ソファラでのクリード、ナディア兄妹との会談から2日後、セティが直率するシレジア軍3万がイザーク国境とイード砂漠の境に近いリボーの城に到着した。ナディアとの約束どおりにセティはプリーストを手配し、病に伏せている彼女の父シャナンの看病に当たらせた。それと同時にセティは再度、休息中の軍勢を建て直し、すぐさま今のイードを纏め上げているマリアンが戻っているダーナ城を目指して早くも去っていった。そしてそれを追うようにナディアの手配した輜重隊や、遅れてセティらの軍勢に合流しようと急ぐシレジア軍が砂の水平線に消えていった。
 一方、すでにダーナ南部に攻め込んでいたトラキア軍はマリアンの築いていた堅塁を崩すことが出来ずにいたずらに被害を大きくするのみで有効打を打てずにいた。ただもともとこのダーナでの戦いはシレジア中心の戦というイメージがあり、たとえ領土を切り取ったとしても経営に難な飛び領となるためにどうしても前国王アリオーンに本気で戦うつもりがないのもトラキア軍が精彩を欠く理由だった。この大戦で、今まで蔑まされていた「ハイエナ」を返上すべく異常なまでの闘争心を見せる息子フィリップに何度も督戦の使者や書状が送られてくるが、その「ハイエナ」の元祖とも言えるトラバントの血が流れているアリオーンにはどうしてもその重い腰をあげられなかった。数日後、膠着状態が続くトラキアの陣にセティからの使者が着いた。
『数日後、我々がダーナに到着したら、機を見て総攻撃に出て欲しい。』
これを受けたアリオーンは顔中に渋面を作った。これを受け入れて総攻撃を開始した場合のトラキア軍はたとえ勝っても被害は甚大なものになるだろう。だが拒否した場合、フィリップがグランベルまで侵攻する大活躍をしても周囲の国からの批判は止む事はないだろう。つまりアリオーンにとっても重大な転換期を迎えていたのだ。父トラバントのように狡猾に生きるか、息子フィリップに全てを託し義に殉ずるか、のどちらかとなる。だがアリオーンもまた時代の変遷を敏に感じていたのだ。数時間後、重臣たちを集め、彼は自身の、そしてトラキアの進むべき道を明らかにした・・・。

 ライトとセイラ、フィードを捕らえたイード軍はとりあえず激変した情勢を的確にまとめるためにダーナ城にゆっくりと戻った。シレジア本隊こそどこにいるか不明だが、現国王たるライトを捕らえたことでイード諸侯らは大いに喜んだ。ダーナ城に戻ったナディアは帰還の際に周囲に散らばせていた独自の諜報衆からシレジア軍の動きを探ろうとしていたが、リューベックに帰還してからのシレジア本隊の行方はようとして知れなかった。唯一の収穫といえば、情報が遮断されていたイード城が無事であること。しかもシレジア軍の攻撃を全く受けていなかったのだ。これによりナディアははっきりとシレジアの、いやここに捕まっているライトの策を悟った。だがマリアンはライトの策への対策を取ろうとはしない。いや、たとえマリアンが喚起しても1つの勝利に浮かれているイード諸侯は耳を貸さない恐れもある。それだけライトの策は徹底していたのだ。耳の端に聞こえてくる諸侯の浮かれ声を聞きながら、マリアンの盲目の目は彼らの末路を映し出していた。
 やがてそんなことを露ともしらない諸侯らがライトらをマリアンに引き出してきた。ついでに一緒に捕らえられたフィードはこの時、シレジア軍の風魔道士の服を着ていた。もちろん諸侯も彼のことをシレジア軍の若手将校程度にしか見ていない。ここにマリアンですら見落としていたライトの策の最終形があった。マリアンはまず先日の戦勝を祝い、そして諸侯らを1人1人労った。セシルが彼らにマリアンからの感謝の杯を与え、縄目のライトを肴にしてささやかな宴会となった。しかしこれが死出の杯になろうとは諸侯の誰一人とも気付いていなかったであろう・・・。やがて宴もたけなわとなり、マリアンがライトに声を掛けようとしたとき、『敵襲!』の叫び声がダーナ城内に響き渡った。
「また南のハイエナの群れが騒ぎ出したんだろ。」
と余裕を見せる諸侯もいるが、次の報せが彼らを奮い上がらせた。
「東からシレジア軍が猛烈な勢いで攻めてきます。現在ディル様が防いでおりますが、何分ディル様の部隊は弓兵揃い。すぐに援軍を!」
シレジア軍来襲の報せに急激に場は静まった。誰も何が起きているのか理解していないのだ。よもやシレジア軍が中立を宣言しているイザーク領内を通過して、ここを攻めて来るとは思わないのが普通だ。どうすればよいのか、わからずにいる諸侯にマリアンが号令をかける。
「急遽、諸侯らにはシレジア軍に当たってもらいます!またこれに乗じてトラキア軍も動くであろうからそちらへの備えもお願いします!」
この言葉で催眠にかかったかのように諸侯は大広間を雪崩を打って出ていった。もはや彼らにはマリアンの言葉は神のものと同じようにみなしていたのだろう。実際、シレジア軍の到着を機にトラキア軍も総攻撃に打って出ている。ここにイード戦役を越える激しい闘いが繰り広げられることになった。
 イード諸侯軍は二手に分かれ、一手はシレジア軍を、もう一手はトラキア軍へとぶつかった。東部戦線では強行軍の影響で数には劣るものの、意気が非常に高いシレジア軍の猛攻にダーナ軍が押され始めていたが、イード諸侯軍の援軍で辛うじて持ち堪えているという状況だ。一方の南部戦線のトラキア軍だが、やはりマリアンが事前に築いていた防衛用拠点があったためにこちらではダーナ軍が有利に闘いを進めていた。だが今回の闘いは覚悟を据えたアリオーンが陣頭に出て采配を振るう姿がトラキア軍の将兵たちにうつり、攻撃が猛烈になって押し始めてきていた。まもなく防衛拠点が崩せるところまで来たところにダーナ城からの援軍が間に合ったのだ。しかし崩れかけた拠点ではその効果はさして意味はない。援軍が来てもイード軍はジリジリと後退するのみだった。
 そんなダーナの戦いとはよそにすでにダーナ城内では決着がつきかけていた。諸侯らが大広間を去った後に、フィードが縄を解き、ライト、セイラを助け、一気にマリアンに迫ったのだ。同じ大広間にいたセシルが気付いた頃にはすでにマリアンの喉を魔法剣フォルセティが狙っていたのだ。当のマリアンは見えないはずの剣がはっきりと自分に突きつけられているのを見て、驚いた。どうやら魔法を一気に集中させて具現化した魔法剣ならば、盲目とはいえ魔力勘の優れたマリアンは見えるようだ。そして彼女はライト自身を囮にしてシレジア軍を隠し、油断したところを奇襲して一気殲滅を目論んだと思っていたのだが、ライトはその1つ上を行っていたのだ。今ダーナを奇襲しているシレジア本隊、それこそが真の陽動でライト自身こそが正に敵の核、つまりマリアンを潰すためのものだったのだ。
「やはりあの大爆発が起きた日に、あなたに何かあったのですね?」
完全なる負けを悟ったマリアンがライトに問い掛けた。
「あの日のおかげで私はセーナとグリューゲルの力の源がわかりました。そして今回、それを実践してみただけです。」
「それとは・・・信頼・・・ですね。」
ライトは父セティとシレジア軍を信じ、そして彼らがその信頼に必死に応えたことでライトの「博打」が成功したのだ。これにマリアンが一つ、間を空けて続けた。
「世間ではセーナ様が神算鬼謀を駆使して戦っているといわれていますが、それは大きな誤り。あの方はグリューゲルに出来る範囲のことを命じているだけなのです。そしてグリューゲルは主君からの溢れる期待に一生懸命応える。これこそがグリューゲルの真の強さ。」
ライトはこくりと頷いた。
「ライト様、あなたにはこの戦いの全ての真実を知る必要があります。心して聞いてください。」
そしてマリアンはこの戦いがセーナの深謀と、ライトに対する思いによって起きたことを教えた。これにはさすがのライトもやや顔が曇ったが、それを薄々と察してかマリアンが言う。
「ライト様、セーナ様を許してあげてください。あの方はとかく完璧なように見えますが、その内面に決定的な弱点があるんです。」
「弱点?」
「はい。セーナ様は真の両親の愛というものを知りません。そういう人にはしばしばその反動が表れることがあるのです。」
「反動・・・。」
「いつか、いや、もう起きているかもしれませんが、セーナ様は人生に汚点を残す大失態を演じることになるでしょう。ライト様、あなたはそれを受け入れて、彼女を守ってあげなければなりませんよ!」
「・・・さすがマリアンだな。私よりもセーナのことを知っているんだな。」
「あとこれは私の推論ですが、セーナ様がこの戦を起こしたもう一つ理由をお話しましょう。ライト様、シレジアでセーナ様よりもあなたに心酔している方がどれくらいいますか?」
「・・・・・・」
実際、その問いに応えられそうな人はせいぜいセイラとアイリス、そして叔母フィー程度である。父セティはライトもセーナも対等に愛しているし、レイラ、エリーにいたっては完全にセーナに心酔している。また若手将校の中でもセーナとライトで見事に二分されているのが現状である。
「やはりあまりおられないでしょう。そこでセーナ様は今回の戦でシレジアの騎士たちの心を一つにして欲しかったのでしょう。」
つまりライトが自身でシレジア軍を駆使して大勝利をあげることで彼らの信頼と敬意の念を掴ませようというのが、セーナのもう一つの考えだというのがマリアンの仮説である。こうなればシレジアは一つにまとまり、万が一の場合にはライトの指示で迅速に動き出しやすくなるのだ。これだけ壮大な深謀にライトは舌を巻いたが、ここでふと気付いた。
「どうしてそこまで教えてくれる?」
するとマリアンが微笑を浮かべるだけで何も言わなかった。
 しばらくしてシレジア軍、トラキア軍ともにイード軍を押し始めたのか喚声がこの大広間にも届いてきた。
「マリアン様、そろそろお別れの時が・・・。」
セシルが片膝をついて非情の言葉を告げる。気がつけば戦線を離脱してきたディルも目に涙をためてセシルの後ろに控えている。
「そうですね。ライト様、セシルとディルのこと、どうかよろしく頼みます。」
そう言って自らマリアンは魔法剣フォルセティに向かっていき、刃先がその細い首筋に突き刺さった。
「な!どうして!!」
動揺したのはライトだった。マリアンを捕らえて敵の降伏に使おうと考えていたので、斬ろうとは思ってもみなかった。ましてや自分から切られるに来るなど夢想だにしてなかった。本能のままに魔法剣を引き抜いたところ、マリアンの首からおびただしい量の血が噴き出して、その華奢な体が崩れ落ちた。
「マリアン、どうしてこんなことを!!」
だがもはやマリアンは物言わぬ屍となっていた。すでに彼女はフィノーラの奇襲戦の頃から体調に異変をきたしていたのだが、無理に無理をして気力だけで今まで戦い抜いていたのだ。もしかしたらダーナに戻った時点で魂はすでに飛んでいて、ライトには心だけで話していたのかもしれない。ライトの思いを察してかセシルが近付いてきて静かに言った。
「マリアン様はたとえこの戦を乗り切ったとしても余命は幾ばくもありませんでした。それゆえにお二方で今回の深謀を練られたのです。」
「・・・」
「そしてあの方はセーナ様に似て、戦に生きる人。それゆえに戦いで死にたかったのでしょう。どうかその心情を汲んであげてください。」
ライトがマリアンの顔を覗き込むと、セシルの言うように満面の笑みを浮かべていた。やがて後ろに控えていたディルが大声で宣言する。
「これより我らダーナはシレジア軍に全面降伏する!白旗を掲げ、外で戦っているイード軍に知らしめるのだ。刃向かうものは根絶やしにせよ!」
マリアンは商人気質を持つイードの諸侯のことを本質的に嫌っている。それはセーナが既得権益を得てあぐらを掻いているグランベル貴族たちのことを毛嫌いしているのと全くの同じである。そしてマリアンがマリク派についた最大の理由はそのイード諸侯たちをセーナ派の最大勢力シレジアと戦わせて滅ぼさせるためでもある。残されたセシルとディルはその遺志を受け継ぎ、忠実に具現化すべく動き出す。

 ダーナ城の白旗が上がった時、イード軍は混乱の極みとなった。敵は押されながらも突破は許していないのである。それなのに城が自落したのだ。マリアンはシレジア軍とトラキア軍に掃除をさせてから、自身はライトを逃して壮絶に自害するつもりいたのだが、ライトの二重陽動作戦の前にマリアンが先に死亡することとなった。これが知れわたれば諸侯は雪崩を打って降伏してくるだろう。だがそれでは非情に徹してまでくみ上げたマリアンの策が生きない。そこでセシルとディルはその遺志を継ぎ、虚報を流した。
『マリアン様はイード城に向かわれた。諸侯らは重囲を突破して合流すべし!』
もはやマリアンに依存しきっていたイード諸侯らはこの虚報を信じ、懸命にシレジア軍を突破すべく戦力を一点に集中した。だがここで信じられない事態が起きる!セシル率いるダーナ騎馬隊がシレジア軍の味方としてガラガラとなったイード軍の背後を突いたのだ。そして先程の虚報で北に逃亡中だった南部戦線のイード軍もトラキアの追撃と、ディル率いる弓兵部隊に挟撃され、すでに潰滅状態に陥っていた。さらにここで遅れていたシレジア軍10万が大挙して到着し、あとは完全なる独壇場となった。
 特にセシル隊の攻撃は熾烈を極め、イード軍に降伏の隙を与えなかった。掃討戦は数時間かかり、イード軍は霧散、ダーナに詰めていた諸侯たちは1人残らず討ち取られることになった。まだイード砂漠内には残党が残っているが、彼らは戦前にマリク派に付くのを嫌い中立を守っている者たちばかりであったが、ダーナの陥落によって彼らは真っ先にライトの元に馳せ参じてきた。そしてこの者たちから思わぬ報せが届いてきたのであった。
『セーナ皇女、エバンスにて軍民を虐殺。その数、万を優に突破!』
これを受けたライトは愕然とした。マリアンの言っていた『反動』がいきなり表れたのだ。しかし過ぎてしまったことは仕方がない。未来に大いに禍根を残すことになる重大な事件だが、ライトとて今回の戦いでイード諸侯の首を根こそぎ刈っているのだ。それにライトがセーナを信じられなくなれば、セーナはそれこそ気持ちの拠り所を失い、さらなる暴走を繰り返す恐れがある。ライトは心を入れ替えて、全軍の建て直しを命じた。それを遠くから眺めていたライトは嬉しそうに目を細めていた・・。
 やはりイザークでの強行軍がたたったのか、シレジア軍は約5日に渡ってダーナに留まっては軍の建て直しを図った。一方のトラキア軍を率いたアリオーンはと言うと、やはり無理をした総攻撃による被害が甚大だったためにライトとセティに軽く挨拶をしただけでトラキアに戻っていった。

 こうしてイード砂漠の大戦乱は終わった。セシル、ディルらマリアンの旧臣たちを加え、体勢を立て直したライトとシレジア軍はヴェルトマーの属城だったフィノーラ城を奪還し、いよいよグランベルへの足がかりを得た。そしてそのグランベルであるが、シグルドの故郷シアルフィにていよいよ雌雄を決する戦いが始まろうとしていた。戦う相手は言うまでも無く、血を半分ずつ分けた兄と妹、マリクとセーナである。その決戦の時は近い・・・。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 19:24