ホルスとの死闘から翌日、3つの朗報の到着でシレジア軍最後の軍議が始まった。すっかり前夜の死闘から快復したライトはその報せを諸将に伝えることに。まず一つ目は
『レイラ天馬騎士団、ヴェルトマーを出立。まもなく本軍に合流する予定!』
セーナの助けになるように付けたレイラ率いる天馬騎士団だが、イードでの敗戦を知って、いてもたってもいられずに駆けつけているというのだ。もちろんセーナの了承は得ている。レイラ天馬騎士団は丸1年グリューゲルと共に行動していたために恐ろしく力を付けている。それは数多くあるシレジア天馬騎士団の中でも最強を謳われるレイラの母フィー率いる部隊を越えているかもしれないほどである。もちろんリーネやサルーン、そしてサーシャとの出会いで指揮官レイラも素質の片鱗を大きく見せ始めていた。彼女の参戦はシレジア軍を大きく奮い起こした。さらに朗報は続く。
『アイリス天馬騎士団、ザクソンを出発!』
先のフィノーラ奇襲戦で負傷したアイリスだが、彼女はまだその傷が癒えないうちに自分の隊を立て直してすでにザクソンを出発したというのだ。彼女は姉メリル亡き後にフィーと共にシレジア天馬騎士団を牽引してきた功臣。それだけに彼女も誇り高き騎士であったので、自分がいないところで決戦が行われるなど我慢ができなかったのであろう。姉譲りの勘の鋭さからその「風」を読み取り、急遽こちらに向かってきていたのだ。そして最後の朗報は
『トラキア軍、メルゲン城を強行突破し、南ダーナにて戦闘開始!トラキア軍の指揮官はアリオーン!』
これはマリアンを走らせたセーナのせめてものライトへの助け舟であった。すでにトラキア軍はミレトスにて本格的な戦闘を始めているが、現国王フィリップに頼んで送ってもらったのだ。まさか援軍の指揮官が前国王アリオーンだとは誰もが夢想にしていなかったろうが、それだけトラキアもマリアンの神算鬼謀を恐れているのだろう。ただアリオーン率いるトラキア軍は中立を守る北部トラキア連合とメルゲンで一悶着あったためか本気で打ちかかる気はなく、ダーナ軍の一部と軽く小競り合いを起こす程度に留まっている。だがトラキア軍が動いたことによってマリアンの目が一時的にも南に向いたのは事実であった。
(今を逃しては砂漠を突破する術はない!)
そう確信したライトは諸将を集めて、今までおぼろげに立ててきて前夜完結した策を明かした。
「鍵は・・・イザーク。」
この言葉からライトは己の策を打ち明けた。その全容はフィノーラで大敗した時のモノとは明らかに異なり、非常に大きな視点から練り上げられた素晴らしいものであった。一部の将からも感嘆の声が漏れる。そして父セティもそんなライトをどこか微笑ましく見守っていた。過度に堅実な血で遮られていたライトの素質が今、開花する!

 翌日、シレジア軍55万のうちほとんどが北へ向けて移動した。その慌ただしい動きはすぐにマリアンの元に届き、追撃の許可を求める一部のイード軍諸将の使いもすぐに来た。状況を見極めたマリアンはすぐに追撃を許可し、意気揚揚とイード軍はシレジア軍に襲い掛かる。だがよく見れば、5千ほどの兵が未だにイード軍に正対していた。たかが少数の殿と侮ったイード軍が加速してシレジア軍にぶつかろうとした時、背後から悲鳴と絶叫が響き渡る。実はライトがあの軍議の直後に密かにマリアンのマネをして、5千の部隊を150ほどの小部隊に分けてシレジア軍の手前に伏せていたのだ。思わぬ逆襲に怯むイード軍だが、大軍の利を活かしてかさにかかって猛攻を仕掛けようとする。だが伏兵によって命令系統を寸断された軍隊はすでにバラバラに行動を起こし始め、ライト自らが采配を振るうシレジア軍5千と伏兵勢5千によって各個撃破されていく。マリアン第一の家臣セシルからの報告により不利を悟ったマリアンはすぐに退却の合図を出し、イード諸将は渋々ながらも撤退に移ることになった。ここで追撃してくれば、マリアンがごま粒のように伏せている伏兵が襲い掛かれば今度こそシレジア軍を撃破できるのだが、シレジア軍はイード軍を追い返すとそのまま戦いの前と同じ地に留まった。
 それから数日、ライトの奇策を恐れ、マリアン率いるイード軍は圧倒的多数にも関わらず仕掛けようとはしなかった。小康状態のままマリアンのもとにとある知らせが舞い込む。それは最近、イード城からの繋ぎ(報せ)が全くないとのことであった。この報せを受けて、震え上がったのがイード領主だった。あのシレジア軍の撤退は擬態でイード奇襲のためのものだと確信してしまったためだ。すぐに彼はマリアンにイード奪還を嘆願するが、まだ繋ぎが切れたとはいえイードが陥落したとは断定できないためにやんわりと断った。だがマリアンの中ではそろそろ決断の時が近付いていたことを悟りつつあった、己の人生最後の戦いが。この夜、マリアンは自身の両目の役目を果す聖騎士セシル、スナイパー・ディルら直臣たちを呼び出して何事か話し合っていた。その密談が終わって幕舎から出てきた諸将の顔には皆、必死に隠そうとしていたが焦慮の念がアリアリとでていた。やがてマリアンに呼ばれたイード砂漠の各都市の領主らが集い、翌日目の前のシレジア軍を掃討して撤退したシレジア軍の消息をたどることにきまった。
 そして砂の水平線から日が昇ったとき、ついにイード軍とシレジア残留軍の戦いが始まった。始めは前の追撃戦の時と同様にシレジア軍の手前に伏せていた多数の伏兵がイード軍に襲い掛かった。警戒こそしていたが、目前のシレジア軍にばかり気を取られていたイード軍はいいように翻弄されていき、そこに5千のシレジア軍が突貫してきたためになかなか崩すことができない。だが攻めあぐねるイード軍を押しのけるようにしてついにマリアンが直率するダーナ軍がシレジア軍と衝突した。伏兵をも恐れぬその猛攻振りにさしものライトもすっかり肝を冷やし、それが伝染したのかシレジア軍の動きが逃げ腰になってきた。やがて群がる伏兵勢を蹴散らしたセシル隊がシレジア軍に突入し、大いにこれらを乱すことに成功した。これにより伏兵勢にいいようにされていた他の軍勢が突破してシレジア軍に攻めかかる。圧倒的少数にも関わらずシレジア軍はそれでも果敢に戦った。だがやがて再突入したセシル軍の猛攻によって前線が俄かに崩れ、いよいよシレジア軍は窮地に陥った・・・。

 一方、撤退したシレジア軍本隊はイードを攻めかかったのではなくイザークにいた。この軍を指揮するセティは合流したレイラ、アイリスとセイラから託された天馬騎士団を輸送に利用し、すでに5万近い軍勢にてセリス解放軍蜂起の地ティルナノグから山地を突破させてソファラに送り込んでいるところだった。残り部隊も全速力でガネーシャを経由してイザーク王都に向かっている。ところがセティら精鋭5万を輸送する天馬騎士団がソファラ領を縦断しようとした時、すでにイザーク軍がシレジア軍に備えて布陣していたのだ。旗から察するに現在のイザークを背負う王子クリードと王女ナディアの部隊であることがわかった。だがシレジア軍はイード砂漠からここに来るまで無理に無理を重ねたものの、恐ろしい機動力を発揮してイザークに情報を入れる時間を与えないようにはしていたのだ。ということはライトの策が見事に読まれていたことになる。イザーク軍の布陣を見て、思わず舌打ちをしたセティだがその表情に悔しさはなかった。これもライトの予測のうちだったのだ。彼はあの夜の出来事で己の力量をはっきりと悟り、そしてそれと同時にセーナ、ナディア、マリアンらの器量が己のものよりも格段に優れていることを知ったのだ。この策を察知されないに越したことはないが、策を立てる場合は最悪の事態も予測して立てなければならない。そして実際にライトはこういう場合の対策も考えていたのだ。またセティも息子の策を信じていたのだ。
「シグルド様、ご苦労をかけますが、もうしばらく我慢ください。」
アイリスのペガサスに乗っているシグルドはセティの言葉に頷き、セティとレイラの乗るペガサスとたった二騎のみでイザーク軍本陣へと向かって行った。目的はイザークとの直接交渉。イード砂漠に入る前にイザークとは不戦協定を結んでいるが、今の場合はシレジアの方が明らかに立場が悪い。中立を宣言している国に無断で侵入してきたためだ。実際、シレジアに激しい敵愾心を持つ長子クリードは妹ナディアからシレジア無断侵入を聞いた時は激し、とりあえず交渉をと止める父シャナンの言葉を聞かずに飛び出したのだ。だがそんなクリードがシレジア軍を見ても攻めかからないのはナディアが兄を止めているからに他ならない。
 妙な殺気が渦巻くなかを二騎のペガサスが飛んでいく。イザーク軍の前方では万が一のために天馬騎士団によって運ばれたシレジア軍が地に降り立ち、陣を急いで作っていた。ナディアの直臣と思しき者がシグルドらの前に現れて、クリード、ナディア兄妹のもとに案内することに。やがて本陣が見え、先程の直臣が幕を捲り上げて彼らを中に招いた。幕をくぐると目の前にいたクリードが異常なまでの殺気を放っていたが、ライトがいないことを知ったのか急にプイっとそっぽを向いてしまった。彼はシレジアというよりもセーナを奪ったライトのことを狙っていたという方が正確なのかもしれない。これを側から見ていたナディアは苦笑しながらシグルドたちに言った。
「父は今、体調が優れませんので代わり私が聞かせていただきます。」
ナディアの言うようにシャナンは先のリューベック訪問で無理をしたのかイザーク王都まで戻れず途上のリボーで体調を崩して床に伏せていたのだ。そんな状態でナディアまで来れるはずがなかった。
「何故に無断でイザークに侵入なされましたか?」
セーナと肩を並べるだけあって、さすがにナディアもこういう時は肝が据わっていた。しかもその目はしっかりとセティに向けられている。
(さすがナディア王女、そちらでそっぽを向いている御仁とは天と地の差だな。)
と内心で毒づいているのを隠しながらセティは嘘偽りを言わずに今回の策の一部を2人に説明した。するとライトの名を聞いた途端にクリードが血走った目を向けて、喚いてきた。
「そんな都合のいいことを言って、イザークを滅ぼすつもりだろう!」
まるで子供である。つい一年前までガルダでイザーク軍を率いて共に戦っていたとは思えないほどだ。だがすぐに妹が兄を諌める。
「兄上、恐れ入りますが、しばらく黙っていてもらいますか。」
その言葉は丁寧だが、有無を言わせない迫力があった。仕方なくムッツリとするクリードであったが、いつもこの兄妹はこんな感じだった。思えばセーナがグランベルに戻ってきた頃のマリクとセーナもこんな感じだったのをセティは薄々と覚えていた。しかも今まで黙っていたシグルドが口を開く。
「シレジア軍はイザークに手出しはしない。もしすれば王子が私の命を取ればいい。」
シグルドは蘇るまで「信義の将」として崇められていた。本人こそ知る由もないが、彼がここまで言えばここにいる全ての将が納得してしまう「何か」があった。そしてナディアが決断を下した。
「わかりました。領内の通過を認めましょう。父には私から言っておきます。」
「ナディア!!」
まだ納得がいっていなかったのかクリードがまた喚くが、ナディアが一睨みすると顔を真っ赤にして外に出ていった。気にもせずにナディアは続ける。
「ただ・・・」
何かナディアが条件を出すようだ。彼女の出す条件となるとこれもまた恐ろしいものがある。心の中で身構えたセティだが、それを見透かしてかナディアは笑顔になって言った。
「数人のプリーストを父に当てていただけないでしょうか。その代わりに、イードを平定するまでの兵站をこちらで用意しますが。」
イザークにはあまりプリーストがいないことで有名で、床に伏せったシャナンを看病すべきものがあまりいないのだろう。これはセティにとって願ってもないことだった。もともと強行に継ぐ強行でシレジアからの兵站線は確保されていない。それをプリースト数人を貸すだけでイザークが代替してくれるというのなら十分いい話だった。すぐにセティは快諾し、決議は終わった。和やかな雰囲気になってセティらが出ようとした時、クリードが喜色を浮かべて再び戻ってきた。
「交渉はなかったことにする。たった今、イードから急使が来てこういう情報をもたらしてきた。」
と言いながら書状を乱暴にナディアに投げた。それを拾ってナディアが音読する。
『シレジア軍、西イードの戦いで潰滅。イード軍は国王ライト、及び天馬騎士セイラを捕縛し、ダーナへ帰還中。』
勝ち誇った顔をして回りを見回すクリード。全てが終わったかに見えたが・・・。

 肝心のセティは平然としていた。
「驚くも何も見事に計画どおりですよ、クリード王子。」
結局、シレジア軍のイザーク国内通過は認められた。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 19:23