「セーナ様、エバンスは明日中には落ちます・・。」
朗報が届けられているにも関わらず、セーナ軍の本陣は沈んでいる。サーシャやリュート、アレスらの客将たちは今までの功を労うと称して、それぞれの陣で休んでもらっている。それどころかグリューゲルの十勇者でもここにはカインとミカ、ゲインしかいない。セーナが報告を届けたカインに聞く。
「他に知らせは?」
カインは沈鬱そうに言った。
「サルーンとシャルはもとより、最近は東からも報せが途切れています。」
精霊の森でグリューゲル・オーガヒル両諜報衆によってガーディアンの一部が壊滅したことを知ったマリクが徹底的な防諜網を敷いていたために最近はセーナの元へ届く情報が少なくなってきている。
「こうなった以上は覚悟を決めるしかないかと・・・。中途半端な決断は己の身の破滅を招くだけです。」
カインが意味ありげなことを伝えた。セーナがミカとゲインの方を見たが、彼らの答えもカインと同じ事だった。
「ギリギリまで時間を引き延ばさせて・・・。これは重大すぎること、まだ軽々しく決めることはできないわ。だけどもしそうなった場合に備えて、いつでも行える準備をしておいて・・。」
いつもはテキパキと物事を決めるセーナとは思えない歯切れの悪さでこの会合は終わった。だが今のグリューゲルを支える三将はセーナの苦悩を痛いほど知りすぎていた。結局、彼らはそれぞれの思いが邪魔をし、一睡も取ることができなかったという。

 次の日はボルス隊の突撃によって突如として幕を開けた。篭城兵は決死の思いで防戦するもグリューゲル最強のボルス部隊によって散々に打ち負かされていく。とはいえ、さすがにヴェルダンの生命線とも言えるエバンス城だけあって天守も広大であるから少数のボルス隊の攻勢も限界に達していた。すぐにセーナは退却の指示を出して、いよいよ総攻撃の合図を出そうとしている。
 本陣では昨夜同様、異常に重苦しい雰囲気が漂っている。
「速報は?」
セーナが聞くも、しかしカインは首を横に振った。さらに思い雰囲気が場を支配し、しばらくの沈黙が本陣を包み込む。やがて全てを決したようにセーナが命じた。
「カイン、ゲイン、ボルスと共にエバンス城を『根斬り』にしなさい・・・。」
『根斬り』、言葉を変えれば『無差別殺戮』を指し示す・・・。
 セーナはこのエバンス大戦に向けて、いくつかの布石を打っていたのは周知の事実だが、その1つの成果がまだ届いていなかった。それは、サルーン率いるグリューゲル空軍によるマーファ城奇襲策。マーファは今いるエバンスからは精霊の湖を挟んだ位置にあり、エバンスほどではないもののヴェルダン王国の経済を担う都市である。これはグランベル侵攻を前に後顧の憂いを断つための手段で、大軍を有するレスター率いるヴェルダン本軍を大混乱に陥れてセーナの背後を襲わせないための策である。サルーンたちはアグストリアから分かれ、精霊の湖上空を通過してマーファを襲ったものの、弓兵主体の篭城兵に苦戦を強いらされていた。マーファが陥落した時点で同道しているシャルからすぐに一報が来る手筈だが、まだ来ていないということはマーファ奇襲を知らないヴェルダン本軍はまだセーナ軍を襲う可能性は高い。そこでセーナは壮絶なる覚悟を胸に秘めて、この『根斬り』を命じた。この報せがヴェルダン本軍に届けば、先程のエバンスでの野戦のこともあり彼らは心底セーナを恐れるはずである。そうしてヴェルダン本軍の自壊を誘う策であるが、やはりこの『根斬り』はデメリットが大きすぎるのである。エバンスに強烈な禍根を残すだけでなくセーナの名を大いに汚すのはもちろん、義心から同道してくれているサーシャ、リュートたちとの関係にも何らかの影響があるのは否めない。しかしセーナには先を急がなければならなかった。
 果たして、エバンス城は一瞬にして地獄絵図と化した。カイン・アベル・ボルス・ゲイン隊が城に篭もるものたちの命を奪っていく。ミカはセーナの思いやりからかこの大虐殺には参加せずにサーシャ、リュート、ルカたちの元に行って、今回の事情を説明しに走り回っている。そしてカインはセーナの身を案じて、部隊をアベルに任せて本陣にてセーナを支えている。当のセーナはと言えば、この決断によほどの精神を消耗したのか虚ろな目で阿鼻叫喚の世界となっているエバンス城を見ることしかできなかった。その時だった!

 セーナの本陣に急使が駆け込んできた。彼はグリューゲル諜報衆の一員で、マリクの防諜網をかいくぐってきたのである。すぐにセーナの前で片膝を付いて報告する。
「申し上げます!エッダ城は兵糧不足による士気減退により落城!オイフェ様、お討ち死に。リーン様はご自害。ヴェルダー様は・・・・。」
途中からの報告はセーナの耳には入っていなかった。最悪の事態が起きてしまったのである。エッダが落城したとなれば急ぐ必要はなくなり、当然このエバンスの『根斬り』の価値も皆無、いやデメリットの方が桁違いに大きくなる。カインがセーナを見ると、すでに地面に崩れ落ちて小刻みに震えている。すぐにカインが哀れな主君を抱え上げながら、精鋭アルバトロスの伝令部隊を召集する。
「すぐに『根斬り』を止めろ!!止まらない奴は討ち取っても構わない!」
思わぬ命令を聞いたアルバトロスの将兵たちは一様に戸惑っている。そこにいつもは温厚なカインが大声を張り上げた。
「何をしている!!これ以上、セーナ様の名を貶めるつもりか!!」
さすがはグリューゲル№1カインの一声である。目がさめたアルバトロスの将兵はくもの子を散らすようにエバンス城に向かって行った。カインはすぐにミカを呼び戻して彼女の看護をさせるように命じ、哀れな主君を横に寝かせて自身もエバンス城へ向けて駆けていった。
 エバンス城はアルバトロスの活躍でようやく静けさを取り戻してきた。しかし血に飢えた獣ようにボルスが暴走している。目にかけたものは次々に討ち取っていき、止めようとしたアルバトロスの者も切りつける始末。やむなく討ち取ろうとするも剛勇の士ボルスを止めるなど並大抵のことではない。強引にアルバトロスの包囲を突破しかけたボルスの前に駆けつけてきた親友カインが立ちはだかった。しかし目が血走っているボルスは構わず斧を振りかざした。さらなる最悪の事態を想像させたが、ギンッという音と共にカインの剣トランジックブレイブがボルスの斧を受け止める。
「ボルス、目を覚ませ!!これ以上はセーナ様を傷つけるだけだぞ!!!」
叫びにも似たカインの声を聞いて、ようやくボルスは冷静さを取り戻した。周囲を見回すとヴェルダン兵に混じって、アルバトロスの制服を着ている兵も見える。そしてその傷を見てボルスは青ざめた。
「またやってしまったのか。」
ボルスは誰よりも己の性格を知っている。抑えようとしても本能のようでどうしようもないのである。
「お前の性格を知って、これに参加させた俺にこそ責任はある。それよりも今すぐに城を整理してくれ。セーナ様を入れたい」
カインもまた根が優しいボルスの裏の顔を知っている。
「・・わかった。」
カインの思いやりに目を潤ませながら新しい任務に当たっていった。ようやくエバンス城に静寂が戻ってきた。

 エバンス大虐殺の犠牲は逃げ遅れた市民を含めて5万にまでなった。もしエッダ落城の報せが届かなければ数倍の死者が出ているはずだったことを考えると不幸中の幸いだったかもしれない。今回の戦争が終わった後、セーナは献身的に遺族の賠償を進めていったが、彼らの悔恨も深くすべてが解決するまでに十数年かかった。
 一方、心配されたサーシャら客将たちの反応はというと、さすがに『根斬り』には動揺したようだが、ミカの懸命の説明を受けてこれまでと変わらない協力を続けることを快諾している。そして最大の問題だったヴェルダン本軍はエバンスの大虐殺とマーファ奇襲・落城を知るや否やすぐにマーファ奪回に向けて兵を返していった。ついでにマーファが陥落したのは倒れたセーナがエバンスに入城するのとほぼ同時だったという。これからのことを協議するためにエバンス城内の一室にカイン、アベル、ミカ、ゲイン、サーシャ、リュートらが集まった。まずはサーシャら客将たちに今回の件を改めて詫びてから、今後のことを協議することにした。その結果、セーナが倒れたことをマリク側に知らせないようにするためにセーナ軍自体はすぐにエバンスを発ち、代理の大将には影武者リベカが務めることになった。セーナは共にエバンスに残るミカの看護を受けながら完治を待つことになった。またこの協議中にセーナ軍の背後にいたアグストリア本軍を率いるエルトシャン2世自らが乗り込んで来て、ヴェルダンの切り取り自由の許可を求めに来た。あくまで名目は彼の母リーンの弔いだが、それならセーナ軍と共にグランベルに入ってマリク軍と戦うのが筋というものである。そこは中立を宣言している義兄シグルド2世の意向があるのは明白だったが、今回の許可を求めるに従ってアグストリアは事実上、セーナ傘下に入ることを宣言したのも同然である。これを受けてリベカとカインは結論をセーナに出してもらうべく彼を伴って彼女のもとへ案内した。すでに落ち着きは取り戻していたものの、リーベリアからの強行軍による疲労が一気に出たために動きは緩慢になっている。久々のエルトシャンⅡの登場に今日初めての笑顔を見せて、すぐに彼の申し出を快諾した。彼が率いるアグストリア軍がヴェルダンに乱入すれば後顧の憂いは完全になくなる。それだけでなく後背定からぬアグストリアの動向がようやく把握できたのである。それからはカインたちを外して親友同士としてしばらく雑談を交わしてからエルトシャンⅡはエバンス近郊に布陣しているアグストリア本軍に戻っていった。
 翌日、リベカとカインが率いるセーナ軍はエバンス城を出発した。目指すは仇敵マリクと対峙するであろうシアルフィ。祖父シグルドの生まれ育った地なのは言うまでもないが、グランベル攻略の最重要拠点でもあるこのシアルフィでセーナとマリクがまもなくまみえる。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 19:08