セーナ軍到着直後に始まったヴェルトマー聖戦はようやく終焉を迎えつつあった。3方からシレジア・トラキア両軍に終始圧迫され続けたスカサハ率いるマリク本軍はじわじわとその数を減らしていった結果、日が没するころにはスカサハが残兵をまとめてバーハラに撤退していった。ヴェルトマー平原に展開した時には30万あった兵力もバーハラの城門をくぐった時には数万を数える程度にまでになっていた。一方、セーナ軍を後方から奇襲した十二魔将軍はといえばアルバトロス・グリューゲル両部隊を散々に翻弄したものの決め手に欠けるどこか、セーナが対抗として展開させたグリューゲル十勇者やマリアン旧臣のセシルとディルの手によって肝心の十二魔将が次々と討たれたために指揮系統が破壊され、さらに南北からグスタフ率いるヴェルトマー家の精鋭ロートリッター、フィリップ率いるドラゴンナイツが突っ込んできたために序盤の激戦が嘘のように一気に霧散した。しかし結局、敵の総指揮官であるはずのマリクの姿はどこにも認められなかった・・・。
光と闇、その両極を見てきたグランベルの中心バーハラ宮殿の一室。今や闇の権化と化しているマリクがスカサハからヴェルトマー平原の戦いの報告を聞いて、一人悦に入っていた。
「ククク、この世界一の要害があるというのに何ゆえに外に出て戦わねばならないのだ。」
十二魔将全滅、兵力半減、これだけの悲報を受けたにも関わらずマリクには十分勝算があった。それが本人も言ったようにこのバーハラ宮殿(城)である。以前にも触れているが、ユグドラルの城は基本的に防備が優れていない。しかしここはユグドラルの歴史と共に育まれてきた強みと誇りがあった。それに応えるように宮殿には堅固な城壁でグルリを取り囲み、さらに水堀や跳ね橋など防御設備も十分過ぎるほど整えられている。そこに今マリクが動員できる35万ほどの兵力さえあればいくらセーナとてこの堅城を落とすには負担が大きすぎる。また云百万で囲ったとしても攻城側が兵糧が尽きたり、長期の戦に持ち込まれたことでの士気の減退などで自滅することもある。
「セーナも悪運の強い女だ。あれだけ増強して『もらった』十二魔将の鋭鋒すらかわすのだからな。」
そう言って血のように赤いワインを飲むのみであった。
対するセーナはと言えば、奇妙な布陣でヴェルトマー平原になお留まっていた。バーハラを睨むのはセーナが直卒するグリューゲルとアルバトロス、それに先の戦いではガーディアンフォースに配されていたリュートとミリア、さらにはリュナンたち一行らもここにいる。ただ最前線にいるのはその軍、いや部隊3500ほどである。その遥か後方にライトが総大将、フィリップが副将を務める百万を優に超える大軍が控えているのみ。セーナ自身を餌にしてマリクを魔城と化したバーハラから釣り出そうということである。だがセーナは自分で決め手に欠けていることを誰よりも実感し、兄のせせら笑う姿を思わず浮かべてしまうのだった。
(望みは薄いけれどもここは賭けるしかないわね)
苦渋に満ちたセーナはファルシオンを鞘から抜いて、その瞳を静かに閉じた・・・
その瞬間、バーハラにいるマリクに異変が訪れた。
『ロプトウスよ、これ以上お前の傀儡にはなるわけにはいかない!』
「何っ!」
マリクは思わず周囲を見渡したが、誰もいるはずもない。
「くそっ、貴様はどうやって心の監獄を抜け出した!」
そう言ってマリク、いやロプトウスの『闇』の心は『真の聖戦』の舞台に踊りこんだ。
そう、そこはマリクの内面にある精神世界。つい先ほどまでは至るところに邪気で満たされていた彼の精神では急速に光が満たされつつある。
『お久しぶりね!ロプトウス・・・』
「やはり貴様か、セーナ!!いつの間に『精神伝送』まで身につけた!!!」
精神伝送、言わばテレパシーのようなものである。彼女はすぐにマリクの精神世界に飛んで、ロプトウスの言う心の監獄から実の兄マリクを解放したのだ。
『ロプトウス、私とて光の皇帝セリスの嫡子だ!一度はお前に不覚を取ったが、今度は負けるわけにはいかない!!』
マリクは決然と言い放ち、セーナとともに神剣ファルシオンを持ち、最後の暗黒竜ロプトウスに照準を合わせた。それと同時にファルシオンが神々しく輝き始める!
「クソッ、貴様を生かしておいたのは失敗だったかァ!!」
ロプトウスも負けじとユリウスの姿に戻り、魔剣ガラティーンを上段に構えた。
『ツインズホーリークラッシュ!!!』
『ブラックアブソリュート!!!』
だが聖剣ティルフィングならいざ知らず、二人の放った大元は世界に名だたる神剣ファルシオンである。ロプトウスの半身ガラティーンの放つブラックアブソリュートを粉砕し、二人の放った聖光は暗黒竜ロプトウスを確実に捉えた。
「ギャーーー!!!」
断末魔の叫びがマリクの精神世界に響き渡る。それは遥か遠くバーハラの宮殿にまで届きそうなくらいであった。
「やっと悪夢が終わった・・・。」
マリクがそう呟いた途端、すぐ隣にいたセーナが崩れ落ちた。
「セーナ!!」
『・・・やっぱり無理があったみたい、せっかく本当のお兄様に会えたのに・・・。』
「話したいことは一杯あるが、無理をすることはないさ。」
次第にセーナの姿が薄くなる。もはや何も喋れないようだ。
「すまなかった、セーナ。私は兄としてお前に何もしてやれなかった…。少し待っていてくれ。」
気がつけばマリクの意識は久しぶりのバーハラ宮殿の一室に戻っていた。すぐにマリクはスカサハを呼び出して、彼に最期の命を下した。
「スカサハ!これよりヴェルトマー平原に進軍する。だが今回の戦いは行きたい奴だけだ。死にたくない奴は好きにさせるんだ。」
その命だけでスカサハは主の変わりようを悟った。今までの思いが溢れて思わず声が出なかった。
「お前に『も』すまなかった・・・。お前とファバルには本当に助かった。」
こう言われたスカサハはもう、ただ頭を下げて退室するしかなかった。彼がずっと仮面を被って主君と共に汚名を被り続けていたのは『この時』を待っていたからに他ならない。凄まじい忠誠であった。彼の退室を見届けたマリクは再び自身の精神世界に戻ったが、そこにはもう愛しい妹の姿は消えてしまっていた・・・。
「ありがとう、セーナ・・・」
「セーナ様!!しっかりしてください!」
ミカたちの叫ぶ声で倒れていたセーナは意識を取り戻した。周りにはミカはもちろんエルマード、アベル、シャルら十勇者だけでなく、リュートやリュナンたちも詰めていた。セーナはすぐに立ち上がると、決然とした口調で全員に命じた。
「私なら大丈夫。それよりももうすぐ兄様がバーハラから出てくる!急いで迎撃の準備を!」
それとほぼ同時にバーハラの偵察に行っていたグーイが入ってきた。
「セーナ様、敵軍バーハラより出陣!!こちらに向かっている模様。」
「数は?」
「そ、それがわずか2千。」
30万超も兵力があるのにわずか5千しか出ていない。セーナ以外の誰もが疑問に思ったものの、セーナだけは予想以上に多いと思っていたのだ。
(兄様と共に命を賭けて戦うものが2千もいたなんて。これも兄様の人徳ね。)
「数は少なくとも敵兵は死を覚悟した兵ばかりよ。気を付けて!」
もう夜もだいぶ更けてきた頃、全ての準備が整えたセーナ軍の前に全てを決するべくマリク軍が怒涛の勢いでヴェルトマー平原に雪崩れ込んできた。もちろんセーナ軍も迎撃するために前進を始めた。遥か後方でもライト・フィリップ軍も万を持して動き始めた。この両軍がぶつかる直前にマリク軍に信じられない事態が起こった!突如、右手の深い森から謎の一団が襲い掛かったのだ。
「何者だ!」
兄と妹の最初で最後の戦いに水を差されたマリクが苛立ちながらスカサハに聞いた。その軍隊には4種類の軍旗を掲げている。それを確認したスカサハは顔を真っ青になって戻ってきた。
「シ、シグルド(2世)様です!それにキュアン(2世)王子も、エルトシャン(2世)国王、さらにナディア様までおられるようです。」
彼らは昼の戦いでも同じ場所に潜んでいたのだが、マリク本人がいないとこの時間まで聞いてじっと待っていたのだ。それを聞いてマリクはふぅと溜め息をついた。
「ただでは死なせてくれないようだな。」
そういってマリクは今や魔力の失われた魔剣ガラティーンを振り回しながら因縁の平原を疾駆していった。
もう一人の兄の乱入に驚いたのはセーナも同じだった。マリクを斬るのは妹の自分が兄にできる最後の務めであると実感していたセーナはつい先ほど倒れたのを忘れて、愛馬にまたがって闇の平原に突っ込んでいった。それにまた驚いたエルマードが懸命に馬に鞭を入れて追いかけて行った。
マリク軍は突如湧いて出てきたシグルド軍によってずたずたに寸断されていた。スカサハが懸命にまとめようとするが、獅子エルトシャンと遭遇し壮絶な死闘を繰り広げるも魔剣ミストルティンの錆となった。一方のマリクの元にも実の弟シグルドが襲い掛かっていた!
「兄上、覚悟してください!!」
形を変えて性能も格段に上がった聖剣ティルフィングを振るうシグルド2世はまさに人型の暴風そのものだ。だがマリクはユグドラルの軍神相手に怯むことなくガラティーンを振るった。馬の上でしゃがみマリクの攻撃をかわしたシグルドは一気に仕掛けた。
「兄上、悪く思わないでくれ。私は妹に修羅の道を歩ませるわけには行かないので。」
『ブレイズスマッシュ!!』
壮絶な斬撃がマリクを襲う。が、しかし次の瞬間、シグルドの攻撃は突然はじかれた!驚くシグルドが見るとそこには種違いとはいえ妹のセーナが凄い顔をしてシグルドを睨みつけていた。
「兄上!この戦は私とお兄様の戦いです!!ずっと傍観していた兄上はさっさとどっかに行ってください!」
目を潤ませながらもここまで言われてしまえば、シグルドはどうしようもなかった。妹の覚悟にを知らずに水を差した己の行動を恥じ、静かにその場を離れていった・・・。
気がつけばマリクとセーナの周りには誰もいなくなっていた。それは決してマリク軍が全滅したという意味ではない。シグルド軍に分断されながらも猛烈な抵抗を続けるマリク軍に未だ後方の大軍が追いつかないセーナ軍が手を焼いているといった状態だ。にも関わらず、2人のところでポッカリと空間が空いているのはこの戦場にいる全ての兵たちの気遣いなのか、二人の放つオーラのせいで近づけないのかはわからない。ただ駆けつけたエルマードですら近づけない位、二人は別の次元にいるのは確かであった。まず仕掛けたのはやはり兄マリクであった。はるか昔の大賢者マリクになぞられて命名された彼だが、その名前に似ず剣を得意とするマリクは素早い動きから流れるような剣技を放ってきた。それは先ほど事切れたスカサハの必殺剣の一つ『流星剣』であった。だがセーナも素早さでは負けるわけにはいかない。兄の勇姿にスカサハの幻影を見ながらも鋭い斬撃を次々とかわしていくのだが、肝心のセーナには反撃の機会がなかなかなかった。普通の剣士なら数回振るえば終わる流星剣だが、マリクはすでにその数倍以上を断続的に放っているのだ。凄まじい気力と体力と呼べよう。だが数分経つうちにさすがにマリクの冴えが切れてきた。それを読んだセーナはファルシオンを振るい強引にマリクの流星剣を打ち止めた。思わぬことに驚くマリクだが、これが彼にとって最初で最後に見せた隙になった。
(お兄様、許して・・・)
心で叫びながら兄に自身が編み出した剣技を解き放った。
『ディヴァインスマッシュ!!!』
地を削り、振り上げたファルシオンは、しっかりと確実にマリクの胸を抉っていた。次の瞬間、暗黒竜ロプトウスの闇に心を支配されてそのまま人生の大半を過ごしたマリクは妹の手によって『マリク』として蒼穹の彼方に飛んでいった。兄の倒れる姿を見れずセーナはファルシオンを地面に突き刺して慟哭した・・・。長い戦いが終わったのはこの数十分後であった。
世界の闇は今、一人の少女の涙によって完全に洗い流された。