リュナンとメーヴェはセーナの勧めに従って、エバンスからやや離れた精霊の湖ほとりにあるヴェスティア家の別荘で二つの大戦の疲れを癒していた。ホームズたちとはエバンスまで来たところで再会を約束して別れ、彼らはすでにアシカ号に乗って一度リーベリアに戻るという。セーナから案内役を任されたゲインと、こちらも休みをもらって「ついでに」付いてきたリベカも加えて、4人はこの神聖なる湖で羽を伸ばすことになった。メーヴェとリベカは目の前に広がる美しい精霊の湖で水浴びをはじめ、女性が苦手なリュナンやゲインはその光景に戸惑いながら視線をあちらこちらに泳がしていた。ふと、何の気配もなかったはずの背後から声が届いた。
「ふふ、リーヴェの英雄もヴェスティア最高の魔法騎士も二人の美少女の前では一人の男だとはね。」
さすがにゲインはすぐに我に帰って、背後に振り返った。すると純白の鎧を着た一人の少女が微笑んでいた。
「あなたはたしかアカネイアのアイバー殿。どうしてここに。」
アカネイア四名臣の一人アイバーは皇帝ライトにアカネイア聖王の親書を手渡した後、ユグドラル中を回っていたという話を彼女を見張っていたシャルからゲインも耳にしていたが、まさかこんなところまでに来るとは思いもしなかった。
「ご心配なく、槍を抜くつもりはありません。私も長い長い船旅で疲れたところにあなたがたがこちらで休んでいるという事を聞いたので、お邪魔させていただきました。」
アイバーの屈託のない笑顔を見せられると、ゲインも一度抜いた剣を鞘に戻した。が、殺気はいまだに放射しつづけて彼女に問う。
「誰から聞いた?」
この事は十勇者とセーナ、ライト程度しか知らないことで兄シグルド2世も知らないのだ。
「海賊の頭領さんにね。」
それを聞いた途端にゲインはその手を顔に当てて溜め息をついた。
「はぁ、フィードの野郎か。」
今、フィードは勝手に十勇者を抜けて、オーガヒル諜報衆もシレジア傘下に入りセーナの手から離れ、色々とセーナに対して細かいちょっかいをして彼女を困らせていた。これにはセーナ自身も非常に忙しい中でフィードにちょっかいを出されてたまらないようで、とにかくグリューゲル諜報衆にクロノス諜報衆も動員してヴェスティア一帯に強固な結界を張らせた。その結果、フィードはヴェスティア近辺から追い出されたが、エバンスで休んでいたアイバーを見つけて、今回の悪戯を企んだようだ。やはり場が悪そうに感じたアイバーは遠慮がちに
「やっぱり邪魔でしたか?」
と聞いた。対応に困るゲインにリュナンが助けた。
「まぁ一杯いた方が楽しいですからどうぞ。ただし・・・。」
何か難題をふっかけられると思ったアイバーはふとドキリとしたが、
「ここは暑いでしょうから、その鎧を脱いだらどうかね。それに戦も終わったことだし。」
すでにシレジアでは冬将軍が到来しているというのに、ヴェルダンは常夏の気候だった。さすがに常夏の楽園ガルダと同じ暖流が延びてきていることはあるのだが、その中間にあるアグストリアもまた冬に入りかけているのだから世界は不思議だ。だからアイバーの鎧の下も汗まみれだった。これにはアイバーも苦笑せざるを得ず、すぐに了の返事をした。アイバーの真意はおそらくリーベリアの一大勢力リーヴェを治めることになるリュナンの人柄を調べるためなのだろうが、リュナンはそれでも構わないと思っていた。今はじっくりと大戦の休みを癒して、リーヴェの将来を考えるのが必要と考えているのだ。
 果たしてアイバーも加えて賑やかになったのだが、聖戦士の鎧を脱いだ女アイバーもまたメーヴェやリベカにない魅力があって、男2人はさらに惑わされることになった。しまいには湖とは逆のヴェルダンの山々を眺め始めてしまった。ふとリュナンが疑問を呈した。
「ところでリベカがセーナってことはないだろう?」
ゲインはその言葉にハッとして振り返って、今日も水浴びしているリベカを凝視した。そのリベカもゲインの視線に気付いて、微笑みを返す。それに思わず頬を赤らめてまた体勢を戻したゲインだったが、結局わからずじまいだった。セーナとリベカの違いは二人の性格だけなのだが、リベカがセーナを演じる時やセーナがリベカを演じられると最も親しいミカですら判断ができなくなるのだから、ゲインに分かるはずもない。だから
「おそらくリベカだろうと。」
と応えるしかなかった。これにはリュナンも苦笑するしかないが、ここにいるリベカは紛れもなく本物のリベカであった。セーナはリベカが休んでいる間にエバンス遺族との和解、バーハラ貴族の切り崩しなど自身でやらなければならないことが多かったのだ。まさかエバンス遺族との和解を他人のリベカに任せるほどセーナも非情ではなかった。

 日も落ち、リベカの提案で外でバーベキューすることになった。アイバーもこの時になればもうメーヴェやリベカと親密になり、当初の目的を忘れて雑談に興じていた。ただゲインはやはり昼のリュナンの質問が気になったのかリベカから視線を離そうとしなかったが、その視線をチリチリ浴びていたリベカはやはりどこか迷惑そうにしていたようで、この後にこっぴどくゲインを叱ったのは仕方ないことかもしれない。
 そしてリベカの怒声が響く中、リュナンとメーヴェは湖を眺めるテラスでヴェルダン産のワインでグラスを傾けていた。ふとメーヴェが訪ねた。
「リュナン様、もし私よりも先にセーナ様がリュナン様の前に現れていたら、リュナン様はセーナ様とお付き合いされましたか?」
不意の質問に戸惑うリュナンだが、すぐに正直に答えた。
「ああ、そうかもしれないな。でも現実は君の方が全然早かったし、それに君は『約束』を覚えていてくれた。」
自分で言うことに照れて頭を掻くリュナンにメーヴェがくすりと笑う。コホンと一息ついてリュナンが言う。
「メーヴェ、これからが大変だよ。リーヴェをカナンやレダに負けない大国にしなければいけないからね。」
リュナンの数少ない難点はこういう二人っきりのロマンチックな時でも難しい話をすることだ。しかしメーヴェもそんなリュナンを理解しているために別に文句を言うつもりもなく、素直に頷いた。
「わかってます。でもリュナン様には何か考えがあるような顔に見えますよ。」
「メーヴェには叶わないな。ああ、もちろん考えは2つあるんだ。」
その一つが先の大戦でリーベリア随一の活躍を果たしたナロンをリーヴェに招き、そしてリーベリア最高の水軍を創設することだった

 ナロンは常にリュナン軍最強の勇者としてその先頭駆け抜けてきた。ノルゼリアで共に戦ったカインをして
「その武勇、シグルド(2世)様に匹敵する。」
とユグドラルの軍神と同じ評価している。それだけ絶賛されたナロンだがその戦い振りからは想像できない位に繊細な人間であった。どんなに武功をあげても謙虚な姿勢を崩さず、共に戦ったラケルやサーシャはもちろんリュナンからも大いに信頼されていた。しかし大戦が終わり、ナロンは再びヴェルジュの片田舎に戻っていった。レダやウエルトから仕官の話がナロンの元に来たが、病弱な母が心配でどこにも仕えずに土に埋もれようとしていた。そんな彼をリュナンはまた呼び戻すつもりのようだ。しかもその口振りから自信もあるらしい。
 もう一つの目的である水軍は、すでに基礎が出来つつあった。それもこれもホームズの腹違いの弟アトロムとその父ヴァルスの尽力と、リーベリア最高の港グラナダがあったからこそ可能であった。いずれはアトロムにグラナダの全権を委ね、グラナダ水軍の提督に据えるつもりでいる。アトロムのことはリュナン軍にいたこともないためにリュナンにとって未知な部分もあるが、あのヴァルスの子ならばと不安な気持ちはないようだ。

 リュナンの展望を聞いたメーヴェは目を丸くした。まさか今までの大戦でここまで将来のことまで考えていたとは思ってもみなかったのだ。だが冷静に考えて、水軍の例を見てもリュナンは単にリーベリアだけの範囲で物を見ていなかったようにメーヴェは感じていた。
「メーヴェも薄々と察してるだろう。僕がリーベリアだけでなく、世界に目を向け始めたことを。」
メーヴェはこくりと頷いた。ここ数年で今まで各大陸で紡がれていた歴史が、一気に世界規模で進んできていた。
「残念だけどそれは違うよ。僕にはその力はない。僕に出来るのは世界を動かそうとしているセーナを助けるだけさ。」
この言葉にメーヴェは二度驚かされた。まさかリュナンが自分をそこまで卑下するだけでなく、リーベリアの一大勢力の国王がユグドラルの一帝国の皇后を支援しようというのだ。捉え方によればリーヴェがヴェスティアの傘下に入るようなものである。これが公に知れ渡れば、未だに権力を残すリーヴェ貴族が騒ぎ出すことも大いにある。すぐにハッとしたリュナンは人差し指を当てて、
「このことは誰にも秘密だよ。」
と苦笑交じりに片目をつむった。これにはメーヴェも苦笑しながら頷くしかない。
 この頃になるとリベカの怒声も終わり、リベカもゲインもスウスウと寝息を立てて眠っていた。だがアイバーはしっかりと物陰でリュナンとメーヴェの話を聞いていた。
(なるほど、やはりリュナン王もセーナ皇后が手を結んだだけあって敵に回すことは回避した方がいいようね)
自分を卑下するということはそれだけ自分の器を理解しているということである。その強みは非常に大きなアドバンテージとして帰ってくる。自分の力量を正確に把握してないと、過信して無駄な行動をしたり、過小評価し過ぎて機を失することが多い。ただでさえ冷静沈着で浮付いた行動を取らないリュナンが己を悟れば、その虚をつくことはまず不可能に近くなる。そこにナロンの勇猛さが加わり、グラナダ水軍の創設で機動力をあげられればリーヴェはリーベリアどころか世界に名だたる強国になることは間違いないのだ。
(やはりここに来たのは正解だった。)
何度も頷いて、部屋に戻るアイバーの背中をリュナンは横目でその気配を追っていたことに彼女は気づいていなかった。

 精霊の湖での休養を明けたリュナンとメーヴェはゲインの案内でハイラインまで向かい、そこからは迎えに来ていたアトロム率いるグラナダ水軍旗艦アクロポリスに乗ってリーヴェに帰ると思われたが、そのままリュナンはウエルトはヴェルジュに向かいナロンと面会した。リュナン直々の説得にもナロンは首を縦に振ることはなく、空手形に終わるかと思われたが、リュナンは諦めずに2度3度とナロン宅を訪ねては説得を続けた。やがてはナロンの母もリーヴェに仕えるように説得し始め、ついにナロンは折れた。
 こうしてリュナンは金色に輝く【リーヴェの剣】をも手に入れて、次にグラナダ水軍の拡張に着手した。すでに完成していた旗艦アクロポリスもまた増強を繰り返し、数年経たないうちリーベリア随一の水軍が形をなしていくことになる。
 さらに半年後、リュナンですら予期しなかったことが起きた。リーベリア四王国の一つであるサリア王国がリーヴェ傘下に入ることを宣言したのだ。度重なる内乱で国土が荒廃したサリアだったが、大戦によってさらに貴重な人材があまり集まらなかったのが直接的な原因である。サリアの宰領を任されたレオンハートも苦心して復興を続けていたが、乏しい人材と国力ではやはり限界だったようだ。四王国の一つの窮状を見かねたリュナンはさすがに見捨てるわけにはいかないと、オイゲンと、大戦終盤から急速に力をつけたリィナをサリアに派遣した。リュナンと共にリーヴェの宰領を取っていたオイゲンがいなくなったことで、その後釜には彼のもとで内政を勉強していたクライスと、リーヴェに残ってメーヴェとメリエルを見守っていたマルジュが据えられた。人材を育てるという意味ではこの時ほど最高の機はなく、リュナンは予期せず事態にも関わらず数々の手を打つことに成功したのだ。その後のサリアは内政に才能を開かせたリィナと、彼女に触発された天馬騎士フラウの奮闘で見事に内政を立て直して、ようやく復興の道に乗り始めた。
 予期せぬ事態があったとはいえ、動じずに的確な対応を取ったリュナンは一躍リチャードやセネトらをも押しのけてリーベリアのリーダーの座に自然とついた。冷静沈着、事において果断な国王リュナン、それを影で支える優しき妻メーヴェ、【リーベリアの武神】としてリュナンを武で後押しするナロン、水の国リーヴェの水軍を一手に纏めるグラナダ水軍提督アトロム、そして他分野に才能を開き始めるクライス、リィナら旧ラゼリア騎士団と人材、国力共に急速に充実するリーヴェには洋々たる未来が見えていた。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 20:14