それはもはや賭けでしかなかった。セーナからこれから試そうとすることを聞いたメリエルはその事の重大さが把握しきれないでいた。だがわからなくともやらなければならない。メリエルはオーラレインを抱えて、長い詠唱に入った。セーナはそんなメリエルの心中を察して、そして己の魔力をメリエルに捧げるために彼女の手を握り締めた。やがて詠唱を終えたメリエルはセーナの手と共に空に掲げた。今、ナーガ対ロプトウス、ファルシオン対メディウスを遥かに凌ぐ規模の熾烈な空中魔導戦が繰り広げられた。
しかしリーベリア全土に『黒き雨』の被害は避けられなかった。この雨で何も知らない小動物たちの命が大量に奪われ、そしてサリアなどに豊富に点在した大森林にもかなりの被害が出ている。ただ人類への被害はほぼ皆無に等しかった。というのもセーナが各地に派遣した使者を通じて「黒き雨」の可能性を示して、各国に国民の外出を禁止する緊急法の制定を約束させていたのだ。もっとも内政の干渉だと渋るものもいたが、セーナが数々の戦で築き上げた威信と、その卓越した外交手腕で見事に成し遂げている。しかし先にも触れた通り、リーヴェ王都ではこれが発布されずにこの「黒き雨」で十万単位の犠牲者が出ている。そしてこの「黒き雨」はセーナの予想通り、ユグドラル西部の大国アグストリアにも降り注いだ。もちろんここにも遺漏なく同様の緊急法が整備されて、大事には到っていない。
セーナの水面下の活動が功を奏しているが、「黒き雨」を長く発動されれば被害はリーヴェに留まらずに世界各地に広がっていくだろう。一刻も早くガーゼルを倒さねばならないのである。この「黒き雨」によってガーゼルの動きは恐ろしいほど緩慢になっているが、そのガーゼルを守るように怪しい光がまとい、全くリュナンたちの攻撃が通らなくなってしまっている。セーナがメリエルの顔を覗き込むとすでにほとんどの魔力を使い果たしているためか汗がだくだくと流れ出ている。そしてセーナ自身もさっきガーゼルから受けた傷が原因で、魔力を上手に搾り出せないのが現状。まさに人の希望「オーラレイン」は露と消えようとしている。
「セーナ、混沌の魔法陣【カオス・スクウェア】を使え!!」
セーナとメリエルの状態を察してライトが思い立ったように叫んだ。この【カオス・スクウェア】は火・風・雷・光・闇それぞれの加護のある魔道士を五芒星の各点上に配置して、彼らの魔力を融合したカオスの力をもって魔法陣の中心にいる術者を強力に援護するモノで、代々シレジアでフォルセティと共に密かに継承されてきた必殺陣形である。もちろん五芒星の各点にいる魔道士と、中心にいて援護を受ける術者が異なる精霊を祭っていること(つまり別の大陸出身)が絶対条件である。また魔法陣への配置のために光にメリエルを置くため一瞬でもメリエルはオーラレインを解かなければならない。すでにシャルの働きもあってリシュエル、メリエル、マルジュのほかにエリシャ、シェラも駆けつけてきている。若干シェラの魔力に不安があるが、やらねばならないのは事実。そしてメリエルが魔法陣を形成させるためにオーラレインを解いた。これを好機とガーゼルが一気に魔力を注ぎ、さらに「黒き雨」を強化するもあと一歩のところでセーナによって防がれた。
「お母様、お力を借ります!」
『オーラ!!』
オーラレインとは威力が根本的に落ちるが、ガーゼル軍がほぼ壊滅して味方の軍勢が集結しつつあるのでセーナはさほどオーラの密度を下げずに「黒き雨」に抵抗できる『オーラ』を発動することができた。このオーラは父セリスが挙兵してイザーク制圧戦の半ば達成した時に母ユリアに渡した最初の『プレゼント』である。そしてこれが皮肉にも父セリスが残した数少ない遺品となった。ユリアはセーナの嘆願でカナン城に留まっているが、セーナがカナン城を発つときにユリアがこのオーラを託したのである。
しかしセーナの『オーラ』も所詮は「普通の人が使える」最強の光魔法に過ぎない。いくらセーナの魔力が優れていようが、やはり「黒き雨」の破壊力の絶対値はオーラを凌駕している。もうすぐセーナの『オーラ』が破られるその時、セーナを囲む5人の魔道士たちが魔力を解放した!!【カオススクウェア】が発動したのだ。5人の魔力をもらったセーナの『オーラ』は桁違いに密度が増えて、ようやく「黒き雨」に対抗できるまでになった。だが各魔法のバランスに若干の偏りがあるために未だに【カオススクウェア】の真の力が発揮できなく、それでいてすでにいつ崩壊してもおかしくない状態に陥っている。それぞれの精神力が【カオススクウェア】を支えていた。
これを遠めで見ていたリュナンたちも意を決してガーゼルに突っ込む。だがガーゼルをまとう光はリュナンたちを弾き返し、ならばと放ったティーエの聖魔法プレリュードも闇のオーラに飲まれるのみだった。焦るリュナンたちだが手がない。ミカの部下たちが魔力を結集して、魔導砲を放つも無意味に終わり、しかも肝心の魔導砲に大きいひびが入って使い物にならなくなってしまった。すでに【マジックスクウェア】も唯一聖魔法クラスの魔法を持たないシェラの限界が近付いている。それと比例して地面に映し出されていた五芒星も薄くなる。セーナの負担が再び倍増して、負傷した体も悲鳴をあげている。
黒き衣もまとった救いの神が魔法陣に来たのはこの時だった。その人物を見た誰もが絶句した。ゾーア帝国と共に暗躍し、そして付けられた異名が「ゾーアの魔女」。そう、カルラであった。シゲンとの戦いで一瞬の隙を突かれ、斬られそうになったがシゲンはそのドラゴンメイルを斬ったのみだった。その後、カルラを捕縛してシェラが行った魔法陣へと向かったのであった。
「何のつもりシゲン。私にあの出来損ないの代わりをしろと。」
出来損ないとはもちろんシェラのことである。カルラから見れば魔力もそれほどもなく、それでいて国を裏切った彼女には人として写っていないのである。
「そのまさかだ。このままでは俺の愛するシェラは・・・いやシェラだけじゃない。この世界中の生きとし生けるものが死滅するんだ。」
この真剣なシゲンの目が、昔自分を愛してくれた人物の目と重なる。少し前のカルラならすぐに『否』といったはずだが、その瞳によってカルラの中で何かが溶け出そうとしていた。それは「ゾーアの魔女」ではなく、【シゲンの母】としての心なのかもしれない。カルラは無言のままシェラに歩いていき、そして、手を差し伸べた。苦しみながらもその手を見つけたシェラがその手に取り付いた。
「この出来損ない!魔力というモノはこういうものよ!!」
次の瞬間、シェラの中に恐ろしく、そしてとても温かい魔力が流れ込んだ。シゲンとカルラの愛が「ゾーアの魔女」の心を溶かした瞬間である。これで魔法陣は見事に立て直し、再び拮抗した状態を取り戻した。それでも当のセーナの疲労が顕著であるためにやはりまだ長くはできない。
光と闇の膠着状態が続く中、魔法陣を少し離れた所でまた新しい聖なる光が輝いた。ライトと共に行動をしていたコープルの持つバルキリーの杖である。セーナが初めてリーベリアに来た時と同じような光である。驚くコープルだが、何かが起こる前兆であることを直感し、それに己も魔力を託すことにした。するとその光はますます強く輝きはじめ、祭壇の下のほぼ全体を優しく包み込んだ。
それに呼応するように生きる屍と化したエンテが隠し持っていたホーリーソードが輝き出す。いやこれだけではない密かにホームズがカトリに渡していたロングボウ、そして亡き母から送られたネイファのお守り、さらにはティーエの持つ聖魔法プレリュードも神々しく輝き始めている。リュナン、ホームズ、セネトは何が起きたのかわからずに戸惑うも、その光は次第に祭壇も満たし始める。そして・・・・奇跡が起きた!!
その光が弱まった後、3人は己の目を疑った。物言わぬ体となったエンテたちが目を開けて、ガーゼルに相対するように立っていたのだ。もちろんティーエもその1人である。しかし彼女たちの雰囲気が今までのものとどこか変わっているのだ。しかもどこか神々しさが残っている。するとガーゼルが自ずとその答えを出してくれた。
『バカナ!!ナゼキサマラガココニイル!リーヴェ、サリア、カナン、ソシテレダヨ。キサマラハマタシテモワシノジャマヲシヨウトイウノカ!!』
先程の光はナーガ、ユトナ双方の勢力圏に共存する運命と命を司る神ブラギがこの地にカーリュオンとユトナの愛の結晶、リーヴェ、サリア、カナン、レダを降臨させるためのモノであったのだ。そして彼女らが持つのは人となった時にそれぞれが愛した人が使っていたモノである。リュナンがエンテに渡したホーリーソードがリーベリアの真の聖剣ライトブリンガー、万が一の時に備えホームズがカトリに託した神の矢を放つイチイバルをさらに強化したものと言われている聖弓アルテミス、命を賭けて娘を死守した母からの遺品であったお守りが愛すべき妻カナンを祈るために作られた究極の守備魔法ウォーミンウィンド、そしてティーエが己の運命を切り開くために手に入れたプレリュードが邪悪なる闇を払うための聖魔法ティアリーライトに変貌している。
『ヨカロウ。モウイチド死ノ苦シミヲアジワイタイノナラバ、イクラデモアジワセテヤル。』
そう言ってガーゼルは「黒き雨」を自ら解いた。これを受けて、セーナはオーラを解き崩れるように地面に倒れ伏し、同様に魔法陣を構成していた6人の魔道士たちもそれぞれその場に座りこんだ。カルラとシェラはシゲンによって支えられ、メリエルはマルジュとリシュエルの2人の腕で守られた。しばらくしてセーナは駆けつけたゲインのライブを受けながら呟いた。
「あとは女神ユトナと神君カーリュオンが愛した4人の娘と、その末裔たちを信じるだけ。」
そしてゲインに命じる。
「ゲイン、手勢をカナン側にすべて集結しておいて。魔導砲はそのままで構わないわ。」
「かしこまりました。」
ゲインはセーナへのライブを終えると、そのままこの乱戦で散ったグリューゲルをまとめるために去っていった。そしてライトがセーナの肩を持って立ち上がらせた。やるべきことは全てやった。セーナの表情にはすでにガーゼルの破滅が見えていたのかもしれない。
そして最後の戦いが始まる。だがそれは今までの死闘が嘘のように圧倒的で、一方的なものになっていた。まずはガーゼルが闇のブレスで先制する。だがネイファの体を借りたカナンが詠唱をすぐに終わらして魔法を発動した。
『美しき風よ、愛しき者たちを守り給え!!』
『ウォーミンウィンド』
この温かき風で闇のブレスは霧散した。続けざまにレダが前に立って、すかさず聖魔法を放った。
『光の神フォトンよ、邪悪なる魂に至高の光を!!』
『ティアリーライト』
レダの放った聖なるオーラはガーゼルをまとっていた闇の光とぶつかり、そしてそれを打ち破った!これでガーゼルを守るものはなくなったが、まだガーゼルの体力は十分すぎるほどある。この間に再びガーゼルが闇のブレスを放つもやはりウォーミンウィンドによって無効化される。そしてその攻撃の間にリーヴェが華麗なステップでガーゼルの背後に回っていた。ガーゼルが尻尾を繰り出して払おうとするもこの四姉妹で最も素早いリーヴェは卒なくかわして、ガーゼルの頭部まで跳躍している。この隙にサリアの聖弓アルテミスから光の矢が放たれた。矢は狙いを違わずにガーゼルの左眼に突き刺さった。もがくガーゼルに跳躍したリーヴェが父カーリュオンから受け継いだ大技を放つ。
『ディヴァインブレイザー』
その剣はガーゼルの首を切り裂き、おびただしい量の血が吹き出る。この瞬間、勝負は決した。機を見ていたリュナン、ホームズ、セネトが聖剣を構え、一気に突進していった。もちろんレダも聖剣に持ち替えて突進する。それは完璧な同時攻撃だった。4本の聖剣が美しく輝き始め、その光がガーゼルに収束しようとしている。ガーゼルも抵抗すべく、闇のブレスを吐こうとするも思い通りにいかず、尻尾を振り回そうとしても体が言うことが利かない。それほどリーヴェたちの攻撃が凄まじかったのである。
「オノレ、オノレ!!ワシハ暗黒神ダ。キサマラゴトキニヤブレルナド・・・。」
そう喚くのが精一杯だった。
そして4つの光が一点に交わり、その瞬間、邪神の祭壇から一筋の光が天に向かって伸びていった。そして暗雲が晴れていき、少しずつ蒼穹が広がっていく。それを見届けているリュナンたちの耳にリーヴェたちからの声が聞こえた、気がした。果たしてそれが何だったのかはわからなかったが、その声は・・・優しかった。そしてリーベリアはガーゼルから解放された・・・。