ユグドラル各地に散っていた停戦の使者が届いて、全土に広がりつつあった戦火は一旦は沈静している。ヴェスティアの臨時宰相となったフィーリアも積極的にシレジア・トラキア・イザークらへも統治範囲を広げていき、臨時とはいえ大陸全土を取りまとめる地位にまで上り詰めていた。その一方で不可解な状況も起こりつつある。今までセーナの強力な後ろ盾の一つとなっていたエッダのコープルが突如として行方をくらましたのだ。時を合わせるかのようにヴェルトマーのグスタフも姿を見せなくなり、何やら大決戦の裏で蠢き始めたことを案じさせる。
それを知りながらもセーナは彼らの行方を捜す暇がなかった。ちょうどその報告が来た時にリーベリア勢がヴェスティア宮殿の門をくぐってきたのだ。彼らを案内するように先導してきたエルトシャン2世率いるクロスナイツはすでにヴェスティア西方に布陣して、今頃は義兄シグルド2世と杯を傾けているのだろう。
ガルダ島駐留のガーディアンフォースを率いてきたカリナに案内されて、リュナン、セネト、ノール5世らが入ってきた。先ほどのコープル、グスタフの失踪が気になるのか、ずっと考え事をしていたセーナだが、カリナと側にいたミカに促されて、ようやく彼らに気付いて立ち上がった。初めて会ったノールは彼女が
20代後半と聞いていたのだが、どう見てもまだまだ十代後半の少女しか見えないセーナに対して驚きを隠せないでいる。が、リュナンとセネトはさすがに大戦後も幾度か会っていたこともあってか、一応は平然と接している。ついでにセーナの出で立ちは戦時ということもあって、5年前の大戦時の衣服とさほど変わっていない。一つだけあえて挙げるなら、彼女のマントの丈が膝までだったのが床まで伸びていることだろうか。リュナンやセネトたちは大戦を経たことで貫禄を増し、その妻メーヴェやヴェーヌは子供を産んだことで母の顔になっているのだが、セーナにはそのどちらの変化も見られないのだ。セーナの長男リアルト誕生以来の再会となるリュナンも久しぶりの再会に表向きはにこやかにしていたが、内心は驚いていたに違いなかった。
「ふふ、ヴェスティア宮殿の壮麗さに驚いちゃったのかしら。」
口数が少ない客将たちにセーナが微笑みをたたえながらつぶやくと、ふと初見の騎士に目が行った。ヴェスティアとは国交どころか人の交流もないレダのノールである。リュナンに誰か訪ねると、彼が先に出てきて名乗り出た。
「レダ連合王国のノール5世と申します。」
それを聞いてセーナが首を傾けた。
「? 私はリーヴェとカナン、ウエルトに援軍を頼んだと思ったけど、レダにまで使者を回しましたっけ?」
とぼけるセーナに、ノールが慌てながら付け加えた。
「とんでもございません。王妃のティーエ様がセーナ様の危急を聞きつけてぜひヴェスティアとの交流のきっかけになれば、と私に任されたわけです。」
物は言いようだが、要はユグドラル大陸の情報を詳しく得ておきたかったのだ。リチャードの名を出せば、あの野心溢れる獅子のことである。セーナならばすぐに見破るだろうと察しての言葉に、ついティーエを出してしまったのだ。それを知ってか知らずか、セーナは
「そう、帰国できたらティーエ王妃にありがとうって伝えておいてね。」
と言ったきりで、セーナはノールとの会話を一方的に打ち切って、ノールの後ろで神妙に控えていたアジャスを見つけると皇后とは思えない腰の軽さで飛びついた。これにはノールはもちろんリュナンたちも口をポカンと開けるしか出来なかった。もっともこれこそが身分に分け隔てなく人に接することが出来るセーナの良さである。
その時である。大広間につながっている廊下からドタドタと駆けつけてくる足音が響いた。リュナンやセネトが何事かと廊下に視線を向けて、それにつられるように周りも視線を動かす。その正体を知っているのか、広間に詰めていたグーイが表情を苦らせている。しばらくしてカリナより若干若めの少女が息を切らして駆け込んできた。
「カリン!!もう少し時をわきまえたらどうだ!!」
その少女の名はカリン、今怒鳴ったグーイの孫娘である。普段はヴェスティア城下で店を営んでいるのだが、その店は表の姿でその実情はセーナに生の情報を届けるグリューゲル諜報衆の情報基地である。近所からはかわいらしい看板娘として好かれており、それゆえに宮殿まで来ることは滅多にないのだが、稀に時と場合を考えずにセーナの元に駆けつける性癖を持っていた。どことなくセーナに似ている少女であるが、今回はそれどころではない情報を届けてきた。
「おじいちゃん、それどころじゃないの!!!!」
と怒鳴り返すと、セーナを見つけて叫んだ。
「セーナ様!!精霊の森が大炎上しているそうです!!!!」
「!!!!」
思わぬ事態にセーナらが息を呑んだ。
今はエバンスを除く大半がアグストリアによって併合されている旧ヴェルダン領の西部にある精霊の森。そこはセーナの祖父シグルドが初めて愛した女性ディアドラと出会ったことでも知られる。ゆえにセーナの父セリスはこの森を聖地と指定して、一般人の干渉を極力排除して周囲から隔離する政策をとった。もちろんその背後には歴史の影でこの地に隠遁していた父シグルドを守る意味もあったのは言うまでもない。それだけでもこの精霊の森は歴史と深い関係を築きつつあったのだが、その森が今、最大の危機に陥っていた。
「クックック、ようもよく燃えるものだ。」
すでに精霊の森は火焔に飲み込まれつつあった。云百年と時を経てきた大樹がパチパチと音を立てて崩れ落ち、地面では小動物が必死に火の渦から逃れようとしていた。その男は俄かに不機嫌になって部下らしきものを呼んだ。
「おい、いい加減に確保できないのか!」
するとどこからかその部下らしき者が現われて報告に来た。
「も、申し訳ありません。またあの者どもが・・・。」
途中だったが、すぐにその男は事情を察した。
「チッ、またあいつか。ノルゼリアの時といい、これで何度目だ!!」
「その・・・5度目です。」
あまりにも核心から反れた答えにその男の怒りがついに脳天に達した。
「そんなことを考えている暇があれば、さっさと始末してこい。確保できないのなら、殺っても構わん。」
と言ったのも束の間、ふともう一つの考えがよぎった。
「おい、待て、つい最近加わったあいつの実験体を出せ。」
精霊の森の最深部ではいつぞやに見たことのある詩人が決死の攻防を繰り広げている。その奥では表世界から完全に退いていたユリアがそれを心配そうに見守っている。敵の正体はよくわからないが、明らかに己を狙っているように見えた。目の前で奮闘する詩人は恐ろしい魔力を持って今のところは他を圧倒しているが、如何せん一人で戦っているので魔力の量が不安にさせる。するとユリアの傍らにセーナ十勇者の一人シャルが急を聞いて駆けつけてきた。即座に事情を悟ったシャルはユリアを守るように奮戦する詩人を見て、思わず唸った。リーベリアでガーゼルを打ち破った直後にセーナを試すように現われたホルスその人である。その魔力の鋭さもゲインやミカから聞いており、同じ闇魔道を扱うものとして手合わせしてみたいと願っていたのだ。するとホルスはシャルを見つけて言う。
「お前が来たということは増援もすぐに来るんだな。」
すぐにシャルが応じる。
「ええ、もうすぐクロノスの手の者が外から締め上げる手筈になっています。」
だがホルスの愁眉は開かない。
「悪いが、クロノスではこの重囲を破るのは無理だ。早くユリア様をヴェスティアへ下げろ。」
自身の手の者を否定されて一瞬顔を曇らせるが、今はそんなところではない。素早くユリアに身を翻してユリアを避難させようとした。が、ここで思わぬ事態にシャルは困惑することになる。ユリアがすでに死を覚悟しており、全く動こうとはしないのだ。火焔で気温が上がる中、シャルは必死に説得するも、時は無情にも過ぎていく。
クロノス諜報衆を統べるペイルは子のブラムと共に精霊の森に突っ込んでいた。
「急いで、襲撃の首謀者を打ち倒すのだ!!」
もともとヴェルダン・アグストリア方面の諜報はクロノスが担っていたのだが、ずっとアグストリア方面に目が行っていたので今回の事態に遅れを取ることになったためにその汚名をすすごうという思いが強かった。切り込んでいくペイルとブラムだが、その敵の異様さに息を呑んだ。
(馬鹿な、強すぎる!!)
敵の包囲の外から締め上げているにも関わらず、押されているのだ。焦るペイルの前に何やら見慣れた人影が現われた。
「誰だ!」
だが言う前にその男は剣をペイルの胸に突き刺していた。
「父上ッ!!!」
苦戦のために対策を練りに来たペイルの子ブラムがちょうどその場面を見ていた。そしてブラムの言葉でようやくペイルは自身の身に何が起きたのか理解できた。
「馬鹿なっ!いつの間に間合いに入ったんだ。」
だがペイルの言葉もそれまでだった。シャルの叔父として、歴史の深謀を託されたペイルはその使命を果たすことができずにその命を散らした瞬間である。涙に溢れながら父の仇を睨み付けたブラムはその男を見つけてまた驚かされた。
「お、お前はっ!!」
最深部では未だに闇と影の死闘が繰り広げられている。未だに翻意をせずにシャルの説得に耳を貸そうとしないユリアは一度後方に下がって、白く美しく輝く剣を持ってきた。
「シャル、この剣で私の胸を貫きなさい。セリス様が作られたこの剣で将来の禍根取り除くのです。」
実の兄との決別を果たした25年前の解放戦争、長男と長女が決死の死闘を行った5年前の後継者戦争と、ユリアにとっては身を切るような戦いが続いていた。だからこそ己はこれ以上取引の材料として使われて欲しくなかったのだ。滔々ととくユリアにシャルはついに言葉をつぐめずにいる。
「お母様、どうしてこのような時にそのような我侭を言われるのです。」
ハッとしてシャルが後ろを見るとミカによって転送されてきたセーナの姿があった。
「セーナ様、なぜこのような危険なところに!」
それは半ば問い詰める口調であった。シャルがここに来る時はミカが後に続くと聞いていたのだが、その後にセーナはミカに無理言って押し切ってしまったのだ。だが今は余計なことを言ってるつもりはない。
「お母様、私はもう肉親を失いたくありません。どうかシャルの魔法陣に・・・。」
セーナは母から剣を取り上げるとホルスに加わって時間を稼ぐべく奮闘した。彼女が握る宝剣はファルシオンに勝るとも劣らない威力を示して他を圧倒していく。ホルスの奮戦もあってか、ようやく敵の攻勢も収まってきた。ホッと息をつくセーナだが、すぐに目の前に誰もが驚愕する人物が現われた。
「お父さん・・・。」
ゆったりと歩いてくるのは先日、病死したはずのカインであった。表情はなく、生気も感じられないが、その姿は紛れも無くセーナの父クレスであり、カインであった。だがすぐ後ろからもう一つの絶叫がこだまする。
「セーナ様!!そいつが、そいつが父を殺したんです。」
カインから必死に逃げてきたのだろうが、腕にひどい傷を負っている姿は非常に痛々しいものがある。先ほど壮烈な死を遂げたペイルの子ブラムである。その言葉を聞いて頷いたのはホルスである。
「そういうことか。セーナ殿、あれは【モルフ】というものです。生前の人間をかたどられた魔法体といえば説明は楽でしょう。」
「・・・」
「そして大概は生前より強力に作られています。今までの雑魚など相手にならないでしょう。」
ホルスの説明を聞いているうちにセーナの心の中に怒りが吹き出てきた。
「人の命を何だと思っているの!絶対に許さないんだから。」
勢いで突っ込んだセーナだが、いきなりの吶喊はカインの前ではさすがにまずかった。セーナの作ったトランジックブレイヴをまねて作られた大剣グランザックスを振り回して、セーナに壮烈な斬撃を振るってきた。怒りから外しようがない必中距離に踏み込んだセーナに防御のすべはない。
(マズイ)
ホルスもシャルも凍りついた。セーナもこの時ばかりは私情に動かされた己に気付き、そして今度こそ死を覚悟した。だがグランザックスは別のものを貫いていた。いつの間にかセーナの傍まで来ていたユリアがセーナを突き飛ばして、自身が身代わりになったのだ。そして生の代償としてセーナはその人生で最も残酷な場面を見てしまった。命の抜け殻【モルフ】とはいえ父であるカインが母ユリアを突き刺しているのである。そのユリアの華奢な体は真っ赤に染まり、ゆっくりと崩れ落ちていく。すかさずホルスとシャルがカインに合体魔法を仕掛ける。
『エレシュキガル』『アポカリプス』
闇の二大魔法にカインも吹き飛ばされるが、まだまだ戦闘する力は残されている。が、次の瞬間、カインを襲ったのは瞳に涙を浮かべたセーナの宝剣だった。
『ディヴァインブレイザー』
宝剣は淀みのない直線を描いて、カインの胴を文字通り一刀両断していた。崩れ落ちるカインは即死だった・・・。
あまりにもムゴい戦いがようやく終わった。セーナはすぐにユリアを介抱したが、カインのグランザックスは致命的なダメージを与えており、すでに青息吐息の有様である。ようやく紡いだ言葉はまさしく母の言葉であった。
「ごめんね、セーナ。お兄さんと仲良くするのよ。」
この時、セーナはユリアに大陸の情勢をあえて伝えていなかった。あくまで母を思いやってのことだったのが、もし自身が兄と戦を繰り広げていたことを伝えていればこのような悲劇は起こらなかったと思えてならなかった。そしてその言葉を最期にユリアは天上に旅立った・・・。
精霊の森は全焼し、ミカがフィーリア、エルトシャン2世を通じて軍勢を派遣した時にはもう何も残っていなかった。セーナの目の一つ、クロノス諜報衆は頭領ペイルと共に完全に壊滅し、ブラムら生き残ったものたちは当面はグリューゲル諜報衆の傘下に入ることになった。
そして何よりもセーナ自身に大きな心の傷を残した。兄シグルド2世も母の死を聞いて呆然として、ヴェスティアへの行軍中であった妻ナディアもあまりの事態に言葉がしばらく出なかったと言う。セーナとシグルド2世は敵対しながらもその3日後、合同でユリアの葬儀を行い、その遺体はシアルフィ南部に眠るカインの墓の隣に埋葬された。セリスがティナの隣に眠っているのだから、お母様も好きな人と眠りたいでしょう、と言うセーナのせめてもの配慮である。約40年前、暗黒神ロプトウスの化身だったユリウスの妹として生まれながら聖者ヘイムの末裔として兄を打ち倒す運命を背負い、今また目の前で腹を痛めて産んだ子供たちが相争うこととなったユリアはその最期まで非業なる定めから逃れることが出来ずに散った。その死は多くの者たちを涙させ、多くの悲哀を大陸中に巻き起こした。
彼女のために夫が遺した宝剣は皮肉にもその妻の死によって陽が当たることになった。あまりにも美しすぎるゆえに哀しき業を背負ったその剣は『悲哀の剣』と呼ばれ、ユリアの死なしに語らることはできなくなった。その剣の名をシュヴァルツバルトと言った・・・。