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 一ヶ月前にセーナの生涯で初めて敗北と言う屈辱を味わった南フリージ丘陵の地で、今度は自身がもっとも恐れる相手を前にしていた。その名はナディア、兄シグルド2世の妻であるためにセーナとは義理の姉妹の関係であり、その関係も常に良好なはずだった。しかし今、目の前で対峙している事実は変えようがなく、もはや後戻りできないところまで来たことをセーナは覚悟した。
 シグルド2世、エルトシャン2世、キュアン2世、それぞれの戦死が届きつつ、セーナはまだナディアに仕掛けていない。いや、仕掛けられなかった。常に先手を取って攻め続けたセーナだが、ナディアがこのフリージ丘陵に多数の伏兵を配していることを悟っていたのだ。
「どうか、俺に攻めさせてくれ。」
セーナが開いた軍議で真っ先に吼えたのはボルスである。カイン没後、どことなく様子がおかしかったのだが、この日のボルスは異常に目が血走っている。が、彼の言う策にも一理あった。
「俺がナディアの策の囮になって全てを受け切ってみせる。そうなればセーナ様は丸裸となったナディアを楽に討てるはず。」
要は、敵の策をすべて使わそうという単純明快な策である。が、それ以上にリスクは大きい。相手がナディアだけに、一度前に出て行けば、その先鋒が無事に帰ってくる保証はほとんどない。それをボルスが献策して、自身がその囮に名乗り出たのだが、セーナは乗り気ではない。
「もうちょっと待って、ボルス。もっと良い策があるはずだから、皆で考えましょ。」
彼女はもうこれ以上、血を流すことは望んでいない。ボルスの策を受け入れれば、彼を生贄に捧げることを意味する。そこまでして勝利した先に、セーナが目指す『光』があるとは思えないでいる。しかし相手がナディアになると、他の良策が出るわけもなく、結局この夜の軍議は鳩首会談のまま終わってしまった。
 その翌早朝、セーナ軍の一角が何やらざわめいていた。何事かとゲインが陣の中を回っていると、何とボルス隊が着々と戦闘態勢に入っていたのだ。慌てて、ボルスの元に駆けつけて見付けるや否や、珍しく怒鳴った。
「ボルス様、これは一体どういう事ですか!!?」
するとボルスは悪びれる風もなく
「このままナディアのところに突っ込んでくるのだ。」
と返してきた。ある意味では開き直っているととも取れる態度に、さすがのゲインも頭に血が上ったが、済んでのところで抑えることができた。
「セーナ様のご命令ですか?」
そう言われるとさすがのボルスもバツが悪そうにする。
「命令は・・・ない。俺の独断だ。」
「ではセーナ様の待機命令を無視するということですな。」
「仕方ない、これしか手はないのだ。他に良い案が出れば俺も黙ってるが、相手はあのナディアだ。あの女を負かすにはこちらもそれ相応の犠牲を払わねばならないのは、お前が一番知っているだろう。」
6年前のイード戦役でナディアの軍略を借りたことのあるゲインも心の中で頷いた。だが、だからと言って首を縦に振るわけにはいかない。
「セーナ様の命令を守らず、結束を乱しても勝てるというのですか?」
だがボルスは思いもかけない言葉を返した。
「ゲイン、お前はよく俺にも接してくれるから分からないかもしれないが、すでにグリューゲルは二つに割れているのだ。グーイや俺のように過去に負い目を持つもの、ミカやお前のように何の問題もなくセーナを支えてきた者たちの二つにな。」
グーイは5年前の大戦時にシグルド2世に軟禁されたことを未だに思い出すことがあり、ボルスもその大戦時にエバンス決戦時にセーナの制止命令を聞かずに最後まで撫で斬りした経緯があった。
「し、しかしグーイ様の件に関してもボルス様に関しても、セーナ様は不問に付されたではありませんか。」
「確かに許された・・・。しかし簡単に許されたからこそ我らはセーナ様に報いなければならないのだ。」
ボルスの言いたいことはわかった。何の支障もなくセーナに仕えてきたゲインには言い返す言葉を持たなかったが、聞いた内容によると更に深刻な事態になりつつあることにゲインは気付きつつあった。
「そういえば、今グーイ様と仰られましたが、まさかグーイ様までも?!」
聞いたゲインは、言ってしまったという顔をしているボルスの表情ですぐに答えを導いた。こうなれば全てを話すしかないと悟ったボルスは今回の作戦の概要を綴った。それはセーナをも欺く、命を盾にした決死の大策戦であった。

 ゲインの制止を振り切って飛び出したボルス隊だが、やはりナディアの伏兵陣が飛び出してきた。ナディアもセーナも主に伏兵を用いて敵の指揮系統を寸断させて、一気に殲滅させる手段をよく取ってきた。二人の戦術を知るボルスの手の内だった。即座に左右の丘からシャルとグーイの部隊が突如、湧き出て、ボルスに襲い掛かろうとする伏兵を奇襲する。しかしナディアの伏兵はこんなもので収まるはずがなかった。彼らの後方から更なる伏兵が現われて、シャル、グーイの手勢に襲い掛かる。セーナ方にも他に伏兵が配されていたのだが、元々彼らの行動が独断のものだったために時を合わせられず孤独な戦いを強いられることになる。なおグーイだけでなく、シャルも起ったのはセーナの母ユリアの死に起因する。ヴェルダン方面の諜報をクロノス諜報衆が担当していたのはすでに触れたが、その差配をしていたのがシャルであり、また強引にユリアを精霊の森から離脱させられなかったことを悔いており、ボルスたちの暴走策略に乗ったのだ。だがシャルもグーイの手勢も周囲を囲まれて薄皮を剥がすようにその数を減らしていった。
 東側の丘で奮闘していたグーイ隊はやがて力尽き、風に流れてグーイを討った声が西の丘で奮闘しているシャルの耳にも届いた。この頃には急を察したセーナが合戦開始の合図となるライトニングを打ち上げたために他で伏せていた奇襲部隊も立ち上がって、まだ苦闘を続けるシャル隊を救おうと駆けつけつつある。しかしもともと魔道士主体の部隊で、接近戦では無類の強さを発揮するグーイ隊が壊滅するまで持ったのが精一杯であった。すでにシャル隊は奥深く切り込まれており、すでに立て直しは不可能であった。そしてその時が来た。必死に采配を振るうシャルに後方からなかなか身分ありそうな剣士が斬りつけて来た。すでに疲労困憊しているシャルに避ける術はなく、その斬撃をまともに喰らってしまった。だが十勇者の意地を見せたシャルは胸を貫かれながら、必死に闇魔法を放ってその剣士と相打ちにしただけでも凄まじいと言えた。その剣士の名はアラニス、何とナディアの筆頭重臣が南フリージ丘陵の片隅で牙を研いでいたのだ。その姿を朦朧とする意識のなかで認めたシャルは満足気に倒れた。
(ブラミモンドよ、セーナ様によく仕えるのだぞ。)
愛する息子に全てを委ねて、シャルは終わりのない旅路へと立った。
 グーイ、シャルの死もあったが、ボルスの攻撃は彼らのおかげで何とかナディア本陣に到達した。しかし奇襲部隊も徹底してボルス隊を追撃していたために、ボルスの攻撃はどうしても前に集中しない。ならばとボルスが危険を承知で前に向かっていった。彼の登場は前線で奮戦するボルス隊の勇者たちを奮い立たせた。グリューゲルの中でも主と違って老練な戦ができるボルス隊もこの日ばかり狂わんばかりに斧を振り回し、ナディア軍の剣を空に舞わせる。すると、俄かにナディア軍の前線が崩れた。これに光を見出したボルスは更なる突撃を命じて、将兵たちを前へ前へと導く。もはや勢いのついたボルス隊は当たるを幸いに他を蹴散らしていく。ナディア本陣もようやく視界に捉えつつあり、勝利はすぐそこに見えてきている。だがナディアは人の心理をも巧みに突いてくる、勝ったと思った瞬間がもっとも油断する時であることを。
 あと少しで本陣に突けると確信したボルスは両脇腹を突かれる錯覚を受けた。その直後だった、最後の伏兵がボルス隊に襲い掛かったのは。どこに潜んでいたのか、3百もの兵がボルス隊を横撃してきたのだ。3百といえば大した数には思わないかもしれないが、ボルス隊はわずか50である。しかもナディア陣に深く切り込む過程で、多少の損害を受けたことを考えればこの横撃は致命的だった。ついでにこの3百の伏兵はナディア陣に斬り込んだときにボルスが蹴散らした兵であり、彼の猛威によって下がったと思われたのは誤りであった。もともとはこの瞬間をねらっていたのだ。
 「さすがはナディア王女だ。」
ボルスは感嘆して、あっさりと勝負を諦めた。だからと言って斧を捨てるわけにも行かなかった。後を追ってくるセーナのために自身は出来るだけナディアの全てを曝け出さねばならない。だがナディア本陣からも兵が出てきたということはもはや策が尽きた証である。ボルスのやるべきことは終わった。
「さて、天上でカインに、どやされて来るか。」
その表情はついぞ見たことのない穏やかな笑みであった。そこに神速剣士団が自慢の剣を振るう・・・。

 ようやくボルス隊を壊滅させたナディアは予想外の展開に驚いていた。ボルス隊の強襲に、セーナ軍が拙攻に攻めてきたのかと勘違いして全ての手を打ってしまっていたのだ。気付いた時にはボルス隊を下したのはいいのだが、間もなく左右の伏兵をも壊滅させたセーナ軍本隊が奔流のごとき流れでナディア軍を押し流す。もともと神速剣士団とグリューゲルは同じ精鋭でも層の厚さでも戦力の豊富さでもグリューゲルに分があり、ナディアの知略がなくなった今、ナディア軍に為す術はなかった。
「ここまでね・・・」
呟くナディアは後ろにいる女性に頷いた。
 セーナも必死だった。ボルス、グーイ、シャル、その誰か一人でも救うべく、懸命に兵をやり繰りして知略縦横のナディアを前にして3方に兵を分散する禁忌をも犯したほどだった。しかしそんな彼女の努力もなく、3人はカインの後を次々と追い、悲報がセーナの耳に届けられる。その度に耳を覆いたくなるセーナだが、そんな暇などない。とにかくセーナにできるのは一刻も早く戦を終わらせることである。だがその瞬間は思いのほか早く訪れた。
 セーナが前方のナディア軍を蹴散らして本陣に乗り込もうとしたところ、急にナディア軍の抵抗が止んだ。訝しむセーナだが、その理由はすぐにわかった。
「セーナ様、この通り、ナディア様は今回の大戦の責を取って、自ら命を絶たれました。どうか、イザーク軍の降伏をお許しください。」
そう叫んだのはシグルド軍にいるはずのアリシアであった。シグルドの死こそ伝わっているが、アリシアが彼の軍にいなかったことをセーナはまだ知らなかったのだ。彼女が抱えているのはすでに魂の抜けたナディアの物言わぬ体である。すぐに馬から下りたセーナはアリシアからナディアの遺体を受け取ると、一気に泣き崩れた。
「私の愚かな理想のために、どうしてこんなに血を流さないといけないの!!」
全ては8年前のあの会食から、今の悲劇の連鎖に繋がっていた。真の両親、初恋の人、忠烈の臣、心強かった兄、そして共に実力を認め合った義姉、彼らの死はセーナにとって痛恨の出来事ばかりである。しかしセーナには何も出来ず、ただ時の流れの中でもがくことしかできなかった。

 南フリージ丘陵の戦いは終わった。一時は主シグルド、ナディア夫妻に従って殉死すると言ったアリシアだが、セーナの心からの訴えでどうにか思いとどまってくれた。しかしやはりセーナの心は重くなるばかりで、どうにもヴェスティアへ戻る気が起きない。すると、思いもよらぬ使者がセーナの元に駆けつけてきた。彼女の心情を慮ってミカが代わりに応じて、その使者の持ってきた書状を読むと渋い顔をしてセーナに差し出した。己の分ではどうしようもない内容だったのだ。それは今は亡きエルトシャン、今生の願いであった。
『グリューゲルとの決着を付けたい』
クロスナイツとグリューゲル、互いに大陸最強、いや世界最強の名を賭けてそれぞれ鍛えてきた両者であるのはもはや言うまでもないだろう。そしてエルトシャンは死してなお、その決着を付けたいと思っているのだ。ミカはセーナに指示を委ねるしかない。項垂れながらセーナは一つの結論を出してミカに命じた。
「アベルにグリューゲルをまとめさせて、エルトの言うとおりにしましょう。だけど・・・私はもう行きたくはない。」
気丈で戦好きが取り柄のセーナもさすがに落ち込んでおり、これ以上戦いを続けたくないのだろう。その心痛がわかるミカも頷いて、先ほどの使者と事の仔細を告げて、自身はアベルにグリューゲルの立て直しとヴェスティアへの進撃を依頼して、セーナをしばらく見守ることになった。

 ヴェスティア決戦も峠を越えたが、最後に意地と意地が壮烈にぶつかり合う。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 22:45