セーナがアグストリアはハイラインに上陸を果たした頃、先にガルダを発ったライトもようやくシレジア北西の都市セイレーンに到着していた。こちらはライトとその直属の家臣しかいないためにわずかの時間で上陸を果し、この日はセイレーンで長い航海の疲れを取ることにした。港を出ようとしてセイレーン城へ向かおうとしたところ、港の入り口に見覚えのある青年剣士と、どこか威厳の漂う老騎士がライトの方を見ながら立っていた。そしてその少し後ろには高齢ながらも未だに元気なライトの曾祖母ラーナ皇太后が控えている。この大陸で揺るぎない発言力を持つラーナを抑えて彼女の前に立てるものはそうそういない。老騎士の傍らに立っていた青年騎士がライトに近寄って話し掛けてきた。彼はガルダ聖戦頃にふと姿を消したオーガヒルの頭領フィードであった。あの横紙破りなフィードがここまで縮こまっているのも妙だが、とりあえずライトはフィードの話を聞くことにした。そこそこの挨拶を済ませて、いきなりフィードは背後に控える老騎士の名を告げた・・・。それを聞いたライトは愕然とした。ユグドラル一の悲劇の英雄の目が優しくライトを見据えていた。
それはユグドラル最後の大激戦「ノルゼリアの戦い」の頃であった。場所は・・・ユグドラル大陸南西にある森と湖の国ヴェルダン。新しい国王レスターのもと、ゆるやかな復興を遂げつつあるが、フィード率いるオーガヒル諜報衆はそんな復興とは縁のない精霊の森に足を踏み入れていた。ここはシグルドとディアドラが出会いし場所として有名で、今では「聖地」として定められており、何者の侵入も禁止になっている。もちろんフィードたちも例外ではないが、諜報衆たるもの禁忌の地に足を踏み入れることなど造作もない。ましてや大陸№3にあたるセーナの承諾もあるのだ。彼らの目的は数十年前に非業の死を遂げたとされている英雄を解放すること。
その名はシグルド。シアルフィ家バイロンの息子として生を受け、レンスター王子キュアンなどの協力を得てヴェルダン軍の侵攻を迎撃し逆にこれを制圧、さらにはアグストリア、シレジア等でも奮戦した歴戦の勇者であったが、謀反人という汚名を突きつけられ一時は晴れるもののバーハラ平原にて時のグランベル宰相アルヴィスによって騙まし討ちにあった。というのが表の歴史である。しかしシグルドはアルヴィスの手によりこの地に匿われた。これが「裏シアルフィ家」となる。セリスの初恋の人ティナ、シャナンの後妻となり一世の大器ナディアを産んだティナの妹、そして解放戦争後セリスの左腕となって活躍した宰相クレスの三人を密かに後妻と産み、ユグドラルの表舞台に送り出したためにこう呼ばれたのである。解放戦争後、セリスはシグルドをシアルフィに戻そうとしたものの、シグルドはそれを拒否し「悲劇の英雄」としてそのままゆっくりと土に埋もれようと決意していた。セリスも父の決然とした覚悟の前についに折れ、せめてもの孝行としてこの精霊の森一帯を聖地という名称で封鎖して父を歴史の舞台へのパイプを事実上断たせた。だがそれが仇となった。セリスは精霊の森を封鎖するのと同時に護衛のためにユグドラル一の諜報衆ガーディアンを派遣していたが、今では彼らがマリクの傘下となったのだが、その存在を恐れたマリクが祖父シグルドを抹殺しようと図ったのである。もちろんセリス恩顧のガーディアン幹部が反旗を翻してシグルドの護衛を勤めることになったが、マリクに取り入る者が相次いで徐々にその防御網が縮まりシグルドの命もあと少しまでとなっていた。こうなれば背に腹は変えられない。セーナ自身がシグルドを守らなければならない。しかしそれには祖父を歴史の表舞台に再び引き込むリスクを負うことになる。民衆たちも悲劇の英雄として見ていたシグルドの突然の復活に大混乱を起こすに違いない。そこでセーナは遠大な計略を案じていた。ユグドラルでも片手の指の数ほどの人しか知らない最重要機密であった裏シアルフィ家のことを意図的に市民たちの噂に紛れ込ましたのである。こうすることで民衆の心のなかにシグルド生存の可能性をほのかに香らせておいて、クッションにさせたのである。そして今のシグルド救出に到ったのである。
今現在、シグルドを守っているグリューゲル諜報衆から状況を聞いたフィードは一気に内と外からの挟撃でシグルド抹殺を企むガーディアンを壊滅させようとした。ただ単にシグルドを救出させるだけでなく、後にまで大きな災いになるであろうガーディアンを壊滅させようとするあたりセーナの戦略によく似ている。さすがにグリューゲル十勇者の1人だけある。果たしてオーガヒル諜報衆は一気にガーディアンに仕掛けた。といっても裏の仕事を任せられた者たちだけの戦いだけに音はほとんど聞こえない。たまに戦いに破り力尽き倒れる音がする以外は木々の葉がこすれる音が響くだけである。目には見えない戦いだが、転がっている死体の数から察するにやはりフィード率いるオーガヒル諜報衆の方が有利のようであった。ユグドラル一のガーディアンといえども今となってはマリクに媚びへつらう者の集団であってセーナの元で厳しく鍛えられたオーガヒル隊のそれには圧倒的に劣っているのだ。そしてシグルドに万が一のことがないように動きを抑えていたグリューゲル諜報衆もついに仕掛けて大勢は決した。中でもセーナからデュランダルを託されたフィードの働きは群を抜いており、いつもの横柄さはどこへやら次々とガーディアンたちを剣の錆びにしていった。やがてガーディアンは壊滅どころか全滅した。まだマリクの周辺に残っているが、これで半分以上のガーディアンを削いだことになり一石二鳥の効果となった。フィードはすぐにシグルドに会い、事の次第を説明して出発を促した。すでにグリューゲル諜報衆によって説得されていたシグルドは二つ返事で快諾して、愛する妻の故郷である精霊の森を後にした。彼が去ったあとには名前こそ削られているものの、シグルドが愛したもう一人の妻の墓があった・・。
そこからはシグルドとフィードはシレジアへの旅となる。保護すると言う意味ではセーナ軍の上陸するアグストリアに向かう方がいいと思うが、セーナ軍はいかんせん少数であるゆえに負ける可能性がないわけではない。その点シレジアではユグドラル第二位の国力を背景にした大軍と、賢王セティを筆頭に家臣らも優秀で名高く、これ以上はないと言わんばかりの安全体勢である。だがヴェルダンからシレジアはいかんせん遠すぎた。そしてシグルドも時の流れには逆らえず、当時の平均寿命をすでに超えた老人の域に達している。さすがのフィードもシグルドの前では大人しくなり、アグストリアに戻ったアレスの保護の元で領内を北上していき、マディノまで向かって行った。そしてこの長旅でフィードに大きな力となる者がいた。彼の実父デューである。セリス解放軍のために武具集めをしたりして怪盗ぶりを発揮していたが、解放戦争後はシグルドの護衛として精霊の森に入っていたのである。シグルド軍最年少戦士もさすがに年は食っているがユグドラル中を旅していていたためかどこか若々しさも溢れている。ただし恋人だった弓神ブリキッドは既に亡くなっているが、その間際にセーナのために一肌脱いで長男ファバルから聖弓イチイバルを取り戻す一仕事を果している。つまりつい最近まで生きていたのであったが、さすがの弓神も時の流れに飲み込まれてしまうことになった。デュー、フィード親子の奮闘と、アレスの支援もあって無事にシグルドは己が数十年前に戦ったアグストリアを縦断、マディノより船を仕立ててライトが着くよりも一週間早くセイレーンに到着したのである。報せを聞いたシレジア皇太后ラーナも老齢をおして駆けつけて、久闊を叙しながら孫娘の婿ライトの到着を待っていたわけである。
驚きながら事情を聞いたライトはすぐにセイレーン城に場所を移して、今までのリーベリア大戦のことや、シレジア時代のセーナとの思い出などをシグルドに話して、少しでもセーナのことを理解してもらうためである。しかし、シグルドもすでにセーナとセリス生前時に何度か会っていてセーナのことはよくわかっていたが、シグルドは嫌な顔一つせずにライトの話を聞いていた。またセイレーン城内の廊下ではデューとフィードが久々の親子の再会に話を弾ませていた。
2日後、ライトたちはセイレーンを出発してシレジアへの山越えに入った。シグルドはライトの側近の天馬騎士でレイラの妹セイラの好意でペガサスに相乗りすることで楽に越えられたが、ライトやデュー、フィードたちは徒歩でこのシレジアを横に二分する山脈を越えることになった。最初は大言を吐いていたデューだったが寄る年波には勝てずに途中で音を上げて、セイラ配下の天馬騎士の助けでシレジアに先行することになった。ついでにセイラの母フィーはすでにヴェルトマーの援軍としてグランベルにいて、残る主力をセイラと、セーナの世話役だった天馬騎士メリルの妹アイリスの2人に預けられていた。また残る風魔道士団はセティと共に最前線リューベックに詰めている。
ライトがシレジアについた頃、すでにシグルドとデューの姿はなくすでにリューベックに向かって発っていた。苦笑するライトとフィードは後を追うようにシレジアを発った。曾祖母ラーナはここに残り、彼らの戦勝を祈願することに。ライトはリューベックに向かう途中に、建設中の新王都レヴィングラードに立ち寄った。その名の通り、ライトの祖父レヴィンを称えるための都市で、その規模は現王都の数倍。まだまだ完成には時間がかかるが、シレジアとザクソンの中間に建設中のこの大都市は今のシレジアの勢いを示しているかのようである。ここでアイリス率いる天馬部隊と合流して、一気にスピードアップしたライトたちは2日後にはリューベック城に入り、父セティと再会を果した。ただ本当の予定ならイード砂漠に進軍中か、早ければヴェルトマーで合流できる予定だったのだ。
未だにセティがリュ-ベックに留まっている理由は2つ。まず始めは隣国イザークの状態。シグルド2世と同調して中立を宣言しているが、今執政を執っているのはガルダにも出陣していたクリード。彼はセーナに対して異常なほどの熱意を持っているが、それが災いして彼女と結婚したライトを心から毛嫌いしている。よもやセーナ派のシレジアに剣を向けてくるようなことはないだろうが、そこは堅実で知られたライトの父である。中立の確約がなければ動かないのである。幸いつい最近、クリードの妹のナディアから相互不干渉の確約をもらったので後顧の憂いは断ったと言える。もう1つの懸念は大義名分である。セーナの義父というだけでイード砂漠、グランベルに侵攻するのは若干弱いのだ。もっともそれよりも大義名分のないトラキアが積極的にミレトスに侵攻しているが、やはり堅実なセティは慎重だったのだ。しかしそれもシグルドの到着で解消された。紛れもなく先代皇帝の父としてユグドラル中に認められており、その人気、威信も未だに健在である。セティはこのシグルドを旗印としてイード砂漠、そしてグランベルへと本格的に侵攻を始める。旗印になるとはいえ、自身の戦闘能力がほとんどなくなったシグルドは事実上傀儡となる。それでもシグルドは構わないと思っていた。もともと時の流れによって土になろうとしていた己がこうして再び歴史の表舞台に戻ることができたからである。また雰囲気こそ違えど、立場的には息子ユリウスによって傀儡にされた前帝国皇帝アルヴィスのものに近付くことになる。彼がどのような気持ちで変わり行く帝国を見ていたのかも知りたかったという思いもあった。ともかくシグルドを擁し、イザークとの不干渉を手に入れたことでセティはいよいよ準備が整った。
出陣前日、セティは軍議と称してシレジア諸将を集めてあることを宣言した。この戦への出陣を契機にして王位をライトに譲ると言うのだ。すでにアグストリアのアレスも息子エルトシャン2世になり、イザークでもシャナンはクリードとナディアの2人の子供に実権を預けている。トラキアでも国王アリオーンの代わりとして実質上王子のフィリップが全てを取り仕切っている。セリスの死を契機にとても早い段階だが世代交代が進んでいたのだ。ただセティの場合は若干異なる。他の引退したものに比べてもセティはまだまだ働き盛りなのである。イザークとの折衝や迅速な部隊の割り当てなどを見ればそれが明らかである。ライトの諌止を受けるもセティの決意は固いようでセティがライトの後見を務めるということでライトも折れた。そして最後に風の聖魔法フォルセティをライトに継承してセティ主導の最後の軍議は終わった。それを傍目から見ていたシグルドには何となくセティの意図がわかったように感じた。これからはセーナを軸にしてユグドラル、いや世界が動き始める。そしてセーナに連携できるようにシレジアが対応するためには一世代上のセティよりライトの方がより柔軟にできる。歳のこともあるが、やはり同世代というだけで関係が緊密になることは多い。いち早く世代交代を果したトラキアが良い例で、フィリップとセーナは恋人関係が噂されるまでに親密な間柄になっておりバルド同盟締結時も真っ先にセーナ支援を宣言しているほどである。もっともセーナとライトはすでに夫婦であるだけあって緊密さは他の追随を許さないが、やはり国王であるセティが間に入っているのは否めない。育ての親といえども世代が違うためにその意識差は埋めようがなく、これがいずれ致命傷になる恐れもないわけではない。それを磐石なものにするべくセティは己の身を退いたのである。
次の日、ライトの軍配でシレジア軍が砂の平原に飛び込んでいった。だがこの広大な砂漠がライトに最初の試練を与えることになる・・・。