セーナ対マリクの戦いはこの時期に最初の最盛期を迎えるセーナと今が絶頂にあるグリューゲルの猛攻、そしてセーナに全てを賭けたフィリップ、フィーリアなどの奮闘もあって思いのほかあっさりと決着が着いた。ただ戦の知らぬバーハラ貴族は圧倒的劣勢を覆しての大逆転にしか見れず、
「セーナ皇女は神か、魔か。」
と、ささやきあったほどだ。とにかく彼らはとんでもない人物を敵に回したことを後悔し、ある者はこうなった以上はとマリクに賭け、ある者は命欲しさにセーナへの接触を試みようとユグドラルの心臓バーハラは慌しく動き出した。
またシアルフィ決戦場の片隅で兄と妹の戦いを見つめていた人物がいた。この2大勢力で大胆に中立を宣言したシグルド2世その人である。傍らには遠路イザークから駆けつけてきた妻のナディアもいる。すでに決戦は終わり、セーナの旗印『双竜旗』を中心に南部トラキア軍ドラゴンナイツ、フリージ軍、ドズル・グラオリッター軍、そしてガーディアンフォースが集結しつつあった。この壮麗な景色を見ていたシグルドⅡはハッとしてナディアに言った。
「そろそろ私はヴェスティアに戻るが、お前はどうするんだ?」
この決戦後に起こることはいえば、どう見ても明らかである。セーナがこの眼下の軍勢を率いて、自身の本拠ヴェスティアを取り返しに来るのだ。ヴェスティアはセーナが設計しただけあってかなり防御力を誇るが、これだけの大軍勢で来られればエッダの二の舞である。
「私が手伝うことは?」
とナディアは言っているが目は笑っている。
「お前も意地悪くなったなぁ。俺が妹に剣を振るうと思っているのか。」
そう言われるとナディアは笑って頷くしかない。この夫婦はどこまでも息が合うようだ。二人はそれぞれに馬の方向を変えて、この地を去っていた。それにしても凄いのはナディアである。つい先日、セティと折衝していたというのに今度はシアルフィに来ていたと思ったらすぐにイザークに帰るというのだから、呆れるほどの行動力である。それだけリーベリアで恐ろしいほどの経験を積んだセーナの戦振りが気になったのだろう、「将来のために・・・」。
決戦を勝利しユグドラルの覇権を事実上、手に入れたセーナだったが、軍勢をまとめたものの、諸将とはまだ会わずに一気に西北に行軍を取った。彼女に出来るのは彼らに心安らかに休んでもらうための場所、つまりヴェスティア城を確保することだった。西北に方向を変えたことでフィリップやフィーリアなどはその意図を一気に悟ったが、決戦で疲労困憊の兵たちは口々に不平がこぼれたものの、次第にこれから為すことが伝わってきた頃には自然と不平は止んでいた。どの兵も今まで戦続きだったのだ、多少苦労をしてでも気持ちのいいところで休みたいのは誰も同じだった。先手はセーナ自身が率いるグリューゲルを務め、次にフィリップのドラゴンナイツ、フィーリアのフリージ軍、ヴェルダー率いるエッダ軍、ジョセフのグラオリッターが続き、リュナンとミーシャのガーディアンフォースが殿軍となっている。ついでにセーナは決戦後もどの諸侯とも会っていないが、ミーシャやリュナンともまだ顔も合わせていない。それがミーシャにとって自身の命令違反のためにセーナが怒っていると誤解して、ずっと俯いたままだった。
シアルフィの決戦場とヴェスティアはさほど遠くない。日こそ暮れたが、その日のうちにセーナ軍がヴェスティア城下に達した。ヴェスティアのシンボルとも言える紅き塔が見えてきた時、セーナはカイン、ミカ、グーイを連れて先駆けしてヴェスティアの門を叩いた。すでにシグルド2世の命が行き届いているのか、すぐにセーナたちは一年半ぶりにヴェスティアの土を踏んだのだ。シアルフィの決戦の報知がすでに届いているか、ヴェスティア城までの沿道には城下の市民たちが飛び出して時の英雄の凱旋を大歓声で迎え入れた。セーナは満面の笑みでその歓声に応えながらゆっくりとヴェスティア城に入っていった。するとシグルド2世自身がわざわざ迎えに来ていた。
「ようやく自分で受け取りに来たか。まったくお前は戦は強いが、礼儀は忘れてしまったのか。」
久しぶりの兄妹再会は兄の皮肉な口撃で始まった。
「グリューゲルの者たちは私の分身も同じ。そう何度も兄上には言ったはずですが。」
と苦笑しながらもセーナは冷静に返すが、次には一気に本題を告げた。
「グーイの件は見なかった振りをしますから、早くヴェスティア城を明け渡していただけませんか。私たちはもうヘトヘトなんですから。」
多少図々しい申し出だが、セーナの思いは切実だ。決戦に勝ったとはいえ、兵たちの憔悴はひどく、特に激戦続きだったグリューゲルは皆、まともに立っていられないほどに疲れ切っている。セーナも病み上がりであるために馬に乗っていてヤっとという状態である。
「もう時間が時間だから今日中には明け渡すことは出来ないが、それなりに受け入れる準備は出来ている。ゆっくりとしていくがいいだろう。」
想像以上にやつれて見えるセーナに一瞬、兄として妹の宿命を哀れんだが、そこは一代の軍神である。すぐにその心中を悟られないようにすぐに背中を向けて去っていった。彼が去った後、すぐにカインがセーナの元に馬を寄せて
「後続の受け入れは私に任せて、セーナ様は今日はごゆっくりお休みください。」
こう勧めた。いつもなら残った雑事作業もセーナは進んでやるのだが、さすがに今日は体が続かないようで彼の言葉に頷いて、居住用に使用している紅の塔に向かっていった。なおもカインは残ったミカにも目で「行け」と示し、彼女の後を追わせた。少し強制してでも今日はセーナに休んでもらいたいカインの思いにミカは応え、馬に鞭打ってセーナの後を追っていった。
さすがにカイン一人でのセーナ軍の軍勢の受け入れ準備は骨が折れた。しかし未だに元気満々のボルスが珍しく奮闘して丸い月が天高く上るまでにはようやく全ての準備が終わった。とはいっても全軍がまだ小さいヴェスティア城に入るわけがなく溢れた70万の兵はすでにユングヴィとシアルフィ城に分けて入れている。この頃にはすでにセーナも安らかな寝息を立てていた。
翌早朝、疲れていたのにも関わらず、セーナは日の出と共に目が覚めた。紅の塔一階にある庭園に出て、久しぶりにヴェスティアの空気を吸っていた。このヴェスティア城は王城部と外の城壁、内の城壁、そしてこの紅の塔で構成され、各城壁のグルリをユン河から引いた水堀で囲まれている。しかもこの紅の塔も池の上に立てられたように周りを水堀の一部で囲まれていて、この塔に入るのは王城の4階(玉座の間の階)にある連絡通路のみとなっている。つまりこの紅の塔は難攻不落ヴェスティア城の真の中枢にあたることになる。ここに入ることが許されるのはセーナとグリューゲルセンチュリオンのみだったが、今はフィリップやフィーリアたちも特別にここでスヤスヤ眠っている。
セーナはこの庭園の中を回り、ようやくヴェスティア城北西の隅にある「誓いの泉」に着いた。ここはセーナのお気に入りの場所でリーベリアに向かう前もここで自身を癒していた。
「やっぱりここに来たか。」
この泉にはすでに兄シグルド2世がいた。
「私も兄上がここにいると思ってました。」
そういいながらセーナはシグルドⅡの隣に座り込んだ。そこには昨夜のユグドラルの雄同士の殺伐としたものはなく、一組の兄と妹のほのぼのとした空気が流れている。それを示すように泉で飼われている鴨の親子が気持ち良さそうに水浴びをしている。ふとシグルドⅡがボソりと言った。
「ここで『あの誓い』が結ばれなければ親父(=オイフェ)も命を落とさずに済んだかもな。」
「いえ、私はあれがなければ今の私がなかったと思います。」
二人が言う『あの誓い』とはこの泉で行われた『ヴェスティアの誓い』であった。
それは数年前、セーナの17の誕生日を祝したパーティがヴェスティアで行われ、ここにシグルド2世、エルトシャン2世、キュアン2世(当時は違う幼名)も呼ばれていた。この3人が揃ったのはなんとこれが最初だったのが誰にも意外だったのか、パーティー後セーナは3人に義兄弟の誓いを立てることを勧めた。すぐに乗ったのがエルトだった。まだエルトに会ったことのなかったキュアンが少々の難色を示したものの、エルトに同じく乗り気だったシグルドⅡの言葉もあって3人は義兄弟の契りを交わした。すぐにこの誓いはユグドラル中に広がり、40年前の三英雄シグルド、エルトシャン、キュアンの再来を確信させた。だがこの結束を利用するものが現れた。それを表すようにシグルドⅡが意味深な言葉を告げる。
「兄として言えるうちに言っておくが、俺たちの中立は。」
「兄上、今はその話は止しましょう。兄上には兄上の考えがあっての行動なんでしょう。」
セーナが兄の言葉を止めて、そのまま芝生に寝そべった。
「そうでないとしたら?」
「だとしたらお父様がまた何か企んでいたんでしょ。」
ニベもなく言うセーナに驚くシグルドⅡだが彼女は懐から一通の書状を取り出して見せた。
「お父様からの遺言状よ。」
ここにはセーナの出生の秘密も書かれているが、あっさりとそれを兄に渡した。じっくりと読んだシグルドⅡだが、彼も事前に知っていたのか思いのほか驚きを見せずにセーナと同じように芝生に寝そべった。隣を見ればどこから来たのかセーナの体の上にカルガモの子供がちょこんと眠っていた。
「まったく父上(=セリス)もお前も色んなことを考えてるんだな。」
クスクスと笑いながらセーナは一緒に持ってきた剣を兄に差し出した。これに驚いたカルガモの子が滑るようにセーナの体から降りて、親のもとへ一目散に帰っていった。
「これ、兄上にお返しします。」
「お返しします、ってこんな剣渡した覚えはないが。」
といいながらも雰囲気に覚えがある。
「まさかこれってティルフィングか?」
セーナは小さく頷いて、近くにきた別のカルガモの子を撫でていた。
「・・・・何か前より凄くなったような、ショボくなったような・・」
実際にはファルシオンの効果でかなり強力になっているのだが、それが証明されるのは少し先になる。
「まぁお前にはファルシオンもあるから、また貰っておくとするか。それじゃ、俺も朝飯でも食べに戻るとするか。」
すくっと立ち上がったシグルドⅡはそのまま紅の塔に向けて去っていった。それにまた驚いたカルガモの子が一気に走り去る。
「あ、もう・・・」
頬を膨らましたセーナだが、ふと空腹感を感じて彼女も紅の塔に帰っていった。
数時間後、シアルフィの精鋭グリューンリッターを引き連れたシグルド2世はヴェスティア城を飛び出し、居城シアルフィに戻っていった、これから起こるであろう残酷な未来に胸を痛めながら・・・。