいったらしい。
どちらも他に気の合う友人がいなかったこともあってか、とうとう学校の夏休みにビクターの実家で過ごすことになった。

すべての始まり

ノーフォーク州のドニソープにビクターの父のトレバー氏は屋敷を構えており、
家族は父と息子が一人だけ、あとは使用人を入れて屋敷を切り盛りしていた。
屋敷は美しく整備されており、管理が行き届いた鴨の猟場とよく釣れる池もある。
小さいが蔵書も厳選された図書室があって料理人の腕も上々と、夏休みを快適に過ごすにはもってこいの場所だった。

トレバー氏は客人であるホームズに興味を示してよく世話をしてくれたのだが
ホームズから見てもトレバー氏は印象に残る人物だった。
昔からさまざまな地域を旅していたらしく色々な場所の話を覚えており
学はなく読書もしていなかったが知性を感じる話し方をしていた上に
肉体的には頑健で精神面も高潔であった。
そのため治安判事*3を任ぜられた上にその慈愛のこもった判決から地元の人々にも尊敬されていた。

ホームズがトレバーの屋敷に招かれてしばらくした後の夜、トレバー父子とホームズでワインを飲んでいたのだが、
そこでホームズが依頼人によくやっている「 相手のちょっとした特徴からその人物を推定してみせる 」という行為が話題となる。
ホームズは大学内でもそれをやっていたのだが、ホームズ自身はそれを思考と推理を鍛えるための頭の体操としか思っていなかった。
どうもビクターが父にその推理のことを話していたらしく、トレバー氏自身は「友達がやってみせた一発芸を息子がずいぶんと面白がっている」くらいにしか思っていなかったらしい。
(この頃はホームズですら一発芸としか思っていなかったので無理もないが)

酔ったトレバー氏は「ではホームズくん、わしを見てなにか気づいたことがあるなら教えてくれんかな?」と笑いながら言うと
ホームズも得意げに話した。

あまり大したことはわかりませんが、ここ一年以内にあなたは誰かに襲われることを警戒していますね。

トレバー氏の顔から笑いが消えて、なぜわかったのかを問いかけた。有罪判決を出した密漁団から報復を宣言されていたのだった。

あなたの使っている上等なステッキですが、作ってから一年も経っていないのに握り手の部分に鉛を詰めて重くしています。
そんな武器を用意するということは何か危険を予期しているのでしょう。

説明を受けて納得したトレバー氏は再び笑った。
他には何かわかることはあるかな?
若いころにずいぶんボクシングをされましたね。
その通りだ!なぜわかったのかね?わしの鼻が殴られてへこんでいたっけかな?
耳です。ボクシングをやっている人間は耳が分厚くひらべったくなっています。*4
なるほど納得だ!どんどん話してくれないか!
手に大きなたこができています。採掘仕事をなさっていましたね。
わしの財産は金鉱で作ったんだ。
ニュージーランドに行かれたことがありますね。
その通りだ。
日本にも行かれましたね。
うむ。


あなたはJ.Aというイニシャルの方と非常に親しかった。ですが今はその人物のことを忘れようとしていらっしゃる。
……


その言葉を聞いたトレバー氏は立ち上がり、ゆっくりとホームズを見た後にそのままテーブルのナッツの殻に顔を突っ込んで失神した。
それまで酒の席で楽しく話していたホームズとビクターは驚愕し、慌ててトレバー氏を介抱する。
幸いなことに失神は長くは続かずトレバー氏はすぐに意識を取り戻して告げた。


ああ…お前たちよ、すっかり驚かせてしまって申し訳ない。
わしの体は頑丈に見えるが年のせいか心臓が弱ってしまってな。ちょっとしたことでこうなってしまうがもう大丈夫だ。
ホームズくん、できればなぜわかったのか、 どこまでわかっているのか 教えてもらえまいか?
トレバー氏はすっかり回復して冗談のようにおどけた口調で尋ねたが、内心ではまだ 困惑と恐怖 が渦巻いているのが見て取れた。
ホームズもトレバー氏に配慮しつつ問いについて答えることにした。
あなたが池で魚を取ろうとしたときに、腕まくりをすると入れ墨が見えました。
J.Aというイニシャルがまだ判別できたのですが、にじんでいたので後から消そうとしたのがわかります。
だからあなたはJ.Aという名を彫るほど思い入れがあったが、後からそれを見たくないと思うようになったと考えました。

まるで千里眼だ!書物や空想の名探偵たちもホームズくんと比べれば赤子のようなものだ。
推理と探偵こそホームズ殿の天職であろう。 多少は世の中を見てきた老人のたわごとと思ってもいいが、考えてみてはどうかな。

ホームズにとっての生涯の武器である 観察と思考 は、これまではただの趣味や道楽、研究材料くらいにしか思っていなかったが
この時のトレバー氏の言葉が「これを生きていく道にする」と決めたきっかけであり、ホームズの行動指針となったのだった。
しかしホームズがそれを意識するのは 少し経って落ち着いてから であり、この時点ではトレバー氏の容態だけが気がかりだった。
ホームズは不躾な推理でトレバー氏の気分を害したことを詫び、トレバー氏は何とも思っていないというような態度で撞球と葉巻に誘う。

しかしトレバー氏はこの件から明らかに ホームズを恐れていた。
この若者はあの場で話したこと以外のことも見抜いたのではないか?という疑念をぬぐうことができず、
もちろんトレバー氏は表面上の疑念と恐怖を隠そうとはしていたが、息子のビクターでも見抜けてしまう有様だったのだ。
そんな状況で楽しい夏休みを過ごすことができるわけもなく、ホームズは当初より早くトレバーの屋敷を去ることに決めた。

ホームズが屋敷を出ると決めた日の朝、トレバー親子とホームズが屋敷の庭でくつろいでいると一人の訪問客が訪れる。

訪問客は身なりの崩れた不格好な男だったが、その人物を見るとトレバー氏は奇声を上げてたじろぎ、
慌てて部屋の奥に引っ込んだかと思うとすぐに出てきたが、ブランデーを呷っており素面では対応できなかったようだ。
訪問客はハドソンと名乗り、トレバー氏が昔採掘の仕事をしていたときに知り合ったのだという。

そう、俺がハドソンさ。最後に会ってから30年かな?あれからあんたは自分の屋敷を持ったが、俺は未だに船の塩漬け肉を食ってるのさ。
ちっ、わしが昔のことを忘れてなんかいないことはすぐにわからせてやるさ、台所に言って何か飲み食いしよう。それから仕事も見つけてやる。
ありがたいね。貨客船の仕事がちょうど満期で、ちょっとのんびりしたいと思っててな。あんたかベドーズさんのところならきっと世話になれると思ったんだ。
なんだと!?ベドーズの居場所を知っているのか?
昔の友達の居場所ならみんな知っているよ。
ハドソンはそう笑いながら言うとメイドに案内されて好きなように飲み食いし、ソファで大いびきをかいて寝ていたのだった。

ホームズからすればこの日に屋敷を去ることを元から決めており、自分が残っていてもトレバー氏の心情を害することは変わりないため
ハドソンについては不快な思い出ではあったが、予定通り屋敷を去って学寮に戻ったのだった。

変化

ホームズは一人で学寮に戻り7週間ほど研究に没頭していたが、秋が深まったところでビクターから 絶対的ナ危機デ助力ヲ乞ウ という電報が届いた。
即座にホームズはドニソープへ向かい、駅でビクターと再会して馬車の中で話を聞く。
ホームズが屋敷を去った日、あのハドソンという船乗りが訪れてから7ヵ月の間、トレバー氏には安らげる日はなく、
今のトレバー氏は脳卒中を起こして死にかけており、このまま意識が戻らず召されることもありえるらしい。

ビクターが順を追って説明すると、初めてハドソンがトレバーの屋敷に来た日のこと。
トレバー氏はハドソンのことを「昔の大事な知人」として庭師の仕事を与えた。
ハドソンはそれに不満を述べたので執事に格上げした。*5

それからハドソンは屋敷内で好き勝手をしていた。
酒や料理を自由に飲み食いしてメイドにも悪い態度を取りまくり、
主人のために整備すべき上等な銃で猟場を荒らす。
他の使用人たちも我慢ができなかったためにトレバー氏は全員を昇給してなだめなければならなかった。
熱血漢のビクターがぶん殴ってやろうと思ったのも20回では済まなかったが、年長者であるがために遠慮していた。

しかし立場上の主人であるトレバー氏にすら無礼な言葉を吐くハドソンにぶち切れてビクターが怒鳴りつけたところ、
ハドソンはその場では引っ込んだが、次の日にトレバー氏がビクターの部屋を訪れて ハドソンに謝ってもらえないか と頼む始末だった。

ビクターはそれを突っぱねた上に、ドニソープの名士で治安判事である父がなぜあんな悪党に従っているのかと問いかけた。
ああ息子よ。お前の心持ちはわかる。だがこの父の心痛もわかってほしい。
いやわからないだろうしその方が良いのだが、いつかはお前もそれを知ることになるだろう。
トレバー氏はそれから書斎にこもって少しづつ書き物をするようになったという。

その夜の晩餐時、ハドソンは この家を出ていく ことを宣言する。
ビクターや他の使用人にとっては願ったり叶ったりでしかないのだが、トレバー氏は顔色を変えた。

ノーフォークはもう充分さ。ハンプシャーのベドーズのところにでも行こうと思う。あちらもあんたと同じように歓待してくれるだろうさ。
ハドソンよ、ここを出ていくというのはまさかと思うが気分を害して嫌になったからだとは言うまいね?
この会話の時点でビクターは頭に来ていたのだが、
(ビクターの方を見ながら)まだ謝ってもらっていねえな。
ビクター、お前はこちらの立派な紳士に少しばかり我慢が足りなかったとは思わなかったかね?
ビクターからすれば今までのハドソンの所業に怒り心頭なところ、父であるトレバー氏にまで謝るように促されて激昂しハドソンを逆に罵倒する。

おうそうか坊主!今に見てろよ!
ハドソンは叫ぶと屋敷を飛び出し、それから戻ってくることはなかった。

ビクターはせいせいしただけだったが、トレバー氏は頭をかかえて悩むのだった。
しかしそれからしばらくの間は何も起きず、トレバー氏も少しは気が晴れたように見えた矢先、トレバー氏の元に 手紙が届く。

その手紙を読むとトレバー氏はショックで絶叫し、部屋の中を歩き回りながら自分の頭を両手で叩き続け、瞼や口が引きつっていた。
脳梗塞の症状が出ており医師を呼んでも適切な対処ができなかった。
それからビクターはホームズを呼んでこうして馬車に乗っているが、おそらくこのまま意識が戻らないと思われる。

ホームズは説明を聞いて大いに恐怖した。
手紙を見ただけでそこまでのショックを受ける内容とはいったいなんなのだろうか。
ホームズ、君が来てくれて本当にうれしいんだ。俺は君の観察と分析の力を信じている。だから君なら最善の回答を出せると思っているんだ。

そのホームズが手に取った手紙、フォーディンガムの消印で届いた手紙の内容がこれである。


狩猟対象の供給(ロンドン向けの)が着実に向上している
"The supply of game for London is going steadily up,"
狩猟場長ハドソンは受け取っていると我々は信じている、蝿取り紙とあなたの雌雉の命の全ての注文を。
"Head-keeper Hudson, we believe, has been now told to receive all orders for fly-paper and for preservation of your hen-pheasant's life."

ワトソンが初めてこの手紙を見た時と同様、ビクターもこの内容が理解できなかった。
少なくともトレバー氏が失神するようなことは書かれていない。
ホームズも最初は悩んだが、おそらく対象者だけが理解できる暗号のようなものになっていると推測する。

ホームズは色々と思考を巡らせる。

踊る人形の回でもホームズが暗号解読に触れているが、あちらのような換字式暗号のようには見えない。
蠅取り紙(fly-paper)や雌の雉(hen-pheasant)などの単語に対応するような別の意味があるのならば対応表を入手しない限り解読は難しい。
内容には「ハドソンが」と書かれているので、この手紙自体はハドソンが書いたのではなく違う人物が書いた可能性が高い。
そういえばハドソンは「ハンプシャーのベドーズのところへ行く」と言っていたが、フォーディンガムはハンプシャー州である。
この手紙はハンプシャーからベドーズが送ってきたのではないか?

手紙をなんとか読もうとして逆から読んでみると「命、雌雉、あなたの…」で意味が通じない。
単語を一つ飛ばして読むと「The of for…」で同じく意味不明。
…とやっているうちに「 単語を2つ飛ばして読む 」という仮定を試みた。


狩猟対象の供給(ロンドン向けの)が着実に向上している
"The supply of game for London is going steadily up,"
狩猟場長ハドソンは受け取っていると我々は信じている、蝿取り紙とあなたの雌雉の命の全ての注文を。
"Head-keeper Hudson, we believe,has been now told to receive all orders for fly-paper and for preservation of your hen-pheasant's life."


全てが終わった。ハドソンがみんな話した。命惜しくば逃げよ。
The game is up, Hudson, has told all, fly for your life.

ビクターによるとハンプシャーのベドーズはトレバー氏の友人で自分の狩猟場を持っている人物であり、
ハドソンはエバンスとベドーズの弱みを握っていたらしい。それはバレると命を取られるよりも恥辱な秘密のようだ。
ハドソンはエバンスの次にベドーズを脅迫して、ベドーズがそれを知らせる手紙を書いたのだった。
手紙の本意を隠すために適当な単語を入れる際に自分にとって馴染みのある狩猟の用語を入れたのだろう。


グロリア・スコット号

ビクターとホームズを乗せた馬車が屋敷に着いた時にはすでに トレバー氏は息を引き取っていた。
二人はトレバー氏の寝室へ向かいながら医師に話を聞く。
トレバー氏は最後に「日本箪笥の引き出しの後ろの書類」とだけ言い残し、そこには手書きの書類が残されていた。
ビクターは自分でそれを読む気力がないため、ホームズに読むように頼んだ。

その書類を預かっていたホームズは、ビクターに読んだ時と同じくワトソンにも読み聞かせていた。

バーク船グロリア・スコット号の特異な航海
1855年*610月8日 ファルマスを出港し、同年11月6日消息を絶つまで

愛する息子へ
今わしの人生の終局を迎えるにあたり、思わぬ不名誉が訪れるかもしれない。
わしはそれについて全てを正直に書き残そうと思う。
わしが今思い悩むのは、法を冒していたことではない。
今まで築いた地位や立場を失うことではない。
他者の好奇の目にさらせることではない。
わしを常に尊敬し、愛してくれる息子が、息子がわしのために恥ずかしい目に合うのではないかということだ。
わしが天に召されたとき、この手紙をお前が読んでくれれば
お前にわしの罪がなんであったかを知ることができるだろう。

しかしながら、もしも全てうまくいってお前になにも問題なくわしの訃報だけが届いたのならば
(できればそうあってほしいと神に願うが!)
わしの愛にかけて、お前の母の記憶にかけて、ここから先の手紙を火にかけて誰もこの先を見ないようにしてほしい。









もしお前がここの箇所を読んでいるならば、私の秘密が暴露されて逮捕されているだろう。
いや、知っているだろうが、わしの心臓は弱っているからそれより先に死んでいるかもしれない。
どちらにせよ隠しておかねばならない時期は終わった。
ここからお前に告げる内容はすべて事実で、神の慈悲にかけてこれを誓う。

ビクターの父トレバーとは後年に名乗った名前であり、
かつては ジェイムス・アーミテイジ という名前だった。
ホームズが推理で示した「腕にJ.Aの入れ墨」とはかつての自分のイニシャルを自分で彫ったのだった。
ジェイムスはかつてロンドンの銀行で働いていたのだが、借金の穴埋めのために銀行の金に手を付けた。
なお、「全てを正直に書き残す」と言いつつ横領のきっかけになった借金の理由については「深く聞いてくれるな」とシレっと隠し通すという姑息な真似をしている
返す当てがある金であったのだが、この時に限って利子が膨らんだ上に銀行の監査も予定より早く行われた。
現在であればある程度温情はあったのだが、当時の英国の法律はジェイムス・アーミテイジをオーストラリアへの流刑とした。
クリミア戦争が盛んな時期、輸送船の余裕はなく、本来のものよりはるかに劣悪な船グロリア・スコット号が使われた。

当時の囚人輸送船などは流刑地に着くまでに囚人がバタバタ死ぬような劣悪な環境だったが、
グロリア・スコット号はさらにひどいボロ船だった。
しかしそのために本来起きえない事象が起きてしまう。
本来の輸送船よりはるかにボロいということは 囚人同士での会話や物資の流通が容易にできてしまうということだった。
ジェイムス・アーミテイジが押し込められた房の隣にはジャック・プレンダーガストが収監されていた。
ジャックは才覚ある大犯罪人であり、全英を巻き込んだ詐欺事件で逮捕されたのだが、
その総額25万ポンドを金塊に変えて船内にひっそりと持ち込んでいたのだった。

プレンダーガストはあらかじめグロリア・スコット号に自分の仲間を買収して潜入させており
船内に金塊と銃、買収した仲間を船員として入れていたのであった。
そして船が外海に出てから反乱を起こして乗っ取り、外国で遊んで暮らす計画を立てていたのである。
プレンダーガストはジェイムスが仲間として使えそうな男と判断して計画を打ち明け、反乱の手駒を増やす。

その計画はうまくいき、プレンダーガストとジェイムスは助けがこない外洋で反乱を起こし、正規の船員を皆殺しにする。
つまり元から買収されてない正規の船員や兵士の大半を射殺して海に捨てたのである。
反乱の決着がついた後もプレンダーガストは降伏して武器を捨てた船員や仲間にならなかった囚人も容赦なく殺そうとするが、そこでジェイムスは止める。
プレンダーガストは万が一ばれる可能性を考慮して誰一人残さず皆殺しにすべきと説くが、
ジェイムスは脱出したいから反乱に協力したが、無抵抗な船員まで殺すべきではないと反対し、それぞれに同調者がついて反乱者が二分してしまった。

協議の結果、プレンダーガストはこのまま船に残って船員を殺しつつ金塊も確保する。
ジェイムスたち穏健派は脱出ボートに水や食料を積んで降りることにした。
その穏健派といっても反乱に参加したのは間違いないためバレたら絞首刑であるので、わざわざバラさないだろう。
船員の服を着て船が難破したと証言すれば誰も疑わない。

こうして穏健派を切り捨てたプレンダーガストは残った船員を殺そうとするが、
船員が最後の抵抗で灯したマッチか過激派の発砲が残っていた火薬樽に引火する。
皮肉なことに敵対者を全滅させようとしたプレンダーガスト一派は全滅し、穏健派は生き残った。
ジェイムスはグロリア・スコット号の爆発に気づいてボートをそちらに向けたが 一人の生存者 を除いて何も発見できなかった。
その生存者はハドソンという若い船員で、ひとまずボートに乗せたが消耗していたのですぐに失神した。
ボートはその後救助され、ジェイムスとハドソンはそれぞれ別々に回収された。
ジェイムスともう一人の仲間エバンスはシドニーにたどり着いて、そこで名前を変えてトレバーとベドーズとして新たな人生を歩む。
世界中を回って金持ちになって、イギリスの田舎で地位も得たのだった。

しかしそこでハドソンが戻ってきた。
どうしたのかは不明だが、過去の悪事を知っており二人を脅迫して金を得ようとした。
ジェイムス…トレバー氏は過去を明かされる恐怖で震え上がった。
そして息子のビクターがハドソンを怒らせたことからもはや秘密を隠すことはできないと諦めてこの手紙を書いたのだった。

手紙の最後に後から書かれたと思わしき一行が震える字で書かれていた。
ベドーズが暗号で私に伝えてきた。Hが全てバラしたと。神よどうかお慈悲を。*7

まとめ

ここまでがグロリア・スコット号の事件の全てである。
結局、トレバーたちの過去が公になることはないまま、ハドソンとベドーズは行方知れずとなった。
目撃情報から警察はベドーズ邸周辺にいたハドソンがベドーズを殺害し逃亡したと判断したが、
ホームズは逆に早合点して絶望したベドーズがハドソンを殺した後にどこかへ逐電したと推理している。



息子のビクターは今回の件でショックを受けたものの、立ち直って事業で成功を収めた。
そしてホームズは現在の道のきっかけとなった「観察と推理」を初めて活用する機会を得たのである。
ワトソンはホームズから「君のコレクションに役立つなら好きに使っていいよ」とのお墨付きを得て事件のコレクションを得ましたとさ

ホームズは後にかつてのトレバーのように過去の罪が自分の子に暴露されるかもしれない恐怖に苦しむ老人と出会う事になるのだが、その際にホームズは彼がトレバーの二の舞をならず安らかに逝けるよう立ち回る事になる。
その気遣いをワトソンが台無しにしたのは別の話


追記・修正は遺言をきちんと残してからお願いします。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

最終更新:2026年08月16日 00:24

*1 残りの2つは『白面の兵士』と『ライオンのたてがみ』でこちらは最初から最後までホームズの一人称となっている。

*2 ホームズのいた大学はオックスフォードかケンブリッジのどちらかだろうと考察されているが、当時は学寮(コレッジ)に加入して教官や学生間のつながりを密にする必要があり、孤独に研究をやっていくのは相当に優秀また周りに流されない変人でないと難しい。

*3 地方の軽微な案件を任された裁判官。実務能力よりも「ま…まああんたほどの実力者が無罪というのなら………」と納得させられるような地元の名士が選ばれる。実際に重責なのに無給の名誉職なので本当の名士でないとそもそも受けられない。

*4 格闘技で頻繁に打撃や圧迫をされると耳が変形する。「柔道耳」「ボクサー耳」という名前が付くほどには典型的な症状。

*5 Butlerは使用人達の中で最上級の役職であり、屋敷全般を管理する重責と使用人を取り仕切る能力が求められる。もちろん相応の教育や経験がなければ勤まる業務ではない。

*6 「クリミア戦争(1853-1856年)の頃」という説明からも西暦はこの辺で妥当なのだが、ハドソンがトレバー氏と会った際、「最後にあったのは30年以上前」と言ってたりトレバー氏の手記で自分が刑罰を喰らったのを「30年前」という描写があり、そのままだとハドソンとの再開が1885年以後(ホームズとワトソンが出会ったのが1881年)になってしまう。無難に解釈すると実際は20数年程度(仮にちょうど25年前なら1880年でワトソンと出会う1年前になる)だが、2人ともかなり大雑把に繰り上げていっている(ハドソンの場合はここでバレても困るので年をごまかしている可能性も)といったところか。

*7 暗号の手紙を見てショックで卒中を起こした後に、箪笥の奥にしまったこの手紙に加筆してまた隠してから倒れるのは無理じゃないか?とよく突っ込まれている。