ホームズが封印の谷と霧の沼で壮烈な戦いを繰り広げていた頃、レダを制圧していたリチャードはガーゼル教国の本領ゾーア地方に攻め込んでいた。ゾーア南部の要衝サイをセネト軍と共に落としてからというものの、リチャードはしばらくサイ周辺の敵対勢力を駆逐していき、ついにゾーア地方中央部に侵攻を始めた。ここを制圧すればリーベリアの3分の1に当たる広大なレダの領土を全域手中に収めることになることもあって、リチャード軍の意気はとにかく高い。だがその一方でリチャードは度重なる勝ち戦でガーゼル軍を侮り始めていた。その隙を見逃すほど、天は優しくなかった。
 リチャード軍は順調に行軍を続けて、サイから数時間でゾーア地方中央部への玄関とも言えるソニア要塞に到着。要塞とは言っても天下に鳴り響くバルド要塞、リグリア要塞に並ぶほどではなく、どちらかといえば砦に近い小規模の構造となっている。それゆえにリチャードは攻略は易しと読んで、すぐさま攻略を開始した。しかしここに篭るガーゼル軍の士気は異常に高く、それでいてひたすら守りに徹しているためになかなか隙が出来ない。しだいにリチャード軍の被害が甚大になっていったため、リチャードは唇を噛みながら撤退の合図を出した。次の日も同じようにリチャード軍は火の出るような勢いでソニア要塞を攻め立てたが、前日同様にリチャード軍の大敗に終わった。二度の大敗で完全に逆上したリチャードはさらに次の日、精鋭ブラックストライクを繰り出した。さすがに精鋭ブラックストライクの前では負けはないだろうとリチャード軍の誰もが思ったが、その結果はやはり惨敗だった。貝のように篭りながらも、恐ろしく士気の高い部隊の前ではさしもの精鋭も抜群の攻撃力を発揮することができなかったのである。これによりリチャードの面目は完全に潰れた。ではどうしてソニア篭城兵の士気はリチャード軍を凌駕するほどに高かったのか?理由は簡単である。ここを抜かれた場合、リチャード軍を抑えることが絶望的なのである。詳しく言えばガーゼル軍の戦力がこのソニアにいるのみで残りがノルゼリアやら教皇グエンへの供奉やらで出払っていることもあり、またソニア以北にリチャード軍を迎撃できるほどの要害がない。そして「窮鼠、猫を噛む」の言葉通りに、ソニア篭城軍がリチャード軍に一矢を報いたわけである。
 そして窮鼠に噛まれたリチャードは、とにかく激していた。ここまで無残な負け戦をしてしまったためにティーエやノール以外の誰もがリチャードを恐れて、それぞれの持ち場で震えていた。

 それから2日後、リチャードは突如として軍をサイに返すことにした。訝る将兵たちだが、今のリチャードに文句や不平を言えば即座に首が飛ばされそうなので黙々と撤退作業に入った。数時間の撤退作業も完了し、ノール率いるノール公国軍を殿軍としてリチャード軍は粛々と5日前に来た道を戻っていった。
 サイに戻った翌日、リチャードはすぐさまレダに軍を戻した。リチャードはどこからかグエンカオスが邪神の祭壇にいるという情報を得て、とにかくグエンの首を一番乗りするためにわざわざレダに戻ってきたのである。もちろん目的地は土の神殿である。しかし一度制圧したとは言ってもレダはやはりまだ魔獣の巣となっている。つい数日前まで負け戦をした軍勢がまた来るときに苦労した道を戻るのであるから、さすがにここでリチャードの采配に疑問を持った何百人もの将兵が逃亡していった。さらにはリチャードにまともに意見を言えるティーエやノールにリチャードを諌めるよう頼むものも後を絶たなかった。リチャードの弟分とも言えるノールは今の感情に動かされているリチャードを危険に思っていたが、彼もまたどこかでリチャードを恐れているようで
「リチャード様には何かしらの考えがあるに違いない。」
と言って、訪れてきたものを落ち着かせて帰すしかしなかった。それとは対照的にティーエは将兵たちの意見を真っ直ぐリチャードに伝えている。しかしリチャードはそんなティーエを心の中で少しずつ邪険に思い始めていたが、それを口にせずにただ無視するだけだった。そんなやや危険な雰囲気で粛々とレダ領内を進んでいったリチャード軍は何とか土の神殿に到着した。そしてすぐさまリチャードは総攻撃を始めた。ここにいるガーゼル軍の数は少なく、ここを巣としている魔獣の方が多い有様でテンでバラバラな敵軍にリチャード軍は格好の獲物とばかりに次々と牙を剥いていった。土の神殿は瞬く間に陥落し、奥にあった聖剣レダも発見した。久々の勝利にリチャードはようやく溜飲をあげた。そして将兵の労をねぎらうように、この日はここで休みに入ることになった。
 久方の戦勝でやや緩んだリチャード軍だったが、すぐに気を引き締めて打倒グエンカオスを唱えながら土の迷宮へと進んでいた。連勝を期し、意気揚々と乗り込んだリチャード軍だったが、その意気はすぐさま迷宮の闇に吸い込まれていった。迷宮の道幅はとにかく狭く、それでとにかく暗かったために、次々と先行する部隊の行方不明となった知らせが相次いでもたらされた。幸い、夜目が利き、土の迷宮についてわずかながら知識のあるティーエの先導でリチャード軍本隊は無難に進軍することができたが、それでも後続の部隊の失踪も続き、気がつけばその数は迷宮に入ってきたときの半分を切っていた。ある程度迷宮を進んだリチャード本隊は次にガーゼル魔道軍の強烈な魔法攻撃を受けることになった。魔法耐性の強い、ティーエの精鋭サイファードが先頭を切っていたので大事には至らなかったが、それでも将兵の心の中にある不安は少しずつ大きくなっていた。数日に及ぶ進軍で何とか迷宮の回廊を潜り抜けたリチャード軍の前に、バージェの戦いで散ったベロニカの弟ジェロム率いる暗黒魔道師団が襲い掛かった。長い回廊によって疲労が溜まっていたリチャード軍はこの猛攻に浮き足立ち、我が先にと暗闇の回廊へと戻っていく。これに憤激したリチャードは単騎突撃して、見事にジェロムを討ち果たした。これに勇気付けられたティーエ、ノールも奮い立ち、ついにガーゼル暗黒魔道師団を壊滅させることに成功した。

 リチャード本隊はなおも進軍を続けて行った。ふと突如として巨大な広間が現れて、その真ん中にあの人物が立っていた。直に会ったことがないが、やはりその者のかもし出す雰囲気は邪気で満ち溢れているのかティーエとリチャードが声を揃えて叫んだ。
『グエンカオス!!』
その人物こそこのリーベリアで暗躍しているグエンカオスその人であった。
「ようこそ、邪神の祭壇、の入り口へ。貴公らが一番乗りだ。」
「当然だ。ついでにお前の首も一番乗りさせてもらう。」
リチャードが愛槍を構えた。
「ククク、貴公らにはわしよりも相応しい相手を用意しておいた。」
そう言って、グエンの後方に巨大なワープの魔法陣が降臨した。まだ実体がはっきりしないが、その威圧感は尋常ではなかった。その威圧感を全身で受けたティーエは今まで感じたことのない胸騒ぎを覚えた。
「貴様らが魔竜と称して恐れていたモノの力をとくと味わうがいい。」
そして姿を現したのがレダに潜んでいたはずの魔竜クラニオンだった。これにはリチャードもティーエもノールも戦慄した。3人でそうなのだから他の将兵たちの生き心地など吹き飛んでしまった。すぐに数人が今来た道を戻っていったのを皮切りに、次々と雪崩を打って逃亡者が相次いでいった。そこにクラニオンの大火球が辛うじて足を留めていた精鋭サイファードに炸裂した。わずか一発の火球でサイファードは壊滅した。これにさしものリチャードの精鋭ブラックストライクもついに浮き足立ち、次々と逃亡者がでてきた。しかしリチャードも止めることはできない。彼自身、クラニオンの威圧感に呑まれていたのである。槍を構えようとしても手が振るえて、どうしようもなかった。するとクラニオンの視線が彼らのもとに来た。絶体絶命。
 その時、ティーエが前に出て、ずっとクラニオンの目を見つめた。クラニオンもそれを感じたのか、ついにティーエと視線を合わせた。と、クラニオンの動きが止まった。もちろんそんなはずはないのだが、リチャードやノールにはそう見えたである。グエンもまたここに異変を感じ取っていた。ここで彼らを葬り去れば、己の邪魔者はいなくなると踏んでおり、そのために不本意ながら恋人ティータことクラニオンをわざわざ転送したのであったが、やはり唯一の不安が的中してしまったようだ。名前からも分かるとおりティーエとティータは同じレダ王家の人間で、多少遠いが親戚同士である。そしてグエン自身、ティーエの容姿があの日のティータに似ていることを感じている。おそらくクラニオンの中でティータが覚醒しつつあるのだろう。
「もういい、クラニオン戻れ。」
どこか焦った声でグエンが転送の術でクラニオンを飛ばした。グエンからすれば、リチャード軍を無力化させただけでも最低限の目的を果たそうとしたのである。
「ではリチャード王よ、取引と行こうか。貴公が今までに切り取った地の安堵はもちろんのこととして、それにゾーアの地を付けるゆえ、ティーエと交換しないか?」
「・・・」

 リチャードはついさっき部下と共に戦い抜いてきた闇の迷宮を戻っていた。それを後ろからノールが憤った声をあげる。
「なぜグエンカオスの出す条件を呑んだ!!!」
そこに主君に対する敬意などなかった。結局、リチャードはグエンの出す条件を呑んだのである。まさかリチャードが宿敵とも言えるグエンと取引してきたのがノールには今までの戦いが無駄のようであってならないのだ。対してリチャードは何も言わない。それがさらにノールの癪にさわる。今にも掴みかからんほどの剣幕でリチャードに詰め寄る。それをエリアル軍から離れてこちらに付いてきたアフリードが止めにかかる。止むを得ずにノールは落ち着くが、その目は鋭くリチャードを射ていた。だがリチャードはそれを流し続けた。ついにノールは業を煮やして先に回廊を戻っていった。それに付いていくようにティーエについていたレダ三姉妹もノールの後を追っていった。残ったのはリチャードとアフリードだけとなった。
 回廊をリチャードとアフリードの歩く音がこだまする。どれくらいの時が流れたのだろうか、リチャードにはそれが遥かに長く感じて、そして短くも感じていた。ふとリチャードは歩みを止めて、アフリードに振り返った。
「俺を祭壇に飛ばしてくれないか?」
この言葉がリーベリアに最初の奇跡をもたらす原動力になることになる。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月17日 02:27