樹棺城


樹棺城の内部もまた無数の荊に覆われ、
毒々しい血の赤に彩られていた。この
城こそが、森の養分を奪い、生き血を
啜るが如くに繁茂した荊の本体――
親株であった。










広間の中央に、長いマントに身を包む
ようにしてその女がいた。

魔雷妃――幻ではない、生身の姿で
あった。幻体では様々であった年齢も、
三つの姿をほぼ平均した、人間の齢で
二十歳前後のハーフエルフである。
ただ、その姿はこれまでの幻体とは
比べものにならぬ邪悪さを備えている。
微笑むその口元に、奇妙に長い犬歯が
覗いた。

カイ:
魔雷妃!? この妖気は――

ラン:
ダイから搾り取った魔力を吸収した
のか!? 吸血鬼の、暗黒の力を――

ダイ:
わ、私の魔力を吸収しましたね?
今の私とは比較にならぬほど漲って
いた時に抽出した、吸血鬼の暗黒の
パワーを!

D・S:
――その牙、吸血鬼化してるって
ことか? 魔雷妃よう!

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“その通りよ!”

魔雷妃の口を通じて、妖魔三姉妹の
長姉、王鴉の声が響いた。次いで残る
ふたりの声も、口々にその同じ唇から
発される。

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“愚かしい三兄弟どもに、これ以上
大きな顔をさせるわけにはゆかぬ。
満月の魔力を得た吸血鬼の力で、
この場で貴様らを片づけてくれるわ”

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“今度は姉君たちと一緒に制御して
いるからね、この女がD・S、お前を
見て心を乱すこともないよ”

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“さあ、名を伏されたる女、魔雷妃よ!
この者たちの――その男の血を啜り、
我らの与えた魔力をさらに高めよ!”

牙を剥いたハーフエルフの口から、
しゅう、と獣じみた息が漏れる。爪が
鋭いナイフのように伸び、全身から
立ち昇る負のオーラが、冷たい突風と
なって一行に吹きつける。

D・S:
やべえな……予想以上の妖気だぜ。
もともと強い魔力を持つダークエルフ
が、吸血鬼化して相乗的にパワーを
倍加してやがるのか――

D・S:
このままじゃ、戦っても手加減は
できねーぜ。ある程度不死身化してる
ってことは、徹底的に殺すつもりで
やり合うしかねえ。でなきゃ負けるぜ

シーン:
徹底的……に?

カイ:
しかし、それでは――

D・S:
ああ。判ってる。この女は俺とも
関わりがあるハズなんだ。妖魔どもに
乗せられて殺したくはねえ――むっ!?

その時だった。魔雷妃とD・Sの間に、
ひとりの少女の幻影が出現した。
六、七歳の幼女――それもまた紛れも
なく魔雷妃であった。邪気のない笑顔
で微笑み、少女はD・Sと、そして
魔雷妃を見た。

魔雷妃(幻影):
あなた、誰?

魔雷妃:
……う……私は、魔、雷妃……

魔雷妃(幻影):
いいえ(ネイ)

魔雷妃(幻影):
あなたは私でしょ?

魔雷妃:
私は違うわ(ネイ)。魔雷妃じゃ
ない(ネイ)。違う。違う。違う……

魔雷妃(幻影):
魔雷妃は、違う――

魔雷妃:
違う……私は違う! 私は――違う?
(ネイ?)

幼女の問いかけが、D・Sに対して
すら反応しないよう、三姉妹に封じ
込められていた魔雷妃の意識を呼び
起こし始めていた。

魔雷妃(幻影):
あなたは、誰――

魔雷妃:
あああ――っ!

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“馬鹿な! この女が自分で幻体を
作り出すなんて! 夢幻鏡の影響
か!?”

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“翼龍が解放され、風の力が蘇りつつ
あるのか? 三人がかりでも、抑え
切れぬ――!”

魔雷妃(妖魔三姉妹):
“ええい! ここは夢幻鏡に近過ぎる。
口惜しいが、こやつらの始末は三男神
どもに任せ、我らは西の尖塔に撤退
しようぞ――”

三姉妹の言葉を吐きながら、魔雷妃は
身を翻して広間から逃げ去った。幼女
の幻影も、霞むように消えていく。
最後に、D・Sへの無垢な笑みを
残して――。

魔雷妃(幻影):
“私は、誰――?”

D・S:
今のチビ……俺は知ってる……。
名前は……俺たちは森で出逢った……
拾った? クソッ! 肝心なところが
思い出せねえ――

カイ:
違うと――ネイと言っていた……。
ネイ……?

シーン:
ネイは、そうではないという言葉……
私は、違う?

ラン:
妖魔ども、西の塔に逃げると言って
いたな。すぐに追おう!










前方に、淡く輝く円形の鏡らしきもの
が見える――そう気づいた時、視界は
深い闇に包まれた。現実に周囲が暗く
なったのではない。それは視覚を狂わ
せる幻影の一種であり、視神経に直接
送り込まれてくる闇の映像であった。

その漆黒の向こうから、ひとりの少年
が歩み寄ってくる。光のない空間で、
その姿だけが不自然に浮かび上がって
見える。

浅黒い肌を持ち、猜疑と憎悪に満ちた、
餓狼の如き目をした少年であった。
体格に不似合いな山刀を引きずるよう
に手にし、殺意を籠めた視線を向けて
近づいてくる。

ヨシュア:
こ……この少年は――!

ヴァイ:
ヨルグ……?

ヨルグ:
ば……馬鹿な……昔の俺、だと――?

それは間違いなくヨルグ――十二、三
の齢であろうヨルグの幻影であった。

鉈が鈍い風切り音をあげて振り抜か
れる。その刹那、厚い刃で肌を裂か
れる感覚が一行を襲った。
現実の傷ではない。痛覚に直接訴え
かける擬似的な傷であったが、その
痛みは一瞬であれ本物であった。
受け続けたなら、ショック死しかね
ない危険な幻覚であった。

シーン:
痛ぅっ!

バ・ソリー:
あいでー……

ヨシュア:
いかん! D・S、ここは退こう!

D・S:
クッ……確かにこれじゃあ進めねえ。
戻るぜ! テメエら!

ヨルグ:
俺……俺なのか――?

ヴァイ:
ヨルグ! しっかりしろ!
引き返すぞ!

D・S:
これ以上近づくと、夢幻鏡の効果が
働き始めるぞ

ヴァイ:
このままじゃ先に進めねえな……

ヨルグ:
……俺が、行く。あの鏡を砕くこと
さえできれば、ここを通れるように
なるだろう

D・S:
簡単なコトじゃねえぜ。近づくほどに、
幻覚の効果は自乗倍に強まっていく
はずだ。最後にゃあの鉈の痛みで、
お前でもショック死しかねねえ――

ヨルグ:
だが、幻覚を止めるにはそれしか
あるまい

ヨシュア:
危険だ。他の方法を探すべき……

ヨルグ:
ヨシュア――

ヨルグ:
行かせてくれ。妖魔どもに態勢を
立て直す時間を与えることになる

ヨシュア:
しかし――

ヨルグ:
俺は大丈夫だ。自分の生み出した幻影
などに負けるものか……いや、勝たな
ければならないんだ。お前に秘して
いた罪の意識を乗り越えるために――

ヨルグは手にした山刀を青眼に構え、
意識を凝らし始めた。己の中に隠し
続けた修羅に向かい合い、それを克服
すべく一歩を踏み出していく――。

D・S:
おい、ヨシュア。退がってろよ

ヨシュア:
ヨルグが立ち向かおうとしている苦痛
に比べれば、幻覚の痛みなどさほども
ない。俺は、見届けねばならん――。
あなたこそ、近づき過ぎだ

D・S:
へっ。見届けてやらなきゃならねえ
のは俺も同じだぜ

ヴァイ:
……しゃーねえ。俺も付き合うわ。
悪気はなかったけど昔、ヨシュアに
怒られるまではヨルグのこと、野盗が
よー、とか言っちまってたんだよな

マカパイン:
ヨルグの心の隙につけ込んでいた身だ。
私も、安全な場所から見守るという
わけにはいかんな

ヨルグ:
お前たち……ありがとう、友よ

夢幻鏡の効果範囲に入り、D・Sたち
の視覚は闇に染まった。そして、殺意
を漲らせた少年のヨルグが、先刻と
同じく暗黒の彼方から近づいてくる。
野盗の首領の命を絶った鉈の一撃が、
幻覚とは思えぬ激痛を伴って、幻を
見ている者たちを襲った。

ヨルグ:
くっ……そうか。俺の中のお前は、
憎んでいるのだな――全てを忘れよう
とし、忘れて生きてきた今の俺を……

ヨルグ:
これが、かつて俺の繰り出した刃の
痛みだと、そう教えているのだな……。
ぐううっ……!

先頭を進むヨルグは、同じ幻影から
受ける痛覚が比べものにならぬほど
激しかった。一瞬ではあっても、脳天
に食い込む厚い刃の感覚が全身を痙攣
させ、痛覚神経を引き千切りそうな
痛みの信号を大量に伝達する。気を
張っていても、狂い死にしそうな激痛
であった。

だが、ヨルグは怯まなかった。忌まわ
しい記憶の象徴である山刀を構え、
一歩一歩前に踏み出していく。

ヴァイ:
うおっ! ……ヨルグはこれ以上の
痛みに耐えてやがんのか?

D・S:
……いや、多分テメエが想像できる
レベルの激痛じゃねーぜ。次の一歩は
ちょいとキツイな……ぐうっ!

ヨシュア:
これが――ヨルグの心の痛みなのか。
俺に隠して、自分を苦しめてきたのか!
ヨルグよ! くうっ……!

夢幻鏡を砕ける間合いまであと一歩と
いう位置に接近したヨルグは、もはや
鼓動が止まる寸前であった。外傷は
なくとも、神経に伝えられた痛覚信号
の総量はとっくに常人の耐えられる域
を越している。痛みで精神を壊される、
その危険レベルを踏み越えていた。

もう、無理かも知れないな――。

ほとんど思考が停止した意識の中で、
ぼんやりと呟く自分がいた。酷使され
た神経は、もはや筋肉にろくに命令を
伝えようとしない。激痛への無意識の
恐怖が、次の一歩を踏み出させないの
かも知れなかった。

あと一撃を受けたら、死ぬかな――。

目の前で鉈を振り上げる少年の自分の
幻影を見つめながら、ヨルグは不意に
涙がこぼれるのを感じていた。

死を恐れての涙ではない。この飢えた
目の少年が哀れだった。それは己で
ありながら己ではない、苛烈な運命に
翻弄されてねじ曲げられた修羅だった。
人の尊厳を奪われ、怒りだけで心を
満たした獣であった。殺す以外に人の
感情を取り戻すことのできなかった、
哀れな少年の幻影であったのだ。

振り下ろされようとしていた山刀が
止まった。この瞬間に、今のヨルグと
過去のヨルグを繋ぐ橋が架かったのだ。
訣別ではなく、その哀しい魂を自分の
中に抱きとめる思い――それが幻影の
動きを凍りつかせていた。

ヨルグ:
おおおおおお――っ!

奇跡の一歩を踏み出し、ヨルグと少年
の姿が重なった。振り下ろされる山刀
の切っ先が夢幻鏡を捉え、叩き割る
破砕音が闇の中にこだまする。

闇が消えていく。そして、ヨルグと
重なった少年の幻も、その身の中に
溶け込むように薄れていく。

D・Sたちは見た。少年のヨルグが
最後に微笑んだのを。幼き魂は浄化
され、成長したヨルグの一部となった
のだった――。

通路は、元の風景に戻っていた。砕け
散った鏡は床に散乱し、もう幻覚を
生み出す力を持たぬ破片となり果てて
いる。

ヨルグ:
ヨシュア……。俺は――

ヨシュア:
何も言わなくていい。俺たちは全て
観ていたんだ……お前は、許すことが
できたんだな。あの頃の、自分を……

D・S:
けーっ! テメーラはヤロウ同士で
ベタベタしやがって、愉快な趣味でも
持ってやがんじゃねーのか?

D・S:
湿っぽくすんじゃねえ! オラ、
捨てっちまえ、そんな鉈!

ヨルグ:
ああ……これはもう、俺にはいらない
ものだな――

ヴァイ:
……にしても、その山刀がどうして
この城にあったんだろうな。あれ?
なくなってるぞ?

ヨシュア:
本当だ。ヨルグの手を放れた途端……

D・S:
記憶が凝固して、実体化したものか?
ヨルグがそれを克服したから、消えた?
まさか、な。イメージが実体化する
なんざ、現実空間で起こるワケがねえ

鏡らしき物体から距離を取ると、闇と
少年の幻覚は消えた。やはりその鏡が、
幻影を生み出す魔力を秘めているよう
であった。

D・S:
さっきのチビの幻影も、魔雷妃が
あの鏡に影響されて生み出したものか。
夢幻鏡、とか言ってやがった。人の
深層意識から幻を投射するようだな

ヨシュア:
それが、ヨルグの意識から少年の姿を
写し取ったのか――

ヨルグ:
俺の……少年時代? あれは――

D・S:
俺たちを襲った時のオメエを、その
まま縮めたようなガキだったぜ。
あの時も、あんな目をしてたな

ヨルグ:
……そうだ。あれは、侍として修行を
始める前――ヨシュアたちと出会う
より前の俺の姿だ――

ヨルグは十二の歳まで、野盗団に身を
置いて生きてきた。

父はとある君主に仕える侍であり、
クォッ・ポーと呼ばれる格闘術を継承
する武術指南役だった。クォッ・ポー
とは合戦場において素手で敵を倒す
ための技であり、これを修めた武士は
戦場から必ず生きて帰ってくると
謳われた。

それ故に指南役は信望も厚く、そして
例外なく存在する、それを妬む姦悪な
輩の罠に落とされた。不忠義の汚名を
着せられた父は幼いヨルグとともに
国を逐われ、旅路の果てに胸を病んで
無念のうちに死んでいった。

南方の異国人であった母は、ヨルグを
産んで間もなく死んでいる。父を失っ
た彼は天涯孤独の身であり、そして
独りで生きていくには幼すぎた。魔物
と盗賊がはびこる過酷な弱肉強食の
世界で、ヨルグが生き抜く術は強者の
陰に身を置くことだけだった。

その野盗団がヨルグを殺さなかった
のは、最も弱くこき使うことのできる
者が欲しかったに過ぎなかった。

守りの堅い集落には手を出さず、
無防備な旅人や小商隊だけを襲う
ハイエナのような盗賊たち――その
けちで怯懦な者たちですら、幼い彼に
とっては従う他ない強者であった。
彼らに奴隷のように扱われ、その残飯
を漁ること以外にヨルグの生きる方法
はなかった。

彼は決して、野盗たちの仲間などでは
なかった。都合良く労働を押しつけ、
気晴らしに殴り、何かを得れば奪い
取る――それだけの存在であり、使い
抜いて潰しても構わぬ家畜の如き扱い
を受け続けた。そうして過ごした数年
は、本来純粋で優しい彼の心に拭い
ようのない猜疑と、他者への深い憎悪
を植え付けてしまっていた。

転機は訪れた。次第に力をつけ始め、
相当な被害を出すようになった野盗団
に対し、侍を中心とした討伐隊が派遣
されたのである。

訓練された魔法剣士の前では、野盗
たちは所詮烏合の衆であった。全員が
捕縛され、そのほとんどが厳罰を
もって処刑された。

十二となっていたヨルグも対象と
なったが、それを救い、拾い上げて
くれた人物があった。

ニルス・ショーン・ミフネ――侍の
最高位にあり、討伐隊の顧問として
同行したこの人物は、かつてヨルグの
父とともに戦場を駆けた盟友であった。

友が逐われたことを知り、その消息を
八方に手を尽くして調べるうち、野盗
と行動をともにする南方系の少年の噂
を耳にしたのであった。かつての大戦
の勇者であり、要職にあったミフネが
わざわざ野盗狩りに同行したのは、
無念に死した友の息子だけは何として
も救おうと誓ったが故である。

処刑から救われたヨルグは、しかし
決して心を開こうとはしなかった。
この時の彼にとって、全ての人間は
彼を裏切り、奪おうとする存在であり、
とりわけ侍は父を陥れた者たちの同類
――憎悪の対象であったのだ。

だが、父譲りの才を認められたヨルグ
は、ミフネによって半ば強制的に道場
へと入門させられた。未来の侍を育て
るべく設けられた、少年たちの修行の
場である。同世代の子供たちとの共同
生活を余儀なくすることで、頑なな
彼の心を少しでも解きほぐそうとする
ミフネの配慮であった。

野盗であったという噂は、口さがない
者たちによってすでに伝わっていた。
少年たちはヨルグを遠巻きに見るばか
りで、彼自身も自分から近づこうとは
考えなかった。そこでも彼は孤独で、
憎悪を紛らわすためだけに、ただただ
剣とクォッ・ポーの腕を磨き続けた。

ヨルグ:
そんな生活を続けるうちに、俺は
ヨシュアと出会った――

ミフネの見立て通り、めきめきと頭角
を顕したヨルグは、より高度な修行を
受けられる道場へと移された。そこで
出会ったのが、良家の出自であり、
将来の侍大将と目される少年剣士の
筆頭、ヨシュア・ベラヒアであった。

太陽のような少年であった。人を疑う
ことを知らず、家柄や腕前を鼻にかけ
たところもない。そんなヨシュアが、
ヨルグは憎らしかった。同じ人間で
ありながら、どうしてこうも生きて
きた環境が違うのか?

さしたる努力の跡も見えぬのに、何故
自分よりも上手く刀を振るえるのか?
それを思うと、誰彼なく気さくに話し
かけてくるヨシュアが疎ましかった。

その高等道場でも才能の煌めきを放つ
ヨルグに対して、これを快く思わぬ
連中がいた。いずれも国の重臣の子弟
であり、ヨルグにすぐに追い抜かれた
輩である。

彼らは共謀してヨルグを陥れるべく、
主君への叛意ありとの噂を流そうと画
策した。それが公の口に上れば侍への
道は断たれ、悪ければ死罪を言い
渡される、子供の悪戯では済まされぬ
種類の企てである。

それを未然に防いだのがヨシュアで
あった。噂を聞きつけるや否や首謀者
を突き止め、最初は言葉でもって、
最後は拳でもって共謀した十数人を
叩きのめした。自分もその端正な貌を
腫らしながら、何の得もなく――。

その日、そうした事件があったことを
耳にしたヨルグが見たのは、多勢を
相手の喧嘩で全身に打撲を負いながら、
深夜の道場で鍛錬に励むヨシュアの姿
であった。これを契機に、ヨルグの心
の氷は少しずつ融け始める――。

疑うことより、信ずることの快さ。
奪うことより、与えることの喜び。
憎むことより、愛することの尊さ。
開き始めたヨルグの心は、砂が水を
吸うように、本来そうであった善の
資質を急速に取り戻していった。

猜疑で固まった氷を溶かしてくれた
のは太陽の如きヨシュアである。
ヨルグの第二の人生は正しくこの時に
始まったのであり、それは決して
侵されざる、善なる心の船出であった。

ヨルグ:
――だが、あの幻影は俺の心から
生まれる。記憶を失っていた時だって、
あろうことかヨシュアにまで刃を
向けたのだ。俺は……俺は!

ヨシュア:
ヨルグ! 自分を責めるな!
憎むべきは妖魔どもの卑劣な罠だ。
お前の心ではないはずだ!

ヨルグ:
……ああ

D・S:
どっちにせよ、ここは強行突破でき
そうにねえな。あの夢幻鏡とやらを
破壊しねえ限り――










ヴァイ:
何だよこの宝箱、開かねえぞ?

D・S:
妙に強い封印が施されてやがるな

ヨルグ:
中に何があるのか――。う……妙だ?
何か感じる……

D・S:
ふーん。オメエがそんなコト言うなん
て珍しいな。シェラじゃあるまいし、
霊感めいたタイプでもねえのによ

シェラ:
私のは霊感ではない! 自然との
交感だと言っているだろう! そんな
風に言われるとインチキ臭くなるでは
ないか!

ヨルグ:
何故だか判らないが、開けたくない
……何故だ?

D・S:
今度は開くぜ。封印が消えちまって
やがる

ヨルグ:
――開けたくない。
だが……開けなければならない

そこに入っていたのは、古く、血の
痕らしきものがうっすらと残る大きな
鉈であった。刃こぼれがひどく、武器
としてはもはや使えそうにない。

D・S:
見覚えがあるな……! そうだぜ!
あの幻覚の中で、ガキが手にして
やがったマチェットだ!

ヨルグ:
やはり……そうだったのか。これが、
これが俺の――

ヨシュア:
どうしたのだ、ヨルグ

ヨルグ:
……これは紛れもなく、野盗時代の
俺が手にしていた山刀だ。刃こぼれや
傷――それに血の痕まで、全て俺の
記憶と一緒だ……

微かにわななきながら、ヨルグは
恐ろしいものを見る目で山刀を凝視
していた。

ヨルグ:
ヨシュア……俺は記憶を失う以前、
どんなことでもお前に話してきたと
思う。だが、どうしても打ち明けられ
なかったことがひとつあった――

ヨシュア:
……

ヨルグ:
あの時――討伐隊が野盗団を急襲した
夜、俺は……俺はこの刀で人を殺した

ヨルグ:
そいつは野盗団の頭目だった。いつも
俺を殴り、踏みにじってきた奴――
殺されかけたことも一度や二度では
ない。いつも考えていた――殺そうと

ヨルグ:
あの時、あいつはアジトから真っ先に
逃げようとした。蓄えた金目のものを
集め、仲間には徹底抗戦を命じて、
裏側の出口から独り脱出を図った――

D・S:
そこを殺したんだろ。いーじゃねーか、
外道にゃ相応しい最期だぜ

ヨルグ:
……だが、それは侍として許されざる
行為だった。あいつは俺のことをゴミ
としてしか見ていなかった。俺に何の
注意も払っていなかった――

ヨルグ:
俺の目の前で裏口に取り付き、錠を
外そうと躍起になっていた。無防備な
背を向けて……。俺は憎悪に駆られて、
後ろから、頭に、この刀を……おお!

侍には、憎き仇といえども背を向けて
いる者を斬ってはならぬと言う鉄の掟
がある。忠義を尽くし、徳を高めねば
ならぬ武士道においては、それは到底
許されぬ、唾棄すべき、恥ずべき行為
であったのだ。

D・S:
判らねえな、侍ってのは。大体そいつ
はオメエが侍になる前の話なんだろ?
全っ然構わねーじゃねえか

ヨルグ:
違うんだD・S。俺は、自分がそれを
語らなかった――全てを信じた友に
わざと秘したという事実を知っている
のだ! それが、許せない――

ヨシュア:
ヨルグ……

D・S:
そうか。なるほど読めたぜ

ヴァイ:
何がだよ?

D・S:
あの鏡は、そいつの持つトラウマを
反射して強い幻影を生み出してやがる
んだ。それが深けりゃ深いほど、
強力に反射してな――

D・S:
ヨルグがこの秘密を罪に思うほど、
あのガキの幻影は強い力を持つって
ワケだ。こりゃ、簡単に通れそうには
ねえな

ヨルグ:
――いや、もう一度、あの夢幻鏡の
場所へ行こう

ヨシュア:
何故だヨルグ!? 危険過ぎる!

ヨルグ:
あの幻影は――俺が打ち破らなければ
ならないんだ。あれは俺の中にこびり
ついて離れない過去、人を呪い憎む
最後の氷塊なんだ――

ヨルグ:
あれを砕かなければ、お前と出会って
始まったはずの、俺の新しい人生は
真の意味で始まってはいない。過去を
もやう綱を断つのは、自分自身だ――

ヨルグ:
行こう。仲間たちのためなら、俺は
過去に克つことができるかも知れん。
いや、必ず!










ブラド:
ううう、ここはどこなのだあぁ!

回廊を塞ぐように、巨漢ブラドが立ち
往生していた。複雑な城の構造に幻惑
され、またしても迷っているようで
あった。

D・S:
……ったく、またか。コイツわ

ブラド:
おお! 良く会うな

D・S:
目的地がいつも同じだからだろ。
それにしてもオメエは良く迷うよな

ヴァイ:
意地張ってないで、そろそろ一緒に
来たらどうだよ

ブラド:
人生これ修行! 迷い、壁に当たる
ことも騎士への道の肥やしなのだ。
誘いは有り難く受け取っておこう!
ワシはあくまで独力で切り開く!

ブラド:
……ところで、どっちに向かえば
この回廊から出られるのかのお?

D・S:
早速挫けてどーすんだ!

ブラド:
ウム……お互い騎士の修行が充分とは
言えんが、ここはひとつともに進むと
しようか。騎士たる者、協調の心も
育まねばならぬからの

D・S:
騎士って、実は結構臨機応変なんじゃ
ねーのか?










D・S:
もう後戻りはできねえ。突き進むぜ!



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最終更新:2020年10月31日 21:18