ヴェスティア決戦は終わった。文字通り、心身ともに疲労困憊のセーナは宮殿へ戻る途上で、二つの凶報を城を飛び出してきたセイラから伝えられた。一つはライトとセネトの衝突である。ライトの言動に激したセネトが軍勢をまとめてアグストリア方面に退散してしまったことは既に触れたが、まだ戦の終わらないセーナには伝えられていなかったのだ。レイラから伝言を頼まれたセイラは洩れなく伝えた結果、セーナの表情は思わず苦いものになった。ただしこの件に関してはリュナンが壊れつつある二カ国の間を取り持ってくれるように図ってくれるとのことなので、とにかくリュナンに任せることにした。そしてもう一つの凶報にはセーナもさすがに驚くことに。バーハラ貴族が大量の傭兵を雇い、このヴェスティアに乱入を企んでいたが、これがバーハラを治めるアゼル・アーサー親子の耳に及んで、ヴェルトマー平原にて一大合戦に及んでいた。そしてその結果、貴族軍を打ち払うことに成功したものの、この戦いで新バーハラ家の当主アゼルが討ち死にしたという。セーナはセイラに詳細を迫った。
それは三日前のことである。まだヴェスティアの決戦も行われていない頃に、既にバーハラは騒がしくなっていた。貴族衆がユグドラル中の傭兵を集めて、ヴェスティア決戦に乱入すべく30万もの大軍を集めていた。バーハラを治めるアゼルは事前にこのことを察知していたのだが、別の深謀が働いており手勢が減っていたことや、またあまりにも貴族衆の手際が良かったために最後まで彼らの挙兵を止めることは出来なかった。バーハラ城で彼らの愚挙を知ったアゼル・アーサー親子は急遽対応を練ることにした。
「やつらは南へ行くのか?西へ行くのか?」
南へ回ればヴェスティアそのものを狙う意味であり、西へ回ればナディアとセーナを狙うこととなる。その重要な問いに諜報衆の一人は
「どうやら西に回るそうです。」
と答えた。そのあたりは抜かりはない、何しろ彼らが養っている諜報衆はかつてはユグドラル随一と呼ばれた諜報衆ガーディアンなのである。旧グランベル帝国から旧新生グランベル帝国と世が変わっても大陸随一となっていたガーディアンはセーナが自身の諜報衆を養ったことで出番が薄くなっていたが、それをアゼル・アーサー親子が用いていた。
「ならばヴェルトマー平原で迎撃が可能だな。フリージとヴェルトマーに遣いを出して、兵を出してもらうように頼み込め。」
アゼルは冷静に頭脳を回転させ、諜報衆をフル稼働させてヴェルトマー平原にてフリージ、バーハラ、ヴェルトマー三家による挟撃作戦を考え付いた。この三家は国がシレジアとヴェスティアで分かれてはいるが、同じ一族がまとめているだけあって結束は強い。諜報衆が飛び出て、アゼルとアーサーは協議を重ねる。
「アーサー、お前が『あの方』の元に行って来い。」
アゼルに対して『あの方』と呼べるものは非常に限られてくる。が、アーサーはその人物が苦手なようなのか、俄かに拒絶した。
「親父に貴族衆ごときに手を煩わせる要もなし。ここは私とルゼルに任せてくれ。」
ルゼルとはアーサーの長男で、レイラ、セイラの弟にあたる。アーサー自身がミカに頼み込んで、魔道などの師事をしてもらったこともあって、その関係でセーナとも非常に親しい関係である。ヴェルトマー、フリージ、シレジアと三家の血が入り混じったルゼルは天才肌として知られ、後にセーナからも「百万の軍勢を任せてみたい」と言わしめた逸材となる。また後年には師匠ミカから彼女の長男アトスの指南を頼まれ、『大賢者を育てた大賢者』として世界にも知られることになるが、今の彼はまだ16歳で成人したばかりで純粋無垢な魔道士である。
「いや、お前を侮っているわけではない。貴族衆と言えども今回は何か動きが違う。おそらく裏で何かが蠢いていると言ってもいいだろう。私はその目で真実を見抜かねばならないのだ。」
一時は颯爽とした魔道士アゼルもすでに老境の域をすでに超えている。おそらくこれが最後の戦いだと感じているのだろう。その気迫は油の乗り切ったアーサーですら呑まれるほどだった。
「わかりました。」
アーサーは頷いた。
「我侭を言ってすまないな。私が『彼女』への書状をしたためるから、その間にルゼルに戦のことを話しておいてやってくれ。」
数時間後、アゼルは孫ルゼル共に30万の兵と共に出撃した。一時は100万も動員できるバーハラであったが、その勢威はすでになく60万までに落ちていた。既に残りの30万は別のところへ派遣されていたために、貴族軍と同程度の数になった。また主将アゼルは軍の前方にあって、本軍を若いルゼル、バーハラ家の新鋭魔道士グラと心優しきシスター・グリに委ねることになった。グラとグリは双子の魔道士で、ルゼルと同じ年であるが、グラはやんちゃなことこの上ない少年魔道士、グリはその真逆で人前では何事にも礼儀正しいシスターであるが、グラが相手になると恐ろしく口調が雑になる。若干操縦が難しい双子魔道士だが、ルゼルにはぴったりと見たのだろう。そんなバーハラ軍は先鋒は粛々と、中軍は何やらグラが暴れているのかザワザワしながらも、ヴェルトマー平原に侵入した。すでにフリージ軍5万、ヴェルトマー軍20万が貴族軍をガッチリと受け止めて壮絶な戦いを繰り広げていたのである。ここにバーハラ軍30万が入ったことで今までの貴族軍なら空中分解してもおかしくはなかったのだが・・・。
突如、左右の地面が盛り上がったのかと思えば、そこから貴族軍の伏兵がバーハラ軍に襲い掛かってきた。もとよりヴェルトマー平原で戦うことは想定していたかのような手際の良さである。
「いかん、全軍急げ!!」
幸か不幸か、ルゼルらバーハラ中軍はまだ後方にいた。グラとグリが大喧嘩を始めて、進軍が一時滞ったのだ。ルゼルは采配を一閃させて、祖父を救い出すべく馬を進めた。
「見ろ、お前がキィキィ言うから、いけないんだぞ。」
グラは何事にも突っかかってくるグリを責めるが、しっかりとヴェルトマー平原に馬は向けている。
「兄さんがふざけているからいけないのよ。とにかく今はアゼル様をお救いしないと。」
グリも馬に鞭当てて急行する。
だが彼らの急行によって隊列は大きく乱れることになった。もともと戦闘経験は皆無といってもいいルゼル、グラ・グリ兄妹であるからいきなりしっかりやれと言っても無理な話かもしれないが、それにしてもバーハラ中軍は乱れすぎた。この状態で突撃をしても威力などたかがしれていた。アゼルを救う輪はまだまとまってはいない。
この危機的な状況にも関わらず、アゼルはなぜか飄々としていた。むしろこうなることを読んでいたかのようであった。実際にアゼルは心中でこう呟いていた。
(これでシグルド様との約束が果たせる。)
シグルドの約束、それは5年前までにさかのぼる。セーナとマリクとの戦いが終結し、アゼルは公務をアーサーに委ねて、しばらくはシアルフィ城で養生しているシグルドと共にあった。すでに体調を大きく崩していたシグルドを気遣っての配慮の意味もあったが、何よりもアゼルはもう一度、彼と共にありたかったのだ。
それはシグルドの死の2日前。まさに昏睡寸前となるシグルドは『それ』を悟っていたのか、アゼルと二人きりで話し合った。
「どうも私は情けないな。他の多くの者が非業の死を遂げたと言うのに私はベッドの上で安らかに死ぬとは。」
シグルドの言う『他の多くの者』とは40年前に彼と共に戦ったシグルド軍の勇者である。そのほとんどは時代の転機となったバーハラの騙まし討ちの後、賞金首としてその後を追われる羽目となり、その追撃によって多くの勇者が手にかかった。一度は平穏な地に行っても帝国の手が伸びて捕らえられたものも少なくない。アゼルの妻ティルテュもその一人だった。だがアゼルは否定する。
「そんなことはありません。確かに末路は悲惨を極めたものもいますが、シグルド様がおられたからこそ我々は楽しむべき時を楽しめたのです。シグルド様がおられなければ、我らは不遇の時を過ごしながら暗黒教団の陰謀の前に潰されていたはずです。」
シグルド軍に参加した勇者の全てが誰よりも人間らしく生きていた、それはシグルド軍にいた者だからこそ感じられた偽りない気持ちであった。
「ふ、アゼルにそう言われるとどこかこそばゆいな。だが私の夢は叶えられそうにないな。」
「シグルド様の夢?」
そう言われればシグルドの理想は知られていても、夢についてはあまり知られていなかった。
「このようなベッドの上ではなく、戦場で死にたかったということよ。」
思わぬ言葉にアゼルも口を開けなかった。
「もうしばらくは戦いも起こらないだろうし、起きても孫どもが動かしはしないだろう。」
その口調は嬉しいような寂しいような切なさが滲んでいた。するとアゼルは思わぬことを申し出た。
「それならば、この私にシグルド様の夢を託してください。」
驚いて、目を見開いて見つめてくるシグルドにアゼルが続ける。
「今、大戦は終わりましたが、まだ大陸は微妙なバランスのもとに成り立っています。私の読みが正しければ、10年もしないうちに再びユグドラル全土を巻き込む大乱が起こると思ってます。その時に私がシグルド様の夢を追って、戦場で死のうと思います。」
とは言っても、人の命をそう簡単に死に至らしめるわけにはいかない。翻意させようとするシグルドだが、
「私とて老い先短い命ですから。」
と良い笑顔で言われてはどうしようもなかった。結局、シグルドが頷く番となってしまい、アゼルはシグルドの夢を背負うこととなった。
そしてシグルドはベッドの上から天上へと旅立った。
あの日に握ったシグルドの手の感触を思い出して、アゼルは采配を振るっている。さすがに老練なアゼルの采配は緻密で群がる敵を少しも寄せ付けない。が、一筋の矢がアゼル隊の流れをがらりと変える。どこからか打ち込んでくる矢によってアゼルの采配を支えていた中級騎士が次々と討たれていった。これでは緻密な采配を活かせるものがいなくなり、いずれ部隊は混乱に陥ってしまう。窮境を見たアゼルは矢の出所をガーディアンの諜報衆に探らせて、すぐに突き止められた。
「北の方か・・・。」
考え込んだアゼルはすぐに決断した。
「グラ、グリ、そしてルゼルに伝えるんだ、”私への支援は無用、敵本隊を叩け”と。」
そう言い放ち、アゼルは北に馬首を向けて叫んだ。
「行くぞ、後に続く者ために我らは道を開く!!」
アゼル隊の壮絶なる突撃が始まった。
奇襲してきた貴族軍の重囲を一点突破したアゼル隊はヴェルトマー平原東部にある深い森林地帯に侵入した。ガーディアンが調べたとおり、まばらではあるがスナイパーの小部隊が点在していた。馬に騎乗する魔道騎士で構成されているアゼル隊はこういう森林でも小回りが利くことがあって、有利に戦いを進めて、次々と謎のスナイパー部隊を屠っていく。が、ある部隊を攻めているときにアゼル隊の犠牲が急激に増加した。
(遠くから的確に指揮官を討ちぬいた弓の腕、今回の用意周到な挙兵、おそらくここに今回の荒事を企んだものがいるに違いない。)
アゼルは才覚人揃いのシグルド軍の中でも恐ろしく勘の利く者として有名だった。そして40年経ってもアゼルの勘は少しも衰えていなかった。
「ここが山場だ!攻めきれ!」
いつもは大人しいアゼルの裂帛の叫びに魔道騎士たちも気合を奮い起こして、突撃を敢行した。
焦ったのはこのスナイパー部隊をまとめるバスターであった。彼の主はついぞ前にシグルド2世陣に姿を現したネクロスである。今、バスターは主の謀略でバーハラ貴族をまとめあげて今回の挙兵を仕立て上げたのだが、すでにヴェルトマー平原で待ち伏せされたことで最終目標の達成は困難となっていた。ならばとここでバーハラ家の力を少しでも弱めるべく伏せていたのだが、まさかアゼルがここまで突っ込んでくるとは思ってもいなかった。しかもバーハラ中軍はアゼルの言いつけどおりにアゼル隊を見失って路頭に迷っている奇襲軍を強襲しただけでなく、それを打ち破って平原の激戦に身を投じていた。もはやバーハラ家を傷つけるどころか、その対抗勢力が致命傷を負いかねない事態になりつつあった。愕然とするバスターに修羅となったアゼルが迫る。
「馬鹿な!これでも喰らえっ!!」
そしてバスターの放った矢はアゼルの胸に突き刺さって、アゼルは落馬した。その呆気なさに不審を感じることなく、嬉々としたバスターは主君の一大事と駆けつける魔道騎士たちを振り払って、ぐったりとしているアゼルを掴んだ。後は首を掻き切って去ろうと思っていたバスターだが、突然アゼルの手がバスターの頭をつかんだ。
「悪いが、カロン川の船頭として付き合ってもらおう。」
もう老年とも言え、さらに致命傷を負っているはずのアゼルのどこにそんな力があるのか、その手は少しも微動だにせずにバスターの身動きを封じ込めている。おそらくバスターの中でもアゼルに対する恐怖が芽生え、その動きを鈍くしていることもあるのだろう。ついでにカロン川とは別名、三途の川であり、ユグドラルではこの川を渡れば死後の世界・天上へと旅立つこととなる。アゼルは他の魔道騎士たちにはひたすら前進することを厳命していたために、気が付けば周りはアゼルの他はバスターとその配下のみになっている。
「ユグドラルを影で動かそうと企んでいようが、ユグドラルの意地を舐めてもらっては困る!」
そして片手を自身の胸にあて、魔力を凝縮させる。その時点でバスターはアゼルの意図に気付いた。
「貴様、自爆する気か!!」
が、それがバスターの最期であった。
『セルフエクスプロージョン!!』
その叫びと共に深き森林は猛烈な火焔に呑み込まれた。
アゼル、シグルド軍最後の勇者が壮絶なる爆死を遂げた瞬間であった。
三方向から迫ったヴェルトマー・フリージ・バーハラ連合軍は足並みが揃ったことで攻勢が増し、すでに戦の趨勢は決まりつつあった。ルゼルは叔母ティニーと合流して、遅参を詫びた。
「それは構わないけど、お父様はどうしたの?」
そう言われたルゼルはハッとしてアゼルが突っ込んだ森林に振り返った。その瞬間であった、壮大な爆発音と共にその森林から巨大な火柱が上がったのだ。その方向を見ていたルゼルを見て、ティニーは何が起こったのか悟った。と同時に己を優しく見守ってくれた父アゼルに対して、心から哀悼の意を捧げたのであった。
第二次ヴェルトマー平原の戦いは数に勝る三家連合軍が圧倒したものの、アゼルの壮絶なる爆死によって勝利気分が吹き飛んだ。特にこのヴェルトマー、フリージ、バーハラの三家にとっては無くてはならない人物であったのは言うまでも無いが、シグルドの夢があったとは言え、そこまでしてアゼルは爆死しなければならなかったのか。実はそこにはアゼルなりに将来へ向けての布石があったのだ。
先ほど少し述べたが、アゼルの孫ルゼルはまだまだ若い。そして彼に従うグラとグリを始めとする家臣団も旧グランベル地域の他家の家臣団に比べても格段に若い。だからこそ彼らは生きた伝説と化しているアゼルを頼り、事ある毎に物事を聞きにくることがあった。人の良いアゼルは彼らの頼みを断りきれずに対処していたのだが、それでは大きな成長を見込めるはずもなく、アゼル以上の人物を出すことは非常に難しくなる。だからこそアゼルは自身の存在を消したいと思うようになり、一時は本気で自殺しようと企んだこともあった。しかしシグルドの夢を聞いて、己の思いに彼の夢を絡ませることにし、全てはこの時を待っていたのだ。この戦いで亡くなった者には不謹慎だが、この戦いはアゼル・アーサー親子の動きようには十分防げた戦いであった。ガーディアンは今回の挙兵の芽を早くから見つけ、アゼルたちに知らせていたのだが、アゼルは敢えて放置させ、自身の爆殺の舞台となる第二次ヴェルトマー平原の戦いを仕立て上げてしまったのだ。そして彼はこの戦いで影で貴族たちを扇動して、挙兵に及ぼしたバスターをも巻き込んだのだからアゼルからすれば一挙が両得どころか三得くらいまでになったと思えたのだろう。
だがやはり遺されたものはアゼルの思いを知る由もなかったので、悲嘆に暮れた。ルゼルとグリはしばらくは立ち直れずに涙を流し続け、グラに至ってはアゼルの遺体を捜そうとしばらくは残り火の燻る森林を渡り歩いたという。
そしてセイラから事情を知ったセーナもまた人目をはばからず涙した。傍らで控えているミカもセーナほどあからさまではないが、目を真っ赤にしている。もともとミカの家はヴェルトマー家の血をわずかながら引いていることもあって、同じくヴェルトマー傍系にあたるアゼル・アーサー親子とは非常に懇意としており、自身が宰相となっていた時も協力を惜しまずに支えてくれていた。だからこそアゼルの死には悲しみを禁じえず、それと同時に一気に凋落していくことにわずかながら抱いていたバーハラ貴族への哀れみも完全に消え失せた。
アゼルの死は未だに燻る旧時代の炎を完全に消し去り、新時代の到来を多くの者に実感させた。そしてユグドラルの新体制が発表される。