シレジアでライトとナディアが決死の戦をしていた頃、辛くもフリージから脱出を果たしたセーナも雪辱を期すべく動き始めていた。今のセーナを取り巻く状況はお世辞にもいいとは言えなかった。ヴェスティア宮殿はシグルド直卒の精鋭グリューンリッターに包囲されて、それを知ったヴェスティア諸侯からはヴェスティアへの後詰に消極的であった。唯一、弟のルカがシグルド陣営に走ったためにユングヴィのラケルが精鋭バイゲリッターを率いてヴェスティア城に入城した程度だ。だが真の父を失ったセーナの意気はまだまだ軒昂だった。すぐに諸将を集めて軍議を開いた。
まずセーナが行ったのはカイン死後のグリューゲルの建て直しである。そのためには欠員となった一人分の十勇者を補うのが手っ取り早いのだが、その候補が二人いた。紛れもないカインの長男エルマードと、実力だけでも十勇者クラスのジェネシスである。十勇者としての格はエルマードが有しているが、その実力はジェネシスの方がエルマードを圧倒的に凌駕している。あとはセーナがその任命に私情を挟むのか否か、というのが注目されている。十勇者やミーシャ、ミカ、ゲインらヴェスティア首脳が揃った中でまずセーナは宣言した。
「カイン亡き後の№0001に現№0002のアベルを任じる。他の十勇者のナンバーもこれにともなって一つずつ繰り上げる。」
これはあらかじめ予想されたことで、諸将も否やはなかった。新しきグリューゲルの総帥となったアベルがセーナの前に進み出て、厳かに新たなる決意を述べて更なる忠義を誓った。それを受け取ったセーナが続ける。
「なお欠員となった№0010は彼に任せることにする。入りなさい。」
アベルやミカらも広間の入り口を注視するなか、静かに入ってきたのはジェネシスであった。それを見て、エルマードとも親しく、そしてグリューゲル入りした後にジェネシスを調練したこともあるボルスは若干複雑な表情をした。その瞳には4年前に見られた憎悪の炎は完全に消え失せて、セーナに対して畏敬の念がうかがえる。
「不肖ジェネシス、セーナ様の信念を実現すべく粉骨砕身して励んで参ります。」
その決意を聞いたセーナは満足気に頷いて、ボルスも仕方なしの表情をしながらもセーナの決断を理解して頭を切り替えた。
「とりあえず今の私たちの最新の状況を知らせるわ。」
フリージの奇襲戦でセーナの受けた傷跡は思いのほか深かった。まず帝都に駐留していたガーディアンフォース1万5千が2千までに壊滅して、ガルダ駐留の軍勢を合わせても全盛期の半分1万に満たないと言う。幸いミーシャを始め、指揮官たちは無事で済んだために建て直しはまだまだ早い段階で可能といえた。セーナにとって何より痛手なのはカインの死は言うまでもないが、彼の配下としてフリージで戦った猛者たちの死である。カイン隊はグリューゲルの中でも精鋭中の精鋭なのだが、先の戦いで50名中40名までが主より先に天上に旅立っていたのだ。能力の高いものは調練を積めばいくらでもう生み出せたが、歴戦の勇者となれば数多の戦を経て生き残らねばならない。先の戦でそういう百戦錬磨の猛者が次々と命を落としていった事実に諸将も表情を暗くする。
「ではこれからはこのヴェスティアで篭城でしょうか?」
ミカがセーナに尋ねた。
「普通ならそうしなきゃいけないけどね。いささか今の状態でそうするという訳にもいかないわ。」
すでにセーナとミカは事前に対策を話し合ってある答えを出していた。セーナの言う今の状態とは、禍根がヴェスティアに渦巻いていることである。グリューゲル筆頭カインの死は、普段は冷静でなくてはならないグリューゲル諸将にも大きな影響を与えている。一部のものはシグルドを討つべしと強硬に訴えるものや、敬愛していたリーダーの死に精神に変調をきたすものも少なくなかったのだ。こういった状況で篭城を続けていても宮殿内で不穏分子を抱えているのはいかにもマズい。だからこそセーナは打って出て、彼らにその強烈なストレスの捌け口を与えてあげたかったのだ。最初は出撃を反対していたミカだが、セーナの言うことにも理があると悟ってか己の意見を翻して賛意を示していたのだが、セーナからこういった説明を受けた諸将も納得して出撃論はまとまった。特にカインと共に生きてきたアベルとボルスは共に先鋒を買って出てセーナに許された。
その日は酷い大嵐の夜であった。ヴェスティア宮殿を遠巻きに囲むシアルフィ軍は雨宿りに苦慮していた。かといって相手はセーナであるから警備も疎かにできない。しかしこの大嵐で一枚岩と思われていたシアルフィ軍でも不満が噴出する。もともと反逆同然の戦いに誇り高いシアルフィ軍の将兵たちはこの戦いに不満を持っており、主君に忠実な精鋭グリューンリッターに食って掛かるものもいる。
(こういう日こそ危ない)
ユグドラルの軍神と称えられるシグルドは本能的にセーナの夜襲を感じ取っていた。すぐにフリージの奇襲戦を指揮した女隊長である、軍神の右腕アリシアを呼び出して己の思いを伝えた。
「ハッ、すぐに警備を厳重にさせます。」
あくまで謹厳なアリシアはすぐに身を翻して、主の命令を告げるべくテントを出て行こうとするが、すぐにシグルドが付け加えた。
「あ、あと普通の兵卒は今日は休ませてやれ。その代わりにグリューンリッターを中心に警備を務めよ。」
「しかしそれではここが手薄に・・・。」
「ああ、だからお前直卒の精鋭がここを守るのだ。」
「ハッ、かしこまりました。」
堅い挨拶を残してアリシアが足早に去っていった。残ったシグルドは苦笑をするしかなかったが、すぐに考え事をしてセーナならどう攻めてくるか対策を練ることにした。その直後であった、グリューゲルという名の猛烈な嵐がシアルフィ軍に襲い掛かったのは。
ヴェスティア宮殿東門から抜け出したセーナが指揮するグリューゲルはシアルフィ軍が先ほどシグルドが命じた警備体制の変更という最大の隙をついて急襲した。しかしあまりにも酷い大嵐のために視界が極度に悪く、シアルフィ軍はセーナ軍の突出を聞いてもまとまった抵抗が出来ずに次々と蹴散らされていく。
「まずい。急いでシグルド様を騎龍に乗せなければ。」
ちょうど前線に出ていたアリシアはすぐに本陣へと馬を飛ばした。騎龍とはシグルドの愛馬である。実はこの愛馬なくしてシグルドは軍神になりえないのだ。というのもシグルドは極端に足が弱く、幾度となく幼少時に骨折に見舞われたこともある。その原因としては両親にあった。父セリスと母ユリアは共通の祖母ディアドラから生を受けた異父兄妹であることは幾度か触れた。二人が愛し合ったためにそのまま夫婦になったのだが、この近親の兄妹から生まれたシグルドはその影響を受けてしまったのだ。また5年前に死亡した長兄マリクはもっと悲惨でディアドラの血に潜んでいたロプトウスが覚醒させてしまっている。表向きこそセーナもセリスとユリアの子であるが、実質にはクレス(カイン)とユリアの子であるためにこの弊害から免れている。シグルドはその弊害を補うためにユグドラル一の名馬・騎龍と心を通わせて、己の足としていたのだ。だがアリシアの心配は杞憂に終わった。シグルドが不自由な足に鞭打って騎龍の元に行っていたのだ。賢い騎龍も戦の気配を感じ取っては、主を早く乗せようと彼の目の前でしゃがみこんで騎乗を助けた。そこにアリシアが駆けつけてきたのを見たシグルドは良い笑顔を見せて叫んだ。
「反撃に行こうではないか!」
軍神の咆哮が始まった。
アベル・ボルスの猛烈な活躍によってシアルフィ軍は各所で寸断され、陣内を大混乱に陥れていたが、俄かにシアルフィ軍の抵抗が強くなった。その原因を知らせるかのように陣内でシグルドの動きを注視していたシャルがセーナに手短かに伝えた。
「軍神が出ます。」
その言葉でセーナは撤退の指示を出した。セーナも想定している成果を上げたと判断し、これ以上戦いを続ければ奇襲が奇襲ではなくなり余計な損害を出すことを恐れたゆえの撤退である。傍らで宮殿を守るミカの代わりに軍師を務めるグーイも安心して頷いた。ずぶ濡れになりながらもセーナはすぐに馬首を翻して撤退に入り、それにシャルとグーイが追随する。
だがそれを簡単に許すほど軍神も甘くはない。アベルとボルスを殿にして撤退に移っていることを知ったシグルドは騎龍に鞭打って、猛烈に突き上げた。さすがにユグドラル一の馬である。あっという間にアリシラらを振り切って、ついにアベルとボルスに追いついてしまったのだ。こうなるとアベルとボルスも黙っていられない。カインを死に追いやった仇敵でもあるシグルドについに槍と斧を向けた。カインが父セリスを支えた宰相クレスであったことを知らないシグルドであったが、本能的にアベルとボルスがそのクレスと共にいた時の三銃士の残りの二人であろうと勘繰っていたのだが、この時の二人の憎悪に満ちた戦いに触れることでその予感は確信に代わっていた。
(やはりお前たちは時の三銃士の片割れ二人組だったんだな。しかもカインがクレス宰相だったとはな。)
全てを悟って戦いに専念したシグルドはさすがに強かった。アベルもボルスも懸命に食い止めているも、憎悪を表に出して戦ってしまっているためにいつもより攻撃に精細を欠いている。それを見逃すシグルドではなく、ついに僅かな隙を突いてボルスのアルマーズを弾き飛ばした。そして続けざまにアベルにも切りかかりアベルは槍を盾にして守るも、あえなく弾き飛ばされた。武器を無くした二人だが、逃げる気配はない。
「良い度胸だ。二人まとめて天上へ送り届けてやる。」
そういって軍神の愛剣ティルフィングが振り下ろされる。万事休すと思われたそのとき、ガキッと言う音が辺りに響き渡る。
(やはり来たか。)
シグルドはティルフィングの斬激を受け止めた相手を理解していた。
「この光景は5年前とそっくりだな。」
そう言った相手はセーナだった。ヴェスティア宮殿に帰ったと思われたが、嫌な予感がして引き返してきたのだ。どこまでも勘が冴える兄と妹であった。しかし兄は5年前とは違う妹の姿に若干驚いていた。ヴェルトマー夜戦でシグルドの剣を弾いたときは怒りで目を真っ赤にしていたが、今は笑顔さえ浮かべている。そして驚きながらも兄がのろけた。
「水もしたたるいい女とはよく言ったものだ。」
それには苦笑いしてセーナは返すしかないが、戦はまだ続いている。アベルとボルスを撤退に移させて、セーナ自身が軍神の斬撃を受け止め始める。だがこの頃になるとアリシア率いるグリューンリッターの精鋭や、グーイやシャル率いるグリューゲル小部隊も到着し始めて、一騎打ちというよりは小さな合戦が繰り広げられている。女の身で、しかもその体内にもう一つの命を宿しているセーナはよくシグルドの斬撃を止め続けてきたが、やがて腕が痺れ始めたことをひしひしと感じて、巧みな後退を始めた。それを察したグーイがシグルドとセーナの間に入り込み、シャルもワープを駆使してシグルドの側背からアポカリプスを撃つ。魔法の加護を持つティルフィングを持つシグルドはシャルの攻撃を気にせずに、あいも変わらず重い攻撃をグーイに打ち込んでいく。しかしセーナの剣の師でありながら、元はシグルドの剣の師でもあったグーイはすんでのところで彼の攻撃をかわし続け、ついにセーナが戦線を離脱したと知って一気に宮殿に下がっていった。
グリューゲルの撤退にシグルドは追撃を禁じた。しかしやられっ放しのシアルフィ軍の鬱憤はかなり溜まっていたようで、泥水を跳ね飛ばして後を追う。殿をつとめるグーイ・シャル隊は歩兵揃いだっために足は遅い。あと少しで今までの鬱積したものを晴らせるとシアルフィ将兵が嬉々とした表情を見せ始めたとき、天をもつんざく轟音が辺りに響き渡った。ヴェスティア城に据え付けられていた魔導砲が火を噴いたのだ。
「私だってカイン様の恨みは晴らしたいわ。」
そう言って、魔導砲に魔力を注ぎ込むのはカインを師とも仰いでいたミカである。セーナやミカの子供たちのお守りという名目で宮殿に残されたものの、その真の意味をミカはしっかり理解していたのだ。お灸を据えられたシアルフィ軍は蜘蛛の子を散らすようにバラバラになり、そこに先ほどの雪辱を晴らすべくアベル・ボルス隊が両脇から締め上げる。もうシアルフィ軍には抵抗する術はなかった。あと少しグリューンリッターが駆けつけるのが遅ければ追撃部隊は全滅していたかもしれなかったほどだ。その惨状を見ながらもシグルドは改めてあの時のセーナの笑顔を思い出していた。
この夜襲でセーナ軍はフリージの復仇を果たしたものの、ヴェスティアの包囲を解かせるには至らずに膠着状態はまだまだ続くことになる。後に天下分け目とまで称された一大決戦までもうわずか。