大宇宙の歴史
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Closmol la-Skol-Hecagt
時代名 年代
ラヴェルト時代 1378年 - 1425年
帝国時代 1425年 - 1555年
革命時代 1555年 - 1623年
連合会議時代 1623年 - 1641年
ゴルギア時代 1641年 - 1660年
経済戦争時代 1660年 - 1693年
通信時代 1693年 - 1726年
アンドロイド時代 1726年 - 1759年
サイバー時代 1759年 - 1779年
反動時代 1779年 -

 革命時代はシンテーア暦1555年のエルミア革命及びグロスクロイツ共産主義革命からシンテーア暦1623年の大宇宙連合会議設立までの期間を指す時代区分の一つである。

 エルミア革命によってエルミア帝国が崩壊した後、独立した各国は大宇宙初の国際機関である革命連合を結成した。革命連合は「第二のエルミア帝国を誕生させないために、革命連合諸国の勢力均衡を維持する」という使命を帯びていたが、エルミア共和国のボルガード人迫害、ベリオン共和国のタプナパキ駐屯、ベリオン・リーエス戦争などの国際問題が発生し、国際機関としての信用が失墜した。この革命連合での反省が活かされ1623年に大宇宙連合会議が設立される。


年表


1555年 エルミア革命

 エルミア帝国でエルミア革命及びグロスクロイツ共産主義革命が発生。
 各地で革命指導者と呼ばれる革命を先導する著名人が出現した。革命指導者にはエルミア軍人のペルメ・デウ・ストロークタ、エルミア貴族のリリーカ・サルト・ファルラー、ドルムント人のエドガー・フィッツジェラルド、グロスクロイツ共産主義革命を先導したセント・カディーン・イェッジカワード、タプナパキ解放戦線のバシャ・トゥシャ・ヌポラなどが挙げられる。
 彼らは各地で団結し、相互に協力し合うことでエルミア帝国を滅ぼした。
 また、この時マーカス連邦ニッテン総統による革命支援工作も行われていた。

 こうして、第二共和政エルミアドルムント共和国グロスクロイツ社会主義共和国連邦リーエス連邦タプナパキ王国が誕生する。クレイル人の一派はヴィッテンクレイル神国を建国した。

 これらの革命によって独立した国家は国家間の連帯を強化することで二度とエルミア帝国のような覇権国家を生み出さないという目的のため、主にエルミア共和国とドルムント共和国の呼びかけによって「革命連合」が結成され、エルミア革命で独立した全ての国家が加盟した。

1555年 革命連合結成

 エルミア革命及びグロスクロイツ共産主義革命で誕生した諸国家の代表は「第二のエルミア帝国を誕生させないために、革命連合諸国の勢力均衡を維持する」という名目で革命連合を結成する。

1556年 ゾラック会談

 エルミア革命の戦災復興もままならないモンタク宙圏(旧ボルガード宙域、モンタク宙域)だったが、1556年にエルミア共和国主導の下、革命連合各国首脳を集めて行ったゾラック会談にて、「旧ボルガード宙域の保護、発展、経済的充実のための援助を各国共同で行うこと」が決定された。しかし、このゾラック会談の内容は実質的には分割統治であり、福祉的人道的保護とはかけ離れたものであった。実際、ベリオン共和国、エルミア共和国、グロスクロイツ社会主義共和国連邦での援助政策とはボルガード人を強制労働に従事させ、種族差別や虐待が横行した。ボルガード人蔑視の風潮が更に高まり、頑丈な体躯を持つ種族特性を利用してゲルデン宙圏各地に強制移住させられた。

 また、ゾラック会談では革命連合各国の領域の確認や国境の画定が正式に行われた。

1557年 タプナパキ進駐

 1557年にベリオン共和国がエルミア革命によって独立したタプナパキ王国の領土全域に陸軍を進駐させ、兵舎を設けて駐留を開始した。
 タプナパキ陸軍が出動しベリオン軍と1km先まで接近し対峙したため、一触即発の事態に陥った。これを受けてタプナパキ王ヌポラ1世は革命連合内部での戦争を危惧し、無防備惑星宣言を惑星タプナパキ全土に発令。軍事衝突のリスクは回避された。
 その後、ベリオン共和国はタプナパキの併合を宣言。タプナパキ政府はベリオンの進駐軍を排除するために最後通牒を突きつけようとしたが、ヌポラ1世が流血の事態を避けるため、併合を渋々承認した。

 この事件は革命連合諸国に大きな衝撃を与えた。

1606年 ベリオン・リーエス戦争勃発

 ゾラック会談以降、ベリオン共和国リーエス連邦は関係悪化が止まらず、1606年に「リーエスとの外交関係はもはや修復不可能な段階まで悪化した」とベリオン政府が発表。ベリオン共和国リーエス連邦に宣戦布告。エルミア共和国マーカス連邦は中立を宣言した。
 ベリオンは航空機を重用した戦術でリーエス軍を圧倒した。ブラーメル星系での戦いに勝利したベリオン軍はリーエスの本星系への侵攻も計画していたが、グロスクロイツが暴れまわるベリオンに最後通牒を突きつけた。これによりベリオンは本星系侵攻の計画が頓挫し、グロスクロイツからの要請を受けて1613年までにエルミアが講和条約の仲介交渉を行った。

1613年 クラエルファルラー講和条約

 クラエルファルラー講和条約ではベリオン共和国はリーエス連邦の飛び地であったブラーメル星系(惑星ゼドーレン、惑星ダルベートを含む)を獲得した。
 ベリオンは領土拡大の野望を果たすことができたものの、グロスクロイツ、マーカス、エルミアといったラヴェルト・ゲルデンの有力国に警戒ないし敵対されるようになり、実質的に軍事行動が大きく制限される形になった。リーエスはゾラック会談での領域画定で他国よりも領域が得られなかったことで不満が蓄積されていたのに加えてこのベリオン・リーエス戦争でさらに1星系を割譲されたため、革命連合への期待と信頼を失い、無期限国交断絶政策を実施し、鎖国体制へと移行。エルミア以外との国交断絶を開始した。一方でエルミア帝国時代の遺産やテクノロジーのリバースエンジニアリングに成功したため素早い復興を成し遂げた。

1614年 フェトスローム規定

 エルミア共和国首相デヴァストル・フェトスロームが革命連合各国に働きかけ旧ボルガード宙域(現在のモンタク宙圏)の非武装化を定めた。これは前年のベリオン・リーエス戦争におけるベリオン共和国への制裁の意味合いが強く、ベリオン共和国が領有していたボルガード星系、ゾラック星系、タシャタシャンタ星系への影響力を削ぐためのものであった。ベリオンにとって受け入れがたい規定であったが、フェトスローム首相がエルミア、マーカス、グロスクロイツによる対ベリオン同盟の動きをチラつかせたため、認めざるを得なかった。

1615~1620年 撤兵大飢饉

 ベリオン軍の撤兵後、惑星ボルガードでは火山噴火の影響で「夏のない年」が続いた。そのため大凶作が起き、居住していたボルガード人の餓死者は数千万人に上った。ベリオン政府は「国際問題になるため支援を行わない」と一蹴。ボルガード人市民代表が数回にわたって革命連合に国際的支援を呼びかけるも、彼らもベリオン政府と同じように支援を拒否した。飢餓や貧困による治安低下によって大量の難民が惑星エトラフェルに逃げ込んだ。

1618年 シ=ギーラム事変

詳細はシ=ギーラム事変を参照
 シ=ギーラム事変惑星シ=ギーラムニーネン=シャプチジエール帝国連邦間で発生した武力衝突である。
 惑星シ=ギーラムの地表は多酸素環境であり、多酸素症(酸素中毒)へのリスクや多酸素環境のせいで巨大な危険野生動物の存在のせいでニーネン人の居住は不適である。しかし岩盤が柔らかく、長い年月をかけて作り出した非常に大きな洞窟がある。そのためシ=ギーラムにはニーネン人が地下に都市を形成して居住していた。
 一方、ジエール帝国連邦の主要構成国シンテーア帝国の調査団は地表を調査して無人惑星であると誤認。シンテーア軍は惑星シ=ギーラムを辺境領土に編入すべく進駐を開始した。異星人の侵略だと勘違いしたニーネン=シャプチ星系軍はシ=ギーラムに向けて出動。進駐軍を護衛するシンテーア宙軍と一触即発の事態に発展した。

 この一件は両国のみならず大宇宙各国にとってファーストコンタクトの重要性と平和的ファーストコンタクトを達成するための教訓となった。

関連項目

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最終更新:2023年09月07日 08:54