harukaze_lab @ ウィキ
花杖記
最終更新:
harukaze_lab
-
view
花杖記
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)咎《とが》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四|半刻《はんとき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]
-------------------------------------------------------
[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
はじめ与十郎は同じことをくり返すだけであった。藩家の大事について申上げたいことがあるから殿じきじきにおめどおりが願いたい、というのである。吉井忠太夫は拒んだ。忠太夫は三十八歳の小姓頭であるが、相手になにか特権があるとは思いもよらなかったので、順序をふまずに謁を乞うのは差越し願いであると咎《とが》め、また、与十郎が許しもなく届けもせずに帰国したのは家法に反する、と責めた。すると与十郎はふところから墨付を出して、忠太夫に示した。
「これは凌岳院《りょうがくいん》さまのお墨付である」と与十郎は云った、「わが加乗《かじょう》家は無役である代りに、永代御意見役を仰せつけられ、必要のばあいはいつでも殿じきじきにおめどおりを願うことができる、これがそのお許しの墨付である」
吉井忠太夫はおどろいて立っていった。そして、およそ四|半刻《はんとき》もたったと思われるころ、中島竪樹がはいって来た。竪樹は四十一歳の側用人《そばようにん》で、はいって来るなり、殿は聴松亭《ちょうしょうてい》におられるから自分が案内をしよう、と云った。与十郎は墨付をしまって立ち、竪樹のあとについていった。鷹《たか》の間の杉戸口から庭へおり、諸奉行役所の建物をまわって、まっすぐに笠木塀《かさきべい》までいった。その木戸をぬけると中庭であるが、木戸をはいったところに二人の若侍が待っていて、与十郎のうしろへ護衛のようについた。聴松亭は奥庭にあるが、竪樹は泉池のてまえを右へ曲り、植込を横ぎって松林の中へはいっていった。そこには藩主だけの使う鉄炮的場《てっぽうまとば》があり、的場がゆきどまりで、奥庭へつうずる道はない。与十郎は十三年まえまでずっと国詰だったから、そのことはよく知っていた。
「これは違う」と与十郎は立停った、「これでは奥庭へはゆけない、殿は聴松亭におられるのではないか」
竪樹は不明瞭に、こちらのほうが近道である、というようなことを云いながら、振向きもせずに歩いていった。与十郎は危険を感じた。それまでは自分の身に危害が加えられようなどとはまったく思わなかったのであるが、足ばやに歩いてゆく竪樹の背中を見たとき、これは危ないということを直覚し、戻ろうとして振返った。すると、うしろについていた若侍の一人が異様な声をあげて、抜き打ちに斬りかかった。
「よせ」ともう一人が叫んだ、「よせ平河」
与十郎はとびしさって脇差を抜こうとした。刀はむろん遠侍に置いて来たので、脇差を抜こうとしたが、鯉口《こいぐち》が固かった。そこへ相手が踏みこんで来た。与十郎は躰《たい》をかわし、左の肩を斬らせながら一転して、ようやく抜いた脇差を力いっぱいに振った。手ごたえがあり、相手の悲鳴が聞えた。
「動くな平河、じっとしていろ」と残った若侍が叫んだ、「これはおれの役だ」
そして静かに刀を抜いた。
「なんのためだ」と与十郎が叫んだ、「どうしておれを斬る、理由はなんだ」
相手は黙って、大股《おおまた》にこっちへ来た。与十郎は両手で脇差の柄をにぎろうとしたが、左の腕は痺《しび》れていて動かなかった。
与十郎が叫んだ、「命じたのは誰だ」
相手は上段から打ちおろした。与十郎は受け止めたが、脇差は切羽《せっぱ》のところで折れ、額に斬りこまれて前へよろめいた。相手は刀を返し、片手突きで与十郎の胸を刺し、すぐにぐっと引き抜いた。よほど力があり腕も立つのだろう、突き刺したとき、刀の切尖《きっさき》が与十郎の背中へ二寸あまりも出るのが見えた。
与十郎は前のめりに倒れ、いちど起きあがろうとしたが、僅かに顔をあげただけで、すぐにまた地面へ俯伏《うつぶ》してしまった。
「なんのために、――」と与十郎が云った。
だがそれは低い呟《つぶや》きのようで、相手の耳には聞きとれないようであった。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
加乗与四郎は鴻明館《こうめいかん》の剣法道場からよびだされ、鰭島《ひれじま》家の一室に監禁された。
そのとき彼は石岡伝十郎と野口吉兵衛に勝ちぬき、原田源助と勝負をするところであった。原田は井上角兵衛と大野木登に勝ちぬいており、与四郎との勝負で第一位が決定するのだが、三年つづけて原田が第一位を占めて来たから、与四郎としてはぜひともこの勝負をものにしたかったのである。――その支度をしているところをよびだされた。控え所で待っていたのは和泉《いずみ》大蔵という目付役の者で、これからすぐに鰭島まで同行してくれと云い、与四郎がわけを話したが、和泉は冷淡に首を振った。
「一年一度の大事な試合で、それは知らない者はない筈だ」と与四郎が云った、「せめて勝負の済むまで待ってもらえないのか」
和泉はまた首を振り、自分にはそういう斟酌《しんしゃく》をする自由はない、と答えた。
「いったいどういう理由なんだ」
「ゆけばわかるでしょう」と和泉は云った、「私は命じられて来ただけで、理由はなにも知りません」
与四郎は道場へ引返し、審判役にわけを話したうえ、暫く待ってくれるようにと頼み、稽古着のまま鴻明館を出た。和泉はその恰好を見て妙な顔をしたが、べつになんとも云わなかった。鰭島五郎兵衛は九百石あまりの年寄役|肝煎《きもいり》で、住居は武庫の脇。横手に大きな榎《えのき》が枝を張っている。それはこの中屋敷の目じるしになるくらい高く、眼どおりで幹の太さが十五尺以上あり、いまちょうど全枝にみずみずしく若葉が芽ぶいているところであった。――和泉は先に立って、玄関の左にある折戸をはいった。そこには鰭島の家士が二人待っていて、与四郎をうけとり、和泉はすぐに去っていった。家士たちも与四郎の姿を訝《いぶか》しげに眺めたが、そのまま裏庭をまわってゆき、陽の当らない北向きの縁側から、暗くて小さな座敷へ案内した。与四郎はかれらにも事情を話し、すぐに道場へ戻らなければならない、ということを説明した。家士たちは眼を見交わし、それから渡辺という中年の家士がなだめるように云った。
「どうなるか私どもにはわかりませんが、とにかくその恰好では困りますね、使いをやりますが着物やお差料は鴻明館ですか」
「そうだ」と与四郎は頷《うなず》いた、「しかしそんな物を取って来る必要があるのか」
「あるようですね」と渡辺が答えた。
そんな暇はないということをくり返したが、かれらは相手にならず、渡辺がそこに残り、他の一人は出ていった。与四郎はこみあげてくる怒りを抑えながら、これはいったいどうしたことなのかと、ひらき直って訊《き》いた。渡辺はなにも知らないと云い、だが試合のことは諦《あきら》めるほうがいいと暗示した。与四郎は腹だたしさとともに、ふと一種の不安を感じ、腕組みをして黙った。
――ことによるとあれだな。
彼は心のなかで思った。
――そうだ、きっと父の問題だ。
二十日あまりまえに、父の与十郎が国許《くにもと》へいった。藩主の播磨守《はりまのかみ》直治に会うということだったが、そこでなにか間違いでも起こったのだろう。そのほかに考えようはない、と彼は思った。やがて着物が届いた。しかし刀がないので、どうしたのかと訊くと、刀は預かって置くという。与四郎はたまりかねて「そんな無法なことがあるか」と云った。
「刀を取上げるというのは罪科のある人間に対してすることだ、私がなにをした」
「静かにして下さい」と渡辺が云った、「私どもはそうしろと命じられたからするだけです。まもなく事情がわかるでしょう、どうかそれまで騒がないで下さい」
与四郎は着替えをした。勝ちぬきのあとでいちど汗は拭いたのだが、稽古着の汗臭さが肌にしみついたようで気持がわるかった。袴《はかま》をはき終ってから、ぬいだ物をまとめると、渡辺が受取って廊下へ出し、襖《ふすま》を閉めてまた坐った。与四郎はそれを見て、監視だなと気づき、これはことによると厄介なことになるぞと思った。
「こんなに待たせるなら」と暫くして与四郎が云った、「試合をする時間は充分にあった、いまごろはもう済んでいた筈だ」
渡辺は黙って自分の袴の襞《ひだ》を撫《な》でていた。
時間はゆっくりと経ち、座敷の中が暗くなった。野原という若い家士が来て坐り、渡辺が立っていった。与四郎はもうなにも云わず、坐りくたびれたので横になった。なにごとが起こり、自分の身がどうなるのか。まったく見当もつかないし、見当のつけようもない。まるで化かされたような気持だ、と彼は肱枕《ひじまくら》をしながら思った。行燈がはこばれてから、急に空腹を感じた。どこかから魚を焼く匂いがただよって来るようで、口の中がなま唾でいっぱいになりそうだった。与四郎は起き直り、まさか食事の催促もできないから、茶を一杯欲しいと云った。若い家士は与四郎をじろっと見たが、なにも云わず、立ちあがるけはいもみせなかった。
「ここへ来てっから口も濡らしてないんだ」と与四郎が云った、「茶ぐらいもらえないのか」
しかし野原は黙ってそっぽを見ていた。
一杯の麦飯と、菜の汁と、香の物の夕食がはこばれた。飯は殆んど麦ばかりだし、汁は冷たかったし、香の物は古漬けの大根が三切だった。与四郎は箸《はし》をつけただけでやめた。べつに口が驕《おご》っているわけではなく、その食事がまるで罪人に与えるために作られているように感じられたからである。彼が箸を置くと、その食膳《しょくぜん》はすぐにはこび去られた。
――これはひどい、これはひどいぞ、尋常な事ではないぞ。
原因は父のことに相違ない。国許へ立つとき、殿に申上げることがある、と父は云っていた。彼は気にもとめなかった。それは少年時代からのことで、父と彼とは気が合わない。特にちかごろは話もろくにしたことがないので、「そうですか」と聞きながし、そのまま忘れていたくらいであった。殿に申上げることというのは諫言《かんげん》の意味だろう、加乗家は永代意見役という妙な役を持っている。おそらくその役をはたしにいったのだろうが、自分までがこんな扱いを受けるというのがわからない、父はいったいなにをしたのか。そうだ、と与四郎はふいに顔をあげた。
――母はどうしているだろう、自分がこんなことになったとすると、母や妹の身にもなにかあったのではないか。
彼は壁をみつめながら、つよく歯をくいしばった。
その夜はそのまま寝た。薄い夜具が二枚だけで寝衣もない。もう寒くはなかったが、着たまま寝るなどということは初めてだし、昂奮《こうふん》がしずまらないのでいつまでも眠れなかった。隣りの小部屋に二人、不寝番がいて、ときどき茶を啜《すす》ったり、低い声で囁《ささや》きあったりするのが聞えた。――明くる朝、まだほの暗い時刻に、彼は呼び起こされ、着物を直し袴をはいただけで、顔も洗わずに表座敷へ伴《つ》れてゆかれた。そして、彼が坐るとすぐに、目付役の沼田八十郎とこの家のあるじ鰭島五郎兵衛がはいって来、沼田が上座、鰭島が脇の座についた。二人とも麻裃《あさがみしも》で、座につくとすぐ沼田が「上意」と云った。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
与四郎は平伏して聞いた。聞いているうちに頭へ血がのぼり、眼の前にある畳が揺れ動くように感じた。本当か、やったのか、本当にやったのか、と彼は心のなかで思った。
沼田の読みあげた上意書を要約すると、――国許へ帰った父の与十郎は、去る三月二十二日登城、播磨守に面謁を強要し、小姓頭が取次ぎに立ったあと、とつぜん刀を抜いて馬廻りの者に斬りかかった。人が集まり、とりしずめようとしたが刀を振りまわして暴れ、奥殿へ駆けこもうとするのを御錠口でとり詰めたが、なお手向いをするため、やむなくそこで斬ってしまった。与十郎は即死、家中の者に負傷者が三人出た。加乗家は凌岳院さまから格別の墨付をいただいていることではあるが、無届で帰国したこと、城中で刃傷に及んだことは、仮に乱心のうえだとしても大罪である。したがって長男の与四郎は沙汰のあるまで鰭島五郎兵衛に重預《じゅうあず》け、妻の早苗《さなえ》、娘しづ[#「しづ」に傍点]の両名は居宅謹慎を命ずる、――ということであった。読み終った沼田は上意書を裏返し、両手でかかげて与四郎に示した。与四郎はそこに江戸家老の岸岡|大膳《だいぜん》はじめ、老職たちの連署を認めた。
「念のためのお願いですが」と与四郎は手をついたままで云った、「父が城中で乱心し、刃傷に及んだという前後のことを、もう少し詳しくうかがえませんでしょうか」
沼田は鰭島五郎兵衛を見た。鰭島が与四郎に反問した、「なにか不審でもあるのか」
「不審というわけではございませんが、そのような場合に理由もなく乱心したということが、父の性質として納得できないように思われるのです」
「わかっているのはいま読み聞かせた事実と、殿がたいそう御立腹であるということだけだ」と鰭島が答えた、「いずれ正式にお沙汰の出るときが来たら詳しいことがわかるかもしれぬ、わかったら申し聞かせることにしよう」
与四郎は低頭した。
元の部屋へさげられ、そこで監禁生活が始まった。寝衣と下帯だけは届いたが、着替えは許されなかったらしい。狭くて暗い風とおしの悪い部屋だったし、四月といえばもう初夏のことで、三日も経つと着ている物が汗臭くなった。朝いちど洗面をするだけで、風呂を使わせてくれるようすはない。やむなく洗面のときに肌を拭くのだが、水では汗もさっぱりと拭きとれないばかりか、却《かえ》ってあとがべとつくように感じられた。食事は朝晩の二度。どす黒いぼそぼその麦飯に、菜汁、古漬けの香の物ときまっており、それがいつも冷たかった。飯も汁も、すっかり冷えるのを待っていて持って来るとしか思えないし、汁は味が薄く、殆んど塩けがないようであった。
「まったく罪人の扱いだ」と食事のたびに彼は呟いた、「正式の沙汰もないうちにこんな扱いをするという法があるだろうか、これでは躯がまいってしまうぞ」
だが悲しいことに、与四郎はやがてその不味《まず》い食事をきれいに片づけるようになった。
五日ばかり経って、気持がおちついてくると、彼は初めて父のことを考えた。彼は少年時代から父が嫌いで、ひところ「自分は貰われてきた子にちがいない」と固く信じたくらいであった。どうしてそんなに嫌いなのか自分でもわからない、おそらく性が合わないというのであろうが、思い当る直接の理由が一つだけあった。それは加乗家の永代意見役という妙な役目に関するもので、彼は十歳のときにそのことの起こりを聞かされ、それについて加乗家の長男の守るべき心得をきびしく訓《さと》されたとき、子供ごころにもその窮屈さと負担の重さとに気がめいったものであった。――原因はごく単純なもので、祖父の与十郎|三利《かずとし》という人が先々代の藩主に強諫《きょうかん》したことによる。いま凌岳院と呼ばれているその藩主は内匠頭《たくみのかみ》直発といい、五年まえに八十歳の高齢で死んだが、頭のよい精力的な人で、政治の上で多くの功績を残している。けれども若いころはその頭のよさと、精悍《せいかん》な気性とで、日常の生活はずいぶんわがままであり放埒《ほうらつ》だった。加乗は国詰で、与十郎三利は小姓頭を勤めていたが、前後十数回、くり返して直発に直諫し、ついには眼の前で腹を切った。直発がとびかかって押え、危うく死なずに済んだが、それから直発の素行がおさまった。直発が三十八歳、三利が二十八歳のときだったという。同時に直発は三利を小姓頭から解き、「永代意見役」という墨付を与えたうえ、代々その役を守るように命じた。
――藩家の大事について申すべきことがある場合には、命にかけて申上げなければならない。
と父の与十郎は幼い彼に云った。加乗はそういう家柄であるし、その役目を守るためには平生の覚悟が大切である。中でも周囲の者と親疎のかかわりをもつということを厳重に慎まなければならない。人と親しい関係ができると、公平な判断がつかなくなるし、私情にひかれて決断が鈍るからである。
――決して親しい友達をつくるな。
親疎のべつで人とつきあってはいけない、ということを父はくり返して云った。その当時、彼には特に親しい友達が一人いた。五百石ばかりの番頭の子で松尾新六といい、年は与四郎より二つ上であった。顔だちもきりっとしているし、頭のすごく切れる、いわば秀才型の少年だったが、いたずらにかけても人に負けず、驚くほど巧みな機知をふるって子供たちをひきまわした。そのおかげで与四郎はずいぶんいろいろな遊びを覚えたものだし、新六のいない生活というものは考えられなかった。それはむろん父も知っていることだろうと思ったので、与四郎はおそるおそる訊いてみた。
――おまえは私の云うことを聞いていなかったのか。
と父は反問した。そういうときの父の声や眼つきは非情そのものであった。与四郎は俯向きながら、聞いていましたと答えた。
――それなら無用な質問はするな。
と父は云った。
与四郎は新六からはなれた。十歳の少年には辛いことであった。永代意見役などという役目も重荷であったし、同家中の誰とも親疎のつきあいをしてはならないということは、友達の必要な年齢にはいっていた与四郎にとって殆んど罰を課されるに等しいものであったが、十歳なりの意地が彼を支えたらしい。二年のちに父が江戸詰になり、与四郎も母や妹もあとから江戸へ去ったが、それまで新六にはずっと近づかなかったし、江戸へ移ってからも友達らしい友達はつくらずにとおして来た。
――これはばかげている、こんなばかばかしい役目はない、これでは飼い殺しだ。
彼は十八九の年からそう思い始めた。祖父は五十五歳で病死した。父は二十九歳で家督をし、今年は四十九歳になる。だが、意見役という役目を現実にはたしたのは祖父だけで、それも二十八歳のときを最後に、あとはなにもしていない。生涯の半分、しかも心身ともにもっとも充実した年代をなすこともなく終った。父も同様であるし、このままゆけば自分の生涯も同じことであろう。なにも仕事をせずにただ扶持《ふち》を食って生きてゆくというのは、屠《ほふ》られる時を待っている家畜のようなものだ。おれはごめんだ、と彼は思った。まっぴらだ、おれは人間に生れて来ただけのことはしたい、少なくとも人間らしい生きかたをするんだ、と彼は自分に誓った。――与四郎は剣法が好きで、鴻明館でも学問よりは武芸のほうで才能を認められていた。凌岳院の墨付で政治のほうの役目にはつけないが、武芸の師範なら差支えはない筈だ。幸い好きなみちではあるし、剣法で第一流の師範になってやろう。彼はそう決心をし、そのとおり努力して来た。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
「そしていま、こんなことになった」
寝苦しい夜半、与四郎は夜具の中で溜息《ためいき》をついた。
「今年こそ原田に勝てた、今年は勝てる自信があったんだ」と彼は呟いた、「それを、その肝心な勝負を眼の前にしてこんなことになってしまった」
おやじのためだ、と与四郎は思った。永代意見役などということをくそまじめに固執し、いっぱし壮士のつもりでやったのだろう。だが結果はこのありさまだ。自分は「乱心者」などという札を貼《は》られて死に、家名も遺族もどうなるかわからない。現におれがこんな罪人のような扱いをされるところから察すると、軽くて追放、うっかりすると切腹などということになるかもしれない。
「それはごめんだ、追放ならまだしも、こんなことで切腹なんてまっぴらだぞ」と彼は自分に云った、「おれの知ったことではない、おやじが自分で考えてやったことだ、おれは相談もされはしなかった、おれに関係のないことで切腹させられるなんてまっぴらごめんだ」
与十郎がなにも相談しなかったということはない。国許へ立つまえにひと言、「殿に申上げることがあって国許へゆく」ということを云った。与四郎はそうですかと答えただけで、こちらからはなにも訊かず、すぐに父の前から立ってしまった。それはいつものことである。彼はおちついて父と話したことがない、父と対座しているだけでも気が苛立《いらだ》ってくるし、少し長く話など聞かされると冷汗が出るくらいであった。少年時代のように、自分が貰われて来た子だなどとは思わなくなったが、父は父、自分は自分とはっきりけじめをつけていた。二人のあいだにはまったく共通点がないし、親子の愛情というものさえ感じられなかった。
「もしも切腹などということになったら逃げだすぞ」と彼は呟いた、「いま死んでたまるものか、きっと逃げだしてみせるぞ」
だが、彼は急に「う」といった。自分は逃げだしてみせるが、母や妹はどうする。独りならどうにでもなるが、母や妹を伴れて脱出することができるか。自分だけが逃げるとすれば、残った母と妹が無事では済まないだろう。
「おやじめ」と彼は呻《うめ》いた、「おやじめ」
日数はたしかでないが、半月ほど経ってから申渡しがあった。こんどは目付役の沼田でなく、次席家老の鉄村|権太夫《ごんだゆう》が来、鰭島がその副使というかたちであった。――予想ほどひどい処置ではなかったが、与十郎の「城中における刃傷」という点をきびしく咎め、家禄《かろく》を六百石から五十石に削り、与四郎は鰭島家で五年間の重謹慎、母と妹のしづ[#「しづ」に傍点]には二年の居宅謹慎を命ずる、ということであった。
申渡しが済むとすぐに、刃傷のときの詳しいことを聞きたい、と与四郎は云った。鉄村はべつに話すことはないと答えた。沙汰書に記してあること以外にはなにもない、と答えて立とうとした。与四郎はよびとめて、ではなにか上書のような物は持っていなかったかと訊いた。
「父は殿に申上げることがあって帰国したのです」と彼は云った、「そのためには言上書のような物を持っていた筈ですが、その点はいかがでしょうか」
「ないようだな」と鉄村は云った、「所持した品は戻って来たまま、そのほうの母にひき渡したが、そういう物はなかったようだ」
与四郎は唇を噛《か》んで黙った。
日が経つにつれて、彼は父が可哀そうに思われてきた。
二十二歳の年と二十三歳の年に、与四郎は総持寺で参禅したことがある。そのときいっしょになった老雲水が、彼に向って身の上を述懐し、「人間がけんめいになってやる事の九割までは無意味なものだ」ということを云った。その雲水は六十歳くらいであったが、いまでも酒と女の誘惑にかつことができず、賭《か》け碁をしてまわっては酒色に溺《おぼ》れて飽きない。ときどき禅堂にこもるのも求道が目的ではなく、もっともよく酒と女をたのしむための休息である、などと云って笑った。なんのためにそんな話をしたのかわからない、与四郎は黙って聞いていただけであるが、父の一生を思いやるようになったとき、ふいとその言葉が頭にうかんだのであった。
「これという仕事もせず、たのしみもなく、親しい友達もつくらず」と彼は呟いた、「家庭の団欒《だんらん》も知らず、五十歳ちかくまで生きて来て、こんなふうに死んでしまった。なんのために生れ、なんのために生きて来たのか」
きまじめに相伝の役目を守り、その役目をはたそうとして死んだ小心な父。たった一人の男子である自分とも、ついにいちどもうちとけて話したことがなかった。
「可哀そうなおやじだ」と彼はまた呟くのであった、「おれがもう少し愛情をもっていたら、こんなふうにはならなかったかもしれない、少なくとも犬死にはさせずに済んだかもしれない」
これでは犬死にだ。そう思ったとき、与四郎は緊張した顔でじっと宙をみつめた。そのときになって初めて、こんどの出来事のぜんたいが現実のものとして感じられるように思われた。
「待てよ」と彼は呟いた。
彼は出来事の始終を詳しく考え直した。
「おれはつんぼかめくらだったんだな」とやがて彼は口に出して云った、「おれは底ぬけのばかだったぞ」
父の死は不審だらけであった。播磨守に面会を求めたところまでは事実だろう、そして小姓頭が取次ぎに立ち、その結果を聞かないうちに乱心した。どうしてだ。父はきまじめで小心かもしれないが、理由なしに乱心し刃傷に及ぶような性分ではない。殿に申上げることがあり、ただそのためだけで帰国したのに、目的を眼の前にして、自分から事をぶちこわすなどということは考えられない。また、死ぬ覚悟をしていたとすれば、言上書の用意ぐらいはしていた筈である。
「なにかある、なにか隠されたことがある」と彼は呟いた、「申渡しに書いてあったことは事実ではない、少なくとも歪《ゆが》められ作られた部分がある」
或る日、与四郎は鰭島五郎兵衛に面会を求めた。監視の侍は拒絶した。すでに五年間の重謹慎ときまっている者が、重職に面会を求めるなどということは許されない、と云うのである。
与四郎は譲歩して、それなら父を討止めた者が誰であるか、その者の名を聞かせてもらいたいと頼んだ。監視の侍は訊きにいってくれたが、戻って来ての答えはやはり拒絶であった。
「討止めたのはその場に居合せた者の当然とるべき処置で、誰彼という差別はない」と監視の侍は伝えた、「名をあかせば私怨《しえん》を残すおそれがあるから、国許でも極秘にしてあるということです」
与四郎は黙って頷いた。
父の乱心が事実であって、討止めることが当然の処置であったのなら、「私怨を残す」などということがあるわけはない。その人間の名をあかさないのは、真実を隠すためだ。知られてはならないなにかがあるからだ、と与四郎は思った。
――このままではおけないぞ。
このままに済ましてしまってはあまりに父が可哀そうだ。可哀そうじゃあないか、と彼は自分に訊いた。よし、かれらの隠したものをさぐりだしてやろう、ここをぬけだして国許へゆき、かれらの埋めたものを掘りだしてやろう。与四郎はそう決心した。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
隣りの小部屋には監視の侍がいた。はじめは二人だったが、やがて一人ずつの交代になり、与四郎が神妙にしているためだろう、不寝番に当る者もしだいに警戒心がゆるんで、夜半を過ぎるとごろ寝をするようになった。与四郎はその時刻になると手洗いに立ち、不寝番の者をよび起こした。腹をいためたらしいという口実で、七日ばかり続けると、不寝番の者は面倒になったらしく、一人でいって来いと云って、付いて来なくなった。そこでいちど中止し、四五日してまた始めたが、こんどははじめから付いて来ず、起こさなくともいいと云って顔を見ようともしなかった。
夜の十時から午前二時まで、一刻おきに三回ずつ、邸内を夜廻りが巡回する。与四郎は柝《き》の音でその順路を計り、時刻は二回めの直後がいいこと、脱出するのは菜園から西の塀を越し、崖《がけ》をおりて中の橋へぬける、ということをきめ、その手順をくり返し頭へたたみこんだ。次に、天床の隅から煤《すす》を集め、食事のときの汁椀の蓋で溶いて、塵紙《ちりがみ》書置を書いた。
――五年の監禁には辛抱ができないから、自分は出奔して浪人になり、然るべき仕官のみちを捜すつもりである。母と妹は無関係だから、穏便なはからいを願いたい。
そういう意味のものであった。
四月の二十日か二十一日だったろう、午後から吹きだした風が夜になってもやまず、更けるにしたがって庇《ひさし》や雨戸を揺り叩くほど強くなった。その夜の不寝番は野原という若い家士で、与四郎は宵のうちからしばしば手洗いに立ち、さも痢急に苦しんでいるようにみせておいた。野原は寝ころんで小説本らしいものを読んでいたが、十一時ころに覗《のぞ》いたときには、もう本を投げだしたまま眠りこけていた。与四郎は身支度をして待った。待ったのは半刻たらずだったが、その僅かな時間の経過ののろいことと、いまにもなにか故障が起こりそうな危惧《きぐ》とで、彼は全身にあぶら汗をかいた。
やがて十二時の夜廻りの柝が聞えて来た。与四郎は立って隣りの小部屋へゆき、野原をゆり起こした。若い家士はねぼけ声で、なんだと云いながら頭をあげた。
「手洗いにゆきたいんだ」と与四郎が云った。
「うるさいな」と野原はさもうるさそうにまた肱枕をした、「いちいちそう起こさないでくれ、わかってるじゃないか」
与四郎は廊下を歩いてゆき、手水《ちょうず》口から外へ出た。夜廻りの柝の音は武庫の向うへ遠のいており、あたりはまっ暗で、吹きたけっている風は土埃《つちぼこり》の匂いが強く、たちまち歯がじゃりじゃりいいだした。
大井戸のところを右へ曲った彼は、自分の住居の裏から、塀を乗越えてはいり、母の寝所の窓を叩いた。風のうなりが高いので、なかなか聞きわけられなかったらしいが、やがて雨戸の向うで母の声がした。
「与四郎です、ちょっとあけて下さい」
障子をあける音がし、すぐに雨戸があいた。そのとき与四郎は書置に違った文句を書くべきだったと思った。母と妹もいっしょに伴れて出るのだ、残しておいてはどんな危険があるかもわからない。伴れだすほうが無事だと気づいたのである。しかし彼が口をきこうとするまえに、あけた雨戸の隙間から、風呂敷包と大小が差出された。
「待っていました」と母が云った、「国許へいらっしゃるのでしょう」
「ゆきます」と答えて、包と刀を受取りながら、母が自分の来るのを予期していたということに、強い感動とおどろきを感じた、「私は国許へゆきますが、母上としづ[#「しづ」に傍点]もいっしょに此処《ここ》を出て下さい」
「早くいって下さい」と母は囁いた、「わたくしたちの心配はいりません」
「しかし此処にいては危険です、なにをされるかわからないが、危険なことはたしかだと思うんです」
「お父さまはあのような死にかたをなさったし、あなたがこれからなさることも命がけでしょう、わたくしたちだけ安全でなければならないということはありません」と母は云った、「みつからないうちに早くいって下さい、わたくしたちは大丈夫です」
母の口ぶりはしっかりしていた。与四郎はちょっと口ごもった。母のそんな気丈なようすを見るのは初めてのことだったし、その口ぶりには一種の威厳さえも感じられた。
「では、私はまいります」
「その中に路用がはいっています」と母が云った、「刀はお父さまの差替えですからそのおつもりで、――首尾よくゆくよう、祈っています」
「父上がなにを申上げにいったか、御存じですか」
「いいえ知りません、そういう話はいちどもなさいませんでした」
与四郎は頷いて、両刀を腰に差した。
「有難う、与四郎さん」と母はいっそう声をひそめ、感情を抑えた調子で囁いた、「あなたがきっとそういう気持になって下さるだろうと信じていました、お父さまもさぞおよろこびなさることでしょう、有難うよ」
与四郎はなにか云おうとしたが、黙って低頭しただけで、その窓際からはなれた。
菜園は藩主の食膳に供する蔬菜《そさい》を作るところで、周囲に柵《さく》がめぐらせてある。彼はその柵にそって廻り、西の塀まで走った。この中屋敷は麻布《あざぶ》狸穴《まみあな》の台地の端にあり、西側の塀の外は崖になっていた。といってもそれほど切立っているわけではなく、ところどころに草や灌木《かんぼく》が生えており、子供などでもそこを伝わって、登ったりおりたりすることができるくらいであった。――与四郎が塀際に着いたとき、うしろに人の叫び声が聞えた。振返って見ると、菜園の柵を廻って、幾つもの提灯《ちょうちん》が揺れながら、こっちへ走って来るのが見えた。脱出したことがわかったのだろう、与四郎は刀と風呂敷包を塀の外へ投げ、塀にそって左のほうへ走った。向い風なので追手の声はよく聞えないが、提灯が二方にわかれ、左右からはさみうちのかたちで、迅速にこちらへ近づいて来た。
与四郎は塀にとびついた。しかしそれは朽ちていて、つかんだ笠木はひとたまりもなく折れ、彼は仰向きになったまま地面へ落ちた。背中を激しく打ったため、呼吸ができなくなり、彼は「うっ」と呻きながら躯を折り曲げた。
おい、と彼は自分に云った。しっかりしろ、かれらはそこへ来ているぞ。
まだ、呼吸は停ったままだった。胸をひき裂きたいような苦しさである。だが与四郎は起きあがり、こんどは注意ぶかくおちついてやった。笠木は折れたが、躯はうまく塀の上にあがり、そこから外へととびおりた。するとその反動で胸のどこかがひらき、呼吸ができるようになった。彼はそこへ坐って、拳《こぶし》で胸を叩きながら激しく喘《あえ》いだ。
「こっちにはいないぞ」と塀の内側で叫ぶのが聞えた、「そっちはどうだ」
相手の答えは風のために聞きとれなかった。かれらの声が遠のいてからも、与四郎は坐ったまま喘いでいた。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
与四郎が城下町に着いたのは五月七日の夕方であった。南を山に囲まれたその町は、竜頭川をはさんで武家屋敷と町家とに分れている。竜頭川はそこから三里ゆくと海にはいるのであるが、城山の端で右曲しており、城山の裏を北流しているため、海は見えなかった。
彼は城下へはいるのにかくべつ警戒はしなかった。書置に「浪人のうえ仕官の口を捜すつもりだ」と書いておいたし、自分が国許へゆくなどということは誰も考えはすまいと思っていた。それでも旅支度には深い編笠をかぶって、同家中の者の眼を避ける用意くらいはしていたのであるが、町へはいる畷道《なわてみち》のところで、突然、五六人の侍たちに取囲まれた。かれらは松並木のあいだにある掛け茶屋から出て来て、すばやく与四郎の前後を塞《ふさ》いだ。
与四郎は笠の中からかれらを見たが、知っている顔はなかった。
「失礼だが」と年嵩《としかさ》の一人が云った、「御姓名とゆく先を聞かせて下さい」
与四郎は偽名をなのり、竜頭川の河口にある小さな港町の名を云った。
「笠をぬいで下さい」と相手が云った。
与四郎は編笠をぬいだ。かれらは与四郎を眺め、お互いに眼を見交わした。
「どうしたのです」と与四郎が反問した、「なにか間違いでもあったのですか」
相手は聞きながして云った、「御足労だが番所まで同行して下さい」
「番所まで、――なんのためにです」
「加乗与四郎という者を捜しているのです」と相手が答えた、「われわれはその人間を知らないから、そこもとが偽名を使っているかどうか判別ができない。番所へゆけばそれがはっきりするというわけです」
与四郎はゆっくり頷いた、「いいでしょう」と彼はまた頷いた、「さしていそぐわけでもない、まいりましょう」
相手はめくばせをし、二人の若侍が与四郎の左右へまわって、「どうぞ」と云った。
他の者は残り、三人は歩きだした。梅雨にはいるまえのむし暑い日で、畷道は乾ききっており、歩く足もとから土埃が立った。城下町の重なりあった屋根はかすんでいるが、城山の松林や、高い天守閣や、櫓《やぐら》の白壁などははっきりと見えた。牛を曳《ひ》いた農夫がゆき、馬方がゆき、荷車とすれちがった。
「暑いですね」と与四郎が云った、「番所までは遠いんですか」
「いや」と一人が答えた、「町へはいるとすぐです、京橋という橋のたもとですよ」
与四郎は少し歩いてからまた訊いた、「さっきの、その、加乗とかいう男は、なにをしたんですか」
相手は黙っていて、やがて右側の一人が云った、「それは訊かないで下さい」
「どうも失礼」と与四郎は云った。
畷道が終り、土橋を渡って町へはいった。疎《まば》らな家並がしだいに軒を接し、次の土橋を渡ると板屋町になる。陽はもう山の向うにおちてしまい、家いえからながれ出る炊《かし》ぎの煙が、黄昏《たそがれ》の光りの中で靄《もや》のようにたなびいていた。十三年まえと少しも変らない町のけしきに、与四郎は胸の痛くなるようななつかしさを感じながら、地蔵の辻《つじ》まで来ると、そこで左へ曲った。京橋は右へゆくのであるが、彼は左へ曲って、ゆっくりと歩き続けた。もちろん二人は呼びとめ、そして追って来た。
「そっちは道が違います、戻って下さい」
「もういいだろう」と与四郎は振向きもせずに云った、「日が昏《く》れるからここで失礼する」
「番所はすぐそこです、戻って下さい」
与四郎は立停り、振返って「いやだ」と云った。二人はたじろいだ。振返った彼の姿勢が、かれらを圧倒したようであった。
「どうしても伴れてゆくというなら」と与四郎はひそめた声で云った、「腕ずくでやれ」
二人は黙っていた。
「おれは名もなのりゆく先も告げた」と与四郎はまをおいて続けた、「これ以上のつきあいはごめん蒙《こうむ》る、もし疑わしいと思うなら中島の港までついて来い」
そしてゆっくりと歩きだした。二人はなにか囁きあいながら、それでも半丁ばかりついて来た。与四郎は見向きもしなかったが、腋《わき》の下に汗のながれるのが感じられた。道はひと曲りして桶町にはいり、往来は物売りや子供たちで混雑しはじめた。――与四郎はおちついた足どりで歩いてゆき、鍛冶《かじ》町のところで振返った。かれらは諦めたのだろう、町の人ごみを眼で捜したが、二人の姿はもうみつからなかった。彼は太息《といき》をつき、ふところから手を入れて、両腋の汗を手拭でふいた。
「危なかった」と彼は呟いた、「これは用心をしないとやられるぞ」
かれらは自分が来ることを予期していた。おそらく充分に手配りがしてあるだろう、いちどは危うく※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れたが、顔を知っている者に出会ったらおしまいだ。どうしよう、と歩きだしながら与四郎は思った。どこかへ身を隠さなければならない、どこがいいか。松尾新六だな、新六なら力を貸してくれるだろう。松尾なら慥《たし》かだが、いや、と彼は首を振った。
「それはわからない、新六がこんどの事に無関係だという証拠はない」と与四郎は呟いた、「そこがはっきりするまでは誰にも頼ることはできない、松尾にもだ」
与四郎は竜頭川の岸へ出て、昏《くら》くなりだした町を京橋のほうへ戻り、柳町の「田口屋」という旅籠《はたご》で草鞋《わらじ》をぬいだ。小さいけれどもわりに新しい建物で、廊下はもちろん、通された六帖の座敷も、きれいに掃除がゆきとどいていた。風呂からあがると、番頭が宿帳を持って来たので、与四郎はべつの偽名を書き、四五日泊ると云った。――ほかにも客が三組ばかりあるらしかったが、飲んで騒ぐというようなこともなく、夕食を済ませたあと、窓際で団扇《うちわ》を使っていると、京町の花街から絃歌《げんか》の声が聞えて来るほど静かだった。
八時ころに夜具を敷かせて横になり、まもなく眠ったのだろう、夜半を過ぎたころ、障子をあける音で眼をさました。そろそろと、忍びやかにあけたので、却って耳についたらしい。与四郎は枕許の刀へ手を伸ばしながら、そのまま息をころしていた。
「もし、――」とはいって来た者が囁いた、「起きて下さいまし、加乗さまの若さま、もし」
女の声であった。与四郎は刀を取って起き直った。灯を消した座敷の中は暗く、相手の姿はよく見えなかった。
「誰だ」と与四郎が云った。
「加乗さまでいらっしゃいますか」と女が訊いた、「もしそうでしたら此処は危のうございます、御案内するところがございますからいっしょにおいで下さいまし」
与四郎はもういちど「おまえは誰だ」と訊いた。
「平野屋さんから頼まれた者です」
「平野屋、――それはどういう人間だ」
「どうぞお静かに」と女が云った。
女はこの田口屋の女主人であった。そして、平野屋というのは西町にある宿屋で、主人は多助といい、むかし加乗家に奉公をしていたが、十五年まえに資金を出して貰って宿屋を開業した、と説明をした。与四郎はすぐに思いだし、終りまで聞かないうちに「ああ」と頷いた。
「その平野屋なら知っている」と彼は立ちあがりながら云った、「だがどうして私が与四郎だとわかったんだ」
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
与四郎が支度をするあいだに、田口屋の女主人が話した。彼は気づかなかったが、あの二人の若侍はあとを跟《つ》けて来たらしい。暫く経ってから、店へはいって来て宿帳をしらべた。与四郎は畷道のときとは違う名を使っておいたが、それをみつけたのだろう、「やっぱり偽名だ」とか、「加乗かもしれないぞ」などと囁くのが聞えた。
十日ほどまえ、城下町のぜんぶの宿屋に対して、与四郎についての通告があった。偽名を使うだろうが年齢はこれこれ、見知らぬ侍か浪人者が泊ったらすぐ届け出るように、というのである。その通告のあとで、平野屋多助が一軒ずつ宿屋を訪ね、「与四郎を助けたいから力を貸してくれ」と頼んで廻った。――与十郎の死も語り、その裏になにか仔細がありそうなこと、もし与四郎が帰国するとすればそのためであろうから、自分としては亡き与十郎への報恩に、ぜひとも与四郎を助けなければならない。同業のよしみで助力してもらいたい、と懇願した。みんなこころよく承知したようだし、田口屋でもそれらしい客が来たらと、待っていたところだと云った。
話を聞きながら、与四郎はふと父の顔を思いうかべた。そのとき変ったようすでもみせたのか、女主人が話をやめて、「どうかなさいましたか」と訊いた。
「いや、なんでもない」と彼はわれに返ったように云った、「それでわけはわかったが、これからどうするのだ」
「平野屋さんへ御案内いたします、そうするお約束でしたから」
「この家に迷惑がかかりはしないか」
「その御心配はいりません」と女主人はおちついて云った、「てまえどものことは考えてありますから、――よろしかったらお供をいたしましょう」
与四郎は幾らかの銀を包んで置き、刀を取って腰に差した。
女主人は中庭へおり、裏木戸から外へ出た。西町までは約十町ばかりだったが、路次から路次をぬけてゆくので暇どり、平野屋の裏へ着いたときには法心寺の鐘が八つ(午前二時)を打ちだしていた。田口屋の女主人が、平野屋の者を呼び起こしているあいだ、与四郎は鐘の音を数えながら、また父の顔を思いうかべていた。
それから半刻のち、彼は四帖半の小部屋で多助と話していた。
多助の実家は平野村の百姓であるが、祖父の代から誰かしら加乗家へ奉公に出ており、多助はその五番めで、十六の年から十年のあいだ勤めた。もちろん与四郎もよく知っているが、父の与十郎はひじょうに気にいったらしく、彼が四男坊であり、百姓になる気がないとわかると、資金を出して宿屋を開業させた。――与四郎はこの宿屋へは来たこともないし、平野屋という存在さえ忘れていたが、村にある彼の実家のことはよく覚えていた。平野村は城下を東へ一里ほどいった処で、与四郎は幼いころからしばしば遊びにいった。
――そうだ、村へはよく遊びにいったものだ。
多助の話を聞きながら、与四郎はそのじぶんのことを回想し、そうして、いろいろな遊びやいたずらのことから、また松尾新六を思いだし、続いて空《から》井戸のことを思いだした。
「その話はわかった」と与四郎は多助を遮《さえぎ》った、「だがどんなに手配りが厳重であろうとも、おれはやるだけのことはやるつもりだ」
多助は当惑したように黙った。彼は与四郎に「すぐ城下を立退け」とすすめたのである。警戒がきびしすぎるので、自分のところでも匿《かく》まう自信がない、せめてほとぼりのさめるまででも、ほかの土地に身を隠していてもらいたい、というのであった。
「そんなことをしている暇はない、殿は六月ちゅうに参覲《さんきん》で出府なさる」と与四郎は云った、「江戸へゆかれてはそれこそどうにもならない、出府なさるまえに片をつけたいのだ」
そして彼は多助に訊《き》いた、「法心寺の裏の空井戸はまだあるか」
「空井戸、――存じませんな」
「寺の裏に広い空地《あきち》があったが」
「空地はいまでもございます」と多助が云った、「あそこにはもと不吉な屋敷があったのだそうで、いまだに誰も近よりませんし、荒れ放題になっております」
「不吉な屋敷か」と与四郎は苦笑したが、そのことには触れずに云った、「それなら空井戸もある筈だ、近よってはいけないと固く禁じられていたが、松尾たちと遊びにいって、その空井戸の中でよく山賊のまねなどをやったものだ、あそこなら、大丈夫だろう」
「その、空井戸の中ですか」
「早いほうがいい、これからいってみよう」
多助はとめたいようすだったが、与四郎はきかなかった。蓆《むしろ》三枚に細引を二た巻、そしてがんどう提灯を用意させ、もちろん提灯はつけずに二人で裏から出た。
多助が不吉な屋敷といったのは、法心寺の住職の妾の住居であった。尤《もっと》も五六十年もまえの話で、その住職は途方もない破戒僧だったらしい。幾人もいた女の一人が、その妾に嫉妬《しっと》をし、妾を殺したうえ、家に火をかけて自分もともに焼死したというのである。与四郎たちはまだ幼なかったので、よくわけはわからないながら、その話から受ける刺戟《しげき》的な感じに、胸をどきどきさせたものであった。
法心寺は竜頭川の対岸で、京橋を渡ってゆき、岸に沿って五六町あまりいったところにある。そこは武家屋敷の地はずれに当り、うしろは城山に続く丘陵が迫っていたし、西側はずっとひらけた耕地という、極めて閑静な位置にあった。――空地はむかしのままであった。与四郎は暗いなかを迷わずに歩いてゆき、まっすぐにその空井戸のところまでいって立停った。そこには大きな柘榴《ざくろ》の木があった筈で、しかしいまその木はなく、切株だけが残っていた。
「灯をつけてくれ」と与四郎が云った。
切株から奥へ五歩ゆくと、雑草に掩《おお》われて井戸の蓋があった。多助ががんどう提灯をさし向け、与四郎は木の蓋をしらべた。さしわたし四尺ほどあるその蓋は重く、木はすっかり朽ちていて、とりのけようとすると縁が欠けた。
「大丈夫だ」と彼は呟《つぶや》いた、「誰も近づいた者はないらしい、少なくとも中へはいった者がないことはたしかだ」
こんどは用心して蓋に手をかけ、少しずつずらせて躯《からだ》を入れるだけの隙間をあけた。それから細引をつなぎ合せて柘榴の切株に掛け、二本の細引で身を支えながら、彼は井戸の中へとおりていった。多助は灯をさし向けながら、「大丈夫ですか」と訊いた。
「元のままだ」と暫くして与四郎の答える声がした、「おれたちの掘った横穴もある、これなら当分いられそうだ」それからまた云った、「頼むことを忘れていた、あがってゆくから待っていてくれ」
[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]
それからまる一日、与四郎は井戸の底で刻《とき》の過ぎるのを待った。
井戸は周囲を石でたたんである。深さは十五六尺だろう。空井戸になってから年数が経ち、石と石との間はずれていて、歯朶《しだ》類や苔《こけ》が生えており、ずれている石を足掛りにすれば、らくに登って出ることができる。おりるには綱が必要であるが、むかしから登るのはたやすかった。――底から三尺ばかり上に、石を外して横穴が掘ってある。松尾新六の思いつきで、そこは山賊の首領の専用であり、つまり新六がそこでいばりちらしたり、旅人を襲う命令をだしたりしたものであったが、いまの与四郎の躯では半分くらいしかはいらなかった。
「こいつを掘ってひろげよう」と彼は独りで呟いた、「この横穴へはいっていれば、万一上から覗《のぞ》かれてもみつからずに済むだろうし、雨のときにも恰好だ」
日光の移動でほぼ時刻の見当がついた。
午前ちゅうにいちど眠り、午後は空腹になやまされた。夜にならなければ多助は来られないだろうと思うと、よけいに空腹感はひどく、そして井戸の中の息苦しさに圧倒され、いっとき、胸が板のように固くなるのを感じた。そのときまた父の顔が眼にうかんだ。父の顔は彼に頬笑みかけ、「おまえ子供のじぶんには平気だったじゃないか」と云っているように思えた。
与四郎はその父の顔をはなすまいとした。すると却《かえ》ってそれはぼやけてゆき、遠のいてしまったが、ふしぎに温たかい感情があとに残った。与四郎は息苦しさも忘れ、ひどい空腹も忘れて、ながいことじっともの思いにとらわれていた。――日が昏れてからまた眠ったらしい、ひそめた声で名を呼ばれ、はっとして、刀を取りながら起き直った。
「若さま」と若い娘の声が呼んでいた、「いらっしゃいますか、若さま」
与四郎ははっきり眼がさめたが、黙ってようすをうかがった。
「若さま」とまた娘が呼んだ、「平野屋の者でございます、いらっしゃいますか」
与四郎が問い返した、「平野屋の誰だ」
「多助の姪《めい》でおせい[#「せい」に傍点]と申します、お弁当と着物を持ってまいりました」と娘が云った、「いまそちらへおろしますから」
土と小石が落ちて来、やがて、大きな目笊《めざる》がおりて来た。目糸は四隅に紐《ひも》が付いてい、それに細引がつないであった。与四郎はがんどう提灯をつけながら、「ちょっと待ってくれ」といい、目笊にはいっている包を解いた。重箱は弁当であろう、ほかにめくら縞の半纒《はんてん》と股引《ももひき》、ひらぐけ、手拭、麻裏草履や紙などがひと包になっていた。
「よし、受取った」と与四郎が云った、「多助からなにかことづけはなかったか」
「まだわからないって申しておりました、若さま」と娘が上から云った、「おせい[#「せい」に傍点]を覚えていらっしゃいますか」
「わからないな、顔を見れば思いだすかもしれないが、名前には覚えがないようだ」
「むかし若さまがお嫁にもらってやるって仰しゃったことも、お忘れですの」
「ばかなことを」と与四郎が云った。
「そこへおりていってもようございますか」
「ばかなことを云うな」と彼ははねつけた、「そんな暢気《のんき》な場合じゃあない、人にみつけられたらどうするんだ、いいからもういってくれ」
娘はちょっと黙ってから云った、「また明日の晩まいりますけれど、なにか御用はございませんか」
「ない、いまのところはなにもない」
「ではまた、おやすみなさいまし」
娘は目笊を引上げ、もういちど挨拶をして、去っていった。
重箱は大きな二重のもので、握り飯と煮しめ焼魚などが詰ってい、燗徳利に入れた茶まであった。与四郎はそれを喰べながら、「まだわからない」という多助の返辞を考えて、気おちのするのを感じた。彼は多助に、父を斬った者か、三人あったという負傷者のうち、誰か一人の名でいいから知りたい、と頼んだのである。多助自身は知らなかった、父が城中で乱心のうえ死んだということは聞いたが、そのほかのことはまったくわかっていない。だが宿屋には料亭を兼ねているところもあるし、家中の侍たちが飲み食いや寄合をするから、そういう宿屋を当ってみよう、と多助は云っていた。おそらくそのとおりやってくれたのだろうが、まだわからないとすると、これからもわかるまいということを予想させるし、それは鰭島五郎兵衛が「国許でも極秘になっている」と云ったことを証明するようであった。
「じゃあどうしたらいいんだ」と与四郎は独りで呟いた、「どこへどう手掛りをつけるんだ、なにかくふうがあるか」
「ばかなおやじだ」とまた彼は云った、「ひとことなにか書き残すか、せめて緒口《いとぐち》ぐらいつけておけなかったのかな」
与四郎は気がめいり、そしてひどく苛《いら》いらしたおちつかない気分のまま、重箱を片つけ、石に倚《よ》りかかって考えこんだ。
「嫁にもらってやるって」彼はふとくすくす笑った、「すると、――それならあの赤っ毛のちびじゃないか、へええ」
彼はふと自分の顔が赤らむのを感じた。
その赤毛の女の子が、彼に向って不謹慎なまねをしたことを思いだしたのである。彼が八つか九つのときで、女の子は二つくらい年下だった。たしか多助の長兄の娘の筈だが、色の黒い縹緻《きりょう》のよくない子で、それが可哀そうだったから、いまにおれが嫁にもらってやる、などと云ったのかもしれない。もう年も二十二か三になるだろう、平野屋にいるとすると、まだ結婚しなかったのか、それとも不縁になったのか。まさか本気で嫁になるつもりで待っていたわけではあるまいが、おかしなときにあらわれておかしなことを云うものだ、と与四郎は苦笑しながら思った。
やがて彼は着替えをした。頭のほうは頬冠りをすればいい、町人姿で歩くぶんには見咎《みとが》められることもないだろう。さし当りこれという目的もないが、ただ井戸の中に坐っているよりはましである。刀を蓆で巻いて横穴へ入れ、その上へ灯を消したがんどう提灯と重箱をのせ、それからずれた石を伝って井戸の中から出た。
細引を柘榴の切株の脇に置き、手拭で頬冠りをすると、人のいないのをたしかめてから道へ出ていった。時刻は九時ころだろう、法心寺の門前をまっすぐに京橋までゆき、橋を渡りながら二段|稲荷《いなり》の茶屋のことを思いだした。――京町の花街へはいる途中に、二段稲荷とよばれる小さな社《やしろ》があり、その細い横丁の左右に幾軒かの茶店が並んでいた。実際には酒を飲ませる家で、どの店にも化粧をした女が二三人ぐらいおり、そのためしばしば町奉行の咎めを受けて店を閉めるが、いつかしらまたしょうばいを始める、ということをくり返していた。そこは京町で遊ぶほどふところの豊かでない者たちのゆく場所で、武家の軽輩や小者などもひそかに出入りするという。与四郎が子供のじぶん聞いたことで、いまどうなっているかはわからないが、もしやっているなら飲みにはいって、なにか聞きだすことができるかもしれないと思った。
[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]
その茶店はしょうばいをしていた。店は五軒しかなく、どの店にも女は一人で、その女たちは化粧もしていないし、地味な着物に縞の前垂という、ひどくやぼくさい恰好をしており、奥の小部屋へ客をさそうなどということもなかった。――与四郎は頬冠りをしたまま、酒を一本ずつ飲んで五軒ともまわった。おそらく奉行所から咎められでもしたあとなのだろう、どの店も客が少なく、女たちもはずまない顔つきで、馴染のない与四郎に不審がるようすもなかった。
与四郎は早く帰った。出ていた時間は一刻たらずだったろう、井戸の底へおりると、古道具屋で買った鏝《こて》を出して、横穴をひろげる仕事にかかった。
彼は二段稲荷の茶店へ続けてかよった。三度目の晩のことだが、「小松」という店で足軽らしい中年の男といっしょになり、与四郎のほうからさりげなく盃《さかずき》をさした。
「旦那、ひとつつきあって下さい」と彼は云った、「こんな物をかぶっていて失礼ですが、火傷の痕《あと》があるんで却って眼障りになるもんですから、どうか勘弁して下さい」
相手は盃を受取ると、この土地の訛《なま》りで固苦しく云った、「つきあうのはいいが、こっちからお返しはできないぜ」
「そんな心配はしないで下さい」と云って彼はふところを押えた、「出稼《でかせ》ぎにいって来て少しばかり持ってるんです」
「職人のようだな」
「旦那はお武家ですね」と彼が応じた、「お腰の物がなくってもわかりますよ、まあ重ねて下さい」
相手はおうように盃を重ねた。与四郎の言葉で気をよくしたらしく、土地訛りの強い訥弁《とつべん》で、ぽつりぽつりとよく話した。与四郎はころあいをみて、よかったらまた明日の晩おめにかかりましょう、と立ちあがった。その男は明くる晩もやって来て、こんどは半刻あまりも話しこみ、藤井重兵衛と名もなのった。一と晩おいて三度めに会ったとき、気をゆるしたとみえる相手がすっかり酔ったところで、与四郎は無関心な調子で問いかけた。
「出稼ぎにいって暫く留守にしていたんですが、なにか変った事はありませんでしたか」
「そうさな」と重兵衛は首をかしげた、「み月ばかりまえに、――」云いかけて盃を眺め、首を振ってへらへらと笑った、「み月じゃなかった、三月のことだ、なあおたま[#「たま」に傍点]」
重兵衛は女に呼びかけた。十八九だろうが二十四五くらいにも老けてみえる女は、大きな欠伸《あくび》をしただけで、返辞もせずにそっぽを向いた。与四郎は「三月」と聞いてどきっとしたが、けんめいにおちついて、相手に酌をしながら訊き返した。
「三月になにかあったんですか」
「これおたま[#「たま」に傍点]」と重兵衛は女に云った、「そんなぶすっ面をするな、少しぐらい勘定が溜まったからって、――そうだ、おまえこの男の勘定におれの分をつけがけしたじゃないか」
「なんですって」女が振返った、「あたしがこのお客さんの勘定に、なにをしたんですって」
「ごまかしてもだめだ、おれは二度とも見ていた、おれはにらんでいたんだ」重兵衛はへらへらと笑って、与四郎に云った、「おまえも知っていたろう、知っていて気がつかないようなふりをしていた、それもおれはにらんでいたんだ」
女は乱暴に顔をそむけ、聞くに耐えないような悪態をついた。そして、重兵衛と女とで罵《ののし》ったり嘲笑《ちょうしょう》したり、あばきあったりという、お互いに相手の身の皮を剥《は》ぐような、ばかげたやりとりを始めた。この土地の訛りに加えて、言葉はあくまで辛辣《しんらつ》であるが、当人同志はそれほどけしきばんでいるようすもなく、またいつはてるとも見当がつかなかった。与四郎はうんざりして、まもなく勘定をし、その店を出てしまった。
――こいつは埒《らち》があかないぞ、こんなことをしていては埒があかないぞ。
井戸へ帰る途中、彼はくり返しそう思い、ほかに手段がないかどうか考え耽《ふけ》った。
どう思案してもほかに手段はなかった。多助のほうからは「わからない」という返辞が来るだけだし、事が極秘に処理されている以上、真相を知っている者はごく少数の者だけであろう。しかし誰が敵で誰が味方なのかまったく不明なのだから、自分で聞きだすほかにてだてはなかった。
「よし、ねばってやれ」と彼は自分に元気をつけた、「こうなったら根《こん》くらべだ、どうしても掴《つか》むものを掴まずにはおかないぞ」
彼はそれからも藤井重兵衛と続けて飲んだ。
宵のくちに平野屋から弁当を届けて来る。来るのはおせい[#「せい」に傍点]ときまっていて、三度めからはずっと井戸の中へおりるようになった。どうしてもいちど顔が見たいとせがまれ、やむなく細引を渡したのであるが、次の晩には自分で細引を持ってやって来た。
「気をつけてるだろうな」と彼はくり返し念を押した、「あとを跟けられたらおしまいだぞ、大丈夫か」
おせい[#「せい」に傍点]はそのたびにおとなしく頷《うなず》いた。
「それだけは大丈夫よ、自分でも可笑《おか》しくなるくらい用心しているんですもの、あたしだってもう二十一になるんですからね」
「二十一だって、――へえ」
「なにがへええですか」
彼は話をそらした、「おまえもう子供があるんだろう」
「嫁にいかないのに子供があるわけはないじゃありませんか」
「いちども嫁にゆかなかったのか」
「だって若さまがもらって下さる筈でしょ」と云っておせい[#「せい」に傍点]は含み笑いをした、「それは冗談だけれど、いちどもお嫁にはゆきません、若さまはもういいお子持ちでしょう」
与四郎は「まあそうだ」と口をにごした。
おせい[#「せい」に傍点]は変っていた。空井戸の底で、がんどう提灯の光りで見るためかもしれないが、色も白くなったしゆたかに肉づいて、赤毛もすっかり黒くつやつやとしていた。縹緻はよくないけれども好ましい顔だちというのだろう、眼や口もとに活き活きとした愛嬌《あいきょう》があった。井戸の底は狭いから、差向いにはなれない。斜交《はすか》いに躯を接して坐るのだが、身じろぎをするたびに触れるおせい[#「せい」に傍点]のからだの柔らかさや、ときをおいて強く感じる肌の匂いなどで、与四郎はしばしばなやまされた。そんなことを思いだすほうが悪いのだろうが、幼いじぶん彼女がしてみせた不謹慎なまねごとが、ともすると眼にうかんでくる。しかもそれは幼女のおせい[#「せい」に傍点]ではなく、眼の前にいる成熟した女の姿をとるので、われながら恥ずかしくなり、自分で自分に眼をそむけたくなるようなこともたびたびであった。
「あたし十二の年から叔父さんの家へ手伝いにいったでしょ」とおせい[#「せい」に傍点]は語った、「村にいるよりずっと面白いし、きっと性に合ってるんでしょう、幾つか縁談もあったんですけれど、好きでもない人の嫁になって世帯の苦労をするより、こっちのほうがよっぽどいいと思ってみんな断わっちゃったんです」
「まるで茶漬でもたべるような話しぶりだな」と彼は云った、「しかしそのくらいでよしてくれ、井戸の中の話し声は外へよく響くものだ、それにもう帰らないと多助が心配するぞ」
「お風呂へはいりにいらっしゃいな」とおせい[#「せい」に傍点]は立ちながら云った、「この中が若さまの躯の匂いで噎《む》せるようよ」
お互いさまだと云いかけて、慌てて彼はごまかした、「そのうちにゆこう」
[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]
藤井重兵衛からはまだなにも聞きだせなかった。うっかり根問いをして、疑われては取返しがつかない。とにかく「三月になにかあった」ということは云ったのだから、機会をみて訊き糺《ただ》し、それがもし父の出来事をさすものなら、伴《つ》れ出したうえ力ずくでも事実を吐かせてやろう、と思っていた。
国許へ来て十三日めの夜、――飲みつぶれた重兵衛と別れて、法心寺へ戻った与四郎は、井戸の底へおりたとたん、うしろから羽交《はが》い絞めにされた。おりて来るのを待っていたのだろう、与四郎がまだ細引を放さないうちに、腋の下から両腕をぐっと絞めあげられた。
――おせい[#「せい」に傍点]め、跟けられたな。
与四郎はそう直観し、息が詰るような絶望におそわれた。場所が狭いのであがきがつかない、どうしようかと思っていると、相手は羽交い絞めの腕をかためたまま、「騒ぐな」と耳もとで囁《ささや》いた。
「声をあげるな、おれだ」と相手が云った。
与四郎はじりっと足をひろげた。
「よせ、松尾だ、静かにしろ」
「松尾、――」と与四郎は問い返した、「というと新六か」
「いまは新左衛門だ、わかったか」
「らしいな」と与四郎が云った、「しかしこれは、どういうわけだ」
「外で待っていて人に見られては悪いし、いきなり声をかけて乱暴されては困ると思ったんだ、手を放すが、静かにするだろうな」
与四郎は「うん」といい、躯の力をぬいた。松尾が手を放すと、与四郎は蓆を出して敷きながら、此処にいることがどうしてわかったのかと訊いた。松尾は、わかりきったことだと答えた。おまえが城下へ来て、身を隠すとすれば此処よりほかにはない、おまえならきっと此処を思いだすだろうと見当をつけたんだ、と松尾が云った。――柳町の田口屋で草鞋をぬいだのが与四郎らしいということは、翌日すぐに城中で聞いた。田口屋では「知らぬまに出ていった」と答えたそうだし、町奉行でもそれ以上は追求しなかったが、警戒はさらに厳重になった。田口屋が深く咎められなかったのは、女主人が隠居した老職なにがしのかこい者だったからだそうで、「自分のほうの心配はいらない」と云った女主人の言葉の意味が、はじめて与四郎にもわかった。
「手配は城下町から周辺にまで及んでいる、身を隠すとすればおそらく法心寺の空井戸だろうと思って、三度ばかり来てみたんだ」と松尾が云った、「中へおりてみたのは今夜が初めてだが、外からではわからなかった、しかし此処は危ないぞ」
「どうして」と与四郎が訊いた。
「此処で遊んだのはおれとおまえだけじゃない、おまえが思いだしおれが見当をつけたように、ほかにも気のつく者がある。必ずあると思わなければなるまい」
与四郎は黙ってがんどう提灯に火をつけた。そのとき、横穴の自分の刀の脇に、松尾の大小が置いてあるのを認めた。
「おれは一つ訊いておくことがある」と与四郎は坐り直して云った、「いったい松尾は、おれの敵なのか味方なのか」
「それは四郎の出かたしだいだ」
「出かた、――というと」
「なにが目的で帰国し、なにをしようとするのか、その思案によっては敵にまわらないとも限らないということだ」
「正直に云おう」と与四郎が云った、「この三月の出来事は知っているだろう、おやじは乱心して刃傷に及んだという理由で殺された、しかしそれは表向きのことで、事実は謀殺だとおれは思う」
「続けてくれ」
「おやじは殿に直諫するつもりで来た、しかし直諫の対象になった人間が、それと知って事前におやじを片づけた、おれはこうにらんだのだ」
「対象になった人間とは誰だ」
「わからない、残念だがわからない、おれは御政治向きについてはなにも知らないし、おやじとはろくに話をしたこともない、こんどもおやじからはなに一つ聞いていないんだ」
松尾は暫く黙っていて、それから訊いた。
「その相手がわかったらどうする」
「それは」と与四郎は口ごもった。
「おれの知りたいのはそこだ、相手がわかったらどうする」
与四郎は唾をのみ、そして忿然《ふんぜん》と云った、「少なくとも、おやじを手にかけたやつは斬る」
「加乗さんを仕止めたやつは命令でやったのだ、その男に責任はないとは思わないか」
「思わない」と与四郎は首を振った、「たとえ命令されたにしたって、謀殺ということを承知でやった以上それだけの責任はある筈だ」
「それで加乗さんがよろこぶと思うか」
「おやじは殺されたんだ、謀殺されたんだぞ」と与四郎は烈しい口ぶりで云った、「それも目的をはたしたうえならいいが、目的を眼の前にして殺されたんだ、おやじが恨みを遺さずに死んだと思うか」
「恨みはしたろう、しかしそれは目的をはたさなかった、という恨みだと思う」と松尾が云った、「気をしずめて聞け、加乗家は永代意見役だ、このときという場合には命を賭《と》しても御意見をしなければならない、現に、四郎の祖父に当る方は御前で腹を切られた、加乗さんもおそらくその覚悟で来られたことだろう、とすれば、目的は直諫がはたされるかどうかであって、生死は初めから問題ではなかったと思う、そうではないか」
与四郎は歯をくいしばった。
「どうだ」と松尾が静かに云った、「おれの云うことが間違っているか」
「理屈はそうかもしれない」と与四郎は口惜しそうに云った、「まるで清書した文章のような口をきくからな、松尾はむかしから云うこともすることもそんなふうだった」
「これでもまだ平河たちを斬るつもりか」
「平河だって、――」
松尾はうっと口をむすんだ。与四郎はきらっと眼を光らせた。
「平河と云ったな、平河なんというんだ」
松尾は舌打ちした、「口がすべった」
「聞かせてくれ、誰だ」
「しかたがない、云ってしまおう」松尾はもういちど舌打ちをした、「仕手は二人か三人だったらしい、平河兵馬という者が負傷したことはわかっている、加乗さんに一と太刀《たち》やられたんだ、しかしほかの者はわからない、いや事実だ、本当にわからないんだ」
「謀殺という点はどうだ」
「推察どおりだ、おれは御錠口をしらべてみたが、どこにも争闘の跡はなかった、吉井忠太夫が取次に出ているから城中ということは慥《たし》かだが、場所は決して御錠口ではない」
「それが問題にならなかったのか」
松尾は首を振った。
「どうしてだ」と与四郎がたたみかけた。
「それは答えられない」
「知ってはいるんだな」
松尾は黙っていた。
[#6字下げ]十一[#「十一」は中見出し]
与四郎は暫く松尾の顔をみつめていて、やがて調子を変えて訊いた。
「平河兵馬というのはどういう人間だ」
「五十石ばかりの馬廻りだが、相手にするほどの男じゃあない」と松尾は云った、「そんな人間のことより、もっと肝心な話があるんだ。おい、少しおちついて聞いてくれ」
与四郎は口をつぐんだ。
松尾は与十郎のやりかたが誤っていたと云った。問題は藩の政治に関することなのだから、まずその職に在る人たちと合議すべきである。ところが与十郎は永代意見役という立場に固執して、そういう手順をふまず、いきなり殿に訴えようとした。誇張していえば、これは無警告に相手の喉《のど》へ匕首《あいくち》をつきつけたようなもので、相手が謀殺という手を打ったのは、身をまもるための窮余の策であった。――もちろん、それだから謀殺を肯定するわけではないし、与十郎を非難するわけでもない。ただここでまた同じ誤りをくり返さないよう、与十郎の遺志を慥かに生かす方法を考えなければならない。それが与四郎のなすべき第一のことだ、と松尾は云った。松尾が話し終ってから、与四郎はかなり長いことしんとしていたが、やがて相手の顔をさぐるように見た。
「それで、――なにか方法があるのか」
「方法はあるが四郎の肚《はら》しだいだ」
「聞こう、どうするんだ」
「大目付へ訴えて出ろ」と松尾は静かに云った、「重職の非行について父のしらべた調書がある、それを吟味してもらいたい、と正面からなのって出るのだ、大目付へ正面から訴えて出れば、加乗さんの死という事実がある以上、もうかれらも闇へ葬ることはできない、必ず重臣会議となり、殿の御裁決を乞うことになるだろう、そうなることはおれが保証してもいい」
「ちょっと待ってくれ」と云って、与四郎は暫く考えていた、「――父は調書なんぞ残してはいないぞ」
「おれが用意してある」
「――それは」与四郎はするどく松尾を睨《にら》んだ、「松尾の作ったものか」
「おれが作ったとは云えない、江戸屋敷の者も協力しているし、加乗さんの言上しようとした事も同じ問題だと思う」
「内容を話してくれ」
松尾は首を振った、「それは云えない」
「どうして云えないんだ」
「わからないのか」と松尾はそっけなく云った、「それは加乗さんがしらべ、殿に言上しようとして加乗さん自身が調書にしたものだ、――これならわかるだろう」
与四郎は眼を伏せた。松尾は父ひとりの功にしようというのであろう、「有難う」と呟くように云い、しかしすぐに眼をあげて松尾を見た。
「その意味はわかったが、話せないという理由はそれだけか」
「事を穏便におさめたいからだ」
「おれが知っては穏便におさまらないのか」
「四郎には限らない、ぜひ必要な者以外には誰にも知らせないつもりだ」
「それで事が片づくのか」
「片づくと思う」
「御裁決があればわかってしまうだろう」
松尾はそれには答えずに云った、「さし当っての問題は四郎が引受けるかどうかだ」
「ちょっと待ってくれ」
与四郎はあぐらをかき、腕組みをして考えた。松尾は黙って待っていた。やがて、与四郎は振向いて訊いた。
「大目付は大丈夫なんだろうな」
「大丈夫だ」と松尾は頷いた、「まあ大丈夫と云ってもいいだろう、おれ自身だからな」
「松尾、――新六が大目付だって」
「新左衛門だ」と松尾は訂正した、「松尾新左衛門、去年の二月の任命だ」
「へえ」と与四郎はいった、「へええ」
「なんだ、おれが大目付では不足か」
与四郎は黙って、指を折ってなにか数えていたが、「三日待ってくれるか」と訊いた。
「待ってもいい」と松尾が云った、「だが三日のあいだになにかやるつもりか」
「まあそうだ」
「念のために云っておくが、おまえが考えている以上に手配は厳重だ、へたなことをして捉《つか》まりでもしたら万事おしまいだぞ」
「覚えておこう」と与四郎は答えた、「三日経ったら来てくれ」
松尾は立ちあがりながら、食事はどうしているか、と訊いた。与四郎は少しばかり皮肉な調子で、どんなに厳重に張りまわした網にも必ずくぐれる穴はあるものさ、と答え、がんどう提灯の光りを登り口のほうへ向けた。松尾は彼を睨んだが、なにも云わずに井戸の上へと登っていった。
翌日の夜。弁当を持って来たおせい[#「せい」に傍点]に、平河兵馬を呼びだしてくれ、と彼は頼んだ。おせい[#「せい」に傍点]はうわのそらで、よく聞きもせずに、
「ええ、いいわ」などと頷いたが、なにを頼まれたか理解していないことは明らかであった。
「どうしたんだ」と与四郎は云った、「ようすがへんじゃないか、わかったのか」
「少し休ませて下さい」
「どうかしたのか」
「済みません、その灯を消して下さいな」と云っておせい[#「せい」に傍点]はすぐに遮った、「いいえ消さないで、そのままにしておいて下さい」
与四郎はおせい[#「せい」に傍点]の肩をつかんで、「いったいどうしたんだ」と呼びかけた。おせい[#「せい」に傍点]の肩の筋肉は固く緊張し、そして全身でふるえているのが感じられた。
「おまえ病気じゃあないのか、おせい[#「せい」に傍点]」彼はおせい[#「せい」に傍点]をゆすった、「病気なのか、それともなにかあったのか」
「だいて、――」とおせい[#「せい」に傍点]は乾いた声で喘ぐように云った、「だいて下さい、あたし苦しくって、ああ、もっときつく、もっと」
彼は力をこめて抱いた。おせい[#「せい」に傍点]のからだは激しくふるえてい、彼はもっと力をいれた。すると急に、おせい[#「せい」に傍点]のからだから緊張が解け、重たく柔らかく、彼の腕の中でぐったりと力を失った。与四郎はそろそろと坐った。おせい[#「せい」に傍点]を抱いたままで坐り、不自然なかたちで膝の上へかかえた。おせい[#「せい」に傍点]は絶えいりそうに喘ぎ、ひどくかすれた声できれぎれに囁いた。与四郎はこめかみで血の鳴るのを感じた。おせい[#「せい」に傍点]の囁きは殆んど言葉をなしていなかったが、意味だけは彼にわかった。彼は眼をつむった。するとおせい[#「せい」に傍点]の手が伸びて彼の首にまわされ、その両腕で彼は緊めつけられた。
外は雨になっていた。――少しずれている井戸の蓋も濡れ、まわりの草も濡れていた。空を蔽《おお》っている雲のひとところが、月をはらんでぼっと明るく見え、そこだけ静かに雲の動くのがわかった。――雨はけぶるような小降りで、京町あたりの町の方もかすんではいず、音もたてずに濡れてゆく草むらのどこかで、かすかに虫の鳴いているのが聞えた。
法心寺の鐘が五つ(午後八時)を打ってから暫くして、井戸の蓋が動き、与四郎が出て来た。彼は「降りだしたぞ」と云いながら、手を伸ばしておせい[#「せい」に傍点]を引きあげてやった。おせい[#「せい」に傍点]は可笑しそうに含み笑いをしながら、ふり仰いで雨に顔を打たせた。
「ああいい気持、冷たくっていい気持」とおせい[#「せい」に傍点]はうきうきした調子で云った、「躯の芯《しん》のほうまですうっとなるようよ」
[#6字下げ]十二[#「十二」は中見出し]
「大きな声を出すな」と与四郎が云った、「雨をどうする、帰るまでに濡れてしまうぞ」
「その重箱を置いて、風呂敷をかぶっていきましょう、霧雨ですもの大丈夫よ」
「平河のことはわかったな」
「ええ」と頷いて、おせい[#「せい」に傍点]はそっと与四郎の手に触り、すぐに放しながら云った、「ええわかりました、うまくやりますわ」
与四郎はおせい[#「せい」に傍点]の姿が見えなくなるまで、雨の中に立って見送っていた。
その夜はでかけないで、彼は横穴の中で寝た。ひるま寝る習慣がついているから、いくら経っても眠りつけない。そのうえひどく心が乱れているとみえ、しきりに寝返りをうったり、「う」と呻《うめ》いて顔をしかめたり、また口の中でなにか罵りながら、ぎゅっと眼をつむったりした。
明くる晩、弁当を届けに来たのは多助であった。与四郎は上へ登ってゆき、「おせい[#「せい」に傍点]はどうした」と訊いた。ゆうべからの雨がまだやまず、多助は合羽《かっぱ》を着、笠をかむっていた。
「あれは村へ帰りました」と多助は答えた、「まえから縁談が一つありまして、親たちがうるさく云って来ていたんですが、その気になったものかどうか、とにかくいちど帰ってみると云いまして、午《ひる》すぎに一人で帰ってゆきました」
与四郎は暫く黙っていたが、やがて吃《ども》り吃り云った、「おせい[#「せい」に傍点]に、頼んだことがあるんだが」
「それは聞きました」と多助はいそいで答えた、「私にはわかりませんが、なんでもその人は急に江戸へ立った、こちらにはいないから、ということでございました」
「急に江戸へ、――」と与四郎は呟いた。
「雨具がなかったんですな」多助は弁当をおろす支度をしながら云った、「濡れますからどうぞおりて下さい、いまこれをおろしますから」
与四郎は井戸の中へおり、弁当を受取った。用がないかどうかを訊いて多助は去り、与四郎は暗がりに坐って考えこんだ。平河兵馬が江戸へ立ったこと、ゆうべの思いがけない出来事、村へ帰ったおせい[#「せい」に傍点]。それらのことが頭の中で代る代る現われたり消えたりし、どうにも思考がまとまらなかった。
「急に江戸へ立ったというのはなんだ」やがて彼は声に出して呟いた、「こっちに置いては危ないと思ったからか、とすると、――おれが城下に隠れていることがわかったのか」
「しまったな、しまった」とまた彼は呟いた、「あいつに逃げられては、なに者が父を仕止めたか、知る手掛りはもうない、だがいつ江戸へ立ったんだ」
おせい[#「せい」に傍点]の伝言にはいつとも云っていなかった。聞くことができなかったのかもしれないが、それならそれと自分で来て云うがいい。頼まれたことを伝言にして、急に村へ帰るというのは無責任だ。与四郎はそこまで思って、ふいに頭をあげ、闇の一点をじっと睨んだ。
「縁談があるって」と彼は口の中で囁いた、「まえから縁談があり、当人もその気になったらしい、と云ったな、ではゆうべのあれはどういうことだ」
彼は胸が熱くなった。痛みのような熱さで、顔が赤くなるのを感じ、そのまましんと、長いあいだ坐っていた。
「よせよせ」とようやく彼は首を振った、「あったことはあったことだ、おれが考えたっておせい[#「せい」に傍点]の気持がわかるわけはない、あんなことは忘れてしまえ、まだ大役が控えているんだぞ」
与四郎は灯をつけて、弁当をたべた。そしてたべ終ったとき、今夜のうちに松尾を訪ねようと決心した。平河がいなくなったとあればこうしていてもしようがない、松尾の提案したことをすぐにやってやろう。そう肚をきめたのであった。
梅雨になったのだろう、小降りではあるがやむけしきはなかった。彼は雨具に困ったが、松尾へゆけばどうにかなると思い、まもなく井戸をぬけだした。――松尾の家は元馬場下という処《ところ》にあった。屋敷替えになっていたら引返すつもりでゆくと、家はもとの処にあり、松尾は在宅だったが、玄関へ出て来て与四郎を見るなり無謀なことをするやつだ、と睨みつけた。
「そんな恰好で歩きまわって、見咎められでもしたらどうするんだ」
「小言はあとにしてくれ」と与四郎は手をひろげてみせた、「このとおり濡れているし、半月も風呂にはいらないんだ、まず躯を洗わせてもらおう」
風呂の支度ができるまで、松尾の居間へゆき、着替えをして暫く話した。平河のことを話すと、松尾は「江戸へなんかゆきはしない、こっちにいるよ」とあっさり云った。与四郎は黙って彼を見た。
「おまえが平河を捉まえるだろうということがわかったからだ」と松尾は云った、「うまくゆけばいいが、一つ間違えば逆に四郎が捉まってしまう、しかもその危険のほうが多いからおれが手を打ったのだ」
与四郎は自制するだけのまをおいて云った、「では、会わせてもらえるだろうな」
「その時が来たらだ」
「おれは父を仕止めたやつの名さえ聞けばいいんだ」
「それはむずかしいだろう、あいつだって侍のはしくれだからな」と松尾が云った、「しかしその時が来たら会わせるよ」
風呂にはいった与四郎は、髪を洗い、月代《さかやき》と髭《ひげ》を剃《そ》った。それから、松尾の母親のところへ挨拶にゆき、客間で酒の馳走になった。松尾は三年まえ、父の病死で家を相続し、父の名を継いだ。結婚したのは去年の二月、妻女は小島氏で名をすず[#「すず」に傍点]といい、夫婦のあいだにまだ子供はなかった。妻女は躯も小柄だし、ぜんたいにちまちまとしているが、いかにも明るく健康そうで、挙措動作がはっきりしていた。
酒で気持がくつろいだものか、松尾はくだけた調子で思出ばなしを始め、それから、与四郎がその父と不仲だったことを挙げて、その後うまくゆくようになったかどうか、と訊いた。うまくはゆかなかった、と与四郎は答えた。生れつき性が合わなかったようだし、「永代意見役」という役目のために、友達まで取上げられたことが心の傷になって、どうしても父を許す気になれなかった、と与四郎は云った。
「そうだろうな」と松尾は頷いた、「たしか四郎がまだ九つか十のときだったか、当時おれはどうしたことかと不審に思ったものだ」
[#6字下げ]十三[#「十三」は中見出し]
「松尾にはわけは話した筈だ」
「ずっとあとのことだ、江戸へいって何年も経ってから、手紙でそういって来たんだ」と松尾が云った、「――うん、総持寺の禅堂でなんとかいう老雲水に会って、なにか悟ったようなことを聞いたということを書いて来たときだろう」
与四郎はひやっとした。彼にはそれを書いた記憶はなかった。
――人間がけんめいになってすることの大半は無意味なものだ。
そう云った老雲水の言葉は、父の事が起こって鰭島家に監禁されたとき思いだしたことで、松尾に書いてやったことなどはまるで覚えがなかった。
「そのころ、――そうだ」と与四郎はそれには触れずに云った、「そのころがもっとも父や家の役目に嫌悪を感じていたときだ、祖父の一生、父の一生、永代意見役などという妙な役目を守って、生涯仕事らしい仕事もせずに終る、そのために周囲の人たちと親しいつきあいもしない、これではまるっきり飼殺しだ、おれはそんなことはまっぴらだ、と思った」
「そして自分は剣法師範になる、といきまいたことが書いてあったな」
「いきまきはしない、本気だった、いまでもそのつもりだ」彼はそこで苦笑し、「むろんこの藩にいればのことだが」と云い直した、「ともあれ、永代意見役はおやじ限りで返上だ」
「おれにはわからないんだが」と松尾が一と口飲んで云った、「そんな関係の親子だったのに、いま四郎が父の遺恨をはらそうとして、無分別な危険まで冒そうとしたのはどういう気持なんだ」
与四郎は空のままの盃をみつめながら、「うん」とおとなしく頷いた、「自分でもおかしいんだがね、おやじが死んでからこっち、だんだんおやじが好きになりだしたんだ、初めは可哀そうなおやじだと思った、そして、乱心などという汚名だけはきれいにしてやろうと決心したんだが、この城下へ来たときにはしょっちゅうおやじの姿が眼にうかぶ、――ふだんは殆んど口をきいたこともないし、絶えず会わないように避けてばかりいたから、実際には無縁の人みたようなものだった、それが日の経つにつれて身近に感じられ、顔かたちから話しかける声まで、ありありと思いうかべられるようになった、おまけに、おやじについてあんまり詳しい記憶があるので、自分でもびっくりしているくらいなんだ」
松尾は頷いたが、なにも云わなかった。
「あの空井戸の底で、おれは考えた」と与四郎は自分の盃に酒を注ぎながら云った、「あんな犬死に同様な結果になったが、おやじにはそれは問題ではなかった、おやじにとって責任をはたすことは生命より重かった、生命より重いなにかがおやじの中ではたらいていたんだ、――およそこんなふうなことがわかるように思ったよ」
松尾が微笑して、云った、「四郎だって結構、清書した文章のようなことを云うじゃないか」
酒が終ってから、二人は今後のやりかたについて、更けるまで打合せをした。
明くる日の早朝、与四郎は松尾に伴れられて登城し、大目付役所の吟味部屋へはいった。
役所は本丸御殿の西側にあり、町奉行、郡奉行、作事奉行などの役所と並んでいる。建物は古く、陽当りが悪いうえに、ちょうど梅雨にかかっていたから、どの部屋も湿っぽく黴臭《かびくさ》かった。――吟味部屋は四帖半ばかりの狭い室で、廊下に面して障子があり、三方は壁であった。殆んど使うことなどはないのだろう、畳は古く、中の藁《わら》は蒸れていて、歩くと足の跡がへこむくらいぼくぼくしており、三方の壁も破れ目ができて、ひとところ剥げ落ちた部分があった。
障子の外の廊下に、監視の侍が一人坐っていた。与四郎は構わず横になったが、平野屋へ断わらなければと気づき、次いでおせい[#「せい」に傍点]のことを思いだした。眼をつむると、おせい[#「せい」に傍点]の熱い肌のしめりや、張のある柔軟なまるみや、激しい呼吸や、意味をなさない叫びなどが、あまりになまなましくよみがえってくるので、彼はわれ知らず呻きながら起き直った。
「いけなかったな、あれだけはいけなかった」と彼は舌打ちをした、「どうしてあんなことになったのだろう、おれというやつは、じつに」
与四郎は両の拳で、自分の膝をぐいぐいと抉《えぐ》った。
十時ころに松尾が来た。彼は監視の侍をさがらせて、「うまくゆきそうだ」と云った。城代家老の松島|主馬《しゅめ》が会うというのである。城代家老をつかめばもう心配はない、と松尾は明るい表情で云った。
「それから、もう知らせてもいいだろうが、じつは平河の口書を取ってある」と松尾は続けた、「新たに調書が提出された、殿じきじきのお裁きになると云ったら、観念したとみえて白状した」
「それはいつのことだ」
「一昨日の晩だ」と松尾は微笑した、「それを云えば四郎がまた会わせろと騒ぐにきまっている、だから黙っていたんだが、いや」と松尾は手をあげた、「いや、だめだ、あいつも侍のはしくれだと云ったろう、謀殺の事実は認めたが、他の仕手の名は云わなかった、おそらくどう責めても口は割らぬだろう、しかし加乗さんの遺志をはたすことができれば、誰が仕止めたかということもしぜんとわかるに違いない、もういちど云うが、加乗さんの望みは唯一つだった、四郎にとってはそれをはたすのが第一だ、ということを忘れないでくれ」
与四郎は屹《きっ》と口をむすんでいて、それからやや挑戦的に云った、「――調書の内容はどうしても聞けないのか」
「ひとことだけ云おう」と松尾は声をひそめた、「江戸家老の岸岡大膳さまだ」
岸岡大膳は播磨守直之の弟で、現藩主の叔父に当る。二十歳のとき岸岡家の養子になり、直之の死後八年のあいだ、甥《おい》直治の後見役をつとめた。当年五十一になるが、精力的な人で、藩の仕置を独りで握っていた。
「岸岡さまが、どうしたんだ」と与四郎は訊き返した。
「その名を二度と口にするな」と松尾は云った、「――では御城代の部屋へゆこう、打合せたとおりにやってくれ」
二人は役所を出て杉戸口から御殿へあがり、まっすぐに城代家老の部屋へいった。そこには松島主馬のほかに二人、石本六郎右衛門、安倍又五郎という老職がおり、かれらの前には松尾の提出した「調書」が置いてあった。――与四郎はそれが亡父の遺したものであること。自分は内容をまったく知らないこと。父の遺言によって提出したこと、などを証言した。それで用は終り、沙汰あるまで大目付に預ける、ということで、彼は松尾とともにまた役所へ戻った。
「これからもうるさく呼出されるのか」
「そんなことはあるまい」と松尾は首を振った、「おまえはなにも知らないんだからな、もし呼出されるとしたら、江戸屋敷を脱出して来た事情を訊かれるくらいのものだろう」
与四郎は頷き、思いだして平野屋への伝言を頼んだ。
「西町にある宿屋で、主人は多助というんだが、もう空井戸にはいないと伝えてもらいたいんだ」
松尾は与四郎の顔を見て云った、「それが網の目だったのか」
「そんなところだ」と彼は微笑した。
監視の侍が二人になり、その夜は松尾も役所に泊った。
朝になるときれいに雨があがっていて、時間の経つにしたがって気温が高くなり、坐っていても汗がにじみ出るくらいむし暑くなった。――午ちかい時刻に、松尾が来て、「江戸のほうは手配をした」と告げた。
「かれらもまさか女にまで無法なことはしないだろうが、念のためお母さんや妹さんが安全であるように手配をした」
「母は大丈夫さ」と与四郎が云った。
彼が別れるときの母の態度を話そうとすると、取次の者が松尾を呼びに来た。中島さまが用事だというのである。松尾は首をかしげ、なんの用だろう、と口の中で呟いた。
「中島とは、――」与四郎が訊いた。
「御側用人の中島竪樹どのだ」と松尾は云った、「ことによるともう、殿のお耳にはいったのかもしれない」
ともかくいってみようと、松尾はおちつかないようすで立ちあがった。
松尾が出ていってから四半刻ほど経つと、こんどは与四郎を呼びに来た。監視の侍は、大目付の許しがなければだめだ、と断わったが、取次の者は「殿のお召しであり松尾も御前にいるそうだ」と云った。お召しとあってはやむを得ないので、監視の二人は相談のうえ、その旨を与四郎に告げた。
「私は差支えない」と彼は答えた。
役所の玄関には迎えの侍が二人待っていた。かれらは与四郎に鄭重《ていちょう》な会釈をし、案内をしようと云った。役所を出て左へ、暫くゆくと笠木塀《かさきべい》があり、それが仕切りで御殿の広庭になるのだが、笠木塀をぬけたところに、二人の侍が待っていて、与四郎のあとに付いた。案内役が前に一人、うしろに三人、前後から与四郎をはさんだかたちである。誰もなにも云わず、足の下で小砂利《こじゃり》の鳴る音だけが聞えた。――泉池のところで右へ折れると、植込のあいだの細い道が松林のほうへはいってゆく。与四郎は城中は初めてなので、それがどの辺に当るのかまったくわからなかった。しかし、道が松林にかかろうとしたとき、ふと、危険の予感のようなものが感じられた。
「これは、――」と与四郎は立停った、「これはどこへゆく道ですか」
「鉄炮的場《てっぽうまとば》です」と案内の侍が答えた。「殿は的場にいらっしゃるのです」
そして見向きもせずに歩いていった。与四郎は立停っていた。すると、うしろにいた三人の中から声をかける者があった。
「どうした」とその声は云った、「足でも萎《な》えたのか」
乾いた太い声で、与四郎は背中がぞくっとし、全身にさむけがはしるのを感じながら、本能的に腰へ手をやった。むろん刀はなかった。刀は役所に預けたままで、脇差しか差していなかった。
「おい」とまたうしろで云った、「どうしたんだ、ゆかないのか」
与四郎は急に三歩ばかりとんで振返った。うしろの三人は左右にひらいた。
――やっぱりそうか。
と与四郎は脇差の柄に手をかけた。向うの二人が抜刀し、まん中にいる一人が片手をあげて制した。
「おれがやる、逃げみちを塞《ふさ》げ」とその侍はどなった、「へたに手出しをすると平河の二の舞だぞ」
与四郎の頭の中で閃《ひらめ》くものがあった。
――こいつだ、こいつが仕手だ。
平河の名と、その自信たっぷりな態度とで、父を仕止めたのはこの男だ、ということを直感した。案内の侍は松林の中からこちらへ出て来、他の二人は刀は抜いたまま、与四郎の左と右へ位置を移した。与四郎は正面にいる相手に呼びかけた。
「名をなのれ」と彼は云った、「加乗与十郎を仕止めたのはきさまだろう」
「春日弥五郎《かすがやごろう》」と相手が答えた。
「加乗を仕止めたな」
「念には及ばぬ、抜け」と相手が云った。
与四郎は静かに抜いた。
――小太刀は不得手だ。
しかし幸運だ、と与四郎は思った。捜していた相手がみつかった、眼の前にいるのがそいつだ、これが父を仕止めたやつだ、よし、と思って脇差を構えた。
春日は二十八九歳、五尺八寸あまりの背丈で、筋肉質の精悍《せいかん》な躯つきをしている。色の浅黒い、角ばった長い顔に、眉が濃く、黒ずんだ薄い唇のあいだから、白く歯が覗いていた。――春日は刀を抜きながら、ゆっくりこちらへ歩みよって来た。刀は寸延びの剛刀で、かさねが厚く、長さは二尺八寸あまりとみえた。与四郎は高青眼にすりあげた。春日はもっと近より、近よりながら叫んだ。
「林田、うしろを詰めろ」
与四郎の気が僅かにうしろへ動いた。そこへ春日が斬りこんだ。そのとき人の叫び声が聞えたが、与四郎は左へ大きく跳躍し、春日の初太刀を※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れて構え直した。
「四郎、ぬかるな」と叫ぶ声がした、「おれが後詰めをする、存分にやれ」
松尾だな、と与四郎が思った。
――だがおれは、小太刀は不得手だ。
春日は上段に構えた。与四郎は同じ高青眼で、呼吸五つばかり、二人とも動かずにいたが、突然、春日が上段から打ちおろして来た。するどい絶叫と、打ちおろされる刃の光りを見たとき、与四郎は爪尖《つまさき》立ちに伸びあがりながら、片手でさっと突を入れた。春日のそれは空《から》打ちで、すぐに胴へ切り返す手であった。与四郎はその先《せん》を取り、彼の切尖《きっさき》は春日の左眼を刺《つ》いた。与四郎は脇へとびのき、春日は片手で眼を押えながら、けもののような呻き声をあげた。
「よし、それでよし」と松尾が叫びながら走って来た、「刀をひけ、四郎、そいつはもう死んだも同然だ」
与四郎は振向いた。松尾のうしろから十人ばかり、身支度をした侍たちがついて来、春日弥五郎のまわりを取囲んだ。
「側用人に待たされたので気がついた」と松尾は云った、「加乗さんを此処でやったことは平河の口書でわかっていたし、城中ではほかに場所がないから駆けつけて来たんだ、まにあってよかったが、胆《きも》がちぢんだよ」
「刀がこれなんでね」と与四郎は懐紙を出して、脇差を拭きながら云った、「――おれは小さいのは得手じゃないんだ」
それから松尾の眼を見て云った。
「父を仕止めたのはあいつだったよ」
[#6字下げ]十四[#「十四」は中見出し]
――半年のち、岸岡大膳は江戸家老を罷免《ひめん》、国許で永蟄居《えいちっきょ》を命ぜられた。側用人中島竪樹、留守役永井吉兵衛の二人は切腹、春日弥五郎、平河兵馬はじめ追放者が七人、そのほか役を召上げられたり、扶持《ふち》を削られた者が十余人。また、代々藩の御用達をしていた島屋五郎兵衛が、用達を解かれたうえ、国許にある支店の家財を没収された。
この件の内容は公表されなかったが、岸岡大膳が島屋と共謀のうえ、藩の金や産物を動かして私腹をこやすことに専念し、そのため領内の諸工事や改革事業の頓挫《とんざ》と、経済の非常な逼迫《ひっぱく》をまねいていた。ということだけはおよそわかった。
――加乗家はこれまでの役を解かれたうえ、元の食禄《しょくろく》に百石加増され、与四郎は父の名を継いで年寄役にあげられた。追放になった春日弥五郎は、すぐあとで切腹したが、これは与四郎の追求を恐れたのか、隻眼になって前途を絶望したものであろう。平河兵馬の末路はついに知れなかった。
以上は与四郎が「花杖記」と題して、みずから筆を取った覚書である。花杖とは加乗の姓をとったものであろう、末尾に左のような短い文章がつけ加えてある。
――おせい[#「せい」に傍点]は佐川村の百姓、仙右衛門に嫁したが、三年しても子に恵まれぬため、叔父多助の三男を養子にもらったという。いちど安否を問う手紙をやったが、返事はなかった。
底本:「山本周五郎全集第二十七巻 将監さまの細みち・並木河岸」新潮社
1982(昭和57)年8月25日 発行
底本の親本:「小説新潮」
1957(昭和32)年9月号
初出:「小説新潮」
1957(昭和32)年9月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
山本周五郎
-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)咎《とが》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)四|半刻《はんとき》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号またはUnicode、底本のページと行数)
(例)※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]
-------------------------------------------------------
[#6字下げ]一[#「一」は中見出し]
はじめ与十郎は同じことをくり返すだけであった。藩家の大事について申上げたいことがあるから殿じきじきにおめどおりが願いたい、というのである。吉井忠太夫は拒んだ。忠太夫は三十八歳の小姓頭であるが、相手になにか特権があるとは思いもよらなかったので、順序をふまずに謁を乞うのは差越し願いであると咎《とが》め、また、与十郎が許しもなく届けもせずに帰国したのは家法に反する、と責めた。すると与十郎はふところから墨付を出して、忠太夫に示した。
「これは凌岳院《りょうがくいん》さまのお墨付である」と与十郎は云った、「わが加乗《かじょう》家は無役である代りに、永代御意見役を仰せつけられ、必要のばあいはいつでも殿じきじきにおめどおりを願うことができる、これがそのお許しの墨付である」
吉井忠太夫はおどろいて立っていった。そして、およそ四|半刻《はんとき》もたったと思われるころ、中島竪樹がはいって来た。竪樹は四十一歳の側用人《そばようにん》で、はいって来るなり、殿は聴松亭《ちょうしょうてい》におられるから自分が案内をしよう、と云った。与十郎は墨付をしまって立ち、竪樹のあとについていった。鷹《たか》の間の杉戸口から庭へおり、諸奉行役所の建物をまわって、まっすぐに笠木塀《かさきべい》までいった。その木戸をぬけると中庭であるが、木戸をはいったところに二人の若侍が待っていて、与十郎のうしろへ護衛のようについた。聴松亭は奥庭にあるが、竪樹は泉池のてまえを右へ曲り、植込を横ぎって松林の中へはいっていった。そこには藩主だけの使う鉄炮的場《てっぽうまとば》があり、的場がゆきどまりで、奥庭へつうずる道はない。与十郎は十三年まえまでずっと国詰だったから、そのことはよく知っていた。
「これは違う」と与十郎は立停った、「これでは奥庭へはゆけない、殿は聴松亭におられるのではないか」
竪樹は不明瞭に、こちらのほうが近道である、というようなことを云いながら、振向きもせずに歩いていった。与十郎は危険を感じた。それまでは自分の身に危害が加えられようなどとはまったく思わなかったのであるが、足ばやに歩いてゆく竪樹の背中を見たとき、これは危ないということを直覚し、戻ろうとして振返った。すると、うしろについていた若侍の一人が異様な声をあげて、抜き打ちに斬りかかった。
「よせ」ともう一人が叫んだ、「よせ平河」
与十郎はとびしさって脇差を抜こうとした。刀はむろん遠侍に置いて来たので、脇差を抜こうとしたが、鯉口《こいぐち》が固かった。そこへ相手が踏みこんで来た。与十郎は躰《たい》をかわし、左の肩を斬らせながら一転して、ようやく抜いた脇差を力いっぱいに振った。手ごたえがあり、相手の悲鳴が聞えた。
「動くな平河、じっとしていろ」と残った若侍が叫んだ、「これはおれの役だ」
そして静かに刀を抜いた。
「なんのためだ」と与十郎が叫んだ、「どうしておれを斬る、理由はなんだ」
相手は黙って、大股《おおまた》にこっちへ来た。与十郎は両手で脇差の柄をにぎろうとしたが、左の腕は痺《しび》れていて動かなかった。
与十郎が叫んだ、「命じたのは誰だ」
相手は上段から打ちおろした。与十郎は受け止めたが、脇差は切羽《せっぱ》のところで折れ、額に斬りこまれて前へよろめいた。相手は刀を返し、片手突きで与十郎の胸を刺し、すぐにぐっと引き抜いた。よほど力があり腕も立つのだろう、突き刺したとき、刀の切尖《きっさき》が与十郎の背中へ二寸あまりも出るのが見えた。
与十郎は前のめりに倒れ、いちど起きあがろうとしたが、僅かに顔をあげただけで、すぐにまた地面へ俯伏《うつぶ》してしまった。
「なんのために、――」と与十郎が云った。
だがそれは低い呟《つぶや》きのようで、相手の耳には聞きとれないようであった。
[#6字下げ]二[#「二」は中見出し]
加乗与四郎は鴻明館《こうめいかん》の剣法道場からよびだされ、鰭島《ひれじま》家の一室に監禁された。
そのとき彼は石岡伝十郎と野口吉兵衛に勝ちぬき、原田源助と勝負をするところであった。原田は井上角兵衛と大野木登に勝ちぬいており、与四郎との勝負で第一位が決定するのだが、三年つづけて原田が第一位を占めて来たから、与四郎としてはぜひともこの勝負をものにしたかったのである。――その支度をしているところをよびだされた。控え所で待っていたのは和泉《いずみ》大蔵という目付役の者で、これからすぐに鰭島まで同行してくれと云い、与四郎がわけを話したが、和泉は冷淡に首を振った。
「一年一度の大事な試合で、それは知らない者はない筈だ」と与四郎が云った、「せめて勝負の済むまで待ってもらえないのか」
和泉はまた首を振り、自分にはそういう斟酌《しんしゃく》をする自由はない、と答えた。
「いったいどういう理由なんだ」
「ゆけばわかるでしょう」と和泉は云った、「私は命じられて来ただけで、理由はなにも知りません」
与四郎は道場へ引返し、審判役にわけを話したうえ、暫く待ってくれるようにと頼み、稽古着のまま鴻明館を出た。和泉はその恰好を見て妙な顔をしたが、べつになんとも云わなかった。鰭島五郎兵衛は九百石あまりの年寄役|肝煎《きもいり》で、住居は武庫の脇。横手に大きな榎《えのき》が枝を張っている。それはこの中屋敷の目じるしになるくらい高く、眼どおりで幹の太さが十五尺以上あり、いまちょうど全枝にみずみずしく若葉が芽ぶいているところであった。――和泉は先に立って、玄関の左にある折戸をはいった。そこには鰭島の家士が二人待っていて、与四郎をうけとり、和泉はすぐに去っていった。家士たちも与四郎の姿を訝《いぶか》しげに眺めたが、そのまま裏庭をまわってゆき、陽の当らない北向きの縁側から、暗くて小さな座敷へ案内した。与四郎はかれらにも事情を話し、すぐに道場へ戻らなければならない、ということを説明した。家士たちは眼を見交わし、それから渡辺という中年の家士がなだめるように云った。
「どうなるか私どもにはわかりませんが、とにかくその恰好では困りますね、使いをやりますが着物やお差料は鴻明館ですか」
「そうだ」と与四郎は頷《うなず》いた、「しかしそんな物を取って来る必要があるのか」
「あるようですね」と渡辺が答えた。
そんな暇はないということをくり返したが、かれらは相手にならず、渡辺がそこに残り、他の一人は出ていった。与四郎はこみあげてくる怒りを抑えながら、これはいったいどうしたことなのかと、ひらき直って訊《き》いた。渡辺はなにも知らないと云い、だが試合のことは諦《あきら》めるほうがいいと暗示した。与四郎は腹だたしさとともに、ふと一種の不安を感じ、腕組みをして黙った。
――ことによるとあれだな。
彼は心のなかで思った。
――そうだ、きっと父の問題だ。
二十日あまりまえに、父の与十郎が国許《くにもと》へいった。藩主の播磨守《はりまのかみ》直治に会うということだったが、そこでなにか間違いでも起こったのだろう。そのほかに考えようはない、と彼は思った。やがて着物が届いた。しかし刀がないので、どうしたのかと訊くと、刀は預かって置くという。与四郎はたまりかねて「そんな無法なことがあるか」と云った。
「刀を取上げるというのは罪科のある人間に対してすることだ、私がなにをした」
「静かにして下さい」と渡辺が云った、「私どもはそうしろと命じられたからするだけです。まもなく事情がわかるでしょう、どうかそれまで騒がないで下さい」
与四郎は着替えをした。勝ちぬきのあとでいちど汗は拭いたのだが、稽古着の汗臭さが肌にしみついたようで気持がわるかった。袴《はかま》をはき終ってから、ぬいだ物をまとめると、渡辺が受取って廊下へ出し、襖《ふすま》を閉めてまた坐った。与四郎はそれを見て、監視だなと気づき、これはことによると厄介なことになるぞと思った。
「こんなに待たせるなら」と暫くして与四郎が云った、「試合をする時間は充分にあった、いまごろはもう済んでいた筈だ」
渡辺は黙って自分の袴の襞《ひだ》を撫《な》でていた。
時間はゆっくりと経ち、座敷の中が暗くなった。野原という若い家士が来て坐り、渡辺が立っていった。与四郎はもうなにも云わず、坐りくたびれたので横になった。なにごとが起こり、自分の身がどうなるのか。まったく見当もつかないし、見当のつけようもない。まるで化かされたような気持だ、と彼は肱枕《ひじまくら》をしながら思った。行燈がはこばれてから、急に空腹を感じた。どこかから魚を焼く匂いがただよって来るようで、口の中がなま唾でいっぱいになりそうだった。与四郎は起き直り、まさか食事の催促もできないから、茶を一杯欲しいと云った。若い家士は与四郎をじろっと見たが、なにも云わず、立ちあがるけはいもみせなかった。
「ここへ来てっから口も濡らしてないんだ」と与四郎が云った、「茶ぐらいもらえないのか」
しかし野原は黙ってそっぽを見ていた。
一杯の麦飯と、菜の汁と、香の物の夕食がはこばれた。飯は殆んど麦ばかりだし、汁は冷たかったし、香の物は古漬けの大根が三切だった。与四郎は箸《はし》をつけただけでやめた。べつに口が驕《おご》っているわけではなく、その食事がまるで罪人に与えるために作られているように感じられたからである。彼が箸を置くと、その食膳《しょくぜん》はすぐにはこび去られた。
――これはひどい、これはひどいぞ、尋常な事ではないぞ。
原因は父のことに相違ない。国許へ立つとき、殿に申上げることがある、と父は云っていた。彼は気にもとめなかった。それは少年時代からのことで、父と彼とは気が合わない。特にちかごろは話もろくにしたことがないので、「そうですか」と聞きながし、そのまま忘れていたくらいであった。殿に申上げることというのは諫言《かんげん》の意味だろう、加乗家は永代意見役という妙な役を持っている。おそらくその役をはたしにいったのだろうが、自分までがこんな扱いを受けるというのがわからない、父はいったいなにをしたのか。そうだ、と与四郎はふいに顔をあげた。
――母はどうしているだろう、自分がこんなことになったとすると、母や妹の身にもなにかあったのではないか。
彼は壁をみつめながら、つよく歯をくいしばった。
その夜はそのまま寝た。薄い夜具が二枚だけで寝衣もない。もう寒くはなかったが、着たまま寝るなどということは初めてだし、昂奮《こうふん》がしずまらないのでいつまでも眠れなかった。隣りの小部屋に二人、不寝番がいて、ときどき茶を啜《すす》ったり、低い声で囁《ささや》きあったりするのが聞えた。――明くる朝、まだほの暗い時刻に、彼は呼び起こされ、着物を直し袴をはいただけで、顔も洗わずに表座敷へ伴《つ》れてゆかれた。そして、彼が坐るとすぐに、目付役の沼田八十郎とこの家のあるじ鰭島五郎兵衛がはいって来、沼田が上座、鰭島が脇の座についた。二人とも麻裃《あさがみしも》で、座につくとすぐ沼田が「上意」と云った。
[#6字下げ]三[#「三」は中見出し]
与四郎は平伏して聞いた。聞いているうちに頭へ血がのぼり、眼の前にある畳が揺れ動くように感じた。本当か、やったのか、本当にやったのか、と彼は心のなかで思った。
沼田の読みあげた上意書を要約すると、――国許へ帰った父の与十郎は、去る三月二十二日登城、播磨守に面謁を強要し、小姓頭が取次ぎに立ったあと、とつぜん刀を抜いて馬廻りの者に斬りかかった。人が集まり、とりしずめようとしたが刀を振りまわして暴れ、奥殿へ駆けこもうとするのを御錠口でとり詰めたが、なお手向いをするため、やむなくそこで斬ってしまった。与十郎は即死、家中の者に負傷者が三人出た。加乗家は凌岳院さまから格別の墨付をいただいていることではあるが、無届で帰国したこと、城中で刃傷に及んだことは、仮に乱心のうえだとしても大罪である。したがって長男の与四郎は沙汰のあるまで鰭島五郎兵衛に重預《じゅうあず》け、妻の早苗《さなえ》、娘しづ[#「しづ」に傍点]の両名は居宅謹慎を命ずる、――ということであった。読み終った沼田は上意書を裏返し、両手でかかげて与四郎に示した。与四郎はそこに江戸家老の岸岡|大膳《だいぜん》はじめ、老職たちの連署を認めた。
「念のためのお願いですが」と与四郎は手をついたままで云った、「父が城中で乱心し、刃傷に及んだという前後のことを、もう少し詳しくうかがえませんでしょうか」
沼田は鰭島五郎兵衛を見た。鰭島が与四郎に反問した、「なにか不審でもあるのか」
「不審というわけではございませんが、そのような場合に理由もなく乱心したということが、父の性質として納得できないように思われるのです」
「わかっているのはいま読み聞かせた事実と、殿がたいそう御立腹であるということだけだ」と鰭島が答えた、「いずれ正式にお沙汰の出るときが来たら詳しいことがわかるかもしれぬ、わかったら申し聞かせることにしよう」
与四郎は低頭した。
元の部屋へさげられ、そこで監禁生活が始まった。寝衣と下帯だけは届いたが、着替えは許されなかったらしい。狭くて暗い風とおしの悪い部屋だったし、四月といえばもう初夏のことで、三日も経つと着ている物が汗臭くなった。朝いちど洗面をするだけで、風呂を使わせてくれるようすはない。やむなく洗面のときに肌を拭くのだが、水では汗もさっぱりと拭きとれないばかりか、却《かえ》ってあとがべとつくように感じられた。食事は朝晩の二度。どす黒いぼそぼその麦飯に、菜汁、古漬けの香の物ときまっており、それがいつも冷たかった。飯も汁も、すっかり冷えるのを待っていて持って来るとしか思えないし、汁は味が薄く、殆んど塩けがないようであった。
「まったく罪人の扱いだ」と食事のたびに彼は呟いた、「正式の沙汰もないうちにこんな扱いをするという法があるだろうか、これでは躯がまいってしまうぞ」
だが悲しいことに、与四郎はやがてその不味《まず》い食事をきれいに片づけるようになった。
五日ばかり経って、気持がおちついてくると、彼は初めて父のことを考えた。彼は少年時代から父が嫌いで、ひところ「自分は貰われてきた子にちがいない」と固く信じたくらいであった。どうしてそんなに嫌いなのか自分でもわからない、おそらく性が合わないというのであろうが、思い当る直接の理由が一つだけあった。それは加乗家の永代意見役という妙な役目に関するもので、彼は十歳のときにそのことの起こりを聞かされ、それについて加乗家の長男の守るべき心得をきびしく訓《さと》されたとき、子供ごころにもその窮屈さと負担の重さとに気がめいったものであった。――原因はごく単純なもので、祖父の与十郎|三利《かずとし》という人が先々代の藩主に強諫《きょうかん》したことによる。いま凌岳院と呼ばれているその藩主は内匠頭《たくみのかみ》直発といい、五年まえに八十歳の高齢で死んだが、頭のよい精力的な人で、政治の上で多くの功績を残している。けれども若いころはその頭のよさと、精悍《せいかん》な気性とで、日常の生活はずいぶんわがままであり放埒《ほうらつ》だった。加乗は国詰で、与十郎三利は小姓頭を勤めていたが、前後十数回、くり返して直発に直諫し、ついには眼の前で腹を切った。直発がとびかかって押え、危うく死なずに済んだが、それから直発の素行がおさまった。直発が三十八歳、三利が二十八歳のときだったという。同時に直発は三利を小姓頭から解き、「永代意見役」という墨付を与えたうえ、代々その役を守るように命じた。
――藩家の大事について申すべきことがある場合には、命にかけて申上げなければならない。
と父の与十郎は幼い彼に云った。加乗はそういう家柄であるし、その役目を守るためには平生の覚悟が大切である。中でも周囲の者と親疎のかかわりをもつということを厳重に慎まなければならない。人と親しい関係ができると、公平な判断がつかなくなるし、私情にひかれて決断が鈍るからである。
――決して親しい友達をつくるな。
親疎のべつで人とつきあってはいけない、ということを父はくり返して云った。その当時、彼には特に親しい友達が一人いた。五百石ばかりの番頭の子で松尾新六といい、年は与四郎より二つ上であった。顔だちもきりっとしているし、頭のすごく切れる、いわば秀才型の少年だったが、いたずらにかけても人に負けず、驚くほど巧みな機知をふるって子供たちをひきまわした。そのおかげで与四郎はずいぶんいろいろな遊びを覚えたものだし、新六のいない生活というものは考えられなかった。それはむろん父も知っていることだろうと思ったので、与四郎はおそるおそる訊いてみた。
――おまえは私の云うことを聞いていなかったのか。
と父は反問した。そういうときの父の声や眼つきは非情そのものであった。与四郎は俯向きながら、聞いていましたと答えた。
――それなら無用な質問はするな。
と父は云った。
与四郎は新六からはなれた。十歳の少年には辛いことであった。永代意見役などという役目も重荷であったし、同家中の誰とも親疎のつきあいをしてはならないということは、友達の必要な年齢にはいっていた与四郎にとって殆んど罰を課されるに等しいものであったが、十歳なりの意地が彼を支えたらしい。二年のちに父が江戸詰になり、与四郎も母や妹もあとから江戸へ去ったが、それまで新六にはずっと近づかなかったし、江戸へ移ってからも友達らしい友達はつくらずにとおして来た。
――これはばかげている、こんなばかばかしい役目はない、これでは飼い殺しだ。
彼は十八九の年からそう思い始めた。祖父は五十五歳で病死した。父は二十九歳で家督をし、今年は四十九歳になる。だが、意見役という役目を現実にはたしたのは祖父だけで、それも二十八歳のときを最後に、あとはなにもしていない。生涯の半分、しかも心身ともにもっとも充実した年代をなすこともなく終った。父も同様であるし、このままゆけば自分の生涯も同じことであろう。なにも仕事をせずにただ扶持《ふち》を食って生きてゆくというのは、屠《ほふ》られる時を待っている家畜のようなものだ。おれはごめんだ、と彼は思った。まっぴらだ、おれは人間に生れて来ただけのことはしたい、少なくとも人間らしい生きかたをするんだ、と彼は自分に誓った。――与四郎は剣法が好きで、鴻明館でも学問よりは武芸のほうで才能を認められていた。凌岳院の墨付で政治のほうの役目にはつけないが、武芸の師範なら差支えはない筈だ。幸い好きなみちではあるし、剣法で第一流の師範になってやろう。彼はそう決心をし、そのとおり努力して来た。
[#6字下げ]四[#「四」は中見出し]
「そしていま、こんなことになった」
寝苦しい夜半、与四郎は夜具の中で溜息《ためいき》をついた。
「今年こそ原田に勝てた、今年は勝てる自信があったんだ」と彼は呟いた、「それを、その肝心な勝負を眼の前にしてこんなことになってしまった」
おやじのためだ、と与四郎は思った。永代意見役などということをくそまじめに固執し、いっぱし壮士のつもりでやったのだろう。だが結果はこのありさまだ。自分は「乱心者」などという札を貼《は》られて死に、家名も遺族もどうなるかわからない。現におれがこんな罪人のような扱いをされるところから察すると、軽くて追放、うっかりすると切腹などということになるかもしれない。
「それはごめんだ、追放ならまだしも、こんなことで切腹なんてまっぴらだぞ」と彼は自分に云った、「おれの知ったことではない、おやじが自分で考えてやったことだ、おれは相談もされはしなかった、おれに関係のないことで切腹させられるなんてまっぴらごめんだ」
与十郎がなにも相談しなかったということはない。国許へ立つまえにひと言、「殿に申上げることがあって国許へゆく」ということを云った。与四郎はそうですかと答えただけで、こちらからはなにも訊かず、すぐに父の前から立ってしまった。それはいつものことである。彼はおちついて父と話したことがない、父と対座しているだけでも気が苛立《いらだ》ってくるし、少し長く話など聞かされると冷汗が出るくらいであった。少年時代のように、自分が貰われて来た子だなどとは思わなくなったが、父は父、自分は自分とはっきりけじめをつけていた。二人のあいだにはまったく共通点がないし、親子の愛情というものさえ感じられなかった。
「もしも切腹などということになったら逃げだすぞ」と彼は呟いた、「いま死んでたまるものか、きっと逃げだしてみせるぞ」
だが、彼は急に「う」といった。自分は逃げだしてみせるが、母や妹はどうする。独りならどうにでもなるが、母や妹を伴れて脱出することができるか。自分だけが逃げるとすれば、残った母と妹が無事では済まないだろう。
「おやじめ」と彼は呻《うめ》いた、「おやじめ」
日数はたしかでないが、半月ほど経ってから申渡しがあった。こんどは目付役の沼田でなく、次席家老の鉄村|権太夫《ごんだゆう》が来、鰭島がその副使というかたちであった。――予想ほどひどい処置ではなかったが、与十郎の「城中における刃傷」という点をきびしく咎め、家禄《かろく》を六百石から五十石に削り、与四郎は鰭島家で五年間の重謹慎、母と妹のしづ[#「しづ」に傍点]には二年の居宅謹慎を命ずる、ということであった。
申渡しが済むとすぐに、刃傷のときの詳しいことを聞きたい、と与四郎は云った。鉄村はべつに話すことはないと答えた。沙汰書に記してあること以外にはなにもない、と答えて立とうとした。与四郎はよびとめて、ではなにか上書のような物は持っていなかったかと訊いた。
「父は殿に申上げることがあって帰国したのです」と彼は云った、「そのためには言上書のような物を持っていた筈ですが、その点はいかがでしょうか」
「ないようだな」と鉄村は云った、「所持した品は戻って来たまま、そのほうの母にひき渡したが、そういう物はなかったようだ」
与四郎は唇を噛《か》んで黙った。
日が経つにつれて、彼は父が可哀そうに思われてきた。
二十二歳の年と二十三歳の年に、与四郎は総持寺で参禅したことがある。そのときいっしょになった老雲水が、彼に向って身の上を述懐し、「人間がけんめいになってやる事の九割までは無意味なものだ」ということを云った。その雲水は六十歳くらいであったが、いまでも酒と女の誘惑にかつことができず、賭《か》け碁をしてまわっては酒色に溺《おぼ》れて飽きない。ときどき禅堂にこもるのも求道が目的ではなく、もっともよく酒と女をたのしむための休息である、などと云って笑った。なんのためにそんな話をしたのかわからない、与四郎は黙って聞いていただけであるが、父の一生を思いやるようになったとき、ふいとその言葉が頭にうかんだのであった。
「これという仕事もせず、たのしみもなく、親しい友達もつくらず」と彼は呟いた、「家庭の団欒《だんらん》も知らず、五十歳ちかくまで生きて来て、こんなふうに死んでしまった。なんのために生れ、なんのために生きて来たのか」
きまじめに相伝の役目を守り、その役目をはたそうとして死んだ小心な父。たった一人の男子である自分とも、ついにいちどもうちとけて話したことがなかった。
「可哀そうなおやじだ」と彼はまた呟くのであった、「おれがもう少し愛情をもっていたら、こんなふうにはならなかったかもしれない、少なくとも犬死にはさせずに済んだかもしれない」
これでは犬死にだ。そう思ったとき、与四郎は緊張した顔でじっと宙をみつめた。そのときになって初めて、こんどの出来事のぜんたいが現実のものとして感じられるように思われた。
「待てよ」と彼は呟いた。
彼は出来事の始終を詳しく考え直した。
「おれはつんぼかめくらだったんだな」とやがて彼は口に出して云った、「おれは底ぬけのばかだったぞ」
父の死は不審だらけであった。播磨守に面会を求めたところまでは事実だろう、そして小姓頭が取次ぎに立ち、その結果を聞かないうちに乱心した。どうしてだ。父はきまじめで小心かもしれないが、理由なしに乱心し刃傷に及ぶような性分ではない。殿に申上げることがあり、ただそのためだけで帰国したのに、目的を眼の前にして、自分から事をぶちこわすなどということは考えられない。また、死ぬ覚悟をしていたとすれば、言上書の用意ぐらいはしていた筈である。
「なにかある、なにか隠されたことがある」と彼は呟いた、「申渡しに書いてあったことは事実ではない、少なくとも歪《ゆが》められ作られた部分がある」
或る日、与四郎は鰭島五郎兵衛に面会を求めた。監視の侍は拒絶した。すでに五年間の重謹慎ときまっている者が、重職に面会を求めるなどということは許されない、と云うのである。
与四郎は譲歩して、それなら父を討止めた者が誰であるか、その者の名を聞かせてもらいたいと頼んだ。監視の侍は訊きにいってくれたが、戻って来ての答えはやはり拒絶であった。
「討止めたのはその場に居合せた者の当然とるべき処置で、誰彼という差別はない」と監視の侍は伝えた、「名をあかせば私怨《しえん》を残すおそれがあるから、国許でも極秘にしてあるということです」
与四郎は黙って頷いた。
父の乱心が事実であって、討止めることが当然の処置であったのなら、「私怨を残す」などということがあるわけはない。その人間の名をあかさないのは、真実を隠すためだ。知られてはならないなにかがあるからだ、と与四郎は思った。
――このままではおけないぞ。
このままに済ましてしまってはあまりに父が可哀そうだ。可哀そうじゃあないか、と彼は自分に訊いた。よし、かれらの隠したものをさぐりだしてやろう、ここをぬけだして国許へゆき、かれらの埋めたものを掘りだしてやろう。与四郎はそう決心した。
[#6字下げ]五[#「五」は中見出し]
隣りの小部屋には監視の侍がいた。はじめは二人だったが、やがて一人ずつの交代になり、与四郎が神妙にしているためだろう、不寝番に当る者もしだいに警戒心がゆるんで、夜半を過ぎるとごろ寝をするようになった。与四郎はその時刻になると手洗いに立ち、不寝番の者をよび起こした。腹をいためたらしいという口実で、七日ばかり続けると、不寝番の者は面倒になったらしく、一人でいって来いと云って、付いて来なくなった。そこでいちど中止し、四五日してまた始めたが、こんどははじめから付いて来ず、起こさなくともいいと云って顔を見ようともしなかった。
夜の十時から午前二時まで、一刻おきに三回ずつ、邸内を夜廻りが巡回する。与四郎は柝《き》の音でその順路を計り、時刻は二回めの直後がいいこと、脱出するのは菜園から西の塀を越し、崖《がけ》をおりて中の橋へぬける、ということをきめ、その手順をくり返し頭へたたみこんだ。次に、天床の隅から煤《すす》を集め、食事のときの汁椀の蓋で溶いて、塵紙《ちりがみ》書置を書いた。
――五年の監禁には辛抱ができないから、自分は出奔して浪人になり、然るべき仕官のみちを捜すつもりである。母と妹は無関係だから、穏便なはからいを願いたい。
そういう意味のものであった。
四月の二十日か二十一日だったろう、午後から吹きだした風が夜になってもやまず、更けるにしたがって庇《ひさし》や雨戸を揺り叩くほど強くなった。その夜の不寝番は野原という若い家士で、与四郎は宵のうちからしばしば手洗いに立ち、さも痢急に苦しんでいるようにみせておいた。野原は寝ころんで小説本らしいものを読んでいたが、十一時ころに覗《のぞ》いたときには、もう本を投げだしたまま眠りこけていた。与四郎は身支度をして待った。待ったのは半刻たらずだったが、その僅かな時間の経過ののろいことと、いまにもなにか故障が起こりそうな危惧《きぐ》とで、彼は全身にあぶら汗をかいた。
やがて十二時の夜廻りの柝が聞えて来た。与四郎は立って隣りの小部屋へゆき、野原をゆり起こした。若い家士はねぼけ声で、なんだと云いながら頭をあげた。
「手洗いにゆきたいんだ」と与四郎が云った。
「うるさいな」と野原はさもうるさそうにまた肱枕をした、「いちいちそう起こさないでくれ、わかってるじゃないか」
与四郎は廊下を歩いてゆき、手水《ちょうず》口から外へ出た。夜廻りの柝の音は武庫の向うへ遠のいており、あたりはまっ暗で、吹きたけっている風は土埃《つちぼこり》の匂いが強く、たちまち歯がじゃりじゃりいいだした。
大井戸のところを右へ曲った彼は、自分の住居の裏から、塀を乗越えてはいり、母の寝所の窓を叩いた。風のうなりが高いので、なかなか聞きわけられなかったらしいが、やがて雨戸の向うで母の声がした。
「与四郎です、ちょっとあけて下さい」
障子をあける音がし、すぐに雨戸があいた。そのとき与四郎は書置に違った文句を書くべきだったと思った。母と妹もいっしょに伴れて出るのだ、残しておいてはどんな危険があるかもわからない。伴れだすほうが無事だと気づいたのである。しかし彼が口をきこうとするまえに、あけた雨戸の隙間から、風呂敷包と大小が差出された。
「待っていました」と母が云った、「国許へいらっしゃるのでしょう」
「ゆきます」と答えて、包と刀を受取りながら、母が自分の来るのを予期していたということに、強い感動とおどろきを感じた、「私は国許へゆきますが、母上としづ[#「しづ」に傍点]もいっしょに此処《ここ》を出て下さい」
「早くいって下さい」と母は囁いた、「わたくしたちの心配はいりません」
「しかし此処にいては危険です、なにをされるかわからないが、危険なことはたしかだと思うんです」
「お父さまはあのような死にかたをなさったし、あなたがこれからなさることも命がけでしょう、わたくしたちだけ安全でなければならないということはありません」と母は云った、「みつからないうちに早くいって下さい、わたくしたちは大丈夫です」
母の口ぶりはしっかりしていた。与四郎はちょっと口ごもった。母のそんな気丈なようすを見るのは初めてのことだったし、その口ぶりには一種の威厳さえも感じられた。
「では、私はまいります」
「その中に路用がはいっています」と母が云った、「刀はお父さまの差替えですからそのおつもりで、――首尾よくゆくよう、祈っています」
「父上がなにを申上げにいったか、御存じですか」
「いいえ知りません、そういう話はいちどもなさいませんでした」
与四郎は頷いて、両刀を腰に差した。
「有難う、与四郎さん」と母はいっそう声をひそめ、感情を抑えた調子で囁いた、「あなたがきっとそういう気持になって下さるだろうと信じていました、お父さまもさぞおよろこびなさることでしょう、有難うよ」
与四郎はなにか云おうとしたが、黙って低頭しただけで、その窓際からはなれた。
菜園は藩主の食膳に供する蔬菜《そさい》を作るところで、周囲に柵《さく》がめぐらせてある。彼はその柵にそって廻り、西の塀まで走った。この中屋敷は麻布《あざぶ》狸穴《まみあな》の台地の端にあり、西側の塀の外は崖になっていた。といってもそれほど切立っているわけではなく、ところどころに草や灌木《かんぼく》が生えており、子供などでもそこを伝わって、登ったりおりたりすることができるくらいであった。――与四郎が塀際に着いたとき、うしろに人の叫び声が聞えた。振返って見ると、菜園の柵を廻って、幾つもの提灯《ちょうちん》が揺れながら、こっちへ走って来るのが見えた。脱出したことがわかったのだろう、与四郎は刀と風呂敷包を塀の外へ投げ、塀にそって左のほうへ走った。向い風なので追手の声はよく聞えないが、提灯が二方にわかれ、左右からはさみうちのかたちで、迅速にこちらへ近づいて来た。
与四郎は塀にとびついた。しかしそれは朽ちていて、つかんだ笠木はひとたまりもなく折れ、彼は仰向きになったまま地面へ落ちた。背中を激しく打ったため、呼吸ができなくなり、彼は「うっ」と呻きながら躯を折り曲げた。
おい、と彼は自分に云った。しっかりしろ、かれらはそこへ来ているぞ。
まだ、呼吸は停ったままだった。胸をひき裂きたいような苦しさである。だが与四郎は起きあがり、こんどは注意ぶかくおちついてやった。笠木は折れたが、躯はうまく塀の上にあがり、そこから外へととびおりた。するとその反動で胸のどこかがひらき、呼吸ができるようになった。彼はそこへ坐って、拳《こぶし》で胸を叩きながら激しく喘《あえ》いだ。
「こっちにはいないぞ」と塀の内側で叫ぶのが聞えた、「そっちはどうだ」
相手の答えは風のために聞きとれなかった。かれらの声が遠のいてからも、与四郎は坐ったまま喘いでいた。
[#6字下げ]六[#「六」は中見出し]
与四郎が城下町に着いたのは五月七日の夕方であった。南を山に囲まれたその町は、竜頭川をはさんで武家屋敷と町家とに分れている。竜頭川はそこから三里ゆくと海にはいるのであるが、城山の端で右曲しており、城山の裏を北流しているため、海は見えなかった。
彼は城下へはいるのにかくべつ警戒はしなかった。書置に「浪人のうえ仕官の口を捜すつもりだ」と書いておいたし、自分が国許へゆくなどということは誰も考えはすまいと思っていた。それでも旅支度には深い編笠をかぶって、同家中の者の眼を避ける用意くらいはしていたのであるが、町へはいる畷道《なわてみち》のところで、突然、五六人の侍たちに取囲まれた。かれらは松並木のあいだにある掛け茶屋から出て来て、すばやく与四郎の前後を塞《ふさ》いだ。
与四郎は笠の中からかれらを見たが、知っている顔はなかった。
「失礼だが」と年嵩《としかさ》の一人が云った、「御姓名とゆく先を聞かせて下さい」
与四郎は偽名をなのり、竜頭川の河口にある小さな港町の名を云った。
「笠をぬいで下さい」と相手が云った。
与四郎は編笠をぬいだ。かれらは与四郎を眺め、お互いに眼を見交わした。
「どうしたのです」と与四郎が反問した、「なにか間違いでもあったのですか」
相手は聞きながして云った、「御足労だが番所まで同行して下さい」
「番所まで、――なんのためにです」
「加乗与四郎という者を捜しているのです」と相手が答えた、「われわれはその人間を知らないから、そこもとが偽名を使っているかどうか判別ができない。番所へゆけばそれがはっきりするというわけです」
与四郎はゆっくり頷いた、「いいでしょう」と彼はまた頷いた、「さしていそぐわけでもない、まいりましょう」
相手はめくばせをし、二人の若侍が与四郎の左右へまわって、「どうぞ」と云った。
他の者は残り、三人は歩きだした。梅雨にはいるまえのむし暑い日で、畷道は乾ききっており、歩く足もとから土埃が立った。城下町の重なりあった屋根はかすんでいるが、城山の松林や、高い天守閣や、櫓《やぐら》の白壁などははっきりと見えた。牛を曳《ひ》いた農夫がゆき、馬方がゆき、荷車とすれちがった。
「暑いですね」と与四郎が云った、「番所までは遠いんですか」
「いや」と一人が答えた、「町へはいるとすぐです、京橋という橋のたもとですよ」
与四郎は少し歩いてからまた訊いた、「さっきの、その、加乗とかいう男は、なにをしたんですか」
相手は黙っていて、やがて右側の一人が云った、「それは訊かないで下さい」
「どうも失礼」と与四郎は云った。
畷道が終り、土橋を渡って町へはいった。疎《まば》らな家並がしだいに軒を接し、次の土橋を渡ると板屋町になる。陽はもう山の向うにおちてしまい、家いえからながれ出る炊《かし》ぎの煙が、黄昏《たそがれ》の光りの中で靄《もや》のようにたなびいていた。十三年まえと少しも変らない町のけしきに、与四郎は胸の痛くなるようななつかしさを感じながら、地蔵の辻《つじ》まで来ると、そこで左へ曲った。京橋は右へゆくのであるが、彼は左へ曲って、ゆっくりと歩き続けた。もちろん二人は呼びとめ、そして追って来た。
「そっちは道が違います、戻って下さい」
「もういいだろう」と与四郎は振向きもせずに云った、「日が昏《く》れるからここで失礼する」
「番所はすぐそこです、戻って下さい」
与四郎は立停り、振返って「いやだ」と云った。二人はたじろいだ。振返った彼の姿勢が、かれらを圧倒したようであった。
「どうしても伴れてゆくというなら」と与四郎はひそめた声で云った、「腕ずくでやれ」
二人は黙っていた。
「おれは名もなのりゆく先も告げた」と与四郎はまをおいて続けた、「これ以上のつきあいはごめん蒙《こうむ》る、もし疑わしいと思うなら中島の港までついて来い」
そしてゆっくりと歩きだした。二人はなにか囁きあいながら、それでも半丁ばかりついて来た。与四郎は見向きもしなかったが、腋《わき》の下に汗のながれるのが感じられた。道はひと曲りして桶町にはいり、往来は物売りや子供たちで混雑しはじめた。――与四郎はおちついた足どりで歩いてゆき、鍛冶《かじ》町のところで振返った。かれらは諦めたのだろう、町の人ごみを眼で捜したが、二人の姿はもうみつからなかった。彼は太息《といき》をつき、ふところから手を入れて、両腋の汗を手拭でふいた。
「危なかった」と彼は呟いた、「これは用心をしないとやられるぞ」
かれらは自分が来ることを予期していた。おそらく充分に手配りがしてあるだろう、いちどは危うく※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れたが、顔を知っている者に出会ったらおしまいだ。どうしよう、と歩きだしながら与四郎は思った。どこかへ身を隠さなければならない、どこがいいか。松尾新六だな、新六なら力を貸してくれるだろう。松尾なら慥《たし》かだが、いや、と彼は首を振った。
「それはわからない、新六がこんどの事に無関係だという証拠はない」と与四郎は呟いた、「そこがはっきりするまでは誰にも頼ることはできない、松尾にもだ」
与四郎は竜頭川の岸へ出て、昏《くら》くなりだした町を京橋のほうへ戻り、柳町の「田口屋」という旅籠《はたご》で草鞋《わらじ》をぬいだ。小さいけれどもわりに新しい建物で、廊下はもちろん、通された六帖の座敷も、きれいに掃除がゆきとどいていた。風呂からあがると、番頭が宿帳を持って来たので、与四郎はべつの偽名を書き、四五日泊ると云った。――ほかにも客が三組ばかりあるらしかったが、飲んで騒ぐというようなこともなく、夕食を済ませたあと、窓際で団扇《うちわ》を使っていると、京町の花街から絃歌《げんか》の声が聞えて来るほど静かだった。
八時ころに夜具を敷かせて横になり、まもなく眠ったのだろう、夜半を過ぎたころ、障子をあける音で眼をさました。そろそろと、忍びやかにあけたので、却って耳についたらしい。与四郎は枕許の刀へ手を伸ばしながら、そのまま息をころしていた。
「もし、――」とはいって来た者が囁いた、「起きて下さいまし、加乗さまの若さま、もし」
女の声であった。与四郎は刀を取って起き直った。灯を消した座敷の中は暗く、相手の姿はよく見えなかった。
「誰だ」と与四郎が云った。
「加乗さまでいらっしゃいますか」と女が訊いた、「もしそうでしたら此処は危のうございます、御案内するところがございますからいっしょにおいで下さいまし」
与四郎はもういちど「おまえは誰だ」と訊いた。
「平野屋さんから頼まれた者です」
「平野屋、――それはどういう人間だ」
「どうぞお静かに」と女が云った。
女はこの田口屋の女主人であった。そして、平野屋というのは西町にある宿屋で、主人は多助といい、むかし加乗家に奉公をしていたが、十五年まえに資金を出して貰って宿屋を開業した、と説明をした。与四郎はすぐに思いだし、終りまで聞かないうちに「ああ」と頷いた。
「その平野屋なら知っている」と彼は立ちあがりながら云った、「だがどうして私が与四郎だとわかったんだ」
[#6字下げ]七[#「七」は中見出し]
与四郎が支度をするあいだに、田口屋の女主人が話した。彼は気づかなかったが、あの二人の若侍はあとを跟《つ》けて来たらしい。暫く経ってから、店へはいって来て宿帳をしらべた。与四郎は畷道のときとは違う名を使っておいたが、それをみつけたのだろう、「やっぱり偽名だ」とか、「加乗かもしれないぞ」などと囁くのが聞えた。
十日ほどまえ、城下町のぜんぶの宿屋に対して、与四郎についての通告があった。偽名を使うだろうが年齢はこれこれ、見知らぬ侍か浪人者が泊ったらすぐ届け出るように、というのである。その通告のあとで、平野屋多助が一軒ずつ宿屋を訪ね、「与四郎を助けたいから力を貸してくれ」と頼んで廻った。――与十郎の死も語り、その裏になにか仔細がありそうなこと、もし与四郎が帰国するとすればそのためであろうから、自分としては亡き与十郎への報恩に、ぜひとも与四郎を助けなければならない。同業のよしみで助力してもらいたい、と懇願した。みんなこころよく承知したようだし、田口屋でもそれらしい客が来たらと、待っていたところだと云った。
話を聞きながら、与四郎はふと父の顔を思いうかべた。そのとき変ったようすでもみせたのか、女主人が話をやめて、「どうかなさいましたか」と訊いた。
「いや、なんでもない」と彼はわれに返ったように云った、「それでわけはわかったが、これからどうするのだ」
「平野屋さんへ御案内いたします、そうするお約束でしたから」
「この家に迷惑がかかりはしないか」
「その御心配はいりません」と女主人はおちついて云った、「てまえどものことは考えてありますから、――よろしかったらお供をいたしましょう」
与四郎は幾らかの銀を包んで置き、刀を取って腰に差した。
女主人は中庭へおり、裏木戸から外へ出た。西町までは約十町ばかりだったが、路次から路次をぬけてゆくので暇どり、平野屋の裏へ着いたときには法心寺の鐘が八つ(午前二時)を打ちだしていた。田口屋の女主人が、平野屋の者を呼び起こしているあいだ、与四郎は鐘の音を数えながら、また父の顔を思いうかべていた。
それから半刻のち、彼は四帖半の小部屋で多助と話していた。
多助の実家は平野村の百姓であるが、祖父の代から誰かしら加乗家へ奉公に出ており、多助はその五番めで、十六の年から十年のあいだ勤めた。もちろん与四郎もよく知っているが、父の与十郎はひじょうに気にいったらしく、彼が四男坊であり、百姓になる気がないとわかると、資金を出して宿屋を開業させた。――与四郎はこの宿屋へは来たこともないし、平野屋という存在さえ忘れていたが、村にある彼の実家のことはよく覚えていた。平野村は城下を東へ一里ほどいった処で、与四郎は幼いころからしばしば遊びにいった。
――そうだ、村へはよく遊びにいったものだ。
多助の話を聞きながら、与四郎はそのじぶんのことを回想し、そうして、いろいろな遊びやいたずらのことから、また松尾新六を思いだし、続いて空《から》井戸のことを思いだした。
「その話はわかった」と与四郎は多助を遮《さえぎ》った、「だがどんなに手配りが厳重であろうとも、おれはやるだけのことはやるつもりだ」
多助は当惑したように黙った。彼は与四郎に「すぐ城下を立退け」とすすめたのである。警戒がきびしすぎるので、自分のところでも匿《かく》まう自信がない、せめてほとぼりのさめるまででも、ほかの土地に身を隠していてもらいたい、というのであった。
「そんなことをしている暇はない、殿は六月ちゅうに参覲《さんきん》で出府なさる」と与四郎は云った、「江戸へゆかれてはそれこそどうにもならない、出府なさるまえに片をつけたいのだ」
そして彼は多助に訊《き》いた、「法心寺の裏の空井戸はまだあるか」
「空井戸、――存じませんな」
「寺の裏に広い空地《あきち》があったが」
「空地はいまでもございます」と多助が云った、「あそこにはもと不吉な屋敷があったのだそうで、いまだに誰も近よりませんし、荒れ放題になっております」
「不吉な屋敷か」と与四郎は苦笑したが、そのことには触れずに云った、「それなら空井戸もある筈だ、近よってはいけないと固く禁じられていたが、松尾たちと遊びにいって、その空井戸の中でよく山賊のまねなどをやったものだ、あそこなら、大丈夫だろう」
「その、空井戸の中ですか」
「早いほうがいい、これからいってみよう」
多助はとめたいようすだったが、与四郎はきかなかった。蓆《むしろ》三枚に細引を二た巻、そしてがんどう提灯を用意させ、もちろん提灯はつけずに二人で裏から出た。
多助が不吉な屋敷といったのは、法心寺の住職の妾の住居であった。尤《もっと》も五六十年もまえの話で、その住職は途方もない破戒僧だったらしい。幾人もいた女の一人が、その妾に嫉妬《しっと》をし、妾を殺したうえ、家に火をかけて自分もともに焼死したというのである。与四郎たちはまだ幼なかったので、よくわけはわからないながら、その話から受ける刺戟《しげき》的な感じに、胸をどきどきさせたものであった。
法心寺は竜頭川の対岸で、京橋を渡ってゆき、岸に沿って五六町あまりいったところにある。そこは武家屋敷の地はずれに当り、うしろは城山に続く丘陵が迫っていたし、西側はずっとひらけた耕地という、極めて閑静な位置にあった。――空地はむかしのままであった。与四郎は暗いなかを迷わずに歩いてゆき、まっすぐにその空井戸のところまでいって立停った。そこには大きな柘榴《ざくろ》の木があった筈で、しかしいまその木はなく、切株だけが残っていた。
「灯をつけてくれ」と与四郎が云った。
切株から奥へ五歩ゆくと、雑草に掩《おお》われて井戸の蓋があった。多助ががんどう提灯をさし向け、与四郎は木の蓋をしらべた。さしわたし四尺ほどあるその蓋は重く、木はすっかり朽ちていて、とりのけようとすると縁が欠けた。
「大丈夫だ」と彼は呟《つぶや》いた、「誰も近づいた者はないらしい、少なくとも中へはいった者がないことはたしかだ」
こんどは用心して蓋に手をかけ、少しずつずらせて躯《からだ》を入れるだけの隙間をあけた。それから細引をつなぎ合せて柘榴の切株に掛け、二本の細引で身を支えながら、彼は井戸の中へとおりていった。多助は灯をさし向けながら、「大丈夫ですか」と訊いた。
「元のままだ」と暫くして与四郎の答える声がした、「おれたちの掘った横穴もある、これなら当分いられそうだ」それからまた云った、「頼むことを忘れていた、あがってゆくから待っていてくれ」
[#6字下げ]八[#「八」は中見出し]
それからまる一日、与四郎は井戸の底で刻《とき》の過ぎるのを待った。
井戸は周囲を石でたたんである。深さは十五六尺だろう。空井戸になってから年数が経ち、石と石との間はずれていて、歯朶《しだ》類や苔《こけ》が生えており、ずれている石を足掛りにすれば、らくに登って出ることができる。おりるには綱が必要であるが、むかしから登るのはたやすかった。――底から三尺ばかり上に、石を外して横穴が掘ってある。松尾新六の思いつきで、そこは山賊の首領の専用であり、つまり新六がそこでいばりちらしたり、旅人を襲う命令をだしたりしたものであったが、いまの与四郎の躯では半分くらいしかはいらなかった。
「こいつを掘ってひろげよう」と彼は独りで呟いた、「この横穴へはいっていれば、万一上から覗《のぞ》かれてもみつからずに済むだろうし、雨のときにも恰好だ」
日光の移動でほぼ時刻の見当がついた。
午前ちゅうにいちど眠り、午後は空腹になやまされた。夜にならなければ多助は来られないだろうと思うと、よけいに空腹感はひどく、そして井戸の中の息苦しさに圧倒され、いっとき、胸が板のように固くなるのを感じた。そのときまた父の顔が眼にうかんだ。父の顔は彼に頬笑みかけ、「おまえ子供のじぶんには平気だったじゃないか」と云っているように思えた。
与四郎はその父の顔をはなすまいとした。すると却《かえ》ってそれはぼやけてゆき、遠のいてしまったが、ふしぎに温たかい感情があとに残った。与四郎は息苦しさも忘れ、ひどい空腹も忘れて、ながいことじっともの思いにとらわれていた。――日が昏れてからまた眠ったらしい、ひそめた声で名を呼ばれ、はっとして、刀を取りながら起き直った。
「若さま」と若い娘の声が呼んでいた、「いらっしゃいますか、若さま」
与四郎ははっきり眼がさめたが、黙ってようすをうかがった。
「若さま」とまた娘が呼んだ、「平野屋の者でございます、いらっしゃいますか」
与四郎が問い返した、「平野屋の誰だ」
「多助の姪《めい》でおせい[#「せい」に傍点]と申します、お弁当と着物を持ってまいりました」と娘が云った、「いまそちらへおろしますから」
土と小石が落ちて来、やがて、大きな目笊《めざる》がおりて来た。目糸は四隅に紐《ひも》が付いてい、それに細引がつないであった。与四郎はがんどう提灯をつけながら、「ちょっと待ってくれ」といい、目笊にはいっている包を解いた。重箱は弁当であろう、ほかにめくら縞の半纒《はんてん》と股引《ももひき》、ひらぐけ、手拭、麻裏草履や紙などがひと包になっていた。
「よし、受取った」と与四郎が云った、「多助からなにかことづけはなかったか」
「まだわからないって申しておりました、若さま」と娘が上から云った、「おせい[#「せい」に傍点]を覚えていらっしゃいますか」
「わからないな、顔を見れば思いだすかもしれないが、名前には覚えがないようだ」
「むかし若さまがお嫁にもらってやるって仰しゃったことも、お忘れですの」
「ばかなことを」と与四郎が云った。
「そこへおりていってもようございますか」
「ばかなことを云うな」と彼ははねつけた、「そんな暢気《のんき》な場合じゃあない、人にみつけられたらどうするんだ、いいからもういってくれ」
娘はちょっと黙ってから云った、「また明日の晩まいりますけれど、なにか御用はございませんか」
「ない、いまのところはなにもない」
「ではまた、おやすみなさいまし」
娘は目笊を引上げ、もういちど挨拶をして、去っていった。
重箱は大きな二重のもので、握り飯と煮しめ焼魚などが詰ってい、燗徳利に入れた茶まであった。与四郎はそれを喰べながら、「まだわからない」という多助の返辞を考えて、気おちのするのを感じた。彼は多助に、父を斬った者か、三人あったという負傷者のうち、誰か一人の名でいいから知りたい、と頼んだのである。多助自身は知らなかった、父が城中で乱心のうえ死んだということは聞いたが、そのほかのことはまったくわかっていない。だが宿屋には料亭を兼ねているところもあるし、家中の侍たちが飲み食いや寄合をするから、そういう宿屋を当ってみよう、と多助は云っていた。おそらくそのとおりやってくれたのだろうが、まだわからないとすると、これからもわかるまいということを予想させるし、それは鰭島五郎兵衛が「国許でも極秘になっている」と云ったことを証明するようであった。
「じゃあどうしたらいいんだ」と与四郎は独りで呟いた、「どこへどう手掛りをつけるんだ、なにかくふうがあるか」
「ばかなおやじだ」とまた彼は云った、「ひとことなにか書き残すか、せめて緒口《いとぐち》ぐらいつけておけなかったのかな」
与四郎は気がめいり、そしてひどく苛《いら》いらしたおちつかない気分のまま、重箱を片つけ、石に倚《よ》りかかって考えこんだ。
「嫁にもらってやるって」彼はふとくすくす笑った、「すると、――それならあの赤っ毛のちびじゃないか、へええ」
彼はふと自分の顔が赤らむのを感じた。
その赤毛の女の子が、彼に向って不謹慎なまねをしたことを思いだしたのである。彼が八つか九つのときで、女の子は二つくらい年下だった。たしか多助の長兄の娘の筈だが、色の黒い縹緻《きりょう》のよくない子で、それが可哀そうだったから、いまにおれが嫁にもらってやる、などと云ったのかもしれない。もう年も二十二か三になるだろう、平野屋にいるとすると、まだ結婚しなかったのか、それとも不縁になったのか。まさか本気で嫁になるつもりで待っていたわけではあるまいが、おかしなときにあらわれておかしなことを云うものだ、と与四郎は苦笑しながら思った。
やがて彼は着替えをした。頭のほうは頬冠りをすればいい、町人姿で歩くぶんには見咎《みとが》められることもないだろう。さし当りこれという目的もないが、ただ井戸の中に坐っているよりはましである。刀を蓆で巻いて横穴へ入れ、その上へ灯を消したがんどう提灯と重箱をのせ、それからずれた石を伝って井戸の中から出た。
細引を柘榴の切株の脇に置き、手拭で頬冠りをすると、人のいないのをたしかめてから道へ出ていった。時刻は九時ころだろう、法心寺の門前をまっすぐに京橋までゆき、橋を渡りながら二段|稲荷《いなり》の茶屋のことを思いだした。――京町の花街へはいる途中に、二段稲荷とよばれる小さな社《やしろ》があり、その細い横丁の左右に幾軒かの茶店が並んでいた。実際には酒を飲ませる家で、どの店にも化粧をした女が二三人ぐらいおり、そのためしばしば町奉行の咎めを受けて店を閉めるが、いつかしらまたしょうばいを始める、ということをくり返していた。そこは京町で遊ぶほどふところの豊かでない者たちのゆく場所で、武家の軽輩や小者などもひそかに出入りするという。与四郎が子供のじぶん聞いたことで、いまどうなっているかはわからないが、もしやっているなら飲みにはいって、なにか聞きだすことができるかもしれないと思った。
[#6字下げ]九[#「九」は中見出し]
その茶店はしょうばいをしていた。店は五軒しかなく、どの店にも女は一人で、その女たちは化粧もしていないし、地味な着物に縞の前垂という、ひどくやぼくさい恰好をしており、奥の小部屋へ客をさそうなどということもなかった。――与四郎は頬冠りをしたまま、酒を一本ずつ飲んで五軒ともまわった。おそらく奉行所から咎められでもしたあとなのだろう、どの店も客が少なく、女たちもはずまない顔つきで、馴染のない与四郎に不審がるようすもなかった。
与四郎は早く帰った。出ていた時間は一刻たらずだったろう、井戸の底へおりると、古道具屋で買った鏝《こて》を出して、横穴をひろげる仕事にかかった。
彼は二段稲荷の茶店へ続けてかよった。三度目の晩のことだが、「小松」という店で足軽らしい中年の男といっしょになり、与四郎のほうからさりげなく盃《さかずき》をさした。
「旦那、ひとつつきあって下さい」と彼は云った、「こんな物をかぶっていて失礼ですが、火傷の痕《あと》があるんで却って眼障りになるもんですから、どうか勘弁して下さい」
相手は盃を受取ると、この土地の訛《なま》りで固苦しく云った、「つきあうのはいいが、こっちからお返しはできないぜ」
「そんな心配はしないで下さい」と云って彼はふところを押えた、「出稼《でかせ》ぎにいって来て少しばかり持ってるんです」
「職人のようだな」
「旦那はお武家ですね」と彼が応じた、「お腰の物がなくってもわかりますよ、まあ重ねて下さい」
相手はおうように盃を重ねた。与四郎の言葉で気をよくしたらしく、土地訛りの強い訥弁《とつべん》で、ぽつりぽつりとよく話した。与四郎はころあいをみて、よかったらまた明日の晩おめにかかりましょう、と立ちあがった。その男は明くる晩もやって来て、こんどは半刻あまりも話しこみ、藤井重兵衛と名もなのった。一と晩おいて三度めに会ったとき、気をゆるしたとみえる相手がすっかり酔ったところで、与四郎は無関心な調子で問いかけた。
「出稼ぎにいって暫く留守にしていたんですが、なにか変った事はありませんでしたか」
「そうさな」と重兵衛は首をかしげた、「み月ばかりまえに、――」云いかけて盃を眺め、首を振ってへらへらと笑った、「み月じゃなかった、三月のことだ、なあおたま[#「たま」に傍点]」
重兵衛は女に呼びかけた。十八九だろうが二十四五くらいにも老けてみえる女は、大きな欠伸《あくび》をしただけで、返辞もせずにそっぽを向いた。与四郎は「三月」と聞いてどきっとしたが、けんめいにおちついて、相手に酌をしながら訊き返した。
「三月になにかあったんですか」
「これおたま[#「たま」に傍点]」と重兵衛は女に云った、「そんなぶすっ面をするな、少しぐらい勘定が溜まったからって、――そうだ、おまえこの男の勘定におれの分をつけがけしたじゃないか」
「なんですって」女が振返った、「あたしがこのお客さんの勘定に、なにをしたんですって」
「ごまかしてもだめだ、おれは二度とも見ていた、おれはにらんでいたんだ」重兵衛はへらへらと笑って、与四郎に云った、「おまえも知っていたろう、知っていて気がつかないようなふりをしていた、それもおれはにらんでいたんだ」
女は乱暴に顔をそむけ、聞くに耐えないような悪態をついた。そして、重兵衛と女とで罵《ののし》ったり嘲笑《ちょうしょう》したり、あばきあったりという、お互いに相手の身の皮を剥《は》ぐような、ばかげたやりとりを始めた。この土地の訛りに加えて、言葉はあくまで辛辣《しんらつ》であるが、当人同志はそれほどけしきばんでいるようすもなく、またいつはてるとも見当がつかなかった。与四郎はうんざりして、まもなく勘定をし、その店を出てしまった。
――こいつは埒《らち》があかないぞ、こんなことをしていては埒があかないぞ。
井戸へ帰る途中、彼はくり返しそう思い、ほかに手段がないかどうか考え耽《ふけ》った。
どう思案してもほかに手段はなかった。多助のほうからは「わからない」という返辞が来るだけだし、事が極秘に処理されている以上、真相を知っている者はごく少数の者だけであろう。しかし誰が敵で誰が味方なのかまったく不明なのだから、自分で聞きだすほかにてだてはなかった。
「よし、ねばってやれ」と彼は自分に元気をつけた、「こうなったら根《こん》くらべだ、どうしても掴《つか》むものを掴まずにはおかないぞ」
彼はそれからも藤井重兵衛と続けて飲んだ。
宵のくちに平野屋から弁当を届けて来る。来るのはおせい[#「せい」に傍点]ときまっていて、三度めからはずっと井戸の中へおりるようになった。どうしてもいちど顔が見たいとせがまれ、やむなく細引を渡したのであるが、次の晩には自分で細引を持ってやって来た。
「気をつけてるだろうな」と彼はくり返し念を押した、「あとを跟けられたらおしまいだぞ、大丈夫か」
おせい[#「せい」に傍点]はそのたびにおとなしく頷《うなず》いた。
「それだけは大丈夫よ、自分でも可笑《おか》しくなるくらい用心しているんですもの、あたしだってもう二十一になるんですからね」
「二十一だって、――へえ」
「なにがへええですか」
彼は話をそらした、「おまえもう子供があるんだろう」
「嫁にいかないのに子供があるわけはないじゃありませんか」
「いちども嫁にゆかなかったのか」
「だって若さまがもらって下さる筈でしょ」と云っておせい[#「せい」に傍点]は含み笑いをした、「それは冗談だけれど、いちどもお嫁にはゆきません、若さまはもういいお子持ちでしょう」
与四郎は「まあそうだ」と口をにごした。
おせい[#「せい」に傍点]は変っていた。空井戸の底で、がんどう提灯の光りで見るためかもしれないが、色も白くなったしゆたかに肉づいて、赤毛もすっかり黒くつやつやとしていた。縹緻はよくないけれども好ましい顔だちというのだろう、眼や口もとに活き活きとした愛嬌《あいきょう》があった。井戸の底は狭いから、差向いにはなれない。斜交《はすか》いに躯を接して坐るのだが、身じろぎをするたびに触れるおせい[#「せい」に傍点]のからだの柔らかさや、ときをおいて強く感じる肌の匂いなどで、与四郎はしばしばなやまされた。そんなことを思いだすほうが悪いのだろうが、幼いじぶん彼女がしてみせた不謹慎なまねごとが、ともすると眼にうかんでくる。しかもそれは幼女のおせい[#「せい」に傍点]ではなく、眼の前にいる成熟した女の姿をとるので、われながら恥ずかしくなり、自分で自分に眼をそむけたくなるようなこともたびたびであった。
「あたし十二の年から叔父さんの家へ手伝いにいったでしょ」とおせい[#「せい」に傍点]は語った、「村にいるよりずっと面白いし、きっと性に合ってるんでしょう、幾つか縁談もあったんですけれど、好きでもない人の嫁になって世帯の苦労をするより、こっちのほうがよっぽどいいと思ってみんな断わっちゃったんです」
「まるで茶漬でもたべるような話しぶりだな」と彼は云った、「しかしそのくらいでよしてくれ、井戸の中の話し声は外へよく響くものだ、それにもう帰らないと多助が心配するぞ」
「お風呂へはいりにいらっしゃいな」とおせい[#「せい」に傍点]は立ちながら云った、「この中が若さまの躯の匂いで噎《む》せるようよ」
お互いさまだと云いかけて、慌てて彼はごまかした、「そのうちにゆこう」
[#6字下げ]十[#「十」は中見出し]
藤井重兵衛からはまだなにも聞きだせなかった。うっかり根問いをして、疑われては取返しがつかない。とにかく「三月になにかあった」ということは云ったのだから、機会をみて訊き糺《ただ》し、それがもし父の出来事をさすものなら、伴《つ》れ出したうえ力ずくでも事実を吐かせてやろう、と思っていた。
国許へ来て十三日めの夜、――飲みつぶれた重兵衛と別れて、法心寺へ戻った与四郎は、井戸の底へおりたとたん、うしろから羽交《はが》い絞めにされた。おりて来るのを待っていたのだろう、与四郎がまだ細引を放さないうちに、腋の下から両腕をぐっと絞めあげられた。
――おせい[#「せい」に傍点]め、跟けられたな。
与四郎はそう直観し、息が詰るような絶望におそわれた。場所が狭いのであがきがつかない、どうしようかと思っていると、相手は羽交い絞めの腕をかためたまま、「騒ぐな」と耳もとで囁《ささや》いた。
「声をあげるな、おれだ」と相手が云った。
与四郎はじりっと足をひろげた。
「よせ、松尾だ、静かにしろ」
「松尾、――」と与四郎は問い返した、「というと新六か」
「いまは新左衛門だ、わかったか」
「らしいな」と与四郎が云った、「しかしこれは、どういうわけだ」
「外で待っていて人に見られては悪いし、いきなり声をかけて乱暴されては困ると思ったんだ、手を放すが、静かにするだろうな」
与四郎は「うん」といい、躯の力をぬいた。松尾が手を放すと、与四郎は蓆を出して敷きながら、此処にいることがどうしてわかったのかと訊いた。松尾は、わかりきったことだと答えた。おまえが城下へ来て、身を隠すとすれば此処よりほかにはない、おまえならきっと此処を思いだすだろうと見当をつけたんだ、と松尾が云った。――柳町の田口屋で草鞋をぬいだのが与四郎らしいということは、翌日すぐに城中で聞いた。田口屋では「知らぬまに出ていった」と答えたそうだし、町奉行でもそれ以上は追求しなかったが、警戒はさらに厳重になった。田口屋が深く咎められなかったのは、女主人が隠居した老職なにがしのかこい者だったからだそうで、「自分のほうの心配はいらない」と云った女主人の言葉の意味が、はじめて与四郎にもわかった。
「手配は城下町から周辺にまで及んでいる、身を隠すとすればおそらく法心寺の空井戸だろうと思って、三度ばかり来てみたんだ」と松尾が云った、「中へおりてみたのは今夜が初めてだが、外からではわからなかった、しかし此処は危ないぞ」
「どうして」と与四郎が訊いた。
「此処で遊んだのはおれとおまえだけじゃない、おまえが思いだしおれが見当をつけたように、ほかにも気のつく者がある。必ずあると思わなければなるまい」
与四郎は黙ってがんどう提灯に火をつけた。そのとき、横穴の自分の刀の脇に、松尾の大小が置いてあるのを認めた。
「おれは一つ訊いておくことがある」と与四郎は坐り直して云った、「いったい松尾は、おれの敵なのか味方なのか」
「それは四郎の出かたしだいだ」
「出かた、――というと」
「なにが目的で帰国し、なにをしようとするのか、その思案によっては敵にまわらないとも限らないということだ」
「正直に云おう」と与四郎が云った、「この三月の出来事は知っているだろう、おやじは乱心して刃傷に及んだという理由で殺された、しかしそれは表向きのことで、事実は謀殺だとおれは思う」
「続けてくれ」
「おやじは殿に直諫するつもりで来た、しかし直諫の対象になった人間が、それと知って事前におやじを片づけた、おれはこうにらんだのだ」
「対象になった人間とは誰だ」
「わからない、残念だがわからない、おれは御政治向きについてはなにも知らないし、おやじとはろくに話をしたこともない、こんどもおやじからはなに一つ聞いていないんだ」
松尾は暫く黙っていて、それから訊いた。
「その相手がわかったらどうする」
「それは」と与四郎は口ごもった。
「おれの知りたいのはそこだ、相手がわかったらどうする」
与四郎は唾をのみ、そして忿然《ふんぜん》と云った、「少なくとも、おやじを手にかけたやつは斬る」
「加乗さんを仕止めたやつは命令でやったのだ、その男に責任はないとは思わないか」
「思わない」と与四郎は首を振った、「たとえ命令されたにしたって、謀殺ということを承知でやった以上それだけの責任はある筈だ」
「それで加乗さんがよろこぶと思うか」
「おやじは殺されたんだ、謀殺されたんだぞ」と与四郎は烈しい口ぶりで云った、「それも目的をはたしたうえならいいが、目的を眼の前にして殺されたんだ、おやじが恨みを遺さずに死んだと思うか」
「恨みはしたろう、しかしそれは目的をはたさなかった、という恨みだと思う」と松尾が云った、「気をしずめて聞け、加乗家は永代意見役だ、このときという場合には命を賭《と》しても御意見をしなければならない、現に、四郎の祖父に当る方は御前で腹を切られた、加乗さんもおそらくその覚悟で来られたことだろう、とすれば、目的は直諫がはたされるかどうかであって、生死は初めから問題ではなかったと思う、そうではないか」
与四郎は歯をくいしばった。
「どうだ」と松尾が静かに云った、「おれの云うことが間違っているか」
「理屈はそうかもしれない」と与四郎は口惜しそうに云った、「まるで清書した文章のような口をきくからな、松尾はむかしから云うこともすることもそんなふうだった」
「これでもまだ平河たちを斬るつもりか」
「平河だって、――」
松尾はうっと口をむすんだ。与四郎はきらっと眼を光らせた。
「平河と云ったな、平河なんというんだ」
松尾は舌打ちした、「口がすべった」
「聞かせてくれ、誰だ」
「しかたがない、云ってしまおう」松尾はもういちど舌打ちをした、「仕手は二人か三人だったらしい、平河兵馬という者が負傷したことはわかっている、加乗さんに一と太刀《たち》やられたんだ、しかしほかの者はわからない、いや事実だ、本当にわからないんだ」
「謀殺という点はどうだ」
「推察どおりだ、おれは御錠口をしらべてみたが、どこにも争闘の跡はなかった、吉井忠太夫が取次に出ているから城中ということは慥《たし》かだが、場所は決して御錠口ではない」
「それが問題にならなかったのか」
松尾は首を振った。
「どうしてだ」と与四郎がたたみかけた。
「それは答えられない」
「知ってはいるんだな」
松尾は黙っていた。
[#6字下げ]十一[#「十一」は中見出し]
与四郎は暫く松尾の顔をみつめていて、やがて調子を変えて訊いた。
「平河兵馬というのはどういう人間だ」
「五十石ばかりの馬廻りだが、相手にするほどの男じゃあない」と松尾は云った、「そんな人間のことより、もっと肝心な話があるんだ。おい、少しおちついて聞いてくれ」
与四郎は口をつぐんだ。
松尾は与十郎のやりかたが誤っていたと云った。問題は藩の政治に関することなのだから、まずその職に在る人たちと合議すべきである。ところが与十郎は永代意見役という立場に固執して、そういう手順をふまず、いきなり殿に訴えようとした。誇張していえば、これは無警告に相手の喉《のど》へ匕首《あいくち》をつきつけたようなもので、相手が謀殺という手を打ったのは、身をまもるための窮余の策であった。――もちろん、それだから謀殺を肯定するわけではないし、与十郎を非難するわけでもない。ただここでまた同じ誤りをくり返さないよう、与十郎の遺志を慥かに生かす方法を考えなければならない。それが与四郎のなすべき第一のことだ、と松尾は云った。松尾が話し終ってから、与四郎はかなり長いことしんとしていたが、やがて相手の顔をさぐるように見た。
「それで、――なにか方法があるのか」
「方法はあるが四郎の肚《はら》しだいだ」
「聞こう、どうするんだ」
「大目付へ訴えて出ろ」と松尾は静かに云った、「重職の非行について父のしらべた調書がある、それを吟味してもらいたい、と正面からなのって出るのだ、大目付へ正面から訴えて出れば、加乗さんの死という事実がある以上、もうかれらも闇へ葬ることはできない、必ず重臣会議となり、殿の御裁決を乞うことになるだろう、そうなることはおれが保証してもいい」
「ちょっと待ってくれ」と云って、与四郎は暫く考えていた、「――父は調書なんぞ残してはいないぞ」
「おれが用意してある」
「――それは」与四郎はするどく松尾を睨《にら》んだ、「松尾の作ったものか」
「おれが作ったとは云えない、江戸屋敷の者も協力しているし、加乗さんの言上しようとした事も同じ問題だと思う」
「内容を話してくれ」
松尾は首を振った、「それは云えない」
「どうして云えないんだ」
「わからないのか」と松尾はそっけなく云った、「それは加乗さんがしらべ、殿に言上しようとして加乗さん自身が調書にしたものだ、――これならわかるだろう」
与四郎は眼を伏せた。松尾は父ひとりの功にしようというのであろう、「有難う」と呟くように云い、しかしすぐに眼をあげて松尾を見た。
「その意味はわかったが、話せないという理由はそれだけか」
「事を穏便におさめたいからだ」
「おれが知っては穏便におさまらないのか」
「四郎には限らない、ぜひ必要な者以外には誰にも知らせないつもりだ」
「それで事が片づくのか」
「片づくと思う」
「御裁決があればわかってしまうだろう」
松尾はそれには答えずに云った、「さし当っての問題は四郎が引受けるかどうかだ」
「ちょっと待ってくれ」
与四郎はあぐらをかき、腕組みをして考えた。松尾は黙って待っていた。やがて、与四郎は振向いて訊いた。
「大目付は大丈夫なんだろうな」
「大丈夫だ」と松尾は頷いた、「まあ大丈夫と云ってもいいだろう、おれ自身だからな」
「松尾、――新六が大目付だって」
「新左衛門だ」と松尾は訂正した、「松尾新左衛門、去年の二月の任命だ」
「へえ」と与四郎はいった、「へええ」
「なんだ、おれが大目付では不足か」
与四郎は黙って、指を折ってなにか数えていたが、「三日待ってくれるか」と訊いた。
「待ってもいい」と松尾が云った、「だが三日のあいだになにかやるつもりか」
「まあそうだ」
「念のために云っておくが、おまえが考えている以上に手配は厳重だ、へたなことをして捉《つか》まりでもしたら万事おしまいだぞ」
「覚えておこう」と与四郎は答えた、「三日経ったら来てくれ」
松尾は立ちあがりながら、食事はどうしているか、と訊いた。与四郎は少しばかり皮肉な調子で、どんなに厳重に張りまわした網にも必ずくぐれる穴はあるものさ、と答え、がんどう提灯の光りを登り口のほうへ向けた。松尾は彼を睨んだが、なにも云わずに井戸の上へと登っていった。
翌日の夜。弁当を持って来たおせい[#「せい」に傍点]に、平河兵馬を呼びだしてくれ、と彼は頼んだ。おせい[#「せい」に傍点]はうわのそらで、よく聞きもせずに、
「ええ、いいわ」などと頷いたが、なにを頼まれたか理解していないことは明らかであった。
「どうしたんだ」と与四郎は云った、「ようすがへんじゃないか、わかったのか」
「少し休ませて下さい」
「どうかしたのか」
「済みません、その灯を消して下さいな」と云っておせい[#「せい」に傍点]はすぐに遮った、「いいえ消さないで、そのままにしておいて下さい」
与四郎はおせい[#「せい」に傍点]の肩をつかんで、「いったいどうしたんだ」と呼びかけた。おせい[#「せい」に傍点]の肩の筋肉は固く緊張し、そして全身でふるえているのが感じられた。
「おまえ病気じゃあないのか、おせい[#「せい」に傍点]」彼はおせい[#「せい」に傍点]をゆすった、「病気なのか、それともなにかあったのか」
「だいて、――」とおせい[#「せい」に傍点]は乾いた声で喘ぐように云った、「だいて下さい、あたし苦しくって、ああ、もっときつく、もっと」
彼は力をこめて抱いた。おせい[#「せい」に傍点]のからだは激しくふるえてい、彼はもっと力をいれた。すると急に、おせい[#「せい」に傍点]のからだから緊張が解け、重たく柔らかく、彼の腕の中でぐったりと力を失った。与四郎はそろそろと坐った。おせい[#「せい」に傍点]を抱いたままで坐り、不自然なかたちで膝の上へかかえた。おせい[#「せい」に傍点]は絶えいりそうに喘ぎ、ひどくかすれた声できれぎれに囁いた。与四郎はこめかみで血の鳴るのを感じた。おせい[#「せい」に傍点]の囁きは殆んど言葉をなしていなかったが、意味だけは彼にわかった。彼は眼をつむった。するとおせい[#「せい」に傍点]の手が伸びて彼の首にまわされ、その両腕で彼は緊めつけられた。
外は雨になっていた。――少しずれている井戸の蓋も濡れ、まわりの草も濡れていた。空を蔽《おお》っている雲のひとところが、月をはらんでぼっと明るく見え、そこだけ静かに雲の動くのがわかった。――雨はけぶるような小降りで、京町あたりの町の方もかすんではいず、音もたてずに濡れてゆく草むらのどこかで、かすかに虫の鳴いているのが聞えた。
法心寺の鐘が五つ(午後八時)を打ってから暫くして、井戸の蓋が動き、与四郎が出て来た。彼は「降りだしたぞ」と云いながら、手を伸ばしておせい[#「せい」に傍点]を引きあげてやった。おせい[#「せい」に傍点]は可笑しそうに含み笑いをしながら、ふり仰いで雨に顔を打たせた。
「ああいい気持、冷たくっていい気持」とおせい[#「せい」に傍点]はうきうきした調子で云った、「躯の芯《しん》のほうまですうっとなるようよ」
[#6字下げ]十二[#「十二」は中見出し]
「大きな声を出すな」と与四郎が云った、「雨をどうする、帰るまでに濡れてしまうぞ」
「その重箱を置いて、風呂敷をかぶっていきましょう、霧雨ですもの大丈夫よ」
「平河のことはわかったな」
「ええ」と頷いて、おせい[#「せい」に傍点]はそっと与四郎の手に触り、すぐに放しながら云った、「ええわかりました、うまくやりますわ」
与四郎はおせい[#「せい」に傍点]の姿が見えなくなるまで、雨の中に立って見送っていた。
その夜はでかけないで、彼は横穴の中で寝た。ひるま寝る習慣がついているから、いくら経っても眠りつけない。そのうえひどく心が乱れているとみえ、しきりに寝返りをうったり、「う」と呻《うめ》いて顔をしかめたり、また口の中でなにか罵りながら、ぎゅっと眼をつむったりした。
明くる晩、弁当を届けに来たのは多助であった。与四郎は上へ登ってゆき、「おせい[#「せい」に傍点]はどうした」と訊いた。ゆうべからの雨がまだやまず、多助は合羽《かっぱ》を着、笠をかむっていた。
「あれは村へ帰りました」と多助は答えた、「まえから縁談が一つありまして、親たちがうるさく云って来ていたんですが、その気になったものかどうか、とにかくいちど帰ってみると云いまして、午《ひる》すぎに一人で帰ってゆきました」
与四郎は暫く黙っていたが、やがて吃《ども》り吃り云った、「おせい[#「せい」に傍点]に、頼んだことがあるんだが」
「それは聞きました」と多助はいそいで答えた、「私にはわかりませんが、なんでもその人は急に江戸へ立った、こちらにはいないから、ということでございました」
「急に江戸へ、――」と与四郎は呟いた。
「雨具がなかったんですな」多助は弁当をおろす支度をしながら云った、「濡れますからどうぞおりて下さい、いまこれをおろしますから」
与四郎は井戸の中へおり、弁当を受取った。用がないかどうかを訊いて多助は去り、与四郎は暗がりに坐って考えこんだ。平河兵馬が江戸へ立ったこと、ゆうべの思いがけない出来事、村へ帰ったおせい[#「せい」に傍点]。それらのことが頭の中で代る代る現われたり消えたりし、どうにも思考がまとまらなかった。
「急に江戸へ立ったというのはなんだ」やがて彼は声に出して呟いた、「こっちに置いては危ないと思ったからか、とすると、――おれが城下に隠れていることがわかったのか」
「しまったな、しまった」とまた彼は呟いた、「あいつに逃げられては、なに者が父を仕止めたか、知る手掛りはもうない、だがいつ江戸へ立ったんだ」
おせい[#「せい」に傍点]の伝言にはいつとも云っていなかった。聞くことができなかったのかもしれないが、それならそれと自分で来て云うがいい。頼まれたことを伝言にして、急に村へ帰るというのは無責任だ。与四郎はそこまで思って、ふいに頭をあげ、闇の一点をじっと睨んだ。
「縁談があるって」と彼は口の中で囁いた、「まえから縁談があり、当人もその気になったらしい、と云ったな、ではゆうべのあれはどういうことだ」
彼は胸が熱くなった。痛みのような熱さで、顔が赤くなるのを感じ、そのまましんと、長いあいだ坐っていた。
「よせよせ」とようやく彼は首を振った、「あったことはあったことだ、おれが考えたっておせい[#「せい」に傍点]の気持がわかるわけはない、あんなことは忘れてしまえ、まだ大役が控えているんだぞ」
与四郎は灯をつけて、弁当をたべた。そしてたべ終ったとき、今夜のうちに松尾を訪ねようと決心した。平河がいなくなったとあればこうしていてもしようがない、松尾の提案したことをすぐにやってやろう。そう肚をきめたのであった。
梅雨になったのだろう、小降りではあるがやむけしきはなかった。彼は雨具に困ったが、松尾へゆけばどうにかなると思い、まもなく井戸をぬけだした。――松尾の家は元馬場下という処《ところ》にあった。屋敷替えになっていたら引返すつもりでゆくと、家はもとの処にあり、松尾は在宅だったが、玄関へ出て来て与四郎を見るなり無謀なことをするやつだ、と睨みつけた。
「そんな恰好で歩きまわって、見咎められでもしたらどうするんだ」
「小言はあとにしてくれ」と与四郎は手をひろげてみせた、「このとおり濡れているし、半月も風呂にはいらないんだ、まず躯を洗わせてもらおう」
風呂の支度ができるまで、松尾の居間へゆき、着替えをして暫く話した。平河のことを話すと、松尾は「江戸へなんかゆきはしない、こっちにいるよ」とあっさり云った。与四郎は黙って彼を見た。
「おまえが平河を捉まえるだろうということがわかったからだ」と松尾は云った、「うまくゆけばいいが、一つ間違えば逆に四郎が捉まってしまう、しかもその危険のほうが多いからおれが手を打ったのだ」
与四郎は自制するだけのまをおいて云った、「では、会わせてもらえるだろうな」
「その時が来たらだ」
「おれは父を仕止めたやつの名さえ聞けばいいんだ」
「それはむずかしいだろう、あいつだって侍のはしくれだからな」と松尾が云った、「しかしその時が来たら会わせるよ」
風呂にはいった与四郎は、髪を洗い、月代《さかやき》と髭《ひげ》を剃《そ》った。それから、松尾の母親のところへ挨拶にゆき、客間で酒の馳走になった。松尾は三年まえ、父の病死で家を相続し、父の名を継いだ。結婚したのは去年の二月、妻女は小島氏で名をすず[#「すず」に傍点]といい、夫婦のあいだにまだ子供はなかった。妻女は躯も小柄だし、ぜんたいにちまちまとしているが、いかにも明るく健康そうで、挙措動作がはっきりしていた。
酒で気持がくつろいだものか、松尾はくだけた調子で思出ばなしを始め、それから、与四郎がその父と不仲だったことを挙げて、その後うまくゆくようになったかどうか、と訊いた。うまくはゆかなかった、と与四郎は答えた。生れつき性が合わなかったようだし、「永代意見役」という役目のために、友達まで取上げられたことが心の傷になって、どうしても父を許す気になれなかった、と与四郎は云った。
「そうだろうな」と松尾は頷いた、「たしか四郎がまだ九つか十のときだったか、当時おれはどうしたことかと不審に思ったものだ」
[#6字下げ]十三[#「十三」は中見出し]
「松尾にはわけは話した筈だ」
「ずっとあとのことだ、江戸へいって何年も経ってから、手紙でそういって来たんだ」と松尾が云った、「――うん、総持寺の禅堂でなんとかいう老雲水に会って、なにか悟ったようなことを聞いたということを書いて来たときだろう」
与四郎はひやっとした。彼にはそれを書いた記憶はなかった。
――人間がけんめいになってすることの大半は無意味なものだ。
そう云った老雲水の言葉は、父の事が起こって鰭島家に監禁されたとき思いだしたことで、松尾に書いてやったことなどはまるで覚えがなかった。
「そのころ、――そうだ」と与四郎はそれには触れずに云った、「そのころがもっとも父や家の役目に嫌悪を感じていたときだ、祖父の一生、父の一生、永代意見役などという妙な役目を守って、生涯仕事らしい仕事もせずに終る、そのために周囲の人たちと親しいつきあいもしない、これではまるっきり飼殺しだ、おれはそんなことはまっぴらだ、と思った」
「そして自分は剣法師範になる、といきまいたことが書いてあったな」
「いきまきはしない、本気だった、いまでもそのつもりだ」彼はそこで苦笑し、「むろんこの藩にいればのことだが」と云い直した、「ともあれ、永代意見役はおやじ限りで返上だ」
「おれにはわからないんだが」と松尾が一と口飲んで云った、「そんな関係の親子だったのに、いま四郎が父の遺恨をはらそうとして、無分別な危険まで冒そうとしたのはどういう気持なんだ」
与四郎は空のままの盃をみつめながら、「うん」とおとなしく頷いた、「自分でもおかしいんだがね、おやじが死んでからこっち、だんだんおやじが好きになりだしたんだ、初めは可哀そうなおやじだと思った、そして、乱心などという汚名だけはきれいにしてやろうと決心したんだが、この城下へ来たときにはしょっちゅうおやじの姿が眼にうかぶ、――ふだんは殆んど口をきいたこともないし、絶えず会わないように避けてばかりいたから、実際には無縁の人みたようなものだった、それが日の経つにつれて身近に感じられ、顔かたちから話しかける声まで、ありありと思いうかべられるようになった、おまけに、おやじについてあんまり詳しい記憶があるので、自分でもびっくりしているくらいなんだ」
松尾は頷いたが、なにも云わなかった。
「あの空井戸の底で、おれは考えた」と与四郎は自分の盃に酒を注ぎながら云った、「あんな犬死に同様な結果になったが、おやじにはそれは問題ではなかった、おやじにとって責任をはたすことは生命より重かった、生命より重いなにかがおやじの中ではたらいていたんだ、――およそこんなふうなことがわかるように思ったよ」
松尾が微笑して、云った、「四郎だって結構、清書した文章のようなことを云うじゃないか」
酒が終ってから、二人は今後のやりかたについて、更けるまで打合せをした。
明くる日の早朝、与四郎は松尾に伴れられて登城し、大目付役所の吟味部屋へはいった。
役所は本丸御殿の西側にあり、町奉行、郡奉行、作事奉行などの役所と並んでいる。建物は古く、陽当りが悪いうえに、ちょうど梅雨にかかっていたから、どの部屋も湿っぽく黴臭《かびくさ》かった。――吟味部屋は四帖半ばかりの狭い室で、廊下に面して障子があり、三方は壁であった。殆んど使うことなどはないのだろう、畳は古く、中の藁《わら》は蒸れていて、歩くと足の跡がへこむくらいぼくぼくしており、三方の壁も破れ目ができて、ひとところ剥げ落ちた部分があった。
障子の外の廊下に、監視の侍が一人坐っていた。与四郎は構わず横になったが、平野屋へ断わらなければと気づき、次いでおせい[#「せい」に傍点]のことを思いだした。眼をつむると、おせい[#「せい」に傍点]の熱い肌のしめりや、張のある柔軟なまるみや、激しい呼吸や、意味をなさない叫びなどが、あまりになまなましくよみがえってくるので、彼はわれ知らず呻きながら起き直った。
「いけなかったな、あれだけはいけなかった」と彼は舌打ちをした、「どうしてあんなことになったのだろう、おれというやつは、じつに」
与四郎は両の拳で、自分の膝をぐいぐいと抉《えぐ》った。
十時ころに松尾が来た。彼は監視の侍をさがらせて、「うまくゆきそうだ」と云った。城代家老の松島|主馬《しゅめ》が会うというのである。城代家老をつかめばもう心配はない、と松尾は明るい表情で云った。
「それから、もう知らせてもいいだろうが、じつは平河の口書を取ってある」と松尾は続けた、「新たに調書が提出された、殿じきじきのお裁きになると云ったら、観念したとみえて白状した」
「それはいつのことだ」
「一昨日の晩だ」と松尾は微笑した、「それを云えば四郎がまた会わせろと騒ぐにきまっている、だから黙っていたんだが、いや」と松尾は手をあげた、「いや、だめだ、あいつも侍のはしくれだと云ったろう、謀殺の事実は認めたが、他の仕手の名は云わなかった、おそらくどう責めても口は割らぬだろう、しかし加乗さんの遺志をはたすことができれば、誰が仕止めたかということもしぜんとわかるに違いない、もういちど云うが、加乗さんの望みは唯一つだった、四郎にとってはそれをはたすのが第一だ、ということを忘れないでくれ」
与四郎は屹《きっ》と口をむすんでいて、それからやや挑戦的に云った、「――調書の内容はどうしても聞けないのか」
「ひとことだけ云おう」と松尾は声をひそめた、「江戸家老の岸岡大膳さまだ」
岸岡大膳は播磨守直之の弟で、現藩主の叔父に当る。二十歳のとき岸岡家の養子になり、直之の死後八年のあいだ、甥《おい》直治の後見役をつとめた。当年五十一になるが、精力的な人で、藩の仕置を独りで握っていた。
「岸岡さまが、どうしたんだ」と与四郎は訊き返した。
「その名を二度と口にするな」と松尾は云った、「――では御城代の部屋へゆこう、打合せたとおりにやってくれ」
二人は役所を出て杉戸口から御殿へあがり、まっすぐに城代家老の部屋へいった。そこには松島主馬のほかに二人、石本六郎右衛門、安倍又五郎という老職がおり、かれらの前には松尾の提出した「調書」が置いてあった。――与四郎はそれが亡父の遺したものであること。自分は内容をまったく知らないこと。父の遺言によって提出したこと、などを証言した。それで用は終り、沙汰あるまで大目付に預ける、ということで、彼は松尾とともにまた役所へ戻った。
「これからもうるさく呼出されるのか」
「そんなことはあるまい」と松尾は首を振った、「おまえはなにも知らないんだからな、もし呼出されるとしたら、江戸屋敷を脱出して来た事情を訊かれるくらいのものだろう」
与四郎は頷き、思いだして平野屋への伝言を頼んだ。
「西町にある宿屋で、主人は多助というんだが、もう空井戸にはいないと伝えてもらいたいんだ」
松尾は与四郎の顔を見て云った、「それが網の目だったのか」
「そんなところだ」と彼は微笑した。
監視の侍が二人になり、その夜は松尾も役所に泊った。
朝になるときれいに雨があがっていて、時間の経つにしたがって気温が高くなり、坐っていても汗がにじみ出るくらいむし暑くなった。――午ちかい時刻に、松尾が来て、「江戸のほうは手配をした」と告げた。
「かれらもまさか女にまで無法なことはしないだろうが、念のためお母さんや妹さんが安全であるように手配をした」
「母は大丈夫さ」と与四郎が云った。
彼が別れるときの母の態度を話そうとすると、取次の者が松尾を呼びに来た。中島さまが用事だというのである。松尾は首をかしげ、なんの用だろう、と口の中で呟いた。
「中島とは、――」与四郎が訊いた。
「御側用人の中島竪樹どのだ」と松尾は云った、「ことによるともう、殿のお耳にはいったのかもしれない」
ともかくいってみようと、松尾はおちつかないようすで立ちあがった。
松尾が出ていってから四半刻ほど経つと、こんどは与四郎を呼びに来た。監視の侍は、大目付の許しがなければだめだ、と断わったが、取次の者は「殿のお召しであり松尾も御前にいるそうだ」と云った。お召しとあってはやむを得ないので、監視の二人は相談のうえ、その旨を与四郎に告げた。
「私は差支えない」と彼は答えた。
役所の玄関には迎えの侍が二人待っていた。かれらは与四郎に鄭重《ていちょう》な会釈をし、案内をしようと云った。役所を出て左へ、暫くゆくと笠木塀《かさきべい》があり、それが仕切りで御殿の広庭になるのだが、笠木塀をぬけたところに、二人の侍が待っていて、与四郎のあとに付いた。案内役が前に一人、うしろに三人、前後から与四郎をはさんだかたちである。誰もなにも云わず、足の下で小砂利《こじゃり》の鳴る音だけが聞えた。――泉池のところで右へ折れると、植込のあいだの細い道が松林のほうへはいってゆく。与四郎は城中は初めてなので、それがどの辺に当るのかまったくわからなかった。しかし、道が松林にかかろうとしたとき、ふと、危険の予感のようなものが感じられた。
「これは、――」と与四郎は立停った、「これはどこへゆく道ですか」
「鉄炮的場《てっぽうまとば》です」と案内の侍が答えた。「殿は的場にいらっしゃるのです」
そして見向きもせずに歩いていった。与四郎は立停っていた。すると、うしろにいた三人の中から声をかける者があった。
「どうした」とその声は云った、「足でも萎《な》えたのか」
乾いた太い声で、与四郎は背中がぞくっとし、全身にさむけがはしるのを感じながら、本能的に腰へ手をやった。むろん刀はなかった。刀は役所に預けたままで、脇差しか差していなかった。
「おい」とまたうしろで云った、「どうしたんだ、ゆかないのか」
与四郎は急に三歩ばかりとんで振返った。うしろの三人は左右にひらいた。
――やっぱりそうか。
と与四郎は脇差の柄に手をかけた。向うの二人が抜刀し、まん中にいる一人が片手をあげて制した。
「おれがやる、逃げみちを塞《ふさ》げ」とその侍はどなった、「へたに手出しをすると平河の二の舞だぞ」
与四郎の頭の中で閃《ひらめ》くものがあった。
――こいつだ、こいつが仕手だ。
平河の名と、その自信たっぷりな態度とで、父を仕止めたのはこの男だ、ということを直感した。案内の侍は松林の中からこちらへ出て来、他の二人は刀は抜いたまま、与四郎の左と右へ位置を移した。与四郎は正面にいる相手に呼びかけた。
「名をなのれ」と彼は云った、「加乗与十郎を仕止めたのはきさまだろう」
「春日弥五郎《かすがやごろう》」と相手が答えた。
「加乗を仕止めたな」
「念には及ばぬ、抜け」と相手が云った。
与四郎は静かに抜いた。
――小太刀は不得手だ。
しかし幸運だ、と与四郎は思った。捜していた相手がみつかった、眼の前にいるのがそいつだ、これが父を仕止めたやつだ、よし、と思って脇差を構えた。
春日は二十八九歳、五尺八寸あまりの背丈で、筋肉質の精悍《せいかん》な躯つきをしている。色の浅黒い、角ばった長い顔に、眉が濃く、黒ずんだ薄い唇のあいだから、白く歯が覗いていた。――春日は刀を抜きながら、ゆっくりこちらへ歩みよって来た。刀は寸延びの剛刀で、かさねが厚く、長さは二尺八寸あまりとみえた。与四郎は高青眼にすりあげた。春日はもっと近より、近よりながら叫んだ。
「林田、うしろを詰めろ」
与四郎の気が僅かにうしろへ動いた。そこへ春日が斬りこんだ。そのとき人の叫び声が聞えたが、与四郎は左へ大きく跳躍し、春日の初太刀を※[#「二点しんにょう+官」、第3水準1-92-56]《のが》れて構え直した。
「四郎、ぬかるな」と叫ぶ声がした、「おれが後詰めをする、存分にやれ」
松尾だな、と与四郎が思った。
――だがおれは、小太刀は不得手だ。
春日は上段に構えた。与四郎は同じ高青眼で、呼吸五つばかり、二人とも動かずにいたが、突然、春日が上段から打ちおろして来た。するどい絶叫と、打ちおろされる刃の光りを見たとき、与四郎は爪尖《つまさき》立ちに伸びあがりながら、片手でさっと突を入れた。春日のそれは空《から》打ちで、すぐに胴へ切り返す手であった。与四郎はその先《せん》を取り、彼の切尖《きっさき》は春日の左眼を刺《つ》いた。与四郎は脇へとびのき、春日は片手で眼を押えながら、けもののような呻き声をあげた。
「よし、それでよし」と松尾が叫びながら走って来た、「刀をひけ、四郎、そいつはもう死んだも同然だ」
与四郎は振向いた。松尾のうしろから十人ばかり、身支度をした侍たちがついて来、春日弥五郎のまわりを取囲んだ。
「側用人に待たされたので気がついた」と松尾は云った、「加乗さんを此処でやったことは平河の口書でわかっていたし、城中ではほかに場所がないから駆けつけて来たんだ、まにあってよかったが、胆《きも》がちぢんだよ」
「刀がこれなんでね」と与四郎は懐紙を出して、脇差を拭きながら云った、「――おれは小さいのは得手じゃないんだ」
それから松尾の眼を見て云った。
「父を仕止めたのはあいつだったよ」
[#6字下げ]十四[#「十四」は中見出し]
――半年のち、岸岡大膳は江戸家老を罷免《ひめん》、国許で永蟄居《えいちっきょ》を命ぜられた。側用人中島竪樹、留守役永井吉兵衛の二人は切腹、春日弥五郎、平河兵馬はじめ追放者が七人、そのほか役を召上げられたり、扶持《ふち》を削られた者が十余人。また、代々藩の御用達をしていた島屋五郎兵衛が、用達を解かれたうえ、国許にある支店の家財を没収された。
この件の内容は公表されなかったが、岸岡大膳が島屋と共謀のうえ、藩の金や産物を動かして私腹をこやすことに専念し、そのため領内の諸工事や改革事業の頓挫《とんざ》と、経済の非常な逼迫《ひっぱく》をまねいていた。ということだけはおよそわかった。
――加乗家はこれまでの役を解かれたうえ、元の食禄《しょくろく》に百石加増され、与四郎は父の名を継いで年寄役にあげられた。追放になった春日弥五郎は、すぐあとで切腹したが、これは与四郎の追求を恐れたのか、隻眼になって前途を絶望したものであろう。平河兵馬の末路はついに知れなかった。
以上は与四郎が「花杖記」と題して、みずから筆を取った覚書である。花杖とは加乗の姓をとったものであろう、末尾に左のような短い文章がつけ加えてある。
――おせい[#「せい」に傍点]は佐川村の百姓、仙右衛門に嫁したが、三年しても子に恵まれぬため、叔父多助の三男を養子にもらったという。いちど安否を問う手紙をやったが、返事はなかった。
底本:「山本周五郎全集第二十七巻 将監さまの細みち・並木河岸」新潮社
1982(昭和57)年8月25日 発行
底本の親本:「小説新潮」
1957(昭和32)年9月号
初出:「小説新潮」
1957(昭和32)年9月号
入力:特定非営利活動法人はるかぜ