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 セーナの敗北、それはユグドラルのみならず世界に衝撃を与えた。もはや5年前の戦振りを奇跡と断じる者も現われて、特に旧バーハラ貴族の間からは傭兵を掻き集めて平穏を乱そうとするものもいる。とりわけ彼らが未だに割拠するバーハラではセーナ敗北を知って騒然となっている。5年前からヴェルトマー本家から分かれる感じで新しいバーハラ家を建てたアゼル・アーサー親子はこの変化を敏感に感じ取り圧倒的な兵力を背景にして貴族衆を抑えようと務めるも、なかなか貴族衆の反発も激しく統治に支障が出てきている有様である。
 またユングヴィ家でもまたまた悲劇が起きた。ラケルの弟ルカが突如としてシアルフィ家に参画して反セーナ派を標榜したのだ。ルカといえば5年前の戦いでセーナによってその才をようやく開花させた弓騎士であり、セーナには恩こそあれ恨みなどないはずであった。彼がシアルフィに走った理由は彼のみぞ知る。
 バーハラの苦境、そしてユングヴィ家の分裂は他のヴェスティア諸家に動揺を与えた。フリージの奇襲戦でセーナを救う活躍をしたフィーリアだったが、ここまで戦火が大きくなってしまえば迂闊な行動はフリージ家にとって死活問題になってしまう。フィーリアが背負っているのは母イシュタルが苦闘の末に遺したフリージ家である。そこにはどうしてもセーナへの親近感よりも保身が先に立ってしまうのだ。そしてそれはヴェルトマーのグスタフも同じであった。シアルフィ傘下に入ったとはいえ、家格だけで言えばシレジア家よりも上位にあると言える。現在ロートリッターこそシレジアにいるものの、グスタフ自身はヴェルトマーにてユグドラルの動静を見守るつもりでいた。この2家が慎重姿勢を取ったことでドズルのジョセフも軽挙な行動を取ることができなくなった。新しく領土に加わったエバンスだが、ここは5年前の虐殺がいまだに根を引いており、ヴェスティア領といえども動員は不可能な状況である。今回のセーナの戦い方次第ではようやく交渉のテーブルに付き始めた和解が崩れかねないこともある。新興帝国ヴェスティアはわずか5年目にして未曾有の大危機に陥っていた。


 一方ナディア率いるイザーク軍に国を侵されているシレジアはヴェスティアほどの苦境には陥っていなかった。確かにレヴィングラードより東のザクソン城、リューベック城こそ落とされたものの、王都レヴィングラードは世界に名だたる巨郭である。しかもシレジア山脈を背にして設計されており、周囲には山脈中にあるものも含めて6つの城砦が防衛網に組み込まれている。セーナ同様に押しの強い性格のナディアだが、セティ・ライト親子が智嚢を絞って組み込んだレヴィングラード防衛網にはさすがに迂闊には仕掛けられなかった。
 実はレヴィングラード防衛網だけでなく、シレジア全体が巨大な城と捉えることができるのだ。まずレヴィングラードをシレジアという城の本丸とすると、レヴィングラード城砦群はそれを守る内の城壁となる。そしてレヴィングラードに程近いザクソン城とシレジア城が外側の砦になり、シレジアの外れにあるセイレーン城、トーヴェ城、リューベック城を外郭とみなしており、ナディア軍はただ一方向から斬り込んでいるでいるに過ぎないのだ。シレジア山脈の北側に位置するトーヴェ、セイレーン両城への侵攻は現実的ではないが、天馬騎士を配備しているためにあちらから攻撃してくることは可能だ。先の戦でセイラに深手を負わせたとはいえ、未だに配下の天馬騎士は牽制くらいはできる。またそれだけではなく、シレジア城には未だ無傷の最強の天馬騎士フィー率いる天馬騎士団が残っていたのだ。おそらく世界でも有数の接近戦も十分にこなせるほど戦闘能力の高い天馬騎士団であり、それで機動力もハンパない。大きく迂回してザクソン・リューベックを奪回するだけでなく、イザーク本領をも脅かす恐れもあった。しかしシレジアに向かうにも不用意にレヴィングラードに近づいてしまったために身動きがとれずにいる。下手に軍を動かすとライトに察せられて、行軍で乱れる隊列に突っ込まれる恐れがあるのだ。今彼女に出来るのは側面を晒されながらも世界随一の要害レヴィングラードを落とすしかないのだ。ナディアは思わず、うなった。

 それに対するライトは先日のフリージ奇襲戦の知らせが届いてきた。一部始終を聞いてライトは憤った。
「ナディアは実の兄であるクリードをも踏み台にしたのか!」
全てはセーナをヴェスティアから引きずり出すための謀略であったのだ。しかし敵を討つためならこういう謀略をライトも仕方ないとは思うだろう。だがライトが憤ったのは兄クリードをもその謀略の生贄に捧げたことだ。
 まずナディアは兄クリードを立たせるためにライトの不義を讒言して、クリードの暴走を煽り、見事にリューベック城急襲へと導いた。ここでライトは取り戻すべく軍勢を進めてクリードに対峙するが、この戦いが次なる大戦の引き金を引くことを本能的に感じたライトは攻撃を躊躇。対するクリードも想像以上に素早いライトの反応に妹に謀れたと感じ始め、疑心暗鬼に陥って動けなくなる。ここでナディアはクリード軍の後ろに移って、両者を刺激。特にクリードには無言の圧力を加え、ついにライト、クリード両雄の衝突を実現させる。北面に位置したセイラ率いる天馬騎士団の存在が不気味だったが、ライトが勝負を焦ったためにこの部隊をも動かしたためにライト軍はクリード軍に圧勝するものの隊列を大きく乱した結果、ナディア軍に付け込まれてすぐに大敗した。そしてそれを知ったセーナがナディアを恐れた挙句にヴェスティア城を飛び出して、シグルドの伏兵にあって大敗を喫したというのが今回の謀略の全てであった。逆を言えば、ナディアにとってそれ以上の成果、つまりシレジアの滅亡は望んでいなかったのだが、そのことまではライトも気づかなかった。
 「許さん」
ライトとて5年前の大戦でセーナの傍でリーベリア大陸でその戦略眼を養って、その結果セーナ、ナディアに比肩するマリアンを討ち取っている。それだけにライトにも譲れない矜持というものがあり、兄殺しを行ったナディアを許すことは出来ないでいる。そしてその激情がナディア怖しの感情を打ち砕いた。
「南門を開け!『テルシアス』出撃だ!父上と伯母上にも援軍を要請せよ。」
ライトは難攻不落のレヴィングラードに篭らずに、ナディアと野戦で雌雄を決することになった。
 次々と南門から出てくるシレジア軍の動向にイザーク軍の方こそ動揺が広がった。すぐにナディアは配下の騎士を集めて軍議を開いた。
「何ゆえ敵が難攻不落のレヴィングラードを飛び出てきたのでしょうか?」
重臣筆頭のアラニスが開口一番にナディアらに尋ねた。イザーク典型の素軽いスピードが売りの剣士であり、頭もキレる。しかしそれゆえにライトの行動が愚挙にしか見えずにその真意が捉えられないのだ。
「やはり我々を打ち破る秘策を用意しているのだろう。そうでないと、あの難攻不落の要害を出る理由がない。」
アラニスと双璧をなすナディアの重臣の一人、ラシディが返した。彼は二刀流の剣士であり、ナディアの剣の師でもある。若干謀略とか奇策には疎い部分もあるが、固い頭なりに懸命に思案を重ねるところが諸将に好感を与えている。しかしやはり固い頭ではやはりライトの考えはわからないでいる。他の諸将もこういったやり取りは苦手な無骨者ばかりであってどうも口が重い。こうも彼らの渋い顔が並ぶとナディアが思わず苦笑してしまう。
「ナディア様、そう笑わずに指揮して下さいよ。」
もういい年をしているラシディの言葉についにナディアが吹き出した。もともとナディアの軍議もセーナのものと似ていて明るいのだが、無骨者ばかりだけあって明るいのはナディアとアラニス、ラシディの三人だけで、彼らで明るくしていたのだ。しばらくは腹を抱えて笑っていたナディアだが、時を増して渋くなる重臣たちの顔を見てようやく我に返る。
「もともとシレジアは放置して帰ろうとは思ったけど、ちょっとレヴィングラードを見ておきたかったから来たのだけど、もしかしたらそれ以上のものが入るかもね。」
それ以上とは言うまでもなくレヴィングラードであり、大きい意味でいえばシレジアをも指す。しかしアラニスが難色を示す。
「しかし欲を深くして上手くいった例などありませんぞ。」
「そこが思案のしどころね。確かに欲望で滅びた例も少ないわ。もう少し情報を得てから結論を出しましょう。ライトもすぐには攻めてこないでしょうし。」
そういって雑談話に花を咲かせる。数十分して新しい知らせが入ってきた。それらを整理してナディアが続ける。
「ライトは先の戦いで使用した鉄騎兵なる部隊と風魔道士を組み合わせた方陣を形成し、そしてシレジアへ向かって使いを派遣してセティとフィー兄妹に援軍を要求したらしいわ。」
「方陣といえば防御に適した陣形ですな。城を出て防御陣形とは納得がいかない話だ。」
「おそらく方陣に攻撃を集中させて、その側背をシレジアの援軍が突くという戦術ではないでしょうか。」
アラニスとラシディの言に諸将も納得気な表情で頷くが、ナディアは賛成しなかった。
「そんな簡単な戦術で私を打ち破れると思うのかしら?」
決してナディアは自身を誇張したりはしないが、この言葉から少なくともライトよりは上に見ているようだ。するとラシディがツルりとした頭を撫でながら大げさに自嘲する。
「それもそうですな。いやいや、この禿頭があの皇帝陛下の考えていることとを思いつくわけはないですな。」
これには周りのものも笑いを無理に押し殺した表情をするしかなかった。
「レヴィングラードには鉄騎兵と風魔道士のみだけど、この二つが上手く噛み合えば想像以上の防御力が発揮するはず。下手すれば私たちが彼らの方陣に取り込まれて各個撃破されることも十分あるわ。」
この時のナディアの推測は的確に的を射ていた。だが答えを知らない彼らはその弱みも見出している。
「ちょっと待ってください、そうなるとシレジアからの援軍の役割は何ですか?」
「そこがわからないわね。おそらく私たちを打ち破った時の追撃に使うのか、どちらにしても主戦力ではないと思うわ。」
「ではこのままシレジア軍と雌雄を決すると。」
「兄を討ったままイザークに帰っても寝覚めは悪いわ。どうせならもらえるものはもらっておくわ。」
その一言で将兵は戦へ向けて心を切り替えた。いよいよナディアとライトの戦いは不可避となったのだ。

 その日は互いに陣形を整えただけで小競り合いもなく、平穏のまま終わった。だがすでに戦機は熟しているのは両軍の知るところである。
 翌日の日の出と共にレヴィングラードの戦いは勃発した。イザーク軍の戦法を務めるラシディが鋭い勢いをもってライト率いるシレジア軍テルシアスに切り込んだ。テルシアスはテルシオとも呼ぶ、方形陣であり一部のものからは『絶対防御陣形』とさえ言われているほどの守りの陣形である。まずこのラシディの手勢を最前線に出ていた風魔道士隊のエルウインドが襲い掛かった。テルシアスに参加している風魔道士は皆、エルウインドを標準装備していたのだ。この一斉射でラシディ勢は多くの者が吹き飛ばされたものの、その鋭鋒はまだ鈍っていない。このまま風魔道士隊に突っ込もうとした時、俄かに標的が後退した。怪訝に思ったもののラシディからすれば好都合である。すぐに突撃を再開させてテルシアスに突入しようとした。だがライトとてそうやすやすと突入を許すほど甘くはない。すぐに鉄騎兵を繰り出してラシディ隊へぶつけた。素軽い攻撃を得意なイザーク兵だが、鉄の鎧に身を隠して斧槍ハルバートを振り回す鉄器兵にはさしものイザーク兵も苦戦した。先のザクソンの戦いでも鉄騎兵は活躍したのだが、今回は前以上に組織だった抵抗を示していた。実は開戦前にライトからこう厳命されていたのだ。
「テルシアスの形を少しも乱すな。これが少しでも乱れれば、シレジアは滅びると思え。」
温厚なライトにしては厳しい言葉に諸将は気を引き締めた。それがまだまだ経験こそ浅い鉄騎兵を今回の組織だった守備に繋げられたわけである。
 それからも前線の鉄騎兵、後方の風魔道士を配置したテルシアスはガッチリと敵の鋭鋒を受け止めていた。それはラシディ率いるイザーク本隊が突入してきても変わりはない。何しろ鉄騎兵は兵の疲労を考慮して、後方に待機する鉄騎兵との入れ替えを行う戦法・車懸かりをこのテルシアスに導入している。基本的に車懸かりは攻撃用の陣形なのだが、このように守備にも利用できることをライトは証明したのだ。対するイザーク軍はひたすらテルシアスに総攻撃をしており、疲労は溜まる一方であった。錐も使いすぎれば穿つ能力は薄れると同じように、斬り込むイザーク軍の攻勢も弱くなってきた。
 「そろそろだな。」
そう言ってライトはセーナから借りたオーガヒル諜報衆を統べるフィードにレヴィングラード周辺に張っていた防諜網を解かせた。すでにライトの秘策は炸裂していたのだ。

 「申し上げます!」
ナディアの本陣に急報が走り込んできた。
「どうしたの?!」
問うナディアにその使者が驚くべき内容が伝えられる。
「リ、リューベック城がロートリッターの猛襲を受けて、陥落寸前です。」
これも想定内の事態なのだが、精鋭ロートリッターという言葉に思わずナディアは驚いた。ザクソンの戦いでロートリッターがいたのを目の端に捉えていたのだが、このレヴィングラードの存在感の大きさがナディアの脳から彼らの存在を打ち消していたのだ。そんなナディアにさらなる衝撃が襲う。
「さらにシレジアのフィー天馬騎士団がザクソン城を強襲。セティ率いる風魔道士隊も加わって、陥落しました。」
ナディアがレヴィングラードに集中していた間にライトはシレジアという巨大な城を取り返すべく、動いていたのだ。しかもフィー天馬騎士団にセティ風魔道士隊を輸送させてレヴィングラードを大きく迂回、そのままザクソン城に乗り込んで城兵を圧倒したのだ。即座に状況を把握したナディアは決断した。
「このままでは持たない。」
まだ己の精鋭は無傷なのでそれを殿にして撤退しようと立ち上がった時、新たなる知らせが前線から舞い込んで来る。
「方陣が前進を始めました!」
何という勝負勘かとナディアはうなったが、すぐにその真実を悟った。ライトの傍にはオーガヒル諜報衆がいたことを思い出したのだ。レイラと結婚したことで表向きはヴェスティア傘下になっているのだが、肝心のセーナとライトが夫婦であるために双方のためにフィードは気にせずに動けたのだ。そしてその能力の高さも認めていた。
(しばらく静かだと思ったのは防諜されていたせいね。私の完敗だわ。)
そう思うも打ちひしがれている場合ではない。己のミスで味方を窮境に陥れているのだ。
「すぐに前線を撤退に移らせなさい。殿軍は私たちが務めます。」
これ以上シレジアにこだわっていても兵站が寸断されているイザーク軍に勝機はなかった。
 前進してくるテルシアスの重圧を受けながらもナディア率いる神速剣士団は殿として奮起してレヴィングラードをついに脱出。ザクソン城下では突出してきたフィー天馬騎士団の追撃を受け、これを支えたラシディがその命を盾にしてイザーク軍の撤退を助け、リューベック城下では城を奪取したヴェルトマーの精鋭ロートリッターにグスタフの意向がようやく届いて模様眺めに走ったために無事に通過することができた結果、イザーク軍は甚大な被害を出しながらも撤退に成功した。しかしナディアの師ラシディが死に、そして兄クリードを生贄に捧げてまで欲した真の勝利をナディアはついに得ることはできなかった。

 ナディアの敗北はすぐにヴェスティアにも届いて、セーナを大いに驚かせた。レヴィングラードに行ったことのないセーナだが、その要害堅固は聞いているものの、機略縦横なナディアなら十分に攻略できると踏んでいたのだ。だからこそ自身が援軍に出て痛い目に合ったわけなのだが、それからセーナは世間のライト評を思い出した。
『剣のセーナ、盾のライト』
つまり攻撃に対して鬼神をも驚かせる神算を繰り出すセーナに対して、ライトは守りでそれに匹敵する実力を持っていると見られていたのだ。そしてその『盾』はイザークの『剣』をへし折り、ついにその実力をユグドラルに見せ付けた。
 これを聞いてライトに負けられぬと、ヴェスティアにある『剣』もついに動く。相手はユグドラルの軍神と名高いシグルド率いるシアルフィ軍だ。すでにヴェスティア宮殿を囲まれて数日は経つが、まだ遠巻きに囲んでいるために十分に身動きは取れている。そうなると虫が収まる『剣』ではなかった。先の戦の雪辱を晴らすべく、ついに『剣』はヴェスティア宮殿という『鞘』から抜かれて軍神に斬りかかる。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 21:41