セーナがヴェスティアに凱旋してから4日後、グランブリッジに篭もるミレトス軍がトラキア軍に降伏した。これでユグドラル南部もあらかたセーナ派一色となり、最後の戦いに向けて後顧の憂いは完全になくなった。ハンニバル2世率いるトラキア軍と、アベル・ボルス隊が合流したことでいよいよ準備が整ったかのように思えたが、天が味方をしなかった。出陣の日にグランベル南部一帯に大雨が襲ったのだ。
 冬に入りかけの時期にこれほどの大嵐は珍しく、セーナは止むを得ずこの日の出陣を見合わせた。それと共にヴェスティア郊外にあるグリューゲル村をはじめ周囲の町に使いを出して、非常事態に備えてヴェスティア城への避難を勧めた。グリューゲル村はその名の通りにグリューゲルの将兵の家族が住む村で、色々な意味で世界一安全な村と言ってもいい。ここはヴェスティア城の出城の役割も果たしていて、村の周囲を堀と柵で張り巡らせられているだけでなく、その中は自給自足で成り立っているという特別な村である。ただこういう嵐などには多少脆さもある。カインの長男エルマードがセーナの使者を受け取るや否や、すぐに村人をまとめてヴェスティア城に避難させた。まだ父親ほどの派手さはないが、若干15歳にしてこの手際の良さにセーナもカインも目を細めるばかりである。若いものばかりのイメージが強いグリューゲルだが、確実にさらに若い世代の者も伸びていた。
 他の町からもセーナ直属のアルバトロスの指示で大きな混乱もなく、避難民を収容していく。ただでさえ大量のセーナ軍がいるのにも関わらず、周囲の市民を避難させたことでヴェスティアの町機能はマヒするかに思われたが、そんな柔なことで息をあげていれば未来のユグドラルの心臓は務まらないとばかりに軍民あわせて計150万の人員を収容した。多少窮屈さがあるのは否めないが、さすがはセーナが一から設計しなおしたヴェスティアである。ヴェスティア城下は大きな混乱もなく、嵐は2日目を迎えた。

 市民の無事の避難を聞いて、安心したセーナはすぐにカインの寝室に向かった。ガルダ島を出て以来、何やら病を得ていたようでエバンスの決戦前後も前線ではなくセーナの側にいたのだが、シアルフィ決戦にて再び前線に戻って戦い、それでいて前日の避難民の収容で忙殺されたことで病気が重くなって倒れてしまったのだ。
 ついでに今の彼を介抱しているのはちょうどグリューゲル村から避難してきた妻のマリーナであるが、それにセーナが新造の部隊MP(Medical Party)の一人を貸し与えている。MPはセーナがリーベリアに行く直前に考案され着々と人選も進んでいたのだが、当のセーナがリーベリアに向かったことで中途の状態となり、そのMP候補生たちはグーイとは別の形でシグルド2世に拘束されていた(といっても彼らはうら若き乙女のみだったのでシグルド2世は悪いようには扱わなかったらしいのだが)。セーナのヴェスティア凱旋と共に正式に組織されたMPはその名の通り、医療を司る部隊で、それゆえにシスターやプリースト、医術・薬学に通じた女性魔道士が参加している。戦闘力はほぼ皆無だが、これに大戦後にグリューゲルを除隊されることになるミカが隊長になることが内定しており、セーナの第四の手足として活躍するのは確実だ。
 そのMPの一人を与えられ、そして妻の介抱もあってカインはようやく小康状態を得た。セーナの姿を見たカインは無理をして上体を起こそうとするが、セーナがそれを止める。
「無理することはないわ。あなたは病人よ。」
「しかし最後の戦いを前にこの様なザマを見せてしまい、申し訳ありません。」
だがセーナは穏やかな笑顔を向けている。
「私がこうしてケロリとしているのも不思議なくらいだもの。本当にこの1年、あなた達には色々と無理をいったわ。」

 この1年本当にグリューゲルとセーナは桁違いに動き続けた。まずいきなりの戦いがガルダ聖戦である。当時のエーデルリッターが正面から奮闘し、後方から流星陣で持ってヴァーサ率いるガーゼル軍20万を文字通り粉砕した。しばしの平穏の後、ついにセーナは自らリーベリアに上陸しバージェにてソフィア・ガーゼル連合軍と激突。現在№0011となったフリードの決死の突撃で苦闘しながらもセーナ自身の活躍でフリードを見事に押さえ込み、ソフィア軍を吸収してガーゼル軍を撃破する。快進撃のままカナン城まで進撃、これを包囲しつつグリューゲル空軍はリーヴェ王都にリュナンの援軍へ赴く。ここを守るジュリアス竜騎士団は精強でグリューゲル天馬騎士団は敗退してしまうが、セーナとレイラ天馬騎士団の奮闘で見事に逆転、盟友リュナンのためにリーヴェを取り戻した。かと思えば、今度はノルゼリアにて大包囲にあうリュナン・セネト両軍の救出のためにノルゼリアの決戦に乱入。カインもこの戦で傷を負うほどの激戦になるが、エーデルリッターの活躍で辛くも脱出に成功する。それからミカ、ゲインらグリューゲル歩兵隊は邪神の祭壇に向かい、暗黒竜ガーゼル撃破のための原動力の一つとなり、またエーデルリッターも内乱に揺れるリーヴェのために奮闘して見事にリーヴェを救っている。
 リーベリアから戻ってきて彼らの戦いは更に激化する。まずエバンスにてセリス解放軍の勇者の一人レスター率いるヴェルダン軍40万と激突。修羅となって挑んだセーナの覚悟とグリューゲル将兵たちの決死の車懸かりでヴェルダン軍は見事に分断されたうえにレスター自身を襲ったことで全軍に動揺を誘う、豪快な戦法でこれを撃破する。この大戦でセーナも倒れるも、ミカの介抱ですぐに復帰し、ユグドラル大陸史に残る大戦となったシアルフィ決戦に挑む。セーナとマリクの対決はセーナの鬼謀と、フィリップ、フィーリア、ジョセフ、さらにはミーシャのセーナにかける思いがマリクの大軍を凌駕して歴史的大逆転へと導いていった。
 常勝不敗の街道を突き進んでいったが、これだけの大戦を経てるだけにグリューゲルの将兵に疲労感がないのは戦好きのボルスぐらいである。カインのように倒れる者も少なくないのが現状で、とても次の戦いに耐えられる状態ではなかった。

 「でも心配はいらないわ。私は次の戦いではグリューゲルを参加させるつもりはないわ。」
もとよりそのつもりだったのはカインも知っている。
「しかしマリクは何か秘策を立てているという噂を聞きます。万全な状態で仕掛けなければ、シアルフィの時の相手と同じことになります。」
「ここで万全な状態で待っていれば、マリクは再び百万を越える兵を集めてしまうわ。それよりもフィーリアやフィリップ、そしてライトに戦わせて手柄を取らせてあげたほうが将来のためにもなるわ。」
実際にバーハラの動員能力はあの一都市で100万にもなる。これこそがバーハラがユグドラルの心臓としてずっと君臨してきた強みである。今はシアルフィの敗北と傘下貴族の分裂もあり、マリク軍の兵力は60万にまで落ちているが、すぐに立て直してくるのは明白だ。セーナ軍はすでにマリク軍を遥かに凌駕する兵力を持っているが、万全を期するのならグリューゲルの復活を待つのがいい。しかしこればかりは急に出来ることではなく、どんなに早く見積もっても半年はかかる。そこでセーナは考えを巡らせて、ある結論を導いた。
「そこでカインはこのヴェスティアで休んで、代わりにエルマードを加えさせようと思っているんだけど、どう?」
つまり未来のグリューゲルを育むためにこの戦いを利用するのだ。そこには若干マリクを侮っているセーナの心中が見えなくもないが、病身のまま迷惑をかけるわけにはいかないカインはすぐに了承した。
「まだまだ使えない愚息でありますが、セーナ様がそう仰るのなら連れて行ってください。」
そう言ってマリーナに長男エルマードを呼んでくるように頼んだ。彼女が退室した後にカインがセーナを諌めるようにいう。
「ただあまり無茶なことはしないでください。私がここに残る以上、負担はミカが残り全てを背負わなければならないので。彼女も戦い詰めでかなり疲れているようですので。」
グリューゲルのトップならではの部下を思う言葉である。セーナは頷いてすぐに
「もちろんよ。あなたに約束するわ。」
と返した。その直後、マリーナがエルマードを連れて戻ってきた。カインはエルマードに事情を説明して、セーナ軍に加わるように言った。対するエルマードは敬愛する主君セーナとようやく共に戦えることに嬉々とした表情を隠そうともせずに父カインとセーナに挨拶をして、数少ない手勢をまとめるためにすぐに退出していった。若さ漲るエルマードを見て笑顔となったセーナも城内を見回るために部屋を後にしていった。残ったカインはしみじみと小声で呟いた。
(私もあと少しか・・・)
これが聞こえたのか、マリーナもふと目を潤ませた。

 その夜、シャルとグーイがそれぞれ差配するクロノス諜報衆、グリューゲル諜報衆が強固に守るある部屋にリベカが呼ばれた。これだけ強固に守るのはリーベリア時でもなく、よほどの秘事を話すつもりだったようだ。ならば少し覗いてみることにしよう。
 未だに部屋の窓には小うるさく雨が叩きつけられているが、部屋の中はほぼ同じ顔の女性二人がいてある種の気味悪さが醸し出されている。最近のリベカはとみに魔力の成長が著しく、それでいて魔力の質もセーナに似始めている。だから魔力に鋭いミカでも容易にセーナとリベカの区別が付き辛くなっている。唯一の差といえば絶対的な経験と血筋による威厳の差なのだろうが、セーナがふざけてしまえばむしろリベカの方がセーナらしくしまうこともある。ともあれこの小部屋にセーナがリベカを呼んだのである。
「いきなり切り込んでもいいかしら?」
セーナがまずリベカに聞く。いつものほがらかなセーナとはどこか違っている。だがリベカも冷静に返す。
「もう尻尾を掴んでしまいましたか?」
「まったく私の周りには不可思議な人間が多すぎて困るわ。特にあなたはネ。」
軽くため息をつけてセーナが続ける。
「まさかマルス様の直系が未だに残っていた時は驚いたけどね。」
真相を突かれてもリベカは動じていない。だがそれが肯定していることを示している。セーナは静かにリベカに確認を取るように歴史の『裏』に隠されていた真実を語り始めた。
 確かにマルスの『表』の直系はユグドラルにてロプトウス降臨時に途切れている。そしてセーナの血筋は言わばドズル家と同じように傍系同士の血が混ざり合った結果であって直系とは言えないし、セーナも偽ってまで宣言するつもりはなかった。ではリベカが直系というのはどういうことなのか。時は1000年前にさかのぼる。正史ではマルスが愛したものはただ一人、后シーダとされていた。もはやそれは1000年経った今でも常識になっているのだが、実はそれは大きな誤解である。マルスにはもう一人の恋人がいたのだ。その女性の名はシーダと同じ天馬騎士カチュア。マケドニア王国ペガサス三姉妹の次女でシーダと同じように蒼髪の少女である。性格もどこかシーダに似ているところがあり、それでいてメディウスとの戦い中も密かにマルスに惹かれていったのだ。やがてメディウスとの大戦が終わり、マルスとシーダはめでたく結婚した。アカネイア大陸は光に包まれていくなか、カチュアの心は闇に沈んでいき次第に壊れつつあった。そこでカチュアのマルスへの思いを知っていた姉パオラは意を決して、マルスに妹の思いを伝えたのだ。これを知ったマルスは大いに思い悩んだが、根が優しい彼はついにカチュアの愛を受け入れたのだ。傍からみればハッピーエンドかもしれないが、マルスの妻シーダから見れば重大なことである。幸か不幸かカチュアとマルスの仲は公になることはなくそのまま歴史の影に埋もれていったが、この二人の間に出来た子の末裔がリベカということになるのだ。彼女はアリティア王都に産まれ普通のシスターとして生きていたが、やがて両親から己の血筋を知り、そしてセーナに似た鋭い触覚で世界で轟きつつある闇の鼓動を感知して、旅立ったのだ。
 「一つお聞きしたいことが、どうしてそこまで正確に事実を。」
リベカの問いにセーナがあっけらかんと応える。
「生き証人がいるでしょうに。」
マルスを知っているのはチキと、ガルダの守護竜フォースドラゴンのいずれしかいないが、まさか遠くリーベリアのガルダにいるフォースドラゴンがアリティアの秘事を知るはずもない。となるとチキとなるが。果たして彼女も知っているのか謎なのだが、これだけの内容をセーナが知っているとなるとチキしかいないように思える。だが・・・
「これよ。」
といってファルシオンを指差す。このファルシオン、ティルフィングとナーガに分裂する以前の持ち主の記憶も鮮やかに受け継いでいたのだ。そして少しずつセーナはファルシオンの記憶を取り出していき、このヴェスティア城に着いてからマルスの『表』の虚像と『裏』の真実を引き出したのだ。それを知ったリベカは素直に降参した。
「参りました。」
リベカの言葉を受けて、セーナは満面の笑みを返して言う。
「心配しないで私もファルシオンも心無い人には漏らすつもりはないから。」
それを聞いて安心したリベカだが、セーナは不気味な言葉を続けた。
「でね、大事なのはココからなんだけど~・・・。」
妙に目を輝かせているセーナにリベカが息を呑む。裏の歴史よりも大事なこととは果たして何なのか。しばらくしてセーナがリベカに話したことは想像を遥かに超えたものだった。漏れるようにしてリベカが呟いたのは
「あなたという方は・・・。」
と呻くのが精一杯だった。一方のセーナは無邪気に瞳を爛々と輝かせている。
(この方に仕えたのが運命なら、『それ』もまた仕方ないか)
観念したリベカは頷くしかなかった。それを見てセーナがスキップしながら部屋を退室していった。唖然としながらもリベカは
「あの方は歴史というものをどう思っているのか。」
ともあれ妙に重いのかわからない二人の話は終わった。

 翌日、双竜旗をはためかせ、セーナ軍がついに出発した。グリューゲルの真ん中では初陣となるエルマードが、カインに後見を頼まれたアベルと共にグリューゲルの門をくぐっていった。そのすぐ後をミカと一緒にセーナが決然とした表情でこれから決戦が行われるであろうヴェルトマー平原の方を睨みながらヴェスティアを出発していった。まもなく光と闇の最終決戦が始まる。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 20:23