双竜旗が翻るヴェスティア城にセーナの不満の声が響く。
「どうしてこんなモノを着なければならないの!」
ヴェスティア王宮の一室で1年半振りのプリンセスドレスに包まれたセーナの姿がある。だがその声音が表すようにセーナの表情はひどく不機嫌そうだ。
「先ほどセーナ様の仰るとおり、今は戦時ですが、これからセーナ様は諸侯にユグドラルの将来を明かすつもりなのでしょう。でしたらそれなりの格式を重んじなければなりません。」
カインとミカがグズる主君を宥める。実際、1年半までは普通に着ていたドレスが今では若干窮屈に見えるのは仕方がない。ただでさえ堅苦しいことが苦手なセーナにとってこのドレスを着るのは地獄よりも苦痛のようだ。
「第一、こんなキツキツな衣装で会うこと自体、失礼でしょ。」
セーナの言うことも一理あるのだが、なにぶん代わりがないのだ。他はそれこそドレスなのに色々な意味で際ど過ぎるのだ。といって戦場でないのにいつものミニのスカートに、生地の薄い服はもっと不味い(もっともカインからすれば戦場でも勘弁して欲しいのが本音らしい)。
「そうは言われましても、次のドレスが出来るまではこれを着ていただかねば我々も困ります。」
困ったように見てミカが言う。それを見て、半ば観念したようにセーナが言う。
「百歩譲ってこのドレスを着るのはいいとするわよ。」
セーナの次の言葉を待たずに二人は心の中に密かにガッツポーズを作ったが、彼女は自分の額を指差して
「じゃあこれはどうするわけ?」
そう聞いて二人は同時に「あっ!」と言ってしまった。彼女の額には母ユリアから渡された自分の魔力を抑えるハチマキがされている。事情はともあれ、ドレスにハチマキというほどのミスマッチはない。といって外したらセーナの恐ろしい魔力が溢れて諸将を嫌でも威圧する。考え込む二人に思わぬ人物が助け舟を出してきた。その人物の到来を告げるためにアルバトロスの一人が連絡に来た。
「フィリップ様がセーナ様にお渡ししたいものがあるというようで、どうしましょうか?」
「こんな格好で会うの?」
そう言いながら二人を睨むも
「まぁいずれ会うのなら予行練習と思って」
とカインはニベもない。ハァとため息をついてうなだれるセーナの様子を了承とみたカインはすぐにフィリップを通した。何やらそこそこ大きい箱を抱えて、すぐにフィリップは入ってきた。どこかおかしいセーナを見たフィリップだが、笑おうとはせずにまずは揶揄も込めて挨拶した。
「朝から失礼します。それにしてもセーナ様は戦といい、ファッションといいやはり我々のはるか先を突っ走ってますな。」
これにはセーナも顔を真っ赤にするもほとんど的を得た発言なので言い返すこともできず、ぷぃっと後ろを向いた。戦では鬼神のごとく敵を粉砕するセーナのもう一つの少女の面を久しぶりに見れたフィリップは笑いながらも非礼を詫びた。そしてカインとミカから事情を聞くと、持ってきた箱をセーナにこう言いながら差し出した。
「ぜひ昼の会合でこれを付けてきてください。」
セーナが訝しげながらその箱を開けると、見目麗しいティアラが出てきた。
「これにはシャル殿の魔力を分けてもらって、セーナ様の魔力を抑えられるようにしています。この戦の後、セーナ様自身が執務につかれるかどうかはわかりませんが、こういう機会があると思いましてペルルークの職人に頼んで作ってもらったんですよ。」
さらにフィリップの完璧なタイミングの登場には屋根裏に潜んで3人の様子を見ていたシャルが一枚噛んでいた。悪戯心から主君を驚かそうと思っていたシャルと、何かセーナの気を引きたいフィリップの思いが一致して組んだのがこの結果である。ニタニタするシャルの笑顔を思い浮かべながらも、セーナはそのティアラを手にとって自分で頭に付けた。そして今まで自分の魔力を抑えていたハチマキを取ったところ、確かに何の変化もなかった。これなら昼の会談も何事もなく出来ると、感じたカインとミカは素直にすでに背中を向けて退室しようとしていたフィリップに頭を下げて、ドレスを着なければならなくなったセーナは苦虫を噛み潰した顔している。とはいえセーナの準備が出来れば、あとは準備万端。セーナの決意表明を待つだけとなった。

 ヴェスティア城王宮の間にシアルフィ決戦でセーナと共に戦った勇者たちが集っている。玉座に近い順からセーナの盟友としての地位を磐石にしつつあるフィリップと、シアルフィ決戦で裏舞台を仕立てたフィーリアが並び、次にエッダのコープル・ヴェルダー親子、ドズルのジョセフに、姉ラケルの合流までにユングヴィの暫定当主に任ぜられたルカもいる。リュナン、ホームズ、リュート、サーシャら別大陸の勇者たちは呼ばれてないが、仮にも前アグストリア国王のアレスはしっかりと呼ばれ、フィリップより玉座に近い場所で諸将を見つめている。彼らより下がったところにカインやミカらセーナ直臣たちが控え、その中にはもちろんミーシャもいる。もちろんここにいる全員がそれぞれで格式を重んじた衣装に包まれている。ついでにセーナの母ユリアはライト率いるシレジア軍と共にして、今頃はライトの叔母フィーに守られながらヴェルトマーで娘と婿を見守っている。
 やがてプリンセスドレスと、フィリップの贈ったティアラを付けたセーナが王宮の間に入ってきた。セーナ直臣たちは跪き、フィリップやフィーリアら諸将らは軽く叩頭する。さっきまでのグズるセーナが嘘のようにそこには威厳が満ち溢れている。そして一年半ぶりにヴェスティアの玉座につくセーナは諸将を見渡して、まず先のシアルフィ決戦までに至る戦いで奮闘した諸将を労うこととした。最初に誰が呼び出されるのか、諸将は興味津々となったが、意外にもいきなり呼ばれたのはほとんど下の末席で跪いているミーシャだった。命令違反を咎められると恐れていたミーシャはビクビクしながらセーナの前に移動して、突然平伏した。
「セーナ様、ご命令を無視してガルダを離れたこと、万死に値します。どうかご存分の処置を。」
さすがにリーフの長女である。覚悟を決めている彼女から決然とした言葉が出てきた。いきなりの展開に動揺を隠せない諸将を前に、セーナは近侍から自分の使っている銀の剣を受け取るとミーシャの前に進み出て言った。
「あなたの心情を理解しないで、勝手に命令した私にこそ罪はあるわ。私もあなたのような臣を持てて、幸せであるとともに誇りに感じるわ。そんなあなたに私が使ってきた銀の剣をあげるわ。」
ハッとして顔を上げると、いつの間にか同じ目線でミーシャの顔を覗き込んで微笑んでいるセーナの姿があった。これに感動したミーシャは厳かに銀の剣を受け取ると、感涙に咽びながらさっきまでいた末席に戻っていった。セーナも再び玉座に戻り、ミーシャが戻ったのを見届けた後、次にアレスを呼んだ。今ではセーナの客将になっているとはいえ、リーベリアの戦いからセーナを支えてきたことはここにいる誰もが知っている。
「アレス王、リーベリアから先のシアルフィ決戦まで本当に助かりました。今はその恩にどうやって報いたら分かりませんが、すべてが終わった後に必ずや返上します。」
そうセーナが言うとアレスは
「私はすでに国も己も捨てた身。それにこの戦が終われば、完全に引退するつもりでいるので、そのような恩賞はいりません。」
と返した。さすがに孤高の黒騎士らしい言葉にセーナも苦笑いをするだけで何もいえなくなった。それからはフィリップ、フィーリア、ジョセフ、コープル、ヴェルダーと今までの功を労った。特にフィリップに対してはまだ勝利が確定しないにも関わらず、ミレトス半島の全権を与えている。まだグランブリッジは陥落していないが、ハンニバル2世が猛烈に攻めあげており、またヴェスティアからもすでにボルスとアベルを派遣して南北から締め上げている。この地域を落としたことでトラキアの国力は数倍に飛躍し、現在のセーナに匹敵するほどの巨大勢力になっただけでなく自立した経済を作ることも不可能ではなくなったのだ。ともあれセーナは諸将の面目を大いに施して、この会談の前半は無事に終えることが出来た。
 「ではこれからこの大戦の後に私の国づくりを説明しましょう。」
この言葉に少しばかり緩んでいた空気が再び引き締まる。
「この大戦後、私は我が夫ライトと共に後ろにある双竜旗の元にヴェスティア帝国を建国します。」
この言葉に驚くものも少なくなかった。彼らはセーナがセリスの『後』を継ぐと思っており、まさか全く違う国を作るとは思っていなかったのだ。
「今日私が皆さんを呼んでのはこのためです。次の戦いではこの大陸からグランベルという名を完全に潰します。ただし仮にもこれだけの歴史を紡いできた大国です。皆さんの中でもグランベルに後ろ髪を引かれるものや、抵抗するものもいるでしょう。ただしこれだけは忘れないで欲しいのです。」
息を呑んで諸将はセーナを見つめる。
「私はあくまでも父の『遺志』を継いで、勝手に父の『後』を継ぐものと戦うのです。」
ここには聡明なものばかりなのでその意味を正確に捉えるものは少なくないが、どこか武骨な面を持ち合わせているジョセフや政治全般にまだ疎いヴェルダーは首を傾げていた。
「これから歴史あるグランベルの名を守りたいものは兄の下へ行くといいでしょう。」
だが彼らは伝統には頓着していない。セリス世代の者たちが激動の世を予測して次々とその身を退いて、若いものに託したのはそのためとも言えた。もっとも若いからといって伝統に思い入れのあるものもいる。代々グランベルの史家を務めてきたエッダ家のヴェルダーとコープルである。だが彼らこそセーナの譜代中の譜代、よもやセーナに抵抗する気概など全くない。セーナは彼らの様子をじっと見守っていたが、退出しないものがいないとわかるや満面の笑みで彼らの決意を称えた。
 この会談が終わりかけようとしたところ、フィリップが質問した。
「セーナ様、ライト殿と国作りをされると聞きましたが、そうなるとヴェスティアとシレジアの関係はどうなるのでしょうか?」
ライトは言うまでもなく今回の戦いでシレジアの旗を背にして戦ってきた。そして先ほどのセーナの発言からすればヴェスティア帝国もライトを中心にまとめるという、そうなればこの戦いはセーナの戦いではなく、ライト、しかもシレジアのための戦に変貌してしまう恐れがあるのだ。だがセーナは
「フィリップ、その懸念は無用です。確かにこの戦いが終われば、私は第一線から身を引くつもりでいますが・・・」
この言葉でも諸将が動揺の色が見えたのを目の端に捉えてセーナは続ける。
「シレジアはライト、ヴェスティアはここの末席にいるミカが宰相として明確に分かれて統治するつもりです。」
実際にこの戦いが終われば、ミカはグリューゲルを除隊されてヴェスティア帝国の宰相として内政に励む予定でいたのだ。末席にいたミカが諸将の前に出てきて丁寧に叩頭したのを見て、諸将の不安は和らいだ。やはりどこかライトが大陸の半分を統治することに不安だったようだ。
「ただしやはり私とライトの関係の通りに、ヴェスティアとシレジアはほぼ一つになることは否定しません。ただいずれかの折にはかならずヴェスティアとシレジアがまたそれぞれの道を歩むことをここに皆さんに誓います。」
この言葉を受けてフィリップも納得したようだ。彼が引き下がったのを確認して、ユグドラルの未来が映ったヴェスティア会談は終えた。

 その夜、セーナはこれら諸将はもちろん、今までなかなか会えなかったリュナンたち一行も呼んでシアルフィ決戦の祝勝を祝う、ささやかな宴を開いた。フィリップは積極的にセーナやリュナンたちの輪に加わって楽しそうに会話に続けている。また別の一角では新しくユングヴィの暫定当主となったルカがその重圧に押しつぶされそうになりながらも共に戦ったサーシャに檄を送られて決意を新たにし、会場の外に目を向けられればまた面白い座興が始まっていた。
 事の発端は宴ではもう恒例となったミカとラティの鬼ごっこであった。いつもならミカの魔法でケリが付くのだが、この日のラティは酒が回って執拗に追ってくる。それを目の端に捉えていたが同じくミカ隊に配属されていたリーベリアの剣士アジャスである。
「ったく、あれが由緒あるアカネイア大陸の傭兵剣士か。」
ラティとアジャスはとにかく対極にある剣士といってもいい。どちらも腕があるのが確かだが、ラティは女の尻を追い、アジャスは戦を求めて今回の大戦に加わっている。それゆえに女魔道士だけで構成されているミカ隊では言うまでもなくアジャスの方が圧倒的な人気がある。逆にラティは「女性の敵」ととうの昔に断じられている。それでいて敬愛する隊長ミカを追い回すのだから彼に対しては常に白い目で見ている。そのためにラティはアジャスをライバル視している(もちろんアジャスは彼のことは全く気にしていないのだが)。そして今アジャスが漏らした言葉がふとラティの耳に届いてしまった。彼は地獄耳でもあったのだ。
「おう、誰かと思えば色男のアジャスではないか。」
だが普段は人懐っこいアジャスだが、ラティに対してはあからさまに鼻を鳴らしてそこに寝そべってしまった。同業者にはとことんソリが合わないのがアジャスの面白い点かもしれない。この態度にカチンときたラティが急にアジャスに飛びかかる。だがアジャスも去るもの、軽く寝返りを打ってラティを地面に叩きつけてしまった。それを遠くから見ていたミカ隊の女魔道士たちが大声で笑っている。完全に面目を潰されたラティは完全に切れて、今度は剣を抜いてアジャスに斬りかかった。だがそこに寝そべっていたはずのアジャスの姿がいつの間にか消えている。
「ヤレヤレ、まったく大人げないヤツだ。」
その言葉の出所を突き止めたラティは一気に切りかかる。瞬間、剣が交じり合いガキーンという音が響き渡る。すわ戦か、と警備をしていたカイン隊の将士が駆けつけたところ、彼らには何も見えなかった。このときすでに恐ろしいスピードでの2人の戦いが繰り広げられていたのだ。この光景に付いていけたのは事の発端を作ったミカだけである。さすがにまずいことになったことを悟ったミカは得意のスピードサンダーで落とそうとしたが、何分2人の戦いが速すぎてなかなか当たらないイライラが頂点に達したミカはここでトローンを放った。次の瞬間、巨大な雷がヴェスティアの空に轟いた。そして2匹の猛獣が黒こげになってどこかに落ちた。だがこのトローンで敵の奇襲かと勘ぐったゲイン隊も駆けつけてきてしまったために益々騒動が大きくなってしまった。顔を赤面しながらもミカは彼らに事情を話して納得させて、場を静めるよう頼んだ。苦笑いしながらもゲイン隊の将兵は宴会会場に戻って、セーナら諸将に事の次第を報告して場の沈静を頼んだ。果たして十分経たないうちに宴は賑やかさを取り戻した。だが収まらないのがミカである。すぐにコソコソ逃げようとする二人の首根っこを捕まえて、数時間に渡って怒鳴り散らしたとかしなかったとか。またミカは内心でセーナにも毒づいていた
(どうして私がこんな猛獣2匹を相手しなければならないのよ!)
怒り狂うミカをよそに宴はようやくたけなわとなり、それぞれの諸将は床に着いた。

 それからもセーナ軍は5日間に渡ってヴェスティアに留まり、長い戦いの疲れを癒した。次がセーナとマリクによる最後の大戦となる。もはやシアルフィ決戦で大勢は決まったのだが、何が起こるかわからないのが戦である。セーナは勝利を磐石なものにすべく不安要素の一つである疲労を拭い去った上で決戦に臨む心積もりのようだ。 彼らが最後の大戦に想定している場所はたった一つしかない。20年前、セリスとティナの悲しき戦いが繰り広げられたヴェルトマー平原である。ここにティナの姪セーナと、セリスの嫡子マリクが雌雄を決することになるとは誰が思うのだろうか。皮肉な運命とはまさにこの事なのかもしれない。とにかくも俗にいう「光と闇の最後の聖戦」が幕を開ける。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 19:46