カシミア大橋の南にあるラーマン神殿にはロイトの陰謀によって捕らえられたリュートが監禁されていた。ロイトは彼を人質として利用することで、強大なヴェスティアとの戦を避けようとして取引を持ちかけたものの、すでに戦準備をしていた皇帝ライトの一言の前に一蹴されていた。これによってロイトにとってリュートの存在価値はますます怪しくなったが、すぐに命を取っては敵に更なる大義を与えてしまうために今は特別の慈悲を持って監禁という形になっていたのだ。とはいっても危ういことには代わりはない。
 既に3ヶ月あまりが経っていた。端整な顔立ちで未だに女性にも人気のあるリュートだったが、さすがに長い監禁で髭は長く伸び、頬は痩せこけていた。光も当たらず、当然外との接触も不可能、今はひたすら孤独と戦っていた。
「リュート、大丈夫ですか。」
暗い部屋に懐かしい女性の声が響いた。しばらくして黄色い魔法陣が現われ、中から神竜族の末裔チキが顔を覗かせた。
「チキ様、お久しぶりです。」
言葉こそ丁寧だが、やはり長い監禁で大分体力が奪われているらしく声も張りがなかった。変わり果てた姿に息を呑み、チキが問う。
「あなたの実力を出せば、こんなところなんてすぐに脱出できるはずなのに、どうして出ようとないのです?」
実際にリュートは昔にチキから渡された聖魔法ファルシスを今も手元に持っていたのだ。彼の魔力を持ってすれば、強引に違った展開に持っていけたとも考えられた。
「確かにファルシスを使えば私もミリアたちも無事だったでしょう。しかし私が表に出ていれば、ロイトは絶えず攻撃してくるはずです。そしてそれに多くの者が巻き込まれ、失わなくてもいい命も失ってしまう。ならば私は捕らえられた方がいいのです。」
それは恐ろしく深い考えで、確かに今のアカネイア大陸を見ればよくわかった。リュートが捕らえられたことで彼の治めるカダインもまともな抵抗が出来ずにアリティアに敗れたのが主な動きだけで、それ以外の地域では牽制しあって大きな動きは見られていなかったのだ。唯一、リュート派筆頭を隠そうともしないマケドニア王国が孤立無援のアリティア傘下のドルーア地域を攻め捲くっている程度で、思いのほか大陸自体は落ち着いている。もう1つの大勢力アカネイア聖王国が沈黙を守っていることも影響しているらしいが、それでも恐ろしいほどの静けさともいえる。もしリュートがカダインに逃れていれば、アリティアとカダインはまともにぶつかって大規模な戦乱となっており、一気に戦火が大陸中に広がっていないとも限らなかったのだ。だが
「既にシレジアが大軍を率いてグルニアに向かっております。」
チキが近況を伝える。これにリュートがピクリと反応する。
「やはりミリアが連れてきたのですか?」
コクリと頷くチキにリュートは複雑な表情を浮かべる。彼らの到着はアカネイア大陸に重大な一石を投じることになり、その一石によって起きた波紋が諸国を揺らすのは必定だ。もはやリュートといえどもその波紋から逃れることはできなくなる。
「もうお覚悟を決められるのですね。」
チキは全てを悟っていた、リュートが運命から逃げ続けていたことを。
 もともと名門の出であるリュートはその血にふさわしい器量も身につけている。だが惜しいことに野心は全くと言っていいほどなかった。これが属性がかなり似ていたライトとの大きな違いである。ライトはセーナの活躍もあったがすんなりとユグドラルの3分の2を手にしたが、リュートは未だにわずかにアカネイアの一地方カダインを治めているに過ぎない。確かにあまり活躍こそなかったとはいえ、リュートの素質を評価しているものはかなり多く、その気になればアリティアの盟主にも就こうと思えば十分チャンスもあったのだ。付き合う時間の長いミリアやチキはそれが歯がゆくてならなかったが、黙って見守っていた。しかし時はリュートも求め始めた。もはや止まることは許されない。
 うなだれるリュートに、チキは何も言わない。これはリュート自身の問題である。彼自身が決断しなければ意味がないのだ。十分ほどの間があったのだろうか、ついに意を決してリュートがその顔を上げる。
「では反攻と行きましょう。この神殿さえ確保してしまえば、応援が来るまでに十分に支えきれるでしょう。」
チキとてここで神君マルスと初めて出会った思い出の地である。勝手は知っている。
「ああ、それじゃ、一気に制圧するぞ!」
 そして数時間後、ロイト派の200人が守るラーマン神殿はリュートとチキのたった二人の手で陥落した。ここにリュートは新生アリティアを背負うべく立ち上がった。


 そんなこととは露知らず、グルニアに上陸した大連合軍は長旅の疲れを癒して、再編成させていた。先発隊はシレジアを中心とするバルド同盟軍60万。ここには皇太子アルドを主将として、彼の軍師ルゼルがまとめるバーハラ公国軍10万、またオーガヒルからレイラ自身が率いるレイラ天馬騎士団らが混じったヴェスティア帝国軍も少なからず入っている。
「ここがアカネイア大陸か。」
少しでも学問をかじっていればアカネイア大陸の歴史は知っている。ここグルニアも史上最高の黒騎士カミュを輩出した名門国家であり、精強な騎士団を有することで有名である。2年前に国王が崩御してしまい政情はわずかに不安定であったために、今回の動乱では20年前から貫いてきたリュート派を宣言しているもののまだ主な軍事行動を起こせずにいた。アルドの感嘆する様子を覗き見するのはルゼルと共に付いてきたグラである。
「殿下、暇でしたらそのへんでも野駆けでもしませんか?」
相変わらずの軽さに、今もグラを監視している妹グリが目を変えて飛んできた。
「グラ!今、皇太子様は軍勢をまとめている最中なの!!邪魔しないの!」
そう叫んではすぐにアルドに向き直って
「皇太子様、兄がご迷惑をかけました。私たちも手勢をまとめなければなりませんのでここで失礼します。」
と言いながら謝罪する。そしてグラの耳を引っ張って、その場を後にした。二人のやり取りに空いた口が塞がらないアルドだったが、当の本人はやることをルゼルが代わりにやってくれていたので至って暇だった。付き添いのミルやエルマードも苦笑しながら付いて行くが、やがて一件の武器屋が目に入る。
「アカネイアの武器はどんなのがあるんだろうか。」
興味深々に入っていくが、ヴェスティアではありふれている武器ばかりで別段面白いものはなかった。
(もしかしてアカネイアの進化は止まっているのか?)
そう疑いたくなるが、さすがに言葉には出来ない。足早に店を出たアルドが次に見つけたのは闘技場だった。一瞬だけ目を輝かしたが、警戒したミルやエルマードによってそそくさと軍のところまで帰された。
「どうして私はいっつも暇なんだ。」
思わず愚痴るアルドだが、誰も答えるものはいなかった。
 翌日、ライトはアルド、ミリアを伴ってグルニア王宮へと足を運んだ。グルニア国王はまだ若い(とは言ってもアルドより一回り小さい程度)が、己の意思は持っていないような印象を見受けられた。仕方なく重臣連やこれから共に戦うことになる騎士たちと今後のことを打ち合わせたが、予想外に彼らに覇気がなくライトの策に唯々諾々と従うのみである。『騎士の国』というイメージがあるグルニアだっただけにライトもアルドは大いに拍子抜けしたのは言うまでもない。しかし何はともあれこちらに無条件に従ってくれるのは寄り合い所帯となる連合軍の中ではありがたい存在とも言えるので、ライトはそれからは機嫌よくグルニアの諸将と話し合った。
 それからはグルニア北部まで兵を進ませ、後続のリーヴェ・ウエルト軍40万を待つことにした。ウエルト軍は新進気鋭の騎士ばかりで構成されており質も量もサーシャやナロンがいた頃に比べると寂しい感があるものの、対するリーヴェ軍はリュナンを主将に、ナロン、アトロムを両輪とした20年前の大乱と変わらぬ豪華な布陣を擁しており、かなりの戦力として期待できる。またライト自身が率いるシレジア軍は鉄壁で知られるテルシアスはもちろんのこと、股肱のセイラ率いる天馬騎士団を中心に古豪で占められている。驚くべきはこのセイラ天馬騎士団に、セイラの母フィーも加わっていることである。すでに60代に入って豪腕を知られた彼女もさすがに老いには勝てないようで槍を振り回したりはしないが、セリス時代からの経験を若きものに与えるために軍師として参加しているのだが、すでに自身の部隊は愛弟子フェイに譲っていることもありライトの戦い方には1つの文句もつけずに従っている。ともあれ彼女の参戦はシレジア軍の心の支柱になっていることは言うまでもないだろう。一方、最も軍勢を発向するかと思われていた超大国ヴェスティアだが、その数はわずか20万ほどで、しかもそのほとんどが帝国傘下の五武王から出されている。宗家からも皇太子アルドこそ出ているものの、肝心のセーナと(P)グリューゲルは出ないのでお世辞にも戦力は高くなく、ヴェスティア勢で頼りになるのはオーガヒルのレイラとバーハラのルゼル程度であろう。恐ろしいほど今回の大乱に力が入っていないのだ。とはいえ無いものねだりをしても仕方なく、ライトは現有の100万で戦うしかないのだ。
 しかしそんなライトにも朗報が届く、リュートがチキの支援があったとはいえわずか2人で監禁されていたラーマン神殿を制圧してしまったのだ。これを聞いたライトはすぐさまレイラ、セイラ天馬騎士団を派遣して陣営を強化させることにし、自らも行軍速度を速めて迅速な合流を目指した。


 そして想像以上の沈黙を守っているヴェスティア首府、ヴェスティア宮殿では既にわずかながら動きが出始めている。
「リベカの死は今回の件に関係あると思う?」
一室でセーナとゲイン、そしてもう一人、黒髪の剣士が話をしている。ゲインはその男を見るのは初めて見るようなので誰なのかセーナに聞いたが、その名を聞いて大きく目を剥いた。ユグドラルではさほど名こそ知られていないが、世界随一の技量を持つ剣士であったのだ。セーナの問いにその剣士が返答する。
「関係ないかと。やはり『あの者』らの一党かと存じます。」
冷静な口調だが、その瞳には蒼白い復讐の炎が宿っている。あまりにも危険な風貌だが、セーナはこの剣士に何やら特別任務を任せているらしく信頼しているらしい。ゲインはその剣士の雰囲気に呑まれているが、自分も意見を述べた。
「私も最初はあまりのタイミングの良さにロイトたちの差し金かと思っていました。しかしそれならばウエルト、リーヴェへの親書を出して時間稼ぎさせるというのは矛盾ですな。」
リベカの不幸はゲインのヴェスティアへの帰還につながることはわかっているはずで、二つの親書を出すほど時間を稼ぎたかったロイト陣営がやるとも思えない。となると、
「やっぱりまた『影』が蠢いているようね。」
セーナの言う『影』はすでにリーベリアのノルゼリアの戦いから察知している。あの時は黒き竜がセーナに襲い掛かっている。その後の戦いでも、前ユグドラル後継者戦争では兄マリク傘下の十二魔将の異常な強さへの関係、後ユグドラル後継者戦争でもシグルド2世にネクロスと名乗るものが『影』の存在をちらつかせて協力を迫ったと彼の重臣アリシアも証言している。戦が絶えた後、治安の確立しているユグドラルでこそ起こっていないが、アカネイアとリーベリアで謎の殺戮劇が起きていることがあり、セーナは目の前の剣士を中心に特務諜報機関を作ってついに情報収集を始めていた。
「リベカの件を見る限り、ロイト陣営と『影』が連携している感はないけど、兄上(シグルド2世)の件もあるから後から連携してくるかもしれないわね。」
「かしこまりました。これよりアカネイアに向かって、ロイト陣営を監視してまいります。」
「頼むわ。何だったら、ブラミモンドとカリンに協力を仰げばいいわ。話は付けておくから。」
それを聞くと、剣士は慇懃に礼をして静かに去っていった。難しい表情をようやく崩したセーナはそれから呟いた。
「リベカ・・・。あなたがいてくれれば私もどれだけ楽だったことか・・・。」
これにゲインも思わず俯いた。やはり共に人生を歩んできた二人にとってリベカの死は苦痛以外の何者でもなかったようだ。
 しばらくして気を落ち着けたセーナとゲインは部屋を出て玉座の間に行くと、そこではついでに呼び出していたエレナがレインやノアたちと談笑していた。
「エレナ、これからあなたはバスコ諸島でバカンスをしてきなさい。」
バスコ諸島とはミレトス半島の遥か南にある島々であり、常夏の楽園として知られ、ユグドラルからも多くの人々が訪れている。とはいえ、仮にも戦時にバカンスに行けとはどういうことなのか、レインたちが首を傾けているが、
「ほんと?!」
エレナは嬉々として受け入れた。もちろんセーナの長女であり、彼女の再来と呼ばれているだけあって母の真意もきっちりと理解している。バスコ諸島のすぐ西にアカネイア大陸最東端の国タリスが存在するのだ。神君マルスの正妻シータの生まれ故郷としても有名で、またマルス自身も再挙兵して解放戦争を始めた聖地としても知らないものはいない。
「じゃあ、レイン、あなたも付いて来なさい。」
半ば強引なまでにレインも付き合わされることになり、旅支度のために玉座の間を出ようとしたが、
「おや、皇女もおられましたか。ちょうど良かったわ。」
ミカがそういって入ってきた。何やら変事があったらしい。
「どうしたの、ミカ?」
セーナも何事か気になったが、政庁に急報が入ったと言うことはユグドラル大陸内でのことである。アカネイアのことならセーナに直通で情報が入るのだ。
「思わぬお客様がいらっしゃいましたので。」
そして後を向いて、入るように促した。穏やかな風貌で誰かに似ているとゲインは思ったが、エレナが真っ先に驚いて声を上げた。
「クレスト兄さん、いつの間にヴェスティアに。」
 その青年こそセーナの次男クレストである。既に若き日のライトの風貌そのもので、シレジアの後継者としてレヴィングラードで祖父セティ、父ライトからだけでなく、セーナからも薫陶を授かっている。ライトからは特に溺愛されシレジアを出たことはないが、今回ライトがアカネイアに向かったことで枷が外れたので興味がてらヴェスティアまで出てきたのだ。性格はこちらもやはり若きライトに似て、温厚篤実。そしてライトに比べると野心はほとんど無く、それゆえに若くして才走るエレナやハルトムートらの存在も我関せずにマイペースに己を磨いてきた。派手さはエレナ、ハルトムートほど無いものの、堅実さでは長男アルドに勝るとも劣らないが基本的に戦には向かないらしい。その才腕は内政の面でこそ発揮されるようで、どうやらその面ではセーナも一目置いているらしい。唯一、父と違うのはそんな堅実な性格ながら、意外と冒険好きなのである。セーナの血とも思われるのだが、この場合はライトによって押さえつけられたことに対する反発の方が大きいのだろう。今回のヴェスティア訪問も母たちを驚かせてみたいと思い、幼馴染のセリア(セイラの長女)と共に来た。
 「よく来たわね、クレスト。どうやらその表情だと、アネックスの検問に引っかかったようね。」
クレストの苦笑するところを見ると図星らしい。何の連絡もなく来たので、警戒が厳しいアネックス圏内には入れなかったのだ。
「まさかここまで厳しいとは思ってもいませんでした。ですが、これを見せたら更に大騒ぎになってミカまで呼ばせてしまいました。」
そう言って見せたのは風の聖魔法フォルセティであった。これにはセーナも驚いた。まさかライトがここまで早くクレストにシレジアの王位の証とも言えるフォルセティを託しているとも思っていなかったのだ。ともあれそのフォルセティを衛兵に提示したが、やはり偽者だと思われたためにそれを知っているミカに審議を正してもらったのだ。
「私もクレスト様が来られただけでも驚いたのに、まさか本物のフォルセティをお持ちであったとは。」
ミカも当時の本音をのんびりと述べる。するとクレストもからかった。
「私もヴェスティアに来て、一番最初に冷静沈着で知られたミカの驚いた顔を見られるとは思いませんでしたが。」
これにはセーナやゲイン、エレナが目を丸くして笑い始め、ミカも苦笑するしかない。
「エレナ、バカンス出発は1日延期ね。今日はクレストと共に過ごすといいわ。」
もちろんエレナも否やはなかった。夜にはユン川軍港を守備していたハルトムートとアトスも合流して、三兄弟が集まってのささやかな宴が開かれた。翌日にも政務が溜まっているミカは早々と後にしたが、セーナやエレナが大いに盛り上げたために当然のように盛況に終わった。

 翌日、エレナは相変わらず渋い顔をしているレインを連れて、ユン川軍港からバスコ諸島へ向かっていく。いよいよ戦乙女セーナもようやく動き始めつつあった。

 

 

 

 

 

最終更新:2011年09月11日 01:01