水星宮


再び、ランがそこにいた。思い詰めた
表情には、この戦いに死を賭して臨む
決心が窺える。至高王の使命を全う
することが仲間――そしてカイの命を
奪う結果となるなら、その後で己の命
をも断とうという悽愴な覚悟であった。

それ故、もはやその太刀筋に乱れは
ない。このひとときを修羅として
生きる、死人の剣がそこにあった。

D・S:
バカ野郎め。くだらねえことに縛られ
やがって――

カイ:
ラン……もう戻れないのか

ラン:
戻れない……俺はカル様とともに、
前に進んでゆくしかないのだ!

ラン:
く……まだだ。まだ負けられんのだ!

シェラ:
ラン……これ以上は死ぬぞ!

ラン:
構わぬ! カル様のためなら、
俺の命などここで果てても――

ランが死力を振り絞って身を起こし、
捨て身の攻撃に出ようとした、
その刹那――。

シーン:
やめて――っ!!

飛び込んできたのは、ランを追って
一行から離れたシーンであった。実の
兄の前に立ちはだかり、両手を広げて
それ以上の戦いを制止しようとして
いる。そこにはランを想う肉親の、
揺るぎようのない献身の姿があった。

シーン:
兄さん、バカなことはやめて!
どうしても戦いを続けるなら、
わたしを殺してからにして!

カイ:
シーン!

ラン:
何を言うんだ……シーン。そこを……
そこをどけ!

シーン:
どかないわ! 幼い頃兄さんは約束
してくれた。孤児になって、カイと
三人で荒野を彷徨っていた時、
わたしたちを守ってくれるって――

シーン:
それは本当だったわ。ろくに武器も
ないのに、兄さんは猛獣や追い剥ぎを
傷だらけになって追い払ってくれた

シーン:
ネイ様に拾われるまでに、兄さんが
いなかったら何度死んでいたか
判らない。だったら、兄さんを救う
ためにわたしはここで死ぬわ!

ラン:
……馬鹿な

シーン:
思い出して、兄さん。わたしたちの
村を焼いたのは、そうやって狂った
領主に従い、自分で判断しないまま
戦い続けた兵士たちよ!

シーン:
彼らだって、ほんの少し自分で考える
勇気を持てば良かった。今の兄さんは
それと同じ……カル=スが操られてる
って、気づかないふりをしてるんだわ!

ラン:
……

シーン:
お願い……わたしたちのもとに帰って
きて。一緒に、本当の敵と戦って――

ランの手から、剣が音を立てて落ちた。
本心からランを救おうとするシーンの
説得が、至高王への忠誠に囚われた
兄のいましめを解いたのだった。

シーン:
判ってくれたのね! 兄さん!

ラン:
真の忠誠か……そうだな。自分の目で
確かめぬ限り、俺はカル様とともに
歩んでいることにはならぬ。
心配を、かけたな――

カイ:
やはり実の妹は強い、か。俺がいくら
言っても聞かなかったくせに

ヨシュア:
カイ……妬いてるんじゃあ……?

カイ:
ま、まっさかぁ! ちょっとショック
ではあるけど……俺も、ランの妹
みたいなもんだしな

ヨシュア:
妹……そうか! うん!

D・S:
……けっ! 不器用なヤロウだ

ヨシュア:
んっ?

D・S:
いんや、別にぃ

再び、ランがそこにいた。思い詰めた
表情には、この戦いに死を賭して臨む
決心が窺える。至高王の使命を全う
することが仲間や妹の命を奪う結果と
なるなら、その後で己の命をも断とう
という悽愴な覚悟であった。

シーン:
わたしたち、戦うしかないの……?

ラン:
シーン、俺を憎んでくれ――行くぞ!

カイ:
よせっ! ラン!

ラン:
カイ、か!

マントをなびかせ、ランを追うべく
去ったカイが駆け寄ってきた。
その後にヨシュアも続く。

シーン:
カイ!

ヴァイ:
ヨシュアも! お前らどうやって
この地下遺跡に?

ヨシュア:
至高王が魔戦将軍のために用意した
乗用生物を利用させてもらった

カイ:
――ラン。俺の知るお前は、そんな男
ではなかったはずだ。主が正気では
ないと気づきながら、間違った忠義に
縛られ愚行に手を貸すなど――

カイ:
今のカル=スに命を賭して仕える
価値はない!
それが判らぬお前ではあるまい――
いや、判らぬふりをしているだけだ!

ラン:
黙れ……黙れカイ! それ以上の
カル様への雑言は許さん――!

恐らくは反射的に、無意識に繰り出さ
れたものだったのだろう。その斬撃に、
直前まで捨て身の一撃に転じようと
たわめられていた力が乗った。戦場で
鍛えられた颶風の如き刃が、戦う姿勢
になかった無防備なカイを襲う――。

ラン:
――!

あわや、カイを袈裟に斬り下ろして
いたであろう斬撃は、大剣の刃とカイ
の間に身を滑り込ませたヨシュアに
受け止められた。だが、咄嗟に態勢が
整わず、辛うじて刀の峰で受けた斬撃
の勢いを殺し切ることはできなかった。

致命傷ではないものの、ヨシュアの
肩口に内向きの刃が食い込み、
浅からぬ傷を生じさせる。鮮血が迸り、
整った貌に苦痛の表情が疾った。

ヨシュア:
くうっ――

カイ:
! ヨシュア! ヨシュアっ!

ヨシュア:
大……丈、夫だ……自分の刀で傷を、
受けるなど、わ、笑い種だな……くっ!

D・S:
早いとこヨーコさんの呪文で治療しろ!

ヴァイ:
がってん!

茫然と立ち尽くすランの手から、
剣が音を立てて落ちた。

ラン:
俺は……カイを殺してしまうところ
だったのか? 俺は……俺は誓いを
破って――?

シーン:
兄さん……

ヨシュア:
いや……貴様はまだ、誓いを破った
ワケではあるまい……

魔法の治癒を受けながら、ヨシュアが
苦痛を噛み殺して呟いた。

ヨシュア:
単独で行動した折、行き会ったネイ殿
に聞いた――。貴様はカイと戦わねば
ならぬことを怖れ、家族にも等しい
鬼道衆を捨てたのだろう?

カイ:
……何? どういうことだ、
ヨシュア!?

かつてネイに拾われ、鬼道衆として
育てられた戦災孤児の三人――カイ、
シーン、そしてラン。彼らは訓練を
重ねるうちに非凡な戦いの才能を示し、
とりわけカイとランは剣の達者として、
鬼道衆でも一、二を争う腕前にまで
成長していった。

カイはネイの手ほどきを受け、正統と
呼ばれる破裏拳流剣法を学んだ。一方
ランは独自の才で我流の剣を磨き、
実戦に即した何にも染まらぬ太刀筋を
作り上げていた。

訓練の模擬戦において、ふたりの勝負
は常に互角であった。だが、本気で
挑むカイに対し、ランは余力を残し
つつも決してそれを出し切らぬ戦い方
であるように見えた。

当時、腕力に劣る女であることに激し
いコンプレックスを抱いていたカイは、
ランを負かして鬼道衆一の剣士の座に
就くことに異常なまでのこだわりを
見せていた。それまでの家庭環境も
あったのだろう。弱い女に対し、
カイは憎悪に近い感情を抱いていた。
故に、強い母親である雷帝ネイを
崇拝し、畏敬していたのだ。

同じ村に育ち、同じ幼少時代を過ごし
てきたランには、カイの心が手に取る
ように判っていた。そのまま平和な村
で成長すれば、いつかは添い遂げて
夫婦となっていたかも知れぬふたり。
だが、過酷な運命に翻弄されたカイは、
剣によってのみその存在を支えている
悲しき女闘士となってしまった。

そのカイを剣で負かしてしまったなら、
彼女の危ういバランスは崩壊するかも
知れぬ――それを恐れたランは、常に
本来の力を抑えて相手をし続けてきた。

しかし、カイの腕に磨きがかかるに
つれ、ランも真剣に立ち会わねばなら
ぬようになってきた。互角と見せる
ためには、己に相当の余力がなければ
ならぬ。カイの剣技が成長したことで、
ランは次第に勝ってしまわなければ
ならぬ局面に追い込まれ始めた。

同じ鬼道衆である以上、模擬戦の
立ち合いは避けられぬ。次の勝負では、
必ずカイを打ち負かす結果となる――

それを直感したランは、苦悩の末に
鬼道衆を抜ける決心を固めた。
唯一本心を明かしたネイは咎めもせず、
本来勝手な離反を許されぬ鬼道衆の
掟を曲げて送り出してくれた。
彼が傭兵として放浪の末、カル=スの
理想に剣を投じたのは、これより
数年後のことであった――。

カイ:
俺の……ために?

ヨシュア:
――貴様は誓ったのだろう。荒野に
焼け出されたカイとシーンを守るのは
自分だと。それ故、カイに勝ち、生き
る柱を奪うことはできなかった……

ヨシュア:
ならば、今その誓いを果たすんだ!
このまま何者かに操られたカル=スに
従い、幼き日の想いを裏切るいわれ
などないはずだ!

ラン:
……貴公には大きな借りができたな。
俺は誓いを守ろう。そして今一度、
カル様を御前で見定めるとしよう

シーン:
兄さん、良かった!

カイ:
ラン……俺のためだったのか。
俺のせいでお前はネイ様のもとを……
俺は、俺は――!

ラン:
謝らなければならんのは俺だ……もう
少しで俺は許されぬ罪を犯すところ
だった。ヨシュアがいなかったら――

涙を浮かべるカイの肩を、ランが
そっと抱き寄せる姿から、癒えた傷を
軽くさすりながらヨシュアは静かに
視線を外した。

D・S:
ったく、人がいいヤロウだぜヨシュア
はよ! 何も恋敵にお膳立てしてやる
こたぁねーじゃねえか。かばって傷を
受けたんだから断然有利なのによ

ヴァイ:
それがヨシュアのいいところ。アンタ
も、俺とヨーコの仲を応援してみない?

D・S:
アホウ! ヨーコさんと俺の愛に割り
込もうとするヤツぁ、考えつく限りの
卑劣な罠で陥れ、色情狂の腐れアタマ
とゆー立場に追い込んでくれるわ!

ヴァイ:
ひー、アンタいートコなし!










幽かな震動が続き、止まった。
水星宮は正しい座標へと移動した。



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最終更新:2020年10月31日 21:21