86/9/2 「縁起の法の実践的利用法」
(丹沢集中セミナー)
「例えば、セックスに対してあんまり興味がなけれぱだ、いいか、あなたは手当たりしだいに女性を抱くか。どうだ。抱かないだろう、当然。
ところが、あなたがもうセックスがしたくてしたくてたまらなかったら、どうだ。何でも構わないんじゃないか。」
◎ヨーニ・ムドラー――外界をシャットアウトする方法
実践的に十二縁起の法をどう利用していくか。今日はそれを課題とする。
わたしたちは、六処によって外界と接触している。六処というのは何か。まず目、耳、鼻、口、そして身体だ。そして最後は、意識だね。
この六処の中で、五つは簡単にブロックすることができる。それは、まず社会から離れ、一人で座り、そしてね、ヨーニ・ムドラーをやることだ。
ヨーニ・ムドラーのやり方はいろいろある。例えばまず、小指で耳を押さえる。そして人差指で目を押さえる。それから中指で鼻を押さえる。そして、両方のね、薬指と小指で口をはさむっていうやり方。これが、まあ、一般的なやり方だ。いいですか。確かにこれによって、目、鼻、それから口、耳、の四カ所はシャットアウトできる。そして、社会から離れると、その上に身体のね、感覚を遮断することができる。
皆さんは、この六処が一番魔物であることを知っているか。例えばね、現代のアホな宗教家がこう言う。あの人は目が見えないと。目が見えないのはひどいカルマだったからだと。例えば、あの人は耳が聞こえないと。耳が聞こえないのは前生において、人の耳をつぶしたからだ。こういう言い方をする。まあ、そういう例もたまにはあるだろう。
ところがだ、わたしのセミナーの中で、視力の弱い人、あるいは耳の聞こえない人、こういう方々が数人いる。ところが、いずれも彼らは瞑想の達人だ。いいですか。それは彼らが、前生においてアラハットね――まあ、阿羅漢といわれている、最高状態だ――に行けないで、その途中で止まったからだ。
そうすると、例えば目の行が停止する。いいか。目の行が停止すると、次の生では目が見えない。耳の行が停止する。そうすると、次の生で耳が聞こえない。臭覚ね、鼻の行が停止する。そうすると、その次の生ではにおわない。同じだ、味がない、あるいは感覚が鈍いということになる。
これは、素晴らしいカルマだ。この世は一つの幻にすぎない。だから、まず、その幻から離れなければならない。いいですか。そのための一つの方法がヨーニ・ムドラーだ。
では、わたしはどうするか。どういうやり方を採っているか、ちょっと説明しようね。要点は、耳と鼻と口なんだよ。目はつぶっていれば、つぶられる、これは。意志でできる、これは。だから、目は押さえない。そして、まず親指を耳の中に入れる。実践してみて。耳の中に入れる。いいか。そして目は押さえないよ。額を押さえる。いいか。鼻を押さえる。そして口は、こうはさむんじゃなくて、押し込む、後ろにね。それがわたしのヨーニ・ムドラーだ。そして目をしっかりつぶりなさい。
これは、どういうときに行なったらいいか。それはあなた方の心がテレビを見たい、いい音楽を聞きたい、いい香りのとこにいたい、おいしいものを食べたい、そのときだ。
◎落下のプロセスをさかのぼれ!
では、触覚についてはどうか。あるいは意識についてはどうか。これはバンダをやりなさい、バンダ。例えばあなた方がやってるアパンクリヤだ。これによって確実に無感覚の状態が出てくるだろう。いいですか。それが仏陀の説いた十二縁起の法の中のね、六処、触、それから受、ここを破壊することだ。
君たちは、わたしたちの肉体がエネルギーでできている、それはわかるだろう。そして、そのエネルギーは一方方向にしか行かない。外側に向かうか、内側に向かうか、どちらかしかない。行き道は二つしかないわけだ。いいですか。
六処で遮断されたエゴというものは、名色に入っていく。名とは何か。これは四大、地――地のエレメントとは肉のことだね。水のエレメント、これは血液のことだ。で、火のエレメントは体温のことだ。風のエレメント、これは呼吸だ。これと、感覚、そして表層、心に思い浮かぶことだね。そして判断、識別、これに分類される。このプロセスで入っていく。修行を始めた人たちがよく色を見るのはこれだ。
例えば、グリーンのエレメントはエナジー。それから、プルーのエレメントはスペースね、空間。そして、イエローのエレメントはアースね、地。それから、水のエレメント、これは白ね。そして、ファイアー・エレメントは、赤だ。まずそれが見え出す、この修行をやっていると。つまり自分たちの肉体が、この五つで構成されていることがわかる。いいですか。
それでだ、もう少し修行が進んでいくと、どうなるだろうか。それは、六識に到達する。この六識のときに、天眼、天耳、他心、漏尽、宿命、この五つの神通力がつく。それはなぜか。根元的な部分だからだ。わたしというものの居所だからだ。いいか。その六識とは何か。目に関するヴィジョンの源ね。それから、耳に関する音の源。そして鼻に関するにおいの源だ。そして味に関する味覚の源だ。そして触覚に関する源だ。最後に、先程言った表層、それから識別、判断、こういう心理作用に関する源だ。いいですか。
この状態に到達したときに、逆に自分が何だかわからなくなる。なぜ自分が何だかわからないか。それは、わたしたちは、例えばここにあなたがいるから、わたしはここにいる。そうだろ。もし、あなたがいなかったら、わたしはここにいるというのは感じられない。その状態に到達する。外側と完全に遮断された状態だ。いいですか。
そこから、プロセスとしては行に入る。行というのは、これはもっと凝縮されている。心の中でしゃべるようになる。いいですか。そして、肉体から魂が抜け出して動くようなる。これは経験した人間がいる、わたしの弟子の中でも。そして、あと意識だ。この三つのプロセスに入る。これがいったい何を求めているか、よくわかってくるはずだ、そのときに。これが行のプロセスだ。
◎無明を減せよ!
そして、それからくるのは真っ暗闇だ。ここで一つ言っておきたい。アホな人間がね、例えば日蓮は真っ暗間にいるから、あれは無限地獄にいるという。あれは全くのどアホだ。彼は根本無明の中にいる。いいですか。別に彼は無間地獄に落ちたわけではない。
つまり、最後のプロセスは真っ暗闇なんだ。全体が真っ暗闇だ。で、自分がどこにいるかわからない。これを根本無明というんだよ。無明だから無智なんだよ。そうだろ。
例えばね、ちょっといいかな、真っ暗闇で、光の全くない状態で、あなたは本を読むことができるか。できないだろう。それと同じことなんだ。この真っ暗闇の中では、知識というものは得られないんだ。わかるか。もし、そこで知識というものを得ていたら、真我は動かない。なぜ動かないか。これは、自分を苦しめるためのプロセスだということがわかってるから。ところが真っ暗闇だから動かざるを得ない。
じゃ、この真っ暗闇とは、なぜ、その真っ暗闇の中に自分はいるんだということになる。いいか。A君、なぜ真っ暗闇の中に自分がいると思うか。
(A)外界を遮断したから。
(尊師)違う。じゃあS君、なぜだと思うか。
(S)んー、……。
(尊師)じゃあ、O君どうだ。
(O)……。
(尊師)この真っ暗闇というのはエゴだ。つまり、自分たちがなしてきた、過去世から今までの経験がね、壁となって生じているわけだ。だから、じーっとしていれば、そのエゴは落ちる。あるいは、いいですか、真っ暗闇の落とし方を知っていれば、それが落ちるわけだ。落とす方法、これがジュニアーナ・ヨーガだ。一つずつはいでいく、これがジュニアーナ・ヨーガだ。いいか。
もう一つの方法が只管打坐だ、これは。ただ、重力の法則じゃないけども、そのエゴが落ちていく、時間が経って落ちていく。カルマっていうのは時間によって出てくるからな。これが、単に座る禅だ。もう一つは、その真っ暗闇の状態で、魂を工ネルギーによってぶち抜く。そして上昇させて、その世界から抜け出す。これがクンダリニー・ヨーガだ、プロセスとしては。いいですか。
他の方法では解脱はしない、言い方を換えれば。必ずこの三つのどれかのプロセスをたどる。いいか。つまり、真っ暗闇じゃないんだよ、最後は。目をつぶっていても光輝くようになる。A君は経験しただろう、少しは。
(A)ええ、経験しました。
(尊師)どうして、それなのに目をつぶっているかなんだ、遮断しているかなんだ。
(A)ちょっと、前の無明という言葉にこだわってたみたいです。
(尊師)そうだろ。つまり君たちが解脱することは簡単なわけだ。どうしたらいいか。自分をつくり上げている壁を破ってしまえばいい。それはどんなやり方でも構わないわけだ。これがわたしのシステムだ。オウムのシステムだ。だからオウムにはクンダリニー・ヨーガがある。そして、ジュニアーナ・ヨーガがある。そしてただ座らせる場合がある。いいですか。だから皆さんは確実に解脱することができる、本気になれば。
◎色を塗る以上に色を落とせ!
ところがだ、現代人はこうだ。
「わたしは瞑想が好きなんですよ。」
「ほ―、それは素晴らしい。何分やりますか。」
「ええ、毎日三十分やってます。」
ね。確かに現代生活において三十分というのは大変な時間だ。しかしよく考えなさい。わたしたちは毎日毎日、壁にね、色を塗っているわけだ。二十三時間三十分の間ね、色を塗り続けているわけだ。そうだろ。経験という色を塗っているだろう。わかるか。その経験という色を落とす時間と、塗る時間とどっちが長いか。だからね、最低六時間、ミニマム六時間とパイロット・ババが言った。わたしもだいたい最低六時間欲しいと思う、解脱の人はね。
それはなぜか。まず睡眠、これを八時間減らす。それから食事、それから、ただ単に考えないで動いてる時間、これを四時間減らすんだよ。そうすると、十二時間残る。そうすると塗った分だけは消すことができる。で、瞑想に熟達してくると、塗るよりも消す方が速くなる。だから解脱できるというわけだ、理論的には。わかるか。
じゃあ例えば、一日三十分じゃ何の効果もないか。そういうことはないよ。普通の人は、おそらくね、今日本に一億一千万ぐらいの人日がある。この中でだ、人間界以上に行ける人は一万人ぐらいだな。そんな比率だ。つまりあなた方は、その一万人の可能性があるわけだ。仏陀が現われたときは別だよ、その十倍、百倍に跳ね上がるから。いいかな。
たとえ三十分、一時間しかなくとも、だから毎日色を塗っているわけだからね、どんどん落としていきなさい、できるだけ。それしかなかろう。そして、あるいは生きているときに、生活しながら自己を絶えず反省しなさい。反省というのはね、これはできなかったらもうしないようにしようじゃないよ。これはどこから出てきたんだろうか、そして、今この結果はどこへ行くんだろうかを考えなさいということだ。いいか。そうすることにおいて、少なくとも壁塗り、それから落とす、この作業がね、壁塗りのスピードが遅れる。ずいぶん遅くなる。
修行というものは急げという、よく。なぜ急げというか。それはいつ死ぬかわからないからだという。しかし、本質的にはそれだけではない。いいか。それは今言ったとおり、わたしたちはこの世で生きている。そしてわたしたちは壁に一生懸命色を塗っているんだ。それはエゴだ。だから、ゆっくり修行すればするほど、壁は汚くなるんだよ。わかるか。
だから、もし解脱を志している人間がいたら、今すぐマインドをチェインジしなさい。わたしは解脱すると。これが解脱へのプロセスだ。本気になって解脱に向かえば難しくはない。しかし、ほとんどの修行者は逃げているね。わたしたちは、逃げでは何も得ることができない。
◎動いている世界の中で
今日皆さんが食事に行って、こういう質問があった。クリシュナムルティがね、すべての行を否定しろと、動くなといっているわけだ。だから、麻原のやり方と少しズレがあると。それはどういうことか説明してくれと。大変いい質問だったね、これは。
ところがよく考えてごらん。クリシュナムルティというのは、神智学協会でマイトレーヤと指名されたわけだ。小さいときから教育を受けている。小さいときからただ座りなさいと、座らされているわけだ。いいですか。だから、彼の解脱のプロセスにおいてはだれの邪魔も入ってない。それどころか、みんなが協力している。逆に彼に話しかけないように、触れないように、そして話すときには宗教的な話しかしない。だから、彼の話を理解できる人間はほとんどいなかった。その彼もそうだ。
しかしよく考えなさい。わたしたちは動いているんだよ。例えば、わたしとあなたは話す。そうだろう。話すときにわたしは情報を得る。あなたも情報を得る。そうだろう。あるいは、外を歩けば、おいしいものがたくさんある。そうだろう。そのおいしいものがたくさんあるというのは何か。わたしたちの瞑想を落としてくれる。そうだな。女性の誘惑はどうだ。これも限りなくある。そうだね。
彼は、そういう環境じゃない状態で解脱してしまった。だから、わたしたち、凡夫のことはわからない。ところが、わたしたちは動いているんだ。まだ動いている世界の中にいるんだ。だから、それをまず止めなければならない。
つまり、動かないものは、そのままじっとしていれば動かない。そうだね。ところが、動いているものは力によって止めるしかない、これは。それが行だ。つまり、猛スピードで走っている車をどうやって止める。ブレーキをかけるしかない。例えば、山の上方から、丸太が落ちてきたと。放っておいたらどうなる。これを止めるしかない。その止めるときには行が必要だ。いいですか。
◎すべては条件によって
わたしがよく使うたとえの一つにこれがある。もしだよ、あなたが満腹だったら、本当におなかいっばいだったらだ、あなたの最も好きなものをわたしが出したときに食べますか。食べないでしょ。ところがだ、あなたが最もおなかがすいていたらだよ、あんまりおいしくないものを出したとき食べますか。食べるでしょ。
つまり、条件によって変わってくるわけだ。そのとき聖者は二つの話をする。一つはこういう。あなた方は満腹だったら食べてはいけないと。ところが、おなかがすいている国へ行ったら、こういう。あなた方は満腹になるように経験しなさいと。これは全く矛盾していることだ。たくさん食べなさいという。いいか。
しかし、それは本質的には同じことをいっているんだ。それはわかるだろう、みんな。これはセックスにおいても同じだ。例えば、セックスに対してあんまり興味がなけれぱだ、いいか、あなたは手当たりしだいに女性を抱くか。どうだ。抱かないだろう、当然。ところが、あなたがもうセックスがしたくてしたくてたまらなかったら、どうだ。何でも構わないんじゃないか。
それは、あなたが日本人だからだよ、まだ乾いてないんだ、本当に。で、パグワンはこういっている。とにかく経験し尽くしなさいと。わかるか。それを、彼はアメリカに行っていっている。アメリカ人は飢えているわけだ、日本人に比べてだよ。それはわかるだろう。つまり、アメリカ人おなかをすかせているわけだ。だから食べなさいといっている。でないと、ものすごいストレスになるから。それはわかるね。
ところが、日本人はそれほどおなかがすいていない。そうだろう。だからいいものを食べなさいという。つまり、好きな人を選びなさいという。そして心の訓練をしなさいという。わかるね。
つまり、二者はね、本に書き出したときはこうなる。例えば、麻原は徹底的に行をしろという。クリシュナムルティはいっきいの行をやめなさいという。これは矛盾だ。そうだね。もしわたしとクリシュナムルティが同じ状態だったら、そうだろう、矛盾だろう、これは。文章の上では。それからもう一つ、パグワンは徹底的にセックスをしなさいといっている。わたしは、まあ我慢できなくなったらしなさいという。これも違いだな。文章を見ると矛盾だな、これは。
ところが、あなた方はその本を読んでいるんだ。わかるか。だから、その本においては、何も真実を語ることができない。あなた方は、アメリカ人だったらわかるはずだ、おそらくパグワンの話が。
つまりね、もう一度考えなさい。すべては条件によって生じる。いいですか。条件によって生じるから答えは違ってくる。いいですか。例えばAという人が質問したことに対しては、その条件で答えるからBしか返ってこない。答えは一つだ、必ず。
ところが、Cという人の質問に対してはDという答えしか返らないんだよ。わかりますか。そして、この世はすべてからくりなんだ。からくりとは全言ったように、同じ人間でありながら、わたしたちとアメリカ人とは違う。これはからくりなんだよ、一つの。仕掛けなんだ。
◎わたしを利用しなさい
で、わたしは何をやらなければならないか。それはあなた方が引っかかっている仕掛けを解いてあげればいい。つまり、あなた方の我執、エゴというものに何色が塗られているか、それを知って外してあげればいい。そうすると、あなた方は解脱するわけだ。わかりますか。解脱させるためにはそれしかないよ。
これは、今から、どんな聖者が出ても同じことを説くだろう。そして時代、背景によって説くことが違ってくるだろう。例えば、釈迦牟尼みたいにね、禁欲を美徳としていた時代だったら、わたしも禁欲を説いている。ところが、今禁欲したら、それはアホだという。あそこは単なる観念論者の集団だという。そうだろう。そう思わないか。
つまり、わたしたちは、二十一世紀寸前に生きてるわけだ。今は釈迦牟尼の時代とは違う。イエス・キリストの時代とも違う。だから、わたしたちの舞台は違っているわけだ。二千五百年を隔て、あるいは二千年を隔て違っているわけだ。
だったら、過去のね、遺物がわたしたちに役立つと思うか。よく考えてごらんなさい。行法については役立つかもしれないよ。しかしだ、例えば今言ったとおり、二十世紀に生きているパグワンの本ですら役立たない、わたしたちには。解脱している、リアライゼーションに到達しているクリシュナムルティの本ですらわたしたちには役立たないわけだ。そうだろう。
だったら、わたしたちは日本人はだ、日本人の気質に合ったからくりの説き方しかない、これは。だから、もしあなた方が解脱したいと思えば、徹底的にわたしを利用しなさい。わたしは答えるから。あなた方が徹底的にやればやるほど――本質的な部分でだよ、意味のない質問じゃなくて――引っかかっている部分を徹底的にやればやるほど、あなたたちは苦しむだろう、おそらく。
それは、あなたたちは本当は知っているんだよ、答えを。わかるだろう、知っているっていう意味は。本質的には知っている。でもそこから逃げたい。わかるだろう。いいですか。だから、納得するまで徹底的にわたしを利用しなさい。そうすることによって、必ず解脱がくるだろう。そんな難しいものではない。今言ったとおり、たかだか、六処を滅する。名色を滅する。識を滅する。行を滅する。そして無明を滅する。これだけだ。五つのプロセスしかない。だからわたしは、本気で頑張ったら早いという、解脱は。そんな難しいものじゃないという。
◎上昇のプロセス――解脱ヘ
ところがだ、先程もちょっと話したが、昨日と今日、Aが来た。ヨーガの先生だ。で、わたしに言った。パイロッ卜・パパはわずか七年で解脱したんですよと。わたしは二十五年やっています。インドで二十五年、三十年、ヨーガをやっている人はたくさんいますと。
わたしはそのときこう言った。その連中は一日二、三時間で、あとはピース、ピースと言って遊んでいると。それはなぜか。今言ったのが正しい。つまり、彼らは一生懸命
怠惰という色を自分たちのエゴに塗りつけている。わかるか。そして行はろくすっぽしない。そして、この動いてるインド社会に生きている。解脱するわけないだろう。わかるだろう、言ってることは。
だから年数ではない。その人が本当に六処を滅する。そして名色を滅する。そして識を滅する。行を滅する。そして根本無明を滅する。そうすると解脱に至る。大したことはない。ファイブステッブだ、わずか。いいですか。これが解脱のプロセスだ、釈迦牟尼の説いたね。
そして、その無明を減するプロセスが、信、これはもう、一回出たからわかるね。まず信じる、徹底的に信じるということ。これは肉体、魂、精神、すべてをグルに捧げるということだ、言い方を換えれば。そこまでできるかどうかだ、まず第一は。
そして、悦、これはクンダリニーの覚醒によって背骨が気持ちいい状態だ。そして、喜、それはツァンダリーの状態で、上から下に落ちてくる状態だ。そのとき非常に気持ちがいい。これは後ろから上がるのは性感に似ていて、前から落ちるのは平安だ。それによって安定する、すべてが。それは軽安だ。そして、深い瞑想に入ることができる。これは楽だ。そうすると、一つのものに精神をずっと集中し続けられる。そしてサマディに入る。三昧だ。それによって、この世がどういうふうにできているか、すべてを知ることができる。それが如実知見だ。
そのプロセスに入ると、もうこの世のものすべてがわたしのものではないということを悟る。いいですか。そして、遠離するね。離れる、すべてから。そしてすべての貪りを捨てる。その状態が解脱だ。
だから、三昧から二つのプロセスがある。その一つのプロセスは何か。これは、すべてを知るということだ。いっさいを知るということだ。例えばわたしはここにいる人たちのすべてのカルマを知っている。それは何人かに試しているはずだ、わたしは。それは、あなた方と話さなくともわたしにはわかる。
その次の段階が遠離、離貧のプロセスだね。つまり、すべてから離れて貧らないた。仏教ではね、断食を否定しているんだよ、釈迦牟尼はやったけども。それはなぜだかわかるか。アホな連中は何でもかんでも、すぐがむしゃらにやる。いいですか。そうするとだ、例えば断食した後、ものすごく食べてしまう、ほとんどの連中は、精神が弱いから。それによって逆にね、餓鬼道のカルマをしょってしまうんだ。
だから、仏教では一日一食といっている。それは一食で生きていけるから。この肉体を保持できるからだ。その状態がある程度過ぎると解脱する。解脱すると、君たちはわからないだろうが、この世は夢だ。本当に夢を見ている状態た。わたしがあなた方とこうやって話している、これもわたしにとっては夢だ。そして瞑想、三昧の状態のときだけがわたしにとっては真実だ。いいですか。
この中で、真の目が開いている人は、わたしがわかるだろう。真の耳が聞こえている人は、わたしの声が聞こえるはずだ。よし、以上で今日の説法を終わります。
最終更新:2017年12月02日 23:32