ヴァスーリェ・シェン・アズリ(マユィ語:Vasulje śen Adzli、モンマタイ語:VasúllëXenAdcli)とは、
アクース連邦およびアクース連合の医師。
大宇宙救護常設医師会の設立者の一人である。マユィ語名で
アリヤ・クムヴァッシャルケシュ(Alja Kmvasśarkéś)とも呼ばれる。
生まれ
アクース連邦時代では極めて珍しい少数民族名を持った人物である。モンマタイ人の首長の家系に生まれた富豪であり、一族の間で初めて大学に進んだ。
サッコレ公害事件
シンテーア歴1705年、
サッコレ公害事件の発端となる
ヴァスーリェ・ヴァリュスフラ建議書が作成される。これはサッコレの最大企業であり、事実上同地を占領していたラ=クー星系間貿易の傘下会社である採掘会社が
サッコリャルを大量に採掘し、産業廃棄物をヴァリュスフラ川にそのまま流していたために周辺で公害病が大流行したことに対するものである。しかしこの時点では誰にも相手にされなかった。大きすぎる企業の権力と、それに癒着する地域の採掘労働者連動組合や政府に全てがもみ消されたのである。
しかしそれならばと、彼は政治的パイプもふんだんに使いながら全国の医師会や労働組合にこの惨状を訴えかけ、最終的に政府の手がほとんど及ばない地域であったサッコレに介入を行わせ、裁判でも最終的に勝訴をもぎ取った。これは政府とラ=クー星系間貿易の癒着にヒビを入れ、のちに発生する
アクース内戦でも同社がサッコレにおいて重要な役割を果たす布石になった。
大宇宙救護常設医師会の設立
勝訴後たちまちアクースで最も有名な医師となったヴァスーリェは、同じようなことが世界の中に2度とあってはならないと強く自覚し、全ての人間が無条件で病気の苦しみから解放されるべきだと信じ、1730年に常設医師会である
大宇宙救護常置医師会を結成する。これは全ての災害や戦争、その他の苦しみに対して、その傷病者救護活動を中心とした人道支援団体である。奇しくもこの組織の最初の大規模な動員はヴァスーリェの祖国である
アクース内戦となった。
最終更新:2022年04月09日 00:51