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 ユリアの死は激動の大陸に一気に冷や水を浴びせかけた。この大乱の首謀者、シグルド2世とナディアも予想以上の犠牲の多さに眉をひそめていたのだが、まさか第一線を退いていたユリアまで巻き込まれるまでになるとは思ってもいなかった。
 セーナは母の死にしばらく打ちのめされていたが、ユリアの葬儀が行われる前日には持ち前の明るさを取り戻しつつあった。気持ちの立て直しの早さにミカやグーイらも驚いたが、セーナは己が打ちひしがれ続けることのリスクを知っていた。
(この子のためにも『今』を乗り越えないと。)
ユリアの死によって心身ともに痛手を受けたセーナだが、彼女の下には新しい家族が作られつつある。3歳になる長男リアルト、2歳の次男クレスト、もうすぐ1歳になる長女エレナ、そして今彼女のお腹の中にいるまだ見ぬ新しい命。彼らのためにセーナは立ち止まるわけにはいかなかった・・・。
 ユリアの葬儀から2日後、ようやくシレジアからライトがヴェスティア宮殿の城門をくぐった。ナディアとの戦による立て直しに追われたことや、地理的要因もあってかなり時間がかかることになったのだが、精霊の森の急を聞いてこれでも加速してきたのだ。ちょうどヴェスティア宮殿に詰めていたリュナンやセネトは久しぶりに会ったのだが、5年前に見せていた風使い独特の颯爽とする立ち居振る舞いはなりを潜め、どこかその歩みに重々しいものが感じられた。それがただ単に皇帝という重職から来るものであれば良かったのだが、リュナンにもセネトにも彼の様子がそれだけのものとは思えなかった。とはいえそんな心中を表に出さずに二人は愛想良くライトに対応して、初見となるノール5世は厳かに口上を述べることにした。もっともリーベリア諸将への対応はセーナに任せっきりにしていたライトはどう接すればいいか分からずに、形式どおりの挨拶を返すに留まって、苦い顔をするセーナを置いて長い行軍で疲れたのかさっさと奥へ引っ込んでしまった。ノールはともかく、リュナンとセネトが鼻白んだのは言うまでもない。セーナの苦悩の種はまた一つ増えていた。

 そして同じヴェスティア宮殿の別の一角でもう一人、苦悩を深める女性がいた。家を割ってまで弟ルカと対立することになったラケルである。ユトナ同盟軍到着後は旧知のサーシャらと再会を喜んだものの、それでも心中の陰りは晴らすには至らずに今はセーナから与えられた紅の塔で悩みの日々を送っていた。そんなラケルのもとに最近はあしげく見守りにくるフリードがいつになく喜色を満面に示して現われた。
「ラケル様、セーナ様からこのような盾をお借りしてきました。」
まるで子供のようにはしゃぐフリードを見て、思わずラケルもその笑顔に引き込まれている。フリードの手には盾にしては異常に大きく重厚な盾が握られている。
「ずいぶん大きい盾ね。」
「何でも遠くアカネイア大陸の一王国であるマケドニア王国の国宝・アイオテの盾だそうです。5年前にお世話になったリュート様がお貸しいただいたと聞きました。」
5年前、突如としてセーナのいるガルダ島に現われては彼女と行動を共にしたリュートはこの大乱を聞いて、何か行動を起こそうかと悩んでいた。といって軍勢を送っても自身の勢力のみでは輸送の面でどうしても無理な部分が出てくるので、ならばと物資援助を試みることにしたのだ。リュートは周辺諸国と語らってアカネイアの歴史を作ってきた多くの名宝をユグドラルに貸し出した。今、フリードの手にしているアイオテの盾もその一つでリュートがマケドニア王国に頼み込んだ結果である。他には三種の神器の一つでミリアが扱っていた神槍グラディウス(アベルに貸与)も送られたのだが、同じく三種の神器の一つパルティアに至っては贈与してきたのだ(現在はディルに貸与)。
「遅かれ早かれ一ヶ月以内には全てを決する大戦が行われましょう。これをお貸しいただければ私も奮戦しようがあるというものです。」
ウキウキするフリードだが、ラケルは戦と聞いてまた俯いてしまった。やはりルカのことが心配でならないのだ。思わず言い過ぎたフリードだが、ふと名案が思いついた。
「どうでしょうか、ラケル様。今はまだ停戦中ですから、ルカ様のところに赴いてみて真意を聞いてみてはどうでしょうか。」
血を分けた姉弟であるラケルとルカなら今ならまだ対話で解決できるだろうとフリードが踏んだのだ。もちろん希望的観測があったのは否めなかった。だがラケルもこのままうなだれていては埒が明かないと踏んだのか、フリードの提案に乗ることにした。
 セーナとライトに許可を取ったフリードとラケルは闇夜に紛れてシアルフィ軍側に布陣しているユングヴィ軍の陣地を訪れた。旧主ラケルの訪問に門衛は驚いたものの、穏便に取り計らってくれたために大きな騒ぎを起こすことなく陣内に入ることができた。ユングヴィ軍はもともと志願した兵のみで構成されていたために思いのほか軍紀も守られており、遅れながらもその才能を開花させたルカの実力が推し量れた。その様子を見て感嘆の様子を示したフリードに、ラケルは複雑な表情を隠せずにいる。ふと二人は陣所の中にある広間に出たところで足を止めた。目の前にルカが弓を構えて待っていたのだ。ラケルにとって最も長い夜が始まろうとしていた・・・。

 「姉さん、どうしてここに来たのだ。」
当たり障りの言葉をつむいているのだが、その口調にはどこか殺気がはらんでいる。すぐに彼女を守るようにアイオテの盾を前に出してフリードが前進する。
「ルカ様こそ何ゆえこのような暴挙に出られた。ラケル様がどれだけ傷ついたのかお分かりか!」
最初は穏便な口調なフリードもさすがに棘が入り始める。だがルカはすぐに核心を突いた。
「フリード殿もユングヴィ家の実情を知っておられるでしょう。今のままではいけないのです、姉が人を裁けないようでは。」
ルカの言うことはすぐに分かった。
 先の大戦においてラケルは人を一人も殺さなかったのは知らないものはいない。類稀なる弓の名手であるにも関わらず、その才を活かしきれなかったのは彼女の性格によった。優しすぎるのだ。もっともそんなラケルを5年前は賞賛するものはあれ、非難するものはいなかったのだが、セーナによってユングヴィ家を任せられることによってその性格が統治に支障を出し始めてきた。優しすぎるラケルは役人の不正にも検挙までは積極的に行っていたのだが、実際に懲罰を与える時になると必死の演技をして罪を免れようとする役人たちを厳罰に処することができずにいた。やがてラケルは厳罰を与えないと言う事実が広まるや否や、ユングヴィ家領内で不正が横行して内政どころではない状況に陥って、それを憂えたルカと、ヴェスティアから内政の支援に派遣されていたフリードが見せしめとして数人の役人を斬刑としたことでどうにか領内は落ち着きを見せるようになった経緯があったのだ。
 「だから私は姉さんを除いて、ユングヴィ家を治める。その方が民のためになるんだ。」
ルカの言葉を聞いて愕然としたラケルは唇を震わした。そしてフリードは完全に頭に血が上ってしまっている。
「何を言われる。姉を押しのけて、主君の恩を返せない人間に民を幸せにできるわけがない!」
だがそう言った瞬間、フリードの頬をルカの放った矢がかすった。
「・・・もう何を言っても無駄だよ。もう後には引き返せないんだ。フリード殿、あなたが立ちはだかるのなら容赦はしません。」
5年前はセーナの前でオロオロしていたルカが、今フリードの前で修羅の瞳を宿している。一時は気迫に呑まれそうになったフリードは思いもかけぬ手段に出た。マケドニアの国宝アイオテの盾を放り投げて、丸腰となってルカに対して仁王立ちをしたのだ。
「ラケル様を射抜くのならこの私を射抜いてからにしろ。」
ルカへの説得ももう無駄だとあきらめたのだろう。すでにその瞳には死を宿しつつあった。フリードの決死の覚悟を前に、ルカは瞳を濡らして弓の弦を引き絞った。
(さよなら、姉さん。)
 そして胸に矢を突き刺したフリードが崩れた。刹那、フリードの背後から光の矢が放たれ、ルカの胸を貫通した。ラケルの愛弓イチイバルは初めて人の急所を狙いを違わずに貫き、そしてルカを数メートルも吹き飛ばした。すぐにラケルはフリードのもとに駆けつけたが、わずかに急所を外していたのか致命傷には至っていない。この瞬間、ラケルもルカの真意を悟った。倒れながらフリードもルカの深謀に気付いたようで胸を押さえながらも弟のもとに行くようにラケルを促した。頷いたラケルは周囲で呆然としているユングヴィ家の将兵にフリードの介抱を頼み、自身は『己のために散った』ルカの元に駆けていった。
 ルカはもとよりラケルを押しのけてまで生きて行こうとは思っていなかった。どうにかして優しすぎるラケルの性格を直そうとユングヴィ城時代に何度も試みていたのだが、結局のところどれも上手くいかなかった。ならば己の命を賭けてでも姉を変えようと思い至り、今回のシグルド2世の挙兵を利用させてもらったのだ。もちろんこの深謀はこちらの総大将シグルド2世も理解している。
 久しぶりに抱き上げたルカはいつのまにかかなり重くなっていた。胸を討ち抜かれながらもまだルカは辛うじて息を持っている。
「やっぱり姉さんの弓は凄いよ。」
ルカの偽らざる感想であった。その言葉を聞いてラケルは必死に励ました。
「ルカ、しっかりして、私はもう躊躇わない。だからあなたも生き抜いて。」
そう言ってもルカがもたないのは矢を放ったラケルこそが理解していた。ルカを討ったときの手ごたえが抜群過ぎていたのだ。それを裏付けるかのようにルカの息が絶え絶えになってきた。そして
「姉さん・・・セーナ様のようにとは言わないけど・・・強く生きて・・・・・・・。」
これがルカの最期の別れの言葉となった・・・。

 ルカの死はその光景を見つめていたグリューゲル諜報衆を通じてすぐにセーナに伝えられた。5年前の戦いではアーチで自身を手助けしてくれただけに彼女も複雑な思いを抱いたらしい。ルカの死後、ラケルはユングヴィ軍に留まって掌握に務め、セーナ、シグルド2世両軍の許可を得てヴェスティアから離脱した。
 一方、ラケルに付き合うことになったフリードもルカの今生の一撃を受けて、命こそ助かったものの思いのほか傷が深く、まもなく行われるであろう決戦には大事を考えてセーナから休養に出されることになった。しかし必死に食い下がるフリードに、ならばとセーナはラケルの支援をしてユングヴィ家の建て直しを助けるべく命じた。二人の事情はともあれ、表では姉弟がぶつかって分裂したままのユングヴィ家である。現在のユングヴィ領はヴェスティアに近いこともあって臨時宰相フィーリアの手も入れずに荒れるに任せていた。生まれ変わったラケルであっても建て直しには時間がかかるはずである。それを前の縁もあってフリードに支援させようというのは絶妙な妙手であった。しかもこの際にセーナ・シグルド2世両陣営の将の子供たちを戦に巻き込まれないようにユングヴィに避難させようともしたのだ。もちろんセーナの子供たちやシグルドの長女レナも含まれる。こうなると大陸の命運をかける戦に出られないのは不満だが、ユグドラルの未来を担う子供も任されるとフリードも否とは言えずに、セーナの言葉に従うことにした。
 なおフリードが借り受けていたアイオテの盾だが、その後は決戦でも用いられずにマケドニア家に返却された。その際にフリード、ラケル、ルカの真実の物語も別のルートでマケドニアに伝わったために、ユングヴィ家の内乱を必死で抑えようとしたフリードを侠気の騎士として称える声が国内で相次いだと言う。一部ではマケドニア建国の祖・英雄アイオテや、暗黒戦争の雄ミシェイルの再来と見るものさえいたらしい。こうしてリーベリアの一公国ソフィアから生まれた騎士フリードはユグドラル有数の騎士としてだけでなく、遠くアカネイア大陸にまでその名を広まるまでになった。

 もうすぐユグドラルで最も長い一日が開幕する。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 22:21