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ビガロ(プロレスラー)

登録日:2026/04/14 Tue 17:33:45
更新日:2026/05/28 Thu 08:19:04
所要時間:約 8 分で読めます




クラッシャー・バンバン・ビガロ(Crusher Bam Bam Bigelow/本名:Scott Charles Bigelow)米国のプロレスラー。故人。(1961年9月1日〜2007年1月19日(享年:45歳))
ニュージャージー州アズベリー・パーク出身。
本名はスコット・チャールズ・ビグロー(例の如くでカタカナ表記&ガバガバ日本語発音だっただけで普通の人名だったんかーい。)

単に“ビガロ”や“バンバン・ビガロ”の呼び名でも親しまれた。
肥満体型の巨漢な上に剃り上げた頭部を隈無く覆った入れ墨(刺青)というインパクトのある姿で、どう見ても悪役(というか実際に悪役(ヒール)専門だった筈なのだが……。)にも関わらず、それでも隠しきれない好い人オーラからかベビーフェイスどころかマスコット的な人気をも獲得。
バラエティ番組にも出演するなど、一般層にも知名度が高い人気者であった。

また、後述のように自他ともに認める“プロレスの名人”であり、参戦した団体にて難しいと思われる仕事も頻繁に任されていた実力者であった。
ニックネームは米国ではBeast From The East(東から来た獣)(ニュージャージー州出身だから?)、日本では刺青獣など。
入れ墨は頭部のみならず腕などの大部分にも入っており、一貫してファイヤパターンの全身タイツ風コスチュームを愛用していた。



【人物】

80年代に大柄でマッチョでTV映えする大男専門のプロレス養成所として知られていた、ラリー・シャープ主宰の“モンスターファクトリー”でプロレスを学んで85年にデビュー。
過去の経歴は明かしていないもののレスリングの下地でもあったのか、それとも単に地頭の良さから吸収力が並外れていたのか、養成所時代から卓越したテクニックとレスリングセンスを発揮していた。
見た目だけでも充分に売り物になるのに中身はフレアー級のプロレスの名人というギャップもあってか各種の団体にて確実に仕事を任せられる存在として重宝された。

公証190cm¢越え/160kg越えという破格のサイズの持ち主にも関わらず、特筆すべきは途轍もない運動能力の高さ
新日本プロレスでは、後から似たような体型のベイダーも参戦するようになったために若干のキャラ被りをしている感もあったのだが、ビガロの場合は圧倒的な陽キャ感と動きの速さ=パワーのベイダーとスピードのビガロという感じで充分に個性を付けられていた。
……実際にはビガロのパワーも体格通りで並外れていたのだが。

最初に世間の注目を浴びる切欠となったのは87年の新日本プロレスへの参戦であり、養成所の看板ということなのか主催者で師匠のラリー・シャープ自らがマネージャーとして帯同、猪木と対戦したり前田を破るなど破格の扱いを受けていた。
この時の活躍を受けてか、ほぼ同時進行で本国ではWWF(現:WWE)にも参戦。
当初は単発参戦ながら実力派の中堅〜若手を相手に勝利を重ねるという扱いを受け、レギュラーでの起用が決定的となった時にはヒール陣営の大物マネージャー達が挙ってプロデュースをしたがった程だったとのこと。
しかし、本国でも“人の好さ”は隠せなかったのか、結局はベビーフェイスに転向することとなり、看板であるホーガンのパートナーに抜擢された他、シングルでもヒールの大物達と対戦した。

しかし、アメプロが肌に合わなかったのか1年半程で離脱すると暫く新日本プロレスを主戦場にするようになる。
当初は自分が居ない間に入り込んでいたベイダーと抗争するなどしていたものの、後には当人の性格もあってか自然とNo.2位のポジションに定着。

89年には“ソ連レッドブル軍団”として、新日本プロレスが招聘して来た旧ソ連のアマレス軍団がプロレスで通じるのかの試験役として初戦の相手を務めた。
そして、90年には元横綱・双羽黒こと北尾光司のプロレスデビューの相手を務めたりと新日本プロレスにとっても重要な役割を果たしている。
同年には、続いて全日本プロレスとの交流の中で越境して全日のシリーズへも短期参戦。
ここでも試合巧者ぶりを見せつけてインパクトを残し、殺人魚雷コンビとの外国人対決や、ハンセンと組んでいたからとはいえ三沢&小橋のタッグにも勝利したり、川田とのシングルでも勝利するなどの好待遇を受けた。 
……これ程の扱いをしたのだから当然のように全日本プロレス(馬場)は本格的な獲得を狙っていたのだとも言われるのだが、一説では元子夫人がビガロの容姿(入れ墨)を嫌って迎え入れるのを嫌がったという噂も。

91年にはスコット・ノートンや、橋本真也との対戦を経てプロレスに転向していたスーパーヘビー級ボクサーのトニー・ホームのプロレスデビューの相手を務める。
同年暮れには蝶野正洋とタッグを組みタッグリーグ戦に出場。リーグ戦のみのコンビで終わったがアメブロに通じた玄人同士の相性の良さからかファンの記憶に残る活躍を残す。(嫉妬した武藤曰く「俺のほうがビガロに合うのに」)

92年は最後の新日本プロレス参戦の年となったが、ここで、かつては敵対していたベイダーとタッグを結成。
武藤&馳を破りタッグ王座を獲得すると、スタイナーブラザーズに破れるまでベルトを保持と最後まで実力を見せつけたが、惜しまれつつも新日から離脱。

離脱後は直ぐに各団体から声がかかり、日本ではFMWやWAR、米国でもWWF、WCWにECWと、当時の有名団体に順番に呼ばれるような人気ぶりであった。

93年からは再びWWFに定着。
今度はヒールに回帰してテッド・デビアスの率いる“ミリオンダラー・コーポレーション”の用心棒役としてトップ戦線に迎え入れられて活躍。
その後の独り立ちでもマネージャーとなったルナ・バションとバカップルを演じるなど、以前よりもアメブロの色に染まった活躍を見せた。

とはいえ、やっぱり本人の志向としては日本のプロレスの方が性に合っていたのか、94年にはWARに度々に参戦。
しかし、WWFでもビガロを放っておかず95年に入るとWWF王者として長期政権路線に入っていたディーゼル(ケビン・ナッシュ)と抗争させて幾度もタイトルに絡む活躍をした。
同年のレッスルマニアXIではメインベイトで元NFLのローレンス・テイラーの相手役を務めるなど、相変わらずの仕事人ぶりを発揮するがWWFからは離脱。

96年には、当時に話題となっていた総合格闘技の勃興の動きの中でU-JAPANが開催。
キモと“入れ墨対決”を行うも破れる。

97年より、学生時代からの友人であるポール・ヘイマンが舵取りをすると共に熱狂的な人気を呼んでいたECWにてプロレスに復帰。
コミカルさや親しみやすさを封じた強面の実力者の役割を果たし、当時のトップであったシェーン・ダグラスやタズと抗争を展開してベルトも獲得した。
また、ハードな受け身でカリスマ的な人気を博していたスパイク・ダッドリーとも抗争し、スパイクの限界を際立たせるような仕事人ぶりを見せた。
ECWとの提携の関係から、その中でハードコア路線で売っていた新生FMWにも参戦。

その後はWCWに移り、同郷という関係からダイヤモンド・ダラス・ペイジ、クリス・キャニオンと“ジャージー・トライアド”なるユニットを結成。
タッグ王座を3者共有のものであると主張しつつタッグ戦線で活躍。
また、ECWでの活躍を受けてかシングルではハードコア路線を任されて王座を獲得。

……が、こうして相変わらず安定した活躍を見せていたビガロだったが00年7月に近所にて火事が起きた際に巻き込まれた子供を大火傷を負いながらも助け出すという事件(アクシデント)が発生。
ビガロの人間性が窺える美談ではあるが、この時の後遺症によりプロレスからはリタイア状態となってしまう。

その後はハンバーガーショップの経営に携わるなどしていたようだが、05年10月にバイク事故を起こして同乗していた当時の恋人を死なせてしまうというニュースが報じられた。
ビガロも鼻骨を折る重傷で、死亡した恋人がヘルメットを着用していなかったことから取り調べを受けるも事件性は否定された。

そして、07年1月にフロリダ州ハドソンの自宅にて死亡していたことが報告される。
享年45歳。晩年の生活の詳細は明かされていないために死因も不明のままである。

【ファイトスタイル】

恵まれた体格と運動神経に加え、レスラーの中でも名人級のレスラーと同等かそれ以上の試合巧者ぶりで内外から多大な評価を受けていた。

その技術は自ら「箒ともダンスを踊れる」と豪語する程で、つまりは一人で相手が何もしなくても自分がいれば試合を成立させてやると言っているも同然であり、実際にそれ程の仕事も熟して見せた名人の中の名人であった。

それでいて、バカでかい身体で軽々と側転や宙返りを行う分かりやすいアピール力も兼ね備えており、キャリア後期にはハードコア路線にすら対応してしまえていた規格外の才能の持ち主であった。

……プロレスの慣例通りに“巧すぎる”が故に便利屋的なポジションに収まってしまった感はあるものの、それ以上に参戦した団体の為に大きすぎる仕事を成功させてみせた偉大なプロであった。

【得意技】


  • グリーティングス・フロム・アズベリー・パーク
ビガロ最大の必殺技で、相手をボディスラムの体勢に捉えておいてから開脚しつつ脳天をマットに打ち付けていく変形リバース・パイルドライバー。
ミスター雁之助の“ファイヤーサンダー”と同型。

  • バンバン・サルト
少し捻りを加えながら放つムーンサルトプレス。
インパクトも充分で、フィニッシュになることも多かった。
同じくらいの巨体でムーンサルトというとベイダーの方が有名だが、スピード感や飛距離ではビガロの勝ちである。
……ぶっちゃけ、超必殺技感のあるベイダーに比べるとプレミア感が足りないのは、余りにも軽々と飛ぶので見る側も麻痺していたのであろうか。

  • ニュークリア・スプラッシュ
ボディプレス。
ランニング式とコーナーポストから放つものがある。
これも巨漢レスラーの代名詞でフィニッシュとしても多用された。

  • ワム・バム・サンキュー・マム
ダイビング・ヘッドバッド。
これも、フィニッシュとしても多用。

  • ミリタリー・プレス
巨漢レスラーの代名詞。
相手をリフトアップしてからスライドさせるように落とす技の総称。
蝶野とのコンビでは蝶野を抱え上げた後でダウンした相手に落としてフォールを奪わせる連携技を見せていた。

  • エンズイギリ
ビガロは、巨体ながら相手に片足を取らせておいてからカウンターで放つパターンを多用した。

  • ドロップキック
巨体でもドロップキックを使う選手自体は少なくないが、何とビガロはこのサイズで“宙返り式”(相手にキックを当てた後に縦方向に1回転してうつ伏せに着地する型)が出来た。

  • ブレーンバスター
怪力と体格を活かして、ワンハンド(片手保持)でしかも長滞空させてから落とすこともあった。

  • 側転
巨体ながら軽々とこの程度の動きは熟し、若手時代の武藤に触発されたのか自らも軽々と側転エルボー(スペースローリング・エルボー)を披露したこともあった。

【余談】

往年のプロレスゲーム・ファイアープロレスリングシリーズにも登場。
…しているが、本作は権利の関係か全てのレスラーが元ネタがわかる程度か、あるいはまったくの別物に名前が変更されている。大体は顔のグラフィックで察せられるが
ビガロの場合はというと「スマッシャー・ガンガン・ギガス」という素晴らしいワードセンスが光るインパクトある名前となっており、プロレス大好き芸人のケンドーコバヤシもテレビ番組で引き合いに出した事がある。

スーパーボンバーマンにはステージ1のボスとして「ビガロン」というキャラが登場するが、
ステージ4に大仁田厚がモデルと思しき「メカオニタ」というボスがいるためビガロンもビガロが元ネタの可能性がある。

追記修正は側転を決めながらお願い致します。

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最終更新:2026年05月28日 08:19