円相場の歴史

1973年 - (変動相場制
1973年4月 変動相場制への移行
ドルの固定相場制の維持が困難になり、日本は1973年4月に変動相場制に移行した

1985年秋のプラザ合意によるドル安誘導政策で急激に円高(円高不況)が進行した。プラザ合意発表直後に円ドル相場は20円ほど急騰し、1985年初には250円台だった円相場が1986年末には一時160円を突破した。その後も円ドル相場は史上最高値を更新し続け、1987年2月のルーブル合意でドル安に歯止めかける方向で合意したもののしばらくドル安が進み、1ドル=120円台にまで上昇した。
日本国内では、激しい円高の影響で、輸出産業が打撃を受けた一方、円高不況回避のため(当時としては)異例の超低金利政策を行ったため金余り現象が発生。それら資金が土地や株式への投資に繋がりバブル景気へと向かった。この時期、OPECの弱体化で原油価格も大幅に下落し、円高とあわせて、国内経済は原油相場の影響を受けにくくなった。

1990年 - 1995年4月 超円高
湾岸危機など短期の上下はあるものの、長期的には円高で推移した。1989年末にピークを付けた東京市場の株価は、1990年に入ってから暴落に転じ、バブル景気に陰りが見え始めた。海外投資や輸入が収縮する一方で輸出は依然強く、円高が進行した。1994年にはじめて1ドル=100円の大台を突破し、1995年4月19日の午前9時過ぎには79円75銭と瞬間1ドル=80円割れを記録した。

2004年 - 2007年夏
2004年以降は円安傾向に移行した。ことに、1999年以降導入されていたゼロ金利政策がより拍車をかけ、円キャリートレードの傾向が円売りを加速させた結果、2007年7月には数年ぶりに1ドル = 124円台を記録した。円が実体経済以上に安くなったことから国内では外需依存型の円安バブルが中規模ながら発生し景気回復の一助となった。

2011年 戦後最高値更新
3月11日に発生した東日本大震災によって、保険会社が支払準備として海外資産を円転させるとの観測や、決済のための円資金需要が強まったことなどから円高が急激に進み[64][62][63]、3月17日のニューヨーク外国為替市場では瞬間76円25銭をつけて最高値を更新した。その後、日米欧の協調介入により80円台まで値を戻し、その後も、震災後の日本経済への不安とアメリカの景気回復に対する期待により円を売る動向が優勢となり、4月6日の東京外国為替市場で半年ぶりとなる1ドル85円台となり、主要通貨に対して独歩安となっていたが、翌週から再び円高傾向となり、アメリカの緩和政策延長に対する懸念などにより再び70円台をつける場面が多くなっていった[65]。
8月4日約4か月半ぶりに財務省・日銀が単独円売り為替介入に踏み切り、日銀が追加金融緩和を決めたが[66][67]、米格付け大手スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は8月5日、米国債の長期信用格付けを「AAA(トリプルA)」から1段階下の「AA(ダブルA)プラス」に引き下げたと発表したこともあり[68]、その後も円高傾向が続いた。
10月31日、早朝に一時1ドル=75円32銭の戦後最高値を更新(ドル最安値)。政府・日銀は31日の外国為替市場で、円売り・ドル買いの為替介入を実施した。円売り介入で一時79円55銭まで急落したが、為替介入後も円高は止まらず、2011年末には1ドル=76円台に急騰した。

2019年以降はおおよそ105 - 110円の相場で推移してきた。

ウィキペディア 円相場より抜粋
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%9B%B8%E5%A0%B4

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2022年05月05日 18:16