ノアが厳重に守りを固めるヴェスティア海軍本部に保護されたミリアたちだったが、しばらくしてヴェスティア宮殿からの迎えが来たために休む間もなく宮殿へと向かった。ゲインは宮殿詰めで協議をしているらしく、迎えにはMP隊長のミキが任せられている。かつてはミカの妹としてでしか見られなかった彼女も今ではすっかり独り立ちして、ヴェスティアのために尽くしている。ミキとミリアはさほど見知った仲ではないが、時が時なだけにミキは明るくミリアに話しかけてはミリアたちの不安をほぐしていく。別の馬車ではすでに打ち解けたのか、ミリアの子アレルとエリミーヌに、ゲインの3人の子供たち、そしてエレナを交えて笑顔が響いている。
気が付けば二つの馬車は吸い込まれるようにヴェスティア宮殿に入っていった。この日の宮殿の守備をしている十勇者ジェネシスとサルーン、そしてゲインが出迎えて、ミリアたちを玉座まで案内するが、いつの間にやらエレナの姿は再び消えていた。それに気付いて苦々しい表情をしそうになったゲインだが、今日の宮殿の主を見るとそう言ってもいられなかった。案内された玉座にはいつもはいないはずのライトが座っていたのだ。
「陛下、ミリア殿をお連れいたしました。」
ミリアたちが跪いて、頭を下げる。そしてゲインの言葉に反応して、ライトが言葉を返す。ミリアは顔を下げていたので彼の顔は見えなかったが、その変わり果てた雰囲気に息を呑んでいた。
「ミリア、そう堅苦しくすることはないだろう。気にせずに顔をあげるといい。」
ライトの言葉に反射的に顔を上げたミリアたちはライトの表情を見て、文字通り目を剥いた。かつての颯爽とした姿などそこになく、目は異常に血走っており、威厳が溢れているのはいいのだが、それが必要以上に発散されているのでかえって空気を重くしていた。辺りを見渡せば、隣の玉座には宰相のミカが静かに座っているが、肝心のセーナの姿はどこにもいない。
「セーナならエバンスの方でのんびりとしている。」
唇を歪めながらライトは言う。噂には聞いていたが、セーナとライトの不仲は本物のようである。セーナがいないからこそ、ライトはこの宮殿に来ているのだろう。ついでにセーナの子供たちのうち、エレナとハルトムートはライトのことをとことん嫌い抜いている。だからこそエレナがいつの間にやら姿を消しており、ハルトムートの方もライトが宮殿にいるうちは宮殿外にある政庁に入り浸っている有様だった。
「それよりもゲインより聞いたが、ついにロイトが牙を剥いたのだな。」
ゲインがアカネイアから伝えられた第一報だが、セーナもライトも一応はロイトの挙兵を読んでいた。とはいえ、ここまで遅くなるとは思ってもいなかったのだが。
「はい、私たち親子を逃がすためにリュート様自らが囮となって捕らえられています。どうか、リュート様を・・・。」
ミリアの言葉に彼女の二人の子供たちも俯く。切実な思いにミカやゲインたちも思わず息をつまらす。が、言うべきことは言っておかなければならない。ミカが意を決して言う。
「ミリアさん、気持ちはわかりますが、私たちは人一人救うために何十万という人たちを危険なところに・・・。」
しかしミカの言いたいことを察したライトが遮って言う。
「良いではないかミカ。20年前の盟約を破って、リュートを捕らえたのは事実なのだ。そんな不義の奴らを放っておくことなど我々の沽券に関わることだ!」
らしく言うが、その血走った目は明らかに戦を求めている目である。過去のライトとは比べ物にならないくらいに好戦的になっている。
「しかし陛下。敵も20年も待って、ようやく仕掛けたのですよ。我々に対する備えも必ずやあるはずです。ここはまずは敵の出方を見るべきかと。」
言葉を探りながらミカが抑える。真っ先に否定すれば今のライトならば逆上しかねないので、あえて折衷案を出したが、
「我が朋友が捕らえられるのを黙って見てられるのならそれで結構。意気地なしはユグドラルでぬくぬくしていろ。」
ライトはこう言ってミカの慎重案を一蹴した。事の成り行きに当事者のミリアも戸惑うしかない。結局、このままライトが押し切ってヴェスティアとシレジアはロイト陣営に対して軍勢を送り込むことに決した。
ライトがこのようになってしまったのは城下で広まっている噂を聞けば漠然と理解できる。その噂とは
『皇帝陛下は皇后様の才を恐れている。』
というものである。共に幼い頃から過ごしてきた幼馴染であるのはもう言うまでもないが、だからこそお互いにそれぞれの力量を理解し、ライトは到底セーナに及ばないことを理解していた。しかし決して彼女の才に嫉妬・焦慮することもなく自身を鍛えていたが、親友エルトシャン2世の死を境にライトはその差に対して次第に苛立ちを強めていくことになる。当初は難攻不落の要塞レヴィングラードを己の象徴として何とか自制も出来ていたものの、セーナが自身で養ったアネックス構想を具現化していくにつれてその完璧なる防衛構想に己の拠り所が崩れていくことに心が焼かれていっていた。それに気付いた瞬間、ライトはセーナを恐れ、忌避行動を取るようになり、セーナの居るところには姿を見せなくなった。エレナやハルトムートはその行動を目の前で見ていたために、父を嫌いになったと言うが、実際はライトがエレナやハルトムートにもセーナ同様のオーラを感じて同じように忌避行動を取り始めたことへの反発らしい。セーナこそ最初は関係修繕に務めたものの、徹底的に避けられては会話も出来ないために放置せざるを得ない。そこに今回のアリティアの動乱である。ライトは己の手で導いて勝利を得ることで、失墜した自信を取り戻したいと思ったのだろう。それを薄々と察していたからこそミカも強くは諌めることは出来なかった。
翌日からはヴェスティア・シレジア両国で戦準備が始まった。急を聞いて、セーナも戻ってきたものの、最後まで無言のまま肯定も否定もしなかった。しかしライトがミカに陣容を伝える際には割り込んできて
「アルドと『I』は連れて行っていいけど、ヴェスティア海軍と『P』を連れて行くことは許しません。」
と注文を付けた。Iとはインペリアルグリューゲル、Pとはプレヴィアスグリューゲルを指す。前者はライト・アルド直属のグリューゲルであり基本的に若い層の騎士で固められているグリューゲルで、後者は過去の大乱を勝ち抜いてきたセーナが誇る精鋭中の精鋭グリューゲルである。Iグリューゲルはエレナが推挙した人物も数多く在籍しているために、今では5千を数えている。ただし若さ溢れる部隊であるために戦場経験はエルマードら一部しか経験しておらず、グリューゲルという名が付きながらもさほど強いわけではない。対してグリューゲルは言うまでもないが、20年前にリーベリア・ユグドラルで猛威を振るったグリューゲルそのものである。時代が過ぎて多くの者が引退したが、ハルトムートやバリガン、ハノンなどのように若いものも加わっており人数は4千を少し超える程度で落ち着いている。簡単に言えば、Iが『将来有望の』精鋭、Pが『世界随一の』精鋭と見てもいいだろう。ともあれ、セーナから制限が出たが、ライトはもともと想定していたようで無言のままその場を立ち去っていった。その姿を目で追って溜め息をするセーナに、ミカもどういう言葉をかけていいのかわからずにいた。
ノディオン公国ハイライン。リーベリアへの港として活況を呈しているのだが、近年ノディオン家がこの港の拡張工事を行ったことによりかなりの船が出入りできるようになった。ここにクロスマリーナ・オーガヒル旧海賊衆の夥しい量の船が集い、陸にはシレジア・ヴェスティア連合軍60万が集結していた。
「上陸はグルニアを予定しているが、グルニアは本当に味方なのか?」
疑問を呈するライトに、ミリアが淀みなく答える。
「ご心配はありません。20年前からグルニアはリュート様と誼を通じておられますし、この間も連絡を欠いたことはありませんでしたから。」
「なら良し。ミリアも道案内役を頼むぞ。」
己の力量を見せられる舞台に立てるだけあってライトも今は上機嫌らしい。この間にも多くの兵が船に吸い込まれていった。
「いい、今回の遠征はあまりにも危険だからリュナンを頼りに行動しなさい。彼にはすでに話はつけてあるから。」
ハイラインの雑踏の片隅でセーナは今回の遠征に望む長男アルドと、その後見ルゼルに対して注意を促していた。
「母上は動かないのですか?」
戦と聞いて真っ先に動くのが母セーナと妹エレナだとヴェスティアでは相場が決まっているようで、アルドは母が動かないことを怪訝に思っていた。
「今はね。でもいつかは私もアカネイアに行くわ。」
小声ながらもセーナははっきり応えた。後に控えているルゼルを見て、
「アルドのことを頼むわ。」
といい、ルゼルもすぐに頷いた。将来の宰相の椅子は確実、とまで言われながらも未だに無官のルゼルだが、その才は才人揃いのヴェスティアでも際立っており、セーナからの信頼も絶大である。だからこそヴェスティアに常駐しており、本来統治すべきバーハラは父アーサーに任せていたのだ。
「さぁ行きなさい。私がここにいると知れば、また目を血走らせるでしょうから。」
二人はこくりと頷いて、足早にセーナの前を去っていった。それを見てから影から一人の女性が出てくる。グリューゲル諜報衆をまとめる一人カリンだった。
「カリン、大変かもしれないけど、報告を待っているわ。そしてライトとアルドを頼んだわ。」
小さく頷いたカリンは風となって雑踏に紛れていった。セーナとてこれほどの軍勢が集結するまでに何もしてこなかったわけではない。すでにもう一人の諜報衆をまとめるブラミモンドをアカネイア大陸に送り込んでおり、素早い連絡を行うための情報伝達網を整備させていたのだ。その基点は前に触れたとおり、セーナとのつなぎがあるグラが手伝ってくれたのだが、どこから聞いてきたのかマケドニア王国もセーナに協力を申し出てきていた。二国の協力のおかげで既に緊密な諜報網が完成しつつあり、ワープを使わずとも迅速に情報を得られる手段は出来ていた。
60万という兵を満載した海軍がハイラインを出発した。予定としてはガルダ、グラナダ、ソラ、マゼランと経由して、グルニアへ向かうらしい。途中、グラナダでリーヴェ軍と、マゼランでウエルト軍を糾合するようで、総兵力は100万になるらしい。20年前には懸案となっていた大兵力の輸送も輸送船の進化によって一度に、とはいかないまでも3千艘という空前規模の船を動員して一度に60万の兵を輸送できるまでになっていた。また制海権も先行していた強力なユグドラル連合海軍の前に脆弱なアリティア水軍はグルニア沖で為す術もなく破れ、既に大きく撤退していたためにアカネイア大陸西沿岸ならどこにでも上陸出来るようになっていた。もっとも東沿岸はロイト派に属しているガルダ海賊とタリス水軍が手を結んで、未だに猛威を振るっており、こちらの上陸はまだ容易には行えない。とはいえ、ライトの仮想進路はすでに大きく開かれているので躊躇なく更なる進撃を命じた。
ハイラインの水平線に沈む大船団を見ていたセーナに、ミカが静かに話しかける。
「ついに『剣』が鞘を離れていきましたね。」
これにセーナも頷いて言う。
「それじゃあ私たちは『槍』を磨いておくことにしましょうか。」
「ではヴェスティア海軍に出撃準備でも?」
「まだ早いわ。露骨にやればライトもさすがに感づくわ。でもノアには密かに命じておいて。」
「はい。」
ミカがワープして去り、セーナが再び水平線を眺める。
「この戦いで、私はライトを『徹底的に打ち破る』。たとえ彼を廃人に追い込もうともやらなければ今度はユグドラルがまた危険になる。
・・・ハーディン皇帝の二の舞にしてはいけないのよ。」
唇を噛むセーナだが、やがて白い愛馬の雷騎に跨ってヴェスティアに戻っていった。