#1/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/10 19:26 (178)
オウム真理教訳語対比表 1
★内容
苦の詩章
自己の苦しみを喜びとし、他の苦しみを自己の苦しみとする。
オウム真理教では、本来の意味を正確に表わしていない既成の仏教用語は用いず、
パーリ語原点を忠実に翻訳し、吟味した結果、決定した訳語を使っています。以下
に、代表的な言葉の対比表を掲げますので、参照して下さい。
◎言語対比表◎
欲界→愛欲界 無間地獄→超期間激苦地獄
叫喚地獄→号叫激苦地獄 針特摩地獄→紅蓮華のような状態になる激苦地獄
阿修羅→不飲酒天 憤怒天→意識堕落天 戯忘天→戯れ堕落天
地居天→地上愛欲神天 四天王衆天→四大王天 持国天→堅固王国天
セイチョウテン トウチヘンゲジザイテンクウテン
増長天→成長天 広目天→統治変化自在天空天
シュショミンガイショウテン
毘沙門天、多聞天→守庶民外傷天 夜叉→人食い鬼神
ユウノウシン
とう利天→三十三天 帝釈天→有能神
シ ハイ ルテンソウセイジテン シハイ ルテンソウセイジオウ
夜摩天→支配流転双生児天 閻魔王→支配流転双生児王
ジョレイタンテン
兜率天→除冷淡天 楽変化天、化楽天→創造満足天
イタシンイジンツウソウゾウヨクボウマンゾクジュウジテン
他化自在天→為他神以神通創造欲望満足従事天
悪魔→破滅天
色界→形状界 梵天→神聖天 梵衆天→神聖衆愛欲神天
梵輔天→神聖臣天 大梵天→大神聖天
浄天→美天 遍浄天→総美愛欲本質神天
広果天→偉大果報愛欲本質神天
浄居天→清潔居住天 無煩天→超空間愛欲神天 無熱天→超燃焼愛欲神天
善現天→善安楽愛欲神天 善見天→善現象愛欲神天
色究竟天→超越童子愛欲本質神天
無色界→非形状界 空無辺処→空間無辺境
識無辺処→識別無辺境 無所有処→無所有境
非想非非想処→非認知非非認知境
想受滅→認知経験滅尽
須弥山→完全無欠山 東勝身州→東の高貴なる身体を得る大陸
南せん部州、閻浮堤→南のバラリンゴの大陸
西牛貨州→西の願いがかなう牛の大陸
北倶る州→北の悪しき音の大陸
成劫→再生期
住劫→継続期
壊劫→還元期
シンケン シンリショウシャ クヨウ チコン
釈迦牟尼→サキャ神賢 如来→真理勝者 応供→供養値魂
サイジョウショウカクシャ チトクジョウジュシャ サイジョウゼンゼイ
正等覚→最上正覚者 明行足→智徳成就者 善逝→最上善逝
セケンゲ ムジョウシ
世間解→世間解(変更なし) 無上士→無上士(変更なし)
トウタツシンチウンメイコン
菩薩→到達真智運命魂
コウボンノウメツジンタガクナン コウボンノウメツジンタガクニョ
比丘→向煩悩滅尽多学男 比丘尼→向煩悩滅尽多学女
キエ シンナン キエ シンニョ
優婆塞→帰依信男 優婆夷→帰依信女
僧伽→出家教団 長老→高弟
声聞→多学の弟子 沙門→出家修行者 沙弥→少年出家者
遊行者→托鉢修行者 バラモン→祭司 クシャトリヤ→武人
ヴァイシャ→庶民 シュードラ→奴隷
四双八輩→四対の人々-八つの宗教的特性を持つ人々
預流→真理の流れに入ること 一来→(愛欲界に)一度だけ転生すること
不還→不還(変更なし) 阿羅漢→供養値魂
四預流支→四つの真理の流れに入る段階
四聖諦→四つの絶対的真理 苦聖諦→苦しみの絶対的真理
集聖諦→苦しみの生起の絶対的真理 滅聖諦→苦しみの滅尽の絶対的真理
道聖諦→苦しみの滅尽に至る方法の絶対的真理
キオクシュジュウジュツ
四念処→四つの記憶修習述
ニショウダンニショウゴン
四正断→二正断二正勤
断断→現在悪業断 律儀断→未来悪業断
ゴン ゴン
修断→現在善業勤 随護断→未来善業勤
ニョイ
四如意足→四つの如意の基礎
欲如意足→決意如意の基礎 精進如意足→精進如意の基礎
心如意足→思念如意の基礎 観如意足→観慧如意の基礎
五根→五つの潜在性 五力→五つの能力
信根→信の潜在性 信力→信の能力
精進根→精進の潜在性 精進力→精進の能力
念根→記憶修習の潜在性 念力→記憶修習の能力
定根→サマディの潜在性 定力→サマディの能力
慧根→智慧の潜在性 慧力→智慧の能力
七覚支→七つの覚醒段階 念覚支→記憶修習覚醒段階
択法覚支→検討覚醒段階 精進覚支→精進覚醒段階
セイジャク
喜覚支→喜覚醒段階 軽安覚支→静寂覚醒段階
定覚支→サマディ覚醒段階 捨覚支→無頓着覚醒段階
八正道→聖なる八段階の道 正見→正見解
正思惟→正思惟(変更なし) 正語→正語(変更なし)
正業→正行為 正命→正生活 正精進→正奮闘
正念→正記憶修習 正定→正サマディ
三苦→三つの苦しみ 苦苦→苦苦(変更なし)
行苦→悪い構成要素の苦しみ 壊苦→悪化の苦しみ
三受→三つの感覚 楽受→楽の感覚
苦受→苦しみの感覚 不苦不楽受→不苦不楽の感覚
四無量心→四無量心(変更なし) 慈→慈愛 悲→聖哀れみ
喜→聖称賛 捨→聖無頓着 五取蘊→五つのとらわれの集積
色取蘊→形状-容姿のとらわれの集積
受取蘊→感覚のとらわれの集積 想取蘊→表象のとらわれの集積
行取蘊→経験の構成のとらわれの集積
識取蘊→識別のとらわれの集積
五蓋→五つの障害 貪欲蓋→愛欲の興奮による障害
瞋恚蓋→害心による障害 こん眠蓋→頑固と愚鈍による障害
掉挙蓋→興奮と後悔による障害 疑蓋→疑念による障害
五妙欲→五つの愛欲の構成部分 色→形状-容姿
声→声(変更なし) 香→香り 味→味(変更なし) 触→接触
#2/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/10 19:29 ( 78)
オウム真理教訳語対比表 2
★内容
五下分結→五つの下位に結び付けるきずな
有身見→有身謬見 疑→疑念 戒禁取→戒誓のとらわれ
貪欲→愛欲の興奮 瞋恚→害心
五上分結→五つの上位に結び付けるきずな
色貪→形状愛著 無色貪→非形状愛著 慢→慢(変更なし)
掉挙→興奮 無明→悲神秘力
八解脱→八離解脱 八勝処→八勝境 十遍処→十全境 十波羅蜜→十の徹底
十二縁起の法→十二の条件生起の段階 無明→悲神秘力 行→経験の構成
識→識別 名色→心の要素-形状-容姿 六処→六つの感覚要素と対象
触→接触 受→感覚 愛→渇愛 取→とらわれ 有→生存 生→出生
苦→苦しみ 信→信(変更なし) 悦→歓喜 喜→喜(変更なし)
軽安→静寂 楽→楽(変更なし) 三昧→サマディ
ニョジツセイツウケンカイ
如実知見→如実精通見解 遠離→現世否定 離貪→離愛著 解脱→離解脱
゚ク槃→煩悩破壊 般゚ク槃→完全煩悩破壊
中般゚ク槃→中完全煩悩破壊 生般゚ク槃→減少完全煩悩破壊
無行般゚ク槃→形状界にて経験の構成がなく功徳の果報を受けつつある完全煩悩破壊
有行般゚ク槃→形状界にて経験の構成があり真理の実践による完全煩悩破壊
一種者→一種者(変更なし) 家家者→徳の高い家から家へと転生する者
極七返→最高七回流転者
正智→正精通 正解脱→正離解脱 心解脱→心の離解脱
慧解脱→智慧の離解脱
殺生→殺生(変更なし) 偸盗→窃盗 邪淫→愛欲における邪悪な行為
妄語→虚言 綺語→軽薄語 悪口→悪口(変更なし) 両舌→中傷
貪→愛著 瞋→邪悪心 癡→迷妄
愁→不運な出来事 悲→悲嘆 苦→苦しみ 憂→激痛 悩→悩み
五趣→五つの方向 善趣→幸福に向かうこと 悪趣→悲痛に向かうこと
カルマ→要素の蓄積 法→法則 梵行→神聖行 布薩→戒誓行
波羅提木叉→約束維持解放
頭陀→断修行障礙 袈裟衣→赤っぽい黄色の衣 衆生→生命体
四大種→四大元素 本生経→輪廻転生談
仏教・ヨーガ言語対比表
愛欲界-現象界 形状界-アストラル世界 非形状界→コーザル世界
愛著-サットヴァ 邪悪心-ラジャス 迷妄-タマス
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第二誦品
#3/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/10 22: 4 (111)
オウム真理教の世界観 全宇宙の構造 ウパティッサ
★内容
世界観
全宇宙の構成
まず、この全宇宙は、愛欲界、形状界、非形状界、そして大完全煩悩破壊界に
分類することが出来ます。
愛欲界とは、今現在私たちが生きているこの世も含まれ、熱優位の粗雑な物質で
出来ている世界です。
形状界とは音優位の微細な物質で出来た世界で、上位形状界と低位形状界に
分かれています。そのうちの低位形状界が、愛欲界と重なっています。
重なっているとは、通じ合っているという意味です。
非形状界とは、光優位のデータの世界です。これは、上位・中位・低位と三つに
分かれています。そのうちの低位非形状界が愛欲界、低位形状界と重なっており、
中位非形状界が上位形状界と重なっています。上位非形状界となると、他のどの
世界とも重なっていません。上へ行くほど、透明な光が強くなり、光が情報として
存在しています。
これらの世界は、どれも下から上に行くに従って、そこに存在する魂の密度が
低くなっています。
仏教的アプローチは、心の成熟を主体とし、霊性の向上を従と考えるがゆえに、
低位形状界、低位非形状界、中位非形状界を経験しません。しかし、タントリズムと
ヨーガは、心の成熟よりも霊性の向上に重きを置くが故に、それらの経験もします。
愛欲界は六つのパートからなり、下から順に地獄界、動物界、餓鬼界、人間界、
意識堕落天、そして戯れ堕落天に分類することが出来ます。
・ ・
・ ・
・ 大完全煩悩破壊界
・ (超非物理的世界)
・ ・
・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・
・ ・
・ ・
・ ・
・ ・
・ 上位非形状界
・ (空)
・ ・
・ ・
・ ・
・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・
・ ・
・ ・
・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ ・
・ ・ 中位非形状界
・ ・
・ ・
・ ・
・ 上位形状界 ・
・ ・・・・・・・・・・・・
・ ・
・ ・
・ ・
・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ ・ 低位非形状界
・ ・ (無)
・ ・
・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ 戯れ堕落天 ・ 低位形状界 ・
・・・・・・(天界)・・・・・・ ・・・・・・・・・
・ 意識堕落天(阿修羅界) ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・ ・ 非形状界(無色界
・ 人間界 ・ ・ (コ
・・・・・・・・・・・・・・・ ・ (超物理的世界)
・ 餓鬼界(低級霊域) ・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・ ↑
・ 動物界 ・ 形状界(色界)
・・・・・・・・・・・・・・・ (アストラル:微細次元)
・ 地獄界 ・ (非物理的世界)
・・・・・・・・・・・・・・・
↑
愛欲界
(現象界:粗雑次元)
(物理的世界)
全宇宙の構成図(EX氏作)
我々が瞑想によって愛欲界を経験するときは、愛欲界の裏側の、低位形状界
を通じて経験します。形状界は音(ヴァイブレーション)の世界ですから、そ
れぞれの世界に特有の音楽が流れています。
例えば、地獄はロック、ジャズなどが流れています。動物は軽い歌謡曲のよ
うな曲、人間界は演歌のような情のこもった曲、意識堕落天は軍艦マーチや軍
歌のような勇ましい曲、天界はクラシックや日本の雅楽のような曲が流れてい
ます。ですから、自分がどのジャンルの音楽を好むかによって、愛欲界のどの
世界の要素を持っているのか推し量ることが出来るわけです。
#4/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/11 2: 6 (141)
オウム真理教世界観 地獄1 ウパティッサ
★内容
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オーム マニ ペメ フーム
これは、愛欲界の六つの世界の要素の蓄積を断ち切るマントラです。
これから、愛欲界の一つ一つの世界について説明をしていきたいと思います。
たとえ天界に生まれたとしても、この輪廻の輪を超えない限り、いつかは悲
痛に向かう世界へ落ちてしまいます。故に、我々はまずこの愛欲界の要素の蓄
積を断ち切り、この愛欲界から離脱しなければなりません。
◇◇◇◇◇ 地 獄 ◇◇◇◇◇
Hell
苦しみだけの世界
地獄に生まれ変わる条件は、心における嫌悪、言葉における悪口、そして
行為における暴力・殺生である。
また、真理に対する妨害や、真理と称して間違った教えを説いた者なども
地獄に落ちるとされている。
普通、地獄に落ちると永遠に抜け出せないような感じを受けるが、実際は
そうではない。確かに地獄は六道の中では最も寿命の長い世界だが、無常の
世界にある以上、必ず死はやってくる。天界ももちろん同じである。
それでは、地獄と天界の寿命の長さを見てみよう。
例えば天界は、
◎第一天界(四大王天)=九百万年
◎第二天界(三十三天)=三千六百万年
◎第三天界(支配流転双生児天)=一億四千四百万年
◎第四天界(除冷淡天)=五億七千六百万年
◎第五天界(創造満足天)=二十三億四百万年
◎第六天界(為他神以神通創造欲望満足従事天)=九十二億一千六百万年
(麻原彰晃著「タターガタ・アビダンマ」参照)
また、地獄界はさらに長く、八つの熱地獄を例に取ると、
△第一熱地獄(等活地獄)=四大王の神の寿命が一日に相当し、それを五百年生きる。
△第二熱地獄(黒縄地獄)=三十三天の神の寿命が一日に相当し、それを千年生きる。
△第三熱地獄(衆合地獄)=支配流転双生児天の神の寿命が一日に相当し、
それを二千年生きる。
△第四熱地獄(号叫地獄)=除冷淡天の神の寿命が一日に相当し、それを四千年生きる。
△第五熱地獄(大叫地獄)=創造満足天の神の寿命が一日に相当し、
それを八千年生きる。
△第六熱地獄(炎熱地獄)=為他神以神通創造欲望満足従事天の神の寿命が
一日に相当し、それを一万六千年生きる。
△第七熱地獄(大熱地獄)=炎熱地獄よりさらに長い。
△第八熱地獄(超期間地獄)=人間の六十小カルパが一日に相当し、一大カルパ生きる。
(中村元著「沸教語大辞典」参照)
というように、人間の時間の感覚では計り知れないほど長い年月を、これら
の世界で過ごすことになっている。
地獄や天界を "永遠”と錯覚するのも無理はないかも知れない。しかし、
必ず終わりは訪れるのである。その時が来れば、その長い寿命も瞬間だった
ように感じるだろう。
さて、地獄に生まれ変わるシチュエーションには三つのパターンがあると
される。それは裁き、ヴィジョン、エネルギーの三つである。
裁きとは、支配流転双生児神、俗にいう閻魔大王の裁きである。生前に積
んだ悪業によって、支配流転双生児神によって地獄行きの判決が下され、地
獄に生まれ変わる、これが第一のパターンである。もちろんこれは例え話で
も冗談でもない。
ヴィジョンによる転生とは、例えば地獄のカルマをたくさん持っている人
は、バルドー(死後の中間状態)でものすごく周りが熱くなり、炎に包まれ
たような状態になる。そして、嫌悪の強い者は、それを幻影だということを
知らずに、そこから逃れようという心の働きが出てくる。
そしてその後、その炎に包まれた状態で、雪山の大変涼しそうな景色が見
えてくる。そしてああ涼しそうだと飛び込んだ瞬間、寒冷地獄ということに
なる。
反対に、体がものすごい寒さに襲われる。その状態で、暖かそうな炎が見
えてくる。そしてああ暖かそうだと飛び込んだ瞬間、熱地獄ということにな
る。これが、嫌悪による転生のパターンである。
このときの条件、心の条件を解析してみよう。もし、その自己の周りの炎、
あるいは寒さというものが、自己のカルマであるということを認めることが
出来たならば、あるいはその炎、寒さに対して嫌悪、憎しみの感情を抱かな
かったならば、その人は雪山に、あるいは炎に飛び込まなかったであろう。
しかし、嫌悪の感情を持ったがために飛び込んだ訳である。
勿論他のパターンのヴィジョンもある。
では三番目、エネルギーによる転生とは一体どのようなものであろうか?
それぞれの世界にはその世界特有の色がある。そして地獄の色と言うのは、
黒である。現在、黒が好きだという方は、気をつけた方がいい。それは地獄
に生まれ変わる可能性が高いからだ。
バルドーに入って、黒い煙が見えてくる。地獄のカルマの強い人はその黒
に魅力を感じ、飛び込む。その瞬間、地獄に生まれ変わっているという訳で
ある。
ちなみに、同じ黒でも光沢のある黒の場合は、愛欲界の王であるマーラ(
破滅天)の色である。
さて、この地獄は大きく三つの世界に分けられる。
それは、熱地獄、寒冷地獄、痛みの地獄の三つである。
嫌悪による怒りを発した者は熱地獄に、嫌悪による冷たさを持った者は寒
冷地獄に、嫌悪により他の魂を肉体的に害した者は痛みの地獄に生まれ変わ
る。
#5/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/11 8:35 (199)
オウム真理教世界観 地獄 2 ウパティッサ
★内容
では、釈迦牟尼はこの地獄をどのように表現していたのか?
南伝大蔵経の「天使経」の中の地獄の記述をご紹介しよう。
「その人に、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は五種連という名の刑
罰を行うのである。まず、五本の赤く熟した鉄の杭を、それぞれ両手と両足
と胸の中央とに刺す。そのとき、彼は非常に激しい苦痛を受ける。しかもそ
の悪業が尽きない限りは、その間命が終わる事はないのだ。また、その彼を
諸々の獄卒は、誘っていき、斧で切る。そのとき、彼は・・・(中略)・・
・その悪業が尽きない限りは、その間命が終わる事はないのだ。また、その
彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は足を上にし、頭を下に置い
て、鋭い斧で切る。そのとき、彼は・・・(中略)・・・その悪業が尽きな
い限りは、その間命が終わる事はないのだ。また、その彼を、諸々の向煩悩
滅尽多学男よ、諸々の獄卒は車のくびきに付けて、熱く焼け燃えている地上
を行ったり来たりさせる。そのとき、彼は・・・(中略)・・・その悪業が
尽きない限りは、その間命が終わることはないのだ。また、その彼を、諸々
の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は、炭火が赤く焼け燃えている大きな山
を登ったり降りたりさせる。そのとき、彼は非常に激しい苦痛を受ける。し
かもその悪業が尽きない限りは、その間命が終わることはないのだ。また、
その彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は、足を上に頭を下にし
て捕まえて、熱く焼け燃えている大きな銅の釜の中に投げ入れる。そして、
彼はそこでぐつぐつ煮られる。彼はそこでぐつぐつ煮られて、上に行ったり、
下に行ったり、横に行ったりする。そのとき、彼は非常に激しい苦痛を受け
る。しかもその悪業が尽きない限りは、その間命が終わることはないのだ。
また、その彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は大地獄の中に投
げ入れる。そして、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その大地獄は、
四隅があり、四つの門があって、
同じ大きさに区分され、
鉄の壁に囲まれ、
鉄で覆われている。
その鉄でできた大地は
燃え盛る炎に敷き詰められ、
上下左右はあまねく百ヨージャナの広がりがあって、
常に存続している。
そして、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その大地獄の東の壁で炎が燃え上が
り、西の壁に突き当たる。西の壁で炎が燃え上がり、東の壁に突き当たる。
北の壁で炎が燃え上がり、南の壁に突き当たる。南の壁で炎が燃え上がり、
北の壁に突き当たる。下で炎が燃え上がり、上に突き当たる。上で炎が燃え
上がり、下に突き当たる。彼はそこで非常に激しい苦痛を受ける。しかもそ
の悪業が尽きない限りは、その間命が終わることはないのだ。
諸々の向煩悩滅尽多学男よ、長い時が経過する間のいつかには、その大地
獄の東の門が開かれるときがある。そこで、彼はそこに向かって全速力で走
っていく。全速力で走って行くために、皮も焼かれ、肌も焼かれ、肉も焼か
れ、筋も焼かれ、骨も焦がされる。実際に、このような騒乱があるのだ。そ
して、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、ようやく彼がたどりつくと、そのとき、
その門は閉ざされてしまうのである。彼はそこで非常に激しい苦痛を受ける。
しかもその悪業が尽きない限りは、その間命が終わる事はないのだ。
諸々の向煩悩滅尽多学男よ、長いときが経過する間のいつかには、その大
地獄の西の門が開かれるときがある。・・・(中略)・・・北の門が開かれ
るときがある。・・・(中略)・・・南の門が開かれるときがある。そこで、
彼は全速力で走っていく。彼は全速力で走って行くために、彼は焼かれ・・
・その門は閉ざされてしまうのである。彼はそこで非常に激しい苦痛を受け
る。しかもその悪業が尽きない限りは、その間命が終わる事はないのだ。
諸々の向煩悩滅尽多学男よ、長いときが経過する間のいつかには、その大
地獄の東の門が開かれるときがある。そこで、彼は全速力でそこに向かって
走っていく・・・このような騒乱があるのだ。
そして、彼はその門からでる。
しかし、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その大地獄にほとんど接するように
して、巨大な糞尿地獄が揃って存在している。彼はそこに落ちる。そして、
諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その糞尿地獄には針の口を持つ生き物がいて、
皮を破る。皮を破り終わると肌を破る。肌を破り終わると肉を破る。肉を破
り終わると筋を破る。筋を破り終わると骨を破る。骨を破り終わると骨の随
を食らうのである。彼はそのとき、非常に激しい苦痛を受ける。けれども、
その悪業が尽きない限りは、その間命が終わることはないのだ。
そして、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その糞尿地獄にほとんど接するよう
にして、巨大な熱灰地獄が揃って存在している。彼はそこに落ちる。彼はそ
こで非常に激しい苦痛を受ける。けれども、その悪業が尽きない限りは、そ
の間命が終わることはないのだ。
そして、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その熱灰地獄にほとんど接するよう
にして、一ヨージャナの高さにそびえ、指十六本分の長さのトゲを持った、
熱く焼け燃えている巨大な針の木の林が揃って存在している。諸々の獄卒は、
彼にそこを登ったり降りたりさせるのである。彼はそこで非常に激しい苦痛
を受ける。けれども、その悪業が尽きない限りは、その間命が終わることは
ないのだ。
そして、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、その針の木の林にほとんど接するよ
うにして、巨大な剣の葉の林が揃って存在している。彼はそこに落ちる。様
々な風に吹き動かされた葉は、彼の手を破り、足を破り、手足を破り、耳を
破り、鼻を破り、耳と鼻を破るのである。彼はそこで非常に激しい苦痛を受
ける。けれども、その悪業が尽きない限りは、その間命が終わることはない
のだ。
その彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は釣針を使って引き上
げ、陸地に立たせて、次のように言った。
『おい、男よ、お前は何か欲しいものはあるか。』
彼は次のように言った。
『すみません、私はお腹がすいております。』
その彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は熱く焼け燃えていて
灼熱した金ばさみで口を開き、熱く焼け燃えてい灼熱した鉄丸を口に投げ込
むのだ。それは、彼の唇をも焼き、口をも焼き、喉をも焼き、胸をも焼き、
大腸と小腸とを持ち去って、下部から出るのである。彼はそのとき、非常に
激しい苦痛を受ける。けれども、その悪業が尽きない限りは、その間命が終
わることはないのだ。
その彼に、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は次のように言った。
『おい、男よ、お前は何か欲しいものはあるか。』
彼は次のように言った。
『すみません、私は喉が渇いております。』
その彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒は熱く焼け燃えていて
灼熱した金ばさみで口を開き、熱く焼け燃えていて熱く煮えたぎる銅を口に
注ぐのだ。それは、彼の唇をも焼き、口をも焼き、喉をも焼き、胸をも焼き、
大腸と小腸とを持ち去って、下部から出るのである。彼はそのとき、非常に
激しい苦痛を受ける。けれども、その悪業が尽きない限りは、その間命が終
わることはないのだ。
その彼を、諸々の向煩悩滅尽多学男よ、諸々の獄卒はもう一度大地獄に投
げ入れるのである。」
まさに恐ろしい世界である。しかし、気をつけなければいけないのは、サ
キャ神賢(釈迦牟尼)は神通によって実際に地獄を経験していたのであろう
が、それはあくまでも2600年前の地獄だということである。この260
0年の間に人間界の様相が大きく変化したように、当然地獄の様相も変化し
ているであろう。しかしもちろん、先にあげた原則的なものは変わらない。
例えば、殺生というものを考えてみても、2600年前にはなかったが現
在はあるというものが多く存在する。例えば堕胎、殺虫剤、等々である。
やったことが同じように返ってくるというカルマの法則から考えて、行い
が変われば当然結果も変わってくる。例えば殺虫剤で多くの虫を殺した者が、
同じように殺虫剤のようなもので苦しめられる地獄が存在するということで
ある。
では、このような恐ろしい地獄に落ちないためには、どのようにしたらよ
よいのだろうか。考えてみれば簡単なことである。条件を一つ一つつぶして
いけばよいのだ。例えば、嫌悪の心を持たず、全ての魂に慈愛を降り注ぐ。
悪口を言わず、優しい言葉のみを語る。生き物を殺すことなく、慈しむとい
うことである。
しかし、実際はやはり難しいであろう。嫌悪の心を取り払うのは、なかな
か大変である。例えば夏の暑い時期に、「暑いのは嫌だ。涼しいところへ行
きたい。」などと考えたりしたら、それも地獄へ落ちる因となってしまうの
である。
心の統御に比べると、行為と言葉の統御は比較的簡単だろう。
例えば、蚊が刺してきても殺さずに、慈しみの心を持ってじっと耐える。
人に悪口を言われても言い返さないでじっと耐える。地獄に落ちないために
も、ぜひ実践して欲しい。
さて、今度はまた違った観点から地獄に落ちる因を見てみよう。
我々が喜びを求めれば求めるほど、苦しみが増大するということにお気づ
きだろうか?
例えば、お風呂を考えてみよう。ここに二人の人がいて、一人は、50度
のお湯はちょっと熱すぎる、30度のお湯はちょっとぬるすぎると考えてい
た。彼は30~50度のお湯では苦を感じないのである。
しかしここに嫌悪の強い、そして喜びを求める心の強い者がいたとする。
まあ、喜びを求める心が強ければ強いほど、苦に対する嫌悪も強くなるだろ
う。彼は40度前後のお湯にのみ喜びを求め、それ以外の温度に嫌悪してい
た。つまり、前者が苦を感じなかった温度にまで、後者は苦を感じるのであ
る。同じ条件でも苦しみの領域が広いのである。
我々の周りを見ても、喜びを求めている人ほど苦に対しても敏感である。
例えばここに、味覚の非常に鋭い者がいたとしたら、彼は普通の人が感じら
れないような素晴らしい味覚を得ることができるかもしれないが、同時に普
通の人が感じないようなまずい感覚も味わわなければならなくなるだろう。
逆に、例えばオウム真理教の高い成就を成し遂げた方達は、日々楽しみを
求めない生活をしている。食事もわずかなものをとり、もちろん性的な行為
は一切行なわず、外見を着飾ることもなく、また心に於いても救済のみを考
える。このように喜びを求めない生活をしていると、逆に苦しみの領域も減
っていく。例えばオウム真理教の成就者が怪我をして傷口を縫う場合、ほと
んどの場合、麻酔を使わない。普段から喜びを求めない生活をしているため、
苦の許容量が大きくなっているのである。
そして全てが心の現れであることを考えると、我々が欲求を滅し、苦の領
域を狭めたならば、或いは完全に欲求自体を無くしてしまったならば、我々
が地獄に落ちる因はかなり減少することになる。
しかしこの欲求というものは我々の無始の過去からの経験の積み重ねから
きている。よってそう簡単に滅せるものではない。そしてそれを可能にする
日本でただ一つの修行形態を有しているのが、オウム真理教なのである。
みなさんは、六道がピラミッド型になっているのをご存知だったろうか?
つまり、底辺ほど広い。広いというか、そこに存在する魂が多いのである。
別の言い方をすれば、我々が死んで最も生まれ変わる可能性の高い世界が、
地獄なのである。
私たちは、この地獄を完全に捨断することのできる、「真理」に巡りあ
ったことに感謝しようではないか。そして巡り会ったはいいがまだ実践に
までは至っていない人は、今日この瞬間を境に全力で真理の実践に励むべ
きである。死神の大群はいつ私たちを襲うか全く分からないのだから。
あのときもしも 修行をしてたら
今の悲しみは なかっただろうに
何故に無智におおわれ 修行をせず
快楽の幻影を むさぼったの
私はあやまちに 気づいたけれど
もう遅い 何もかも
手遅れになった
麻原彰晃尊師 作詩・作曲 「さまよえるバルドー」より
#6/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/11 9:29 ( 83)
オウム真理教世界観 動物界 ウパティッサ
★内容
動 物
The Animal Realm
六道の第二番目は動物界である。
この動物界は、皆さんも知っての通り、皆さんの視覚的に
とらえられる動物全てだけではなく、この宇宙には多くの動
物が遍在している。その動物の特徴は、根本的無智であり、
実際、動物の世界から高い世界へ転生する場合、それは積極
的に高い世界へ転生することはできず、消極的な形でいいカ
ルマを持っている者のみがそこから脱却することができるの
である。
サキャ神賢は、動物の世界へ転生するとは言わず、「動物
としての発生」という言葉を使っている。
動物としての発生とは、動物として生まれ出るということ
であり、わざわざ魂が人間として生まれる人間世界と区別し
ているのである。つまり、同じこの愛欲界に生まれるにして
も、動物の方がより粗雑であるということを言外に含めてい
るのである。
現代の生物学に於いても、発生という言葉を使っているの
は興味深いことである。
ところで、この動物としての発生へと至る心の機序は、根
本的無智を背景としている。つまり、低級霊域にいた魂が、
より具体的満足を得ようとしてこの動物の世界へと発生する
のである。
『哀しみの動物世界』
作詞・作曲 麻原彰晃尊師
楽しければいいじゃないの 楽しければいいじゃない
楽しければいいじゃないの どうして何が悪いの
楽しければいいじゃないの 楽しければいいじゃない
楽しければいいじゃないの どうして何が悪いの
なんとなくでいいの ちょっとだけでいいの
あなた そんな 恐い顔しないで
なんとなくでいいの ちょっとだけでいいの
善行なんて 私はいイヤだ まっぴらゴメンだ ねー
強いことがすべて だー 支配だけがすべてなんだ
強い者が出てきたなら 逃げろ さあ 逃げろよー
速い者だけが得をする 強い者だけが得られる ボス達だけが得をする
それが自然の掟 強い者だけが生きられるのー
あなたそばにいてほしい この寂しさ なめてよ
一緒にいてほしい 優しければそれでいい 子供はどこへ行くのだろ
もしもあのとき私が 戒め を守っていたならば
こんなに 辛い思いをせずに済んだのに 無明の闇がすべてを 狂わせた
堅い牙が 体つぶす 光る爪が 体つぶす 開く口が 私を飲む
恐い 恐い 恐いよー 「助けてー」
功徳だけが私の救い 善行積めばいいじゃない 寂止だけが私の救い
真理の教えが すべてだー!
参考文献 マハーヤーナ
真理
えんじょい・はぴねす
真実!六道輪廻
絶対の真理
飛翔
タターガタ・アビダンマ 第一誦品
#7/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/11 19:21 (121)
オウム真理教世界観 餓鬼界 ウパティッサ
★内容
餓 鬼
The Realm of Hungry Ghosts
下から第三番目が餓鬼界である。この餓鬼界は、貪りのカルマの強い魂の行
く世界であり、これは動物界と人間界の間に存在している。
餓鬼のカルマを持つ人の条件を詳しく述べるならば、四つあげることができる。
1.布施の心がない
2.楽をしたがる
3.食べ物の味にこだわる
4.物を集めたがる
の四つである。何か現代人にぴったり当てはまるような気がするが・・・
例えば、人間の形状をしていても、生まれながらにして全く物を食べること
ができない、あるいはガンその他にかかり、死ぬ前に物が食べられなくなり、
腹がパンパンに腫れ上がって死ぬ等は、これは餓鬼界へ転生する現われなので
ある。
そして、この餓鬼界はお互いがお互いを遮断し、自分の利益のみを考える魂
が存在している世界ということになる。だいたい人にものを施さないで独り占
めし、そして生きた魂は、次の生この世界へ転生するのである。
餓鬼のカルマを切るには、
1.徹底的な財施(真理に対する財産の布施)をすること
2.マニプーラ・チャクラから特殊な方法でエネルギーを上昇させること
3.マントラを唱えることによって餓鬼のカルマを破壊すること
という三つの方法を合わせて行なわなければならない。
ただ、餓鬼のカルマを持つ人は、いきなり財産を布施しなさいと言っても無
理だろう。そういう方は一日一円でもいいから、毎日布施をし続ける努力をし
てみてほしい。そのうち布施の喜びがわかり、自分のために使うよりも布施し
た方がいいという風になるだろう。
ところで、この餓鬼というのは実際はプレータといい、低級霊域を表わして
いる。
この低級霊域は、二つの魂の構成から成り立っている。
第一のパターンは、愛欲を有している魂で、具体的な、例えば動物としての
発生とか、人間世界とか、ハッキリと特徴が固定されていない場合である。
第二のパターンは、具体的な世界よりイメージの世界を好む魂で、愛欲を有
している場合である。
前者の方が後者よりこの低級霊域から他の世界へ転生するスピードは早い。
また、餓鬼は人食い鬼神のペットでもあるという。
地獄の色が黒(光のない黒)であることは前に述べたが、餓鬼はどうかとい
うと、暗く濁った黄色である。
そして、お気づきになったかも知れないが、この色こそ現代の日本の霊能者
達を象徴する色なのである。前に雑誌の新興宗教特集を見たとき、みんな同じ
暗く濁った黄色を基調としていたのを見てびっくりした事がある。
『貪りの苦しみ』
作詩・作曲 麻原彰晃尊師
人は どうでもいい 他人は どうでもいい
悲しみ越えて 苦しみ越えて 私は集めた 財産
俺の苦労を 誰にわかるか 俺の楽しみは これしかないんだ
お金だけが 味方なんだ
欲張りだった あやまちだった 心しだいで すべては決まる
物は どうでもいい お金は どうでもいい
悲しみいっぱい 苦しみいっぱい ガキの世界は苦しい
食べよう リンゴ 石リンゴ 甘い ケーキ 胃が燃える
この世界 すべて皆 私の苦しみ
ジュースだ 石油だ 黒こげ 缶詰 爆弾 バラバラ
財施極限 カルマ落ちたよ
私は天界楽しいよ 財施の極限素晴らしい
あなたも真理を行って 私と天界行きましょう
天界全てが快楽だ お金のカルマを断ち切って
貪り超越するならば あなたも私も天界だ
正しい見解培って すべてに施しなすならば
プレータ世界を脱出し 長命・歓喜の天界だ
現世の観念断ち切って 「すべては功徳の現れ」と
功徳の理論に精通し 天での自由と幸福を
これはオイラのものだ すべて私のものだ
《すべて私のものだ!!》
これはオイラのものだ すべて私のものだ
見えない世界 知らない世界 私は知らない
無明 救済 真理の伝播 真理だけが全てを明かす
オイラ ガキの世界へ 落ちてしまったけれど
あなたはきっと 功徳を積んで 天へと至り 歓喜を
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
マハーヤーナ
えんじょい・はぴねす
飛翔
#8/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/11 21:43 ( 89)
オウム真理教世界観 人間界 ウパティッサ
★内容
人 間
The Human Realm
下から四番目の世界が、私達の今いる人間の世界である。
この世界は情の世界と言われる。これは、特定のものに対する偏った
執着を意味している。
例えば餓鬼のカルマを持つ者は、何でもかんでも自分のものだという
感じだが、人間の場合はそうではなく、ある特定のものにのみ執着をす
るのである。
この情は日本人の一番好きなやつである。人情、愛情、友情・・・た
だ、最近は、情よりも嫌悪、無智、むさぼりといった三悪趣のカルマの
強い者がこの人間世界に多いのは否めない事実である。人間界のレベル
が落ちているのだ。
この人間界の寿命は、八万才から十才の間を増減すると言われている。
そしてこれはそこに住む魂の善業・悪業の度合いによって決まってくる。
人間界の魂のベクトルが上向きであれば寿命は伸びて行くし、下向きに
なれば寿命は減少へと向かうのである。
平均年齢が100才に満たない現代は、相当悪いカルマを持った魂が
集まっていると考えていいだろう。
仏典によると、この人間界は四つの大陸と八つの島々、そして数え切
れない程の名もない島々で構成されている。四つの大陸の名称と形状は、
「東の高貴なる身体を得る大陸(ヴィデーハ州)」という半月形の大陸、
「南のバラリンゴの大陸(ジャンブ州)」という台形の大陸、「西の願
いがかなう牛の大陸(ゴーヤーナ州)」という円形の大陸、「北の悪し
き音の大陸(クル州)」という四角形の大陸の四つである。オウム真理
教ではこの大陸というのはプレートを表わしていると考えている。
八つの島々の名称と形状は、東の「身体」という半月状の島、東の「
高貴な身体」という半月状の島、南の「帯状の扇」という台形の島、南
の「別の帯状の扇」という台形の島、西の「動き」という円形の島、西
の「完全な道を踏む」という円形の島、北の「不快な音」という四角形
の島、北の「不快な音の月」という四角形の島の八つである。
この世界に生まれ変わるときのヴィジョンは、セックスである。まず、
後に両親となる男女のセックスのヴィジョンが見え出す。そして男性は
母親にものすごい愛着を持ち、父親に対してものすごい嫉妬心を持つ。
逆に女性は父親に対してものすごい愛着をもち、母親に対してものすご
い嫉妬心を持つ。そしてそのときの愛着や嫉妬心というものは生きてい
るときの何百倍、何千倍といったものであり、そのものすごいエネルギ
ーによって転生先が決まってしまうのである。
人間転生
作詩・作曲 麻原彰晃尊師
あなたと一緒に 苦労をしながら 楽しい家庭を 築きたい
私の すべてを あなたに 捧げたい
この愛は 喜びは 無常と知っていながら 求める
安らぎは 幸福は 三苦の形を表し 壊れゆく
子供達は 息子達は あなたのように素適に この夢
壊れさせない 固く守るわ 来世も あなたと一緒に生きたいの
勇敢 ジャンブ州 真理の記憶修習
クル州 千年生きられる エゴが無く 天界のように楽しい
家畜養い ステーキを食べ 焼き鳥 焼き肉
ゴーヤーナ州の楽しみのすべてがここに
五百年生き 巨大身体 ヴィデーハ州 美しい 体持ち
素晴らしい 行動なし 生きるの
人間界へ 生まれたい そのサインは かわら屋根
父母の交わり 家庭のヴィジョン
湖の馬 白い馬 湖のそば 牛がいる
美しい男 美しい女 すべてが道
何度も記憶し 何度も瞑想し 忘れないわ
あなたと一緒に 人間世界へ 苦楽と一緒に 暮し育む
ジャンブ州だけが 修行の大陸
人の一生は短いぞ 功徳減らして 生きたならば
いくら瞑想したとしても おまえの道は 三悪趣だよ
真理を記憶し 真理を行い 功徳を積めば 人間だ
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
えんじょい・はぴねす
真実!六道輪廻
マハーヤーナ
#9/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 0:34 (107)
オウム真理教世界観 意識堕落天 ウパティッサ
★内容
意 識 堕 落 天
The Heaven of
Degenerated Consciousness
第五番目は意識堕落天である。一般には阿修羅界と呼ばれている世界である。
この意識堕落天は、一般的に今現代ではUFOブームだが、このUFOに乗っ
ている魂、この魂が意識堕落天であると考えるべきである。
この意識堕落天の世界は、大変科学が発達している。ここで要求されるもの
は、純粋な論理性であり、そして自分自身の観念の中において認められるもの
に対してのみ、積極的に生きる姿勢である。
この意識堕落天の世界は、そこに住む魂は、否定的であり、そして排他的で
ある。しかし、自分の得意分野に対しては、大変優れた才能をそれぞれが持っ
ている。
つまり、スペシャリスト・タイプが多いわけである。
そして、自分の専門分野において上に立つ者に対して激しい闘争心を燃やす
のである。
麻原尊師は、何度もこの世界の王として君臨したことがあるそうである。
意識堕落天はひとりよがりの天界で、自己向上欲求が強い。ひとりよがりと
いうのは、批判によりその魂の行動が限定されるからである。
意識堕落天に生まれ変わるヴィジョンとしては、まず右上方から赤いエネル
ギーが射し込んでくる。これは、多くのヴィジョンを含んでいる。そのほとん
どが闘争のヴィジョンである。例えば、スポーツ、格闘技等である。そしてそ
れを見ているうち、自分も相手を打ちのめしたいとかいう心の働きが出てくる。
この慢、あるいは害心によって、気付いたときには意識堕落天へ生まれ変わっ
ているのである。
今の意識堕落天は、大変宗教性が発達し、特に密教や仏教が大いに発達して
いる世界なのである。しかし、ここの魂は他人を尊敬することをせず、そして、
自分の担当する役割にだれかが干渉しようものなら、即闘争を挑む。よって、
ここ
の世界を闘争の天界と呼ぶこともある。例えば、後期『旧約聖書』などの世界
における天の描写は、まさにこの意識堕落天ということになる。
そして、聖書における御使い(ANGEL)とは、実はこの意識堕落天を表
わしているらしい。ANGELには半神という意味があるのだが、意識堕落天
も半神と表わされるのだ。これは、神(戯れ堕落天)と、動物の両方の要素を
持っているということである。動物界の色は緑、戯れ堕落天の色はどんよりと
した白であるから、意識堕落天は緑と白で表現されるのである。
そしてこの意識堕落天は、交わった剣、その周りに炎という象徴で表わされ
ている。これはユダヤ教のシンボル・マークと同じである。
この世界の寿命は、だいたい二百年から千六百年ぐらいの間である。
この世界の光は、赤紫である。しかし赤紫といいながらも多様の要素を含ん
でいる。大体において、この世界へ転生する魂は、赤紫と黄緑のバルドーを持
っている。
真の意識堕落天の主、あるいは上級の魂というものは、黄緑のバルドーがな
い。これはどういうことかというと、純粋に知謀、力、あるいは徳を備えてい
るということである。
ところが、意識堕落天へ転生するもう一つのタイプの魂は、そこに餓鬼のカ
ルマや、動物のカルマを含んでいる。
つまり、この世界には二つのタイプがいて、支配する側とされる側がハッキ
リしているのである。そして、支配する側は完全に純粋に赤紫であり、支配さ
れる側は黄緑のパターンが多いということである。
無明憤怒天
作詩・作曲 麻原彰晃尊師
戦い疲れ 功徳を漏らし 天への道を 一人閉ざす
策略は 鏡のよう 真理を知らず ただ立ち向かう
功徳の力は すべてを超える 持戒を保持し
布施を為し 真理の教え だけが すべて
戯忘天 快楽は うらやみの 心起こす
戦い 陰謀 誹謗 け落とし だけが すべて 力
智謀 力 布施がこの世界
破戒 快楽が 戯忘と違う
戒 実践 為すなら 戯忘をしのぐ
戒 実践 為すなら 神聖天へ
さあ パンチ 両舌 悪口が カルマ落とす
がまんが ジャンプ力 悪業落し 神聖天
持戒を守れば 真理を学べば
遥かに 高い天へと いざなう
智謀だけが 頼りなんだ 功徳だけは 積んでもいい
戒律は まっぴらだ 制約はゴメンだね
俺はカルマを信じない
カルマの力でまた悪趣
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
真実!六道輪廻
超越神力PART2
前生を知れ!死生智の秘密
#10/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 9: 7 ( 95)
オウム真理教世界観 戯れ堕落天 ウパティッサ
★内容
戯 れ 堕 落 天
The Heaven of
Trrestrial Desire Gods
愛欲界の最高の世界、戯れ堕落天の説明の入ろう。この戯れ堕落天は、大き
く分けて六つのパートに分かれている。下から順に、四大王天、三十三天、支
配流転双生児天、除冷淡天、創造満足天、為他神以神通創造欲望満足従事天の
六つである。
戯れ堕落天の魂は、この世のカルマを肯定する。例えば田中角栄の金権や、
小佐野賢治や児玉誉士夫等の社会的に批判された事業の仕方などについても、
肯定するのである。
なぜならば、現代人が全く重要だと思ってもいない徳の法則というものがあ
るのであるが、実はその徳の法則通りに彼らは出世し、あるいは事業を成功さ
せたのであると言うことを知っているからである。
そして、戯れ堕落天の魂は、自分自身も徳を積み、力や物質的豊かさ、多く
の官能といったものを手に入れるのである。
つまり、意識堕落天は、自己の周囲の諸々の現象に対する否定により、自己
の清らかさを保全する事を特徴とし、戯れ堕落天は、要素の蓄積を肯定し、そ
して自分自身もその要素の蓄積の法則にのっとって生き、善果を楽しむ、とい
うことが特徴なのである。
しかし、ここでよく考えてみるならば、排他的な心や積んだ功徳を消耗する
という心の働きが煩悩であり、結果的には、この愛欲界であるサムサーラ(苦
界)を流転しなければならないと言うことに気付くべきなのである。
◇天の修行
天の修行は、何をもって善法を増大させ、何をもって悪法を減少させるか、
この一点にかかっている。なぜならば、天というものは、功徳の消耗の激しい
空間だからである。
つまり、天は欲楽の世界である。この欲楽の世界で、その天より上に上がっ
て行くためには、善法を増大させ、悪法を減少させる以外にない。よって、す
べての現象に対して、これは善法を増大させるのか、あるいはこれは悪法を増
大させるのかの認識をしっかり持ち、善法を増大させるものをよしとし、悪法
を増大させるものを悪しとするのである。
要するに、天の修行のポイントは、いかにその欲望を満足させながら、ある
いは欲望を捨断しながら、善法を増大させ、悪法を減少させるかである。
そして、実は、この善法増大、悪法減少の真の意味、ここにタントラの奥儀
が隠されているのである。
戯忘の悲哀
作詩・作曲 麻原彰晃尊師
布施と 持戒が 天の道 一つはずしても 門閉ざす
真理 修習 だけじゃないが 邪道の道はことなる
布施実践 戒実践 邪道でも 天へ行く
真理と違い また悪趣 真理は天からジャンプする
快楽 楽しみ 欲望天 長命 歓喜 戯忘天
功徳の力 持戒の力
和合 慈しみ 欲望天 従順 善行 戯忘天
功徳の力 持戒の力
真理 記憶修習 真理 記憶実践だ
私と 伴に あなたも さあ行こう 真理の道がすべてだ
俺は この世界の 支配者 快楽 すべてが私のもの
天女の魅力 答えられぬ
五妙欲 大満足 欲望天 とろけそう 天女達 戯忘天
功徳の力 我ぞ知る 至上の快楽 この世界
俺は この世界の支配者 すべての天女は 俺のものだ
光が消えた 功徳が切れた カルマが落ちた 地獄だ
参考文献 真実!六道輪廻
飛翔
タターガタ・アビダンマ 第一誦品
超越神力PART2
前生を知れ!死生智の秘密
マハーヤーナ
創世期
尊師、インドを行く
#11/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 10:49 (124)
オウム真理教世界観 四大王天 ウパティッサ
★内容
第一天界
四 大 王 天
The Four Kings
この第一天界は、四大王天ともいわれている。四大王天は、堅固王国天、統
治変化自在天空天、成長天、守庶民外傷天の四つに分けることができる。
この世界は、四預流支の実践を行なう者が最も行き安い世界である。
堅 固 王 国 天
Strong Kingdom
第一番目の堅固王国天、これはだいたいにおいて、神を信奉する国、一国一
国に一人ずつの担当の神が存在している。その担当の神が、この堅固王国天の
中に統括されるのである。堅固王国天は、天界に対して崇拝している国をしっ
かりと守る働きがあるのである。
ここは、前生に於いて善政をなした聖王が転生する世界である。
少し小さくまとめるならば、例えば会社があり、その会社に対して円満経営
を行なわせ、従業員が大変平安に生活している、こういうところの経営者が行
く世界でもある。
この堅固王国天の侍神はガンダッバである。ガンダッバは、鳥のような羽の
衣をつけ、そして音楽を担当している。これが堅固王国天の侍神たちである。
人間界の天才音楽家たちはこのガンダッパの守護を受けているのである。
統 治 変 化 自 在 天 空 天
Naga’s Heaven
第二番目が統治変化自在天空天である。ここの中心的神はナーガであり、つ
まり龍であり、これは天候その他を担当している。
今のナーガの国は仏典をもとに統治されているという。大乗仏教に於いて竜
が出てくる理由というのは、そこに多くのサキャ神賢真理勝者の経典が収めら
れているからなのである。
ここは、全ての人の幸福のために天候を祈る、例えば神官などが行く世界で
ある。
ここの侍神はナーガである。ナーガは自在に変化し――麻原彰晃尊師はこの
世界の王であったこともあるわけだが――このナーガにも侍神が存在している。
ナーガの侍神は白龍、白い蛇たちなのである。白い蛇たちは、大きなナーガの
木で戯れ、楽しんでいるのである。日本の神社などで白蛇が祭られているのは
あれはナーガの使いなのである。
成 長 天
Growth
そして、第三番目が成長天である。これは、花や木等の生長、生き物の成長
等を司っている天界である。そして、この御使いは妖精たちである。
ここは、生き物を殺さず、生き物の成長(生長)を暖かく見守った人の行く
世界である。
そして、第三番目の成長天の侍神は、クンバンダと呼ばれる。このクンバン
ダは、現代でいうところの妖精であると考えてよろしい。
守 庶 民 外 傷 天
Protecting Common People from Injuries
第四番目は、守庶民外傷天である。これは、天界を崇拝する魂が、ケガ、あ
るいは病気などにかからないように守護する天界である。
ここは、軍隊の英雄、あるいは外科の名医などが行く世界であるといわれて
いる。
そして、ここの侍神は、人喰い鬼神である。この人喰い鬼神は、悪業を積む
魂を食べてしまうのである。そして、餓鬼(プレータ)をペットとして飼って
いる。
これが四大王天、つまり第一天界の内容である。
そして、この四大王天は、それぞれ東西南北を守護している。南の守護神が
成長天であり、北の守護神が守庶民外傷天であり、西の守護神が統治変化自在
天空天であり、東の守護神が堅固王国天なのである。
◎地上愛欲神天
人間に最も近い天界で、地上に住む神である。ただし、身体は人間より微細であるがた
めに、肉眼で見ることはできない。
戯れ堕落天の第一天界の支配下に属している。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
真実!六道輪廻
飛翔
マハーヤーナ
えんじょい・はぴねす
創世期
原始仏典講義一
#12/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 13: 6 ( 30)
オウム真理教世界観 三十三天 ウパティッサ
★内容
三 十 三 天
33 Gods
次は三十三天である。この第二天界に属する三十三天は、中央の有能神と、
そして四方に八神ずつ配置し、つまり四×八=三十二の神々の、計三十三の神
々で構成されている。
そして、第一天界は、完全無欠山の裾野で生活し、第二天界は完全無欠山の
頂上で生活しているのである。なぜ彼らの住んでいる山を完全無欠山というの
かというと、この山は宇宙の創造のときでき、そして宇宙の破壊のとき完全に
灰になるまで、決して壊れることがないから完全無欠山というのである。
ここで、有能神について少し説明しよう。有能神は、愛欲天界の王といわれ
ている。彼は智慧に長け、そして耐える力が優れている。
風貌は長髪で、髭を生やし、マントを身につけている。
才能に溢れ、その才能によって救済活動に貢献した魂は、この有能神に生ま
れ変わる。
この三十三天界と意識堕落天とは絶えず闘争を繰り返し、優劣を競い合って
いるのである。もちろん、若干徳の高いこの三十三天の方が意識堕落天に比べ
て勝率が高いことはいうまでもない。
91カルパ前、ヴィパッシー真理勝者がこの人間界へ降りられていたとき、
麻原尊師はここの王、つまり有能神であった。
#13/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 18:25 (159)
オウム真理教世界観 支配流転双生児天 ウパティッサ
★内容
支 配 流 転 双 生 児 天
The Twins Who Control Transmigration
次は、第三天界の説明に入ろう。第三天界の神の名前は、支配流転双生児天
といわれている。この支配流転双生児天は人間界を含め、自分たちの下の世界、
つまり有能神の世界までの生と死を司っているのである。
日本でいわれている閻魔大王は、この支配流転双生児天の「優れた支配流転
双生児天子」なのである。彼らは、魂の善業と悪業の量を量り、そして次の生
を決定するのである。
そして、彼らには獄卒がついている。獄卒とは何かというと、支配流転双生
児天の意向により、地獄へ魂を連れて行ったり、あるいは動物の世界へ突き落
としたりしている魂のことである。
「優れた支配流転双生児天子」による魂の裁きは、原始仏典の「天使経(デ
ーヴァドゥータ・スッタ」に描かれている。ここで、その天使経にもとづいて
麻原尊師が作詩作曲された「地獄」、それから同じく麻原尊師作詩作曲の「エ
ンマの数え唄」をご紹介しよう。
『地獄』
作詩・作曲 麻原彰晃尊師
お前は 私を 知ってるか お前は 私を 知ってるか
三体の御使いを 知ってるか 三体の御使いを 知ってるか
私は 私は 知りません 三体の御使いを 知りません
お前は 死人をみただろう お前は 死人をみただろう
はいはいエンマ様 私は見ました 見ました
確かにたくさんの 死人を見ました
人は死ぬ 必ず死ぬ だから功徳を積まなければ
地獄の道が開かれる
お前は 病人を知らないか お前は 病気を知らないか
はいはいエンマ様 知ってます 私のまわりは病人だらけ
病院もたくさん ありました
病は 人の無常を教えてくれる 病は いい時期が終わりを告げると
教えてくれる
お前は 老人を見なかったか お前は おいぼれを見なかったのか
はいはいエンマ様 私の父も年老いました 私の母も年老いました
おいぼれるとは 無常を表す おいぼれるとは 無常を表す
どんなに若くて元気でも 必ず年を取るんだ
お前は三つの御使いを お前は三体の御使いを
!!!!!!!!!!!!!!!8+$FCN$C$?$K$+$+$o$i$: H 悪業をなした
よってお前は地獄行き よってお前は地獄行き
お前が地獄へ行く前に 一つ聞きたいことがある
お前は弁護士を知らないのか
はいはいエンマ様 私は エンマ様に対して
弁護士など知りません 知りません
お前は菩薩をしらないのか お前は真理の流布者を
知らなかったのか
いえいえエンマ様 あの人達は現世の楽しみ捨てて
バカなことをやってます ですから私は現世において
彼らを嘲笑しました
お前はただ一つの生き方を 無智なるがゆえに
捨ててしまった
お前は哀れにも 地獄行き お前は哀れにも 地獄行き
血の池 寒冷 大熱 大寒 ひび割れ 八つ裂き 釜ゆで
大針 小針 大トゲ 小トゲ 多くの苦しみ受けなさい
すべての魂 カルマの清算 なしには生きてゆけない
《獄卒共よ ひったてろ!》
《地獄へひったてよ!》
《カルマの清算をなせ!》
『エンマの数え歌』
作詩・作曲 麻原彰晃尊師
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・ 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・ 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・
悪業を数える、悪業を数える、
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・ 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・ 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・
一つ、二つ、裁くぞ! うそをついても、わかるぞ。
私はやってない!潔白だ。 私はやってない!潔白だ。
うそつき、だますな。おまえはうそつき、有罪だ!
大熱、寒冷、大ガキ、小ガキ、畜生。 大熱、寒冷、大ガキ、小ガキ、畜生。
獄卒共よ、ひったてろ! 獄卒共よ、ひったてろ!
獄卒共よ、ひったてろ! ひったてろ!
あなたは素晴らしい。 あなたは素晴らしい。正しく生きた、よくやった!
功徳だ!善行だ! 寂静、真理だ! 真理の実践だ! 実践だ!
あなたは天へと道ができ、天での生活待っている。 カルマによって、我裁く。
地獄、畜生、プレーダ、人間、天界。 地獄、畜生、プレーダ、人間、天界。
地獄だ!、天界だ!、畜生だ!、人間だ!
あなたはカルマを越えられる。 あなた、どこへ行くの?
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・ 一つ、二つ、三つ、四つ、五つ・・・
この世界の住人は、仏像的な体つきをしている。そして、腕をもぎ取っても
腕が生えてくる、首がもげても首が生えてくる。つまり、この肉体そのものが
幻影に過ぎないということがはっきりと分かる世界なのである。
ここでは殺されるということは存在しない。カルマによる死のみが存在する
のである。
人々に輪廻の教えを説き、多くの魂をポア(高い世界へ生まれ変わらせるこ
と)した魂がここに転生する。
もちろん、葬式をやっている坊さんでも、ポアができなければだめである。
逆に、ポアのできない僧侶、死後の世界を知らない僧侶というのは、死者の魂
を騙しているようなものだから、大きな悪業を積むことになるのである。
参考文献 マハーヤーナ
タターガタ・アビダンマ 第一誦品
えんじょい・はぴねす
真実!六道輪廻
創世期
#14/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 19:54 ( 47)
オウム真理教世界観 除冷淡天 ウパティッサ
★内容
除 冷 淡 天
Absence of Inconsiderateness
第四天界、ここは除冷淡天である。この世界はチベット語の訳では歓喜の園、
歓喜天という訳が与えられている。しかし実際これは結果を論じた訳であって、
正しい訳としては除冷淡天ということができる。つまりこの世界へ転生するた
めには、煩悩は有していても、四無量心(慈愛・聖哀れみ・聖称賛・聖無頓着
の四つを指す。)が存在しなければ転生しないのである。そして、あの偉大な
布施をサキャ神賢に対してなしたアナータピンディカ長者も、あるいはマッリ
カー妃も、この除冷淡天へと転生したのである。第三天界の支配流転双生児天
までは、冷淡さがあっても徳があれば転生することができた。しかし、いくら
徳があっても冷淡さが存在していれば、この除冷淡天には転生しないのである。
一般的に仏教徒において、在家修行の場合、三十三天や、あるいは第一天界
の四大王天に生まれ変わるか、この除冷淡天に生まれ変わることが多い。あま
り、支配流転双生児天へは生まれ変わらない。なぜならば、仏教では裁きとい
う言葉が存在しないからなのである。そして、この第三天界、第四天界は、完
全無欠山の上に雲のような形でその空間が形成され、そこで魂は生活をしてい
るのである。
一般的に戯れ堕落天というのは、自己の幸福な状態に溺れ、それ以上徳を積
んだり修行をしたりしないため、死後は低い世界に落ちる可能性が高い。しか
し、この除冷淡天の神々は、快楽を享受しつつも、徳を積んだり、偉大な指導
者の説法を聞いたりしているため、この天界をさらなる高い世界へのジャンプ
台とすることができるのである。
参考文献 マハーヤーナ
真理
えんじょい・はぴねす
タターガタ・アビダンマ 第一誦品
超越神力PART2
前生を知れ!死生智の秘密
創世期
生死を超える
#15/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 20:56 ( 13)
オウム真理教世界観 創造満足天 ウパティッサ
★内容
創 造 満 足 天
Creative Satisfaction
次は、第五天界である。ここは創造満足天と呼ばれ、自分の欲しいものを神
秘的な力によって創造し、楽しむ天界である。ここは、煩悩を満足させるため
に修行する魂が行きやすい天界なのである。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
#16/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/12 21:52 ( 41)
オウム真理教世界観 為他神以神通創造欲望満足従事天
★内容
為 他 神 以 神 通 創 造 欲 望 満 足 従 事 天
Pleasing Others with Divine Powers
次は、第六天界である。この第六天界の名称はやや長い。為他神以神通創造
欲望満足従事天である。この第六天界へ至るためには、自分自身の神秘的な力、
いろいろな才能等を、グルやあるいは徳の高い魂に供養した者が行く世界であ
る。この世界では、自分自身が欲したものを、自分にかしずいている神々が供
養する形で生じてくる。
釈迦牟尼の高弟のアヌルッダは、前生に於いてこの世界の住人であったとい
われる。
◎マーラ
そして、ここまでが愛欲界である。そして、この愛欲界の王、彼こそはマー
ラ(破滅天)と呼ばれる。このマーラとは、日本語で訳すると悪魔である。つ
まり、このマーラはすべての神通を持ち、そして、だれもまねのできない大い
なる欲望を持ち、それを満足させ、欲望を完成させることを魂に与えることに
よって、その魂たちを支配する魂なのである。そして、このマーラに打ち勝た
ない限り、神聖世界へ没入することはできないのである。
釈迦牟尼の二大弟子の一人で、神通第一と言われたマハー・モッガラーナは、
前々生においてこの破滅天であり、修行者の邪魔をしたため、地獄に落ちたと
いう話が伝えられている。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
マハーヤーナ
えんじょい・はぴねす
飛翔
創世期
滅亡から虚空へ
#17/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/13 1:18 ( 91)
オウム真理教世界観 形状界 ウパティッサ
★内容
上 位 形 状 界
The Upper Rralm of Form
それでは、上位形状界の説明に入ろう。上位形状界は、大きく四つに分ける
ことができる。その四つは、修行者がどのような心の訓練をしたかということ
が、分類の目安となるわけである。
まず、上位形状界の最も下の世界は慈愛が根本となる。この慈愛とは、煩悩
を滅却した魂が、すべての魂の成長を願う心である。そして、この上位形状界
の天界に属するものは四つある。
第二番目の聖哀れみを実践した魂の行く上位形状界の天の世界は三つある。
そして、嫉妬心を完全に捨断し、すべての魂のすべての善行に対して心から
称賛できる心を実践し、成し遂げた魂の行く世界、この世界は上位形状界に四
つ存在している。
そして、いかなるカルマのリアクションに対しても、つまり、いかなるカル
マの流れに対しても、そのカルマに対して全く頓着しない心を有している魂の
行く上位形状界の世界は六つ存在しているのである。
十 七 上 位 形 状 界
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・清・超越童子愛欲本質神天 ・ ・
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・潔・善現象愛欲神天 ・ ・
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・居・善安楽愛欲神天 ・ ・
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・ 500カルパの寿命
・ ・住・超燃焼愛欲神天 ・ ・
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・
・ 形 ・天・超空間愛欲神天 ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ ・ 偉大果報愛欲本質神天 ・ ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・ ・総美愛欲本質神天 ・
・ ・美・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ 状 ・ ・無量美愛欲神天 ・
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・ 4カルパの寿命
・ ・ ・少美愛欲神天 ・ ・
・ ・天・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・ ・美愛欲神天 ・ ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 界 ・光・無量光愛欲神天 ・ ・
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・ ・少光愛欲神天 ・ 2カルパの寿命
・ ・ ・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・天・光愛欲神天 ・ ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・ ・大神聖天 ・
・ ・神・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ ・ ・神聖臣天 ・ ・
・ ・聖・・・・・・・・・・・・・・・ 1カルパの寿命 ・
・ ・ ・神聖代議愛欲神天 ・ ・
・ ・天・・・・・・・・・・・・・・・ ・
・ ・ ・神聖衆愛欲神天 ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルパとは、時間の単位である。
この宇宙は、創造・維持・破壊・虚空を繰り返している。この内創造の時期
を再生期、維持の時期を継続期、破壊・虚空の時期を還元期という。ちなみに、
オウム真理教のオウム(AUM)の3文字は、それぞれ宇宙の創造・維持・破
壊を表わしている。
この愛欲界の創造・維持・破壊・虚空のそれぞれの期間の長さを1小カルパ
という。そして1小カルパが四つ集まって、1大カルパとなる。つまり、宇宙
の創造・維持・破壊・虚空の1サイクルの長さが1大カルパなのである。そし
て、ここでもそうだが、普通1カルパという場合、この1大カルパを指すので
ある。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
マハーヤーナ
えんじょい・はぴねす
創世期
転換人生
#18/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/13 2:54 (181)
オウム真理教 四無量心 ウパティッサ
★内容
四 無 量 心
The Four Immeasurables
それでは、この四無量心について少し説明をしよう。四無量心は、真理の実
践者が煩悩を滅却した後、実践しなければならない四つの偉大なる心の実践で
ある。この実践は、慈愛、聖哀れみ、聖称賛、そして聖無頓着の四つから形成
されている。
これは、この順番通りに習得されていく。
では、何故にこのような形で順番が形成されているのであろうか?
それは、まず第一の慈愛、これは皆さんの周りにいる人達、皆さんの知って
いるすべての魂に対して本当に真理に巡り会って欲しいと思う心、これは最も
思いやすい心なんです。
第二番目に真理と縁の遠い人、あるいは真理に対して非望・中傷している人
に対して悲哀の実践を行なうことは、これは対象に対して憎しみが減少してい
なければ生じない心ですから、これは慈愛に比べてちょっと難しいと言える。
第三番目の称賛の心、これは私たちが修行を進めていく場合、当然使ってい
るチァクラが上に上がってくる。そして、闘争心という心は、これは五番目の
ヴィシュッダ・チァクラと関係がある。ということは、このヴィシュッダ・チ
ァクラを本当に超えない限り、心からの称賛は不可能であるから、もっと難し
いということになる。
そして、最後の聖無頓着については六番目のアージュニァー・チァクラの現
世における願望、つまり何かを目的とした生き方、これを超越することになる
わけだから、最高に難しい修行ということが出来る。
この瞑想及び実践は、この修習をすることにより、転生を変えてしまうほど
の大きな力を持つ瞑想及び実践である。
慈 愛
Benevolence
この慈愛は、キリスト教でいう愛と全く同じ意味合いである。つまり、すべ
ての魂の成長を願う心。例えば、あなた方の隣人、あなた方の知人、あなた方
の友人、あなた方の親族等が、一人一人が本当に真理を知り、そして真理を実
践することにより、心が浄化され、言葉が浄化され、行為が浄化され、高い世
界へ至ってほしいと願う心、これが慈愛なのである。
ここで、愛情との区別をしなければならない。愛情とは煩悩である。つまり、
相手を好きになりたい。あるいは、その相手が物質的に豊かになってほしい。
あるいは、好きな相手が出世してほしい等である。しかし、これらはすべて見
返りを求める心が対象となっている。よって、慈愛と愛情とは違うのである。
真理における慈愛とは、すべての衆生、縁深きすべての生命体を、そして最
終的には縁の薄いすべての生命体をも、そのカルマをしょい、そして修行させ、
そして神聖世界へ没入させる。そして、神聖世界から次にはより高い教えを実
践させることにより煩悩破壊させ、大完全煩悩破壊させる。これが慈愛の意味
なのである。そして、すべての魂がその真理を実践することに対して心から喜
ぶ心、これが慈愛なのである。
聖 哀 れ み
第二番目の偉大な心の実践、これは聖哀れみである。聖哀れみというのは、
悲、悲しみという言葉で表現される。この悲しみという言葉でなぜ表現される
のかというと、哀れみの心と、そして悲しみの心とは大変似ているからである。
しかし、大きな違いが存在している。聖哀れみは、自分自身の不幸、あるいは
自分自身の苦しみについて悲しむのではない。これは、すべての魂の苦しみに
対して悲しむ偉大な心なのである。
例えば、皆さんの周りの魂が、真理に気付かない、あるいは煩悩で苦しんで
いる、それを見て悲しむのである。では、なぜ悲しみ、哀れむのかと。それは、
その魂が迷妄なるがゆえに悲しんでいることを知っているから、迷妄なるがゆ
えに苦しんでいることを知っているから、悲しみ、哀れむのである。これが、
第二番目の聖哀れみなのである。
聖 称 賛
第三番目は、聖称賛の偉大な心である。この偉大な心は、その心を実践する
魂を偉大な人物へと変えてくれる。もちろん、この上位形状界に入るような魂
に成長していくわけだから、当然偉大な心を有しているといってよいのである。
この偉大な心とは、わたしたちがわたしたちのライバルを否定せず、そしてそ
のライバルを心から称賛する心であり、それにより、ライバルの持っている要
素をわたしたちも内在できるようになってくるわけである。
例えば、ある人が偉大なる功徳を積んだと。ところが、自分はまだ功徳を積
むことができないと。それに対して称賛する。そうすると、相手の偉大な功徳
を積むという実践を称賛する心から、自分もそれをまねようとする心が出てく
る。そして、いずれ、称賛の対象となった功徳の実践、これを自分自身も行な
うことができるようになるのである。
あるいは、ある魂が不殺生の戒を徹底的に守ったと。いかに他人に傷付けら
れようとも、じっとそれを耐える。あるいは、いかに他の生き物が自分を害そ
うとも、それをじっと耐えると。それに対して称賛の心が生じると、その称賛
の心の生じた人も同じように、じっといろいろな生き物や、あるいは人から被
害を被るようなことがあったとしても、それに対して耐え、そして不殺生の戒
が守れるようになってくるわけである。
このような形で、称賛というものは、わたしたちの心を、知能を、そして智
慧を増大させるのである。
逆に、嫉妬心というのは、相手のいい要素をねたみ、そねむがゆえに、自分
自身もその努力ができなくなってくる。そうなると、このそねみ、ねたみは、
対象に対する妨害の心を生起させるだけではなく、自分自身の知能や智慧の疎
外にもつながるわけである。よって、この聖称賛の心の実践は大変難しいとい
うことになる。
聖 無 頓 着
そして第四番目、これは聖無頓着の実践である。聖無頓着とは、いかなるカ
ルマの解放に対しても、それに対して頓着しない実践ということになる。
カルマの解放に対して頓着しないとはどういうことであろうか。
わたしたちの構成要素は五つである。これを「五つのとらわれの集積」とい
っている。この五つのとらわれの集積は、まず外側から順に、形状-容姿、感
覚、表象、経験の構成、識別である。そして、これらはすべて、過去および過
去世のカルマの蓄積なのである。
ということは、当然わたしたちが修行に入る以前は、大きな悪業をいろいろ
と積んでいるわけだから、修行の途上、善業をいくらなしたとしても、あるい
は徳の修行をいくらなしたとしても、あるいは心を平安にする修行をいくらな
したとしても、あるいは宇宙の大法則にかなった修行をいくらなしたとしても、
過去においてなしたカルマが当然返ってくる時期があるわけである。そのカル
マの返りに対して全く頓着しないという修行なのである。
このカルマに対して全く頓着しないということは、どういう結果をもたらす
のだろうか。
例えば、わたしたちは苦しいからそこから逃れたいと思い、逃れたいがため
に新しい悪業を積む。これを繰り返しているわけである。
しかしもし、ここに真理の実践者がいて、その真理の実践者が、悪業の結果
として苦しいことが今生じていたとしても、それに対してとらわれず、ひたす
ら行為において善行をなし、言葉において善行をなし、心において善行をなし
ていたならばどうだろうか。悪業は必ずその終焉を迎え、そして善のみの集積
になるわけである。そして、この善のみの集積の完成の段階が、上位形状界最
後の六つの天界なのである。
私達が在家において修行する場合、この聖無頓着の修行こそ、私達をエンラ
イトさせるかさせないかの分かれ目となる。なぜならばこの聖無頓着こそ、わ
たしたちの悪業を断滅し、その悪業を善業へと変えていく素晴らしい秘法だか
らである。
例えば、私達が真理施を行なう。そうすると、縁の薄い魂、あるいは逆縁の
魂はそれに対して反発する。しかし、反発されるが故に、非難されるが故に、
中傷されるが故に、私達はそれによってカルマを落としてもらえる。そしてわ
たしたちは、言葉において身において、その魂に対して善業を積むわけだから、
悪業が落ち善業が満ちることになる。もし、私達が心を乱すならば、その善業
の部分がやみ、そして相手に対して嫌悪・邪悪心といった心のけがれが生起し、
結果的に私達にとって、あるいは対象との関係にとってマイナスになる。よっ
て、この聖無頓着とは、私達が心を完成して行くための最後の心の実践という
ことになる。
北伝仏教においては、この四無量心の四番目は、平等心ということになって
いる。オウム真理教でも以前はこの北伝の平等心を採用していたが、検討の結
果、南伝仏教の聖無頓着の方が正しいということで、現在はこの聖無頓着の方
を採用している。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
マハーヤーナ・スートラ
えんじょい・はぴねす
マハーヤーナ
超能力・秘密の開発法
蓮華の心
#19/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/13 11:19 (107)
オウム真理教 五つのとらわれの集積 1 ウパティッサ
★内容
私はこのように聞いた。オウム真理教ネットにおいて。
五 つ の と ら わ れ の 集 積
The Five Accumulations of Grasping
ついでにここで、五つのとらわれの集積について説明をしよう。五つのとら
われの集積とは、まずこの肉体、形状-容姿である。第二番目の感覚。そして
第三番目の表象、イメージ。第四番目の経験の構成。そして第五番目の識別で
ある。
そして、この五つのとらわれの集積の働きによって、私達は苦楽を経験させ
られている。言い方を変えれば、この五つのとらわれの集積の中に、苦楽の源
が存在しなければ、いかなる状況であろうとも、私達に苦しみというものは存
在しない。
形 状 - 容 姿
Form-Appearance
この第一番目の形状-容姿というのは、わたしたちの姿形を表わしている。
これは、わたしたちの言葉がいかに綺麗な言葉であるかが、わたしたちの形状
-容姿の美しさを決めるといわれている。
そしてこの形状-容姿は老いるもの、病むもの、滅びるものである。つまり無
常なのだ。
形状-容姿の無常性を理解できない者は、形状-容姿に対して喜んで貪ってし
まう。女性が美しくなろうとして、エステティックや化粧品などにお金をつぎ
込んでしまうことなど、そのよい例であろう。この場合、美しくなろうと貪る
わけだ。そして、形状-容姿の無常性を理解していないものだから、それに喜び
を感じるので
ある。そんな心の状態であれば、今生でもその貪りの程度はエス
カレートしていくだろうし、来世においてもそのカルマによって、いっそうの
迷いの生を受けてしまうことになるのである。
反対に、形状-容姿の無常性を完全に理解しきってしまった者の場合はどうで
あろうか。たとえ貪ったとしても、そこには空しさが残るのみであるというこ
とを知っているから、こういう人は形状-容姿から徐々に離れていくことが出来
る。それが心の解脱をもたらすのである。
これは同じように感覚・表象・経験の構成・識別についても、無常であると
見なければならない。そして、それが最終的には心解脱へと至らしめるのであ
る。
★形状-容姿における二つの苦しみ
例えば、生まれながらにして不具を経験する。これは第一の苦しみである。
次に、身体が健康であったにかかわらず、その身体が、例えば老いや、病や、
事故によって不具になる。あるいはもともと美しい形状-容姿をもっていた者が、
老いや、病や、事故によって不具になる。これが第二の苦しみである。
感 覚
Sensation
第二番目の感覚は、これは強い感覚、弱い感覚、全く感覚がない状態の三つ
に分類することができる。
ここでなぜ、フィーリングのいい状態、フィーリングの悪い状態、つまり感
覚のいい状態、感覚の悪い状態が取り上げられていないのかというと、感覚は
元来良い悪いは存在しない。これは、鋭いか鋭くないかだけなのである。
そして、例えばわたしたちが感覚を強く求めようとすればするほど、いい感
覚を強く求めようとすればするほど、必ず悪い感覚、嫌な感覚も強く感じなけ
ればならない仕組みになっているわけである。
それはちょうど、大きな波と小さな波を考えていただきたい。大きな波は、
その波の高い部分がある代わりに逆に低い部分が存在する。感覚もこれと同じ
なのである。そして、真理の実践は、この波を少しずつ平坦にしていき、最後
は真っすぐな一本の線にする。つまり、一切の感覚を捨断できる状態をつくっ
ていくわけである。これによって、苦楽が捨断されるのである。
感覚が無常であることは、認識し安いと思う。例えば視覚。今まで見えてい
たものが見えなくなる、あるいは見えづらくなるというのはよくあることであ
る。事故や病気等の場合だ。老化による視力障害もこれに含まれよう。この無
常性が苦をもたらすわけである。
つまり、いくらある時喜んでいても、この五つのとらわれの集積は必ず移り
変わり、果てるものなのだ。だから、喜貪すればするほど、それから離れると
きの苦しみは大きいのである。それだけでなく、愛欲界に生まれる条件という
ものもどんどん増すことにもなる。それは、喜貪することによってつぎの貪り
を呼び、愛欲界のカルマが蓄積されるからである。
★感覚における三つの苦しみ
小さい頃からもともとカルマが悪く、貧しい家に育ち、そして物が食べられ
ない。あるいは衣服にしも、あまりないがゆえに、寒さ暑さを経験しなければ
ならない。これが感覚における第一の苦しみである。
第二の苦しみは例えばいきなり殴りつけられることによって痛みを経験させ
られたり、あるいはいきなり寒い、もしくは暑い場所に移動しなければならな
いことによって寒さ暑さを経験するといった、そのものの苦しみである。
第三番目の苦しみは、もともと備わっていた苦しみが、例えば病気によって、
老いによって、事故によってなくなる。あるいは弱くなる。これが第三の苦し
みである。
#20/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/13 13:26 (164)
オウム真理教 五つのとらわれの集積 2 ウパティッサ
★内容
このように私は聞いた。オウム真理教において。
表 象
Imagery
第三番目が表象、イメージである。これは、わたしたちがいろいろなものを
イメージする。そのイメージすることによって内在するデータ、これが三番目
の表象である。
そして、これはダイレクトに心の影響を受けるといわれている。心の影響を
受けるとはどういうことかというと、例えばわたしたちは日々の生活において、
心にいろいろな想念を生起させる。しかし、その想念のすべてを実践するわけ
ではない。ところが、この表象にはそのすべてが投影されるのである。
そして、このイメージの世界は形状界の世界と通じており、わたしたちが心
において偉大なる心を実践するならば、十七上位形状界のどこかへ転生するこ
とができるし、あるいは、悪い、不徳のイメージを、不徳の心を訓練するなら
ば、わたしたちは、愛欲界の低い世界へと生まれ変わらなければならないので
ある。
このイメージは、私達に肉体的悪業を積ませないで、いろんな経験をさせて
くれる。例えば暴力のシーン、例えばセックスのシーン、例えばグルメのシー
ン。これは、目でみる喜びという形で、この現代の日本では、大いに称賛され
ている。しかし、このけがれなるがゆえに、わたしたちは、心の傾向というも
のを、一つの方向に向けられてしまう。
それはちょうど、動物における学習と同じである。この動物における学習と
は何かというと、例えばここに犬を用意して、その犬に食事を出す。そのとき
必ずベルを鳴らす。しまいには食事を出さなくても、ベルを鳴らすだけでよだ
れが出てくる。
これと同じように、例えば異姓を見たら、心を磨きあげる対象として見るの
ではなく、性的な対象としてしか見られなくなる。例えば、お金イコール綺麗
な服を買う、あるいはおいしい食べ物を食べるといった、パターン化された心
しか持てなくなってしまう。
ということは、この表象、イメージというものは、対象に対して正確に理解
させるものではないと言える。そこで、この表象というものは、実際のところ、
私達に正確に対象を理解させるための条件を与えてくれるものではなく、苦し
めるものである、誤謬見解をいだかせるものであると証智しなければならない。
この表象においてもその無常姓を知らないと、心に次々と涌いてくるイメー
ジにどんどん巻き込まれていってしまう。イメージに巻き込まれるとは、雑念
にとらわれるということである。ふと気づくと違うことを考えていた、などと
いうのがそれである。誰もが経験していることだろう。しかし、もちろんこの
イメージも無常である。
★表象における三つの苦しみ
例えば、もともと暗い家に生存した場合、父母や兄弟、親族等の争いにいつ
も耳を傾けるが故に、イメージとしてそういう暗いイメージしか存在しない。
これは、第一の苦しみである。
第二の苦しみは、もともと見たくないものや、聞きたくないもの、それを見
たり聞いたりしたが故に生起するイメージの苦しみである。
第三の苦しみは、今まで対象に対して、こうあってほしい、あるいはこうだ
ろうなと思っていたものが、壊れ去るときの苦しみである。
経 験 の 構 成
Formation of Experience
第四番目は、経験の構成である。これはわたしたちが、身・口・意、身の行
ない、言葉の働き、そして心の働きという三つ、この三つの経験を日々培って
いるわけだが、その培っている経験がデータとなってインプットされ、次の経
験を呼び起こす、そういう集まりなのである。
例えば、ここにアイスクリームがあったとして、このアイスクリームを一回
食べると。おいしいと考えると。二回食べると。もっとおいしいと考えると。
そして三回目が食べたくなると。あるいは、一回目アイスクリームを食べると。
下痢をすると。二回目アイスクリームを食べると。また下痢をすると。よって、
三回目はアイスクリームを食べないと。これがなぜ起きるのかというと、一回
目、二回目のアイスクリームを食べたときの喜び、あるいは苦しみ、これがデ
ータとなって内在し、そして三回目を決定させるわけである。これが第四番目
の経験の構成なのである。
そしてこれは、漢訳仏典では「行」と訳されている。なぜ行と訳されるのか
というと、もうおわかりと思うが、つまり経験の構成が、次の動きを決定する
からなのである。
経験というのは、それをなすことによって、ひとつの結果をなす事はできる
かも知れない。しかし、その経験にとらわれることによって、それより発展し
たものについては、とらえることが出来ない。逆に、その発展的なものの考え
方というものを捨断することになるのである。
例えば、その典型的な例が、アインシュタインの登場である。アインシュタ
インが登場したとき、その当時の教授陣は、アインシュタインの理論に対して
反発した。そういうことはありえないと。つまり、教授というのは、その経験
を土台として教えている。ということは、その経験が、逆の言い方をすれば、
固定的な観念になっているから、アインシュタインの理論がわからなかったわ
けである。
つまり、このような形で、経験というものも、私達に絶対的な幸福を与える
ものではないということを証智しなければならないのである。
★経験の構成における三つの苦しみ
第一の苦しみは、まず前生からの引き継ぎによって挫折し、挫折をすること
によって卑屈を修習する苦しみがあげられる。
第二は、目標を設定し、その目標が達成できなかったときの苦しみである。
第三は、目標を達成した後もそれを維持しなければならない場合、それを維
持することが出来なくなったときの苦しみである。
識 別
Discrimination
そして第五番目は識別である。この識別作用がもしなければ、わたしたちは
この愛欲の世界へと転生することはない。
では、一体この識別とは何かというと、対象に対して、これはいいとか、こ
れは悪いとか、これは美しいとか、これは醜いとかいったような心の働きの背
景となっているものである。つまり、四番目の経験の構成は行動にダイレクト
に影響を与え、五番目の識別はわたしたちの心の働きにダイレクトな影響を与
えるわけである。
★識別における苦しみ
この識別については、例えば美しい醜い、例えば綺麗な声、醜い声、綺麗な
音、醜い音。あるいは、好きな味覚、嫌いな味覚。あるいは、好きなフィーリ
ング、嫌いなフィーリング。あるいは法則やしきたりが、好きである、嫌いで
ある。つまりこの識別というものは、もともと二極化しているわけだから、必
ず半分は苦しみであるということになる。
これが、五つの構成要素である。ということは、よく検討してみるならば、
この五つの構成要素は、総じて苦であるということになる。
そして、これらの五つの要素をすべて浄化し、捨断したならば、当然わたし
たちがこの愛欲の世界に、あるいは他の世界へ生まれ変わることはないのであ
る。
参考文献 仏教真理・五蘊無我
尊師、聖地インドを行く
タターガタ・アビダンマ 第一誦品
タターガタ・アビダンマ 第二誦品
マハーヤーナ
実践真理
マハーヤーナ・スートラ
最終更新:2016年05月28日 19:44