ディスティニーズトーナメント終了は時間と共にユグドラル大陸にも伝わってきた。ヴェスティア宮殿で退屈を持て余すセーナ嫡男アルドは宮殿のバルコニーでただ景色を愛でていた。後ろにはこちらも溢れる才覚を発散できずにいるバーハラのルゼルが控えている。彼はアルドの後見を務めており、バーハラ家は父アーサーが今も切り盛りしている。
「暇だなぁ。」
母セーナがリーベリアに向かい、父ライトが弟クレストと共にレヴィングラードにいるために宮殿内はいつになく閑散としていた。
「ミカ様の言葉によれば、セーナ様はサーシャ様の勧めに応じて、更にサリアまで足を伸ばされるようで、帰国はもっと遅くなるようです。」
そう聞いて、さらにアルドはバルコニーの手すりにうなだれた。アルドとて決して凡将ではない。エレナ、ハルトムートに比べれば地味さはあるが、それでも両親の長所を堅実に受け継いでいる。そしてなまじ母の気性もそれなりに継いでいるからこそ、この退屈さには辟易しているのだ。ただこれにもセーナなりの教育法であった。
「時間の食い方を学びなさい。」
セーナはリーベリアに行く際にそう言い残していた。人生において常に何かしらの予定が入っていることなど有り得ない。おそらく世界一多忙と言われているヴェスティア宰相のミカですら、それなりに休息を取っている。まだヴェスティア皇太子というだけでやることのないアルドは毎日が暇であるのだが、そんな日々を無駄に過ごしていてはあたら名将と言えどもいずれは腐ってしまうもの。だからこそセーナはこの機に時間の食い方を学ばせたかったのだろう。しかし暇なものは暇である。いろいろと各地に行幸したり、勉学に励んだりしていたが、それでも簡単には潰れるものではない。
「アルド様~、暇でしたら私たちとお手合わせお願いします!」
元気のいい掛け声と共に3人の少女が入ってきた。
「フィラ、ファリスに、フィリアか。」
この三姉妹はレイラとフィードの子で、今はリーベリアに行っているバリガンとフォードの妹である。祖母フィーの股肱の天馬騎士フェイの元で、みっちりと天馬騎士として基礎を叩き込まれ、その片鱗を見せ始めている。昔の母のように今は向上心の固まりで、暇さえあれば目上の人でも構わずに手合わせをお願いしている。もちろんアルドからすれば否やはない。
「何なら三人まとめてかかってこい!」
結局、いきり立つアルドを諌めたルゼルの提案で1対1の手合わせとなったが、まだまだ成長途上の三姉妹に対して、早くから大器の片鱗を見せ付け、更に三年間の修行の旅を経たアルドとでは格が違っていた。結局、アルドは完封したが、不完全燃焼だったのは致し方ないのだろう。
「やっぱり三人とやりたいなぁ。」
呟くアルドに、キッとなった三姉妹も再び槍を取る。やれやれという顔をするルゼルだが、思わぬところから横槍が入った。
「アルド様!!何をやっているのですかっ!!」
叫んだのはミカの長女ミルである。エレナと同年齢であり、二人は同じ修道院でシスターとしての修行を積んでいた仲である。修道院を出ると叔母ミキのまとめるMP(=Medical
Party、医療専門部隊)に配属されているが、その一方でアルドの近侍も務めている。そう見るとなかなかしっかりとした女性に見えるのだが、実情はその真逆である。やること為すこと、ことごとく失敗続きで、母、叔母に幾度も怒鳴られたりしたりしている。しかし常識はしっかりとわきまえていて、何事にも懸命に頑張る姿は誰もが認めており、アルドの側に付けるのもそんな彼女の努力をセーナも見ていたからなのだろう。そんな彼女にとって唯一ミカに似ている点、それは相手が誰であろうともずけずけと物を言うことである。ミカもそれに気付いて何度も叱るが、その都度セーナが現われては
「あなただってそうだったでしょ。」
と逆に窘められる始末。とにかくセーナのミルへの肩入れは半端ではなく、セーナが認めただけあって彼女の毒舌も実質的に宮殿内の名物になりつつある。
「真剣を抜いて、手合わせなどしてたら、危険ではありませんか!」
顔を真っ赤にして怒る姿はまさしく母譲りであり、これにはミカを師事しているルゼルもなぜか苦手としている。そして昔のセーナ・ミカの関係のようにアルドもなぜかミルの言うことには素直に従っている。
「ミル、わかったから、そう喚かないでくれ。」
これではどっちが主か、わかったものではない。三姉妹もこのやり取りを見ていると思わず口をあんぐりと開けてしまい、アルドの一声で燃え上がった戦意も急速に萎んでいった。結局、ミルの登場で手合わせは終了となり、アルドはまたまた暇な時間を過ごすことになった。
ノルゼリアで行われていたディスティニーズトーナメントを終えたエレナはこの旅、最大の試練と激突していた!今、エレナの目の前で端然と立っている魔道士は大賢者の域に達している祖父セティや、ルゼル、アトスらの非ではなく、魔力を自ら発散しており、エレナの肌にもチリチリと照射されている。
「あなたの兄君と同様に、実力を見定めに来させていただきましたよ。」
そう言うや否や、手元に漆黒の魔法剣を形成して斬りつけて来た。
「暗黒剣エレシュキガルは触れれば即、天上へ行きますよ。」
不敵に笑う魔道士はある時はエレナの母セーナを試し、ある時は父ライトの心眼を開かせるべく出てきたホルスであった。対するエレナもホルスの一撃を交わして、確信した。
「これがお母様の言っていた『中間儀礼』ね。」
長兄アルドが旅を終えた後、旅話をせがむエレナやハルトムートに対して彼は真っ先にセーナから与えられた『中間儀礼』の厳しさを語っていたのをエレナは思い出した。この『中間儀礼』をクリアしない限り、セーナから旅の『最終目的地』は告げられないのだが、これほどの試練だとはエレナは思ってもいない。ただ単に『最終目的地』を知るだけでなく、本当に生と死を賭けた戦いだったのだ。
一撃を何とか交わしたエレナはすぐに宝剣シュヴァルツバルトを引き抜いて、一気に間合いを開こうとすべく水平切りを放つ。ホルスもその意図を知りながらも、下手に手を出せば痛手をこうむるため、敢えて彼女の狙いに乗った。だが元が魔道士ゆえに身のこなしはさすがに素早い。即座に跳躍して間合いを取ろうとするエレナに対して、驚くべき柔軟性で態勢を立て直して一気に突いてきたのだ。普通の者ならば命は無くなっていたほどの完全な動きであったが、エレナは必死に抵抗した。シュヴァルツバルトを盾にしてホルスの突きを窮しただけでもさすがであった。しかしホルスが放つ衝撃を壮烈の一言で、さすがのエレナも愛剣を吹き飛ばされる。
「あっ!」
とレインら一行が思わず声をあげるが、剣がなくなったことでエレナは更に身軽になり、ギリギリながらも立て続けに繰り出されるホルスの斬撃をかわしていく。だが不運なことにホルスの斬撃がエレナの腰に差していた、もう一本の剣シュヴァルツゼロを守る鞘に触れて地面に落ちてしまった。これで得物がなくなったエレナはホルスの斬撃を窮しながらもシュヴァルツバルトを目指す。あと少しで愛剣に追いつくところに、狙いを知ったホルスが新たな動きを見せた。突如、暗黒剣を解いたかと思えば、わずかの詠唱で魔法を唱えてきたのだ。
『ヨツムンガルド!』
剣を引き抜くべく体が伸びていたエレナはこの魔法を直撃して、5メートルは吹き飛ばされた。幸いにして魔法防御にも優れていたエレナだったので大事には至っていないが、あのホルスが放ったヨツムンガルドの威力にわずかながら恐怖が芽生えていた。
「その程度の力か?」
挑発するホルスだが、エレナには打つ手はない。魔法も扱えるエレナだが、今の彼女の魔力では到底、ホルスの魔法防御を貫くほどではなかった。セーナ同様に魔力に才を見出すのはもう少し後のことになる。
(参ったわ。打つ手がない。)
焦るエレナは負ける恐ろしさよりも、この中間儀礼に失敗して母から見捨てられることの方が怖かった。もちろんセーナはそんなことをするような人間ではないが、ホルスにここまで追い詰められると有り得ないことも思えてしまうのだ。
「ではそろそろ行かせてもらいますよ。」
ホルスは再び暗黒剣を手に形成させて、エレナに向けて突きつける。
(まだ未完だけど、あれをやるしかない。剣でも魔法でもないあの技を放つしか。)
この時、エレナはもはや覚悟を決めるしかなかった。
突撃してくるホルスに、エレナは一気に身をかがめてホルスの懐に入る。エレナはすでに無となりつつあり、風のように舞っていた。
「なにっ」
呻くホルスに一気に意識の覚醒したエレナが言い放つ。
「これが私の編み出した秘技!」
『無刀取り!!』
極限まで集中したエレナは素手でホルスの肘にパンチを加えた。その一撃は思いのほか強く、ホルスも激痛で顔を歪めるほどで、そのおかげで集中も途切れてしまったために暗黒剣エレシュキガルが消え去り、彼を覆っていた魔法防御も一瞬であるが一気に薄まった。これを逃すエレナではない。持てる魔力を振り絞ってライトニングを解き放つ。刹那、強烈な光が辺りを包み込み、ホルスは十メートルは軽く吹き飛んでいた。本来、無刀取りはこちらの武器がなく、絶対不利の状況を、敵に武器を使わせずにこちらのものとしてしまい、一気に逆転させるという荒業である。エレナはこの技を巧く利用して武器を利用することなく、相手に最大の隙を作らせてその隙に乗じることを思いつき、見事に成功したのだ。
煙が晴れた後にはすっかり態勢を立て直したホルスが立っていたが、すでに先ほどまで発散していた殺気は鳴りを潜め、温厚な顔をしていた。
「さすがはセーナ様の再来と言われるだけありますね。」
この瞬間、エレナは最大の試練に打ち勝った。笑顔を満面に浮かべて、ホルスに聞く。
「ねぇ、私の最終目的地はどこ?」
「さぁ、私はセーナ様と連絡を取り合っているわけではありませんからな。」
とぼけるホルスに、ふくれっ面をするエレナを見て、つい吹き出す。
「セーナ様ならばサリアにおられるので、直に会いに行ってみてはどうですか?」
ホルスの目を見ていると、どうやら本当に知らないようなのでエレナもホルスを許すことにした。
「もともとサリアに行くつもりだったわよ。彼のためにね。」
指差す方には二人の戦いをやきもきしながら見ていたレインたちがいる。その中にいるヴァルスをエレナが指しているらしく、ホルスもあっさり納得した。ヴァルスも軽く会釈したところを見ると、ホルスとホームズ・ヴァルス親子は既に知り合いであったことも窺える。
「なるほど。では私ももう去ることにしますかな。」
ともあれ用事を済ませたホルスはさっさと魔法陣に乗って去っていった。彼が去ったのを確認してからフォードとレインが駆け寄ってきた。
「大丈夫、エレナ様?」
心配するレインに、エレナは苦笑しながら
「何とかね、かなり危なかったけどね。」
と答えるしかなかった。
「それにしてもセーナ様も凄まじい試練を与えますな。」
地面に突き刺さるシュヴァルツバルトと、鞘に入ったまま落ちたシュヴァルツゼロを回収したフォードが手渡しながら言う。
「本当は中間儀礼なんてないわ。あの魔道士が言ってたでしょ、彼とお母様は連絡を取り合ってないって。きっとお兄様が彼と対峙したことを聞いたお母様が後から取ってつけたのよ。」
「えっ!」
唖然とするフォードだが、エレナのこの読みは実に的を射ていた。実際にアルドの旅の時は中間儀礼などなく、エレナの時から始まっていた。ついでにセーナの次男クレストはこの修行の旅には出ていない。これは父ライトが頑固に反対したことが原因であり、下手な旅に出させて貴重なシレジアの後継者を失いたくないと思っていたのだ。セーナもクレストのことに関してはライトに一任させているので、あまり強く言わずにあっさりと折れた。なおアルドの義理の姉であるレナもこの旅には参加せず、ガルダ島に駐留するミーシャのもとで騎士修行をしていた。
(この娘あって、あの親ありか)
セーナの壮烈な中間儀礼を知って、自分がセーナの子でなくて良かったとフォードは心から感じた。それはレインも同じようで圧倒された顔をしていた。二人の顔を見比べていたヴァルスはニヤニヤしていたが、エレナはそんな三人をじっくりと眺めながら元気良く叫んだ。
「さぁさぁ、中間儀礼も終わったことだし、さっさとサリアへ行くわよ~!!」
こうしてエレナ一行は一気にリーヴェラインを超えて、近年リーヴェから返還されたばかりのサリア領バルトに入っていった。
バルトの北にあるカトリナの村。昔はサリアの隠れ里と呼ばれていたが、今は姿を消しているサリア王女の名を取って、この名前が付けられている。10年前の大戦では当時のウエルト王女サーシャとその父ロファールが感動の再会を遂げ、またリュナンとホームズが大戦の合間でその傷を癒していたことでも知られ、リーベリアの聖地の1つとなっていた。今はサーシャに招かれたセーナたち一行がここで羽を伸ばしている。しかも以前、激戦が展開されたカトリナ神殿の一室を宛がわれるなど別格の扱いを受けているが、セーナはそそくさと部屋を飛び出してカトリナ近郊を散歩していた。もちろん付き従うバリガンとハノンも放ってはおけないので取るものを持って駆けつけるしかない。ジェネシスは既にサーシャとセーナの繋ぎのためにブラードに向かっていたので、セーナの気まぐれにはこの若い二人が振り回されることになる。
「セーナ様、せっかく神殿内の部屋を貸していただいたのにノンビリなさらないのですか?」
ハノンが当然の質問をする。だがセーナは
「いいじゃないの。どうせ神殿にいたって、ヴェスティアと変わらずに大人しくしてなきゃいけないからね。」
と言って、取り合わない。エレナとそっくりでどこまでも束縛というものが嫌いなのは昔と変わっていない。いや、前より酷くなったとも言えた。
「しかしこう歩いていると魔獣にバッタリ会いませんか?」
「心配無用よ。すでにサリアはサーシャとリョウたちが頑張って、一通り治安が確立されているわ。」
セーナはハノンの懸念をばっさりと斬った。
セーナの言うは易いが、サリアの治安確立までにはかなりの苦労がかかっていた。人里に魔獣が出てこなくなってからまだ2年経っていないことからも魔獣との戦いがいかに長かったのかは押して図るべしである。今はカトリナとブラードの間にある封印の谷も復興が始まりつつあり、その奥にある霧の沼も緩やかであるが浄化が始まっていた。サリアは昔の自然豊かな国に戻ってきていたのだ。
自然豊かな環境はシレジア育ちのセーナにとっては何よりもストレス解消となる。ハノンも森と湖の国ヴェルダン出身なのだから分からないまでもなかったが、セーナ護衛という任がある以上は無茶なことは諌めるのが仕事だと思っている。
「ねぇ、バリガンも何か言ってよ。」
ハノンがさっきから無言のバリガンを睨むが、
「我々はただの護衛さ。セーナ様のやりたい事を止める権利はないだろう。」
と逆に言い返される始末。バリガンはあくまで護衛という任を忠実にこなせばいいと思っているのだ。「騎士の中の騎士」と後に讃えられるだけあって、任務には至極忠実に振舞うが、しかし一度非があれば即座に諫言する意気も持ち合わせている。そのバリガンが大人しく従っている時点でハノンに勝ち目はなかった。頬を膨らませて後を付けるハノンにバリガンが苦笑しながら言う。
「疲れたのなら神殿に帰って休めばいいではないか。」
実際にハノンはヴェスティアを出てからというもの、セーナの気まぐれにずっと付きまとわされてかなりヘロヘロだったのだ。核心を突かれてドキッとするハノンだが、ここまでマジマジと言われると反論したくなるのが人間の性である。
「疲れてませんよ!」
つい怒鳴ってしまい、セーナに窘められてしまった。
「それじゃこの辺で軽く休みましょう。」
セーナの一言で小川のほとりで休息を取る事にした。ハノンは冷たい小川に足を入れて、火照った足を一気に冷やす。セーナが軽く散歩に出ると距離が十キロ単位となって、近侍や従者が悲鳴をあげているとハノンは小耳に挟んでいたが、まさかこれほどとは思ってもいなかった。バリガンも表向きは平静を装っているが、ハノンの隣に座るなりひとつ溜め息をついた。ハノンと違って重い鎧を着込んでいる分、大きく体力を削ってしまっていたようだ。だが当のセーナは岩の上に座って、口笛を吹いているあたり全然余裕らしい。後の歴史に名を残すバリガンとハノンだが、まだまだセーナの前では小物であった。
ふと南の方角からガサガサという音が響いて、野原で伸びていたハノンとバリガンがそれぞれの得物を持って、ガバッと起き上がった。このあたりの反射神経はさすがである。しかしセーナは全く反応せず、あまつさえハノンたちに武器を下ろさせた。疑問に思う二人に森の中から懐かしい顔が飛び出してきて、ハノンもバリガンも驚くことになった。
『エレナ様!』
出てきたのはエレナたち一行であった。二人の驚きの声に彼らもハノンとバリガンに、そしてその奥でのんびりしているセーナにも気付いたらしく、エレナとフォードがそれぞれ声を張り上げた。
「お母様!!」
「セーナ様に、兄上まで!!」
その声に驚いたのがレインとヴァルスであった。特にレインはまさか一大国の皇后がこのような片田舎の小川のほとりでのんびりとしているとは思ってもいるはずはない。ハッとしてレインが次に取った行動はと言えば地面にめり込まんばかりにひれ伏すことしか出来なかった。これには周りも苦笑せざるを得なかった。
セーナがカトリナ神殿を飛び出したのはエレナたち一行を出迎えるためであった。カトリナへの帰路、セーナとエレナは今までの旅話に話を咲かせ、そのついでにレインのことも紹介した。そしてサウス・エレブに起きたことを説明して、どうにかレインのために出来ないかと相談した。セーナはしばらく考えていたが、やがて1つの結論を出した。
「今の私ではどうにか出来る問題ではないけども、とにかくエレナのもとで手柄を立てることね。そうすればミカが然るべき手を打ってくれるわ。」
レインはそういう返答を予期していたが、実際に言われると中々難しいようにも思われる。しかし、背後から彼を応援する声が届く。
「あなたなら大丈夫よ。エレナ様と一緒に旅して来たんだから、全然行けるわ。」
先ほどまで小川で寝転んでいたハノンである。セーナとの旅でヒィヒィ言っている彼女にとって、エレナと平気で旅をしてきた体力はかなりのものと見ていたのだ。ハノンの言葉にエレナも頷いてレインに言う。
「そうよ。この旅が終わったら私からもミカに言ってあげるわ。」
彼らの思いやりにセーナも目を細めた。若いながらも彼らはそれぞれ補い合っていることに満足して、ふとヴァルスのところに歩み寄った。
「ホームズはどこにいるの?」
ディスティニーズトーナメントでサーシャとの戦いを見ていたセーナはすでにヴェルスがホームズの子だと確信した上での質問であった。やはり彼女としてもホームズの安否が不安だったのだ。だが、ヴァルスはさしも気にせずに
「今頃は海の生活に戻ってるのでは?」
「そう。今まではエレブにいたみたいだけど、魔獣とかは平気だったの?」
「俺がいましたから。」
そう言って腕っ節を見せつけるヴァルスに、セーナもさすがに笑いを爆発させた。
「やっぱりホームズにそっくりね。」
セーナの偽らざる感想だが、不思議とその目は本気で笑っていなかった。ヴァルスは背筋に冷たいものが流れるのを感じたのか、適当な名目をつけてセーナから離れていった。己の心根をあっさりと読まれることを嫌ったのだが、それもセーナから見抜かれていた。
(まだまだホームズとは雲泥の差ね。)
苦笑してその背中を見送っていた。
カトリナでの一夜を過ごして、その早朝にはエレナ一行の合流を読んでいたサーシャがジェネシスに遣いとしてブラードに招く旨を伝えに来た。セーナはエレナらを引き連れて、カトリナの門をぞろぞろと出て行く。セーナとエレナの護衛をハノンとバリガンが受け持つこととなったので、今までエレナに振り回されたフォードにとっては久しぶりに息抜きが出来て、今はレインと談笑している。ふとセーナがあるものに気付いて、東の方角をじっと見つめている。かと思えばブラミモンドを呼び出して、何やら命令を伝えていた。
「お母様、何かあるの?」
敏感なエレナがそんな母に気付いて問いかけると、
「あなたは何も感じないの?」
と逆に質問が返ってきた。えっとするエレナにセーナはなぜかその表情を読んでいたが、しばらくして満面の笑みで
「分からないのならそれでいいわ。ううん、分からない方がいいのよ。」
と言ってきたが、エレナには何の事だか分からないまま首を傾げていた。しかし母の顔に長年の憂いが晴れたような表情をしているので彼女もそれ以上は詮索しようとはしなかった。
セーナとサーシャはディスティーズトーナメント以来の再会となった。エレナとも決勝戦で戦った縁なのはもはや公然の秘密になっているので気にせずに明るく振舞う。一方、このエレナとは初対面となるサーシャの夫トウヤはサーシャから聞いていたとはいえ、まさかここまで親セーナと似ているとは思わずに、つい口を開けたままにさせて周りの苦笑を呼んでいた。ともあれ初日は和やかな雰囲気のまま、それぞれの挨拶を交わす程度で終わった。
しかし翌日、サリアの歴史に一大転換点となる出来事が起こる。すでに事前にサーシャとセーナ、トウヤが打ち合わせ済みなのか、セーナも妙に神妙にして玉座の間である人物を待っていた。エレナもレイン、バリガン、ハノンらと共にセーナの言われるままに大人しくしている。リョウやフラウなどのサリア重臣もセーナたちと向かう形で並んでいる。やがて厳かに扉が開けられ、そこから事情がわからないままヴァルスが入ってきた。キョロキョロするヴァルスに対してセーナが一喝した。
「ヴァルス、そのような猿芝居をせず、いい加減にサリアに来た真の目的を言ったらどうなの。」
思わずビクッとして俯くヴァルスだが、次に面を上げた時には今まで飄々としていた姿はどこへやら一気に王者の風格がにじみ出ていた。
「ヴァルス、あなたはホームズとカトリ王女のご嫡男、それを知ってサリアに来たと言うことはサリア王位に就くというお覚悟でよろしいですね。」
サーシャの厳かな問いに、ヴァルスは一切迷わずに誰もいない玉座に向かって歩いていた。サリア重臣の戸惑う声をよそにヴァルスは一歩一歩歩んでいく。するとリョウが野太い声が響いてきた。
「サーシャ様、これは一体どういうことなのですか。なにゆえ彼が急に王位に就くのです?我らに分かるように説明してください。」
半ば憤る口調だが、やはり彼らはこの事情を知りたかったのだ。それを予期していたかのようにサーシャは静かに告げる。
「フラウ、あなたなら覚えているはずです。私がサリア執政官に就いたときに発した言葉を。」
名指しされたフラウは記憶をたどりながら一言一言紡いでいく。
「確か『しかるべき者がこの国に帰ってきた時、私は何をさしおいてもその者にサリアを託します。』と。」
そう言ってヴァルスを見つめる。
「そう、そしてヴァルスがその『しかるべき者』なのよ。だからサリアは彼を中心にまとめなければならない。」
「確かにホームズ様に似ているとは言っても、明確なご子息だという証拠がないではありませんか?」
フラウの言葉にハッとして口をつぐんだリョウに対して、フラウは更に続ける。二人の違いはディスティニーズトーナメントに行くサーシャの護衛のためにノルゼリアに行っていたのと、行っていないという差であり、前者がリョウ、後者がフラウである。
「それもそうね。ではヴァルス、あなたがホームズとカトリ王女の嫡男である証拠をここに示すように。」
サーシャが告げた頃にはヴァルスはもう勝手に玉座に就いていた。憤るフラウだが、次にヴァルスが差し出した弓を見て、思わず唸っていた。
「聖弓アルテミス・・・。」
聖弓アルテミスについては知らないものも少なくないが、リュナンやホームズたちと戦ったものの多くがが国の運営を支えているこの国では大勢を掴むのにこれ以上ない物的証拠である。そしてここにセーナが呼ばれたのも納得がいく。それを改めて証明する公的な証人をセーナに務めてもらうためであった。
沈黙を示す、玉座の間に俄かに立ち上がったヴァルスが周りを見回して言う。
「まだ俺は何の実績もあげていない青二才だ。こんな俺が上に立つのが嫌だという奴がいれば、俺もすぐに国を発つ。気にせずにガンガン言ってくれ。」
そういうが今までのサリアを担ってきたサーシャやリョウ、フラウが肯定した以上は、認めるしかないのが実情である。しかしやはりよそ者がいきなり王位に就くことには抵抗がないわけではない。だからこそ微妙な空気が場を占めている。エレナやセーナはこういう場が苦手で早く終わらして欲しかったものの、あまりにも重い空気のために下手に動くわけにもいかない。
そんな空気を切り裂くように急報が玉座の間に届いた。
「申し上げます!魔獣の群れが突如としてカトリナを急襲!!!」
これには周りが一気にざわついた。一人だけセーナが冷静なのがサーシャは気になったが、すぐに状況を聞く。
「ヴェスティアの諜報衆が必死に守っており、今は被害者は出てはいない模様ですが、数が多量ゆえに至急の増援を。」
「どうしてヴェスティアの諜報衆が?」
サーシャがセーナに聞こうとするが、ヴァルスが制す。
「今はそんなことより、カトリナを救出しなければならない。リョウ、まだ国王になっていない私が命じるのもアレだが、持てるだけの手勢を持ってカトリナへ急行してくれないか。」
リョウも細かいところは気にしないタチである。
「おう!」
という豪快な返事を残して、足早に玉座の間を後にした。
「それとシロウがいると聞いたが。」
ヴァルスの問いに一人の弓騎士が出てきた。シロウはサリアの英雄レオンハートの股肱として長年サリアに仕えてきた重臣の一人である。若干地味なところはあるものの、リョウ、フラウに並ぶ武勇を持ち合わせていたことをヴァルスは知っていたのだ。
「ハッ、御前に。」
すでにリョウと同様にシロウもヴァルスを国王とみなしている。
「弓騎兵隊を率いてリョウを支援してくれ。期待している。」
ヴァルスもシロウの態度に合わせて、自然と国王として振舞っている。その後も次々と手を打っていくヴァルスはさもサリアの内情を知っていたかのように的確だった。
もはや人を襲うことはないと思われていた魔獣による突然の襲撃にも関わらず、カトリナは依然として堅い守りを維持していた。もともと辺境に位置しているということもあって警備兵もそれなりに置いていたこともあるが、何よりもセーナがこのカトリナにグリューゲル諜報衆の大半をばら撒いていたことが大きかった。ブラミモンドと、セーナによって呼び出された、諜報衆の総元締めだったグーイの孫娘カリンはそれぞれの手勢を率いて迫り来る魔獣を追い払っていく。襲撃当初は混乱していた警備兵も諜報衆の活躍に勇気付けられて組織的抵抗を試みつつ、住人たちをカトリナ神殿に避難させていていく。魔獣たちが攻めあぐねている間に首府ブラードからリョウとシロウ率いるカトリナ救援軍が横槍を入れたので一気に戦況は一変した。何年も魔獣と戦い続けたサリア軍はさすがに強く、瞬く間に魔獣たちは全滅していった。このまま追撃しようと試みたところ、ヴァルスから追撃無用の遣いが届いた。このまま魔獣たちの息の根を止めるべく逸っているリョウをシロウは諌めて、今はとりあえず混乱しているカトリナの建て直しを優先させるよう提言した。
一方、魔獣の住みかにはセーナ自身が名乗り出て、単身向かった。エレナやハノンたちが同行を願い出たが、普段とは異なる強い口調でそれを制すとフラウのペガサスに同乗して一気に住みかへと向かった。そして半日もしないうちにセーナはあっさりと戻ってきた。それだけでなく、
「もう今日襲った魔獣の群れは二度と人々を襲うことはないでしょう。」
と言い切った。全てが読めていたかのように一連の全く無駄のないセーナの行動に首を傾げるサーシャだが、セーナの言うことならば間違いないだろうとの結論にいたり、すぐに不審の念を拭い去った。そしてこの急報に迅速に対応したヴァルスに対する諸将のわだかまりもいつの間にか霧散していた。
翌日、ヴァルスの戴冠式が行われた。セーナが歴史的な証人となり、サーシャからずっと封印されていたサリア王国の王冠をヴァルスに与え、ヴァルスがこれを厳かに受け取る。ここにサリア王国が完全復活したのである。
戴冠式の後、議論になったのはサーシャの進退である。執政官として今まで通りに活躍して欲しいというヴァルスだったが、サーシャはこれを固辞。
「新しい体勢を作るのに古い者など要りません。むしろ政乱の源になりかねませんよ。」
そう言って、ひたすらに慰留の願いを拒み続けている。サーシャによって引き立てられたリョウらは一時はサーシャに付いていくと名言していたが、これからの国づくりに必要と言うヴァルスによって説得されてサリアに残ることになった。結局、多くの重臣がサーシャの慰留に説得を尽くそうとしたものの、最後まで首を縦に振ることなく自身の考えをそのまま貫いた。
「それでサーシャはこれからどうするの?」
ブラードの城下でセーナがサーシャに聞く。サリアを去ると聞いて、サーシャの二人の子供ナーシャとセイヤも荷物をまとめている。トウヤはすでに荷物をたたんで、今はサリアに残るリョウらブルーバーズが保護した、かつての戦争孤児たちのもとを見回っている。
「ねぇセーナ、もし良かったらヴェスティアに行ってもいい?」
ウエルトに戻ると半ば思っていたセーナは想像外の回答に驚くしかなかった。
「えっ、ウエルトに戻らなくていいの?」
「もちろんウエルトにも戻るわ。でもレオンと軽く顔を合わせるだけで、そこに長く留まるつもりはないの。だからといって他に行く所がないから、ね、お願い。」
サーシャほどの身分になれば行く所、行く所で歓迎されるはずだろうが、あまりにも有名になり過ぎているために政争に利用されかねないことを恐れていたのだ。ウエルトに行ってもそれは同じで、自身はわきまえていても周りの暴走で弟レオンを押しのけることもないわけではない。だからこそヴェスティアに行って、親友セーナと共にのんびりと生活したいと思っていたのだ。
「お母様もお話し相手が出来て嬉しいんじゃないの?」
エレナに先に言われると、セーナも図星をつかれたとばかりに舌をペロリと出して苦笑した。そしてあっさりとサーシャを受け入れることが決まった。するとサーシャは後ろで待っているナーシャとセイヤに向かって言う。
「というわけで私はヴェスティアに行くけど、あなたたちはどうするの?」
問われた二人だが、思いのほか回答は早かった。二人ともリーヴェに行くとのことである。二人はリーヴェ王子ローランと非常に親密な関係であり、それを鑑みての回答なのだろう。それを予測していたのか、サーシャは二人に対してリーヴェへ円滑に入るための書状を準備していたようで、それぞれに書状を手渡した。その光景を横に見ながらセーナはエレナと向き合った。
「そうそう、中間儀礼を突破したそうね。ブラミモンドから聞いたわよ。」
「そんな他人事みたいに言わないでよ。本気でキツかったんだから。」
言い合っている様子は親娘ではなく、本当に姉妹のようである。ハノンやバリガン、フォードたちも二人の遣り取りを呆然と見守っている。
「どれくらい大変なのかは分かってるつもりよ。あの魔道士は私だって本気でやって勝てるかわからないからね。」
普段強気な発言を隠さないセーナのこの言葉に、ようやくエレナは自分が戦ってきた相手の大きさを知った。
「とりあえずあなたに最終目的地を伝えておくわね。最終目的地は・・・。」
一年半後、リーベリア大陸の各地を回ったエレナはリーヴェ領グラナダに着いていた。ここがセーナから伝えられた最終目的地である。すでにセーナからの一報が伝えられていたのか、エレナが到着するや否や、この地を治めるリーヴェ水軍総督アトロムが出迎えて、ある時のように上を下への大騒ぎになった。歓迎式典が開かれて、否応なくエレナは主役に祭り上げられてしまったが、騒ぎ好きのエレナは満更ではないようで到るところで場を盛り上げていた。フォードとレインはそんなエレナをハラハラして見守っていたが、結局は何事もなく無事に過ぎていった。
翌朝、グラナダの湾内に数隻の巨大な軍船が入港してきた。今まで見慣れているグラナダ水軍の船とも大きさにおいて一線を画しており、とある船には見たことのない巨大な大砲が何門も積まれているものもあった。騒ぎを掻き分けて、波止場に出たエレナはすぐにその軍船の正体を見破った。
「あれはノディオン海軍!まさか私を迎えに、海軍を連れてきたの?」
旧クロスマリーナの血を紡いでいるノディオン海軍はセーナの助言のもとに建て直しと、更なる増強を果たしていた。すでに船の大きさ、装甲、機動性、共に新たなレベルに達しており従来の水軍ではなく、海軍の様相を示している近代的な艦隊になっているのだ。圧倒されるグラナダの民に、慌てたながらグラナダ総督府からアトロムが飛び出てきた。ノディオン海軍も旗艦と思われる一隻が接岸して、その艦から大方の予想通りにセーナが降りてきた。
「アトロム提督、港を騒がせて申し訳ありません。事前に申し合わせた通りに娘を迎えに来ました。」
まさかこれまで大掛かりに迎えに来るとは思っていなかったために、アトロムはすわ戦争かと思ったほどだった。やがてひょっこりと姿を現したエレナの姿を見つけるや、長い旅路を労ったかと思えば、彼女たちをさっさと乗せてヴェスティアに向けて帰っていってしまった。あまりの展開の速さにグラナダの民やアトロムたちは空いた口が塞がらなかったのは言うまでもないが、今回の大掛かりな出迎えにはセーナなりの思惑があった。
14年前のハイライン海戦にて互いに手酷い損傷を受けたグラナダ・ノディオン両水軍。そのうちのノディオン水軍が更なる増強を果たしたことを今回のエレナ出迎えで見せつける意味があったのだ。今は蜜月関係にあるリーヴェ・ヴェスティアだが、50年後はどうなっているかは分からない。だからこそ親密なうちにヴェスティアの底力をリーヴェに見せ付けておいて将来への抑止力とさせたのだ。
「セーナのやりそうなことだ。」
アトロムからの報告を受けたリュナンは苦笑しながらも、長男のアルクに向かって、
「お前ならやらないと思うが、ヴェスティアとだけは槍を構えるなよ。」
と諭していた。
更に一年後、ヴェスティアで行われているグリューゲルトーナメント。この大会は例年のものと異なって、世代交代が鍵になっていた。決勝戦はセーナと共に戦い続けてきた№0001のアベルと、セーナの三男でつい最近に長い旅を終えたハルトムートがぶつかったのだ。ハルムートの股肱アトスを打ち破って勢いに乗っているはずのアベルだが、若さ漲るハルトムートの前ではその槍捌きもあっさりと交わされ続けていく。流れは攻勢のアベルから守勢のハルトムートへと次第に移っていく。そしてアベルの体力も次第に奪われていき、ハルトムートが攻勢に移っていく。だが流れが移っても相手は百戦練磨のアベル、そう簡単には決着が着かないと誰もが思っていた。それはあまりにも獅子を舐めた考えであったことに次の瞬間思い知らされる。気が付いた瞬間にはアベルはハルトムートの放った剛撃を受けきれずに体ごと吹き飛ばされていた。そして銀の槍もはるか彼方に吹き飛ばされており、アベルの喉元にはハルトムートの銀の大剣が突きつけられている。ここに世代交代が完了した瞬間である。
そしてこの優勝を経て、ハルトムートはプレヴィアスグリューゲル(セーナ直属のグリューゲル、一方で皇太子アルド直属のグリューゲルをインペリアルグリューゲルと呼ぶ)の№0001に封じられ、同時に15年前に先代の№0001カインが使用していた大剣エッケザックス(トランジックブレイヴ)も託されることになった。ここにヴェスティアの獅子ハルトムートが誕生し、姉エレナと共に長兄アルドを支えるヴェスティア黄金体制が成立することとなった。