世界中で燃え上がっていた戦乱の炎はようやく沈静化して、人々は平和な時を謳歌し始めた。しかし戦はあまりにも多くの傷跡を残していた。まずは旧グランベルを中心にして建国した新帝国ヴェスティア国内の荒廃である。エバンス、シアルフィ、そして昼夜に渡ったヴェルトマー平原と3ヵ所でセーナ派とマリク派が激突したが、そのいずれもそれぞれの地に遺恨を刻んでいた。さらに他地域でも盗賊・山賊たちが再びうごめいて一部壊滅した村も報告されていた。戦後、皇帝ライトによって組織されたヴェスティア帝国軍の初仕事はこれらの地域の鎮定と復興を任じられたのは言うまでもない。帝都ヴェスティアのみで組織された新帝国軍20万はシレジアから戻ったレイラ率いる天馬騎士団と共に各地に展開、一部は休息中のグリューゲルとガーディアンフォースの助力を得ることもあったが、今のところは順調に復興が進んでいた。
だがユグドラルの損失はこれだけではなかった。セリス世代の勇者たちが相次いで亡くなっていたのだ。それはグランベルの皇帝セリスの死で始まった。エバンスの戦いでセーナに破れてエルトシャン2世に追い込まれたレスターも、マリクに従っていたスカサハ、ファバルもセーナとの戦いの最中にそれぞれの命を全うした。またシャナン、リーフらはすでに重い病に侵されていて、しかもかなり危険な状態だと聞く。残ったのはセティ、コープル、アレスらセーナ譜代のみで、しかもトラキアのアリオーンと共に実権を実質的に子供たちに委ねていた。だが逆をいえばユグドラル大陸のほとんどはセーナ世代への引き継ぎを終えたことになる。こう考えれば今回の戦の意味はないわけではないだろう。
またヴェスティア復興の最中に一つの朗報がライトとセーナの元に届けられた。ガルダ島で偶然に出会い、それ以降セーナと行動を共にしていたリュートがアリティア領カダインの統治者となったのだ。彼の出身であるアリティアでは従兄弟ロイトとの確執があり、当時盟主の座にも政争にも興味がなかったリュートは半ば逃げるようにアカネイア大陸を飛び出してきたわけだが、大戦が終わった以上彼に残されたのはユグドラルに留まるかアカネイアに帰るかのみになってしまったわけである。しかしリュートとて世界でも有数の家格の家に生を受けた。それがユグドラルの一客将のままでいればミリアら付いてきた者たちに示しがつかない。しかし戻れば火花が暴発しかねない。リーベリアとユグドラルの二つの大戦を経て、戦のむごさを知っているリュートは悩んだ。そこにこの朗報である。
ユグドラルの後継者戦争が終わったことはすぐにアカネイアにも伝えられた。他大陸の戦火の飛び火することを恐れたアカネイア諸侯は急遽リュートとロイトの仲裁を始めた。仲裁を取り仕切ったのはアリティアの隣国グラと南の軍事国家マケドニア、騎士の国グルニア、そして世界最高の家格を誇るアカネイア聖王国。いわばアリティアを除く大国が戦争回避に向けて動いていたのだ。このうちリュートに親しいと言われているのはグラ、マケドニアで、アカネイアは中立を宣していた。つまりロイトにとっては好ましい結果が出るとは思えなかったが、諸侯への印象を良化させようという意図からか、それとも未だ底を見せない器を持つセーナを後ろ盾に持つリュートを恐れたのか、彼はリュートとの仲裁を快諾した。そして諸侯らの出した結論がさきほどのカダイン統治。
カダインは魔法の都と言われ神君マルスの親友マリクもここで修業を積んでいた。アリティア連合王国に組み込まれ長くなるが、独特な風土と国民性で本国の干渉も少なく事実上半独立状態を保っている。リュートもここで幾年か修行を積んだ思い出の地であるために統治に難はないだろうとの諸侯の読みであった。一方のロイトは本国アリティアの国王になったものの、二人の対立原因を作ったのが響いてアリティア盟主には就けなかった。二人をほぼ対等に大きな権力を持たせて抗争を激化させないための苦肉の策である。一方アリティア連合王国盟主の位は二人の確執が終わるまでは空位となった。今回の仲裁の議長役となったアカネイア王国の【蒼天騎】アイバー(アカネイア四名臣の一で、彼女はパラディン。他に、【紅翔姫】、【黒硝鬼】、【白衝貴】がいる。)からこの仲裁の内容を届けられたリュートは
「謹んでお受けいたします。」
といって快諾した。ともあれリュートは戦いもなく、一躍カダインの統治者へとなりアカネイア大陸でも軽視できないほどの力を手に入れることになった。このことを誰よりも喜んだのはいつも傍らにいるミリアだろう。この後、アイバーは皇帝ライトと皇后セーナとの会見を希望したが、セーナは急報を受けシアルフィに向かっていたために会えず、彼女はアカネイア聖王の国書をライトに渡しユグドラル中を半年かけて見聞した後、アカネイアに戻っていった。
一方のセーナに届いた急報というものは祖父シグルドの容態が急変したというものだった。ヴェルトマー聖戦後からずっとセーナとシグルドはべったりくっついていたが、その時も長行軍の影響で顔色が悪く見えていた。ドズルでセーナと分かれた後、ドズルまで出てきたシグルド2世の配慮でシグルドは何十年振りにシアルフィ城の城門を潜ることができた。しかし感慨に浸る間もなく、シグルドはかつての自室で倒れた。すでに当時の寿命を優に超えたシグルドの体はもはや限界を超えていたのだ。シグルド2世はすぐセーナに使者を立てて知らせたものの、セーナもバーハラ貴族の切り崩し、ラケル・ルカ姉弟のユングヴィ支援、エバンスとの和解などの激務が続いていてなかなか見舞うことが出来ずにいた。仕方なく当代一の医学を扱えるコープルに頼んでシグルドを看護してもらった。さすがにコープルの手並みは鮮やかで一時は昏倒することもあったシグルドの容態も安定してきたが、医学の力を持ってしてもやはり限界があった。
奇跡的に空いた日にセーナはシアルフィに行く準備をしていたところ、再度シグルド2世からシグルド昏倒の急報が届いたのだ。ヴェルトマーとヴェスティアを行き来していたものの、偶然ヴェスティアにいた夫ライトとリベカに後事を任せて愛馬メリルに跨ってシアルフィに急行した。
「まもなく妹が来るそうです。ドタバタうるさくなりそうですから、寝てた方がいいのでは?」
シグルド2世が同じ名前の祖父を気遣う。だが老将は聞く耳を持たない。コープルも追い出し、二人きりになる。彼は起きていられるうちにこの孫に一言言っておきたかったのだ。
「私の息子がお前に馬鹿を言ったようだな。」
簡単には動じない2世が動揺した。ニヤリとしながらシグルドがこめかみを指しながら言う。
「図星だな。世間では私をただの猛将としか見てないようだが、ここも悪くないのでな。」
少し間を置き、真面目な顔にして続ける。
「あのヴェルトマー乱入が全てではないだろ。深淵ははるか彼方にあるのだろう?」
いまにも死にそうな老将のどこでそんなことが読めるのか2世にはわからなかった。
「だがあいつに代わって言っておこう。」
ふとシグルド2世の目に今は亡き父の姿が重なる。
「すまないな。」
愕然とする軍神だが、それもすぐに立ち直らなければならなかった。遠くからドタバタ駆けてくる音がするのだ。いうまでもなくセーナである。護衛についてきたレイラとフリードも汗まみれになって懸命に追っている。彼らが入ってくる前にシグルドもさっきまでの気迫を消して、好々爺の態に戻った。
それからバタンと扉を開けて慌しく入ってきたセーナにいきなりシグルドは苦笑しながらたしなめた。しかしヴェルトマー聖戦以来の再会を楽しみ、賑やかに雑談に興じた。その際、付いてきたフリードとレイラを見つけては二人の器量を見抜いて褒め称えた。しかもレイラには祖母フュリーの面影を見たのか、当時のことを滔々と語り始めた。その頃には同じくバーハラから駆けつけてきたシグルド世代最後の雄アゼルも話に加わって、さらに華を咲かせた。場がしみじみとなったところでシグルドは先ほどと同じように語り始めた。
「人は器があるだけではだめだ。人の痛みを感じられなければならない。」
2世のときとは全く話題が違うが、やはりいつの間にかシグルドのまとう雰囲気が変わっていた。
「私の見たところ、お前なら大丈夫だ。一杯泣いてるからな。」
セーナはエバンスでの失策で泣き崩れ、ヴェルトマーでも兄を討った直後に慟哭した。対してシグルドは・・・
「私が一度バーハラで『死んだ』のは一度も泣かなかったからだろう。」
思えば親友のエルトシャン、キュアンが亡くなったときも気丈に振舞っていた。シグルドが強かった証ともいえるが、
「おかげで私は人の痛みを感じられなかったのだろう。」
「だからアルヴィスの陰謀にも気付かなかった、と。」
セーナの言葉にアルヴィスの弟アゼルの顔が曇る。それに気付いたのかセーナがアゼルの方に向いて詫びた。
「いや、アルヴィスは悪くはない。彼の心の隙間に潜んだマンフロイが全ての元凶だ。」
二人に気を使ってもらいアゼルは恐縮するばかりだった。
「ともかく人は強さだけでなく、涙で人の痛みを知ることが必要なのだ。これを忘れないで欲しい。それと・・・」
やはり体調が優れないのか、長くは喋れないようだが、息を整えて再び続けた。
「あまり憎しみの鎖を自分の体に巻き付け過ぎないことだ。本当にお前が壊れてしまうぞ。」
シグルドはセーナが世界の憎しみを自身が全て背負ってそのまま昇華させてしまおうとしているのを感じている。だがそれはあまりにも危険なことであり、一歩間違えればシグルドの言うとおりセーナ自身が壊れてしまうだろう。こくりと頷くセーナに満足したシグルドは一気に気を緩めて、最後の注文をセーナにした。
「あとお前は色気がありすぎる。もう少しブスになったらどうだ。」
これにはセーナも含めて皆が吹き出した。笑いの嵐を呼び起こした後は和やかな雑談が過ぎて、やがて日没までに帰還しなければならないセーナは惜しみながらもシアルフィを後にした。
シグルドには言いたくても言えないことがあった。セーナには人の痛みが非常に分かっているようだが、彼女の側にそれが感じられない人がいた。シレジアから共に戦ってきたライトである。レヴィンが見抜いたようにシグルドにもライトが人間的に絶対的な何かが足りないことを本能的に嗅ぎ取っていた。そしてそれを胸の中にしまったままシグルドはこの世を去った。セーナがシアルフィに来てからわずか2日後であった。だがシグルドの死は人々にある程度の感慨を与えただけでそれ以上でもなくそれ以下でもなかった。やはりシグルドは一度死んだ人間であって、もう一度世に戻ってきても今までのような時の人になりえるはずはなかった。
すぐにシグルドの国葬がシアルフィで行われた。セーナはシグルドの棺の前で慟哭し、ライトは棺を直視できずあらぬ方向を向いて俯いていた。ここにはシャナンが重病を無理して参加しようとしたが、ナディアに必死に止められて結局彼女に名代として出席させた。他にはシグルドと直接対話して自身の中に渦巻いていた憎悪の鎖を断ち切ったエルトシャンの息子アレスとエルトシャン2世、同じくシグルドの親友だったキュアンの息子リーフの代わりとしてその妻ナンナも出席し、さらにはシグルドの前を幾度となく立ちはだかったトラキアからもアリオーン・フィリップ親子も出席し、大戦後初めて大陸中の勇者が集まり、英雄の死を惜しんだ。
だが悲報は途切れることなく続く。シレジアの皇太后ラーナがシグルドの死を見届けるかのように後を追った。思えばグランベルに無実の嫌疑を突きつけられたシグルドを助けた頃から彼女の苦労は絶えなかった。帝国の侵攻に屈し、不自由な生活を強いられたものの気丈に生き続け、ついには帝国を滅ぼしたセリス解放軍に身を投じていた孫セティ・フィー兄妹らによってようやく救われた。しかし戦で荒廃した国土は彼女に息を入れさせなかった。結局ラーナはシレジアと共に生きつづけ気がつけばレヴィン-セティ-ライトと3世代を生き抜いていた。だがやはり人には寿命がある。ラーナの場合はそれが桁違いに長かっただけだが、これだけ気苦労の多い人生でここまで生きたのだから凄いの一言につきる。彼女は今では天上で安らかに暮らしていることだろう。
とはいえ犠牲なくして真の平和はない。これが『真』の平和というにはまだまだ不安定要素が多すぎるが、セーナたちの平和を持続させるための奮戦がこれから始まる。