アカネイアでの戦火はやはり他地域にも飛び火した。ロイトの動きに応じて、レダのリチャードが持てる兵力を総動員してカナン・サリア両国の国境に大軍を置いて牽制してきたのだ。20年経った今でも復興途上のレダであるが、仮にもリーベリアの3分の1の国土を占めるだけあって、既にリーヴェ・カナンクラスの兵は余裕で動員可能になっていた。レダ・サリア国境には自治都市セネーの北にレダの次代を担うノール6世が10万の兵を率いて、国王ヴァルス以下、天馬騎士長フラウと弓大将シロウが率いるサリア軍10万と、リグリア要塞の南ではレダ三姉妹の三女セーラが同じ兵数で、援軍としてきたリーヴェ王子アルクと進境著しい若騎士クライフと、レダ・カナン国境のサイの町郊外でノール5世・リーラ夫婦の指揮する40万の大軍で、同じく援軍として派遣されたリーヴェ第二王子ローランが率いるリーヴェとカナンの連合軍の30万とそれぞれ睨みあっている。
まずはセネー北部、かつてリュナン、ナロン、エルンストが熾烈な戦いをした古戦場である。サリアはあらかじめレダの襲来を予想していたのか、迎撃態勢は驚くほど完璧だった。すでに『ヴェスティアから派遣されていた援軍』もいたためにノール6世は身動きが取れなくなっていた。もっともリチャードから命じられたのはあくまで牽制であって、リーベリア勢をリーベリア大陸に釘付けにできれば上々なのだろう。だがノール6世は名前から分かるとおり、ノール5世とリーラの子であり若くもあって血が滾っている。しかも近々リチャードとティーエの長女ティーネとの婚約も決まっており、何かしらリチャードに恩返しをしたいと思っていたのだ。そんな落ち着かないノールの前に一騎の武者が出てきた。
「レダの横着者ども。威勢良く出てきたと思ったら、今度は俺の武勇の前に震えているのか?」
そう叫ぶのはヴェスティア帝国アグスティー公国公子のレクサスであった。自身の精鋭グラオリッターを率いて、セーナの命によってずっとバルト要塞跡地にて待機していたのだ。セーナから直々に命を受けるだけあって実力は新進気鋭のアルド世代の中でもずば抜けて高く、セーナからはもう一人の英傑とともに『双龍星』の『暴龍』との異名が付けられている。その名の通り、かなりの野心家でもあって、本気でユグドラルの覇権を握ろうと策している。だがただ野心家な訳ではなく洞察力もなかなか鋭く、自身がセーナに劣ることも理解しており今は彼女の意に諾々と従っており、あたかも餓鬼大将のように今は振舞っている。血が滾っているように見えるが、実はレクサスはなかなか老獪でノール6世と本気でぶつかって勝利を得て不動の名声を得ようと思っているのだ。この挑発にノール
Ⅵが反応しないはずはない。
「何だとっ!」
拳を震わせて憤るも、そこはレダの次代を担うべきノールである。己を御するすべはしっかり身につけていた。
「皆、挑発に乗るな!」
そう陣中に言いまわっては落ち着くように宥めていった。ティーエから彼の後見を任せられたアジャスはその光景を頼もしげに見ている。そして憤るレダ軍が鎮まっているのを肌で感じ取ったレクサスは思いっきり舌打ちしたが、すでに戦機は失いつつあった。
「あいつ、あのままにしておくと本気で恐ろしい龍になるな。」
レクサスを後から冷静に眺めていたヴァルスは素直にそう思った・・・。数日後、ヴァルスとノール6世の会見によってとりあえずの停戦に合意して、それぞれ撤退していった。
そしてリグリア南部のにらみ合いは妙な雰囲気になっている。というのも互いに戦意が全く無いのだ。援軍としてきたリーヴェ軍は主軍がアカネイアに行っているためにまだ訓練の行き届いていない若い騎士たちが主力なのもあるが、主将であるリーヴェ王子アルクがさほどピリピリしていないのだ。
「本当にこんなにユルくていいのか?」
当のアルクが質問を向けた先は、燃えるような髪が特徴の青年だった。すると青年も穏やかに返す。
「下手に戦意があれば、不意に戦端が開かれてしまうこともあります。ならば、のんびりと過ごしているに限ります。」
良い笑顔に言われるとアルクもつい納得する。だが血気逸るクライフはしきりに進撃を要請する。
「デーヴィド皇子、何ゆえにレダの裏切り者を誅さない。我々は臆病者と罵られますぞ。」
青年の正体はトラキア帝国皇太子のデーヴィド、紛れも無い皇帝フィリップの嫡男だ。『双龍星』のもう一人であり、『英龍』の異名を持っている。何事にも穏やか、穏便に話を進めていくことで問題を解決していく姿勢はまさにレクサスとは対極にある。今回の大乱においてもレクサスとともにバルト要塞跡に潜んでいて、事に及んで迅速に南リグリアに進撃してきたのだ。しかも面白いことにレクサスには「穏便に事を済ませるよう」セーナからの達しがあったのに対して、デーヴィドには勝手無用と特に指示も出していない。それだけデーヴィドのことを信頼していたのだ。今はリーヴェ王子アルクを補佐する立場となって、戦場を見回している。そんなデーヴィドは穏やかにクライフを抑える。
「クライフ殿、お気持ちはわかりますが、未だにリーヴェとレダは戦端を開いていないどころか、ユトナ同盟すら破棄されておりません。今、我らからレダに攻めかかれば、それはユトナ同盟の崩壊を完全なる崩壊を意味し、この大陸に無秩序を呼び込むことになりかねません。」
あまりにも合理的な答えにクライフもさっきまで沸騰しつつあった熱気が急速に冷めていった。彼とて知性派としてしられたクライスと盲目の女神と讃えられたレティーナの子である。もともとは理詰めで動く人間なだけに論拠を並べられると素直に従うことができた。
「すでにあちらも一定の目的を達成しているのです。そしてこちらもこれ以上の進撃をさせなければいいのですし、そのための準備も十分できました。あとはあちらから停戦の使者でも向かってくるでしょう。」
もともと軍才に乏しいと言われているアルクなのだが、それでも人の意見を素直に吟味することは出来た。これにデーヴィドの将才とクライフの武勇が合わさることで若いものばかりのこのリーヴェ軍もなかなかの陣容を確保できていた。そのため対するセーラも何も出来ず、2日後には和睦を申し出てきた。こちらの戦局もロイトが思った以上の成果は出ることはなく、若い者に経験を与えてしまうことになった。
一方、サイ郊外でにらみ合ったレダとカナン・リーヴェの戦局だが、こちらもリュナンの次男ローランがカナン王子セト、同王女ミスト、またサーシャの子ナーシャ・セイヤ姉弟とともに穏便に立ち回った結果、数日中に和睦することになった。
あっさりとユグドラル・リーベリアの若き騎士たちに自身の謀略を打ち破られたロイトだが、そんな彼の身にも若き巨星の剣が迫っていた。
アカネイア大陸、グルニア領ラーマン地方。アルドとカーティスの戦いは続いていた。
「今、何と仰られました?」
グラ隊の危急を聞いて、援軍を出すと聞いたルゼルはその規模に耳を疑った。
「私とルゼルの5万でグラを救いにいく。」
素直に繰り返すアルドは戸惑うルゼルの表情が楽しいらしく、微笑している。
「ではここを誰が担当するのですか。」
ルゼルの見たところ、一部隊の将はこの軍にも一杯いるのだが、仮にも万単位の兵を自由に進退させる将は自身とアルドしかいないと思っていた。つまりこのまま己とアルドが出てしまったら、本陣は指揮がままならなくなって崩壊してしまうことを危惧しているのだ。
「心配ないよ。ここは義姉上に任せるから。」
その言葉にルゼルは思わずアッと言う言葉を出していた。
アルドの義姉、それは17年前の後ユグドラル後継者戦争で散ったシグルド2世とナディアの子レナである。両親の死後、彼女はセーナの養女となっており、アルドより4歳年上の為、アルドも義姉と呼んでいるのだ。すでに物心つき始めた頃に両親を失ったために心に傷がつかないか危惧されていたが、もともと叔母・姪の関係でなかなか仲の良かったセーナが優しく接したために無事に成人も迎え、十勇者アベルとミーシャの子アレクスとも無事に婚姻を済ませており、既に一人前の女性として落ち着いた日々を過ごしていた。残念ながら母と父の神がかり的な素質は受け継がれなかったものの、堅実な用兵はアルド・クレストの生きた見本になっているとさえ言われているくらいに巧みであった。
既に申し合わせをしていたのか、レナはすぐに本陣にやってきた。父譲りの蒼髪をなびかせて、見た目には本当にアルドとレナは姉弟のようにすら思えるのだが、レナはアルドの前で跪いてアルドの命を謹んで受けた。というのもレナは既に皇女という地位を捨てて、義母ミーシャのガーディアンフォースの副隊長を務めているので主と臣の間にあるのだ。アルドはあくまで姉と弟の関係を重んじたいのだが、馴れ合いは心に隙間を生じさせるというレナの忠言を受けて表向きはこう言った間柄になっている。もっとも家族水入らずの時は言うまでも無く、良き姉として弟をかわいがっていることもある。ともかくアルドはすぐにルゼルとともに兵の半分を率いてグラ隊の救出に向かって、彼の救出に成功した。
アルド隊の思わぬ動きに驚かされたのは誰あろう敵軍主将のカーティスだった。
「我らの覚悟を試しているのか。」
目の前に自分たちの半分の兵を置いておいて、どう仕掛けるのか見極める。これで主将の覚悟を確認するという前哨戦ならではの駆け引きだとカーティスは思っていた・・・のだが続いてきた報せがカーティスを混乱させる。
「敵正面の軍が前進、我が軍に向かってきます。」
「何だとっ!」
それは戦のセオリーを無視した無謀な突撃にしかカーティスには見えなかった。何しろこちらは倍の数があるのだ。確かに恐ろしい数の兵が森に潜んでしまったが、それでも再度出てくるのには数時間はかかる。その間に敵本軍を叩き伏せることは可能であるのだ。
「カーティス殿、敵が何を考えているのか分からない以上、ここは手筈どおりに後退すべきです。」
ローブの軍師がカーティスに進言する。しかし
「何を言われるか。売られた喧嘩を、しかも勝てる喧嘩を買わない馬鹿はアリティアにはおらん。せっかくだから目の前の5万を叩き伏せ、返す刀で森に潜んだ5万を打ち破るのだ!」
人というのは思っていたことを先に他人に言われるとムラムラと反発したくなる気持ちがある。今のカーティスがそれだった。主将の一声でカーティス軍は一気に突撃態勢を整えて、レナ軍を返り討ちにすべく勢い良く飛び出していった。
あと少しで両軍がぶつかるところを、カーティス軍の側面を衝撃が襲った。まだグラ隊を救出しているはずの別働隊(見方によっては主将アルドが率いているので本軍が正しいのだが、ここは別働隊とする)が森から飛び出して横撃してきたのだ。これに戸惑う間に正面からレナ軍先鋒グリ隊が突っかかってきたためにさっきの勢いはどこへやら、あっさりと大混乱に陥った。
「馬鹿な、5万もの大兵が森の中でこうも進退が自由に行くものなのか?」
叫ぶカーティスに、ローブの軍師がしゃべりかける。
「よくご覧ください。数はさほど多くはありませぬ。どうやら別働隊を二つに分けて、その1つをもともとこの横撃を策していたのではありませんか。」
確かに森の中で5万もの大軍が転進すれば、普通は小なりといえども混乱が起きる。だが元から部隊を二つに分ければ、その率も単純に見ても半減される。そして森から出てきたのは、セーナに大軍を指揮させてみたいと言わせたルゼルである。簡単とは言わないが、この程度ならルゼルならば朝飯前だったはずだ。
「グッ、半数にしたのは我々の攻撃を待つためだったのか。」
カーティスが必死に態勢を立て直そうとするも、なまじ大軍のために伝搬的に混乱が広がってしまった以上、もはらなまら名将でも立て直せるものではない。やがて後方から戦意のなくした兵たちが逃亡を始める。指揮官がもっとも恐れる裏崩れが始まってしまったのだ。こうなった以上は遮二無二斬り進んでとにかく敵将を討ち取って戦意を昂揚させるしかないのだが、レナもルゼルも緻密な堅陣を守りながら攻撃しているためとても切り崩せるレベルではない。
やがて終焉が訪れた。後方にグラ隊を吸収したアルド本隊がついに姿を現したのだ。その数3万。ほぼ同じ数でも3方向から攻められては持つものも不可能となる。カーティスも反撃を諦めて、クビを項垂れながらも撤退に移る。だがアルドの智謀はまだまだ終わらなかった。
ラーマン西部の戦いでカーティス軍を打ち破ったアルド軍だが、その追撃は恐ろしいほど執拗だった。少しでも気を抜けば、アルド軍10万の大波に呑まれ、その命を散らせて行く。また機動力のあるレイラ・セイラ両天馬騎士団は迂回して横撃を繰り返しては更に数をすり減らしていく。もはや戦いと言うよりはサバイバルレースの様相を為してきた。その必死の逃避行の果てに、ついにロイト軍の大軍が見えてきた。アルド軍の7倍、70万という大軍なのだが、彼らはそれが見えていないかのように追撃をやめようとはしない。
「我が策、成れり!!」
アルドは心の中で喝采をあげた。
「皆、手筈どおりに一気に終わらせよう!『スターダストレイン』で敵本軍へ突っ込め!!」
元気のいい采配が振られるとともにアルド軍が俄かに5つに割れた。アルド率いるIグリューゲル、ルゼル率いるバーハラ・ロートリッター、レナ率いるグリューンリッター、レイラ・セイラの両天馬騎士団、それぞれが1つの線と為して突撃態勢に入る。
これに慌てたのがロイトである。カーティス軍の敗残兵をまとめたはいいが、おかげで混乱が伝染してしまってまともな迎撃態勢が取れないでいるのだ。というよりもともとここまで戦線が拡大するとは思ってもいなかった。そう、アルドはこの瞬間を狙っていたのだ。
「前哨戦と見せかけて、一気に決戦を持ちかける。」
アルドはこの計略を思いつき、敵がまだ初陣の己を見くびっている今ならば実現可能だとルゼルに図ってみたのだ。ルゼルはアルドの計に大いに驚きながらも、次には膝を叩いて賛同することとなって次いでレイラ、セイラの二人の姉にも意見を求めた。余りにも壮大な策に二人もしばらくは言葉を失っていたものの、やがてルゼルと同じ反応をしたことでアルドも自信を持ってこの計を実行に移したのだ。
そして今、同時に5人が叫ぶ。
『スターダストレイン!』
5筋の星屑が70万の大軍に吸い込まれ、甚大な悲鳴を上げていく。通りかかったものは星屑によって切り裂かれ、逃げようとしたものもそのあまりの速さに間に合わず吹き飛ばされていく。これこそが母の流星『シューティングスター』を模範にして作られたアルドの必勝戦術『スターダストレイン』である。シューティングスターほどの調練は必要とはしないが、その分機動力と組織力が非常に課題となる戦術であるが、その条件さえ満たせば今回のように大軍そのものが星屑となることができるのが大きな強みである。
すでにロイト軍は各所を寸断され、大軍の利を活かせなくなっていた。兵たちは勝手に逃げ出し、あまつさえ同士討ちするところも多くあった。すでに行きと帰りで二度貫いた星屑は元の場所に戻って、その惨状を瞳に焼き付けている。
「次で終わりだ。」
アルドは全軍をまとめて、最後は全軍でまとめてロイトのまとめる中央を粉砕しようとした。ルゼル、レナ、レイラ、セイラが続々と集まり、兵の集合も想像以上に順調だった。
「もう終わらせましょう。」
興奮気味にルゼルが采配を促す。レイラ、セイラも準備が整ったことを伝えに来て、レナも頼もしそうにアルドを見つめていた。だが熟したはずの戦機は一人の愚行によってついに実ることはなかった。
直後、必死に馬を攻めてきた騎士がいた。ライトからの伝言を預かってきた遣いらしい。そしてその遣いは驚くべきことを伝えたのだ。
「これ以上の追い討ちは無用。ただちに本軍に合流せよ!」
その言葉に一同は耳を疑った。普段温厚なルゼルなどはその遣いの胸倉を掴まんばかりの剣幕で叫ぶ。
「今、何と言った。皇子は今まさにこの大乱を終わらそうとしているのだぞ!」
だがその遣いも命を履行してもらえなければ己の命が危ないのか、必死になって反駁する。そんな口論が30分は続いたのだろうか、うなだれるようにアルドが言う。
「もう終わりだ、ルゼル。敵軍をよく見てみるんだ。」
未だに血走った目をしているルゼルは敵に目を向けると、すでに態勢を立て直して、よもすれば襲い掛かろうとしているのだ。こうなると10万対70万、とても戦いにはならない。
「命は承った。ただちに父上に復命するといい。」
そう言い残すと、無念そうな表情をしたままそっぽを向いてしまった。遣いのものもさすがに気の毒には思ったものの、これも命だと思いなおして一礼して去っていった。そして十分もしないうちにアルド軍は粛々と退却していった。
「危なかった・・・。」
ロイトは率直な意見を呟いた。
「あの若僧、本気で私を討つつもりだったとは。」
そう言いながら今度はカーティスに向かって言い放つ。
「カーティス、軍師殿の進言を無視して相当痛い目にあったな。」
そう、今回の敗因は後退を進言したローブの軍師を無視したカーティスが全てだった。カーティスはうなだれながらも軍師に謝罪し、責任をとってしばらくはアリティアで謹慎することとなった。
「さぁ今日は良いようにされたが、明日からはそうはいかない。我が半生をかけて練り上げた計をその身に刻みつけてやる。」
この瞬間、ロイトの大反攻が始まる。