エバンス、そこはアグストリアとグランベルを結ぶ中継点として栄えたヴェルダンの都市である。数十年前、時の英雄シグルドがこの地を治め、ヴェルダンにて出会ったディアドラと契りを交わした地としても有名である。そして今、奇しくもシグルドの孫セーナと、シグルドの息子セリスを幼少から支えてきた名将レスターがぶつかろうとしている。レスターはアグストリアを睨みつけるようにして国境のヴェルダン側に布陣し、セーナ率いるグリューゲルはそれに対峙するようにアグストリア側に到着して布陣している。その遥か後方のノディオンには中立を表明しているはずのエルトシャン2世がアグストリア軍の残り全軍を率いて、不気味な沈黙を守っている。
セーナは薄々と彼の意図を察していたものの、一方の大将レスターには全く読めていなかった。というよりはそこまで目を配る余裕がなかったのかもしれない。仮にもリーベリアで何十万のゾーア軍を退けてきたセーナを相手に、やはり心のどこかに不安があったのである。そして目の前のセーナ軍の様相がいつにも増しておかしかった・・・。
(偃月の陣形・・・全騎馬部隊・・・どういうことだ?!そんな単純なわけがない!)
今回の戦いに望んでセーナはいくつかの布石を打っている。セーナの義父セティに輪をかけたように堅実なレスターを疑心暗鬼にさせるためである。まずはセーナのひとつの武器とも言えるグリューゲル空軍が不在していること。実はとある密命を託して、すでに別行動を起こしている。次に、残ったグリューゲル陸上部隊全員が騎馬部隊になっている。さすがに後方に控えるプリースト部隊やセーナ直属の隊は免除されているが、残りのグリューゲル将兵はマージ、剣士も問わずに騎乗することになっていた。ただもともと適応性が高い彼らであるために大きなアクシデントはなく、むしろ久々の騎乗に喜ぶ者さえいた。グリューゲルはその常人離れした能力を持っているために、ある分野のみに優れているスペシャリストに見えることが多いが、その実は何でもこなすことができるスーパーオールラウンダーなのである。その良い例がセーナ自身とも言える。彼女は馬に騎乗して移動をすることはもちろん、ノルゼリアの戦いの時のようにドラゴンにも乗ることができる。なぜ全軍を騎乗させたかというのは簡単である。とある戦術を披露するためである。
セーナが敷いた偃月の陣形は弓なり形をしていて、その戦術を実行するには最適な陣形とされている。それは・・・車懸かり。円形を描きながら間断のない攻撃を繰り返して、敵勢を分断、本陣を剥き出しにする豪快なものである。全部隊を騎馬にしたのも敵勢への攻撃の隙間を少なくするための手段である。ただこれだけ手段を施しているにも関わらず、これまでの布石はどこか単調と言わずを得ないのが本音だろう。だがそれがセーナの狙いだった。マリクの諜報衆、そしてセーナの有するグリューゲル諜報衆とオーガヒル諜報衆によって彼女のリーベリアでの戦績は十分すぎるほどユグドラルに届いている。もちろんレスターにもである。その数十万にも及ぶ敵勢を駆逐してきたセーナが目の前で無策にも、これから車懸かりを行う、と素直に宣言しているような布陣をしているのだ。これが疑わずにいられる方が凄いというもの。実際、これに対峙しているレスターはかなり混乱し、そして動揺している。これぞ、「無策の策」。すでにエバンスはセーナの策謀に呑まれていた・・・。
だがセーナの大心理作戦は留まることを知らない。しばらくしてセーナ本隊に1つの旗が立った。リュートのいるアリティア連合王国の旗印である。アリティアの旗を知らないレスター勢の兵たちはこれといって動揺は広がらなかったが、知識ではなかなかのものがあるレスターはさらに混乱した。
「なぜアリティアがいる。一体、リーベリアで何があったというのだ。」
レスターは搾り出すように言うのが精一杯だった。多かれ少なかれリーベリア勢の参戦は予想の範疇であったが、よもやアカネイア大陸を纏め上げるアリティアの旗がセーナ軍のもとにあるとは思わない。また同じように偃月の陣の側面に配されたレイラ率いる天馬騎士団にはサーシャから借りたウエルト王国の旗が掲げられた。そうして混乱していくレスターは何の指示も出せずに無駄な時を過ごしていく。セーナ軍の背後であるモノが準備されているとは知らずに。
突如、セーナ軍の背後から無数の巨大な矢が飛来した。それらは待機していたヴェルダン兵たちを襲い、何も知らないうちに息絶えていく。だが彼らはまだ幸せだったのかもしれない。中には片腕や片足を無くすものも多く、それらを求めて陣内をさまよっている。急の攻撃にレスターは状況を把握すべく辺りを見渡したが、格段セーナ軍が動き出したというわけではない。かといってレスターのいるところはセーナ軍からの弓攻撃は届かないはずである。色々と模索していくうちにセーナ軍から第二撃が放たれた。命中率はさほど高くないが、それらの矢は着実にヴェルダン軍の兵たちの命を削っていく。だがこの第二撃でレスターは攻撃の正体を知った。実はセーナ軍の背後でキラーアーチが何十機も設置されていたのである。その指揮を取るのがリーベリアから参戦してきたラケルの弟ルカである。リーベリア解放戦争ではウエルトに残って復興の手伝いをしていたために表立った活躍こそ出来なかったが、山賊・海賊討伐でコツコツと経験を貯めていた。そして今日、セーナにキラーアーチの指揮を任せたわけである。ルカは初めてアーチを操るとは思えないほどの巧みさがあり、そこには姉ラケルにはない密かな豪快さが潜んでいた。
ヴェルダン軍はその被害よりも士気の低下が非常に顕著に表れていた。もともとヴェルダンはセリス解放戦争時には盗賊・山賊がはびこる無法の地であり、手付かずだったこともあり復興が遅れて数年前にようやく往年の国力を戻したばかりである。そこにきて今回の動乱の勃発である。また国が荒れることを憂慮するものも多く、そしてまた全体の大勢を失しているマリク陣営に入ったレスターの判断を批判するものもいる。つまり40万の大軍はまとまっていないのである。そこへ寡兵といえどもリーベリアで輝かしい戦績を挙げたセーナが目の前にいて、雨あられとシューターで矢を放ってくる。とてもまともに戦える状態ではなかった。レスターは陣の立て直しをするために全軍後退を命じた。
だがこれがセーナの最も待ち望んだ状況である。ヴェルダン軍の後退を見て、車懸かりの発動を命じた。それを受けて先鋒のアベル率いるカイン・アベル隊が後続を引き連れて円軌道を描きながらヴェルダン軍に肉薄する。
レスターにとっては最悪の展開となるが、戦が始まったものは迎え撃たねば即座に壊滅する。すぐに伝令が各部隊に向かって、迎撃の指令を出す。
今、ここにセーナの覚悟が表れたエバンス大戦が始まる。