表向きはマリクの暴走によってマリク軍は世界随一の要害バーハラ宮殿を飛び出し、それを待ち構えていたセーナがマリクを、その兄シグルド2世がスカサハを討ったことによって壮絶な激戦となったヴェルトマー聖戦は完全に終焉を迎えた。すでにバーハラを飛び出したマリク軍の残党は逃げ散ったかして跡形もなく消えている。兄を討った悲しみからようやく立ち直ったセーナはグリューゲルとアルバトロスをまとめて、ゆっくりとフリージ城へと戻っていく。そしてこの戦いでは彼女と同等の位置にいたライトとフィリップは何も言うこともできずにグスタフやフィーリアに大軍を任せて彼女の後を付いて行くのみであった。ただしその後方ではセーナ軍の先鋒で奮闘したハンニバル2世を中心にして戦勝に沸いている。後方の歓声を聞いてあまりにも不謹慎と苛立ったフィリップが注意させようとしたが、せっかくの戦勝だからと当のセーナに言われてしまうのでどうしようもなかった。
一方、突如としてヴェルトマー平原に乱入してきたシグルド2世一行はすでにこの地を離脱し、それぞれの国に戻ろうとしていた。それにしても彼らはどうしてこの戦いに乱入してきたのか。一つの理由がキュアン2世の立場といえる。シグルド2世はセーナのヴェスティア城帰還時に素直に城を明け渡しており、エルトシャン2世は堂々とセーナの味方を、ナディアにしても交換条件こそあったがシレジア軍の領内通過と兵站の確保をしているのに対し、キュアン2世はバルド同盟の根幹にある南北トラキア同盟を声高に破っているという前科があった。『後のこと』を考えるとここでキュアンが離脱するのは彼らにとって望ましくないのでこの乱入で彼を救おうと義兄シグルドの妻ナディアが思いついたのだ。ついでにエルトシャン2世は面白そうと言うだけでわざわざヴェルダン城から駆けつけて来ているのだから彼もまた凄いが・・・。ともあれこの4人は最低限の目的を達成して『これからの時』のためにそれぞれの国に戻っていった。
戦いを終えたセーナ軍もそれぞれで撤退が始まっていた。なかでもすでに厳冬に入りつつあるシレジア軍の半ばはすでにヴェルトマーの戦い直後に夜を徹してヴェルトマー城まで移動して、そこからフィー・レイラ・セイラ・アイリスら天馬騎士団の力を借りて迅速に母国へと戻っていった。またトラキア軍も撤退を急いでいる。ヴェルトマー聖戦にてミレトス軍が裏切ったために新たに領土となったミレトス領の治安が一気に悪化する恐れがあるからだ。こう感じたフィリップはすぐにハンニバル2世に兵を仕立ててミレトスに送った。またセーナも彼を援護すべくバーハラ南部で牽制していたアルテナ・ミント母娘の竜騎士部隊や、ミレトス地方に残っている彼女の新しい諜報衆クロノスを動かすことを確約している。こうしてセーナと共に残ったのはグリューゲル・ガーディアンフォース・アルバトロスと、フィーリア率いるフリージ軍、グスタフ率いるヴェルトマー軍を中心としたグランベル諸侯軍くらいだけとなった。しかしそれでも百万に近い大軍を誇っているためにセーナが立ち寄ったフリージ城はパンク状態となって城外でテントを張る光景も見られた。セーナは3日ほどこの地に留まり、それからヴェスティアに凱旋し、戦争で混乱した政情をまとめることにした。
そしてその2日目。駒音高く一人の身分の高そうな男が数人の従者を連れてフリージ城の門をくぐった。すぐにアルバトロスの将兵に取り次がれて、その男の到着がセーナの耳にも届いた。
「ふふ、こっちが行かないから、あっちからわざわざ来てくれたわ。」
すでに悲しみから立ち直ったセーナに対して、その男の名を聞いて殺気を帯び始めたのがミカである。何しろ、その男の名はランゲル、ミカを政略結婚に利用して己の栄達を夢見た彼女の実の父である。彼はバーハラ貴族の代表としてさらなる夢を見てセーナとの会談にのぞんだわけだ。
「あなたは無理することはないわ。ランゲルたちには私が引導を渡すから。」
この会談をセーナがリーベリアから続く戦いの系譜の終わりと意味づけているために意気はすこぶる高い。
「いえ、私もぜひ・・。私もいずれ頭ごなしに命を下さねばなりませんから。」
ミカがこの戦いの後、グリューゲルを退役してヴェスティア帝政を支える宰相になることはすでに触れている。未来の宰相が国の土台を決める会談を個人の感情で出ないというわけにはいかない覚悟は当然ミカにもある。その意思を感じたセーナはもちろん快諾したが、クスクス笑いながら一つの条件を出した。
「でもラティと一緒にね。」
唖然とするミカを尻目にセーナは正装に着替えるためにその部屋を後にした。
数十分後、プリンセスドレスに身を包んだセーナが厳かにフリージ城の玉座に着いた。そのすぐ左隣にライトも座り、右側には複雑な顔をしたミカと、その彼女の様子を横から注視しているラティがいる。セーナの正面には深々と平伏しているランゲルとその従者たちがいて、その左右に今まで共に戦ってきたユグドラル諸侯がいる。また貴族とのやり取りを勉強しようとリュナンとメーヴェも特別に参加している。
「ランゲル卿、あなたとは本当にお久しぶりですね。」
セーナはあくまでにこやかに対応している。
「セーナ様、まずは此度の戦勝、まことにおめでたい限りです。ですが我々バーハラの貴族たちは逆賊に脅されてお助けすることができず、まことに無念です。」
本当は両勢力を天秤にかけていたというのに、ランゲルはしゃあしゃあと殊勝な言葉を紡いでいく。フィリップやリュナンは声には出せないが、顔中にその嫌悪感が現れている。ミカに至っては湯が沸きそうなくらい顔を真っ赤にしているが、横にいるラティはそれを見て笑いを堪えるのに必死でいる。当のセーナはなおもニコニコしながら
「いやいやランゲル卿らの部隊は全然想定してませんでしたので。」
精一杯の皮肉を返す始末。これには諸将もニタリとしている。マリクに脅されてたという、精一杯の付加価値を付けるランゲルの意図は脆くも崩れたために話題を変えざるを得なくなった。
「それよりもセーナ様、何ゆえにバーハラにお寄りになられないのでしょうか?我々は敵の残党を追い散らし、首を長くして待っておりますぞ。」
どうやらランゲルも本題を切り出してきたようだ。
「ランゲル卿、バーハラを抑えていただいたことには感謝します。」
『感謝』という言葉を引き出してランゲルは心の中で喝采をあげた。が、
「しかしそれは私の命令でもなければ我が夫ライト、もしくは盟友フィリップ王のものでもないでしょう。」
と冷酷に告げた。ランゲルの背中に冷や汗が流れ始める。さらにセーナは言い放った。
「ランゲル卿、さらに言えばもうバーハラの時代は終わりましたよ。私はこれからヴェスティアに戻り、グランベルを解体して新たにヴェスティア帝国を興すつもりでいます。そしてここにいるもの全てがこれに賛同しています。」
愚かにもセーナがまさかそこまで考えているとは知りもしなかったランゲルは思わぬことに言葉が出なくなった。彼らはマリクとセーナの勢力比べの分析に躍起になっているうちにセーナがヴェスティアで宣したことを耳に入れていなかったのだ。愕然とするランゲルにセーナはさらに続けた。
「なおヴェスティア帝国の皇帝は夫ライトが務めますが、彼はシレジアの国王も兼任するということでその負担が大きく、それを軽減するためにヴェスティア帝国の宰相としてここにいるミカを任せるつもりでいます。」
己の顔を潰して、勝手に飛び出していったミカが無表情のまま頭を下げるのを見たランゲルもまたミカ同様に腸が煮えくり返る思いだったが、公の場であることを考えて彼もまた無表情に頭を下げた。それを見届けてセーナが続けた。
「そこで諸卿らはこれからどうするかお尋ねしたいのですが、どうなされますか?ヴェスティアに来るか、バーハラに残るか。」
丁重な口調にランゲルはやや救われたようで、図々しい質問を発してしまった。
「もちろんバーハラからヴェスティアに移る場合はその費用を出していただけますよね?」
まだランゲルたちバーハラ貴族たちはセーナから無視できないと思っているようでその傲慢さから来る質問に、フィリップらの顔がまた渋くなる。
「ヴェスティアに来る場合でも経費は諸卿らで全てご自分のもので来ていただきます。さらにこれよりヴェティアに新しい宮殿を建てるにあたって諸卿らに費用を分担していただくことにもなります。」
セーナはいかにしてバーハラ貴族の勢力を弱めるかを考えて、苦心してこの策を思いついた。多少強引なやり方だが、こうすればいかに貴族といえども資金力も弱まり、しかも政権から切り離すことも十分楽になるのだ。だがランゲルとて感嘆には引き下がらない。
「セーナ様ご冗談はよしてくださいませ。我々とて敵勢に教われないように傭兵などを雇って資金などありませんよ。」
と泣き付いて来る始末。
「傭兵を雇うだけのお金があるのですから、たかが引越しなど諸卿らには何の問題はないはずじゃないですか。普通の人々が普通に引越ししてるのに、まさか傭兵なんて雇っている人がいますか?」
正論であるが、これを呑むわけにはいかない。必死になって適当な理由をつけるランゲルに、セーナが一つ一つ理路整然と返す。それが一時間は平気で続いたのだろうか。しかし何一つランゲルの思いのままにいかなかった。そして一定以上の発言力を確保したい彼はこれ以上セーナとこじれるのもマズイと思ったのか、ついにうなだれながらもついに認めた。セーナは笑顔でその答えを受け取るや、すぐにバーハラの貴族に伝えるようにやんわりとランゲルに退出をうながした。想像以上のセーナの弁舌の鋭さに完敗したランゲルにはこの広間に入ってきたときの意気揚々とした姿はすでになかった。なおこの後、ランゲルはバーハラに戻って事の主旨を他の貴族に伝えたところ、猛烈な反発にあっただけでなくバーハラ貴族の中での発言権を失い、彼の家はヴェスティアの宮殿が大きくなるのと反比例するかのように衰退していくことになる。
フリージ会談はランゲルの退出と数十分の休憩をはさんで第二部に入った。しかし先ほどプリンセスドレスを着ていたはずのセーナはすでに普段着に戻っていた。しかもライトやフィリップら他の諸将も先ほどのピリピリとした雰囲気が一転してのんびりしている。ミカに至ってはさっきの反動か、憎き父がセーナに完膚無きまでに言い負かされたのに喜んだのか、満面の笑みで諸将に対応している。これからは共に戦いを経てきたもの同士のものであるから堅苦しいのは抜きということらしい。
この第二部の会談では今までの戦いの論功行賞と、ヴェスティア帝国の方針について話し合った(といってもセーナとライトが一方的に伝えるだけだが・・)。まずこの一連の戦いで最も勢力を増やしたのがトラキアであろう。マンスター地方に並ぶ豊穣の地で、さらに世界随一の貿易港もあるミレトス地方を得たのだ。ヴェルトマー聖戦ではセーナの恩に応える形での出兵となっていて、その恩賞をフィリップは固く固辞した。またセーナの夫ライトが国王となったシレジアもイード砂漠全域と、何とヴェルトマー領まで与えられている。しかもグスタフのヴェルトマー本家も付いての形で。セーナへの忠誠と、妹フィーリアと国が別れることになりグスタフは難色を示したものの、最終的にはセーナの説得をいれてシレジア傘下となった。しかもシレジアはこれに留まらず何とアグストリア北方の海賊島オーガヒル島まで与えられている。これはフィードがセーナ十勇者を辞し、ライトの下へ移ったためと見られている。どうやらイードの戦いなどでライトを見直したらしい。またセーナは遠くリーベリアから参戦してきたリュナン一行にも何かお礼をしたかったようだがリュナンはひたすら固辞したものの、後の勉強にとユグドラル見物をするためにその案内人を付けてもらうことで妥協した。またサーシャもバルト要塞の戦いでセーナからもらった天空の鞭を引き合いに出して固辞、アジャスも興味ないとばかりにさっさと退出して辞退した。そして出生の秘密を知ってセーナ、ライト両軍に参加して奮戦したラケル・ルカ姉弟は予想通り、ユングヴィ領を与えられたものの、この大領を治めるは無理と固辞し続けた。だがこの会談後、ライトとミカに任せて第一線を引いて手持ち無沙汰になるセーナが直に後見を務めるということで両者を納得させた。最後にコープルのバルキリーの杖の暴走で復活したパピヨンの処遇だが、これは思わぬ一言で丸く収まった。リーベリアから共にリュナン軍にいたサーシャがぜひ引き取りたいということなのだ。パピヨンを何とか口実を作って生まれ故郷リーベリアに帰したかったセーナはすぐに快諾、パピヨンも敬愛するセーナと離れて寂しいのか渋々ながら承諾した。これまた余談だが、ウエルトに招かれたパピヨンはまたもサーシャの厚意によって恋人クリシーヌと再会できることになり二人で新たなウエルトを支えることになった。
さて一通りの論功行賞が終わり、思いのほか時間が長引いたためにここで会談は終了し、夜を徹しての大宴会が開かれた。ここでは堅苦しいのが苦手で会談に出なかったホームズやシゲンも参加し、てんやわんやの大騒ぎとなった。そしてやっぱりハメを外しすぎたラティとアジャスがまた一騒動を起こしてミカに雷を落とされたのも言うまでもなかった。
新生ヴェスティア家の掲げる双竜旗がヴェスティア城門をくぐった時、新皇帝ライトはヴェスティア帝国の建国を宣言した。代々聖者ヘイムの直系で系譜を紡いできたバーハラ公国とグランベルの名はこの瞬間、音もなく崩れ去り、神君マルスの直系を頂とするヴェスティア帝国が建国したのだ。そのヴェスティア帝国の領土は思いの他大きくない。ヴェルトマーを手放しその代わりにエバンスを手に入れたものの、この地はセーナが根切りを行った地であり統治にはかなり苦難が想像されるのは難くない。
一方この大戦で中立勢力となったシアルフィ、イザークは現状維持で許され(シアルフィは言うまでもなくヴェスティア帝国傘下となっている)、アグストリアに至ってはエバンス領を除いたヴェルダン全域が与えられている。なお最後まで抵抗したレスターはセティ、コープルの降伏勧告を無視して、エルトシャン2世と戦い続け、ヴェルダン王城と運命を共にした。しかし北部トラキア連邦は一悶着あった。レンスター家こそフィリップに許されたがマンスター家が抵抗を続けた結果、ミレトス領からも動員したトラキアの大軍に攻められて陥落している。そしてそのミレトス領はトラキア家のものとなり、念願の北への橋頭堡を手に入れた。これを得て超大国となりつつあるトラキアに北部トラキア連邦の諸侯の思いは不安になっていくしかなかった。
一部での小さな緊張こそあれど、リーベリアとユグドラルで巻き起こった戦乱はようやく終結した。そしてそれを見届けたかのように一人の英雄が倒れたとの報せがヴェスティアに届く。