時は少しばかり遡る。ナディアの侵攻から何とかシレジアを守りきったライトはセーナとシグルド2世がまとめた停戦にしたがって、兵の再編成を行っていた。この頃のライトは昔に比べても口数が減ってきて寡黙になりつつあったが、アイリスを失い、セイラも重傷を受けていたためにこの再編成作業は自身が行わなくてはならず多忙を極めていた。ライトと共にテルシアスを作るために訓練してきた将兵たちも加わって、駐留するリューベック城は喧騒に満ちつつある。そんなリューベック城に杖をつきながらセイラが入城してきた。それを見つけたテルシアス隊長のライが驚いて、駆け寄ってきた。
「セイラ様、お体に障りますので、どうか休んでいてください。」
見ていても痛々しい姿なのに、セイラの気丈な姿を見ると更に放ってはおけなくなる。だがセイラはライに向かって微笑むも、歩みを止めようとはしなかった。
 リューベック城の中庭ではライトと叔母のフィーがヴェスティアへ向かうための打ち合わせをしていた。もう油の乗り切った年齢ともいえるフィーだが、彼女自身は死ぬまで戦い続けるつもりでいる。夫アーサーもそのことは苦笑しながらも認めざるを得ないのか、妻のやりたいようにさせている。そんなフィーとライトのもとにセイラが来たのだから、さすがの二人も驚いた。
「セイラ、体はもういいの?」
母の問いかけにセイラはすぐに頷く。彼女もまた、今のライトのように寡黙なのだ。だがその瞳には
『どうか、私をヴェスティアに連れて行ってください。』
と必死で懇願しているのが、見て取れる。ライトもフィーもそれを察しているのだが、どう見ても戦に出れる体ではないのは明らかだ。
「セイラ、気持ちは嬉しいが・・・」
やんわりと否定しようとするライトの言葉をセイラが遮った。
「私はライト様の傍を離れたくはありません。」
断固たる口調にライトも言葉を継げずにいる。
 セイラとて天馬騎士としての能力は水準よりは上である。しかし母フィー、姉レイラの能力が彼女を大きく凌駕しているのは彼女自身がよく知っている。だからこそ彼女はライトへの忠義を一にして生きてきた。そしてライトもまたその忠義に応えて、早くして天馬騎士団隊長の一人に任命した。それからしばらくしてレイラがヴェスティアに仕えることとなり、またアイリスが先の戦いで没したことで、セイラはよりライトへの忠義を新たにしていた。いや忠義、というよりは人柱と言ったほうが今のセイラをよく表していると言えるだろう。
 必死にライトと彼女についてきたライが説得するものの、セイラは頑として言うことを聞かない。その頑固さにフィーは微笑して、ついに折れた。
「わかったわ、私がシレジアに残って、全てを見守ることにするわ。」
生涯戦い抜くと宣言していたフィーが娘の頑固さに折れたことはライトやライでもどうしようもないことを示していた。仕方なく、無理をしない、という条件でセイラとその配下の天馬騎士団のヴェスティア入りが決まった。

 そのセイラの眼下ではテルシアスとクロスナイツの壮絶な攻防が始まっていた。ライ率いる鉄騎兵たちは重厚な斧槍ハルバートによる攻撃を持ってクロスナイツの攻撃をはじき返して、世界随一の衝突力を持つクロスナイツと対等に戦っていた。
 もともとこのヴェスティア西部の戦いでは多くのものはこのクロスナイツとテルシアスによる文字通り、『剣』と『盾』の攻防が主であり、セイラ率いる天馬騎士団にはまだ何の役割も与えられていない。それはライトが親友エルトシャン2世との一対一での勝負を望んでいたことの裏返しでもある。それを知らないセイラではなかったが、やはりもどかしさがないわけではなかった。
 エルトシャンとライト。この二人の交流は意外なほどに深い。まだエルトシャンが今の名前を名乗っていない幼少時からライトとは共に人生を歩んできていたのだ。もちろんセーナも絡んでいたのは言うまでも無く、グーイとの剣の修行の成果をエルトにぶつけていたこともある。一方、ライトとエルトは幼少時は悪口を叩き合った悪友と言ったほうが正確で、セーナの取り合いをしていたこともあった。またセーナやレイラらユグドラルが誇る美女がライトの周りに多いことからエルトは彼のことを『色男』とくさしていたこともある。
 「色男もなかなかやるじゃないか。」
テルシアスを攻めあぐねているにも関わらず、エルトシャンの表情はどこか朗らかである。その点ではもうこの頃には危機に陥っているキュアン2世のものとあまり違いはないのだろう。傍らで必死に采配を振るうマックスも額の汗を拭い、エルトに対応した。
「あの方陣、なかなか厄介です。」
陣そのものはマックスもエルトシャンもすぐ抜けるとは思っているが、そのテルシアスが思いもよらぬ動きを見せているために攻めが甘くなっていた。というのはテルシアスが時計回りに回転しながら戦闘しているのだ。ナディアの時は前方と後方を入れ替えて戦っていたのだが、今回は陣全体が回っているのでクロスナイツの攻撃も一点に集中できない。一点を穿こうとすると彼らに並行して円軌道を描くこととなり、背後に回ると影に隠れているセイラ隊とテルシアスに挟撃されるという危険を孕んでいる。
「マックス、こういうのはどうだ?」
マックスの耳を借りたエルトは何事かを彼に打ち明けた。すぐにマックスが反対した。
「そのような危険なことを・・・。」
「構わん。どうせ捨てる命だ、やるならテルシアスを破って華々しく散ってやる。」
そう言って魔剣ミストルティンを抜き放って、総突撃を命じようとしたとき、
「お待ちください。その役目は私にお任せ願います。若様は私がテルシアスを止めましたら、そのまま敵陣に斬り込まれるといいでしょう。」
テルシアスを止めるのも敵陣に斬りこむのも、どちらの役目も決死の行動であるが、親友ライトとの一太刀を浴びせるのはアレスの役目だとマックスは言っているのだ。もちろんそこにはマックスなりの好意が込められており、エルトも笑顔でこれに応えた。
「すまないな。」
マックスもいい笑顔で応じる。
「では天上で。」
この主従にもはや会話は必要なかった。

 マックスの決死の突撃は、凄まじい勢いを持っていた。今までは攻めれば弾かれる有様だったのだが、マックスはついにそのテルシアスに一つの楔を打ち込んだ。マックス率いるクロスナイツはテルシアスの回転を止めるべく、重石となって文字通り死闘を演じた。すると堰き止められたテルシアスの後方で、流れ込んでくる後続の部隊が合流してきて大混乱の様相を呈してきた。今まで流れよく戦ってきただけに、一度止められるとテルシアスも無残であった。そこに意気を決してエルトシャンの精鋭が突っ込んできた。
 ミストルティンを駆るエルトシャンの働きは凄まじく、斧槍ハルバートを振り回す鉄騎兵を鎧ごと次々と断ち切っていた。獅子エルトシャンの死闘は配下を奮い立たせ、鉄騎兵たちを恐れさせた。ただでさえ混乱しているだけに、クロスナイツは次々と鉄騎兵を突破してライト率いるシレジア軍本陣に攻めかかる。流れを取り戻そうと最前部の鉄騎兵と決死の攻防を繰り広げているマックスはエルトたちが本陣に向かったことを認めて、一気にテルシアスの人の波に斬り込んだ。マックスの愛剣、銀の大剣はエルトシャンのミストルティンほどの威力は持たないが、それでも的確な斬撃で前を行く鉄騎兵を次々と屠っていく。すると必死に体勢を立て直そうと采配振るうライがマックスの目に入った。
「お前がこのテルシアスの主か?」
問われたライはマックスの姿を見て、こくりと頷いた。
「良き敵に巡り合えた。我が名はクロスナイツ隊長マックス、いざ一騎討ちを。」
ライにしてもここでマックスを討ち取れば、一気に混乱を沈められると悟っているために否やはなかった。
「おう!!」
と応えて、マックスの剣とライのハルバートが交差する。馬上から繰り出す銀の大剣はライの鎧を襲うが、さすがにテルシアス隊長の鎧だけあって銀の大剣でも傷を付けるのがやっとという有様である。対するライのハルバートは颯爽と動き回るマックスによって次々と交わされ、互いに決定打がないまま時間だけが過ぎていく。マックスは時はかかればかかるほどエルトに対して有利に働くことになり、一刻も早くテルシアスを立て直したいライは少しずつ焦っていき、その精神的な差がじわりと出てきた。そしてもともと重い鎧を着て、更にこちらも下手の斧よりも重いハルバートを振り回していれば、自然とライの体力も限界が近づいてきた。
(こうなれば一発に賭けるか。)
焦るライはあえて隙を見せてマックスを誘った。そしてマックスは戦っていきながら次第に有利になっていくことを感じたために余裕を持ち始めていたのか、ライが敢えて見せた隙に乗ってしまった。銀の大剣はライの鎧のわずかな隙を捉えていたのだが、すぐにライはその太い腕でマックスの銀の大剣を捕まえていた。もちろんライの鎧の隙間など致命傷になりうるものではなく、マックスの斬撃もさほど深くはない。まだライの余力からすれば十分銀の大剣を受け止められたのだ。そしてライは驚くべきことに片手でハルバートを振り上げた。この瞬間、マックスはライの真意を見抜いたが、その時は余りにも遅かった。
 マックスの身を犠牲にしながら、エルトシャンはテルシアスを突破して一気にライト率いるシレジア本隊に斬りこもうとしていた。しかしライトとてテルシアスを破られた時の対策は抜かりない。エルトが突破してきたのを見たライトは冷静に命じた。
「ウインドを放て!!」
シレジアといえば天馬騎士と風魔道士である。その一翼、ライト本陣に詰めていた風魔道士たちが一斉にウインドを放ったのだ。この暴風によってクロスナイツは数騎吹き飛ばされたが、怯むことなく突撃を止めようとはしない。そしてウインドの3斉写を耐え切ったクロスナイツはついにライト率いるシレジア本陣に突入した。ここは風魔道士ばかりだけあって、接近戦のプロ・鉄騎兵を打ち破ったばかりのエルトからすればやはり脆かった。当たるを幸いにエルトは目の前の風魔道士を次々と屠っていき、ようやく時の皇帝にして、エルトにしてみれば色男と呼ぶライトの姿が見えた。
「よぉ、色男。こんな形で戦うとは思ってもみなかったが、いざ!!」
ミストルティンを上段に構えて、即座にライトに向かって振り下ろす。しかしライトとて今回は剣を持っていた。ガキンという音でアレスの斬撃を受け止めたライトはすぐにミストルティンをなぎ払って、再び間を空けた。彼が持っていたのは『悲哀の剣』シュヴァルツバルトである。
「よせ、エルト。俺はお前を斬りたくはない。」
その言葉どおり、先ほどただミストルティンをなぎ払わずにエルトを狙っていればあっさり決着が着いていたのにライトはそれをしなかった。そして間合いを空けたのもエルトとの戦いを避けようとしたものなのは言うまでもない。
「お前はいつもそうだ。物の取り合いになればいつも俺に譲ってた。それでも皇帝か?」
(もっともセーナに関しては別だったがな)
内心で無粋なことを考えていたエルトだが、ライトは冷静に返す。
「当たり前だ。俺はお前に腕でも口でも勝つことはできないからな。俺は負ける戦いはしたくない」
謹厳な口調で情けない言葉を話すライトに、ついにエルトが吹き出した。
「それは違いない。だがここは戦場だ。同じ場に立てば剣を交えなければならないことはお前が一番知っているだろう。」
「騎士の宿命か。」
呟いたライトは再びシュヴァルツバルトを構えた。その瞳にはある覚悟が宿っていた。
「いいツラだ。色男と呼ばれるだけあるな。」
悪態をついたエルトが再び獅子の顔に戻った。そして機先を制して、一気に間合いを詰めて斬りかかった。が、ライトは何も抵抗する素振りを見せない。
(どういうつもりだっ!)
エルトが心で叫ぶももはや攻撃は止まらない。だが親友の瞳を見ると、それが物語っていた。
(やはり俺にはお前を斬れない。)
そしてミストルティンがライトを一刀両断にする刹那・・・。
 「ライト様ッ!!!」
その絶叫と共に白き翼がエルトシャンを貫いた。急を聞いて駆けつけてきたセイラが己の力を振り絞った一撃をエルトシャンへ放っていたのだ。そしてセイラの槍は見事にエルトシャンの心臓を狙い過たずに突き刺していた。何が起きたのか分からないライトだが、
「陛下、大事ありませんか?」
と問いかけるセイラの言葉でようやく我に返った。
「セイラか・・・。」
己は死のうとしていたのだが、忠臣セイラの決死行で生かされ、己の命を断ち切ろうとしたエルトが今死の瀬戸際に立たされている。
「これで・・・いいんだ・・・。」
セイラの槍を強引に引き抜いたエルトがライトに静かに言う。
「お前が・・・セーナを幸せにするんだ・・・。いいか・・・、今度・・・今のような醜態を見せたら・・・天上から舞い戻って・・・今度こそ本気で・・・叩き切ってやるからな・・・。」
懸命に言葉を紡ぐエルトだが、やがて崩れるように落馬した。胸からは夥しい出血が止まらずに、もはや命はそう長くないだろう。
「ライト様・・・何か言葉を送られないのですか?」
何も喋らないライトに哀しい瞳を向けるセイラ。だがライトは何も言わない、目の前でずっと勝てないと思っていたエルトが果てようとしているのに、言えなかった。
「ふふ・・お前らしいな・・・・・・・・」
それがエルトの最期の言葉だった。セイラが憐憫の情を示して、これ以上、苦しまないように止めを刺したのだ。
 好漢エルトシャン2世、その魂が蒼穹に飛んだ瞬間だった。

 なぜライトはエルトに斬られようとしたのか。それはライトとエルト、セーナの複雑な関係による。セーナとライトは共にセティの下で育てられたのは周知の通りだが、すでにライトは幼少時からセーナに対して恋慕の情を抱いていた。しかも物心がつく少し前からである。しかし対するセーナはエルトに一目惚れしていた。セーナと過ごす時期が多いだけにライトは容易にその思いを悟ることができ、幾度かは本気でセーナを諦めようと思ったこともあった。だが、ある時を境に二人の関係が改まる時が来る。エルトの結婚である。これを知らされたセーナは人前ではエルトを祝福していたのだが、その夜、大泣きしていたことを偶然ライトは知った。これ以降、セーナがアグストリアに行く頻度はガクンと減りながらもあくまで『親友』として健気にエルトと接してきた。それを傍らでずっと見てきたライトは心を痛めていた。
 やがてセーナもライトと結婚したが、もともとシグルド、セリスと多くの恋をしてきた一族の一人であるセーナはどうしてもエルトへの思慕を止めることはできなかった。5年前の大戦が終わり、ヴェルダンに侵攻したとはいえ中立勢力に属していたエルトにヴェルダンのほぼ全域を与えたことから見ても、エルトへの入れ込みようは半端ではないと言えた。
 だからこそライトは己を消して、エルトとセーナを結ばせようと考えた。それこそが同じシレジアで『兄』として育ったライトに精一杯できることだと信じていたのだ。そのためにヴェスティア宮殿のライトの自室にはセーナのことを頼んだ遺書をエルトに宛ててしたためていたほどなのだ。だが奇しくもエルトの言った『騎士の宿命』に従って戦い続けたライの苦闘、セイラの奮闘によって自身は助かり、セーナのことを託そうとしていたエルトが討たれた。ライトは勝ったとはいえ、その心中に苦いものを残すことになったのは言うまでもない。
 このヴェスティア決戦を機にライトは危惧すべき方向に向かうこととなる・・・。

 

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 22:43