且說董卓字仲穎,隴西臨洮人也。官拜河東太守,自來驕傲。當日怠慢了玄德,張飛性發,便欲殺之。玄德與關公急止之曰:「他是朝廷命官,豈可擅殺?」飛曰:「若不殺這廝,反要在他部下聽令,其實不甘!二兄要便住在此,我自投別處去也!」
且說さてまた董卓字は仲穎,隴西臨洮の人也なり。
官を河東太守拜すが,自來より驕傲なり。當日玄德に怠慢了し,張飛性を發し,便ただちに之を殺さんと欲す。玄德與と關公急いで之を止めて曰く:「他は是これ朝廷の命官なり,豈に擅殺可きか?」飛曰く:「若し這廝こやつを殺不ざれば,反って要在他の部下令を聽き,其の實は甘くない!二兄は便ち此ここに在り住むを要す,我は自投なげ別れて處ここを去さる也なり!」玄德曰く:「我三人は義と生死同じくして,豈に相離れる可べからんや?便すぐに都みな投げ別れ處ここを去さるに若かざる。」
飛曰く:「若し如此かくのごとくば、,稍ようやく吾れの恨み解く。」
於是三人連夜引軍來投朱儁。儁待之甚厚,合兵一處,進討張寶。是時曹操自跟皇甫嵩討張梁,大戰於曲陽。這裏朱儁進攻張寶。張寶引賊眾八九萬,屯於山後。儁令玄德為其先鋒,與賊對敵。張寶遣副將高昇出馬搦戰。玄德使張飛擊之。
於是ここにおいて三人は連夜軍を引きつれ朱儁に來投す。儁は之を甚だ厚く待かんたいし,兵を一處に合せ,張寶を進み討つ。是時このとき曹操は自跟皇甫嵩と張梁を討ち,曲陽に於て大戰す。這この裏うら朱儁は張寶に進攻す。張寶は賊眾八九萬を引きいて,山後に於て屯す。儁は玄德をして其その先鋒を為さ令しめ,賊與と對敵す。張寶は副將の高昇をして出馬せしめ搦戰す。玄德は使張飛をして之を擊つ。
飛縱馬挺矛,與昇交戰,不數合,刺昇落馬。玄德麾軍直衝過去。張寶就馬上披髮仗劍,作起妖法。只見風雷大作,一股黑氣,從天而降:黑氣中似有無限人馬殺來。飛は馬を縱にし矛を挺し,昇與と交戰す,數合せ不ず,昇を刺し落馬す。玄德は軍を麾(さしまね)き直ちに衝し過ぎ去ゆく。
張寶はすぐに披髮仗劍,妖法を作し起す。
就馬上:すぐに中国語(白話)で訳した
只見るは風雷大いに作し,一股の黑氣と,天に従い而して降る:
黑氣中似有無限人馬殺來。
玄德は連忙して軍を回かえし,軍中は大いに亂れ,敗陣而して歸り,朱儁と計議す。儁曰く:「彼は妖術を用いる、我は來日あくるひ豬(いのしし)羊狗の血を宰すべし,令軍士をして山頭に伏して;候賊趕おい來こし,從高坡上潑之,其の法を可解とくべし。」玄德令を聽き、關公に撥し、張飛各軍一千を引き、山の後の高岡之の上に伏し豬いのしし羊ひつじ狗いぬの血ちを盛り並びに穢物を準備す。次の日,張寶は旗を搖らし鼓,引軍して搦戰す,玄德は出迎えり。交鋒之の際,張寶は作法するは,風雷大いに作し,砂は飛び石走り,黑氣は漫天,滾滾と人馬,天自より而下る。
玄德は馬を撥して便すぐに走にげ,張寶は兵を驅かけ趕おい來り。將まさに山頭過ぎ,關、張は軍を伏して號砲を放し起こし,將まさにに穢物を齊潑す。但ただ見るは空中より紙の人、草の馬,紛紛として地に墜ち;風雷頓して息やみ,砂石も飛ば不ず。
張寶は法を見て解き了おえ,急に軍を退くことを欲す。左は關公,右は張飛,兩軍都みな出で,背後に玄德、朱儁は一齊に趕おい上げ,賊兵は大敗す。玄德は地公將軍旗號を望み見て,飛馬趕おい來て,張寶は落ち荒れて而走る。玄德は箭やを發し,其の左臂に中あたる。
張寶帶箭逃脫,走入陽城,堅守不出。朱儁引兵圍住陽城攻打,一面差人打探皇甫嵩消息。探子回報,具說:「皇甫嵩大獲勝捷,朝廷以董卓屢敗,命嵩代之。嵩到時,張角已死;張梁統其眾,與我軍相拒,被皇甫嵩連勝七陣,斬張梁於曲陽。發張角之棺,戮屍梟首,送往京師。餘眾俱降。朝廷加皇甫嵩為車騎將軍,領冀州牧。皇甫嵩又表奏盧植有功無罪,朝廷復盧植原官。曹操亦以有功,除濟南相,即日將班師赴任。」朱儁聽說,催促軍馬,悉力攻打陽城。賊勢危急,賊將嚴政,刺殺張寶,獻首投降。朱儁遂平數郡,上表獻捷。
張寶は箭を帶び逃げ脫し,陽城に走り入り,堅く守り出不ず。朱儁は兵圍を引き住陽城を攻め打ち,一面に人を差し皇甫嵩の消息を打ち探す。探子は回えりて報す,具說す:「皇甫嵩は勝捷を大いに獲る,朝廷以って董卓屢敗とし,嵩に命じて之に代えり。嵩の到る時,張角は已に死す;張梁は其眾を統べ,我軍與と相い拒み,皇甫嵩に連勝七陣せ被らる,張梁を曲陽に於いて斬る。張角之棺を發し,戮屍梟首,京師を送往す。餘眾俱に降る。朝廷は皇甫嵩を加え車騎將軍と為し,冀州を領し牧とす。皇甫嵩は又表奏するは盧植功有り無罪と,朝廷は復た盧植を原官とす。曹操は亦以って功有り,濟南相に除され,即日將班師赴任す。」朱儁は聽き說く,軍馬を催促し,悉力して陽城を攻打す。賊勢は危急し,賊將の嚴政は,張寶を刺殺し,獻首して投降す。朱儁は遂に數郡を平げ,獻捷を上表す。
箭:矢
被:前置詞の被。主語+被二+動作主+動詞一 (主語(ハ)動作主ニ動詞セラル)
餘眾:余衆。残りの張角の一味の衆という意味か
除:就任する
時は又た黃巾の餘黨三人,─趙弘、韓忠、孫仲─,聚眾は數萬,望風燒劫し,與ともに張角讎あだを報ずと稱す。
朝廷は朱儁に命じ即ち以って勝之師を得て之を討てと。
儁は詔を奉じ,
率軍前進。時賊據宛城,儁引兵攻之,趙弘遣韓忠出戰。儁遣玄德、關、張攻城西南角。韓忠盡率精銳之眾,來西南角抵敵。朱儁自縱鐵騎二千,逕取東北角。賊恐失城,急棄西南而回。玄德從背後掩殺,賊眾大敗,奔入宛城。朱儁分兵四面圍定,城中斷糧,韓忠使人出城投降。儁不許。玄德曰:「昔高祖之得天下,蓋為能招降納順;公何拒韓忠耶?」儁曰:「彼一時,此一時也。昔秦項之際,天下大亂,民無定主,故招降賞附,以勸來耳。今海內一統,惟黃巾造反;若容其降,無以勸善。使賊得利恣意劫掠,失利便投降:此長寇之志,非良策也。」玄德曰:「不容寇降是矣。今四面圍如鐵桶,賊乞降不得,必然死戰,萬人一心,尚不可當,況城中有數萬死命之人乎?不若撤去東南,獨攻西北。賊必棄城而走,無心戀戰,可即擒也。」儁然之,遂撤東南二面軍馬,一齊攻打西北。韓忠果引軍棄城而奔。儁與玄德、關、張率三軍掩殺,射死韓忠,餘皆四散奔走。
時又黃巾の餘黨の三人,─趙弘、韓忠、孫仲─,眾(衆)を數萬聚あつめ,望風燒劫し,張角與のために報讎せんことを稱す。朝廷は朱儁即ち以って勝を得る之の師之を討つを命ず。儁は奉詔し,軍を率いて前進す。時賊は宛城に據り,儁は兵を引き」之を攻め,趙弘は韓忠を遣り戰に出ず。儁は玄德、關、張を遣り西南角を攻城す。韓忠盡く精銳之眾を率い,西南角に來て敵を抵す。朱儁は自ら鐵騎二千を縱ち,逕ちに東北角を取り。賊は恐れ城を失い,急に西南を棄て而回る。玄德は背後從り掩殺し,賊眾は大敗し,宛城に奔入す。朱儁は兵を分ち四面を圍い定め,城中は糧を斷し,韓忠は人をして出城投降せ使む。儁は許さ不ず。玄德曰く:「昔高祖の天下を得て,蓋し能く招降して納順を為す;公は何ぞ韓忠を拒むか?」儁曰く:「彼は一時,此の一時也。昔秦項の際,天下は大亂し,民に定主なく,故に招降して賞附く,以て勸來する耳のみ。今は海內一統し,惟だ黃巾の造反;若し其の降を容せば,以て勸善する無し。使賊をして恣意劫掠の利得て
,失利せば便ち投降す:此れ長寇之志,良策に非ず也。」玄德曰く:「寇の降を容いれずは是これ矣なり。今四面の圍い如くの鐵桶,賊は降るを乞うも得不ざれば,必然死戰し,萬人は一心し,尚當る可から不ず,況いわんや城中の有數萬死の命之の人をや乎?若し東南に撤去せ不ざれば,獨り西北を攻む。賊は必ず城を棄すて而走り,無心に戀戰し,即ち擒にす可べし也。」儁は之を然りとして,遂に東南二面軍馬を撤し,一齊に西北を攻打す。韓忠は果して軍を引き城を棄て而奔る。儁與と玄德、關、張は三軍率いて掩殺し,韓忠を射死し,餘の皆は四散奔走す。
据(據) よる。立て籠る
與:のためにと訳した
朝廷命朱儁即以得勝之師討之:朝廷命~朝廷は命じた、朱儁即ち以って勝を得る之師之を討つ。
即は判断文か?そうだとすると朱儁=得勝之師となる。
朝廷命「朱儁即以得勝之師討之」
朱儁即「以得勝之師討之」
以得勝之師「討之」
のような文構造なのだろう。
逕;みち・こみち・ただちに①みち。こみち。ちかみち。「逕路」「山逕」②まっすぐ。ただちに。「逕進」
正に追い趕かける間あいだ,趙弘、孫仲は賊眾を引いて到たり,儁與と交戰す。儁は弘の勢い大いなるを見て,軍を引いて暫く退く。弘は勢に乘り復た宛城を奪う。
儁離十里下寨,方欲攻打,忽見正東一彪人馬到來。為首一將,生得廣額闊面,虎體熊腰;吳郡富春人也:姓孫,名堅,字文臺,乃孫武子之後。年十七歲,與父至錢塘,見海賊十餘人,劫取商人財物,於岸上分贓。堅謂父曰:「此賊可擒也。」遂奮力提刀上岸,揚聲大叫,東西指揮,如喚人狀。賊以為官兵至,盡棄財物奔走。堅趕上,殺一賊。由是郡縣知名,薦為校尉。後會稽妖賊許昌造反,自稱陽明皇帝,聚眾數萬;堅與郡司馬招募勇士千餘人,會合州郡破之,斬許昌並其子許韶。刺史臧旻上表奏其功,除堅為鹽瀆丞,又除盱眙丞、下邳丞。今見黃巾寇起,聚集鄉中少年及諸商旅,並淮泗精兵一千五百餘人,前來接應。
儁離十里下寨し、方に攻打せんと欲す。忽ち見て、正東に一彪の人馬到来す。為首の一将、広額闊面、虎体熊腰なり。呉郡富春の人、姓は孫、名は堅、字は文台、乃ち孫武子の後なり。年十七歳、父と共に錢塘に至り、海賊十余人を見、商人の財物を劫取し、岸上にて贓を分けていたる。堅は父に謂いて曰く、「此の賊は擒うべし」と。遂に奮って力を振るい刀を提げて岸に上り、揚声大叫して東西を指揮し、人を呼ぶ如くの状をなしければ、賊は官兵の到来を恐れて、財物を棄てて奔走す。堅はこれに趕い、賊を一人殺す。これによって郡県に名を知られ、校尉に薦めらる。後、会稽の妖賊許昌が反乱を起こし、自ら陽明皇帝を称し、数万の人を集める。堅は郡司馬と共に勇士千余人を募り、州郡と会合してこれを破り、許昌及びその子許韶を斬る。刺史臧旻は表を上げてその功を奏し、堅を鹽瀆丞に任じ、また盱眙丞、下邳丞にも任じられたり。今、黄巾賊が起こり、鄉中の少年や諸商旅を集め、淮泗の精兵一千五百余人を率いて前来して接応する。
朱儁大喜,便令堅攻打南門,玄德打北門,朱儁打西門,留東門與賊走。孫堅首先登城,斬賊二十餘人,賊眾奔潰。趙弘飛馬突槊,直取孫堅。堅從城上飛身奪弘槊,刺弘下馬;卻騎弘馬,飛身往來殺賊。孫仲引賊突出北門,正迎玄德,無心戀戰,只待奔逃。玄德張弓一箭,正中孫仲,翻身落馬。朱儁大軍,隨後掩殺,斬首數萬級,降者不可勝計。南陽一路,十數郡皆平。儁班師回京,詔封為車騎将軍,河南尹。儁表奏孫堅、劉備等功。堅有人情,除別郡司馬上任去了;惟玄德聽候日久,不得除授。
三人鬱鬱不樂,上街閒行,正值郎中張鈞車到。玄德見之,自陳功績。鈞大驚,隨入朝見帝曰:「昔黃巾造反,其原皆由十常侍賣官鬻爵,非親不用,非讎不誅,以致天下大亂。今宜斬十常侍,懸首南郊,遣使者布告天下,有功者重加賞賜,則四海自清平也。」十常侍奏帝曰:「張鈞欺主。」帝令武士逐出張鈞。十常侍共議:「此必破黃巾有功者,不得除授,故生怨言。權且教省家銓註微名,待後卻再理會未晚。」因此玄德除授定州中山府安喜縣尉,剋日赴任。玄德將兵散回鄉里,止帶親隨二十餘人,與關、張來安喜縣中到任。署縣事一月,與民秋毫無犯,民皆感化。到任之後,與關、張食則同桌,寢則同床。如玄德在稠人廣坐,關、張侍立,終日不倦。
到縣未及四月,朝廷降詔,凡有軍功為長吏者當沙汰。玄德疑在遣中。適督郵行部至縣,玄德出墎迎接,見督郵施禮。督郵坐於馬上,惟微以鞭指回答。關、張二公俱怒。及到館驛,督郵南面高坐,玄德侍立階下。良久,督郵問曰:「劉縣尉是何出身?」玄德曰:「備乃中山靖王之後;自涿郡剿戮黃巾,大小三十餘戰,頗有微功,因得除今職。」督郵大喝曰:「汝詐稱皇親,虛報功績!目今朝廷降詔,正要沙汰這等濫官汙吏!」玄德喏喏連聲而退。歸到縣中,與縣吏商議。吏曰:「督郵入威,無非要賄賂耳。」玄德曰:「我與民秋毫無犯,那得財物與他?」次日,督郵先提縣吏去,勒令指稱縣尉害民。玄德幾番自往求免,俱被門役阻住,不肯放參。
郤說張飛飲了數盃悶酒,乘馬從館驛前過,見五六十個老人,皆在門前痛哭。飛問其故。眾老人答曰:「督郵逼勒縣吏,欲害劉公;我等皆來苦告,不得放入,反遭把門人趕打!」張飛大怒,睜圓環眼,咬碎鋼牙,滾鞍下馬,逕入館驛,把門人那裏阻擋得住。直奔後堂,見督郵正坐廳上,將縣吏綁倒在地。飛大喝:「害民賊!認得我麼?」督郵未及開言,早被張飛揪住頭髮,扯出館驛,直到縣前馬樁上縛住;扳下柳條,去督郵兩腿上著力鞭打,一連打折柳條十數枝。
玄德正納悶間,聽得縣前喧鬧,問左右,答曰:「張將軍綁一人在縣前痛打。」玄德忙去觀之,見綁縛者乃督郵也。玄德驚問其故。飛曰:「此等害民賊,不打死等甚!」督郵告曰:「玄德公救我性命!」玄德終是仁慈的人,急喝張飛住手。傍邊轉過關公來,曰:「兄長建許多大功,僅得縣尉,今反被督郵侮辱。吾思枳棘叢中,非棲鸞鳳之所;不如殺督郵,棄官歸鄉,別圖遠大之計。」
朱儁(しゅしゅん)大いに喜び、すなわち孫堅に南門を攻め打たせ、玄德に北門を攻めさせ、朱儁は西門を攻め、東門を賊の逃げ道として残す。孫堅まず城に登り、賊二十余人を斬ると、賊衆は奔潰す。趙弘馬を飛ばして槊(やり)を突き、直ちに孫堅を取らんとす。堅は城上より飛びかかりて弘の槊を奪い、弘を刺して馬より落とす。却って弘の馬に騎りて、飛身往来して賊を殺す。孫仲は賊を引き北門を突出し、正に玄德に迎わるも、戦に恋々とせず、ただ奔逃を待つのみ。玄德弓を張りて一箭、正に孫仲の中り、翻身して馬より落つ。朱儁の大軍、後に随いて掩殺し、斬首数万級、降者勝げて計ふべからず。南陽一路、十数郡皆平らぐ。儁班師して京に回り、詔を賜りて車騎将軍、河南尹となる。儁表を立てて孫堅、劉備等の功を奏す。堅は人情を有し、別郡の司馬に除されて任に就き去る;ただ玄德のみは久しく待つも、除授を得ず。
三人鬱鬱として楽しまざるに、街に上りて閒行し、正に郎中張鈞の車の到るに値ふ。玄德これを見て、自ら功績を陳ぶ。鈞大いに驚き、随いて朝に入りて帝に見え、曰く、「昔黄巾反を造りしは、その原は皆十常侍が官を売り爵を鬻ぐるに由りて、親ならざれば用ゐず、讎ならざれば誅せず、以て天下をして大いに乱れしむ。今宜しく十常侍を斬りて首を南郊に懸け、使者を遣して天下に布告し、有功者には重ねて賞賜を加ふべし。しかれば四海自ら清平ならん」と。十常侍帝に奏して曰く、「張鈞主を欺く」と。帝武士をして張鈞を逐い出だしむ。十常侍共に議して曰く、「此れ必ず黄巾を破りて功ある者にして、除授を得ずして怨言を生ずるなり。権じて省家に教へて微名を銓註せしめ、後を待ちて再び理会するも未だ晩からず」と。この故に玄德定州中山府安喜県尉に除授され、剋日任に赴く。玄德兵を散じて郷里に回り、ただ親随二十余人を帯びて、關、張と共に安喜県に来たりて任に就く。県事を署すること一月にして、民に秋毫も犯すことなく、民皆感化す。任に就きたる後、關、張と食すれば則ち同桌にし、寝すれば則ち同床にす。玄德稠人廣坐に在れば、關、張侍立し、終日倦まず。
県に到りて未だ四月を及ばず、朝廷詔を降し、凡そ軍功有りて長吏となる者は沙汰せらるべしとす。玄德自ら遣に在りと疑ふ。適(たまたま)督郵行部して県に至り、玄德墎を出でて迎接し、督郵に礼を施す。督郵馬上に坐し、惟だ鞭を以て微かに指して答ふるのみ。關、張の二公倶に怒る。館驛に到るに及び、督郵南面して高坐し、玄德階下に侍立す。良久して督郵問ひて曰く、「劉県尉は何の出身ぞや」と。玄德曰く、「備は乃ち中山靖王の後なり;涿郡より黄巾を剿戮し、大小三十余戦、頗る微功有り、因りて今の職に除されしなり」と。督郵大喝して曰く、「汝詐りて皇親を称し、虚しく功績を報ず!目今朝廷詔を降し、正にこの等の濫官汚吏を沙汰せんと要す!」玄德喏喏として連声しつつ退く。県中に帰りて県吏と商議す。吏曰く、「督郵の入威は、賄賂を要するに非ざるなし」と。玄德曰く、「我は民に秋毫も犯すこと無し、いかで財物を彼に与へんや」と。次の日、督郵まず県吏を提して去り、勒令して県尉を指称し害民せしめんとす。玄德幾番も自ら往きて免れんことを求むるも、俱に門役に阻まれて放たれざるなり。
却説(かえっていふ)張飛数杯の悶酒を飲み、馬に乗りて館驛の前を過ぎ、五六十人の老人が皆門前にて痛哭するを見たり。飛その故を問ふ。衆老人答へて曰く、「督郵縣吏を逼勒し、劉公を害せんと欲す。我等皆苦しみて告に来れども、放たるるを得ず、反って門人に把まりて趕打せられたり!」張飛大いに怒り、円環の眼を睜(みひら)き、鋼牙を噛み砕き、鞍を滾(お)りて馬を下り、逕(ただち)に館驛に入り、門人を阻擋せんとすれどもそれを得ず。直に後堂に奔り、督郵が正に廳上に坐し、県吏を地に綁倒するを見る。飛大喝して曰く、「害民の賊め!我を認るや否や?」督郵未だ言を開かざるに、早くも張飛頭髪を揪(つか)みて、館驛を扯(ひきず)り出で、県前の馬樁に至りて縛り住(しづ)む;柳條を扳(ひ)き下ろし、督郵の両腿を著力して鞭打し、一連の打にて柳條を十数枝折る。
玄德正に納悶する間、縣前の喧鬧を聽き、左右に問ふに、答へて曰く、「張将軍一人を縣前に綁して痛打す」と。玄德忙しく去りて之を觀るに、綁縛せらる者は乃ち督郵なるを見て、その故を驚きて問ふ。飛曰く、「此の等の害民の賊、打ち死なずして等しいとは何ぞや!」督郵告げて曰く、「玄德公、我が性命を救へ!」玄德は終に仁慈の人なるが故に、急ぎ張飛に住手せんことを喝す。傍ら關公が轉りて來り、曰く、「兄長かくのごとく多くの大功を建てしに、僅かに縣尉を得て、今は反って督郵の侮辱を受く。我思ふに枳棘の叢中は、鸞鳳の棲む所に非ず;督郵を殺して官を棄てて郷に帰り、別に遠大の計を図らんには如かず」と。
玄德乃取印綬,掛於督郵之頸,責之曰:「據汝害民,本當殺卻;今姑饒汝命。吾繳還印綬,從此去矣!」督郵歸告定州太守,太守申文省府,差人捕捉。玄德、關、張三人往代州投劉恢。恢見玄德乃漢室宗親,留匿在家不題。
卻說十常侍既握重權,互相商議:但有不從己者,誅之。趙忠,張讓,差人問破黃巾將士索金帛,不從者奏罷職。皇甫嵩、朱儁皆不肯與,趙忠等俱奏罷其官。帝又封趙忠等為車騎將軍,張讓等十三人皆封列侯。朝政愈壞,人民嗟怨。於是長沙賊區星作亂;漁陽張舉、張純反:舉稱天子,純稱大將軍。表章雪片告急,十常侍皆藏匿不奏。
一日,帝在後園與十常侍飲宴,諫議大夫劉陶,逕到帝前大慟。帝問其故。陶曰:「天下危在旦夕,陛下尚自與閹官共飲耶!」帝曰:「國家承平,有何危急?」陶曰:「四方盜賊並起,侵掠州郡。其禍皆由十常侍賣官害民,欺君罔上。朝廷正人皆去,禍在目前矣!」十常侍皆免冠跪伏於帝前曰:「大臣不相容,臣等不能活矣!願乞性命歸田里,盡將家產以助軍資。」言罷痛哭。帝怒謂陶曰:「汝亦有近侍之人,何獨不容朕耶?」呼武士推出斬之。劉陶大呼:「臣死不惜!可憐漢室天下,四百餘年,到此一旦休矣!」
武士擁陶出,方欲行刑,一大臣喝住曰:「勿得下手,待我諫去。」眾視之,乃司徒陳耽。逕入室中來諫帝曰:「劉諫議得何罪而受誅?」帝曰:「毀謗近臣,冒朕躬。」耽曰:「天下人民,欲食十常侍之肉,陛下敬之如父母,身無寸功,皆封列侯;況封諝等結連黃巾,欲為內亂:陛下今不自省,社稷立見崩摧矣!」帝曰:「封諝作亂,其事不明。十常侍中,豈無一二忠臣?」陳耽以頭撞階而諫。帝怒,命牽出,與劉陶皆下獄。是夜,十常侍即於獄中謀殺之;假帝詔以孫堅為長沙太守,討區星。
不五十日,報捷,江夏平。詔封堅為烏程侯;封劉虞為幽州牧,領兵往漁陽征張舉、張純。代州劉恢以書薦玄德見虞。虞大喜,令玄德為都尉,引兵直抵賊巢,與賊大戰數日,挫動銳氣。張純專一兇暴,士卒心變,帳下頭目刺殺張純,將頭納獻,率眾來降。張舉見勢敗,亦自縊死。漁陽盡平。劉虞表奏劉備大功,朝廷赦免鞭督郵之罪,除下密丞,遷高堂尉。公孫瓚又表陳玄德前功,薦為別部司馬,守平原縣令。玄德在平原,頗有錢糧軍馬,重整舊日氣象。劉虞平寇有功,封太尉。
中平六年,夏四月,靈帝病篤,召大將軍何進入宮,商議後事。
玄德(げんとく)乃ち印綬を取り、督郵の頸に掛けて之を責めて曰く、「汝の害民に拠り、本当に殺すべきなれども、今は姑く汝の命を饒さむ。吾印綬を繳還して、ここより去らん!」督郵は帰りて定州太守に告げ、太守は省府に申文し、人を差し捕捉せしむ。玄德、關、張の三人は代州に往きて劉恢に投ず。恢は玄德が乃ち漢室の宗親なるを見て、家に留め匿し、不題とす。
さて十常侍は既に重權を握りて、互いに商議して曰く、「もし己に従わざる者あらば、之を誅せん」と。趙忠と張讓は人を差し遣はして、黄巾を破りたる将士に金帛を索むるも、従はざる者は奏して職を罷めしむ。皇甫嵩、朱儁は皆これを肯せず、趙忠等は共に奏して彼らの官を罷む。帝また趙忠等を封じて車騎将軍と為し、張讓等十三人を皆封じて列侯と為す。朝政は愈よ壊れ、人民は嗟怨す。
ここに於いて長沙の賊、區星(おうせい)乱を作し、漁陽に張舉・張純反す。舉は天子を称し、純は大将軍を称す。雪片の如き表章、急を告ぐるも、十常侍は皆これを藏匿し奏さず。
ある日、帝は後園に在りて十常侍と飲宴す。諫議大夫劉陶(りゅうとう)は、逕(ただち)に帝の前に至りて大いに慟哭す。帝その故を問ふ。陶曰く、「天下危きこと旦夕に在り、陛下尚お閹官と共に飲すや!」帝曰く、「国家承平なり、何の危急かある?」陶曰く、「四方に盗賊並び起こり、州郡を侵掠す。その禍は皆十常侍が官を賣り民を害し、君を欺き上を罔(あざむ)くに由る。朝廷の正人は皆去り、禍は目前に在り!」十常侍は皆冠を免じ帝の前に跪伏して曰く、「大臣は互いに相容れず、臣等は活を得ず。願わくは性命を乞ひて田里に帰し、家産を盡くして軍資に助けん」と。言ひ終りて痛哭す。帝は怒りて陶に謂ひて曰く、「汝も亦近侍の人を有するも、何ぞ独り朕を容れずや?」武士を呼びて劉陶を推し出だして之を斬らしむ。劉陶大いに呼びて曰く、「臣死するも惜しまず!哀れむべし漢室の天下、四百余年、ここに至りて一旦休すと!」
武士は陶を擁し出で、方に刑を行はんとす。一人の大臣喝して之を止めて曰く、「下手すること勿れ、我諫めん」と。衆視れば、乃ち司徒陳耽(ちんたん)なり。逕に室中に入りて帝に諫めて曰く、「劉諫議何の罪かありて誅を受くるや?」帝曰く、「近臣を毀謗し、朕躬を冒したればなり」と。耽曰く、「天下の人民は十常侍の肉を食はんと欲し、陛下はこれを父母の如く敬ふ。彼ら寸功無くして皆列侯に封ぜられたり。況んや封諝等は黄巾と結連し、内乱を為さんと欲す。陛下今自ら省みずんば、社稷は立ちどころに崩摧するを見ん!」帝曰く、「封諝が乱を作す、その事未だ明らかならず。十常侍の中にも、豈に一二の忠臣無からんや?」陳耽は頭を以て階に撞(う)ちて諫む。帝怒りて、牽き出ださしめ、劉陶と共に獄に下さしむ。是の夜、十常侍は即ち獄中に於いて之を謀殺す;帝の詔を偽りて孫堅を長沙太守と為し、區星を討たしむ。
五十日に満たざるにして捷報あり、江夏は平らぐ。詔して孫堅を烏程侯に封じ、劉虞(りゅうぐ)を幽州牧に封じ、兵を領して漁陽に往き、張舉・張純を征せしむ。代州の劉恢は書を以て玄德を薦めて劉虞に見えしむ。虞は大いに喜び、玄德をして都尉と為し、兵を引き賊巣に直抵して賊と数日にわたり大戦し、賊の鋭気を挫動す。張純は専ら兇暴を事とし、士卒の心は変ず。帳下の頭目は張純を刺殺し、頭を納献し、率いて降る。張舉は勢の敗るを見て、亦た自ら縊死す。漁陽尽く平ぐ。劉虞は劉備の大功を表奏し、朝廷は督郵を鞭打ちし罪を赦免し、密丞に除し、高堂尉に遷す。公孫瓚もまた玄德の前功を表し、薦めて別部司馬と為し、平原県令を守らしむ。玄德は平原に在りて、頗る錢糧軍馬を有し、旧日気象を重整す。劉虞は寇を平らげるに功有り、太尉に封ぜらる。
中平六年、夏四月、霊帝病篤く、大将軍何進を召して宮に入り、後事を商議せしむ。
那何進起身屠家;因妹入宮為貴人,生皇子辯,遂立為皇后,進由是得權重任。帝又寵幸王美人,生皇子協。何后嫉妒,鴆殺王美人。皇子協養於董太后宮中。董太后乃靈帝之母,解瀆亭侯劉萇之妻也。初因桓帝無子,迎立解瀆亭侯之子,是為靈帝。靈帝入繼大統,遂迎養母氏於宮中,尊為太后。董太后嘗勸帝立皇子協為太子。帝亦偏愛協,欲立之。當時病篤,中常侍蹇碩奏曰:「若欲立協,必先誅何進,以絕後患。」帝然其說,因宣進入宮。進至宮門,司馬潘隱謂進曰:「不可入宮:蹇碩欲謀殺公。」進大驚,急歸私宅,召諸大臣,欲盡誅宦官。座上一人挺身出曰:「宦官之勢,起自沖、質之時;朝廷滋蔓極廣,安能盡誅?倘機不密,必有滅族之禍:請細詳之。」進視之,乃典軍校尉曹操也。進叱曰:「汝小輩安知朝廷大事!」正躊躇間,潘隱至,言:「帝已崩。今蹇碩與十常侍商議,秘不發喪,矯詔宣何國舅入宮,欲絕後患,冊立皇子協為帝。」說未了,使命至,宣進速入,以定後事。操曰:「今日之計,先宜正君位,然後圖賊。」進曰:「誰敢與吾正君討賊?」一人挺身出曰:「願借精兵五千,斬關入內,冊立新君,盡誅閹豎,掃清朝廷,以安天下!」進視之,乃司徒袁逢之子,袁隗之姪:名紹,字本初,見為司隸校尉。何進大喜,遂點御林軍五千。紹全身披掛。何進引何顒、荀攸、鄭泰等大臣三十餘員,相繼而入,就靈帝柩前,扶立太子辯即皇帝位。
百官呼拜已畢,袁紹入宮收蹇碩。碩慌走入御花園花陰下,為中常侍郭勝所殺。碩所領禁軍,盡皆投順。紹謂何進曰:「中官結黨。今日可乘勢盡誅之。」張讓等知事急,慌入告何后曰:「始初設謀陷害大將軍者,止蹇碩一人,並不干臣等事。今大將軍聽袁紹之言,欲盡誅臣等,乞娘娘憐憫!」何太后曰:「汝等勿憂,我當保汝。」傳旨宣何進入。太后密謂曰:「我與汝出身寒微,非張讓等,焉能享此富貴?今蹇碩不仁,既已伏誅,汝何信人言,欲盡誅宦官耶?」何進聽罷,出謂眾官曰:「蹇碩設謀害我,可族滅其家。其餘不必妄加殘害。」袁紹曰:「若不斬草除根,必為喪身之本。」進曰:「吾意已決,汝勿多言。」眾官皆退。
次日,太后命何進參錄尚書事,其餘皆封官職。董太后宣張讓等入宮商議曰:「何進之妹,始初我抬舉他。今日他孩兒即皇帝位,內外臣僚,皆其心腹:威權太重,我將如何?」讓奏曰:「娘娘可臨朝,垂簾聽政;封皇子協為王;加國舅董重大官,掌握軍權;重用臣等:大事可圖矣。」董太后大喜。次日設朝,董太后降旨,封皇子協為陳留王,董重為驃騎將軍,張讓等共預朝政。何太后見董太后專權,於宮中設一宴,請董太后赴席。酒至半酣,何太后起身捧盃再拜曰:「我等皆婦人也,參預朝政,非其所宜。昔呂后因握重權,宗族千口皆被戮。今我等宜深居九重;朝廷大事,任大臣元老自行商議,此國家之幸也。願垂聽焉。」董太后大怒曰:「汝鴆死王美人,設心嫉妒。今倚汝子為君,與汝兄何進之勢,輒敢亂言!吾敕驃騎斷汝兄首,如反掌耳!」何后亦怒曰:「吾以好言相勸,何反怒耶?」董后曰:「汝家屠沽小輩,有何見識!」
兩宮互相爭競,張讓等各勸歸宮。何后連夜召何進入宮,告以前事。何進出,召三公共議:來早設朝,使廷臣奏董太后原係藩妃,不宜久居宮中,
那の何進は屠家より起身す。妹の因りて宮に入り貴人となり、皇子辯を生み、遂に立てて皇后と為す。進は是に由りて権重任を得たり。帝また王美人を寵幸し、皇子協を生む。何后嫉妬し、鴆して王美人を殺す。皇子協は董太后の宮中に養わる。董太后は乃ち靈帝の母、解瀆亭侯劉萇の妻なり。初め桓帝に子無きに因り、解瀆亭侯の子を迎え立て、是を靈帝と為す。靈帝大統を継ぎ、遂に養母氏を宮中に迎え、尊して太后と為す。董太后嘗て帝に勧めて皇子協を立てて太子と為さしむ。帝もまた偏に協を愛し、之を立てんと欲す。当時病篤く、中常侍蹇碩奏して曰く、「若し協を立てんと欲せば、必ず先ず何進を誅して、以て後患を絶つべし。」帝その説を然とし、因りて進を宣して宮に入らしむ。進宮門に至り、司馬潘隱進に謂いて曰く、「宮に入るべからず。蹇碩公を謀殺せんと欲す。」進大いに驚き、急ぎ私宅に帰り、諸大臣を召して、尽く宦官を誅せんと欲す。座上一人挺身して出でて曰く、「宦官の勢、沖、質の時より起こり、朝廷滋蔓して極めて広し。安んぞ尽く誅するを得んや。倘し機密ならずんば、必ず滅族の禍有らん。請う細かに之を詳せ。」進之を視るに、乃ち典軍校尉曹操なり。進叱して曰く、「汝小輩安んぞ朝廷の大事を知るや。」正に躊躇する間、潘隱至りて言う、「帝已に崩ず。今蹇碩十常侍と商議し、秘かに発喪せず、矯詔して何国舅を宣して宮に入らしめ、以て後患を絶ち、皇子協を冊立して帝と為さんと欲す。」言未だ了らざるに、使命至り、進を宣して速やかに入り、以て後事を定めんとす。操曰く、「今日の計、先ず宜しく君位を正し、然る後に賊を図るべし。」進曰く、「誰か敢えて吾と共に君を正し賊を討たん。」一人挺身して出でて曰く、「願わくは精兵五千を借り、関を斬りて内に入り、新君を冊立し、尽く閹豎を誅し、朝廷を掃清して、以て天下を安んぜん。」進之を視るに、乃ち司徒袁逢の子、袁隗の姪、名は紹、字は本初、見えて司隸校尉と為る。何進大いに喜び、遂に御林軍五千を点す。紹全身披掛す。何進何顒、荀攸、鄭泰等大臣三十余員を引き、相繼いで入り、靈帝柩前に就き、太子辯を扶立して即ち皇帝位と為す。 百官呼拜已に畢り、袁紹宮に入りて蹇碩を収む。碩慌てて御花園の花陰に走り入り、中常侍郭勝に殺さる。碩の領する所の禁軍、尽く皆投順す。紹何進に謂いて曰く、「中官結党す。今日勢いに乗じて尽く誅すべし。」張讓等事の急を知り、慌てて何后に告げて曰く、「始初大将軍を謀害せんと設けし者、止むる蹇碩一人、並びに臣等の事に干らず。今大将軍袁紹の言を聴き、尽く臣等を誅せんと欲す。乞う娘娘憐憫せよ。」何太后曰く、「汝等憂うる勿れ、我当に汝を保たん。」旨を伝えて何進を宣す。太后密かに謂いて曰く、「我と汝寒微に出身し、張讓等に非ずんば、焉んぞ此の富貴を享けん。今蹇碩不仁、既に已に伏誅す。汝何ぞ人の言を信じ、尽く宦官を誅せんと欲するや。」何進聴き罷り、出でて眾官に謂いて曰く、「蹇碩謀を設けて我を害せんとす。其の家を族滅すべし。其の餘りは妄りに殘害を加ふること勿れ。」袁紹曰く、「若し草を斬りて根を除かずんば、必ず喪身の本と為らん。」進曰く、「吾意已に決す。汝多言する勿れ。」眾官皆退く。 次の日、太后何進に命じて尚書事を參録せしめ、其の餘り皆官職を封ず。董太后張讓等を宣して宮に入り商議して曰く、「何進の妹、始初我彼を抬舉す。今日彼の孩兒即ち皇帝位に即き、内外の臣僚、皆其の心腹なり。威權太重し。我將に如何せん。」讓奏して曰く、「娘娘宜しく臨朝し、簾を垂れて政を聴き、皇子協を封じて王と為し、國舅董重を加えて大官とし、軍權を掌握し、臣等を重用すべし。大事圖るべし。」董太后大いに喜ぶ。次の日朝を設け、董太后旨を降して、皇子協を封じて陳留王と為し、董重を驃騎將軍と為し、張讓等共に朝政に預る。何太后董太后の專權を見て、宮中に於いて一宴を設け、董太后を請いて席に赴かしむ。酒半酣に至り、何太后起身して盃を捧げ再拜して曰く、「我等皆婦人なり。朝政に參預するは、其の宜しき所に非ず。昔呂后重權を握り、宗族千口皆戮せらる。今我等宜しく九重に深居すべし。朝廷の大事、大臣元老に任せて自行商議せしむるは、此れ國家の幸なり。願わくは垂聴せよ。」董太后大いに怒りて曰く、「汝王美人を鴆殺し、心を設けて嫉妬す。今汝の子を倚りて君と為し、汝の兄何進の勢を以て、輒ち敢えて亂言す。我驃騎を敕して汝の兄の首を斷たしむるは、反掌の如し。」何后も亦怒りて曰く、「吾好言を以て相勸むるに、何ぞ反りて怒るや。」董后曰く、「汝の家屠沽の小輩、何の見識有るや。」 兩宮互いに爭競し、張讓等各々勸めて宮に歸る。何后連夜何進を召して宮に入り、以前事を告ぐ。何進出でて、三公を召して共に議す。來早朝を設け、廷臣をして奏せしめて曰く、董太后は原係藩妃、久しく宮中に居るべからず
合仍遷於河間安置,限日下即出國門。一面遣人起送董后;一面點禁軍圍驃騎將軍董重府宅,追索印綬。董重知事急,自刎於後堂。家人舉哀,軍士方散。張讓、段珪見董后一枝已廢,遂皆以金珠玩好結搆何進弟何曲並其母舞陽君,令早晚入何太后處,善言遮蔽:因此十常侍又得近幸。
六月,何進暗使人酖殺董后於河間驛庭,舉柩回京,葬於文陵。進託病不出,司隸校尉袁紹入見進曰:「張讓、段珪等流言於外,言公酖殺董后,欲謀大事。乘此時不誅閹宦,後必為大禍。昔竇武欲誅內豎,機謀不密,反受其殃。今公兄弟部曲將吏,皆英俊之士;若使盡力,事在掌握。此天贊之時,不可失也。」進曰:「且容商議。」左右密報張讓﹔讓等轉告何苗,又多送賄賂。苗入奏何后云:「大將軍輔佐新君,不行仁慈,專務殺伐。今無瑞又欲殺十常侍,此取亂之道也。」后納其言。
少頃,何進入白后,欲誅中涓。何后曰:「中官統領禁省,漢家故事。先帝新棄天下,爾欲誅殺舊臣,非重宗廟也。」進本是沒決斷之人,聽太后言,唯唯而出。袁紹迎問曰:「大事若何?」進曰:「太后不允,如之奈何?」紹曰:「可召四方英雄人士,勒兵來京,盡誅閹豎。此時事急,不容太后不從。」進曰:「此計大妙!」便發檄至各鎮,召赴京師。
主簿陳琳曰:「不可!俗云:『掩目而捕燕雀』,是自欺也。微物尚不可欺以得志,況國家大事乎?今將軍仗皇威,掌兵要,龍驤虎步,高下在心:若欲誅宦官,如鼓洪爐燎毛髮耳。但當速發,行權立斷,則天人順之﹔卻反外檄大臣,臨犯京闕,英雄聚會,各懷一心:所謂倒持干戈,授人以柄,功必不成,反生亂矣。」何進笑曰:「此懦夫之見也!」傍邊一人鼓掌大笑曰:「此事易如反掌,何必多議!」視之,乃曹操也。正是:
欲除君側宵人亂,須聽朝中智士謀。
不知曹操說出甚話來,且聽下文分解。
合に仍りて河間に遷し安置し、日を限りて即ち国門を出ず。一面人を遣わして董后を起送し、一面禁軍を点して驃騎将軍董重の府宅を囲み、印綬を追索す。董重事の急を知り、後堂に自刎す。家人哀を挙げ、軍士方に散ず。張讓、段珪董后の一枝已に廃するを見て、遂に皆金珠玩好を以て何進の弟何曲並びにその母舞陽君に結搆し、早晩何太后の処に入り、善言を以て遮蔽せしむ。因って此の十常侍また近幸を得たり。 六月、何進暗かに人をして董后を河間の驛庭に酖殺せしめ、柩を挙げて京に回し、文陵に葬る。進病を託して出でず、司隸校尉袁紹進に入見して曰く、「張讓、段珪等外に流言し、公董后を酖殺し、大事を謀らんと欲すと言う。此の時に乗じて閹宦を誅せずんば、後必ず大禍と為らん。昔竇武内豎を誅せんと欲し、機謀密ならずして、反ってその殃を受く。今公兄弟部曲将吏、皆英俊の士なり。若し尽力を使わば、事掌握に在り。此れ天贊の時、失うべからず。」進曰く、「且く商議を容れよ。」左右密かに張讓に報ず。讓等転じて何苗に告げ、また多く賄賂を送る。苗入奏して何后に云う、「大将軍新君を輔佐し、仁慈を行わず、専ら殺伐を務む。今無瑞また十常侍を殺さんと欲す。此れ乱を取るの道なり。」后その言を納る。 少頃、何進后に入りて白し、中涓を誅さんと欲す。何后曰く、「中官禁省を統領するは、漢家の故事なり。先帝新たに天下を棄て、爾旧臣を誅殺せんと欲す。宗廟を重んずるに非ず。」進本より決断無き人なり、太后の言を聴き、唯唯として出ず。袁紹迎えて問いて曰く、「大事若何。」進曰く、「太后允さず、如何せん。」紹曰く、「四方の英雄人士を召し、兵を勒して京に来たり、尽く閹豎を誅すべし。此の時事急にして、太后従わざるを容れず。」進曰く、「此の計大いに妙なり。」便ち檄を発して各鎮に至り、京師に赴くを召す。 主簿陳琳曰く、「不可なり。俗に云う、『目を掩いて燕雀を捕る』、是れ自ら欺くなり。微物尚お欺くを以て志を得ず、況んや国家の大事をや。今将軍皇威を仗り、兵要を掌り、龍驤虎歩、高下心に在り。若し宦官を誅さんと欲せば、洪爐を鼓して毛髮を燎るが如し。但し当に速発し、権を行い立断すれば、則ち天人これに順ず。却って外檄を反し大臣を檄し、京闕に臨犯し、英雄聚会し、各々一心を懷く。所謂干戈を倒持し、柄を人に授け、功必ず成らず、反って乱を生ず。」何進笑いて曰く、「此れ懦夫の見なり。」傍邊一人掌を鼓して大いに笑いて曰く、「此の事反掌の如く易し、何ぞ必ずしも多く議せん。」之を視るに、乃ち曹操なり。正に是れ: 君側の宵人を除かんと欲せば、須く朝中の智士の謀を聴くべし。
不知曹操甚の話を出だすかを說し、且く下文の分解を聴かん。
且に曹操の当日何進に対して曰く:「宦官の禍、古今皆これ有り;但し世主当たらずしてこれに権寵を假し、至るにこれを使む。若し罪を治めんと欲せば、当に元悪を除くべし、但し一獄吏に付するも足る矣、何ぞ必ずしも紛紛として外兵を召さんや。尽くこれを誅さんと欲すれば、事必ず宣露す。吾れ其の必ず敗れんことを料るなり。」何進怒りて曰く:「孟徳亦た私意を懐くや。」操退きて曰く:「天下を乱る者は、必ず進なり。」進乃ち暗かに使命を差して密詔を齎し、星夜に各鎮に往かしむ。 却説く前将軍斄郷侯西涼刺史董卓、先に黄巾を破るに無功、朝廷これが罪を治めんとし、因って十常侍に賄賂して幸いに免る;後また朝貴に結託し、遂に顕官に任じられ、西州大軍二十万を統べ、常に不臣の心有り。是の時詔を得て大いに喜び、軍馬を点し、陸続として便ち行く;その婿中郎将牛輔をして、陝西を守り、自己は李傕、郭汜、張済、樊稠等を帯同して兵を提げ洛陽を望んで進発す。卓の婿謀士李儒曰く:「今雖え詔を奉ずるも、中間に多く暗昧有り。何ぞ人を差して表を上げ、名正し言順にせずして、大事を図る可からずや。」卓大いに喜び、遂に表を上ぐ。其の略に曰く: 竊かに聞く天下の所以に乱逆止まず者は、皆黄門常侍張讓等の天常を侮慢するの故による。臣聞くに揚湯を以て沸を止むるは、薪を去るに如かず;癰を潰すは痛しと雖も、毒を養うに勝れり。臣敢えて鐘鼓を鳴して洛陽に入り、請う讓等を除かん。社稷幸い甚だし!天下幸い甚だし! 何進表を得て、大臣に出示す。侍御史鄭泰諫めて曰く:「董卓乃ち豺狼なり、京城に引き入れれば、必ず人を食らわん。」進曰く:「汝多く疑い、以て大事を謀るに足らず。」盧植亦た諫めて曰く:「植素より董卓の人と為りを知る、面善しく心狠なり;一たび禁庭に入りなば、必ず禍患を生ぜん。之を止めて来たらざらしむるに如かず、以て乱を生ずるを免れん。」進聴かず、鄭泰、盧植皆官を棄てて去る。朝廷大臣、去る者大半なり。進人をして董卓を澠池に迎えしむ、卓兵を按じて動かず。
張讓等外兵到るを知り、共に議して曰く:「此れ何進の謀なり;我等先に下手せずんば、皆滅族せられん。」乃ち先ず刀斧手五十人を長楽宮嘉徳門の内に伏せ、何太后に告げて曰く:「今大将軍矯詔して外兵を京師に召し至らしめ、臣等を滅さんと欲す、望む、娘娘垂憐して救いを賜え。」太后曰く:「汝等大将軍府に詣りて謝罪すべし。」讓曰く:「若し相府に到らば、骨肉虀粉と為らん。望む、娘娘大将軍を宣して宮に入りて諭して止めしむるを。如し其の従わずんば、臣等只だ娘娘の前に請いて死せん。」太后乃ち詔を降して進を宣す。進詔を得て便ち行く。主簿陳琳諫めて曰く:「太后此の詔、必ず是れ十常侍の謀なり、切に去くべからず。去れば必ず禍有り。」進曰く:「太后我を詔す、何の禍事か有らん。」袁紹曰く:「今謀已に泄れ、事已に露わる、将軍尚宮に入らんと欲すや。」曹操曰く:「先ず十常侍を召し出して、然る後に入るべし。」進笑いて曰く:「此れ小児の見なり。吾れ天下の権を掌る、十常侍敢えて如何せんや。」紹曰く:「公必ず去かんと欲せば、我等甲士を引き護従して、以て不測を防がん。」於是りて袁紹、曹操各々精兵五百を選び、袁紹の弟袁術に命じてこれを領せしむ。袁術全身に披掛し、兵を引いて青瑣門の外に布列す。紹と操剣を帯びて何進を護送し長楽宮の前に至る。黄門懿旨を伝えて云く:「太后特に大将軍を宣す、余人輒んに入るを許さず。」袁紹、曹操等をして皆宮門の外に阻住せしむ。何進昂然として直入す。嘉徳殿門に至り、張讓、段圭迎え出で、左右囲住す、進大いに驚く。讓厲声して進を責め曰く:「董后何の罪ぞ、妄りに以て酖死せしむ。国母の喪葬に、疾を託して出でず!汝本屠沽の小輩なり、我等これを天子に薦め、以て栄貴を致さしむ、報效を思わず、相謀りて害せんと欲す!汝言う我等甚だ濁る、其の清き者は是れ誰ぞ。」進慌て急にして、出路を尋ねんと欲す、宮門悉く閉ざさる、伏甲斉しく出で、将に何進を砍いて二段と為す。後人詩を有りてこれを歎じて曰く:
漢室傾危天数終り、無謀の何進三公と作る。
幾番か忠臣の諫めを聴かず、宮中に剣鋒を受くるを免れ難し。
讓等既に何進を殺し、袁紹久しく進の出ずるを見ず、乃ち宮門外に於いて大いに叫びて曰く:「請う将軍車に上れ!」讓等何進の首級を牆上より擲出し、宣諭して曰く:「何進謀反し、已に伏誅せらる。其の餘りの脅従、尽く皆赦宥せらる。」袁紹厲声して大いに叫びて曰く:「閹官大臣を謀殺す!悪党を誅する者前来たりて助戦せよ!」何進の部将呉匡、便ち青瑣門外に於いて火を放つ。袁術兵を引きて突入し宮庭に至り、但だ閹官を見るのみ、大小を諭さず、尽く皆これを殺す。袁紹、曹操関を斬りて内に入る。趙忠,程曠,夏惲,郭勝四個翠花楼前に赶至せられ、剁して肉泥と為す。宮中の火焰天に沖す。張讓、段圭、曹節、侯覽太后及び太子並びに陳留王を内省に劫し、後道より北宮に走る。時に盧植官を棄て未だ去らず、宮中の事変を見、甲を擐び戈を持ち、閣下に立つ。遥かに段圭擁逼して何后を過ぎしを見るや、植大いに呼びて曰く:「段圭逆賊、安んぞ敢えて太后を劫せん!」段圭身を回して便ち走る。太后窓中より跳び出し、植急ぎて救い得て免る。呉匡内庭に殺し入り、何苗亦た剣を提げて出づるを見る。匡大いに呼びて曰く:「何苗同謀して兄を害す、当に共にこれを殺すべし!」眾人皆曰く:「願わくば謀兄の賊を斬らん!」苗走らんと欲すれども、四面囲み定め、砍して虀粉と為す。紹復た軍士に令して分頭し来たりて十常侍の家属を殺し、大小を分かたず、尽く皆これを誅絶す、多く無鬚なる者有りて誤りて殺さるることを被りて死す。曹操一面に於いて宮中の火を救い滅し、何太后に請いて権りて大事を摄し、兵を遣わして張讓等を追襲し、少帝を尋覓す。
且に張讓、段圭少帝及び陳留王を劫擁し、煙を冒して火を突き、連夜奔走して北邙山に至る。約三更の時分、後面に喊声大挙し、人馬赶至す;当前に何南中部掾吏閔貢、大いに呼びて曰く:「逆賊走るを休めよ!」張讓事の急を見て、遂に河に投じて死す。帝と陳留王虚実を知らず、高声を敢えてせず、河辺の乱草の内に伏す。軍馬四散して赶り、帝の所在を知らず。帝と王伏して四更に至り、露水また下り、腹中飢餒し、相抱いて哭す;また人の知覚を恐れ、声を吞みて草莽の中に在り。陳留王曰く:「此の間久しく恋うべからず、須らく別に活路を尋ぬべし。」於是りて二人衣を以て相結び、岸辺に爬り上る。満地荊棘、黒暗の中、行路を見ること能わず。正に奈何すべき無く、忽ち流螢千百成群し、光芒照耀し、只だ帝の前に在りて飛転す。陳留王曰く:「此れ天の我が兄弟を助くるなり!」遂に螢火に随いて行き、漸く路を見る。行くこと五更に至り、足痛みて行くこと能わず。山岡の辺に一草堆を見、帝と王草堆の畔に臥す。草堆の前面は一所の莊院なり。莊主はこの夜夢に二紅日莊の後に墜つを見て、驚き覚め、衣を披いて戸に出で、四下に観望す。莊の後草堆上に紅光天に沖するを見て、慌忙往き視る、却って二人草の畔に臥すなり。莊主問いて曰く:「二少年誰が家の子ぞ?」帝敢えて応えず。陳留王帝を指して曰く:「此れは当今の皇帝、十常侍の乱に遭いて、難を逃れて此に到る。吾れは乃ち皇弟陳留王なり。」莊主大いに驚き、再拝して曰く:「臣は先朝の司徒崔烈の弟崔毅なり。十常侍の官を売り賢を嫉むを見るに因りて、故に此に隠る。」遂に帝を扶けて莊に入り、跪して酒食を進む。
却って閔貢赶り上りて段圭を拏えて、天子は何れに在るかを問う。圭言いて已に半路に相失い、何れに往くかを知らず。貢遂に段圭を殺し、首を馬の項下に懸け、兵を分かちて四散して尋覓す;自己却って独り一馬に乘り、路に随いて追尋す。偶然崔毅の莊に至り、毅首級を見て、これを問う、貢詳細を説く。崔毅貢を引いて帝に見えしめ、君臣痛哭す。貢曰く:「国一日も君無かるべからず、請う陛下還都せよ。」崔毅の莊上に唯だ瘦馬一匹有り、備えて帝に乘せしむ。貢と陳留王共に一馬に乘る。莊を離れて行き、三里に到らず、司徒王允、太尉楊彪、左軍校尉淳于瓊、右軍校尉趙萌、後軍校尉鮑信、中軍校尉袁紹、一行の人衆、数百の人馬、車駕を接し、君臣皆哭す。先に人をして段圭の首級を京師に将ちて号令せしむ。另に好馬を換えて帝及び陳留王に騎坐せしめ、簇擁して帝を還京す。先に洛陽の小児謠に曰く:「帝帝に非ず、王王に非ず、千乗万騎北邙を走る。」此に至りて果たしてその讖に応ず。
卓百官に問いて曰く:「吾が言う所、公道に合うや否や?」盧植曰く:「明公差えたり:昔太甲明らかならず、伊尹これを桐宮に放す。昌邑王位に登りて方に二十七日、三千余条の悪を造り、故に霍光太廟に告げてこれを廃す。今上幼なりと雖も、聡明仁智にして、並びに分毫の過失無し。公乃ち外郡の刺史にして、素より未だ国政に参与せず、又伊、霍の大才無く、何ぞ廃立の事を強主す可けんや?聖人云う『伊尹の志有らば則ち可なり、伊尹の志無からば則ち篡なり。』」卓大いに怒り、剣を拔きて前に向いて植を殺さんと欲す。議郎彭伯諫めて曰く:「盧尚書は海内人望なり、今先ずこれを害せば、恐らくは天下震怖せん。」卓乃ち止む。司徒王允曰く:「廃立の事、酒後に相商う可からず、另日に再び議せん。」於是りて百官皆散ず。
卓剣を按じて園門に立つ、忽ち一人躍馬して戟を持ち、園門外に於いて往来馳驟すを見る。卓李儒に問いて曰く:「此れ何人ぞ?」儒曰く:「此れ丁原義兒:姓は呂、名は布、字は奉先なる者なり。主公且須くこれを避くべし。」卓乃ち園に入りて潜避す。次の日、人丁原軍を引いて城外に搦戦するを報ず。卓怒り、軍を引いて李儒と共に出迎う。両陣対圓し、只だ見る呂布束髮金冠を頂き、百花の戦袍を披び、唐猊の鎧甲を擐び、獅蠻の宝帯を繫ぎ、馬を縦いて戟を挺し、丁建陽に随いて陣前に出る。建陽指して卓を罵りて曰く:「国家不幸にして、閹官権を弄し、以て万民を塗炭に致す。爾尺寸の功無く、焉んぞ妄りに廃立を言い、朝廷を乱さんと欲せんや?」董卓未だ言を回さずして、呂布飛馬して直ちに殺し過ぎ来る。董卓慌て走り、建陽率いて軍を掩い殺す。卓の兵大いに敗れ、退いて三十余里に寨を下し、衆を聚めて商議す。卓曰く:「吾れ呂布を観るに非常の人なり。吾れ若し此の人を得ば、何ぞ天下を慮らんや?」帳前に一人出でて曰く:「主公憂うる勿れ:某呂布と同郷にして、その勇を知るも謀無く、利を見れば義を忘る。某三寸不爛の舌を憑りて、呂布を説いて拱手して来降せしむる可しや?」卓大いに喜び、その人を観るに、乃ち虎賁中郎李肅なり。卓曰く:「汝何を将ってこれを説かんとするや?」肅曰く:「某聞く、主公に名馬一匹有り、号して『赤兔』と曰う、日に行くこと千里。須く此の馬を得て、再び金珠を用いて、以てその心を結ぶべし。某更に進んで説詞すれば、呂布必ず丁原に反し、来たりて主公に投ぜん。」卓李儒に問いて曰く:「此の言可ならんや?」儒曰く:「主公天下を取らんと欲せば、何ぞ一馬を惜しまんや?」卓欣然としてこれを与え、また黄金一千両、明珠数十顆、玉帯一条を与う。
李肅禮物を齎し、呂布の寨に投ず。伏路の軍人囲住す。肅曰く:「可く速報すべし呂将軍、故人来見す。」軍人報じ知る、布命じて入見せしむ。肅布に見えて曰く:「賢弟別れて来たる無恙なりや!」布揖して曰く:「久しく相見えず、今居る所は何処ぞ?」肅曰く:「虎賁中郎将の職に見任す。賢弟の匡扶社稷を聞き、勝げて喜びに堪えず。良馬一匹有り、日に行くこと千里、水を渡り山に登ること、平地を履むが如し、名を『赤兔』と曰う:特に賢弟に献じ、以て虎威を助けん。」布便ち牽きて来たらしめ看る。果然として那の馬渾身上下、火炭の如く赤く、半根の雑毛も無く;頭より尾に至るまで、長さ一丈;蹄より項に至るまで、高さ八尺;嘶喊咆哮し、騰空して海に入るの状有り。後人詩を有りて単に赤兔馬を道う曰く:
奔騰千里塵埃を蕩き、水を渡り山を登れば紫霧開く。 糸韁を掣斷し玉轡を搖らし、火龍九天より飛び下る。
布此の馬を見て、大いに喜び、肅に謝して曰く:「兄此の良駒を賜う、将に何を以て報いん?」肅曰く:「某義気を為して来る、豈に報いを望まんや?」布酒を置いて相待す。酒酣にして、肅曰く:「肅賢弟と相見ゆること少なし;令尊却って常に来会す。」布曰く:「兄醉い矣!先父世を棄てて多年なり、安んぞ兄と相会するを得んや?」肅大いに笑いて曰く:「非なり﹔某今日の丁刺史を說すのみ。」布惶恐して曰く:「某丁建陽の處に在り、亦た無奈より出ず。」肅曰く:「賢弟擎天駕海の才有り、四海孰れか欽敬せざるや?功名富貴、囊を探りて物を取るが如し、何ぞ無奈と言いて人の下に在ることを言わんや?」布曰く:「主に逢わざるを恨むのみ。」肅笑いて曰く:「『良禽は木を擇んで棲み、賢臣は主を擇んで事う。』機を見ること早からずんば、悔いること之を遅る。」布曰く:「兄朝廷に在り、何人か世の英雄たるを観んや?」肅曰く:「某遍く群臣を観れば、皆董卓に如かず、董卓は人を敬賢し士を礼し、賞罰分明にして、終に大業を成さん。」布曰く:「某これに従わんと欲す、門路無きを恨むのみ。」肅金珠、玉帶を取りて布の前に列ぬ。布驚いて曰く:「何為れぞ此れ有らん?」肅令して左右を叱退し、布に告げて曰く:「此れ董公久しく大名を慕い、特に令して某をして此れを奉獻せしむ。赤兔馬亦た董公の贈る所なり。」布曰く:「董公如此見愛す、某将に何を以てこれを報いん?」肅曰く:「某の不才の如きも、尚お虎賁中郎将と為る;公若し彼に到れば、貴きこと言う可からず。」布曰く:「涓埃の功無きを恨み、以て進見の礼と為す。」肅曰く:「功は翻手の間に在り、公肯て為さざるのみ。」布良久しく沈吟して曰く:「吾れ丁原を殺し、軍を引いて董卓に帰らんと欲す、何如。」肅曰く:「賢弟若し能く如此せば、真に莫大の功なり!但し事は遅るる宜しからず、速決に在り。」布肅と約して明日に降らんことを来し、肅別れて去る。
是夜二更時分,布提刀逕入丁原帳中。原正秉燭觀書,見布至,曰:「吾兒來有何事故?」布曰:「吾堂堂丈夫,安肯為汝子乎!」原曰:「奉先何故心變?」布向前一刀砍下丁原首級,大呼:「左右!丁原不仁,吾已殺之。肯從吾者在此,不從者自去!」軍士散其大半。次日,布持丁原首級,往見李肅。肅遂引布見卓。卓大喜,置酒相待。卓先下拜曰:「卓今得將軍,如旱苗之得甘雨也。」布納卓坐而拜之曰:「公若不棄,布請拜為義父。」卓以金甲錦袍賜布,暢飲而散。卓自是威勢越大,自領前將軍事,封弟董旻為左將軍鄠侯,封呂布為騎都尉中郎將都亭侯。 李儒勸卓早定廢立之計。卓乃於省中設宴,會集公卿,令呂布將甲士千餘,侍衛左右。是日,太傅袁隗與百官皆到。酒行數巡,卓拔劍曰:「今上闇弱,不可以奉宗廟;吾將依伊尹、霍光故事,廢帝為弘農王,立陳留王為帝。有不從者斬!」群臣惶怖莫敢對。中軍校尉袁紹挺身出曰:「今上即位未幾,並無失德;汝欲廢嫡立庶,非反而何?」卓怒曰:「天下事在我!我今為之,誰敢不從?汝視我之劍不利否?」袁紹亦拔劍曰:「汝劍利,吾劍未嘗不利!」兩個在筵上對敵。正是: 丁原仗義身先喪,袁紹爭鋒勢又危。 畢竟袁紹性命如何,且聽下文分解。
もちろんです。以下が書き下し文です:
是の夜二更の時分、布刀を提げて逕ちに丁原の帳中に入る。原正に燭を秉りて書を觀る、布の至るを見て、曰く:「吾が兒來るに何の事故ぞ有る?」布曰く:「吾れ堂堂たる丈夫、安んぞ肯えて汝の子と為らんや!」原曰く:「奉先何故に心變ぜん?」布向って前に一刀に丁原の首級を砍り下し、大いに呼びて曰く:「左右!丁原不仁なり、吾れ已に之を殺せり。肯えて從う者は此に在れ、從わざる者は自ら去れ!」軍士大半これを散る。次の日、布丁原の首級を持ち、往きて李肅に見ゆ。肅遂に布を引きて卓に見えしむ。卓大いに喜び、酒を置いて相待す。卓先ず下拜して曰く:「卓今將軍を得て、旱苗の甘雨を得るが如し。」布卓の坐に納れて之を拜して曰く:「公若し棄てずば、布請う義父と拜せん。」卓金甲錦袍を以て布に賜い、暢飲して而して散ず。卓是より威勢越えて大いに、前將軍事を自領し、弟董旻を左將軍鄠侯に封じ、呂布を騎都尉中郎將都亭侯に封ず。
李儒卓に勸めて早く廢立の計を定む。卓乃ち省中に於いて宴を設け、公卿を會集し、呂布に令して甲士千餘を將して、左右を侍衛せしむ。是日、太傅袁隗與び百官皆到る。酒行きて數巡、卓劍を拔きて曰く:「今上闇弱にして、以て宗廟に奉ずる可からず;吾れ將に依らん伊尹、霍光の故事に、帝を廢して弘農王と為し、陳留王を立てて帝と為さん。從わざる者は斬る!」群臣惶怖して敢えて對せず。中軍校尉袁紹挺身して出でて曰く:「今上即位未幾にして、並びに失德無く;汝嫡を廢して庶を立てんと欲す、反に非ざらんや何ぞ?」卓怒りて曰く:「天下の事は我に在り!我今之を為す、誰か敢えて從わざらん?汝我が劍の利ならざるを視んや否や?」袁紹亦た劍を拔きて曰く:「汝が劍利なり、吾が劍未だ嘗て利ならざること無し!」兩個筵上に於いて對敵す。正に是れ:
丁原仗義にして身先ず喪す、袁紹鋒を爭いて勢また危うし。 畢竟袁紹の性命如何、且く下文を聽いて分解せん。
且つ言う、董卓、欲しくも袁紹を殺さんと欲す。李儒、これを止めて曰く、「事未だ定まらず、妄りに殺すべからず。」と。袁紹、手に宝剣を提げ、百官に辞して出で、東門に節を悬け、冀州に奔りて去る。卓、太傅袁隗に謂いて曰く、「汝の姪、無礼なり。吾、汝の面を見て、姑息に許す。廃立の事、いかん。」隗、曰く、「太尉、所見の如し。」卓、曰く、「敢えて大議に阻む者あらば、軍法をもってこれに従う。」群臣、震恐し、皆曰く、「一聴尊命。」宴が罷(す)むと、卓、侍中周毖、校尉伍瓊に問いて曰く、「袁紹、此去して如何?」周毖、曰く、「袁紹、忿(おこ)りて去る。もし急ぐことを購うならば、勢い変を為すべし。また袁氏は恩を四世に樹(た)て、門生故吏は天下に遍(あまね)し。もし豪傑を集めて徒党を成し、英雄これに従えば、山東は公の有する所にあらず。不如(い)い赦して、一郡の守に任じて、紹は罪を免れて喜び、必ずや患いなし。」伍瓊、曰く、「袁紹は謀りはあれども断無く、これを憂慮するに足らず。誠に一郡の守を加えるに如(し)かず、以て民心を収めん。」
卓、これに従いて、即日、人を差し遣(や)りて紹を渤海太守に任じる。九月の朔、帝に請いて嘉徳殿に昇り、大いに文武を会す。卓、抜剣して手に持ち、众に対して曰く、「天子、暗弱にして、天下を治めるに足らず。今、策文一巻あり、宣(よ)み上げさせよ。」李儒に命じて、策を読ませて曰く、「孝霊皇帝、早く臣民を捨て、皇帝承嗣す。海内は仰望す。しかし帝の天資、軽佻にして、威儀を守らず、居喪は慢惰なり。否(ふ)徳既に彰り、大位に忝(は)じる。皇太后は母儀を教えず、統治は荒乱す。永楽太后、暴崩し、群議惑わる。三綱の道、天地の紀、これに欠けたるや?」
「陳留王協、聖徳偉懋、規矩は厳として肅し。喪を居て哀しみ、邪なる言はせず。休声美誉、天下に聞え、洪業を承け、万世の統を為すべし。ここに皇帝を廃し、弘農王と為す、皇太后に政を還す。請う、陳留王を皇帝に立て、天命を順い、人心を慰めん。」
李儒、策を読み終わり、卓、左右に命じて帝を下殿させ、その璽綬を解き、北面して長跪し、臣として命を受ける。又、太后に命じて服を改めて敕を待つ。帝と太后、共に号哭す。群臣、誰(たれ)もが悲しみに沈み、階下の大臣、一人、怒りて高声で叫ぶこと曰く、「賊臣董卓、敢えて天に欺く謀を為す。吾、頸血をもって之を濺(そそ)ぐべし!」と。手に象簡を振って、董卓に向かって直ちに撃つ。卓、大いに怒り、武士に命じて伍瓊を捕え、斬らせる。伍瓊は死ぬまで罵りを絶(た)やさず、その神色も変わらず。後人、詩を詠んで曰く:
董賊潜(ひそか)に廃立の図を懐(いだ)き、漢家の宗社は丘墟に委(ゆだ)ねん。 満朝の臣宰、皆囊括す、唯(ただ)丁公のみ、是(こ)れ丈夫なり。
卓、陳留王を登殿させんとす。群臣、朝賀を終わり、卓、何太后及び弘農王、帝の妃唐氏を永安宮に住まわせ、宮門を封鎖して、群臣が勝手に入ることを禁ず。可哀(あわ)れなり、少帝は四月に即位し、九月にして廃されぬ。卓、陳留王協を立て、改元初平とす。董卓、相国となり、名を賛(たた)えられず、朝に入るときは急がず、剣履をもって殿に上がり、威福に匹(なら)うものなし。李儒、卓に勧めて名流を擢用し、人望を集めよと、蔡邕を推薦す。卓、これを召し、邕、応じず。卓、怒りて人を遣(や)り、邕に告げて曰く、「来ざれば、汝の族を滅ぼすべし。」邕、恐れて、ただちに応じて至る。卓、邕に会うて大いに喜び、一月三遷し、侍中に任じ、厚く親しむ。
董卓時常に人をして探聽せしむ。是日此詩を得て、來りて董卓に呈す。卓曰く:「怨望して詩を作る、之を殺すに名有り。」遂に李儒をして武士十人を帶び、宮に入りて帝を弒せしむ。帝与后、妃樓上に在り、宮女報ず李儒至るを、帝大いに驚く。儒鴆酒を以て帝に奉る、帝何故を問う。儒曰く:「春日融和、董相國特に壽酒を上る。」太后曰く:「既に壽酒と云ふ、汝可く先ず飲むべし。」儒怒りて曰く:「汝飲まざる耶?」左右を呼び短刀白練を持ちて前に曰く:「壽酒飲まずば、此二物を領けよ!」唐妃跪して告げ曰く:「妾身代りて帝に飲酒せん、願わくば公母子の性命を存せよ。」儒叱りて曰く:「汝何人ぞ、代りて王死すべき?」乃ち酒を舉げて何太后に与えて曰く:「汝先ず飲むべし!」后大いに罵りて曰く:「何進無謀、賊を引きて京に入り、致りて今日の禍を成す。」儒帝を催して曰く:「我に容れよ太后と別れを作さしめん。」乃ち大いに慟きて歌を作す。其の歌曰く:
天地易(か)わり兮(に)日月(じつげつ)翻(ひるが)えり、萬乗(ばんじょう)を棄(す)て兮(て)藩(はん)に退守(たいしゅ)す。 臣(しん)と為(な)り兮(に)逼(せま)られ命(いのち)久(ひさ)しからず、大勢(たいせい)去(さ)り兮(て)空(むな)しく淚潸(さん)たり! 唐妃(とうひ)も亦(また)歌(うた)を作(つく)りて曰(い)わく:
皇天(こうてん)將(まさ)に崩(くず)れんとし兮(に)后土(こうど)頽(くず)れんとす、身(み)は帝姬(ていき)と為(な)り兮(に)恨(うら)みて隨(したが)わず。 生死(せいし)異(こと)なる路(みち)兮(に)從(より)て此(ここ)に別(わか)れ、奈何(いかん)せん煢速(けいそく)兮(に)心中(しんちゅう)悲(かな)しむ! 歌(うた)罷(や)みて、相(あい)抱(だ)きて哭(な)く。李儒(りじゅ)叱(しか)りて曰(い)わく:「相國(しょうこく)立(た)ち等(ひと)しく回報(かいほう)す、汝等(じょうら)俄延(がえん)し、誰(たれ)を望(のぞ)みて救(すく)わんや?」太后(たいこう)大(おお)いに罵(ののし)りて曰(い)わく:「董賊(とうぞく)我(わ)が母子(ぼし)を逼(せま)り、皇天(こうてん)佑(たす)けず!汝等(じょうら)惡(あく)を助(たす)け、必(かなら)ず當(まさ)に滅族(めつぞく)すべし!」儒(じゅ)大(おお)いに怒(いか)り、雙手(そうしゅ)を以(も)って太后(たいこう)を扯住(てっちゅう)し、直(ただ)ちに攛(ひっこ)して樓(ろう)に下(くだ)りし、武士(ぶし)を叱(しか)りて唐妃(とうひ)を絞死(こうし)せしめ、鴆酒(ちんしゅ)を以(も)って少帝(しょうてい)を灌殺(かんさつ)し、還(かえ)りて董卓(とうたく)に報(ほう)ず。卓(たく)命(めい)じて城外(じょうがい)に葬(ほうむ)らしむ。此(ここ)より毎夜(まいよ)宮(きゅう)に入り、宮女(きゅうじょ)を姦淫(かんいん)し、夜(よる)は龍床(りゅうしょう)に宿(やど)す。嘗(かつ)て軍(ぐん)を引(ひ)きて城(じょう)を出(い)で、陽城(ようじょう)の地方(ちほう)に行(ゆ)く、時(とき)に二月(にがつ)、村民(そんみん)社賽(しゃさい)す。男女(なんにょ)皆(みな)集(あつ)まり、卓(たく)軍士(ぐんし)を命(めい)じて圍住(いじゅう)し、盡(ことごと)く之(これ)を殺(ころ)し、婦女(ふじょ)財物(ざいもつ)を掠(りゃく)め、車上(しゃじょう)に裝載(そうさい)し、千餘顆(せんよか)の頭(かしら)を車下(しゃか)に懸(か)け、連軫(れんしん)して都(みやこ)に還(かえ)り、賊(ぞく)を殺(ころ)して大勝(たいしょう)して回(かえ)ると揚言(ようげん)す;城門(じょうもん)下(か)に於(おい)て人頭(じんとう)を焚燒(ふんしょう)し、婦女(ふじょ)財物(ざいもつ)を以(も)って眾軍(しゅうぐん)に分散(ぶんさん)す。
漢末の忠臣 伍孚(ごふ)を説(と)き、沖天の豪気 世間(せけん)無(な)し。 朝堂(ちょうどう)にて賊(ぞく)を殺(ころ)し 名(な)猶(なお)在(あ)り,萬古(ばんこ)に堪(た)えて大丈夫(だいじょうふ)と称(しょう)すべし! 董卓(とうたく)自此(じし)出入常(しゅつにゅうつね)に甲士(こうし)を帶(たい)して護衛(ごえい)せしむ。時(とき)に袁紹(えんしょう)渤海(ぼっかい)に在(あ)り,董卓(とうたく)権(けん)を弄(ろう)することを聞知(ぶんち)し,乃(すなわ)ち人を差(さ)して密書(みっしょ)を齎(もた)らして王允(おういん)に見(まみ)えしむ。書(しょ)に略(ほぼ)曰(いわ)く:
卓賊(たくぞく)天(てん)を欺(あざむ)き主(しゅ)を廢(はい)し,人(ひと)言(い)うに忍(しの)びず;公(こう)恣(ほしいまま)に其(その)跋扈(ばっこ)をし,若(も)し聞(き)かざれば,豈(あに)国(くに)を報(ほう)じて忠(ちゅう)を效(つと)むる之(これ)臣(しん)ならんや?紹(しょう)今(いま)兵(へい)を集(あつ)め卒(そつ)を練(ね)り,王室(おうしつ)を掃清(そうせい)せんと欲(ほっ)すれども,未(いま)だ敢(あえ)て軽(かろ)く動(うご)かず。公(こう)若(も)し心(こころ)有(あ)らば,當(まさ)に間(かん)に乘(じょう)じて之(これ)を圖(はか)るべし。若(も)し驅使(くし)すること有(あ)らば,即(すなわ)ち當(まさ)に命(めい)を奉(う)くべし。 王允(おういん)書(しょ)を得(え)て,無計(むけい)を尋思(じんし)す。一日(いちにち),侍班(じはん)の閣子(かくし)の内(うち)に舊臣(きゅうしん)俱(とも)に在(あ)るを見(み),允(いん)曰(いわ)く:「今日(こんにち)老夫(ろうふ)賤降(せんこう)す,晚間(ばんかん)敢(あえ)て眾位(しゅうい)を屈(くっ)して小酌(しょうしゃく)に到(いた)らしむ。」眾官(しゅうかん)皆(みな)曰(いわ)く:「必(かなら)ず來(きた)りて壽(ことほ)ぎを祝(いわ)わん。」當晚(とうばん)王允(おういん)は後堂(こうどう)に宴(えん)を設(もう)け,公卿(こうけい)皆(みな)至(いた)る。酒(さけ)行(こう)幾巡(いくじゅん)か,王允(おういん)忽然(こつぜん)として面(おもて)を掩(おお)いて大(おお)いに哭(な)く。眾官(しゅうかん)驚(おどろ)きて問(と)いて曰(いわ)く:「司徒(しと)貴誕(きたん)に,何故(なにゆえ)悲(かなしみ)を発(はつ)するや?」允(いん)曰(いわ)く:「今日(こんにち)並(なら)びに賤降(せんこう)ならず,因(よ)って眾位(しゅうい)と一敘(いっしょ)を欲(ほっ)して,董卓(とうたく)の見疑(けんぎ)を恐(おそ)る,故(ゆえ)に託言(たくげん)すのみ。董卓(とうたく)は主(しゅ)を欺(あざむ)き權(けん)を弄(ろう)し,社稷(しゃしょく)は旦夕(たんせき)に保(たも)つこと難(かた)し。高皇(こうこう)秦(しん)を誅(ちゅう)して楚(そ)を滅(めつ)し,奄(あん)にして天下(てんか)有(ゆう)するを想(おも)う;誰(たれ)か想(おも)いし今日(こんにち)に傳(でん)し,乃(すなわ)ち董卓(とうたく)の手(て)に喪(うしな)う:此(これ)吾(われ)所以(ゆえん)に哭(な)くなり。」於是(おいて)眾官(しゅうかん)皆(みな)哭(な)く。坐中(ざちゅう)の一人(いちにん)掌(たなごころ)を撫(ぶ)して大(おお)いに笑(わら)いて曰(いわ)く:「滿朝(まんちょう)の公卿(こうけい),夜(よる)に哭(な)きて明(あけ)に至(いた)り,明(あけ)に哭(な)きて夜(よる)に至(いた)り,焉(いずく)んぞ能(よ)く哭(な)きて董卓(とうたく)を死(し)なせんや?」允(いん)之(これ)を視(み)る,乃(すなわ)ち驍騎校尉(ぎょうきこうい)の曹操(そうそう)なり。允(いん)怒(いか)りて曰(いわ)く:「汝(なんじ)の祖宗(そそう)も亦(また)漢朝(かんちょう)の祿(ろく)を食(しょく)し,今(いま)國(くに)を報(ほう)じて忠(ちゅう)を效(つと)むるを思(おも)わずして反(かえ)って笑(わら)うや?」操(そう)曰(いわ)く:「吾(わ)が別事(べつじ)を笑(わら)わず,眾位(しゅうい)無(む)一計(いっけい)にして董卓(とうたく)を殺(ころ)すのみ。操(そう)才(ざえ)有(あら)ずと雖(いえど)も,願(ねが)わくば即(すなわ)ち董卓(とうたく)の頭(かしら)を斷(た)ち,都門(ともん)に懸(か)け,天下(てんか)に謝(しゃ)せん。」允(いん)席(せき)を避(さ)けて問(と)いて曰(いわ)く:「孟德(もうとく)何(なに)か高見(こうけん)有(あ)らんや?」操(そう)曰(いわ)く:「近日(きんじつ)操(そう)屈身(くっしん)して卓(たく)に事(つか)うる者(もの),實(じつ)に乘間(じょうかん)にして之(これ)を圖(はか)らんと欲(ほっ)する耳(のみ)。今(いま)卓(たく)頗(すこぶ)る操(そう)を信(しん)ず,
操(そう)は因(よ)りて時(とき)を得(え)て卓(たく)に近(ちか)づく。司徒(しと)に七星宝刀(しちせいほうとう)一口(いっこう)有(あ)りと聞(き)き、願(ねが)わくば操(そう)に借(か)して相府(そうふ)に入り、之(これ)を刺殺(さっさつ)せんことを許(ゆる)さば、死(し)すとも恨(うら)みず!」允(いん)曰(いわ)く:「孟徳(もうとく)果(はた)して是(これ)心(こころ)有(あ)らば、天下(てんか)幸(さいわ)い甚(はなは)だし!」遂(つい)に親(みずか)ら酒(さけ)を酌(く)みて操(そう)に奉(たてまつ)る。操(そう)酒(さけ)を瀝(したた)りて誓(せい)を設(まう)け、允(いん)隨(したが)いて宝刀(ほうとう)を取(と)りて之(これ)に与(あた)う。操(そう)刀(とう)を藏(かく)し、酒(さけ)を飲(の)み畢(お)えて、即(すなわ)ち起身(きしん)して眾官(しゅうかん)に辭別(じべつ)して去(さ)る。眾官(しゅうかん)又(また)一回(いっかい)坐(ざ)して、亦(また)俱(とも)に散訖(さんきつ)す。
次日(じつじつ),曹操(そうそう)宝刀(ほうとう)を佩(お)び著(き)して,来(きた)りて相府(そうふ)に至(いた)り,丞相(じょうしょう)何(いずく)に在(あ)るかを問(と)う。従人(じゅうじん)云(い)う:「小閣(しょうかく)の中(うち)に在(あ)り。」操(そう)は竟(つい)に入りて見(まみ)ゆ。董卓(とうたく)は床上(しょうじょう)に坐(ざ)し,呂布(りょふ)は側(そば)に侍立(じりつ)す。卓(たく)曰(いわ)く:「孟徳(もうとく)は来(きた)ること何(いか)ぞ遲(おそ)き?」操(そう)曰(いわ)く:「馬(うま)羸(や)せて行(ゆ)くこと遲(おそ)きのみ。」卓(たく)は顧(かえり)みて布(ふ)に謂(い)いて曰(いわ)く:「吾(われ)に西涼(せいりょう)より進(すす)み来(きた)れる好馬(こうば)有(あ)り,奉先(ほうせん)親(みずか)ら行(ゆ)きて一騎(いっき)を揀(え)りて孟徳(もうとく)に賜(たま)うべし。」布(ふ)は領令(りょうれい)して去(ゆ)く。操(そう)は暗(ひそか)に忖(はか)りて曰(いわ)く:「此(こ)の賊(ぞく)は合(ごう)に死(し)すべし!」即(すなわ)ち刀(とう)を拔(ぬ)きて之(これ)を刺(さ)さんと欲(ほっ)す。卓(たく)は力大(ちからおお)いなるを懼(おそ)れて、未(いま)だ敢(あえ)て軽動(けいどう)せず。卓(たく)は胖大(とてつ)もなくして久坐(きゅうざ)に耐(た)えず,遂(つい)に倒身(とうしん)して臥(ふ)し,面(おもて)を轉(てん)じて内(うち)に向(むか)う。操(そう)又(また)思(おも)いて曰(いわ)く:「此(こ)の賊(ぞく)は當(まさ)に休(やす)むべし!」急(きゅう)に宝刀(ほうとう)を掣(ぬ)いて手(て)に在(あ)り。恰(あたか)も刺(さ)さんと欲(ほっ)するに待(ま)てども,思(おも)わず董卓(とうたく)は面(おもて)を仰(あお)ぎて衣鏡(いきょう)中(ちゅう)を看(み)て,照(て)らして曹操(そうそう)が背後(はいご)に在(あ)りて刀(とう)を拔(ぬ)くを見る,急(きゅう)に身(み)を回(めぐ)らして問(と)いて曰(い)わく:「孟徳(もうとく)は何(なん)す為(す)る?」
時(とき)呂布(りょふ)は已(すで)に馬(うま)を牽(ひ)いて閣外(かくがい)に至(いた)り,操(そう)は惶遽(こうきょ)して,乃(すなわ)ち刀(とう)を持(も)ちて跪下(きか)して曰(い)わく:「操(そう)に宝刀(ほうとう)一口(いっこう)有(あ)り,恩相(おんしょう)に献上(けんじょう)す。」卓(たく)は接(うけ)て之(これ)を視(み)て,見(み)るに其(そ)の刀(とう)長尺餘(ちょうしゃくよ),七宝嵌飾(しちほうかんしょく)して,極(きわ)めて鋒利(ほうり)なり,果(は)たして宝刀(ほうとう)なり;遂(つい)に呂布(りょふ)に遞(わた)して之(これ)を收(おさ)め了(りょう)す。操(そう)は鞘(さや)を解(と)いて布(ふ)に付(ふ)す。卓(たく)は操(そう)を引(ひ)きて閣外(かくがい)に出(いだ)して馬(うま)を看(み)せしむ。操(そう)は謝(しゃ)して曰(い)わく:「試(こころみ)んと願(ねが)はくば一騎(いっき)を借(か)せ。」卓(たく)は即(すなわ)ち教(おし)えて鞍轡(あんひつ)を與(あた)う。操(そう)は馬(うま)を牽(ひ)きて相府(そうふ)を出(いだ)し,鞭(むち)を加(くわ)えて東南(とうなん)を望(のぞ)みて去(ゆ)く。布(ふ)は卓(たく)に對(たい)して曰(い)わく:「適来(てきらい)曹操(そうそう)似(に)たり行刺(こうし)の狀(じょう)有(あ)り,及(およ)び喝破(かっぱ)せられ,故(ゆえ)に献刀(けんとう)を推(お)す。」卓(たく)は曰(い)わく:「吾(われ)亦(また)之(これ)を疑(うたが)う。」
正(まさ)に話(はなし)をする間(あいだ)に、適(たまたま)李儒(りじゅ)至(いた)り、卓(たく)其(そ)の事(こと)を以(も)って之(これ)に告(つ)ぐ。儒(じゅ)曰(い)わく:「操(そう)は妻(つま)小(こども)無くして京(きょう)に在(あ)り、只(ただ)獨(ひと)り寓所(ぐうしょ)に居(い)る。今(いま)人(ひと)を差(さ)して往(おも)むき召(め)せば、如(も)し彼(かれ)無(な)くして便(すなわ)ち来(きた)らば、則(すなわ)ち是(こ)れ獻刀(けんとう)なり;如(も)し推託(すいたく)して来(きた)らずんば、則(すなわ)ち必(かなら)ず行刺(こうし)なり、便(すなわ)ち擒(とら)えて問(と)うべし。」卓(たく)其(そ)の説(い)うことを然(しか)りとして、即(すなわ)ち獄卒(ごくそつ)四人(よにん)を差(さ)して往(ゆ)きて操(そう)を喚(よ)ばしむ。去(さ)りて良久(りょうきゅう)し、回報(かいほう)するに曰(い)わく:「操(そう)は曾(かつ)て寓(ぐう)に回(かえ)らず、馬(うま)に乘(の)りて飛(と)び出(い)でて東門(とうもん)に出(い)ず。門吏(もんり)之(これ)を問(と)うに、操(そう)曰(い)わく:『丞相(じょうしょう)我(われ)を差(さ)して急(きゅう)なる公事(こうじ)有(あ)り』、馬(うま)を縱(ほしいまま)にして去(い)ぬ。」儒(じゅ)曰(い)わく:「操(そう)の賊心(ぞくしん)逃竄(とうざん)し、行刺(こうし)無疑(むぎ)なり。」卓(たく)大(おお)いに怒(いか)りて曰(い)わく:「我(われ)如此(このごと)く重用(ちょうよう)し、反(かえ)って我(われ)を害(がい)せんと欲(ほっ)す!」儒(じゅ)曰(い)わく:「此(こ)れ必(かなら)ず同謀者(どうぼうしゃ)有(あ)り、拏(つか)まえて曹操(そうそう)を住(す)べく便(すなわ)ち知(し)るべし。」卓(たく)遂(つい)に行文書(こうもんじょ)を遍(あまね)くして、画影図形(がえいずけい)をし、曹操(そうそう)を捉拏(そくつか)しむ。擒獻者(けんけんしゃ)には、賞(しょう)千金(せんきん)を与(あた)え、封萬戶侯(ふうまんここう)に封(ほう)ず;窩藏者(かぞうしゃ)には同罪(どうざい)をもってす。
且(しばら)く曹操(そうそう)の城外(じょうがい)に逃(に)げ出(いだ)し、譙郡(しょうぐん)に飛奔(ひほん)す。路経(ろけい)中牟県(ちゅうぼくけん)に、関(かん)を守(まも)る軍士(ぐんし)に獲(え)られ、県令(けんれい)に擒見(ほうけん)す。操(そう)言(い)わく:「我(われ)は客商(かくしょう)なり、覆姓(ふくせい)皇甫(こうほ)なり。」県令(けんれい)は曹操(そうそう)を熟視(じゅくし)し、沈吟(ちんぎん)半晌(はんしょう)し、乃(すなわ)ち曰(い)わく:「吾(われ)前(さき)に洛陽(らくよう)に在(あ)りて官(かん)を求(もと)むるとき、曾(かつ)て汝(なんじ)を曹操(そうそう)と認(みと)む、如何(いかん)ぞ隠諱(いんき)す。且(しばら)くして之(これ)を監下(かんか)に把(と)り、明日(あす)京師(けいし)に解(げ)して賞(しょう)を請(こ)う。」関(かん)を把守(ほしゅ)する軍士(ぐんし)に酒食(しゅしょく)を賜(たまわ)りて去(ゆ)かしむ。
夜分(やぶん)に至(いた)りて、県令(けんれい)は親隨人(しんずいん)を喚(よ)びて暗地(あんち)に曹操(そうそう)を取(と)り出(いだ)し、直(ただ)ちに後院(こういん)中(ちゅう)に至(いた)りて審究(しんきゅう)す;問(と)いて曰(い)わく:「我(われ)丞相(じょうしょう)の汝(なんじ)を待(ま)つこと薄(うす)からずと聞(き)く、何(いかん)ぞ自(みずか)ら其(そ)の禍(わざわい)を取(と)る?」操(そう)曰(い)わく:「『燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志(こころざし)を知(し)らんや!』汝(なんじ)既(すで)に我(われ)を拏住(だじゅう)す、便(すなわ)ち当(まさ)に解(げ)して請賞(こ)うべし。」県令(けんれい)は左右(さゆう)を屏退(へいたい)して、操(そう)に謂(い)いて曰(い)わく:「汝(なんじ)我(われ)を小覷(しょうしょ)すること休(や)めよ。我(われ)は俗吏(ぞくり)に非(あら)ず、未(いま)だ其(そ)の主(しゅ)に遇(あ)わざるのみ。」操(そう)曰(い)わく:「我(われ)は祖宗(そそう)の世(よ)に漢祿(かんろく)を食(しょく)し、若(も)し国(くに)を報(ほう)じるを思(おも)わずんば、禽獣(きんじゅう)と何(いか)なる異(こと)有(あ)らんや。我(われ)身(み)を屈(かが)めて卓(たく)に事(つか)うる者(もの)、間(あいだ)に乗(じょう)じて之(これ)を図(はか)り、国(くに)の為(た)めに害(がい)を除(のぞ)かんと欲(ほっ)するのみ。今(いま)事(こと)成(な)らず、乃(すなわ)ち天意(てんい)なり!」県令(けんれい)曰(い)わく:「孟徳(もうとく)は此(こ)の行(こう)、将(まさ)に何(いずく)へ往(い)かんと欲(ほっ)する?」操(そう)曰(い)わく:吾(われ)は将(まさ)に郷里(きょうり)に帰(かえ)り、矯詔(きょうじょう)を発(はっ)し、天下(てんか)の諸侯(しょこう)を召(め)して兵(へい)を興(おこ)し、共(とも)に董卓(とうたく)を誅(ちゅう)せんとす、これ吾(わ)が願(ねが)いなり。
県令(けんれい)言(こと)を聞(き)き、乃(すなわ)ち親(みずか)ら其(そ)の縛(しば)りを釋(と)き、之(これ)を扶(たす)けて坐(ざ)に上(のぼ)らしめ、再拝(さいはい)して曰(い)わく:「公(こう)真(まこと)に天下(てんか)の忠義(ちゅうぎ)の士(し)なり!」曹操(そうそう)も亦(また)拜(はい)し、県令(けんれい)の姓名(せいめい)を問(と)う。県令(けんれい)曰(い)わく:「吾(われ)姓(せい)は陳(ちん),名(な)は宮(きゅう),字(あざな)は公臺(こうたい)。老母(ろうぼ)と妻子(さいし),皆(みな)東郡(とうぐん)に在(あ)り。今(いま)公(こう)の忠義(ちゅうぎ)に感(かん)じ,願(ねが)わくば一官(いっかん)を棄(す)て,公(こう)に従(したが)いて逃(のが)れん。」操(そう)甚(はなは)だ喜(よろこ)ぶ。是夜(よる),陳宮(ちんきゅう)盤費(ばんひ)を収拾(しゅうしゅう)し,曹操(そうそう)と更衣(こうい)易服(えきふく)し,各(おのおの)一口(いっこう)の劍(けん)を背負(せお)い,馬(うま)に乘(の)りて故郷(こきょう)に投(な)げ來(き)たる。
行(ゆ)くこと三日(みっか),成皋(せいこう)の地方(ちほう)に至(いた)り,天色(てんしょく)向(む)かうに晩(ばん)。操(そう)は鞭(むち)を以(も)って林(りん)の深處(ふかく)を指(さ)して,宮(きゅう)に謂(い)いて曰(い)わく:「此間(このあいだ)に一人(いちにん)姓(せい)は呂(りょ),名(な)は伯奢(はくしゃ),是(こ)れ吾(わ)が父(ちち)結義(けつぎ)の弟兄(ていけい);往(ゆ)いて家中(かちゅう)の消息(しょうそく)を問(と)い,一宿(いっしゅく)を覓(もと)めんとす,如何(いかん)か?」宮(きゅう)曰(い)わく:「最(もっと)も良(よ)し。」二人(ににん)莊前(しょうぜん)に至(いた)りて下馬(げば)し,入(い)りて伯奢(はくしゃ)に見(まみ)ゆ。奢(しゃ)曰(い)わく:「我(われ)朝廷(ちょうてい)の遍行文書(へんこうもんじょ)を聞(き)きて,汝(なんじ)を捉(とら)えること甚(はなは)だ急(きゅう)なり,汝(なんじ)が父(ちち)は已(すで)に陳留(ちんりゅう)に避(さ)りぬ。汝(なんじ)如何(いかん)にして此(ここ)に至(いた)るや?」操(そう)は以前(さき)の事(こと)を告(つ)げ,曰(い)わく:「若(も)し陳県令(ちんけんれい)に非(あら)ずんば,已(すで)に粉骨碎身(ふんこつさいしん)せんこと矣(かな)し。」伯奢(はくしゃ)は陳宮(ちんきゅう)に拜(はい)して曰(い)わく:「小姪(しょうてつ)若(も)し使君(しぐん)に非(あら)ずんば,曹氏(そうし)滅門(めつもん)せんこと矣(かな)し。使君(しぐん)は寬懷(かんかい)にして安坐(あんざ)し,今晚(こんばん)便(すなわ)ち草舍(そうしゃ)に下榻(かとう)すべし。」言(こと)を罷(や)み,則(すなわ)ち起身(きしん)して内(うち)に入り。良久(りょうきゅう)して乃(すなわ)ち出(い)で,陳宮(ちんきゅう)に謂(い)いて曰(い)わく:「老夫(ろうふ)は家(いえ)に好酒(こうしゅ)無(な)し,容(い)れよ西村(にしむら)に往(ゆ)きて一樽(いっそん)を沽(こ)うて來(きた)りて相待(あいたい)せん。」言(こと)訖(おわ)り,匆匆(そうそう)として驢(ろば)に上(のぼ)りて去(さ)る。
操(そう)宮(きゅう)と坐(ざ)すること久(ひさ)しくして,忽(たちま)ち莊後(そうご)に刀(かたな)を磨(みが)くの聲(こえ)有(あ)り。操(そう)曰(い)わく:「呂伯奢(りょはくしゃ)は吾(わ)が至親(ししん)に非(あら)ず,此(こ)の去(ゆ)くこと可疑(かぎ)なり,當(まさ)に之(これ)を竊聽(せってい)すべし。」二人(ににん)潛步(せんぽ)して草堂(そうどう)の後(うしろ)に入(い)り,但(ただ)人語(じんご)を聞(き)くに曰(い)わく:「縛(しば)りて之(これ)を殺(ころ)す,何如(いかん)?」操(そう)曰(い)わく:「是(ぜ)なり!今(いま)若(も)し先(ま)ず手(て)を下(くだ)さずんば,必(かなら)ず擒獲(ほうかく)を遭(あ)うべし。」遂(つい)に宮(きゅう)と劍(けん)を拔(ぬ)きて直(ただ)ちに入(い)り,男女(なんにょ)を問(と)わず,皆(みな)之(これ)を殺(ころ)し,一連(いちれん)にして八口(はっこう)を殺死(さつし)す。廚下(ちゅうか)に搜(さが)して至(いた)り,卻(かえ)って一豬(いっちょ)を縛(しば)りて殺(ころ)さんと欲(ほっ)するを見(み)る。宮(きゅう)曰(い)わく:「孟德(もうとく)は心(こころ)多(おお)し,誤(あやま)って好人(こうじん)を殺(ころ)せり!」急(きゅう)に莊(そう)を出(い)でて馬(うま)に上(のぼ)りて行(ゆ)く。行(ゆ)くこと二里(にり)に到(いた)らずして,伯奢(はくしゃ)が驢鞍(ろあん)の前(まえ)に酒(さけ)二瓶(にへい)を懸(か)け,手(て)に果菜(かさい)を攜(たずさ)えて來(きた)り,叫(さけ)びて曰(い)わく:「賢姪(けんてつ)と使君(しぐん)は何故(なにゆえ)便(すなわ)ち去(さ)るや?」操(そう)曰(い)わく:「罪(つみ)を被(こうむ)るの人(ひと),久(ひさ)しく住(じゅう)すべからず。」伯奢(はくしゃ)曰(い)わく:「吾(われ)は已(すで)に家人(かじん)に分付(ぶんぷ)して一豬(いっちょ)を宰(さい)して相款(そうかん)せんとす,賢姪(けんてつ)と使君(しぐん)は何(いず)れか一宿(いっしゅく)を憎(にく)むや?速(すみや)かに請(こ)う轉騎(てんき)せよ。」
操(そう)は顧(かえり)みず,馬(うま)を策(むちう)って便(すなわ)ち行(ゆ)く。行(ゆ)くこと數步(すうほ)にして,忽(たちま)ち劍(けん)を拔(ぬ)きて復(また)回(かえ)り,伯奢(はくしゃ)を叫(さけ)びて曰(い)わく:「此(こ)の來(きた)る者(もの)は何人(なんぴと)ぞ?」伯奢(はくしゃ)頭(こうべ)を回(めぐ)らして看(み)る時(とき),操(そう)は劍(けん)を揮(ふる)って伯奢(はくしゃ)を驢(ろば)の下(した)に砍(き)る。宮(きゅう)大(おお)いに驚(おどろ)きて曰(い)わく:「適纔(てきさい)誤(あやま)りし耳(のみ),今(いま)何(なに)を為(な)すや?」操(そう)曰(い)わく:「伯奢(はくしゃ)家(いえ)に到(いた)り,殺死(さつし)せる多人(たにん)を見(み)て,安(いずく)んぞ干休(かんきゅう)を肯(うけ)んや?若(も)し眾(しゅう)を率(ひき)いて來(きた)り追(お)わば,必(かなら)ず其(そ)の禍(わざわい)を遭(あ)うべし。」宮(きゅう)曰(い)わく:「知(し)りて故(ことさら)に殺(ころ)す,大(おお)いに不義(ふぎ)なり!」操(そう)曰(い)わく:「寧(むし)ろ我(われ)をして天下人(てんかじん)に負(そむ)かしめん,休(や)めよ天下人(てんかじん)をして我(われ)に負(そむ)かしむることを。」陳宮(ちんきゅう)默然(もくねん)たり。
當夜(とうや)數里(すうり)を行(ゆ)き,月明(げつめい)の中(なか)に客店(かくてん)の門(もん)を敲(たた)いて投宿(とうしゅく)す。馬(うま)を喂(や)し飽(あ)かして,曹操(そうそう)先(ま)ず睡(ねむ)る。陳宮(ちんきゅう)尋思(じんし)して曰(い)わく:「我(われ)は曹操(そうそう)を好人(こうじん)と思(おも)い,官(かん)を棄(す)てて彼(かれ)に從(したが)う;原(もと)より心(こころ)狠毒(こんどく)なる之(こ)の徒(ともがら)なり!今日(こんにち)之(これ)を留(とど)むれば,必(かなら)ず後患(こうかん)と為(な)らん。」便(すなわ)ち劍(けん)を拔(ぬ)きて來(きた)りて曹操(そうそう)を殺(ころ)さんと欲(ほっ)す。正(まさ)に是(これ)なり:
心(こころ)を設(はか)りて狠毒(こんどく)なるは良士(りょうし)に非(あら)ず,操卓(そうたく)原(もと)より一路(いちろ)の人(ひと)なり。 畢竟(ひっきょう)曹操(そうそう)の性命(せいめい)は如何(いかん)ぞ,且(しばら)く下文(かぶん)を聽(き)いて分解(ぶんかい)せよ。
第五回 矯詔(きょうしょう)を発し、諸鎮(しょちん)曹公(そうこう)に応じ、関兵(かんぺい)を破り三英(さんえい)呂布(りょふ)と戦う。
卻説陳宮、正に下手して曹操を殺さんと欲す、忽ち念を転じて曰く、「我、國家の為に彼に随ひて此に至る、之を殺すは義に非ず。若し棄てて他往するに如かず。」と。劍を挿して馬に上り、天の明くるを等たず、自ら東郡に投じて去る。操、覺めて、陳宮を見ず、尋思して曰く、「此の人は、我の此の兩句を説くを見て、我を不仁と疑ひ、我を棄てて去るなり。吾、當に急行すべし、久留まる可からず。」と。遂に連夜陳留に到り、父親を尋ね見、備へて前事を説き、家資を散じて、義兵を招募せんと欲す。父、言ふ、「資少くして事を成さざるを恐る。此間に孝廉衛弘有り、疏財仗義、其の家巨富なり。若し相助くるを得ば、事圖る可きのみ。」と。
操、酒を置きて筵を張り、衛弘を拜請して家に到り、告げて曰く、「今漢室に主無く、董卓、專權し、君を欺き民を害し、天下切齒す。操、力めて社稷を扶けんと欲すれども、力を足らざるを恨む。公は乃ち忠義の士、敢て相助くるを求む。」と。衛弘、曰く、「吾、是の心有ること久し、恨むは未だ英雄に遇はざるのみ。既に孟德大志有れば、願はくは家資を將て相助けん。」と。操、大いに喜び、是に於いて先づ矯詔を發し、馳せて各道に報じ、然る後に義兵を招集し、招兵白旗一面を豎て、上(かみ)に「忠義」の二字を書す。數日を不計にして、應募の士、雨の駢(なら)び集まるが如し。
一日、陽平衛國の人有り、姓は樂、名は進、字は文謙、曹操に投じ來る。又山陽鉅鹿の人有り、姓は李、名は典、字は曼成、も亦曹操に投じ來る。操、皆留めて帳前吏と為す。又沛國譙の人、夏侯惇、字は元讓、乃ち夏侯嬰の後なり。自ら小さきより鎗棒を習ひ、年十四にして師に從ひて武を學ぶ。人有りて其の師を辱罵する者有り、惇之を殺し、外方に逃る。曹操、兵を起すと聞知し、其の族弟夏侯淵と二つ、各壯士千人を引て來たり會す。此の二人は本操の弟兄なり。操の父曹嵩、原は夏侯氏の子、過房して曹家と與(す)。此に因りて是れ同族なり。
數日を不計にして、曹氏の兄弟曹仁、曹洪、各兵千餘を引て來たり助く。曹仁、字は子孝、曹洪、字は子廉。二人、兵馬に嫺熟し、武藝に精通す。操大いに喜び、村中に於て軍馬を調諫す。衛弘、家財を盡く出して、衣甲旗旛を置辦す。四方より糧を送る者、其の數を計らず。
時に袁紹、操の矯詔を得て、乃ち麾下文武を聚め、兵三萬を引て、渤海を離れて曹操と盟を會せんと來る。操、檄文を作りて以て諸郡に達す。檄文に曰く、
操等、謹みて大義を以て天下に布告す。董卓、天を欺き地を罔(あざむ)き、國を滅し君を弒す。穢亂宮禁、殘害生靈。狼戾不仁、罪惡充積す。今、天子の密詔を奉じ、大いに義兵を集め、誓ひて華夏を掃清し、群凶を剿戮せんと欲す。望むらくは義師を興し、共に公憤を洩らし、王室を扶持し、黎民を拯救せん。檄文到るの日、速やかに奉行す可し!
操、檄文を發して去りし後、各鎮諸侯、皆兵を起して相應す。
第一鎮、後將軍南陽太守袁術。
第二鎮、冀州刺史韓馥。
第三鎮、豫州刺史孔伷。
第四鎮、兗州刺史劉岱。
第五鎮、河內太守王匡。
第六鎮、陳留太守張邈。
第七鎮、東郡太守喬瑁。
第八鎮、山陽太守袁遺。
第九鎮、濟北相鮑信。
第十鎮、北海太守孔融。
第十一鎮、廣陵太守張超。
第十二鎮、徐州刺史陶謙。
第十三鎮、西涼太守馬騰。
第十四鎮、北平太守公孫瓚。
第十五鎮、上黨太守張楊。
第十六鎮、烏程侯長沙太守孫堅。
第十七鎮、祁郷侯渤海太守袁紹。
諸路の軍馬、多少等しからず、三萬有る者有り、一二萬有る者有り、各文官武將を領して、洛陽に投じ來る。
且說、北平太守公孫瓚、精兵一萬五千を統領し、路に德州平原縣を經る。正に行間の、遙に桑樹叢中に、一面の黃旗、數騎來迎するを見る。瓚之を視るに、乃ち劉玄德なり。瓚問ひて曰く、「賢弟、何が故に此に在るか?」と。玄德曰く、「舊日、兄の保備を蒙りて平原縣令と為り、今大軍此を過ぐるを聞き、特來たり奉候し、就ひて兄長を請じて入城し馬を歇ません。」と。瓚、關、張を指して問ひて曰く、「此れ何の人なるか?」と。玄德曰く、「此れ關羽、張飛、備の結義の兄弟なり。」と。瓚曰く、「乃ち同じく黃巾を破る者なるか?」と。玄德曰く、「皆此の二人の力なり。」と。瓚曰く、「今、何れの職に居るか?」と。玄德、答へて曰く、「關羽は馬弓手と為り、張飛は步弓手と為る。」と。瓚、歎じて曰く、「此の如き可謂英雄を埋沒せしむと。今、董卓、亂を作し、天下諸侯、共に往きて之を誅せん。賢弟、此の卑官を棄て、一同に賊を討ち、力めて漢室を扶け、若何(いかん)?」と。玄德曰く、「往かんことを願ふ。」と。張飛曰く、「當時、若し我を容れて此の賊を殺せば、今日之事有るを免れん。」と。雲長曰く、「事已に此に至る、即ち當に收拾して前に行くべし。」と。
玄德、關、張、數騎を引て公孫瓚に跟ひ來る。曹操之を接す。衆諸侯も亦陸續皆至り、各自營を下し寨を安んじ、連接すること二百餘里。操、乃ち牛を宰し馬を殺し、大いに諸侯を會し、兵を進むるの策を商議す。太守王匡、曰く、「今、大義を奉ず、必ず盟主を立て、衆約束を聽き、然る後に兵を進むべし。」と。操、曰く、「袁本初、四世三公、門故吏多く、漢朝名相の裔、以て盟主と為る可し。」と。紹、再三推辭す。衆皆曰く、「本初に非ざれば可ならず。」と。紹、方(まさ)に應允す。次日、臺を三層に築き、遍く五方の旗幟を列ね、上に白旄黃鉞、兵符將印を建て、紹を請じて壇に登らしむ。紹、衣を整へ劍を佩び、慨然として上り、香を焚き再拜す。其の盟に曰く、
漢室不幸、皇綱失統。賊臣董卓、釁に乗じて縱害し、禍を至尊に加へ、虐を百姓に流す。紹等、社稷の淪喪を懼れ、義兵を糾合し、並びに國難に赴かん。凡そ我同盟、齊心戮力し、以て臣節を致し、必ず二志無からん。此の盟に渝る有らば、其の命を墜さんことを、克く遺育無く。皇天后土、祖宗明靈、實に皆之を鑒(み)たまへ!
讀み畢り、血を歃(すす)る。衆、其の辭氣慷慨なるに因り、皆涕泗橫流す。血を歃り已り罷(や)み、壇を下る。衆、紹を扶けて帳に昇り坐らしめ、兩行爵位年齒に依り分列して坐定す。操、酒を數巡行し、言ひて曰く、「今日、既に盟主を立てたれば、各調遣を聽き、同じく國家を扶け、強弱を以て計較する勿かれ。」と。袁紹曰く、「紹、才に非ざるも、既に公等の推(お)しを承けて盟主と為れば、功有れば必ず賞し、罪有れば必ず罰せん。國に常刑有り、軍に紀律有り、各宜しく遵守し、違犯することを得る勿かれ。」と。衆皆曰く、「惟命是聽(いめいこれにしたが)はん。」と。紹曰く、「吾弟袁術、糧草を總督し、諸營に應付し、缺(か)く所あらしむる無かれ。更に須く一人を以て先鋒と為し、直に汜水關に抵り挑戰すべし。餘は各險要に據り、以て接應と為す。」と。長沙太守孫堅、出でて曰く、「堅、願はくは前部と為らん。」と。紹曰く、「文臺、勇烈なり、此の任に當る可し。」と。堅、遂に本部の人馬を引て、汜水關に殺奔し來る。守關將士、流星馬を差して洛陽丞相府に往き急を告ぐ。董卓、自ら大權を專にしてより、每日飲宴す。李儒、告急の文書を受け得て、逕に卓に稟す。卓、大いに驚き、急ぎ衆將を聚めて商議す。溫侯呂布、挺身出でて曰く、「父親、慮る勿れ。關外の諸侯、布之を視ること草芥の如し。願はくは虎狼の師を提げ、盡く其の首を斬り、都門に懸けん。」と。卓、大いに喜びて曰く、「吾に奉先有れば、高枕して憂い無きなり!」と。言未だ絕えざるに、呂布の背後、一人高聲に出でて曰く、「『雞を割くに焉んぞ牛刀を用ひん』。溫侯の親(みずか)ら往くを勞せず。吾、衆諸侯の首級を斬ること、囊を探るが如きのみ。」と。卓之を視るに、其の人、身の長(たけ)九尺、虎體狼腰、豹頭猿臂なり。關西の人なり。姓は華、名は雄。卓、言を聞き大いに喜び、加へて驍騎校尉と為し、馬步軍五萬を撥して、李肅、胡軫、趙岑と共に星夜關に赴き敵を迎へしむ。衆諸侯の內、濟北相鮑信、尋思するに孫堅既に前部と為れば、彼の頭功を奪うを怕(おそ)れ、暗に其の弟鮑忠を撥し、先づ馬步軍三千を將て、逕に小路を抄へ、關下に到りて搦戰す。華雄、鐵騎五百を引て、飛んで關を下り來り、大喝して「賊將、休走!」と。鮑忠、急ぎ退かんと待つに、華雄の手、刀を起し落とし、馬下に斬られ、生擒の將校、極めて多し。華雄、人を遣して鮑忠の首級を將て相府に來り捷を報ずれば、卓、雄を都督と為す。
却說、孫堅、四將を引て、直に關前に至る。其の四將、第一は右北平土垠の人、姓は程、名は普、字は德謀、一條の鐵脊蛇矛を使ひ、第二は姓は黃、名は蓋、字は公覆、零陵の人なり、鐵鞭を使ひ、第三は姓は韓、名は當、字は義公、遼西令支の人なり、一口の大刀を使ひ、第四は姓は祖、名は茂、字は大榮、吳郡富春の人なり、雙刀を使ふ。孫堅、爛銀鎧を披(き)、裏に赤幘(せきさく)を著け、古錠刀を横たへ、花鬃馬に騎り、關上を指して罵りて曰く、「惡を助くる匹夫、何ぞ早く降らざる!」と。
華雄副將胡軫、兵五千を引て關を出で迎戰す。程普、馬を飛ばし矛を挺て、直に胡軫を取る。鬥ふこと數合を不計にして、程普、胡軫の咽喉を刺中し、馬下に死す。堅、軍を揮(ふる)ひ直に關前まで殺し至り、關上、矢石雨の如し。孫堅、兵を引て梁東に回屯し、人を遣して袁紹處に捷を報じ、就ひて袁術處に於て糧を催促す。或る人術に説いて曰く、「孫堅は乃ち江東の猛虎なり。若し洛陽を打破して、董卓を殺さば、是れ狼を除きて虎を得るなり。今糧を与へざれば、彼れ軍必ず散ぜん。」と。術之を聽き、糧草を發せず。孫堅軍、食を缺(か)き、軍中自ら亂る。細作(さいさく)上關に報ず。李肅、華雄の為に謀りて曰く、「今夜、我、一軍を引て小路より關を下り、孫堅の寨後を襲ひ、將軍其の前寨を揮へば、堅擒にす可きのみ。」と。
雄、之に從ひ、軍士に令して飽餐せしめ、夜に乗じて關を下る。是の夜、月白く風清し。堅の寨に到る時、已に半夜なり。鼓譟直進す。堅、慌忙として披掛して馬に上り、正に華雄と遇ふ。兩馬相交はり、鬥ふこと數合を不計にして、後面李肅の軍到り、軍士に令して火を放ち起さしむ。堅軍亂竄す。衆將各自混戰し、止(た)だ祖茂、孫堅に定めて跟ひ、包圍を突きて走る。背後、華雄追ひ來る。堅、箭を取り、連ねて兩箭を放ち、皆華雄に躲過(のが)るる。更に第三箭を放つ時、力を用ひ過ぎたるに因り、鵲畫弓を拽折(ひきを)り、只だ弓を棄て馬を縱(はな)ちて奔るを得たり。祖茂曰く、「主公の頭上の赤幘、目を射(う)ち、賊に識認せらる。幘を脱して某に戴かしむ可し。」と。堅、就ひて幘を脱し茂の盔(かぶと)と換へ、兩路に分れて走る。雄軍、只だ赤幘を著る者を望んで追趕し、堅、乃ち小路より脫するを得る。祖茂、華雄に追はれて急なるに、赤幘を人家の燒き盡きざる庭柱に掛け、却て樹林に入り潜躲(ひそみかく)る。
華雄軍、下(した)に於て遙に月より赤幘を見る、四面圍定し、敢て前に近かず。箭を用ひて之を射る、方(まさ)に是れ計なるを知り、遂に向前して赤幘を取る。祖茂、林後より殺し出で、雙刀を揮て華雄を劈(つんざ)かんと欲す、雄、大喝一聲し、祖茂を將て一刀馬下に砍(き)る。天の明くるに至り、雄方(まさ)に兵を引て關に上る。程普、黃蓋、韓當、都來り孫堅を尋ね見、再び軍馬を收拾し屯紮す。堅、祖茂を折られしが為に、傷感已(や)まず、星夜人を遣し袁紹に報知す。紹大いに驚きて曰く、「孫文臺の華雄の手下(て)に敗るとは想はず!」と。便ち衆諸侯を聚めて商議す。衆人、都到る、止(た)だ公孫瓚、後(おく)れて至る、紹請じて帳に入り列坐せしむ。紹、曰く、「前日、鮑將軍の弟、調遣に遵はず、擅(ほしいまま)に兵を進め、身を殺し命を喪ひ、許多の軍士を折る。今者(いま)孫文臺、又華雄に敗る。銳氣を挫動す、之を為す奈何?」と。諸侯、並びに皆語らず。
紹、目舉げて遍く視るに、公孫瓚の背後、三人の容貌異常なる者、皆其の處に在り冷笑するを見る。紹、問ひて曰く、「公孫太守の背後、何の人なるか?」と。瓚、玄德を呼び出して曰く、「此れ吾が自ら幼きより同舍の兄弟、平原令劉備是なり。」と。曹操、曰く、「莫非黃巾を破る劉玄德なるか?」と。瓚、曰く、「然(しか)り。」と。即ち劉玄德に令して拜見せしむ。瓚、玄德の功勞、並びに其の出身を細(こま)かに一たび説く。紹曰く、「既に是れ漢室の宗派なれば、座を取(め)して來れ。」と。命じて坐らしむ。備、遜謝す。紹曰く、「吾、汝の名爵を敬するに非ず、吾、汝の是れ帝室の冑(ちゅう)なるを敬するのみ。」と。玄德、乃ち末位に坐し、關、張叉手して後(うし)ろに侍立す。
忽ち探子來り報ず、「華雄、鐵騎を引て關を下り、長竿を以て孫太守の赤幘を挑(かか)げ、寨前に來り大罵搦戰す。」と。紹、曰く、「誰か敢て往きて戰はん?」と。袁術の背後、驍將俞涉、轉り出でて曰く、「小將願はくは往かん。」と。紹喜、便ち俞涉に出馬せしむ。即時報じて來る、「俞涉、華雄と戰ふこと三合を不計にして、華雄に斬らる。」と。衆大いに驚く。太守韓馥、曰く、「吾に上將潘鳳有り、以て華雄を斬る可し。」と。紹、急ぎ令して出戰せしむ。潘鳳、大斧を提げて馬に上る。去ること不多(あま)りの時、飛馬來り報ず、「潘鳳、又華雄に斬らる。」と。衆皆失色す。紹、曰く、「惜しいかな、吾が上將顔良、文醜、未だ至らざるを!一人此に在るを得ば、何ぞ華雄を懼れん?」と。言未だ畢らざるに、階下、一人大呼して出でて曰く、「小將願はくは往きて華雄の頭を斬り、帳下に獻ぜん!」と。衆之を視るに、其の人、身の長(たけ)九尺、髯長(ひげなが)二尺、丹鳳眼、臥蠶眉、面、重棗の如く、聲、巨鐘の如し、帳前に立つ。紹、何人なるかを問ふ。公孫瓚、曰く、「此れ劉玄德の弟關羽なり。」と。紹、見て何れの職に居るかを問ふ。瓚、曰く、「劉玄德に跟隨して馬弓手を充(あ)つ。」と。帳上、袁術大喝して曰く、「汝、吾が衆諸侯に大將無きを欺くか耶?量(はか)るに一弓手、安んぞ敢て亂言せん!我と打ち出でよ!」と。曹操、急ぎ之を止めて曰く、「公路、怒りを息めよ。此の人、既に大言を出せば、必ず勇略有り。試みに馬を出だすを教へよ。如し其れ勝たざれば、之を責むるも未だ遅からざるなり。」と。袁紹、曰く、「一弓手を出戰せしむれば、必ず華雄の笑ふ所と為らん。」と。操、曰く、「此の人、儀表俗ならず、華雄、安んぞ他が弓手なるを知らん?」と。關公、曰く、「如し勝たざれば、請はくは某の頭を斬られん。」と。
操、熱酒一盃を釃(く)みて、關公に與へて飲ましめて馬に上らしむ。關公曰く、「酒、且く斟み置け、某去りて便(すなは)ち來たらん。」と。帳を出で刀を提げ、飛んで身を馬に上す。衆諸侯、關外の鼓聲大いに振るひ、喊聲大いに舉がるを聞き、天を摧(くだ)き地を塌(くづ)す、岳を撼(ゆる)がし山を崩すが如し、衆皆失驚す。正に探聽せんと欲するに、鸞鈴(らんれい)響く處、馬中軍に到り、雲長、華雄の頭を提げ、之を地上に擲(なげう)つ、其の酒當に温かなり。後人、詩有りて之を讚めて曰く、
威鎮乾坤第一功、轅門画鼓響鼕鼕。
雲長停盞施英勇、酒當温時斬華雄。
曹操、大いに喜ぶ。只だ玄德の背後、張飛、轉り出で、高聲大叫して曰く、「俺が哥哥、華雄を斬り、就(すなは)ち此に於て關に入り殺し、活(い)けて董卓を拏(とら)へずんば、更に何を待たん!」と。袁術大いに怒り、喝して曰く、「俺が大臣、尚自(な)ほ謙讓す、量るに一縣令手下の小卒、安んぞ敢て此に於て耀武揚威(ようぶようい)せん!都て與(とも)に帳を趕(お)ひ出せ!」と。曹操、曰く、「功を得る者は賞す、何ぞ貴賤を計(はか)らんや?」と。袁術、曰く、「既に公等只(た)だ一縣令を重んずるならば、我當に告退すべし。」と。操、曰く、「豈一言に因りて大事を誤る可けんや?」と。公孫瓚に命じて且く玄德、關、張を帶て寨に回らしむ。衆官皆散ず。曹操、暗に人を使して牛酒を齎(もたら)し三人を撫慰す。
却說、華雄手下の敗軍、關に報じ上る。李肅、慌忙として告急の文書を書き、董卓に申聞す。卓、急ぎ李儒、呂布等を聚めて商議す。儒、曰く、「今、上將華雄を失ひ、賊勢浩大なり。袁紹を盟主と為し、紹の叔父袁隗、現に太傅と為る。倘し或いは裏應外合せば、深く為に不便なり。先づ之を除かる可し。請はくは丞相、親(みずか)ら大軍を領し、分撥して剿捕せん。」と。卓、其の説を然(しか)りと為し、李催、郭汜を喚び、兵五百を領し、太傅袁隗の家を圍み、老幼を分たず、盡く皆誅絕し、先づ袁隗の首級を將て關前に往き號令す。卓、遂に兵二十萬を起し、兩路に分けて來る。一路、先づ李催、郭汜に令して、兵五萬を引て、汜水關を把(と)らへ、厮殺(しそう)する勿かれ。卓自ら十五萬を將て、李儒、呂布、樊稠、張濟等と虎牢關を守る。此の關、洛陽を離るること五十里。軍馬關に到る、卓、呂布に令して三萬大軍を領し、關前に往きて大寨を紮(は)らしむ。卓、自ら關上に屯住す。
流星馬、探聽し得て、袁紹大寨の中に報じて來る。紹、衆を聚めて商議す。操、曰く、「董卓、虎牢に兵を屯し、俺が諸侯の中路を截(き)る、今、兵を勒(ろく)して半ば敵を迎えん。」と。紹、乃ち王匡、喬瑁、鮑信、袁遺、孔融、張楊、陶謙、公孫瓚、八路の諸侯を分ち、虎牢關に往き敵を迎へしむ。操、軍を引て往來して救應す。八路の諸侯、各自兵を起す。河內太守王匡、兵を引て先づ到る。呂布、鐵騎三千を帶び、飛んで奔り來り迎ふ。王匡、將軍馬を列ね陣勢を成し、馬を勒めて門旗の下に看る時、呂布出陣するを見る、頭に三叉束髮紫金冠を戴き、體に西川紅錦百花袍を挂け、身に獸面呑頭連環鎧を披(き)、腰に勒甲玲瓏獅蠻帶を繫(つな)ぎ、弓箭身に隨(したが)ひ、手に畫戟を持し、坐下に嘶風(しふう)赤兔馬、果して是れ人中(じんちゅう)の呂布、馬中(ばちゅう)の赤兔なり!
王匡、頭を回(めぐ)らして問ひて曰く、「誰か敢て出戰せん?」と。後面の一將、馬を縱(はな)ち鎗を挺(も)ちて出で來る。匡之を視るに、乃ち河內名將方悅なり。兩馬相交はる、五合を無く、呂布、一戟を以て馬下に刺し、戟を挺(も)ち直に衝(つ)き來る。匡軍、大敗し、四散して奔走す。布、東西に衝殺し、無人の境に入るが如し。幸ひ喬瑁、袁遺兩軍皆至り、來りて王匡を救ひ、呂布方に退く。三路の諸侯、各些(すこ)しばかりの人馬を折られ、三十里退きて寨を下す。隨後五路の軍馬都到り、一處に商議し、呂布英雄、以て敵する可き者無しと言ふ。
正に慮る間に、小校來り報ず、「呂布搦戰す。」と。八路の諸侯、一齊に馬に上り、軍を八隊に分ち、布を岡に高(あ)ぐ。遙に呂布の一簇の軍馬を望むに、繡旗招颭(しょうせん)、先づ來りて陣を衝(つ)く。上黨太守張楊の部將穆順、出馬して鎗を挺(も)ちて迎戰す、呂布、手戟を起し一戟を以て、馬下に刺さる。衆大いに驚く。北海太守孔融の部將武安國、鐵槌(てっつい)を使ひ馬を飛ばし出で來る。呂布、戟を揮(ふる)ひ馬を拍(う)ち來り迎ふ。戰ふこと十餘合に至り、一戟を以て安國の手腕を砍斷し、槌を地を棄てて走る。八路の軍兵、齊しく出で、武安國を救ふ。呂布退きて去る。衆諸侯寨に回(かへ)り商議す。曹操、曰く、「呂布、英勇無敵なり、十八路の諸侯を會し、共に良策を議る可し。若し呂布を擒(とら)へれば、董卓、誅し易からん。」と。
正に議する間に、呂布、復(ま)た兵を引て搦戰す。八路の諸侯、齊しく出(い)づ。公孫瓚、槊を揮(ふる)ひ親(みずか)ら呂布と戰ふ。戰ふこと數合を不計にして、瓚敗走す。呂布、赤兔馬を縱(はな)ち趕(お)ひ來る。其の馬、日(ひ)に千里を行き、飛走すること風の如し。看看(みすみす)趕ひ上る、布、畫戟を舉(あ)げて瓚の後心(こうしん)を望み、便(すなは)ち刺さんとす。旁邊の一將、圓睜環眼、倒豎虎鬚、丈八蛇矛を挺(も)ち、馬を飛ばし大叫して曰く、「三姓の家奴、休走!燕人張飛此に在り!」と。
呂布、之を見て、公孫瓚を棄て、便ち張飛と戰ふ。飛、精神を抖擻(とうそう)し、酣(たけなわ)に呂布と戰ふ。連ねて五十餘合を鬥ひ、勝負を分(わ)けず。雲長、之を見て、馬を一拍し、八十二斤の青龍偃月刀を舞(ま)はし、來りて呂布を夾攻(きょうこう)す。三匹の馬丁字兒(ていじし)に厮殺す。戰ふこと三十合に至る、呂布を戰い倒さず。劉玄德、雙股劍を掣(ひ)き、黃鬃馬を驟(はし)らせ、斜(なな)め裏(うら)より來りて助戰す。
此の三つ、呂布を圍み住(とど)め、轉灯兒(てんとうじ)の如く厮殺す。八路の人馬、都て見て呆(ほう)とす。呂布、架隔(かかく)遮攔(しゃらん)定(さだ)まらず、玄德の面を看(み)て、虚(むな)しく一戟を刺せば、玄德、急ぎ閃(ひら)めく。呂布、陣角を蕩(はら)ひ開き、畫戟を倒拖し、馬を飛ばし便ち回(かえ)る。三つ、那(いづ)くにか捨(す)てんことを肯(うべな)はんと、馬を拍(う)ち趕ひ來る。八路の軍兵、喊聲大いに震ひ、一齊に掩殺す。呂布軍馬、關上に望んで奔走す。玄德、關、張、隨後趕ひ來る。古人曾て一篇の言語有り、單(ひとえ)に玄德、關、張の三つ、呂布と戰ふを道(い)ふ。
漢朝天數當桓靈,炎炎紅日將西傾。
奸臣董卓廢少帝,劉協懦弱魂夢驚。
曹操傳檄告天下,諸侯奮怒皆興兵。
議立袁紹作盟主,誓扶王室定太平。
溫侯呂布世無比,雄才四海誇英偉。
護軀銀鎧砌龍鱗,束髮金冠簪雉尾。
參差寶帶獸平吞,錯落錦袍飛鳳起。
龍駒跳踏起天風,畫戟熒煌射秋水。
出關搦戰誰敢當?諸侯膽裂心惶惶。
踴出燕人張翼德,手持蛇矛丈八鎗。
虎鬚倒豎翻金線,環眼圓睜起電光。
酣戰未能分勝敗,陣前惱起關雲長。
青龍寶刀燦霜雪,鸚鵡戰袍飛蛺蝶。
馬蹄到處鬼神嚎,目前一怒應流血。
梟雄玄德掣雙鋒,抖擻天威施勇烈。
三人圍繞戰多時,遮攔架隔無休歇。
喊聲震動天地翻,殺氣迷漫牛斗寒。
呂布力窮尋走路,遙望山塞拍馬還。
倒拖畫桿方天戟,亂散銷金五彩旛。
頓斷絨縧走赤兔,翻身飛上虎牢關。
漢朝の天數、桓靈に當たり、炎炎たる紅日、將に西に傾かんとす。
奸臣董卓、少帝を廢し、劉協、懦弱にして魂夢に驚く。
曹操、檄を傳へて天下に告ぐれば、諸侯、奮怒して皆兵を興す。
議して袁紹を立てて盟主と為し、誓ひて王室を扶け、太平を定めんとす。
溫侯呂布、世に比ぶる無く、雄才四海に英偉を誇る。
軀を護る銀鎧、龍鱗を砌(きず)き、髮を束ねる金冠、雉尾を簪(さ)す。
參差(しんし)たる寶帶は、獸、平吞(へいどん)し、錯落(さくらく)たる錦袍は、飛鳳(ひほう)起つ。
龍駒、跳踏(ちょうとう)して天風を起こし、畫戟、熒煌(けいこう)として秋水を射る。
關を出でて搦戰(かくせん)す、誰か敢て當(あた)らん?諸侯、膽裂(たんれつ)し心惶惶(こうこう)たり。
踴り出でたる燕人張翼德、手には蛇矛丈八鎗を持(じ)す。
虎鬚、倒(さか)さまに豎(た)ちて金線を翻(ひるがえ)し、環眼、圓睜して電光を起こす。
酣戰(かんせん)して未だ勝敗を分(わ)くる能(あた)はず、陣前、惱(いらだ)ちて關雲長を起こす。
青龍寶刀、霜雪の如く燦(きら)めき、鸚鵡戰袍(おうむせんぽう)、蛺蝶(ちょう)の如く飛ぶ。
馬蹄、到る處、鬼神嚎(さけ)び、目前、一怒(いちど)して血を流すべし。
梟雄玄德、雙鋒を掣(ひ)き、天威を抖擻(とうそう)して勇烈を施す。
三人圍繞して戰ふこと多時、遮攔(しゃらん)架隔(かかく)、休歇(きゅうけつ)無し。
喊聲(かんせい)震動して天地翻(ひるがえ)り、殺氣迷漫(びまん)して牛斗(ぎゅうと)寒し。
呂布、力窮まりて走路を尋(もと)め、遙に山塞(さんさい)を望み馬を拍(う)ちて還(かえ)る。
倒拖(とうだ)せる畫桿(がかん)方天戟(ほうてんげき)、亂れ散る銷金(しょうきん)五彩旛(ごさいはん)。
頓(とみ)に絨縧(じゅうとう)を斷ちて赤兔(せきと)走り、身を翻(ひるがえ)して虎牢關(ころうかん)に飛び上(あ)がる。
三つ、直に呂布を趕ひて關下に到り、關上、西風、青羅傘蓋を飄動するを見る。張飛、大叫して曰く、「此れ必ず董卓なり!呂布を追ふに甚だ強處有る無し!如かず先づ董賊を拿(とら)へん、便ち斬草除根なる!」と。馬を拍ち關に上り、來りて董卓を擒(とら)へんとす。是れ正に、
賊を擒(とら)ふるには須く賊首を擒(とら)ふべし、奇功端的に奇人を待つ。
未だ勝負如何なるかを知らず、且(しばら)く下文分解を聽け。
第六回 金闕を焚き董卓兇を行い、玉璽を匿し孫堅約に背く
却説、張飛、馬を拍ちて関下に趕ひ到れば、関上、矢石雨の如く、進むを得ずして回る。八路の諸侯、共に玄徳、関、張を請じて功を賀し、人を使はして袁紹の寨中に捷を報ず。紹遂に檄を孫堅に移し、其の兵を進めしむ。堅、程普、黄蓋を引い、袁術の寨中に到り相見ゆ。堅、杖を以て地に画して曰く、「董卓と我とは、本讎隙無し。今我、身を顧みず、親ら矢石を冒し、來て死戦を決するは、上は国家の為に賊を討ち、下は将軍家門の私なり。而るに将軍却って讒言を聴き、糧草を発せず、堅をして敗績せしむ。将軍、何ぞ安きや!」と。術惶恐して言無く、讒を進めし人を斬り、以て孫堅に謝せしむ。忽ち人有りて堅に報じて曰く、「関上に一将有り、馬に乗りて寨中に來り、将軍に相見えんと欲す。」と。堅、袁術に辞し、本寨に帰り、喚び來りて問ふ時、乃ち董卓の愛将李傕なり。堅曰く、「汝來りて何為る?」と。傕曰く、「丞相の敬する所は、惟だ将軍のみ。今特に傕を遣はし來て親を結ばんとす。丞相に女有り、将軍の子に配せんと欲す。」と。堅大いに怒り、叱りて曰く、「董卓、天に逆ひ無道、王室を蕩覆す。吾、其の九族を夷ぼし、以て天下に謝せん。安くんぞ逆賊と親を結ばんや!吾汝を斬らず!汝、当に速く去り、早早と関を献ぜよ。汝が性命を饒さん。倘し遅誤せば、粉骨砕身せん!」と。
李傕、頭を抱へて鼠竄し、回りて董卓に見え、孫堅の如此く無礼なるを説く。卓怒り、李儒に問ふ。儒曰く、「温侯新に敗れ、兵に戦心無し。若くは兵を引いて洛陽に帰り、帝を長安に遷し、以て童謡に応ずべし。近日街市の童謡に曰く、『西頭一個の漢、東頭一個の漢。鹿長安に入り、方に斯の難無かるべし。』と。臣思ふに此の言、『西頭一個の漢』は、乃ち高祖の西都長安に旺んにして、一十二帝を伝ふるに応じ、『東頭一個の漢』は、乃ち光武の東都洛陽に旺んにして、今亦一十二帝を伝ふるに応ず。天運合して回る、丞相、長安に遷回すれば、方に虞い無かる可し。」と。卓大いに喜びて曰く、「汝の言に非ずんば、吾実に悟らざらん。」と。遂に呂布を引いて星夜洛陽に帰り、遷都を商議す。文武を朝堂に聚め、卓曰く、「漢の東都洛陽、二百余年、気数已に衰ふ。吾が観るに旺気は実に長安に在り。吾、駕を奉じて西幸せんと欲す。汝等各宜しく装を促せ。」と。
司徒楊彪曰く、「関中、残破零落す。今故無く宗廟を捐て、皇陵を棄つれば、恐らくは百姓驚動せん。天下之を動かすは至りて易く、之を安んずるは至りて難し。望むらくは丞相、鑒察せられん。」と。卓怒りて曰く、「汝、国家の大計を阻むか耶?」と。太尉黄琬曰く、「楊司徒の言是なり。往者、王莽篡逆し、更始赤眉の時、長安を焚焼し、尽く瓦礫の地と為り、更に人民流移し、百に一二無きのみ。今、宮室を棄てて荒地に就くは、宜しき所に非ず。」と。卓曰く、「関東に賊起り、天下播乱す。長安に崤函の険有り、更に隴右に近く、木石磚瓦、剋日を期して弁ず可く、宮室營造、月余を須ゐず。汝等、再休めよ乱言すべからず。」と。司徒荀爽諫めて曰く、「丞相、若し遷都せんと欲すれば、百姓騒動して寧からざるのみ。」と。卓大いに怒りて曰く、「吾、天下の計を為す、豈に小民を惜しまんや!」と。即日、楊彪、黄琬、荀爽を罷めて庶民と為す。
卓、車に上ずるに出で、只二人、車に望み揖するを見る。之を視るに、乃ち尚書周毖、城門校尉伍瓊なり。卓、問ひて何事有るやと、毖曰く、「今、丞相、長安に遷都せんと欲すると聞く、故に来りて諫むるなり。」と。卓大いに怒りて曰く、「我、始初汝等二人の聽き、袁紹を用ゐしを保す。今、紹已に反せり。是れ汝等が一党なり!」と。武士に叱りて都門に推出して斬首せしむ。遂に遷都を令し、來日便ち行かんと限る。李儒曰く、「今、銭糧缺少す。洛陽富戶極めて多し。籍没して官に納る可し。是に袁紹等門下に於ては、其の宗党を殺して其の家貲を抄すれば、必ず巨萬を得ん。」と。卓即ち鉄騎五千を差はし、遍く洛陽富戶を捉拏し、共に数千家、旗を頭に挿し、「反臣逆党」と大書し、尽く城外に於て斬り、其の金貲を取る。李傕、郭汜、尽く洛陽の民数百万口を駆り、前に長安に赴く。每に百姓一隊、間に軍一隊、互いに拖押し、溝壑に死する者、勝げて数ふ可からず。又、軍士を縦にして人妻女を淫らし、人の糧食を奪ふ。啼哭の聲、天地を震動す。如し行くこと遅き者有らば、背後、三千の軍、催督し、軍、白刃を執り、路に於て人を殺す。卓、臨み行かんと、諸門に教へて火を放ち、居民房屋を焚焼し、並びに火を放ち宗廟宮府を燒く。南北兩宮、火焰相接し、洛陽宮庭、尽く焦土と為る。又、呂布を差して先皇及び后妃の陵寝を発掘し、其の金宝を取らしむ。軍士、勢に乗じて官民の墳塚を掘り殆ど尽くす。董卓、金珠緞疋の好物数千余車を装載し、天子並びに后妃等を劫かし、竟に長安を望みて去る。
却説、卓将趙岑、卓、已に洛陽を棄てて去るを見るに、便ち汜水関を献ず。孫堅、兵を駆り先に入り、玄徳、関、張、虎牢関に殺し入れば、諸侯、各軍を引いて入る。
且く説くに、孫堅、飛奔して洛陽に赴き、遙かに火焰、天に衝き、黒煙、地に鋪き、二三百里、並びに鶏犬人煙無し。堅、先づ兵を発して火を救滅し、衆諸侯に令して各荒地に於いて軍馬を屯住せしむ。曹操來りて袁紹に見えて曰く、「今、董賊西に去る、正に勢に乗じて追襲す可し。本初、兵を按へて動かざるは何るや?」と。紹曰く、「諸兵疲困す。進むも恐らくは益無し。」と。操曰く、「董賊、宮室を焚燒し、天子を劫遷すれば、海内震動し、帰する所を知らず。此れ天亡の時なり。一戦にして天下定まるのみ。諸侯、何ぞ疑ひて進まざるや?」と。衆諸侯、皆軽動す可からずと言ふ。操、大いに怒りて曰く、「豎子は与に謀るに足らざるなり!」と。遂に自ら兵万余を引い、夏侯惇、夏侯淵、曹仁、曹洪、李典、楽進を領し、星夜、董卓を趕んと來る。
且く説くに、董卓、滎陽の地方に到る、太守徐栄出でて接す。李儒曰く、「丞相、新に洛陽を棄つ。追兵有るを防ぐべし。徐栄に教へて滎陽城外山塢の旁に兵を伏せしむ可し。若し兵の追ひ来る有らば、竟に放ち過ぎしむ可し。我が此に於いて殺し敗るを待ち、然る後截りて掩殺す。後より来る者をして復追ふこと敢へざらしむ。」と。卓、其の計に從ひ、又、呂布に令して精兵を引いて後へを断たしむ。布、正に行間の、曹操の一軍趕ひ上る。呂布、大笑して曰く、「李儒の料るところを出でずや!」と。将に軍馬を擺き開かんとす。曹操、出馬して大叫して曰く、「逆賊、天子を劫遷し、百姓を流徙す。将に何くにか往かんと欲するや?」と。呂布、罵りて曰く、「主に背く懦夫、何ぞ妄言するを得ん!」と。夏侯惇、鎗を挺ち馬を躍らし、直に呂布を取る。戦ふこと數合を不計にして、李傕、一軍を引い、左邊より殺し來る。操、急ぎ夏侯淵に令して敵を迎えしむ。右邊、喊聲又起り、郭汜、軍を引いて殺し到る。操、急ぎ曹仁に令して敵を迎へしむ。三路の軍馬、勢ひ当る可からず。夏侯惇、呂布に抵敵し住まらず、馬を飛ばして陣に回る。布、鉄騎を引いて掩殺すれば、操軍大いに敗れ、滎陽を回りて走る。走りて一荒山の脚下に至る。時、約二更、月明らかにして昼の如し。方に残兵を聚集す。
正に鍋を埋めて飯を造らんと欲するに、只四囲の喊聲を聴き、徐栄の伏兵尽く出づ。曹操、慌忙として馬を策ち、路を奪い奔逃すれば、正に徐栄と遇ひ、転身して便ち走る。栄、箭を搭へ、操の肩膊を射中る。操、箭を帯びて逃命し、山坡を転り過ぐ。二人の軍士、草中に伏し、操の馬の來るを見るや、二鎗を齊しく発すれば、操の馬、鎗に中りて倒る。操、翻身落馬し、二卒に擒へ住めらる。只一将の馬を飛ばして來り、刀を揮ひて二人の步軍を砍り死し、馬を下りて曹操を救ひ起すを見る。操之を視るに、乃ち曹洪なり。操曰く、「吾、此に於て死せん。賢弟、速やかに去る可し!」と。洪曰く、「公、急ぎ馬に上ぜよ!洪、願はくは步行せん。」と。操曰く、「賊兵趕ひ上らば、汝将に奈何せん。」と。洪曰く、「天下、洪無きも可なれ、公無き可からざるのみ。」と。操曰く、「吾、若し再生せば、汝の力なり。」と。操、馬に上ずれば、洪、衣甲を脱ぎ去り、刀を拖き馬に跟ひて走る。約四更余に走り至り、只前面に一条の大河有り、行く路を阻み住むるを見る。後面、喊聲漸く近づく。操曰く、「命、已に此に至る。復活くるを得ざるのみ!」と。洪、急ぎ操を扶け馬を下ろし、袍鎧を脱ぎ去り、操を負うて水を渡る。纔かに彼岸を過ぐれば、追兵、已に到り、水を隔てて箭を放つ。操、水を帯びて走る。天の明くるに比び、又三十余里走り、土岡の下に少し歇む。忽然と喊聲起る處、一彪の人馬趕ひ來る。却って徐栄、上流より河を渡り來たりて追ふなり。
操、正に慌急の間に、只夏侯惇、夏侯淵、十数騎を引いて飛び至り、「徐栄、吾が主を傷る勿れ!」と大喝す。徐栄、便ち夏侯惇に奔り、惇、鎗を挺ち來り迎ふ。馬を交へ数合、惇、徐栄を馬下に刺し、余兵を殺し散らす。随後、曹仁、李典、楽進、各兵を引いて尋ね到り、曹操を見るに、憂喜交集す。残兵五百余人を聚集し、共に河内に回る。卓兵自ら長安に往く。
却説、衆諸侯、洛陽に分屯す。孫堅、宮中の余火を救滅し、城内に兵を屯し、建章殿の基の上に帳を設く。堅、軍士に令して宮殿の瓦礫を掃除せしむ。凡そ董卓の掘りし陵寝、尽く皆掩閉す。太廟の基の上に於て、草創して殿屋三間を造り、衆諸侯を請じて列聖の神位を立て、太牢を宰り之を祀る。祭畢り、皆散ず。堅、寨中に帰れば、是の夜、星日交輝す。乃ち剣を按へ露座し、仰ぎて天文を観る。紫微垣中、白気漫漫たるを見るや、堅歎じて曰く、「帝星明らかならず、賊臣国を乱し、万民塗炭し、京城一空なり!」と。言訖りて、不覺涙下る。傍らに軍士有り、指して曰く、「殿南に五色の豪光井中より起る。」と。堅、軍士を喚び、火把を点し起て、井を下り打撈せしむ。撈い起げたるは、婦人の屍首なり。雖然も日久しく、其の屍爛れず、宮様の装束、項下に錦嚢を帯ぶ。取り開き看るに、内に硃紅の小匣有り、金鎖を用いて鎖す。之を啟視すれば、乃ち一玉璽なり。方円四寸、上に五龍交紐を鑴り、旁ら一角欠け、黄金を以て之を鑲む。上に篆文八字有りて云ふ、「天に命を受け、既に壽永昌なり」と。
堅、璽を得て、乃ち程普に問ふ。普曰く、「此れは伝国璽なり。此の玉は是れ昔日卞和荊山の下に於いて、鳳凰の石上に棲むを見るや、載せて之を楚文王に進む。之を解けば、果たして玉を得たり。秦の二十六年、玉工をして璽と為らしめ、李斯此の八字を其の上に篆す。二十八年、始皇、巡狩して洞庭湖に至れば、風浪大いに作り、舟将に覆らんとす。急ぎ玉璽を湖に投げて止む。三十六年に至り、始皇、巡狩して華陰に至れば、人有りて璽を持し道を遮り、従者に与えて曰く、『此を将ちて祖龍に還せ。』と。言訖りて見えず。此の璽、復秦に帰す。明年、始皇崩ず。後の子嬰、玉璽を漢の高祖に献ず。後王莽の篡逆に至り、孝元皇太后、璽を王尋、蘇献に打ち、其の一角を崩し、金を以て之を鑲む。光武、此の宝を宜陽に得て、位を今に至るまで伝ふ。近く十常侍の乱を作し、少帝を劫かし北邙を出でしめ、回宮して此の宝を失ふと聞く。今、天、主公に授くるは、必ず九五に登るの分有るなり。此の処、久留す可からず。宜しく速やかに江東に回り、別に大事を圖るべし。」と。堅曰く、「汝の言、正に吾が意に合す。明日便ち当に疾に託け辞を告げ帰るべし。」と。商議已に定め、密かに軍士に諭して洩漏することを得ざらしむ。
誰か想はむ、数中の一軍、是れ袁紹の郷人なり。此を假り以て進身の計と為さんとし、連夜、営寨を偷み出で、袁紹に報ぜんと來る。紹之に賞賜を与へ、暗かに軍中に留む。次の日、孫堅、來て袁紹に辞を告げて曰く、「堅、小疾を抱き、長沙に帰らんと欲す。特に來て公に別る。」と。紹、笑ひて曰く、「吾、公の疾は乃ち伝国璽を害するを、知りぬ。」と。堅、失色して曰く、「此の言、何くより來る?」と。紹曰く、「今、民を興して賊を討ち、国の害を除かんとす。玉璽は乃ち朝廷の宝なり。公、既に獲得せば、当に衆に対して盟主の処に留め、董卓を誅するを待ち、復朝廷に帰すべし。今、之を匿して去らんとするは、意何をか欲せん?」と。堅曰く、「玉璽、何に由りて吾が処に在る?」と。紹曰く、「建章殿井中の物、何くに在る?」と。堅曰く、「吾、本之無し。何ぞ強ひて相逼るや?」と。紹曰く、「作速に取り出せ。自ら禍を生ずるを免れん。」と。堅、天を指して誓ひて曰く、「吾若し果して此の宝を得て、私かに自ら蔵匿せば、異日、善終を得ず、刀箭の下に死せん!」と。衆諸侯曰く、「文台、如此く誓ひを説けば、想ふに必ず之無からん。」と。紹、軍士を喚び出でて曰く、「打撈の時、此の人有りや否や?」と。堅、大いに怒り、所佩の剣を拔きて、那の軍士を斬らんと欲す。紹も亦剣を拔きて曰く、「汝、軍士を斬るは、乃ち我を欺くなり。」と。紹の背後、顔良、文醜、皆剣を鞘より抜き出づ。堅の背後、程普、黄蓋、韓当、亦刀を掣きて手に在り。衆諸侯、一齊に住むるを勧む。堅、随即に馬に上り、寨を拔きて洛陽を離れて去る。紹、大いに怒り、遂に書一封を書き、心腹の人を差はし連夜に荊州に往き、刺史劉表に送り、路に於いて截へ奪うことを教へしむ。
次の日、人報じて曹操董卓を追ひ、滎陽に於いて戦ひ、大敗して回ると。紹、人をして寨中に接き至らしめ、衆を会めて酒を置き、操と悶を解かしむ。飲宴の間、操、歎きて曰く、「吾、始め大義を興し、国の為に賊を除かんとす。諸公、既に義を仗みて來る。操の初の意は、本初に煩はして河内の衆を引き、孟津、酸棗に臨ましめ、諸君は固く成皋を守り、廒倉に拠り、轘轅、大谷を塞ぎ、其の険要を制せしめ、公路は南陽の軍を率い、丹、析に駐し、武関に入り、以て三輔を震はす。皆深溝高壘し、戦ふ勿れ。益々疑兵と為し、天下に形勢を示し、以て誅逆を順じ、定める可きのみ。今、遲疑して進まず、大いに天下の望を失ふ。操、竊かに之を恥づ!」と。紹等、言して対ふる可き無し。既にして席散ずれば、操、紹等の各異心を懐くを看て、事を成す能はざるを料り、自ら軍を引いて揚州に投じて去る。公孫瓚謂ひ玄徳、関、張に曰く、「袁紹、能為る所無き也。久しく必ず変有らん。吾等且く歸らん。」と。遂に寨を拔きて北行す。平原に至り、玄徳をして平原相と為さしめ、自ら去りて地を守り軍を養ふ。兗州太守劉岱、東郡太守喬瑁に問ひ粮を借らしむ。瑁、推辭して与へず。岱、軍を引いて突入し、瑁が営に突入し、喬瑁を殺死し、尽く其の衆を降す。袁紹、衆人の各分分散するを見て、就て兵を領して寨を拔き、洛陽を離れ、関東に投じて去る。
却説、荊州刺史劉表、字は景升、山陽高平の人也。乃ち漢室の宗親。幼より好んで結納し、名士七人と友と為り、時号して「江夏八俊」と為す。其の七人とは、汝南陳翔、字は仲麟。同郡范滂、字は孟博。魯国孔昱、字は世元。渤海范康、字は仲真。山陽檀敷、字は文友。同郡張儉、字は元節。南陽岑晊、字は公孝なり。劉表、此の七人と友を為し、延平の人、蒯良、蒯越、襄陽の人、蔡瑁を以て輔と為す。當時袁紹の書を見て、随て蒯越、蔡瑁に令して兵一萬を引いて孫堅を截ぜしむ。堅軍方に到る、蒯越将に陣を擺き開け、當先して出馬す。孫堅問ひて曰く、「蒯異度、何が故に兵を引いて吾が去る路を截むや?」と。越曰く、「汝既に漢臣と為れば、如何ぞ私に伝国の宝を匿すや?速やかに留下し、汝を帰さしめん!」と。堅、大いに怒り、黄蓋に命じて出戦せしむ。蔡瑁、刀を舞はし來り迎ふ。鬥ふこと数合に到れば、黄蓋、鞭を揮ひ瑁を打ち、正に護心鏡に中る。瑁、馬を撥り回して走る、孫堅、勢に乗じて界口を殺し過ぐ。山背後、金鼓齊鳴す、乃ち劉表、親ら軍を引いて到る。孫堅、就ち馬上にて礼を施して曰く、「景升、何が故に袁紹の書を信じて、相逼り鄰郡を責むや!」と。表曰く、「汝、伝国璽を匿し、将に反せんと欲するや?」と。堅曰く、「吾、若し此の物有らば、刀箭の下に死せん!」と。表曰く、「汝、若し我をして聽き信ぜしめんと欲せば、随軍の行李を、任せて我に搜看せしめん。」と。堅怒りて曰く、「汝、何れの力有るや、敢て我を小覷する!」と。方まさに兵を交へんと欲すれば、劉表、便ち退く。堅、馬を縦て趕ひ去れば、兩山後、伏兵齊しく起り、背後、蒯越、蔡瑁、趕ひ來り、孫堅を垓心に困む。是れ正に、
玉璽得來て用ひる處無く、反て此の宝に因りて刀兵を動かす。
畢竟孫堅、怎地(いかん)が脱身せんとするや。且く下文分解を聽け。
第七回 袁紹磐河に公孫と戦い、孫堅跨江して劉表を撃つ 下一回▶
却説、孫堅、劉表に囲まれ住められ、虧(か)く程普、黄蓋、韓当の三将、死を救うを得て脱し、兵を大半を折(へ)し、路を奪い兵を引いて江東に回る。此より孫堅と劉表、怨を結ぶ。
且説、袁紹、兵を河内に屯し、糧草を缺少す。冀州牧韓馥、人を遣し糧を送りて以て軍用に資(たす)く。謀士逢紀、紹に説いて曰く、「大丈夫、縦横天下、何ぞ人の糧を送るを待って食と為さんや?冀州は乃ち銭糧廣盛の地、将軍、何ぞ之を取らざるや?」と。紹曰く、「未だ良策有らず。」と。紀曰く、「暗に人を使はし書を公孫瓚に馳せしめ、兵を進め冀州を取らしめ、以て夾攻を約せば、瓚必ず兵を興さん。韓馥は無謀の輩、必ず将軍に請じて州事を領せしめん。就中(しゅうちゅう)事を取り、唾手(だしゅ)にて得る可し。」と。紹大いに喜び、即ち書を発して瓚の処に到らしむ。瓚書を得、共に冀州を攻め、其の地を平分せんと言うを見るに、大いに喜び、即日兵を興す。紹却って人を使わし密かに韓馥に報ず。馥、慌てて荀諶、辛評の二謀士を聚めて商議す。諶曰く、「公孫瓚、燕、代の衆を将て、長駆して來たらば、其の鋒、当る可からず。兼ねて劉備、関、張之を助くる有り、以て抵敵し難し。今、袁本初は智勇人より過ぎ、手下の名将極めて廣し。将軍、彼に請じて同じく州事を治めしむ可し。彼必ず将軍を厚く待遇し、公孫瓚の患い無きのみ。」と。韓馥、即ち別駕関純を差わし袁紹に請(こ)わしむ。長史耿武、諫めて曰く、「袁紹は孤客窮軍、我が鼻息を仰ぎ、譬えば嬰兒の股掌の上にあるが如し、其の乳哺(にゅうほ)を絶てば、立どころに餓死す可し。奈何ぞ州事を委ねんと欲するや?此れ虎を引いて羊群に入れるなり。」と。馥曰く、「吾は乃ち袁氏の故吏、才能又本初に如かず。古者賢者を選んで之を譲ると云ふ、諸君、何ぞ嫉妬するや?」と。耿武、歎じて曰く、「冀州休(や)まんかな!」と。是に於て職を棄てて去る者三十余人。独り耿武と関純、城外に伏して、以て袁紹を待つ。数日後、紹、兵を引いて至る。耿武、関純、刀を拔きて出で、紹を刺殺せんと欲す。紹将顔良、立どころに耿武を斬り、文醜、関純を砍り殺す。紹、冀州に入り、馥を以て奮威将軍と為し、田豊、沮授、許攸、逢紀をして州事を分掌せしめ、韓馥の権を尽く奪う。馥、懊悔するも及ぶ所無く、遂に家小を棄て、匹馬往き陳留太守張邈に投ず。
却説、公孫瓚、袁紹已に冀州を拠ると知り、弟公孫越を遣わし來たり紹に見え、其の地を分かたんと欲す。紹曰く、「汝兄をして自ら來たらしむ可し。吾に商議有り。」と。越、辞して帰る。行くこと五十里に足らざる、道旁より一彪の軍馬閃き出で、口に称して「我は乃ち董丞相の家将なり!」と。乱箭を射て公孫越を死せしむ。従人、逃げ帰り公孫瓚に見え、越已に死すと報ず。瓚、大いに怒りて曰く、「袁紹、我を誘ひて兵を起し韓馥を攻めしめ、彼は却って就裏(しゅうり)事を取り、今又董卓の兵を詐り、吾が弟を射殺す。此の冤、如何ぞ報ぜざるを得ん!」と。尽く本部兵を起し、殺奔して冀州に来る。紹、瓚の兵至るを知り、亦軍を領じて出づ。二軍、磐河の上に会す。紹軍は磐河橋の東に於いて、瓚軍は橋の西に於いてなり。瓚、馬を橋上に立て、大呼して曰く、「背義の徒、何ぞ敢えて我を売る!」と。紹も亦馬を策て橋邊に至り、瓚を指して曰く、「韓馥、才無きに、冀州を吾に譲らんことを願ふ、爾(なんじ)と何ぞ干(かん)する?」と。瓚曰く、「昔日、汝を以て忠義と為し、推して盟主と為す。今の所為、真に狼心狗行の徒、何の面目か世に立つるを得ん!」と。袁紹、大いに怒りて曰く、「誰か之を擒(とら)うる可きか?」と。
言未だ畢らざるに、文醜、馬を策て鎗を挺ち、直に橋に殺し上る。公孫瓚、橋邊に就き文醜と交鋒す。戦ふこと十余合に足らざる、瓚、抵擋し住むを得ず、敗陣して走る。文醜、勢に乗じて追趕す。瓚、陣中に走り入り、文醜、馬を飛ばし逕に中軍に入り、往来衝突す。瓚手下の健将四員、一斉に迎戦す。文醜、一鎗を以て一将を下馬に刺し、三将俱に走る。文醜、直に公孫瓚を趕ひ出陣後、瓚、山谷を望みて逃る。文醜、馬を驟(はし)らせ厲聲(れいせい)大叫して曰く、「快く馬を下りて降伏を受けよ!」と。瓚、弓箭尽く落し、頭盔墮地に、髪を披き馬を縦(ほしいまま)にし、山坡を奔転す。其の馬、前失し、瓚、翻身して坡の下に落つ。文醜、急ぎ槍を捻(ひね)り來り刺さんとす。忽ち草坡の左側より一人の少年将軍の転り出で、馬を飛ばし槍を挺ち、直に文醜を取る。公孫瓚、坡に上り行き、其の少年を看る。生を得たること身長八尺、濃眉大眼、闊面重頤、威風凛凛、文醜と大いに戦ふこと五六十合、勝負未だ分かれず。瓚部下の救軍到り、文醜、馬を撥ねて回去了。那の少年も亦追趕せず。瓚、忙しく土坡を下り、那の少年の姓名を問ふ。那の少年、欠身して答へて曰く、「某は乃ち常山真定の人なり。姓は趙、名は雲、字は子龍。本、袁紹轄下の人。紹の忠君救民の心無きを見るに因り、故に特に彼を棄てて麾下に投じ、此の処に於いて相見ゆるを期せざるなり。」と。瓚大いに喜び、遂に同じく寨に帰り、甲兵を整頓す。
次日、瓚、軍馬を将(ひき)い、左右両隊に分作し、勢ひ羽翼の如し。馬五千余匹、大半皆是れ白馬なり。公孫瓚、曾て羌人と戦ひ、尽く白馬を選んで先鋒と為し、号して「白馬将軍」と為す。羌人、但だ白馬を見れば便ち走る、此に因り白馬極めて多し。袁紹、顏良、文醜をして先鋒と為し、各弓弩手一千を引かしめ、亦左右両隊に分作し、左に在る者に公孫瓚の右軍を射さしめ、右に在る者に公孫瓚の左軍を射さしむ。更に麴義をして八百弓手を引かしめ、步兵一万五千、陣中に列せしむ。袁紹自ら馬步軍数万を引いて、後に於いて接應す。公孫瓚、初め趙雲を得、心腹を知らず、其をして別に一軍を領し後に在らしむ。大将厳綱を遣して先鋒と為す。瓚自ら中軍を領し、馬を橋上に立て、傍らに大紅の圏に金線の「帥」字旗を馬前に豎(た)つ。辰時より鼓を擂(う)ち、巳時に至るまで、紹軍進まず。麴義、弓手を令し皆遮箭の下に伏せ、只砲響を聽き箭を発せしむ。厳綱、鼓譟吶喊し、直に麴義を取る。義軍、厳綱の兵來たるを見れば、都伏して動かず。來たるを得て至り近くまで、一声砲響すれば、八百弓弩手一斉に俱に発す。綱、急ぎ回るを得、麴義、馬を拍ち刀を舞わし、馬下に斬らる。瓚軍大敗す。左右両軍、來りて救應せんと欲すれば、都顏良、文醜の弓弩手引く所に射住めらる。紹軍並び進み、直に界橋邊まで殺し到る。麴義馬到り、先ず旗を執る将を斬り、繡旗を砍り倒す。公孫瓚、繡旗の砍り倒さるるを見、馬を回して橋を下り走り去る。麴義、軍を引いて直に後軍に衝き到り、正に趙雲に撞着(どうちゃく)す。槍を挺ち馬を躍らし、直に麴義を取る。戦ふこと数合に足らざるに、一鎗、麴義を馬下に刺す。趙雲、一騎馬を飛ばし紹軍に入り、左に衝き右に突き、無人の境に入るが如し。公孫瓚、軍を引いて殺し回れば、紹軍大敗す。
却説、袁紹、先ず探馬を使わし看るに、回報じて麴義、将を斬り旗を搴(かか)げ、敗兵を追趕すると。此に因り準備を作らず、田豊と帳下持戟軍士数百人、弓箭手数十騎を引いて、馬に乗り出観し、呵呵大笑して曰く、「公孫瓚は無能の輩なり!」と。正に説く之間、忽ち趙雲の面前に衝き到るを見る。弓箭手、急ぎ射んと待つ時、雲、連ねて数人を刺せば、衆軍皆走る。後面、瓚軍団団と囲(かこ)み裹(くる)み上る。田豊、慌てて紹に對して曰く、「主公、且く空牆中に於いて躲避(たひ)せよ!」と。紹、兜鍪(とうぼう)を以て地に撲(う)ち、大呼して曰く、「大丈夫、願はくは陣に臨んで鬥ひ死せん、豈牆に入りて活を望む可きや!」と。衆軍士、齊しく心を死戦し、趙雲、衝突して入らず、紹兵大隊掩至し、顏良も亦軍を引いて到り、兩路并びに殺す。趙雲、公孫瓚を保ちて重囲を殺透し、界橋に帰る。紹、兵を驅り大に進み、復橋を趕へ過ぐ、落水して死する者、其の数を計らず。袁紹、当先して趕ひ來たる、五里に到らざる、只山背後に於いて喊聲大いに起こるを聴き、一彪の人馬閃き出で、首為る三員の大将、乃ち劉玄徳、關雲長、張翼德なり。平原に於いて公孫瓚と袁紹と相争ふを探知するに因り、特に來りて助戦す。當下、三匹の馬、三般の兵器、飛奔して前來し、直に袁紹を取る。紹、驚きて魂、天外に飛び、手中の寶刀、馬下に墜(お)ち、忙しく馬を撥ねて逃る、衆人、死を救い橋を過ぐ。公孫瓚も亦軍を収め寨に帰る。玄徳、關、張、動問畢り、瓚曰く、「若し玄徳の遠來たりて我を救はざれば、殆ど狼狽せん。」と。趙雲と相見えしむ。玄徳、甚だ相敬愛し、便ち捨つる能はざる心有り。
却説、袁紹、一陣に輸して、堅守して出ず。両軍、相拒る月余、人有りて長安に來り董卓に報知す。李儒、卓に對して曰く、「袁紹と公孫瓚、亦た當今の豪傑。見在、磐河に於いて廝殺(しさい)す。宜しく天子の詔を假り、人を差して往き和解せしむべし。二人、德を感じ、必ず太師に順(したが)はん。」と。卓、大いに喜ぶ。次日、便ち太傅馬日磾、太僕趙岐を使わし、詔を齎(もたら)して前へ往かしむ。二人、河北に來至れば、紹、百里の外に出迎へ、再拜して詔を奉ず。次日、二人瓚營に至り宣諭すれば、瓚、乃ち使を遣し書を紹に致し、相い講和す。二人、自ら京に帰り復命す。瓚、即日班師し、又劉玄徳を薦めて平原相と為す。玄徳、趙雲と分別し、手を執り涙を垂れ、相離るるに忍びず。雲、歎じて曰く、「某、曩日、誤って公孫瓚を英雄と認む。今、所為を観るに、亦袁紹等の輩なり!」と。玄徳曰く、「公、且く身を屈して之に事(つか)へよ。相見ゆる日有らん。」と。涙を灑(そそ)ぎて別る。
却説、袁術は南陽に在り、袁紹の新に冀州を得たるを聞き、使を遣して來り馬千匹を求む。紹与へず、術、怒る。此より兄弟睦まず。又使を遣はし荊州に往き、劉表に糧二十万を借らしむ、表も亦与へず。術之を恨み、密かに人を遣し書を孫堅に遺し、劉表を伐たしむ。其の書、略して曰く、
前者、劉表、路を截(き)るは、乃ち吾兄本初の謀なり。今、本初又表と私議し江東を襲わんと欲す。公、速やかに兵を興して劉表を伐つ可し、吾、公の為に本初を取り、二讎報(むく)ゆる可し。公、荊州を取り、吾、冀州を取らんとす、切に誤る勿れ!
堅、書を得て曰く、「叵耐(ふたい)なる劉表!昔日、吾が帰る路を断ち、今、時機に乗じて恨みを報ぜずんば、更(さら)に何時を待たん!」と。帳下の程普、黄蓋、韓当等を聚めて商議す。程普曰く、「袁術は多詐、未だ信ずるを准(ゆる)す可からず。」と。堅曰く、「吾、自ら讎を報ぜんと欲す、豈袁術の助けを望まんや?」と。便ち黄蓋を差わし先ず江邊に来さしめ、戦船を安排し、多く軍器糧草を装い、大船に戦馬を装載し、剋日(こくじつ)師を興す。江中細作、探知し、來り劉表に報ず。表大いに驚き、急ぎ文武将士を聚めて商議す。蒯良曰く、「憂慮するに及ばず。黄祖に江夏の兵を部領して前駆と為さしめ、主公、荊襄(けいじょう)の衆を率いて援と為す可し。孫堅、江を跨ぎ湖を渉りて來たれば、安くんぞ用武する能(あた)はんや?」と。表之を然(しか)りとし、黄祖に設備を令し、隨後便ち大軍を起す。
却説、孫堅に四子有り、皆吳夫人の所生なり。長子名は策、字は伯符。次子名は権、字は仲謀。三子名は翊、字は叔弼。四子名は匡、字は季佐。吳夫人の妹、即ち孫堅の次妻と為り、亦一子一女を生む。子を名づけて朗、字は早安。女を名づけて仁。堅又俞氏(ゆし)より一子を過房(かほう)し、名を韶、字は公禮と云ふ。堅に一弟有り、名を靜、字は幼臺と云ふ。堅、行かんと臨み、靜、諸子を引いて馬前に列拜して諫めて曰く、「今、董卓專權し、天子懦弱、海内大乱、各一方を覇と為す。江東、方(まさ)に稍寧(やややす)く、一小恨を以て重兵を起すは、宜しき所に非ず。願はくは兄、之を詳(つまびら)かにせられん。」と。堅曰く、「弟、多言する勿れ。吾、将に縦横天下し、讎有るに豈報ぜざる可きや!」と。長子孫策曰く、「如し父親必ず往かんと欲すれば、兒、願わくは隨いて往かん。」と。堅、之を許し、遂に策と舟に登り、殺奔して樊城(はんじょう)に往く。黄祖、弓弩手を江邊に伏せ、船の岸に傍るるを見れば、乱箭俱に発す。堅、諸軍に令して軽動すること勿からしめ、只船中に伏し來往誘(おびき)寄せしむ。一連三日、船数十次岸に傍る。黄祖軍、只管箭を放ち、箭已に放ち尽くす。堅、却って船上に所得の箭を拔き、約十数万。當日正に順風に値へば、堅、軍士に令し一齊に箭を放たしむ。岸上、支吾し住(とど)むるを得ず、只退き走るを得たり。
堅軍、岸に登れば、程普、黄蓋、兵を分け両路、直に黄祖の營寨を取る。背後、韓当、兵を驅り大いに進む。三面夾攻すれば、黄祖大いに敗れ、樊城を棄て、鄧城に退き入る。堅、黄蓋をして船隻を守らしめ、親ら兵を統いて追襲す。黄祖、軍を引いて出迎え、陣を野に布く。堅、陣勢を列成し、馬を門旗の下に出だす。孫策も全副に披掛し、槍を挺ち馬を父の側(かたわ)らに立てる。黄祖、二将を引いて出馬す。一つは江夏張虎、一つは襄陽陳生なり。黄祖、鞭を揚げ大罵して曰く、「江東の鼠賊、安くんぞ敢て漢室宗親の境界を侵犯せん!」と。便ち張虎に令し搦戦せしむ。堅陣内、韓当出迎す。両騎相交わり、戦ふこと三十余合、陳生、張虎の力怯きを見るや、馬を飛ばし來り助く。孫策、望見し、手中の槍を押へ、弓を扯き箭を撘(つが)へ、正に陳生の面門を射中れば、弦に応じ馬より落つ。張虎、陳生の地に墜つるを見、一驚を喫し、措手不及(そしゅふきゅう)、韓当に一刀を以て、半個の腦袋を削り去らる。程普、馬を縱し直に陣前に來り黄祖を捉えんとす。黄祖、頭盔、戦馬を棄て、步軍内に雜(まじ)りて逃命す。孫堅、敗軍を掩殺し、漢水に至るまで、黄蓋に命じて船隻を漢江に泊進せしむ。
黄祖、敗軍を聚め、來り劉表に見(まみ)え、備へて堅の勢い当る可からずと言う。表、慌てて蒯良に請ひて商議す。良曰く、「目今新(あらた)に敗れ、兵に戦心無し。只深溝高壘し、以て其の鋒を避く可し。却って密かに人に令して袁紹に救ひを求めれば、此の囲い自(おの)ずから解く可きのみ。」と。蔡瑁曰く、「子柔(しじゅう)の言は、直(た)だ拙計なり。兵城下に臨み、将河邊に至る、豈束手待斃(そくしゅたいひ)す可きや?某、不才なりと雖も、願はくは軍に請じて出城し、以て一戦を決せん。」と。劉表、之を許す。蔡瑁、軍万余を引いて、襄陽城外に出で、峴山に於いて陣を布く。孫堅、得勝の兵を將て、長驅大進す。蔡瑁、出馬す。堅曰く、「此の人、是れ劉表後妻の兄なり、誰か吾と與に之を擒(とら)へん?」と。程普、鐵脊矛を挺て出馬し、蔡瑁と交戦す。數合に到らざる、蔡瑁敗走す。堅、大軍を驅り、殺すこと尸(しかばね)野に横たはる。蔡瑁、襄陽に逃げ入る。蒯良、瑁が良策を聽かず、大敗を致すに因り、軍法に按じ斬るに当ると言う。劉表、新に其の妹を娶れるを以て、刑を加へんことを肯ぜず。
却説、孫堅、兵を分けて四面より、襄陽を囲み住め攻打す。忽ち一日、狂風驟起し、中軍帥字旗竿を吹折る。韓当曰く、「此れ吉兆に非ず、暫く班師す可し。」と。堅曰く、「吾、屢戦屢勝す、襄陽を取る只旦夕に在り。豈風に因りて旗竿を折られ、遽(には)かに兵を罷(や)む可きや!」と。遂に韓当の言を聴かず、攻城愈々急なり。蒯良、劉表に謂いて曰く、「某、夜天象を観るに、一将星墜(お)ちんと欲するを見る。分野を以て之を度(はか)るに、当に孫堅に応ずべし。主公、速やかに書を袁紹に致し、其の相助くるを求む可し。」と。劉表、書を書き、誰か敢えて包圍を突破して出でんを問ふ。健将呂公、應聲(おうせい)して往かんことを願ふ。蒯良曰く、「汝、既に敢えて往けば、吾が計を聽く可し。汝に軍馬五百を与へ、多く能射者(のうしゃ)を帶て陣を衝き出で、即ち峴山(けんざん)に奔る。彼は必ず軍を引いて來り趕はん、汝、百人を分ち山に上り、石子を尋ねて準備し、百人、弓弩を執りて林中に伏せよ。但し追兵到る時は、徑(ただ)ちに走る可からず。盤旋曲折し、埋伏の處に引き到れば、矢石俱に発す。若し能く勝つを得れば、連珠號砲を放ち起(た)つ、城中便ち出でて接應すべし。如し追兵無ければ、砲を放つ可からず、程(すす)みて去れ。今夜月甚だ明らかならず、黄昏便ち出城す可し。」と。
呂公、計策を領し、軍馬を拴束(せんそく)す。黄昏の時分、密かに東門を開き、兵を引いて出城す。孫堅、帳中に在り、忽ち喊聲を聞けば、急ぎ馬に上り三十余騎を引いて、營を出で見て來る。軍士報じて説く、「一彪の人馬殺し将に出來り、峴山に望みて去る。」と。堅、諸将を会せず、只三十余騎を引いて趕ひ來る。呂公、已に山林叢雜(そうざつ)する處に於いて、上下埋伏す。堅、馬速く、單騎(たんき)独り來たり、前軍遠からず。堅、大叫して曰く、「休(や)めよ走る!」と。呂公、勒(ろく)して馬を回し來り孫堅と戦ふ。馬を交へて只一合、呂公便ち走り、閃(ひら)めいて山路に入り去る。堅、隨後趕ひ入る、却って呂公を見ず。堅、方まさに山に上らんと欲すれば、忽然と一聲鑼響し、山より石子が乱れ下り、林中より乱箭齊しく発す。堅、身に石箭を中り、腦漿(のうしょう)迸流し、人馬皆峴山の内に於て死す。壽、三十七歳に止まる。
呂公、三十騎を截め住し、並びに皆殺し尽し、連珠號砲を起つ。城中、黄祖、蒯越、蔡瑁、頭を分けて兵を引いて殺し出で、江東諸軍大いに乱る。黄蓋、喊聲の天を震はすを聞き、水軍を引いて殺し來たり、正に黄祖を迎えんとする。戦ふこと両合を不計にして、黄祖を生擒す。程普、孫策を保ち、急ぎ路を尋ねんと待つに、正に呂公と遇ふ。程普、馬を縱(ほしいまま)にし向前すれば、戦ふこと數合に到らざるに、一矛を以て呂公を馬下に刺す。両軍、大いに戦ひ、天の明くるに殺し到り、各自軍を収む。劉表軍、自ら入城す。孫策、漢水に帰り、方(まさ)に父親の乱箭に射殺さるるを知らせ、屍首已に劉表軍士に扛抬(こうたい)せられ入城し去る。放聲大哭す。衆軍俱に号泣す。策曰く、「父の屍、彼に在り、安んぞ回郷することを得ん!」と。黄蓋曰く、「今、活けて捉へる黄祖此に在り、一人を得て入城して講和し、黄祖を将て主公の屍首と換えん。」と。言未だ畢らざるに、軍吏桓楷出でて曰く、「某、劉表と舊(ふる)き有り、願はくは入城し使と為らん。」と。策之を許す。桓楷、入城し劉表に見(まみ)え、其の事を具に説く。表曰く、「文臺の屍首、吾、已に棺木を以て盛貯(せいちょ)して此に在り。速やかに黄祖を放回す可し、両家各兵を罷め、再休侵犯せよ。」と。桓楷、拝謝し行かんと欲するに、階下、蒯良出でて曰く、「不可なり!不可なり!吾に一言有り、江東の諸軍をして片甲(へんこう)を回さしめざらん。請はくは先ず桓楷を斬り、然る後に計を用ゐよ。」と。是れ正に、
敵を追ひ孫堅方(まさ)に殞命(いんめい)し、和を求め桓楷又殃(わざわい)に遭う。
未だ桓楷の性命、如何なるかを知らず、且く下文分解を聴け。
第八回 王司徒、巧に連環の計を使い、董太師、大いに鳳儀亭に鬧(さわ)ぐ 下一回▶
却説、蒯良曰く、「今、孫堅已に喪(ほろ)び、其の子皆幼し。此の虚弱の時を乗じ、火速(かそく)に進軍すれば、江東、一鼓にして得可し。若し屍を還し兵を罷(や)めば、其の気力を養成するを容(ゆる)し、荊州の患い也。」と。表曰く、「吾、黄祖を彼の営中に有り、安くんぞ之を棄(す)つるに忍びんや?」と。良曰く、「一無謀の黄祖を捨て江東を取れば、何ぞ不可なること有らんや?」と。表曰く、「吾、黄祖と心腹の交わり有り、之を捨つるは義に非ず。」と。遂に桓楷を送りて営に回らしめ、相い約束して孫堅の屍と黄祖を換う。劉表、黄祖を換へ回し、孫策、靈柩(れいきゅう)を迎接し、罷戦して江東に回る。父を曲阿の原に葬る。喪事已に畢り、軍を引いて江都に居し、賢を招き士を納め、己を屈(くっ)して人を待てば、四方の豪傑、漸漸(ぜんぜん)之に投ず、不在の話(はなし)に置く。
却説、董卓、長安に在り、孫堅已に死すと聞きて、乃ち曰く、「吾、一心腹の患いを除くのみ!」と。問う、「其の子、年幾歳なるや?」と。或るもの答へて曰く、「十七歳。」と。卓、遂に意を為さず。此より愈々驕横(きょうおう)を加へ、自ら号して「尚父」と為し、出入、天子の儀仗(ぎじょう)を僭(せん)し、弟董旻(とうびん)を封じて左将軍鄠侯(こうこう)と為し、姪董璜(とうこう)を侍中と為し、禁軍を総領(そうりょう)せしむ。董氏宗族、長幼を問はず、皆列侯に封ぜらる。長安城を離るること二百五十里、別に郿塢(びう)を築き、民夫二十五万人を役して之を築かしむ。其の城郭の高下厚薄、一として長安の如し。内に宮室倉庫を蓋(おお)ひ、二十年の糧食を屯積す。民間より少年美女八百人を選び其中に実(み)たす。金玉、彩帛、珍珠の堆積、其の数を知らず。家属都て内に住む。卓、長安に往来し、或いは半月一回、或いは一月一回、公卿(こうけい)、皆橫門の外に候送す。
董卓、常に帳を路に設け、公卿と聚飲す。一日、卓、橫門を出づ、百官皆送る。卓、宴を留め、適(たまたま)北地より招安の降卒数百人到る。卓、即ち座前に於いて命じ、或いは其の手足を断ち、或いは其の眼睛を鑿(うが)ち、或いは其の舌を割き、或いは大鍋を以て之を煮る。哀号の聲、天を震動し、百官、戦慄して箸を失ふ、卓、飲食談笑自若たり。又一日、卓、省臺(しょうだい)に於いて大いに百官を會し、両行に列坐す。酒、数巡に至り、呂布、逕に入り、卓の耳邊にむかって数句を言ふ。卓、笑ひて曰く、「原來如此。」と。呂布に命じ、筵上に於いて司空張溫を揪(ひ)きて下堂せしむ。百官失色す。不多の時、侍從、一紅盤を將て、張溫が頭を托して入り献ず。百官、魂、體に附かず。卓、笑ひて曰く、「諸公、驚く勿れ。張溫、袁術と結連し、我を害せんと圖る。人を遣わし書を寄せ来たらしむるに因り、錯(あやま)って吾が兒奉先の処に下り、故に之を斬る。公等、故無きに、驚畏するを要せず。」と。衆官、唯唯(いい)として散ず。
司徒王允、府中に帰り到り、今日の席間の事を尋思(じんし)し、席に坐(すわ)るも安からず。夜深月明に至り、策を杖き、後園に歩入り、荼蘼架(とみか)の側に立ち、天を仰ぎ涙を垂る。忽ち人有り、牡丹亭(ぼたんてい)畔(ほとり)に於いて、長吁短歎するを聞く。允、潜(ひそ)かに歩を窺(うかが)へば、乃ち府中の歌伎貂蟬(ちょうせん)なり。其の女、幼きより選ばれて府に入り、歌舞を以て教へられ、年方二八、色伎(しき)倶(とも)に佳なり、允、之を親女の如く待つ。是の夜、允、良久(しばらく)聽き、喝(か)つて曰く、「賤人、將に私情有らんとするか耶?」と。貂蟬、驚き跪(ひざまず)きて答へて曰く、「賤妾、安くんぞ敢て私有りてせん!」と。允曰く、「私無ければ、何ぞ夜深く長歎する?」と。蝉曰く、「妾をして肺腑の言を伸(の)ばさしめん。」と。允曰く、「汝、隠匿すること勿く、当に実(まこと)を告げよ。」と。蝉曰く、「妾、大人(たいじん)の恩養を蒙(こうむ)り、訓習歌舞(くんしゅうかぶ)、優礼(ゆうれい)相待つ。妾、粉身碎骨と雖も、萬一を報ゆる莫(な)し。近く大人、両眉愁(うれ)ひ鎖(と)ざすを見、必ず国家の大事有りと、又問ふを敢へず。今晩又行坐安からざるを見る、此に因りて長歎す。大人に用うる所有らば、万死辞せず。」と。允、杖を以て地を撃ちて曰く、「誰か想はむ、漢の天下、却って汝が手に在らんとするか耶!我に随いて畫閣中(がかくちゅう)に來れ。」と。
貂蟬、王允に跟ひて閣中に到れば、允、婢妾(ひしょう)を尽く叱り出し、貂蟬を納(い)れて座に坐(そ)らしめ、頭を叩きて便ち拜(はい)す。貂蟬、驚き伏して地に曰く、「大人、何が故に如此(かくのごと)きや?」と。允曰く、「汝、大漢の天下、生靈(せいれい)を憐(あわ)れむべし!」と。言訖(ことおわ)り、涙、泉の湧くが如し。貂蟬曰く、「適間、賤妾曾て言へり、但だ使令有らば、万死辞せず。」と。允、跪いて而言いて曰く、「百姓に倒懸の危(あやう)き有り、君臣に累卵の急有り、汝に非ざれば以て救ふ能(あた)はざるなり。賊臣董卓、将に位を篡(うば)はんと欲し、朝中文武、計を施す可き無し。董卓に一義兒(ぎじ)有り、姓は呂、名は布、驍勇異常なり。我、二人皆好色(こうしょく)の徒と看る、今、連環の計を用いんと欲す。先づ汝を呂布に許嫁(きょか)し、後に董卓に献ず。汝、中(うち)に於いて便宜をとり、彼の父子の反顏(はんがん)を謀(はか)り、布をして卓を殺さしめ、以て大悪を絶たん。重ねて社稷(しゃしょく)を扶(たす)け、再立江山せん、皆汝の力也。知らず、汝が意(こころ)若(いかん)?」と。貂蟬曰く、「妾、大人に萬死辞せざるを許し、望むらくは即ち妾を彼に献(けん)ぜられん。妾自ら道理有り。」と。允曰く、「事、若(も)し洩漏(せつろう)せば、我、門を滅ぼさるるなり。」と。貂蟬曰く、「大人、憂う勿れ。妾、若し大義に報ぜざれば、万刃(ばんじん)の下に於いて死せん。」と。
王允、拜謝す。次日、便ち家藏の明珠数顆を将(も)ち、良匠をして金冠一頂を嵌造(かんぞう)せしめ、人をして密かに呂布に送らしむ。布、大いに喜び、親(みずか)ら王允が宅に到り謝を致す。允、嘉殽美饌(かこうびせん)を頂備し、呂布の至るを候(ま)ち、允、門を出て迎迓(げいぎゃ)し、後堂に接入(せつにゅう)し、之を延(ひ)きて上座に坐らしむ。布曰く、「呂布は乃ち相府の一将、司徒は是れ朝廷の大臣、何ぞ錯敬(さくけい)せんや?」と。允曰く、「方今天下、別(こと)に英雄無く、惟(た)だ将軍有るのみ。允は将軍の職を敬するに非ず、将軍の才を敬するなり。」と。布、大いに喜ぶ。允、慇懃(いんぎん)に酒を敬し、口には董太師並びに布の德を称(たた)へて絶えず。布、大笑して暢飲す。允、左右を叱退し、只待妾数人を留め酒を勧む。酒、半酣に至り、允曰く、「孩兒(かいじ)を喚んで來たれ。」と。少頃、二青衣、貂蟬を引いて艶妝(えんしょう)して出づ。布、驚き問ふ、何人なるやと。允曰く、「小女貂蟬なり。允、将軍の錯愛を蒙り、至親(ししん)と異ならず、故に其をして将軍と相見(あいみ)えしむ。」と。便ち貂蟬に命じ、呂布と把盞(はさん)せしむ。貂蟬、酒を送って布に与へ、両下、眉を来(きた)し眼を去(さ)る。允、酔ひたる佯(ふ)りして曰く、「孩兒、将軍に央及(たよ)り痛飲(つういん)すること幾盃か。吾が一家、全く将軍に頼(よ)るのみ。」と。布、貂蟬に請じて坐(そ)らしむれば、貂蟬、仮意(けい)に入らんと欲す。允曰く、「将軍、吾が至友なり、孩兒、便ち坐して何ぞ妨(さまた)げん?」と。貂蟬、便ち允が側に坐す。呂布、目を転(てん)ずることなく看る。又数盃飲めば、允、蝉を指して布に謂ひて曰く、「吾、将に此の女を将軍に送り妾と為さんと欲す、還(ま)た納(い)れんことを肯んずるや否や?」と。布、席を離れて謝して曰く、「若し如此(かくのごと)きを得れば、布、当に犬馬の報を效(いた)さん。」と。允曰く、「早晩、一良辰を選び、府下に送り至さん。」と。布、欣喜(きんき)無限にして、頻(しき)りに目を以て貂蟬を視(み)る。貂蟬も亦秋波を以て情を送る。少頃、席散ずれば、允曰く、「本、将軍を留め止宿せんと欲す、太師の見(み)疑(い)を恐る。」と。布、再三拜謝して去る。
数日を過ぐれば、王允、朝堂に在り、董卓を見る、呂布の側に在らざるに趁(す)ぎ、地に伏して拜請して曰く、「王允、太師の車騎を屈して、草舍に到りて宴に赴かんと欲す。未だ鈞意(きんい)若何(いかん)を審(つまび)らかにせず。」と。卓曰く、「司徒、招きを見れば、即ち当に趨赴(すうふ)すべし。」と。允、拜謝し家に帰り、水陸(すいりく)畢陳(ひっちん)し、前廳(ぜんちょう)正中に座を設け、錦繡(きんしゅう)地を鋪(し)き、内外に各幔帳(まんちょう)を設く。次日晌午(しょうご)、董卓、到り來たる。允、朝服を具(そな)へて出迎し、再拜して起居(ききょ)す。卓、車を下り、左右戟を將(も)つ甲士百余、簇擁(そうよう)して堂に入り、両傍に分列す。允、堂下に於いて再拜し、卓、扶上を命じ、側に於いて坐を賜ふ。允曰く、「太師、盛德巍巍(せいい)、伊(い)、周(しゅう)も及ぶ能(あた)はざるなり。」と。卓大いに喜ぶ。酒を進め樂を作れば、允、其の致敬を極む。天晩(く)れ酒酣(たけなわ)なれば、允、卓を請じて後堂に入る。卓、甲士を叱退す。允、觴(さかずき)を捧げて賀を称し曰く、「允、幼きより頗(すこぶ)る天文を習ひ、夜、乾象を観るに、漢家の気数(きすう)已に尽く。太師の功德、天下に振(ふる)ふ、若し舜の堯より受け、禹の舜を継ぐが如きは、正に天心人意に合す。」と。卓曰く、「安(いず)くんぞ此を望まん!」と。允曰く、「古より『道(みち)有るは道無きを伐ち、德無きは德有るに譲(ゆず)る』、豈過分ならんや?」と。卓、笑ひて曰く、「若し果して天命、我に帰せば、司徒は当に元勲(げんくん)と為るべし。」と。允、拜謝す。堂中、畫燭(がしょく)を点じ、止(た)だ女使を留め酒を進め食を供(きょう)す。允曰く、「教坊の樂、供奉(きょうほう)するに足らず。偶(たまたま)家伎有り、敢(あ)へて之をして應(こた)へしめん。」と。卓曰く、「甚だ妙なり。」と。允、簾櫳(れんろう)を放下せしむるを教へ、笙簧(しょうこう)繚繞(りょうじょう)し、貂蟬を簇捧(そうほう)して簾外に於いて舞はしむ。詞有りて之を讚めて曰く。
原是昭陽宮裏人、驚鴻宛轉掌中身、只疑飛過洞庭春。
按徹梁州蓮步穩、好花風裊一枝新、畫堂香煖不勝春。
又詩に曰く。
紅牙催拍燕飛忙、一片行雲到畫堂。
眉黛促成遊子恨、臉容初斷故人腸。
榆錢不買千金笑、柳帶何須百寶妝。
舞罷隔簾偷目送、不知誰是楚襄王。
舞罷、卓、前に近づくるを命ず。貂蟬、簾内に入り転じ、深深と再拜す。董卓、貂蟬の顔色美麗なるを見れば、便ち問ふ、「此の女、何人なるや?」と。允曰く、「歌伎(かぎ)貂蟬なり。」と。卓曰く、「能く唱ふや否や?」と。允、貂蟬に命じ檀板(だんばん)を低く謳(うた)はしめ一曲。是れ正に、
一點櫻桃啟絳脣、兩行碎玉噴陽春。
丁香舌吐橫鋼劍、要斬奸邪亂國臣。
卓、称賞して已まず。允、貂蟬に命じ把盞せしむ。卓、杯を擎(ささ)げ問ひて曰く、「青春幾何!」と。貂蟬曰く、「賊妾、年方二八なり。」と。卓、笑ひて曰く、「真に神仙中の人なり!」と。允、起ちて曰く、「允、将に此の女を太師に献上せんと欲す、未だ肯(うけ)て容納するや否やを審(つまび)らかにせず。」と。卓曰く、「如此(かくのごと)きに見恵(けい)せば、何を以て德に報(むく)いん?」と。允曰く、「此の女、太師に侍(はべ)るを得れば、其の福、太(はなは)だ浅し。」と。卓、再三称謝す。允、即ち氈車(せんしゃ)を備へるを命じ、先づ貂蟬を将て相府に送り至らしむ。卓も亦起身(きしん)して告辞す。允、親ら董卓を送り直到(ちょくとう)相府に至り、然る後辞して回る。馬に乗りて行く、半路に到らざる、只両行の紅燈の道を照らすを見、呂布、馬に騎り戟を執りて來り、正に王允と撞見(どうけん)すれば、便ち馬を勒(ろく)し、一把(いっぱ)衣襟を揪(つか)み、厲聲(れいせい)して問ひて曰く、「司徒、既に貂蟬を以て我に許せり、今又太師に送るとは何ぞ相戲(あいたわむ)るや?」と。允、急ぎ之を止めて曰く、「此れ説話する處に非ず、且(しば)らく草舍に到るを請ふ。」と。
布、允と家に行き、馬を下り後堂に入る。礼を叙(の)べ畢り、允曰く、「将軍、何が故に老夫を怪(あや)しむや?」と。布曰く、「人有りて我に報じ、汝、氈車を把(と)って貂蟬を相府に入ると送ると言う、是れ何の縁故なるや?」と。允曰く、「将軍、原來知らざるか!昨日、太師、朝堂の中に於いて、老夫に向ひ説きて曰く、『我に一事有り、汝が家に到らんことを要す。』と。允、此に因り準備し、太師を等(ま)ち候(うかが)ふ。飲酒中間(ちゅうかん)に説く、『我、汝に一女有り、名を貂蟬と喚び、已に吾が兒奉先に許せり、と聞く。我、汝が言、未だ準(じゅん)ならざらんを恐れ、特に來たり相求(あいま)み、並びに一見を請ふ。』と。老夫、敢て違(たが)ふこと有る無く、随ひて貂蟬を引いて出で公公に拝せしむ。太師曰く、『今日、良辰、吾、即ち当に此の女を取り帰り、奉先と配せしむ。』と。将軍、試みに思え、太師、親(みずか)ら臨(のぞ)めば、老夫、焉(いずく)んぞ敢て推阻せんや?」と。布曰く、「司徒、罪を少(すこ)しにせよ。布、一時の錯見(さくけん)なり、來日(らいじつ)自(おのずか)ら当に荊(けい)を負(お)ふべし。」と。允曰く、「小女、稍(やや)妝奩(しょうれん)有り、将軍の府下を過ぎるを待ち、便ち当に送り至さん。」と。
布、謝して去る。次日、呂布、府中に於いて打聽(ちょうちょう)すれば、絕(た)えて音耗(おんこう)を聞かず。布、逕に堂中に入り、諸侍妾(じしょう)に尋問す。待妾對へて曰く、「夜來(やらい)太師、新人と共に寢(い)ね、今に至るも未だ起きず。」と。布、大いに怒り、潜かに卓が臥房の後(うし)ろに窺探(きんたん)す。時、貂蟬、窓下に於いて起き梳頭(そとう)す。忽ち窓外の池中に一人の人影、極めて長大にして、頭に束髮冠(そくはつかん)を戴けるを照らすを見るや、眼を偷(ぬす)みて之を視る、正に呂布なり。貂蟬、故(こと)さらに雙眉(そうび)を蹙(すぼ)め、憂愁不樂(ゆうしゅうふらく)の態(てい)を為(な)し、復(ま)た香羅(こうら)を以て頻(しき)りに眼涙を拭ふ。呂布、窺視すること良久、乃ち出で、少頃、又入る。卓、已に中堂に於いて坐し、布の來たるを見れば、問ひて曰く、「外面、事無きか?」と。布曰く、「事無し。」と。卓の側に侍立す。卓、方に食すれば、布、偷(ひそ)かに目を窃(ぬす)み望み、繡簾(しゅうれん)内より一女子の往来観覬(きけん)し、微かに半面を露(あら)はし、目を以て情を送るを見る。布、是れ貂蟬なるを知り、神魂(しんこん)飄蕩(ひょうとう)す。卓、布の如此(かくのごと)き光景なるを見るに、心中疑忌(ぎき)し、曰く、「奉先、事無ければ且く退(しりぞ)け。」と。布、怏怏(ようよう)として出づ。
董卓、自ら貂蟬を納れて後、色に迷ひ所為、月余(げつよ)理(ことわり)を出すこと無し。卓、偶々小疾に染まり、貂蟬、衣を解(と)かず帶を解かず、曲意(きょくい)逢迎すれば、卓、心愈(いよいよ)喜ぶ。呂布、内に間安(かんあん)に入る、正に卓が睡るに值(あ)う。貂蟬、床の後ろより半身を探り、布を望み、指を以て心を指し、又、指を以て董卓を指し、涙を揮(ふる)ひて止まず。布、心、砕くるが如し。卓、朦朧たる雙目(そうもく)に、布が床後を注視し、目を転(てん)ぜざるを見る。身を回して一たび看れば、貂蟬の床の後ろに立つを見る。卓、大いに怒り、布を叱りて曰く、「汝、敢へて吾が愛姬(あいき)を戲(たわむ)るか耶?左右を喚びて逐(お)ひ出で、今後堂に入るを許す勿(なか)れ。」と。呂布、怒恨して帰り、路に偶々李儒と遇ひ、其の故を告知す。儒、急ぎ入りて卓に見え曰く、「太師、天下を取らんと欲すれば、何ぞ小過を以て溫侯を責(せ)めんや?倘(も)し彼が心変(しんぺん)すれば、大事去らん。」と。卓曰く、「奈何(いかん)?」と。儒曰く、「來朝(らいちょう)喚び入れ、金帛を以て賜(たま)ひ、好言(こうげん)之を慰(なぐさ)めれば、自(おの)ずから事無きのみ。」と。卓、言に従ふ。次日、人を使はして布を堂に入らしめ、之を慰めて曰く、「吾、前日病中(びょうちゅう)、心神恍惚(こうこつ)し、誤りて汝を傷ることを言ふ、汝、心を記す勿れ。」と。随ひて金十斤、錦二十疋(ひゃく)を賜ふ。布、謝して帰る。然(しか)るに身は卓の左右に在りと雖も、心は実に貂蟬を繋念す。
卓の疾(やまい)既に愈(い)え、入朝して事を議す。布、戟を執(と)りて相随(あいしたが)ひ、卓と献帝の共に談ずるを見るや、便ち間を乗じて戟を提(ひっさ)げて内門を出で、馬に上り、逕に相府に来る。馬を府前に繋ぎ、戟を提げて後堂に入り、貂蟬を尋ね見ゆ。蝉曰く、「汝、後園中の鳳儀亭邊(ほうぎていへん)に往きて我を等(ま)て。」と。布、戟を提げて逕に往き、亭下の曲欄の傍らに立つ。良久(しばらく)、貂蟬、花を分け柳を拂ひて來れば、果して月宮の仙子の如く、泣いて布に謂ひて曰く、「我、王司徒の親女に非ずと雖も、然りて之を己出の如く待つ。自ら将軍を見る、箕帚(きそう)に侍(はべ)るを許す、妾、已に生平(しょうへい)の願を足(た)せり。誰か想はむ太師、不良の心を起こし、妾を淫污(いんお)せんとす。妾、即(すなわ)ち死せざるを恨む、止だ将軍と一たび訣(わか)れざるに因り、故且つ辱(はじ)を忍び偷生す。今、幸ひ見ゆるを得、妾が願、畢(お)はれり。此の身、已に污(けが)れ、復(ま)た英雄に事(つか)ふるを得ず、願はくは君の前に於いて死し、以て妾が志を明らめんと欲す!」と。言訖り、手を曲欄に攀(よ)じ、荷花池を望み便ち跳(は)ねんとす。呂布、慌忙(こうもう)として抱き住(と)め、泣きて曰く、「我、汝が心を知ること久し!只(た)だ恨むは、共に語ることを能はざるのみ!」と。貂蟬、手を扯(ひ)き布に曰く、「妾、今生、君と妻と為ることを能(あた)はず、願はくは來世に於いて相い期(ご)せ。」と。布曰く、「我、今生、汝を以て妻と為す能はざるは、英雄に非ざるなり!」と。蝉曰く、「妾、日を度(お)くること年(とし)の如し、願はくは君、憐(あわ)れんで之を救はれよ。」と。布曰く、「我、今、偷空(とうくう)して來たる、恐らくは老賊に見(み)疑はれん、必ず当に速(すみ)やかに去るべし。」と。貂蟬、其の衣を牽き曰く、「君、如此(かくのごと)く老賊を懼(おそ)るるならば、妾が身、天日を見るの期(とき)無きのみ!」と。布、立ち住(とど)まりて曰く、「我をして徐(おもむ)ろに良策を圖(はか)らしめん。」と。語り罷(お)わり、戟を提(ひっさ)げて去らんと欲す。貂蟬曰く、「妾、深閨(しんけい)に在り、将軍の名を聞くに、雷の耳に灌(そそ)ぐが如し、以て当世一人のみと思ひしに、誰か想はむ、反って他人の制を受(う)けんとするか!」と。言訖り、涙、雨の如く下る。布、羞慚満面に、重復(ちょうふく)して戟に倚(よ)り、身を回して貂蟬を摟抱(ろうほう)し、好言を以て安慰(あんい)す。二つ、偎偎倚倚(わいあい)し、相離るるに忍びず。
却説、董卓、殿上に在り、頭を回(めぐ)らし呂布を見ざれば、心中懷疑し、連忙して献帝に辞(じ)し、車に登り府に回る。布が馬、府前に於いて繋(つな)がるを見れば、門吏に問へば、吏、答へて曰く、「溫侯、後堂に入り去る。」と。卓、左右を叱退し、逕(ただ)ちに後堂中に入り、尋覓(じんべき)するも見えず。貂蟬を喚ぶも、蝉も亦見えず。急ぎ侍妾に問へば、侍妾曰く、「貂蟬、後園に在り花を看る。」と。卓、後園を尋ね入れば、正に呂布と貂蟬が鳳儀亭下に於いて共に語り、畫戟(がげき)を一方に倚(よ)らしむるを見る。卓、怒り、大喝一声す。布、卓の至るを見て、大いに驚き、身を回して便ち走る。卓、畫戟を搶(うば)ひ、挺(も)ちて趕ひ來る。呂布、走ること速く、卓、肥胖(ひはん)にして趕ひ及ばず、戟を擲(な)げて布を刺す。布、戟を打ち落とす。卓、戟を拾ひ再び趕ふに、布、已に走り遠し。卓、園門を趕ひ出れば、一人、飛奔(ひほん)して前來し、卓が胸膛(きょうとう)に相撞すれば、卓、地に倒る。是れ正に、
沖天の怒気、高きこと千丈、仆(たふ)れし肥軀(ひく)、一堆を為す。
未だ此の人が誰なるかを知らず、且く下文分解を聴け。
第九回 暴兇を 除(のぞ)き、呂布、司徒を助け、長安を犯し、李傕(りかく)、賈詡(かこう)を聴く 下一回▶
却説、那の董卓を撞き倒せし人は、正に李儒なり。當下李儒、董卓を扶け起し、書院の中に至り坐定す。卓曰く、「汝、何が為に此に來たる?」と。儒曰く、「儒、適(たまたま)府門に至り、太師、怒りて後園に入り、呂布を尋問するを知る。急ぎ走り来たるに因り、正に呂布の奔り出でて云うに遇ふ、『太師、我を殺す!』と。儒、慌(あわ)てて園中に趕ひ入り勸解せんとす、不意(ふい)に誤(あやま)って恩相(おんしょう)に撞(しょう)す。死罪!死罪!」と。卓曰く、「叵耐(ふたい)なる逆賊(ぎゃくぞく)!吾が愛姬を戲(たわむ)る、誓ひて必ず之を殺さん!」と。儒曰く、「恩相、差(たが)へり。昔、楚莊王(そそうおう)の『絕纓(ぜつえい)』の會に、愛姬を戲れし蔣雄(しょうゆう)を究(きゅう)めず、後秦兵(しんぺい)に困(くる)しまれるに、其の死力を得て相救(あいすく)はる。今、貂蟬は不過(か)一女子、而して呂布は乃ち太師が心腹猛将(もうしょう)なり。太師、若し此の機会に就き、蟬を以て布に賜(たま)へば、布、大恩を感じ、必ず死を以て太師に報ぜん。太師、請う自ら三思せられん。」と。卓、沈吟(ちんぎん)すること良久にして曰く、「汝が言も亦是(しか)り、我、当に之を思ふべし。」と。
儒、謝して出づ。卓、後堂に入り、貂蟬を喚び問ひて曰く、「汝、何ぞ呂布と私通(しつう)するや?」と。蟬、泣きて曰く、「妾、後園に於いて花を看るに、呂布、突(とつ)として至る。妾、方に驚き避(さ)けんとするに、布曰く、『我は乃ち太師の子なり、何ぞ必ず相い避(さ)けんや?』と。戟を提(ひっさ)げて妾を趕ひ鳳儀亭に至る。妾、其の心の良ならざるを見るに、為に逼(せま)らるるを恐れ、荷池に投じて自盡(じじん)せんと欲す。却(かえ)って這(こ)の廝(こ)に抱き住めらる。正に生死(せいし)の間に在り、太師の來たるを得て、性命を救はる。」と。董卓曰く、「我、今汝を呂布に賜(たま)はんと欲す、何如(いかん)?」と。貂蟬、大いに驚き、哭きて曰く、「妾が身、已に貴人(きじん)に事(つか)ふ、今忽(たちま)ち家奴に下賜せんと欲す、妾、寧(むし)ろ死せん辱(はずかし)めを被(こうむ)らざらん!」と。遂に壁間(へきかん)の寶劍を掣(ひ)き、自刎(じふん)せんと欲す。卓、慌てて劍を奪ひ抱擁(ほうよう)して曰く、「吾、汝を戲(たわむ)るのみ!」と。貂蟬、卓が懐(ふところ)に倒れ、面を掩(おお)ひ大哭して曰く、「此れ必ず李儒の計也!儒、布と交厚(こうこう)し、故(こと)さらに此の計を設け、却って太師の體面(たいめん)と賤妾が性命を顧惜(こき)せず。妾、当に生きて其の肉を噬(か)まんとす!」と。卓曰く、「吾、安くんぞ汝を捨つるに忍びんや?」と。蝉曰く、「太師の憐愛(れんあい)を蒙ると雖も、但だ恐らくは此の處、久しく居るに宜(よろ)しからず、必ず呂布の害を被る所と為らん。」と。卓曰く、「吾、明日(みょうにち)、汝と郿塢(びう)に帰りて、同じく快樂(こうらく)を受(う)け、慎んで憂疑(ゆうぎ)する勿かれ。」と。蝉、方(まさ)に涙を収めて拜謝す。次日、李儒、入りて見え曰く、「今日、良辰なり、貂蟬を将て呂布に送る可し。」と。卓曰く、「布は我と父子の分有る、賜与するに便(よ)ろしからず。我、只其の罪を究(きわ)めず。汝、我が意を伝へ、好言を以て之を慰(なぐさ)める可きのみ。」と。儒曰く、「太師、婦人の為に惑はるる可からず。」と。卓、変色して曰く、「汝が妻、呂布と与(くみ)することに肯んずるや否や?貂蟬の事、再び多言する勿(なか)れ、言えば則ち必ず斬らん!」と。李儒、出で、天を仰ぎ嘆じて曰く、「吾等皆婦人の手下に死せんのみ!」と。後人、書を読みて此に至り、詩有りて之を嘆じて曰く、
司徒妙算託紅裙、不用干戈不用兵。
三戰虎牢徒費力、凱歌卻奏鳳儀亭。
董卓、即日、令を下して郿塢に還り、百官俱に拜送す。貂蟬、車上に在り、遙かに呂布の稠人(ちゅうじん)の内に於いて、目を車中に望むを見る。貂蟬、虚(むな)しく其の面を掩(おお)ひ、痛哭するが如き状と為す。車已に去り遠く、布、轡(くつわ)を緩(ゆる)めて土岡(どこう)の上に於いて、眼を車塵(しゃじん)に望み、嘆息痛恨す。忽ち背後より一人、問ひて曰く、「溫侯、何ぞ太師に従ひて去らず、乃ち此に於いて遙望して嘆を發(はっ)する?」と。布、之を視るに、乃ち司徒王允なり。相見畢り、允曰く、「老夫、日來、微恙(びよう)に染(そ)むるに因り、門を閉ぢて出でず、故に久しく未だ将軍と一見を得ず。今日、太師、駕(が)して郿塢に帰る、只病を扶(たす)けて出送せば、却って喜んで将軍に晤(ご)するを得たり。請問(せいもん)す、将軍、何が為に此に於いて長歎(ちょうたん)するや?」と。布曰く、「正に公女の為なり。」と。允、佯(いつわ)り驚きて曰く、「許多(あまた)の時、尚未(いま)だ将軍と与(くみ)せざるか耶?」と。布曰く、「老賊、自ら寵幸(ちょうこう)すること久し!」と。允、佯り大いに驚きて曰く、「此の事有るを信ぜず!」と。布、前事を一々允に告ぐ。允、仰面跌足(ようめんてっそく)し、半晌(はんしょう)語らず。良久、乃ち言ひて曰く、「意(おも)はず、太師、此の禽獸(きんじゅう)の行を作さんとは!」と。因りて布の手を挽(ひ)き曰く、「且(しばら)く寒舍に到りて商議せん。」と。
布、允に随ひて歸る。允、密室に延(ひ)き入れ、酒を置き款待(かんたい)す。布、又、鳳儀亭に於いて相遇せし事を將て、細かに一たび説く。允曰く、「太師、吾が女を淫し、将軍が妻を奪ふは、誠に天下の恥笑(ちしょう)と為す。太師を笑ふに非ず、允と将軍を笑ふのみ!然(しか)るに允、老邁(ろうまい)にして無能の輩、道(い)ふに足らず。惜しいかな、将軍、蓋世(がいせい)の英雄も、亦此の汙辱を受くるなり!」と。布、怒氣天を衝(つ)き、案を拍(う)ち大叫す。允、急ぎて曰く、「老夫、失語(しつご)せり、将軍、怒りを息(お)めよ。」と。布曰く、「誓って当に此の老賊を殺し、以て吾が恥を雪(すす)がん!」と。允、急ぎ其の口を掩(おお)ひて曰く、「将軍、言ふ勿(なか)れ、恐らくは老夫に累(るい)を及ぼさん。」と。布曰く、「大丈夫、天地の間に生居(せいきょ)し、豈(あ)に鬱鬱(うつうつ)として久しく人の下に居らんや!」と。允曰く、「将軍の才を以て、誠に董太師の制(せい)する可(べ)からざる所なり。」と。布曰く、「吾、此の老賊を殺さんと欲するも、是れ父子の情を奈何(いかん)せん、恐らくは後人の議論を惹(ひ)かん。」と。允、微笑して曰く、「将軍は自ら姓を呂と為し、太師は自ら姓を董と為す。戟(げき)を擲(なげう)つ時、豈父子の情有らんや?」と。布、奮然(ふんぜん)として曰く、「司徒の言に非ずんば、布、幾(ほと)んど自(みずか)ら誤(あやま)らんとす!」と。允、其の意、已に決すと見、便ち之を説きて曰く、「将軍、若し漢室を扶(たす)くるは、乃ち忠臣なり。青史に名を傳(つた)へ、流芳(りゅうほう)百世せん。将軍、若し董卓を助くるは、乃ち反臣なり、之を史筆に載せ、遺臭(いしゅう)萬年せん。」と。布、席を避けて下拜して曰く、「布が意、已に決す、司徒、疑ふ勿れ。」と。允曰く、「但だ恐らくは事、或いは成らず、反って大禍を招かん。」と。布、帶刀(たいとう)を拔き、臂(ひじ)を剌(さ)して血を出し誓(ちか)ふ。允、跪謝して曰く、「漢祀(かんし)絶(た)えざるは、皆将軍の賜(たまもの)なり。切(せつ)に洩漏(せつろう)する勿かれ!臨期(りんき)に計有り、自(おの)ずから相報ずべし。」と。布、慨諾(がいだく)して去る。
允、即ち僕射士孫瑞(しそんずい)、司隸校尉黄琬(こうえん)を請じて商議す。瑞曰く、「方今、主上に疾(やまい)有り新(あらた)に愈(い)ゆ、能(よ)く言(げん)するの人を遣わし、郿塢に往き卓に請ひて事を議す可し。一面に天子の密詔を呂布に付し、甲兵を朝門の内(うち)に伏せ、卓を引いて入り誅(ちゅう)せしめん。此れ上策なり。」と。琬曰く、「何人か敢て去かん?」と。瑞曰く、「呂布と同じ郡の騎都尉李肅(りしゅく)、董卓、其の官を遷(うつ)さざるを以て、甚だ是を懐(おも)ひ怨(うら)む。若(も)し此の人をして往かしめば、卓、必ず疑はざるなり。」と。允曰く、「善し。」と。呂布を請じて共に議す。布曰く、「昔日、吾を勧めて丁建陽(ていけんよう)を殺さしめしは、亦此の人なり。今、若し去(ゆ)かずんば、吾、先づ之を斬らん。」と。人を使わし密かに肅を請(まね)き至らしむ。布曰く、「昔日、公、布に説きて、丁建陽を殺さしめて董卓に投ぜしむ。今、卓、上は天子を欺き、下は生靈を虐(ぎゃく)し、罪悪貫盈(つみあくかんえい)、人神共に憤(いきどお)る。公、天子の詔を伝え郿塢に往き、卓を宣(せん)して入朝せしめ、伏兵之を誅し、力めて漢室を扶け、共に忠臣と為さん。尊意(そんい)若何?」と。肅曰く、「我も亦此の賊を除かんこと久矣(ひさし)、恨むは同心有る者無きのみ。今、将軍、若し此くの如きならば、是れ天の賜ふ所なり、肅、豈(あ)に敢て二心有らんや?」と。遂に箭(や)を折り誓ひを為(な)す。允曰く、「公、若し能く此の事を幹(な)せば、何ぞ顯官(けんかん)を得ざるを患(うれ)へんや?」と。
次日、李肅、十数騎を引いて、前に郿塢に到る。人、天子に詔有りと報ずれば、卓、喚びて入らしむ。李肅、入り拜す。卓曰く、「天子に何の詔有る?」と。肅曰く、「天子、病體新たに癒(い)え、文武を未央殿(びおうでん)に會し、将に太師に禅位(ぜんい)を議せんと欲す、故に此の詔有り。」と。卓曰く、「王允が意、若何(いかん)?」と。肅曰く、「王司徒、已に人をして『受禅臺(じゅぜんだい)』を築かしめ、只主公の來たらんことを待つ。」と。卓、大いに喜びて曰く、「吾、夜、一龍の身を罩(おお)ふを夢み、今果(は)たして此の喜信を得たり。時哉、失(うしな)う可(べ)からず!」と。便ち心腹の将李傕、郭汜、張濟、樊稠(はんちゅう)の四人に命じて飛熊軍(ひゆうぐん)三千を領し郿塢を守らしめ、自己(じこ)即日、駕(が)を排(はい)して回京す。顧みて李肅に謂ひて曰く、「吾、帝と為れば、汝、当に執金吾(しつこんご)と為るべし。」と。肅、拝謝して臣と称(しょう)す。卓、其の母に入り辞(じ)す。母、時年九十余り、問うて曰く、「吾が兒、何(いず)くにか往(ゆ)く?」と。卓曰く、「兒、将に漢の禅を受けんと往き、母親、早晩太后と為るなり!」と。母曰く、「吾、近日肉顫心驚し、恐らくは吉兆に非ざるか。」と。卓曰く、「将に国母と為らんとす、豈(あ)に預(あらかじ)め驚報(きょうほう)あらんや!」と。遂に母に辞(じ)して行く。行かんと臨み、貂蟬に謂ひて曰く、「吾、天子と為れば、当に汝を立てて貴妃(きひ)と為さん。」と。貂蟬、已に就裏(しゅうり)を明知(めいち)し、仮りて歓喜し拜謝す。
卓、塢を出で車に上り、前遮(ぜ)し後擁(よう)し、長安を望みて來(きた)る。行くこと三十里に足らざる、所乘の車、忽ち一輪を折り、卓、車を下り馬に乗る。又、行くこと十里に足らざる、那(な)の馬、咆哮嘶喊(ほうこうせいかん)し、轡頭(くつわがしら)を掣斷(せつだん)す。卓、肅に問ひて曰く、「車輪を折り、馬轡を断つ、其の兆若何?」と。肅曰く、「乃ち太師、漢の禅を受(う)け、旧を棄て新に換へ、将に玉輦金鞍(ぎょくれんきんあん)に乗るの兆なり。」と。卓、喜んで其の言を信ず。次日、正に往かんとする間(あいだ)、忽然と狂風驟起(しゅうき)し、昏霧、天を蔽(おお)ふ。卓、肅に問ひて曰く、「此れ何の祥(しょう)なるや?」と。肅曰く、「主公、龍位に登れば、必ず紅光紫霧有り、以て天威を壮(さか)んにするのみ。」と。卓、又喜びて疑はず。即ち城外に至れば、百官俱に出迎す。只(た)だ李儒、病を抱(かか)へ家に在り、出迎ふる能(あた)はず。卓、相府に進至すれば、呂布、入りて賀す。卓曰く、「吾、九五(きゅうご)に登れば、汝、当に天下の兵馬を総督(そうとく)すべし。」と。布、拝謝し、帳前に就き歇宿(けっしゅく)す。是の夜、十数小兒(しょうに)、郊外に於いて歌を作り、風、歌聲を吹いて帳に入る。歌に曰く、「千里の草、何ぞ青青(せいせい)たるや!十日上、生を得ず!」と。歌聲、悲切なり。卓、李肅に問ひて曰く、「童謠(どうよう)、何の吉凶を主(つかさど)る?」と。肅曰く、「亦(ま)た只劉氏(りゅうし)滅び、董氏(とうし)興るの意を言うのみ。」と。
次日、侵晨(しんしん)、董卓、儀從(ぎじゅう)を擺列(はいれつ)し入朝すれば、忽(たちま)ち一道人(どうじん)、青袍(せいほう)白巾(はくきん)し、手には長竿(ちょうかん)を執り、上に布一丈を縳(つな)ぎ、両頭(りょうとう)各「口」字を一書(か)くを見る。卓、肅に問ひて曰く、「此の道人、何の意(い)なるや?」と。肅曰く、「乃ち心恙(しんや)の人なり。」と。将士を呼(よ)びて驅(お)ひ去らしむ。卓、朝(ちょう)に進めば、群臣各朝服を具(そな)へ、道に於いて迎謁(げいせつ)す。李肅、宝剣を執り車を扶(たす)け而(し)て行く。北掖門(ほくえきもん)に至れば、軍兵尽く門外に擋(とど)められ、独(ひと)り御車(ぎょしゃ)二十余人、同じく入る。董卓、遙に王允等が各宝剣を執り殿門に立つを見る、驚き肅に問ひて曰く、「剣を持つは是れ何の意(い)なるや?」と。肅、應(こた)へず、車を推して直に入らんとする。王允、大呼して曰く、「反賊、此に至る、武士、何処にか在る?」と。両旁(りょうぼう)より百余人転り出で、戟(ほこ)を将(も)ち槊(ほこ)を挺(も)ち之を刺す。卓、甲を裹(つつ)みて入らず、臂を傷(やぶ)り車より墮(お)ち、大呼して曰く、「吾が兒奉先、何処(いずこ)に在る?」と。呂布、車の後より厲聲(れいせい)して出でて曰く、「詔を奉(ほう)じて賊を討つ!」と。一戟(いっげき)直に咽喉(いんこう)を刺し、李肅、早く頭(こうべ)を割いて手に在(あ)り。呂布、左手に戟を持(じ)し、右手に懐(ふところ)中より詔を取り、大呼して曰く、「詔を奉じて賊臣董卓を討つ、其の餘は問はず!」と。将吏皆萬歳(ばんぜい)と呼ぶ。後人、詩有り董卓を嘆じて曰く、
伯業成時為帝不、不成且作富家郎。
誰知天意無私麯、郿塢方成已滅亡。
却説、當下呂布大呼して曰く、「卓を助けて虐を為せる者は、皆李儒なり!誰か之を擒(とら)うる可きか?」と。李肅、應聲(おうせい)して往かんことを願ふ。忽ち朝門外に於いて喊(かん)を発するを聞けば、人報じて李儒が家奴、已に李儒を綁縛(ほうばく)し來り献ずと。王允、命じて市曹(しそう)に縛(つな)し赴(おもむ)き之を斬らしむ。又董卓が屍首を將て、通衢(つうく)に號令す。卓が屍(しかばね)、肥胖(ひはん)なるに、屍を看る軍士、火を以て其の臍(ほぞ)の中に置き灯(ともしび)と為せば、膏油(こうゆ)地(ち)に満つ。百姓、過ぐる者、手を以て其の頭を擲(なげう)ち、足を以て其の屍を踐(ふ)まずと云ふなし。王允、又、呂布に命じ皇甫嵩(こうほすう)、李肅と同じく兵五万を領し、郿塢に至り董卓が家産人口を抄籍(しょうせき)せしむ。
却説、李傕、郭汜、張濟、樊稠、董卓が已に死し、呂布、将に至ることを聞けば、便ち飛熊軍を引いて連夜涼州に奔り去る。呂布、郿塢に至り、先ず紹蟬(しょうせん)を取る。皇甫嵩、将に塢中に所藏の良家の子女を命じ、尽く之を釈放せしむ。但(た)だ董卓の親属(しんぞく)に係(かか)るは、老幼を分(わ)けず、悉(ことごと)く皆誅戮(ちゅうりく)す。卓が母も亦殺さる。卓弟董旻(とうびん)、姪董璜(とうこう)皆斬首號令す。塢の中に蓄(たくわ)へたる黄金数十萬、綺羅、珠寶、器皿、糧食を収籍(しゅうせき)すること其の数を計(はか)らず、王允に回報す。允、乃ち大いに軍士に犒(こう)し、都堂に於いて宴を設け、衆官を召集し、酒を酌(く)みて慶(よろこ)びを称(しょう)す。正に飲宴の間、忽ち人報じて曰く、「董卓が屍(しかばね)市に暴(さら)され、忽ち一人、其の屍に伏し大哭す。」と。允、怒りて曰く、「董卓、伏誅(ふくちゅう)せられ、士民、慶賀せざる莫し。此の何人ぞ、敢て哭するや?」と。遂に武士を喚び「吾と擒(とら)へ來よ!」と。
須臾(しゅゆ)にして擒(とら)へ至る。衆官之を見るに、驚駭(きょうがい)せざる莫し。原來(もと)より那の人、別の人に非ず、乃ち侍中蔡邕(さいよう)なり。允、叱(しか)りて曰く、「董卓は逆賊、今日伏誅(ふくちゅう)せらるるは、国の大幸なり。汝、漢臣と為る、乃ち国の為に慶(よろこ)ばず、反(かえ)りて賊が為に哭するは何なるや?」と。邕(よう)、罪に伏して曰く、「邕、不才なりと雖も、亦大義を知る、豈(あ)に敢て国に背(そむ)き卓に向はんや?只一時、知遇の感に因り、不覚之が為に一哭す、自ら罪大なるを知る。願はくは公、原を見(み)て、倘(も)し黥首刖足(げいしゅげっそく)せらるるを得ば、漢史を續成(ぞくせい)せしめ、以て其の辜(つみ)を贖(あがな)はしめれば、邕の幸(さいわい)也。」と。衆官、邕の才を惜しみ、皆力めて之を救はんとする。太傅馬日磾(ばじつき)も亦密かに允に謂ひて曰く、「伯喈(はくかい)、曠世(こうせい)の逸才(いつさい)、若し漢史を續成せしむれば、誠に盛事と為す。且(か)つ其の孝行(こうこう)、素(もと)より著(あら)はる、若し遽(にわか)に之を殺せば、恐らくは人望を失(うしな)はん。」と。允曰く、「昔、孝武(こうぶ)司馬遷(しばせん)を殺さず、後史を作らしむれば、遂に謗書(ぼうしょ)、後世に流るるを致す。方今国運衰微(すいび)し、朝政錯亂(さくらん)す、佞臣(ねいしん)をして幼主の左右に執筆(しっぴつ)せしめ、吾等をして其の訕議(さんぎ)を蒙(こうむ)らしむ可からず。」と。日磾、言無く退き、私かに衆官に謂ひて曰く、「王允、其れ後(こう)無からんか!善人(ぜんにん)、国の紀(き)なり。制作、国の典なり。紀を滅ぼし典を廃(はい)すれば、豈能(よ)く久(ひさ)しかるべけんや?」と。當下王允、馬日磾の言を聴(い)れず、蔡邕を獄中に下し縊死(いし)せしむ。一時、士大夫之を聞く者、尽(ことごと)く為に流涕(るいてい)す。後人、蔡邕が董卓を哭(こく)するを論じて、固(もと)より自(おの)ずから是(ぜ)とせず、允が邕を殺すは、亦已(はなは)だ甚しと為(な)す。詩有りて嘆じて曰く、
董卓專權肆不仁、侍中何自竟亡身。
當時諸葛隆中臥、安肯輕身事亂臣?
且説、李傕、郭汜、張濟、樊稠、陝西(せんせい)に逃れ居(お)り、人をして長安に至り表を上(たてまつ)り赦(ゆる)しを求む。王允曰く、「卓が跋扈(ばっこ)せるは、皆此の四人の之を助(たす)くるなり。今、大いに天下を赦すと雖も、獨り此の四人を赦さず。」と。使者、回報じて李傕に告ぐ。傕曰く、「赦しを求めて得ざれば、各自逃生(とうせい)せんとす可(べ)きのみ。」と。謀士賈詡曰く、「諸君、若し軍を棄て單行すれば、則(すなわ)ち一亭長(ていちょう)も君を縛(つな)ぐ能(あた)ふ。若くは陝(せん)の人を誘集(ゆうしゅう)し、并(あわ)せて本部軍馬、殺入(さつにゅう)して長安に至り、董卓の為に讎(あだ)を報ぜよ。事濟(ことな)れば、朝廷を奉じて以て天下を正し、若し其れ勝(か)つ能はざれば、走るも亦未だ遅からず。」と。傕等、其の説を然(しか)りとし、遂に流言を西涼州に於いて曰く、「王允、将に此の方の人を洗蕩(せんとう)せんと欲す。」と。衆、皆驚惶(きょうこう)す。乃ち復(ま)た揚言して曰く、「徒(いたず)らに死すれば益無し、能く我に従ひて反するか?」と。衆、皆従はんことを願ふ。是に於いて衆十余万を聚(あつ)め、分作四路(し)、殺奔(さつほん)して長安に来る。路に董卓が女婿中郎將牛輔と逢(あ)ふ、軍五千人を引いて、丈人の仇を報ぜんと欲す。李傕便ち与に兵を合わせ、前駆と為さしむ。四人、陸續(りくぞく)として進発す。
王允、西涼の兵の來たるを知り、呂布と商議す。布曰く、「司徒、放心せよ。量るに此の鼠輩(そはい)、何ぞ數ふるに足らんや!」と。遂に李肅を引いて兵を将(ひき)い出で敵と為す。肅、當先して迎戦し、正に牛輔と相遇し、大いに一陣を殺す。牛輔、抵敵すること能はざる、敗陣して去る。想はず是の夜、二更(にこう)、牛輔、肅が備へ無きに乗じ、竟(つひ)に寨を劫(おびや)かし來たる。肅軍、乱竄(らんさん)し、敗走すること三十余里、軍を折ること大半にして、来り呂布に見(まみ)ゆ。布、大いに怒りて曰く、「汝、何ぞ吾が銳氣(えいき)を挫(くじ)かんや!」と。遂に李肅を斬り、頭を軍門に懸く。
次日、呂布、兵を進めて牛輔と對敵す。牛輔、如何(いかん)ぞ呂布に敵すること得ん、仍復(しょうふく)大敗して走る。是の夜、牛輔、心腹の人胡赤兒を喚び商議して曰く、「呂布、驍勇(ぎょうゆう)にして、萬(よろず)敵する能(あた)はず。若(し)くは李傕等四人を瞞(あざむ)き、暗(ひそ)かに金珠を藏し、親隨(しんずい)三五人と軍を棄(す)て去(ゆ)くに如かず。」と。胡赤兒、應允す。是の夜、金珠を收拾し、營(えい)を棄てて走り、隨行する者、三四人。將(まさ)に一河を渡らんとすれば、赤兒、金珠を謀り取らんと欲し、竟に牛輔を殺し、首を将て呂布に献ず。布、情由を起(お)こすを問へば、從人、首(しゅ)を出(い)だして曰く、「胡赤兒、牛輔を謀殺し、其の金宝を奪ふ。」と。布、怒り、即ち赤兒を誅殺す。軍を領(ひき)いて前進すれば、正に李傕軍馬を迎ふ。呂布、彼が陣を列(つら)ねるを等(ま)たず、便ち戟を挺(も)ち馬を躍(おど)らせ、軍を麾(ふる)ひ直に衝き過ぐ。傕軍、抵當(ていとう)する能(あた)はず、五十余里退き走り、山に依り寨を下し、郭汜、張濟、樊稠と共に議を共にして曰く、「呂布、勇なりと雖も、然りて無謀、以て慮(おもんぱか)るに足らず。我、軍を引いて任谷口を守り、每日、之を誘(おび)き厮殺(しそう)せしむ。郭将軍、軍を領して其の後(うし)ろを抄撃(しょうげき)し、彭越(ほうえつ)が楚を撓(みだ)すの法(ほう)に效(なら)ひ、金(かね)を鳴(な)らして兵を進め、鼓を擂(う)ちて兵を収む。張、樊二公は、却って兵を分ち二路、逕(ただ)ちに長安を取る。彼の首尾(しゅび)救應する能(あた)はず、必然(ひつぜん)大敗せん。」と。衆、其の計を用ふ。
却説、呂布、兵を勒(ろく)して山下に到り、李傕、軍を引いて搦戰す。布、忿怒(ふんぬ)して衝き殺し過ぐれば、傕、退き走りて山に上る。山上より矢石、雨の如く、布軍、進む能(あた)はず。忽ち報じて郭汜が陣後より殺し來たると言ふ、布、急ぎ回戦す。只(た)だ鼓聲の大いに震ふを聞き、汜軍已に退く。布、方(まさ)に軍を収めんと欲すれば、鑼聲(らせい)響く處、傕軍、又來たる。未だ敵に對(むか)ふに及ばず、背後より郭汜、又軍を領して殺し到る。呂布、来たらんとするに至るや、却って又鼓を擂(う)ち軍を収めて去り、激(はげ)しく呂布が怒氣胸に填(み)つ。一連如此(かくのごと)きこと数日、戦(たたか)はんと欲するも得ず、止(と)どまらんと欲するも得ず。正に悩怒(のうど)せるに、忽然と飛馬報じて來たり、張濟、樊稠の両路の軍馬、竟(つひ)に長安を犯し、京城危急すと言う。布、急ぎ軍を領(ひき)いて回れば、背後より李傕、郭汜、殺し來る。布、戦ひを恋(こい)ふる心無く、只(た)だ奔走(ほんそう)を顧(かえり)み、好(よ)き些(すこ)しばかりの人馬を折る。長安城下に到るに比及(およ)べば、賊兵雲屯雨集(うんとんうしゅう)し、城池を囲定(いじょう)せられ、布軍、与に戦ひ不利なり。軍士、呂布の暴厲(ぼうれい)を畏(おそ)れ、多く賊に降(くだ)る者有り、布、心甚(はなは)だ憂ふ。
数日之後、董卓の余黨李蒙、王方、城中に於いて賊の内應と為り、城門を偷(ぬす)み開けば、四路の賊軍一齊に擁入(ようにゅう)す。呂布、左衝右突(さしょううとつ)し、攔擋(らんと)め住(とど)むる能(あた)はず、数百騎を引いて青瑣門(せいさもん)外に往き、王允に呼んで曰く、「勢、急(きゅう)なり。請う司徒、馬に上(しょう)じ、同じく関を出で去り、別に良策を圖(はか)るべし。」と。允曰く、「若し社稷(しゃしょく)の靈(れい)を蒙(こうむ)り、国家を安んずるを得れば、吾が願なり。若し已(や)むを得ざるに獲(かか)れば、則(すなわ)ち允、身を奉じて以て死せん。難に臨みて苟免(こうめん)するは、吾、為(せ)ざる所なり。吾が為に關東の諸公に謝し、努力以て国家を念(おも)ふ。」と。呂布、再三相い勧むるも、王允、只(た)だ去らんことを肯ぜず。一時の内(うち)に、各門火燄(かえん)天を竟(お)ほへば、呂布、只(た)だ家小を棄却し、百余騎を引いて飛奔して関を出で、袁術に投じて去る。
李傕、郭汜、兵を縱(ほしいまま)にして大いに掠(かす)めば、太常卿种拂、太僕魯馗、大鴻臚(だいこうろ)周奐、城門校尉崔烈(さいれつ)、越騎校尉王頎、皆国難に於いて死す。賊兵、内庭(ないてい)を圍繞(いぎょう)すること至りて急なれば、侍臣(じしん)、天子に請じて宣平門(せんぺいもん)に上り乱を止(とど)めんとする。李傕等、黄蓋を望み見て、軍士を約(つ)どめ、口に萬歳を呼ぶ。献帝、楼(ろう)に倚(よ)り問ひて曰く、「卿等、奏請(そうせい)を候(ま)たず、輒(すなわ)ち長安に入る、意(い)何をか欲する?」と。李傕、郭汜、仰面(ぎょうめん)して奏(そう)して曰く、「董太師は乃ち陛下が社稷の臣、無端に王允に謀殺(ぼうさつ)せらる、臣等、特に仇を報(むく)いるに來り、敢て反(はん)を造(な)すに非ず。但だ王允を見(まみ)えれば、臣、便ち兵を退(ひ)かん。」と。王允、時に帝の側に在り、此の言を知るを聞き、奏して曰く、「臣、本(もと)より社稷の計を為す。事已に此に至る、陛下、臣を惜(お)しむを以て、国家を誤(あやま)る可からず。臣、請うて下り、二賊を見んと欲す。」と。帝、徘徊して忍びず。允、自ら宣平門楼上(せんぺいもんろうじょう)より樓下に跳(は)ね下り、大呼して曰く、「王允、此に在り!」と。李傕、郭汜、劍を拔(ぬ)き叱(しか)りて曰く、「董太師、何ぞ罪(つみ)有りて殺さるる?」と。允曰く、「董賊(とうぞく)の罪、彌天亙地(びてんこうち)にして、勝(あ)げて言ふ可(べ)からず。誅(ちゅう)を受(う)くるの日、長安の士民、皆相い慶賀す、汝獨り聞かざるか?」と。傕、汜曰く、「太師、罪有るも、我等、何の罪有らん、赦(ゆる)すことを肯(うけが)はざるか?」と。王允、大罵(たいば)して曰く、「逆賊、何ぞ多言せんを要せん!我王允、今日死(し)有るのみ!」と。二賊、手(て)を起(おこ)し、王允を樓下(ろうか)に於いて殺す。史官、詩有りて之を讚(たた)へて曰く、
王允運機謀、奸臣董卓休。
心懷國家恨、眉鎖廟堂憂。
英氣連霄漢、忠心貫斗牛。
至今魂與魄、猶遶鳳凰樓。
衆賊、王允を殺し、一面又人(ひと)を差(つか)はして王允が宗族の老幼(ろうよう)を將て、尽(ことごと)く殺害す。士民、涙を下(くだ)さざる無し。當下、李傕、郭汜、尋思(じんし)して曰く、「既(すで)に此に到る、天子を殺(ころ)して大事を謀らずんば、更(さら)に何時(いつ)を待(ま)たん?」と。便ち剣を執り大呼し、殺して内に入來る。是れ正に、
臣魁(しんかい)罪に伏して災(わざわい)方に息(や)み、賊に従ひ縦横(じゅうおう)して禍(わざわい)又來たる。
未だ獻帝(けんてい)の性命如何なるかを知らず、且く下文分解(かぶんぶんかい)を聽(き)け。
最終更新:2025年01月03日 22:39