セーナとシグルド2世、ナディアらが相争った壮絶な戦いからどれくらいの時が経ったのだろうか。あれからは大いなる陰謀も戦乱もなく、ユグドラルもリーベリアも平和な時を謳歌していた。

 ユグドラル大陸西部にある港町ハイラインは今もリーベリアに向かう船や、ユグドラルを回航する船が行き来してかなり活気を見せている。その波止場に、爽やかな潮風に美しい蒼髪をなびかせるシスターの少女がいた。
「さぁて、どの船に乗ろうかな。」
彼女の目の前には3艘の船が接岸しているが、行き先はここからでは分からない。すぐ後ろには彼女の護衛と思しき青年剣士が溜め息をついている。どうやら彼はかなり彼女に振り回されているようだ。
 「お嬢ちゃんたち、ちゃんと渡航証は持っているのか?」
そんな二人を見咎めるように水夫が近づいて来た。シスターは笑顔を崩さないまま荷物の中から意味ありげな書状をその水夫に差し出した。その書状を読んでいくうちに水夫の表情が驚愕に変わっていく。蒼白な顔しながら書状を大事に丸めてシスターに返していった。
「こ、これは失礼した。好きな船に乗るといい。」
水夫はあっさりと下がっていこうとしたが、何かを思い出したようで振り返っていった。
「いいかお嬢ちゃんたち、あの船には乗るなよ。それが身のためだからな。」
右前方に見える比較的小振りな船を水夫は指差していた。それを聞いてシスターは
「ご忠言、ありがとう。」
と、いい笑顔で返してくるのだから水夫も思わず顔を赤らめて、逃げるように去っていった。
「さ、行くわよ、フォード。」
水夫がいなくなったのを確認してシスターはさっき水夫が指差した船に向かって歩いていた。
「ちょ、ちょっと待ってください。まさかあの船に乗るんですか?」
フォードと呼ばれた剣士が驚くが、シスターは華奢な腕からは想像できない力で彼を引っ張って、そのまま乗船してしまった。その船の行き先はサウス・エレブ、リーベリアの北にある新大陸で近年レダを中心にして開拓が進んでいるが、その一方でリーベリアを逃れた魔獣たちや野盗たちも数多く蔓延っていることも伝わっている。しかし二人はそんなことを知らず、その船に乗り込んでいった。これが新たな物語の始まりになる。

 シスターたちはあてがわれた船室に入っていくと、そこには一人の少年が窓から外の風景を眺めていた。どうやら相部屋のようでシスターが先に入っていくと、その少年は女性慣れしていないようで頬を赤らめながら部屋の中を右往左往する。直後にフォードが入っていくとどうにか落ち着いたようで、シスターも苦笑するしかなかった。それぞれの荷物を下ろしてどうにか一息ついた二人に少年が問いかけた。
「あなた方もサウス・エレブに行かれるのですか?」
この瞬間、二人はようやくこの船の行き先を知ったのであるが、反応は対照的であった。シスターは宝物を見つけたかのように瞳を爛々に輝かせて、フォードはすでに船酔いに当てられたかのように真っ青になっている。
「そう、この船はサウス・エレブに行くんだ。」
この思わぬ答えに少年の方が驚いた。
「えっ、知らないでこの船に乗ったんですか?」
さっきも述べたが、エレブはいくつかの開拓地(以降、コロニーと表記)が出来ているのみでそこを出れば魔獣と野盗が平然と蠢いている地であり、しかもコロニーにいるといって決して安全とは言えない地である。だがシスターたちも疑問はある。
「じゃあ、あなたはどうしてサウス・エレブに行くの?」
シスターたちの目の前にいる少年はどう穿った見方をしても、今の時点ではとても戦いに向いているようには見えない。そんな少年がサウス・エレブに行く方がおかしいのは当然の疑問である。
「僕はサウス・エレブの西にあるコロニーにいる父さんのところにこれを届けるんだ。」
そう言って少年は真新しい魔道書を二人に見せた。フォードが身を乗り出して見ると、感慨深げに言う。
「これは驚いた。最近、レヴィングラードで開発されたエイルカリバーではないか。」
エイルカリバーはアカネイアから伝わる聖魔法エクスカリバーの軽量版である。フォードの言う通り、つい半年前に開発されたばかりでまだ出回っていない代物である。
「どうしてこれを知ってるの?これはまだ一部の人しか知らないモノなのに。」
次の瞬間、フォードの後頭部にシスターの拳が振り下ろされた。つんのめるフォードを無視して、シスターが慌ててフォローする。
「わ、私たちはユグドラル中を旅してたからね。噂で聞いたのよ、噂でね。ね、フォード。」
同意を求めるシスターに恨めしげな視線を送りながらも、その瞳の奥にある殺気を感じてフォードは何度も頷いた。呆気にとられる少年に、シスターが急に話題を変えた。
「それよりもあなたの名前は何ていうの?」
「僕の名前はレインだよ。」
「私はティナ、さっきも言ったけど旅のシスターだからね。で、こっちはフォード。元は泥棒やってたんだけどね。」
ティナという名はユグドラルではすっかりメジャーな名前になっている。やはり40年前の悲劇が大いに関係してのことなのだろう。もっとも彼女にはそんな事情など吹き飛んでしまう事実が隠されているとはレインも思いもよらないだろう。


 そんな三人を乗せた船は幾度か嵐に会ったものの、無事にサウス・エレブ(後のオスティア)に到着することが出来た。天真爛漫なシスター・ティナは船酔いに当てられてグロッキーになりながら、フォードに背負われて下船し、宿屋でレインの看病を受けたことで翌日にはすっかり回復していた。
「ありがとう、レイン。おかげですっかり元気になったわ!」
「いえいえ、困った時はお互い様ですから。」
見た目はティナ同様に華奢なレインだが、荒波を乗り越えても平然としていたことにティナもフォードも最初の印象を拭って、かなり好ましく見えるようになっていた。
「ねぇ、レイン、これからは西のコロニーに行くんだっけ?なら私たちが一緒に付いていこうか?」
これにはレインも大喜びで飛び跳ねた。この辺りはまだ少年の風貌のままである。
「本当ですか?それは助かります!!傭兵を雇おうと思ってましたが、手間が省けますし。」
そんな喜色満面のレインに対して、フォードは渋い顔を隠そうとはしない。
(やれやれ、何にでも顔を出したがるのは『あの方』と変わらないな。)
そんな顔を見つけたのかティナは
「じゃ私は着替えてくるからね。」
と、言って、別室に行きながら、フォードの足を思いっきり踏みつけて行った。その後姿を涙目になりながら追っていったが、やがて溜め息をついて覚悟を決めた。
「さぁ、レイン、俺たちも準備するぞ!」
「うん。」
 その日のうちに三人はサウス・エレブを発った。西に向かってひたすら歩いていくが、聞いたほど、というよりは全く魔獣や野盗と会うこともなく、順調に足を伸ばしていき予定より1日早い3日ほどで到着した。だが、その光景に三人は息を呑む。
「何これ・・・壊滅してるじゃない・・・。」
西のコロニーは魔獣の猛攻の前に壊滅してしまっていた。ちょうど三人がサウス・エレブを旅立った日のことである。不気味なまでに静かだったのはこの余波だったと言えたのだ。
「そんな・・・父さんの店は・・・・?」
レインは父親の店があるはずの場所に急いだ。
「待って、レイン!一人では危ないわ!!」
だが、もはや激情に駆られたレインは止まらない。気が付けばその姿が小さくなっていた。
「フォード!」
ティナが後ろを見てフォードに命じた。そこにさっきまでの温和な表情はない。
「承知!!」
今までの踏んだり蹴ったりだったフォードも次の瞬間には驚くべき脚力でレインを追っていた。それを見届けたティナは懐から鞘に入った剣を取り出そうとした、その時、彼女の背後に謎の影が降りてきた。
 レインはある一角で立ち止まっていた。
「レイン、ここが父さんの店なのか?」
追いついたフォードは息も乱さずに、冷静に聞いた。しかし目の前の光景は悲惨極まりない状態だった。おそらくこのコロニーで最も壊され方が酷かったのだ。とても生存者がいる雰囲気ではない。
「そんな・・・。そんな・・・。」
「レイン、落ち着け。目の前に広がっていることが真実なんだ。」
不器用なフォードには現実を突きつけるしかなかった。しかしそんな言葉にレインは俯くのみで何も言葉も発しようとしない。
(とりあえず駆け出されるよりはいいか。それにしても遅いな。)
フォードはティナが来ないことを不審に思い始めていた。
 次の瞬間、壮絶な殺気が二人を包み込んだ。
「いよぉ、そこのあんちゃんたちよ。このお嬢ちゃんに痛い思いをさせたくなければ、金目のもんでも置いてさっさとどっか消えな。命だけは助けてやるからよぉ。」
気が付けば20人はいる野盗の群れに囲まれていた。魔獣にこのコロニーが襲われたと聞いて、金目のものを見つけようと出張ってきたところに彼らを見つけたのだ。頭目とおぼしき男はティナを締め上げており、その気になればいつでも殺せるようだ。この光景にようやく気付いたレインはますます恐慌状態になりかけたが、慌ててフォードが制した。
(心配するな、レイン。あいつは俺たち三人の中で誰が一番強いのか分かってねぇんだ。いいか、落ち着けよ、慌てればあいつらの思う壺だからな。)
そう呟いて、レインを宥めたフォードは一歩前に出て、頭目に言い放った。
「お前は運のない奴だなぁ。いや、不運なだけでなく、馬鹿だろう!」
これには頭目も激怒して、斧をティナの首筋に当てようとした。だが、その腕を微妙にずらした瞬間である、ティナの手が僅かな隙間を見つけて動き出していた。
「いい加減、このむさい腕をほどいてくれないかしら。」
そう言いながら愛剣シュヴァルツバルトを顎に突きつけた。これに驚いた頭目は反射的に腕を解いてしまい、ティナは無事に解放された。だが危難が去ったわけではない。頭目も動揺から立ち直り、包囲の輪をじわじわと詰めていく。
「レイン、あなたは生きるのよ。そのエイルカリバーを使って生き抜くの!」
「でも僕はエイルカリバーなんて・・・。」
確かにエイルカリバーはエクスカリバーの軽量版とは言うものの、レインのような駆け出し魔道士には荷が重いように思える。
「いい、レイン。あなたなら分かっているはず、魔法なんて技術なんて二の次よ。大切なのは術者の気持ち。あなたに行き抜く気概があればエイルカリバーもそれに答えてくれるはずよ!」
レインは俯いたままだ。
「何をゴチャゴチャ言ってやがる!野郎ともかかれッ!!」
頭目の叫びに包囲網が一気に縮まった。だがこの瞬間、レインの心も覚醒した。
「僕は生きるんだ。生きて、父さんの作った家を守り抜く!!」
『エイルカリバー!!』
次の瞬間、豪烈な風が巻き上がり、風の刃が敵を切り裂いていく。その刃が通り過ぎた一角はすでに何も無くなっており、威力の壮絶さが伝わる。だがまだ数は圧倒的に野盗たちが勝っている。
「何をしているっ!!さっさと始末し・・・」
だが男の言葉は途中で途切れた。訝しんで見ると、眉間に矢が深々と突き刺さっておりその一発で絶命していた。ティナたちも驚いて矢の出所を探っていたが、すぐに瓦礫の上から金色に輝く髪をしたスナイパーが仁王立ちしていたことに気付いた。
「お前たちの頭目は一発で討ち取ったぞ!さぁ、どうする?」
残った賊たちは動揺しているが、頭の仇と言わんばかりに5人が一斉にそのスナイパーに襲い掛かった。言うまでもないが、スナイパーの接近戦は無力だ。ティナたちが慌てて駆けつけようとしたとき、信じられない光景が広がる。
『衝波斬!!』
衝撃なる斬撃が5人を吹き飛ばしていた。その全てに肩から腕まで深々と切り刻まれている。唖然とする他の野盗たちに剣を振りかざしたスナイパーが言い放つ。
「まだやるのなら、相手をしてやってもいいぞ!」
だが頭目を討ち取られて、意気ある5人もあっさりと撃退されれば勝ち目はない。ならばと、残ったものたちはさっさと逃げ去っていった。
「さてと・・・お前たちはどうする?」

 結局、ティナたちはそのスナイパーに付いて行くことにした。さっき見せた戦いぶりにティナも珍しく惹かれて、その正体を知りたいと思ったからなのだろう。山中に入ったところにスナイパーの隠れ家があった。よく魔獣に襲われないな、とフォードは心底思っていたが、特別に何か対策をしているというわけではなかった。やはり付近の魔獣もこのスナイパーに相当に痛めつけられており、恐怖で近づけないというのがもっとも正解に近いのだろう。
「今、帰ったぞ!」
スナイパーの言葉に、中から温和そうな女性と銀髪の吟遊詩人らしい男が出てきた。
「おっ、お前もいたのか。」
「いえいえ、そろそろお暇させていただきますよ。おや、それにしても美しい魔力を持った女性ですね。」
吟遊詩人はティナを見つけて、顔を近づけた。エッとするティナだが、すぐに顔を戻して穏やかな笑顔を向けた。
「またどこかでお会いできることでしょう。・・・ではカトリさん、また。」
「ええ、お気をつけて。」
吟遊詩人は飄々としながらも、それでいて隙を一切見せずに森の中に消えていった。そのことも気になったのだが、フォードは先ほど吟遊詩人が女性にいった『カトリ』という名が頭にこびり付いたまま離れなかった。
 ティナたちはカトリとスナイパーの案内されるまま、二人の家に入っていった。中には二人の娘が三人を迎えてくれて、付近の野草からいれた紅茶をもってきた。
「若干、癖はあるが、慣れればウマイ茶だ。遠慮なく飲むといい。その間にお前さん達がこんなとこにいる事情を教えてもらいたいがな。」
命の恩人であるスナイパーである、否やはない。最初は紅茶に口も回らなかったが、スナイパーの言う通りに次第に旨味ともいえるものがわかってきて、口も乗ってきた。まずはティナが事情の全てを語っていた頃には三人の飲んでいた紅茶もなくなっていた。
「よく、まぁ命があったものだなぁ。」
スナイパーがそう言うのも無理のないことで、一歩間違えれば死ある道を三人は歩んでいたのだ。それを傍らで聞いていたカトリがスナイパーに聞く。
「ホームズ、良かったら、ティナさんが出て行くときはサウス・エレブまで見送ってあげれば。」
『ホームズ!!』
カトリの言葉にティナとフォードが目を剥いて立ち上がった。
「何をそんなに驚いているんだい?」
そういうホームズだが、口元はニヤニヤしていた。


 ホームズ、ユグドラルではさほど知名度は高くないが、リーベリアではユトナ同盟盟主リュナンと双璧、いや見方によってはそれ以上と言うものも言う位の大物中の大物だ。15年前の大戦ではリーヴェのリュナン、カナンのセネト、レダのリチャードらと並んで、強大なゾーア帝国相手に各地の非正規戦で圧倒。かと思えば、グラナダ攻略戦で見せたように大軍の指揮も卒なくこなすことができた。前ユグドラル後継者戦争でも目立たないものの、しっかりと参戦しておりリュナンの副将としてそれなりの活躍を果たしていた。ただしその戦争を最後に世界史から姿を消してしまい、そのために彼を知っている人はホームズを神格化・伝説化しつつあったほどなのだ。
 今はすでにカトリと関係を持って2男2女をもうけており、そのうち次男のダンはゾーア公国で影ながらに国を支えるシゲンの元にいるが、ホームズの父の名を取った長男ヴァルスと妹2人は見ての通り両親と行動を共にしている。


 「そういうお前もいい加減、本名を明かしたらどうだ?」
ニヤニヤしながらホームズは核心を突いた。
「どこかで見たことのある顔だと思ったが、お前はセーナの娘だろう。噂が嘘でなければ、名前はエレナだったはずだ。」
これには今まで静かにしていたレインが大いに驚いた。対するシスターはバツが悪そうな顔をして、半ば投げやりに言い放つ。
「あ~あ、先に言われちゃった。そうよ、私がエレナよ。」


 エレナの名はヴェスティア帝国皇帝ライトとセーナの間に産まれた長女としてユグドラルでは知らないものはいない。小さい頃から諸芸に通じて、修道院にも通っていたこともある。剣技も母セーナが直に仕込んだだけあって未だ成人していないにも関わらず、並みの剣士を一撃で葬り去ることが出来る実力も持つ。また彼女自身、表に出さないものの、魔力も母譲りの壮大なものをしっかりと受け継いでいるが、長兄アルド(旧名リアルト)に遠慮してその才覚は表そうとはしない。母の歩んだ修羅の道を再現してはならないという思いが強く、自分は兄たちと結束して支えていこうと心に期していたからである。
 そして何よりもエレナを象徴するとすれば、その性格である。もう言わなくともわかるかもしれないが、恐ろしいほどセーナの性格を引き継いでおり、フォードを筆頭に周囲の家臣を常に冷や冷やさせてきた。特にお忍び癖は母をも上回らんばかりで、12歳の時には既に旧グランベル領の大半をその活動範囲に入れていたほどだ。
 今、エレナは次男クレストを除く、セーナの子供たち全員に課された『儀式』を行っている最中である。その『儀式』とは成人するまでの3年間で、人の上に立つものとして民の気持ちを理解すべく一旅人として世界中を回るという単純明快にして壮大なものである。彼女はすでに一年かけてユグドラル中を駆け回り、今、色々とゴタゴタがあってホームズの家に来ているのだ。


 「ごめんね、レイン。ずっと黙っていて・・・。」
旅のシスターだと思っていたエレナが世界随一の大国ヴェスティアの王族だという事実にレインは何も言葉は出ない。
 ふと家の扉が開き、ホームズとよく似た風貌の青年が入ってきた。
「お、いいところに帰ってきたな。こいつが息子のヴァルスだ。何かと口うるさいから親父の名をやっているんだがな。」
笑いながら紹介するホームズに、当然のごとく悪意はない。だがヴァルスも皮肉で返す。
「口うるさいのは親父譲りだがな。」
そしてホームズとヴァルス、視線が合い、次いで笑いを爆発させた。それにつられてエレナたちも自然と笑みがこぼれていく。笑みの中でエレナはわずかの間でホームズの器の大きさをしっかりと見極めていた、
(お母様とそっくり・・・。)
と。

 楽しい一夜が明け、エレナたちがサウス・エレブに行くことになった。当初はホームズが見送りに行く予定だったが、会いたい人物が出来たと言って、ヴァルスに任せることにした。
「腕に関しては心配するな。口も達者だが、弓も剣もしっかり仕込んであるからよ。」
しっかりと皮肉を忘れないホームズだが、その生き写しとも言えるヴァルスもなかなか強かである。
「おうよ、俺は良い意味でも悪い意味でも親父そっくりだからな。」
そう言いながらも親子の間では無言で別の会話をしていたことに、エレナたちは気付かなかった。
 ヴァルスもさすがにこの地をよく知っているようで、サウス・エレブまでの最短経路を案内した。ただ中には獣道もあったので、当然のように魔獣たちが襲い掛かってきたが、若くしてそれぞれの剣技を極めるエレナ、ヴァルス、フォードの敵ではなかった。特にヴァルスはホームズの言う通り、凄まじい斬撃で自身の何倍もあるアークオープスを一刀両断にしていた。この一連の戦いで駆け出し魔道士のレインも魔法にも心得のあるエレナの手ほどきを受けて、メキメキと実力をつけてきた。
 色々とあったが、4日ほどでサウス・エレブに戻ってきた。エレナの帰還は誰かが彼らの行動を見守っていたのか、この地に駐在するヴェスティア駐留軍の大将アルサスにすぐに伝わっており、物々しい軍勢を仕立てて歓迎してきた。
「エレナ皇女、サウス・エレブを来ていただけでなく、西に出たと聞いて寿命が縮みましたぞ!」
ついでにアルサスはカインの次男である。近年素質の伸び悩みに苦しむ兄エルマードとは対照的にメキメキと頭角を示してきたが、兄への遠慮からグリューゲルには加入せずに何かと難しい役回りとなるサウス・エレブの駐留軍の大将となっていた。セーナからも信頼は厚いが、いくら厚いといってもエレナを見逃して万が一のことになれば現地の責任者となるアルサスにも類は及ぶとあって、グリューゲル諜報衆からエレナがサウス・エレブ入りし、あまつさえ壊滅したという西のコロニーに向かったということはアルサスを驚愕させ、駐留する軍勢の半分5千を急遽差し向けたほどだ。もちろん自己保身に走るわけはなく、純粋にエレナを心配してのことである。
「ごめんね、アルサス。でも私が魔獣にやられるとでも思ったの?」
意地悪い質問に、ヴァルスたちも苦笑する。慌てふためいたのはアルサスである。
「め、滅相もございません。しかし・・・。」
「全くアルサスも誰かに似て、心配性なんだから。」
普段なら猛将として知られるアルサスだが、エレナの前では借りてきた猫のように大人しくしていることに部下の兵たちも若干戸惑っている。
「と、とにかく、今日は領事館においでくださいませ。」
「ええ、そうさせてもらうわ。」
 サウス・エレブはレダ・カナン・シレジア・ヴェスティアが共同して開拓している地であり、それぞれの国で領事館が置いてある。ヴェスティアはあまりこちらの開拓には力を入れておらず、簡単にいえば治安維持に協力する程度の梃子入れである。それゆえに領事館もユグドラルの一宿屋程度の大きさであるが、獣道を歩いてきたエレナたちからすれば豪華そのものである。得たいのしれないヴァルスたちもアルサスはそれぞれ一部屋宛がった。
 その夕方、うたた寝していたエレナの部屋にノックする音が響いた。
「空いてるわよ。」
そして入ってきたのはエレナが最も苦手とする人物である。
「ヴェスティア皇女にしては無防備なことね。」
その人物とはヴェスティア帝国宰相ミカであった。


 あの大戦から3年後にミカは宰相に返り咲いた。夫ラティとの間には2男1女をもうけ、長男アトスは自身が師事したバーハラ公国ルゼルに託して、次男ヴァインは父ラティに付かせて剣技を磨き(女性の尻を追っかける父への監視役でもある?)、長女ミルは特別な教育を課さずに伸び伸びと育たせていることで宰相を務めていた。温厚ながらに毒舌な性格は相変わらずだが、いざ内政に手を出すと豪腕ぶりを如何なく発揮する。すでに懸案となっていたバーハラ貴族の切り崩しもこの頃までには大半完了しており、反抗していた多くの貴族が潰され、今やヴェスティア家の言うがままになっている。
 大国をいとも簡単に操るミカだが、セーナとエレナ親子にはほとほと手を焼いているようだ。エレナの後見役になったことで彼女の魔力をたどって一挙動を見守っていたのだが、今回のように未開拓地域に行かれるとさすがのミカのレーダーも捕捉出来なかったようで、何事にも動じないミカも心中はかなりハラハラしていたらしい。


 「久しぶりのベッドなんだから、もう少し休ませてよ。」
ミカとエレナの立場は今はミカの方が遥かに上なのだが、身分に捉われないエレナは上だろうが下だろうが分け隔てなく接することが出来る。ゆえにミカ相手でも溜め口を聞く。
「それは構いませんが、言うことだけは言わせていただきますよ。」
また耳にたこが出来る話しをするのか、とウンザリしているエレナだが、一応聞き耳は立てることにした。
「いいですか、今は一シスターとして旅をされているそうですが、元はヴェスティア皇女なのですから、しっかり自覚を持って行動してください。今回の件で一体どれほどの人が心配したか、わかっておられますか。」
それから延々とミカの小言が続いたが、ふと息をつくと・・・エレナはすぅすぅと寝息を立てていた。
「全く、どこまでも自分勝手な方だこと。」
そう言って後ろに振り返る。
「とりあえずこれだけ言えば、エレナ様も懲りたでしょう。ブラミモンド、あなたはゆっくりと休むといいわ。」
言われた暗黒魔道士は何も言わずに魔法陣に乗って消え去った。
 ブラミモンドは後ユグドラル後継者戦争で散ったシャルの一人息子。かわいい盛りの時に、父の悲劇が起こり、その件がきっかけで今の彼にはいくつもの人格が形成されている。しかしその人格の全てが忠義をセーナ・エレナ親子に向けられているのはシャルの血の為せることなのだろう。今回の件ではグリューゲル諜報衆の一部を持ってエレブ大陸中を動き回って、ひたすらエレナの消息をたどっていた。つまり最も苦労した人物であるが、本人は別に気にも止めていないようだ。というよりは感情を外に出さない人格が出ていたようで、心中はどうなのかはミカもわからなかった。
 額に手を当てたミカだが、すぐにアルサスに報告して、彼の苦労を丁寧に労った。これには武骨なアルサスも久しぶりに喜色を浮かべて今日一日はのんびりしていくよう勧めたが、仮にも大国の宰相であるミカはやらなければならないこともあるので辞退した。その次の瞬間には魔法陣に乗って、ヴェスティア宮殿に飛んでいる。その去り際にミカはこういい残した。
「おそらく明日の早朝にエレナ様は勝手に出て行くことでしょう。あなたたちは気にせずに休んでいるといいでしょう。」
どこまでもエレナを思うミカの姿があった。

 その言葉どおり、翌早朝、ヴェスティア領事館をこそりと抜け出すエレナたちの姿があった。アルサスもミカの言葉通りに従って今は久しぶりに大いびきをかいて寝ているのであろう。そして波止場に着いたエレナの前にはレダ行きの一番船が帆を広げて、出航の時を待っていた。
「ヴァルス、色々とありがとうね。」
何だかんだで領事館まで巻き込まれる形となったヴァルスだが、嫌な顔一つせずに付いてきてくれたことにエレナは素直に感謝していたのだ。だがヴァルスは素知らぬ顔をして言った。
「ん、何言ってるんだ。俺はお前たちを『最後まで』見送るんだぜ。」
最初はヴァルスの言葉が何を言っているのかわからなかったが、次第にその真意が明らかになった、どこまでもエレナたちに付いて行くということを。
「でもお母さんや妹さんたちは大丈夫なの?」
当然の心配である。が、ヴァルスはあっけらかんと
「親父がいるから心配いらん。」
と返す始末。これにはエレナたちも顔を見合わせるが、彼を拒む理由もない。ただしフォードだけはエレナと同属性のヴァルスが入ることに一抹の不安を抱えているが、当のエレナが認めてしまえば従うしかなかった。幸い、レインも付いてくることになったのでフォードとしては愚痴をこぼせる相手が出来たのは悪くないことなのだろう。レインにしてもフォードを兄貴分として見ている節もあって、今はかなり懐いている。果たしてヴァルス、レインを加えたエレナ一行はレダへ向かう船に乗り込んでいった。

 レダへ向かう船を高台から眺めるホームズの姿があった。
「良いのですか?息子さんが行ってしまいますよ。」
振り返ると先日ホームズの家を訪れていた吟遊詩人がいた。
「構わんさ。いつまでも俺の皮をかぶっていても息苦しかろうに。」
「それなら良いですが。」
するとホームズが言う。
「それよりも俺たちもそろそろエレブを出るぜ。アシカ号をそのままにしても仕方ないからな。」
「そうですか、もう宝を競うことは出来ませんね。」
「俺はせいせいしてるがな。それにこの付近はもう捜し尽くしたしな。」
そう言って、マントを翻して去っていった。
「今度はどちらへ。」
吟遊詩人の問いにホームズは。
「風と潮の気分次第さ。」
そうしてホームズは翌日にはエレブを発った。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年07月23日 23:21