人造湖


そこは、外輪山にぐるりと囲まれて
擦り鉢状になった、巨大なカルデラ
盆地であった。裏側から見た鬼哭関が
外輪の一画を形成しているのが眺望
できる。盆地の中央には岩山が高く
聳え、そしてその頂上に、羽化直前の
サナギのようにあの自走砦が鎮座して
いた。

しかし、今やそこは盆地ではなかった。
外輪の切れ目を鬼哭関が塞ぐとともに
大量の水が注入され、人造のカルデラ
湖となって砦への道行きを阻んでいた
のである。砦は湖面に浮かぶ孤島の
如く、そしてその上空では乱雲が渦を
巻き、異界への扉が着々と開き続けて
いることを示していた。

D・S:
……さすがに驚いたぜ。鬼忍将の奴、
人造湖まで用意してやがったとはな

ヴァイ:
さっきの水音は、ここに注水する音
だったのかよ!

D・S:
ってコトは、あの時コッチに来てりゃ
この湖ができる前に砦まで渡れたかも
知れねえワケだよな? 水攻めとか、
言い出しっぺのヴァイくん?

ヴァイ:
え……そ、そうかも……

D・S:
せっかーん! ホラ反省しろっ!
こうしている間にもシーラはどんな
ハズカシー目に遭わされてるか……

ヴァイ:
ひいいっ! ツネらないで! 痛い
けどガマンしますぅ

D・S:
ま、この水量を考えるとどのみち間に
合わなかっただろーケドな

ヴァイ:
あ、アンタなぁ……いつか殺ス!

サイクス:
破界門の暴走は食い止めたようだな。
シーラ姫が強く抵抗しているのか、
門が完全に開いてしまうまでにはまだ
しばらく時間がありそうだ

D・Sの懐で、ヨーコ球がシーラを
気遣うように身震いした。天空の門は
あまりに禍々しく、それを開くために
シーラがどのような責め苦を負って
いるのか、思わず想起させられる
不吉な眺めであった。

D・S:
……今、ここで俺たちにできることは
なさそうだな

D・S:
さっきの、もうひとつの谷間に行って
みるか――

D・S:
洞窟の分岐点まで引き返すぜ。もう
一方も調べてみねえとな――

その時、弦によって紡がれる悲しげな
旋律が、すぐ近くから響いてきた。
見ると、湖水に面した岩場にひとりの
吟遊詩人が竪琴を奏でていた。
美少年、とも見える出で立ちだったが、
そのバードは明らかに女性であった。
男装の麗人は悲哀に満ちたメロディを
爪弾き、そこに美しい声を乗せた。

伏せた睫毛をゆっくりと持ち上げ、
バードは歌に聴き惚れていた一行に
憂いに翳る瞳を向けた。

シェラ:
私の名はシェラ。大地の声を聞く
ドルイダスの血を引く者。この地に
眠る龍の声に乞われるまま歌ったが、
あなたたちに聞かせるためだったのか

D・S:
お前、龍について何か知ってるのか

シェラ:
断片的に、一方通行で声が聞こえて
くるだけだ。私はそのイメージを歌と
曲に仕立てることしかできない

シェラ:
……私は、この地の自然がねじ曲げ
られているのがとても辛い。大地の
苦悶に自分の身が引き裂かれるようで、
その痛みを和らげるために歌っている

シェラ:
だが、このような間に合わせの楽器
では思う通りの音色さえ出せない。
ああ、私が調律した竪琴さえあれば、
この大地の痛みを癒せるものを……

D・S:
そう言やあ、前に妙なことで楽器を
拾ったな、ヴァイ?

ヴァイ:
あーあー、あの次元の裂け目でね。
俺たちに弾けるワケでもないし、
あげちゃったら?

シェラ:
そ、それは! 何と言う偶然か!
いや、それともこれは大自然に宿る
神の導きなのか……私の、私の竪琴に
ここで巡り会えるとは!

満面に喜びの表情を浮かべたシェラは、
それまでよりもずっと、本来あるべき
美少女らしさを取り戻していた。受け
取った竪琴を軽く掻き鳴らし、音階を
確かめるようにして、先刻より遥かに
心に沁みる調べを、彼女はひとしきり
奏でてみせた。大気に満ちた重苦しい
気配が、すっと溶けていくようだった。

ヴァイ:
ブラボー!

シェラ:
ありがとう。あなたたちが竪琴を
もたらしてくれたおかげで、私も耐え
難い苦痛から解放されたようだ。靄が
かかったようだった記憶も、少し……

シェラ:
……あなたは、D・S? そうだ、
間違いない

D・S:
お前も、俺を知っているのか

シェラ:
今は知っている以上ではないが……
良ければあなたの旅に私も加えては
もらえないだろうか? 大地の導きは
あなたとともにあるように思える

D・S:
そりゃ構わねえぜ。ただしあの砦を
目指してるんだ、女にはなおさら楽な
道行きじゃねーぜ

シェラ:
覚悟しよう

イングヴェイ:
……どこかでお会いしたかな

シェラ:
さあ……でも、あなたから懐かしい
気配が旋律となって流れてくる

シェラ:
大地の龍は巨大な雷の力と、妖気を
秘めた鋼の力で地の底に縫い止められ
ていると叫んでいる。今、私の心に
届いてくるのはそれだけだ

シェラ:
ああ! しかし駄目だ! こんな歌
では大地を苛む痛みを一時たりとも
止めることはできない! 私の記憶も
靄がかかったようで……

シェラは竪琴を叩きつけるように掻き
鳴らした。不協和音が響き、鋭い音を
立てて弦が切れる。弾けた糸が彼女の
手に細い傷跡を刻んだ。

イングヴェイ:
シェラ! 大丈夫か!?

ヴァイ:
お、おい! 大丈夫かよ!?

シェラ:
痛……すまない。見苦しいところを
晒してしまった。私は行かなければ。
自分のイメージ通りに曲を奏でられ
なくては、吟遊詩人として失格だ

シェラ:
今のままでは、己の求めるものを
見定めることすらできない。また
会おう……あ、あなたの名は……

D・S:
D・Sだ。再会できる予感がするぜ

イングヴェイ:
では、いずれ――

去り際、シェラは振り返って告げた。

シェラ:
……大地の龍は巨大な雷の力と、
妖気を秘めた鋼の力で地の底に縫い
止められていると叫び続けている。
あなたたちの役に立てばいいが――










湖畔に沿って歩ける道は、水面に細く
突き出た桟橋状の岬で終わっていた。
その行き止まりに、編み笠を被った
男が背を向けて座り、湖面に釣り糸を
垂れている。

ヴァイ:
アイツ、何してやがんだ?

D・S:
釣りを楽しんでるって風体だが、
怪しいと言やこれほど怪しい態度も
ねえ。そもそも今さっき注水された
湖で魚なんか釣れるワケがねーだろ

D・S:
しかし、そんな見え見えの罠で
俺たちをおびき寄せようって考える
とも思えねえんだよな。ま、伏兵は
なさそうだし、近づいてみるか

ヴァイ:
どうだいオッサン? 釣れてるのかい?

バ・ソリー:
……ああ。たった今釣れたわい

ヴァイ:
へー、どこに?

バ・ソリー:
俺の後ろに大物がな……うりゃっ!

釣り人は身を翻し、一行に向き直った。
思っていたより大柄な男であった。
編み笠の下からは爛々と光る目が覗き、
男の野性的な容貌に、より獣じみた
危険な印象を与えている。口から唾を
撒き散らし、男は哄笑した。

バ・ソリー:
まさに完・璧! バ・ソリー様の
自然極まりない釣り人ぶりに騙され、
のこのこと近づいてきおってからに!
驚いたか、バカ者どもめぇ!

D・S:
バカはテメエだ。不自然極まりねえ
真似してやがって、面白えから見に
きただけだ。まさか本当にアレで罠を
張ってるつもりだとは、驚いたぜ

バ・ソリー:
なにぬぅ? ナマなま生意気抜かし
おってぇ! 結果としては同じでは
ないか!

ヴァイ:
正々堂々襲いかかってきても一緒
だったんじゃねーの?

バ・ソリー:
ううう……うやかましいうわあ!
とにかくオマエらはここで俺様の手に
かかって非業の最期を遂げるのだあ!

D・S:
はいはい。
テメエは鬼忍将の手先、と。
で、非業の最期を迎えたいワケだ。
いーだろう、相手してやるぜ!

バ・ソリー:
はんぐぐぐ……バカな……不死身の
俺様が負けるなんてぇ

バ・ソリーの全身の傷が、体内から
湧き出す小さな蟲の群れによって
急速に癒されていく。男は蟲使いと
呼ばれる異能の一族であり、肉体に
蟲を寄生させることで身体機能を
飛躍的に高める能力を有していた。
致命傷となる深傷も、宿主を護る
再生蟲が即座に塞いでいくのである。

D・S:
おおー、凄え回復能力だ! 魔力の
賦活でも不死化の呪術でもねえ!
バ・ソリーとか言ったな。こいつは
掛け値なしに驚いたぜ

その時、先刻捕獲した奇蟲の仮死体が、
至近の再生蟲の活動に刺激されたのか
急速に蘇生を開始した。荷物の中から
飛び出すと、体液を大量に滲ませるバ
  • ソリーに触手を伸ばし、水分を吸収
し始める。

バ・ソリー:
お、おおーっ! こ、これはっ!?
俺様が鬼忍将からもらい受ける約束の
奇蟲ではないかあっ! どどどど、
どうしてオマエらがこの可愛い奴を?

ヴァイ:
カワイイ、ですか……

もはやバ・ソリーに戦う意志はない
ようであった。愛おしそうに蘇生した
奇蟲を撫で、先ほどまでの野獣の
如き殺気が根こそぎ消えている。

バ・ソリー:
そうか……鬼忍将めが! 俺様を
利用するために、コイツが手の内に
いるかのような虚言を吐きおったか

バ・ソリー:
貴公らにはすまぬことをしたな。
可愛いコイツを保護してくれていた
恩人を殺そうとするなんて、このバ・
ソリー悔やんでも悔やみ切れん

ヴァイ:
いやあ、保護したっつーか……

D・S:
(シッ!)それにしても蟲使いって
凄えよなあ。再生能力だけでも大した
もんだぜ

バ・ソリー:
うふっ、そおか?

D・S:
そうだとも。で、オメエも鬼忍将に
いいように利用されたクチだよな。
どうだ? ひとつその力を役立てて
みねえか

ヴァイ:
(ナイス!)そうそうそれソレ!
ド悪党の鬼忍将をやっつけにいくのに、
蟲使いが仲間ならそりゃあ頼もしいよ
なあ

バ・ソリー:
うふっ、うふふふっ。そんなにか?
いや、俺様も鬼忍将は腹に据えかねて
おるからな。一緒に行ってもいいぞ

ヴァイ:
ホントですかあ! 嬉しーなあ!

D・S:
クックック(生きた盾ゲットォ!)

バ・ソリー:
そんなに喜ばれるなんて、俺様も
何か嬉しくなっちゃうなあ。ところで
奇蟲は貰っちゃっていいか?

D・S:
どうぞどうぞ

バ・ソリーは口を大きく開き、舌を
チョウチンアンコウの疑似餌のように
ひらひらと動かした。それを見た蟲は
吸い寄せられるように、蟲使いの口に
潜り込んでいく。喉が冗談のように
膨れ、それが胸から腹部へと移動して
いき、やがてバ・ソリーの体内に完全
に吸収された。

ヴァイ:
うげぇ……

D・S:
しかし、舟らしいものもねえなあ。
泳いであの砦まで渡るか?

ヴァイ:
まあ、遠泳のつもりならできない
距離じゃねえけどな

バ・ソリー:
やめたほうがいいぞ。鬼忍将め、
この盆地に水を注ぐと同時に、人など
丸飲みにできる大怪魚を放流しおった。
舟があっても渡れたもんじゃないわ

だが、急激な再生に伴う脳内物質の
分泌が、バ・ソリーを一時的な酩酊
状態に陥らせているようだった。

バ・ソリー:
これでは鬼忍将から約束の蟲が……
蟲がもらえないようおー、あへ?

大きくよろめいた瞬間、バ・ソリーは
岬から足を踏み外して湖に転落した。
と、にわかに湖面が波打ち、そして
水底から黒い影が浮上してくるや、
それは巨大な怪魚の顎となって、疑似
餌よろしく湖面でもがくバ・ソリーを
丸飲みに連れ去った。それほどまでの
大きさであった。

バ・ソリー:
ただ、だーずーげーでーゴボボ……

ヴァイ:
あの蟲使い、喰われっちまった……

D・S:
ま、あんなに高速で再生するヤツは
胃袋でも消化されねえだろうが――
それにしてもこの湖にはとんでもねえ
魚が放流されてやがるな

D・S:
泳ごうなんて考えなくて良かったぜ。
舟があっても、あんなのがいたんじゃ
とても砦にゃ渡れねえ

ヴァイ:
じゃ、どうすんのさ?

D・S:
何とかしてあの鬼哭関を解放するか、
ブチ壊すかして湖の水を排出するしか
ねーだろうな

サイクス:
しかし、あの関門は呪文も何も通じ
ないぞ。常識を越えた破壊エネルギー
でもない限り……

ヴァイ:
とりあえず鬼哭関に戻るか?

D・S:
いや……封印されてるって話の地龍と、
谷の二つの塔が気にかかる。
そろそろロスの奴が鍵を開けてるかも
知れねえし、一度あそこに戻ろう



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最終更新:2020年10月31日 21:08